天都
燃えるように紅葉した山脈、頭を垂れる稲穂の黄金の海が、窓の外で朝日を浴びて輝いていた。さも自然らしく、それらは柔らかい風に揺れ、生命があるが如きに見える。窓を開ければ新鮮な空気と小鳥の囀りでも飛び込んで来そうだが、それは不可能だった。
窓に見立てたこれは映像表示装置であり、映る風景は全て虚像の生きた絵画である。
天都を縦横無尽に走る磁気浮上式列車の窓は、全てこの仕様がなされている。中央管理機脳に完全管理されたこの列車は、一秒の誤差もなく停車し発車する。駅員もいるにはいるが、別段仕事という仕事がある訳ではない。あるとすれば、精精、満面の笑顔で乗客を迎え送り出すことくらいだろう。
女子高等學高への通學の為、私はこれを毎日利用している。ゆったりとした管弦楽の流れる無振動の車内には何の面白味もない。乗客に飽きが来ないよう、窓の景色は無規則に変わるように出来ており、ある時は雪の積もった冬景色、またある時は満開の桜吹雪、そして快晴の空と青い海原。
窓に映るそれらの光景は、私達の先祖が失った、いや捨ててしまったものである。
だから、私は本物の紅葉も稲穂も海も知らない。情報として識っているだけだ。私の両親も、そのまた両親も、何代遡ろうと同じ事だ。それほどの古い時代に、御先祖様達は呪われた地上から、雲の上まで逃げてきたのだ。
私は鞄から小型の携帯端末を取り出すと、車内に自分以外の人間がいないことを確認してから、表面を指でなぞり、一つの命令を窓に送った。
途端に、白色のビル群が窓の外に姿を現した。大小様様な、黄金比に基づいて創られたそれらの幾何學的な建造物こそが、天都の本当の姿だ。住居、役所、娯楽施設等、その他あらゆる建造物が人間に不快な思いも抱かせないような建築様式により、絶妙な調和を保っていた。精神的安定の大義名分の下、何もかもが計算尽くで創られている。
しかし、それに不平を言うもの等いないだろう。不快でないことに不満を言う道理はない。
それでも、私は気に入らないのだ。幸福、安心、平和、それらは勝ち取ったものではなく予め用意されたものに過ぎない。一個人の人生においてすらも、まるでこの磁気浮上式列車の軌道の如く、決められた道を進むだけである。
そんな人生に何の楽しみがあるというのだろう。そう思う私は、この天都においては異端者であり、危険思想の持ち主と見なされても仕方がない存在だ。思想をいくら統制しようとしても、進化の歴史上突然変異の種が現れるのと同様に、異端の思考回路を持つ者が現れる。
幸か不幸か、私が正にそれだった。皮肉なことに、神様はそんな私に大きな二つの贈り物をくれた。一つは、二人ともが天都政府の高官である両親の娘という恵まれた環境。もう一つは、情報技術に関する才能である。
史學や理化學にはまるで食指が動かないが、情報技術の學術だけには夢中になった。授業だけでは飽きたらず、家庭教師を雇って貰ったが、すぐに彼女も追い越してしまい、あとはひたすら独學で続けて来た。
その御陰で、私は中央管理機脳の張った防御壁をすり抜け、電子界域の様様な映像や音、記録を覗き見ることが出来た。しかも足跡は決して残さないので、向こうもまるで気がついていない。
初めて銀鶏の姿を見たのは、検閲済みの規制された底都の動画だった。偶然に出会った彼女は、天都が尊ぶ「調和」の概念からかけ離れていた。だが、それ故に、あれほど力強く、華麗に、凄惨に、人殺しの舞いを踊れるのである。
心の奥で燻っていたものが一気に燃え上がり、価値観が吹き飛んだ瞬間の、快感。すぐに彼女の情報を掻き集め、底都に行くための最高の護衛者を探したのは言うまでもない。
それから、私はひたすらに彼女のことを追い続けている。わざわざ底都に降りるという危険を冒してまで。勿論、高倉という護衛がいての話しではあるが。
『まもなく千曳磐駅、千曳磐駅に停車いたします』
先日の底都での美しい銀鶏の姿を思い浮かべ夢心地でいると、車内に目的の駅での停車を告げる女性の声が聞こえてきた。
私は即座に、窓の映像を元の紅葉の景色へと戻した。携帯端末で勝手に窓の景色を変える――というよりも、防御壁をすり抜け侵入したこと自体が既に犯罪である。発覚すれば大事だが、そんなヘマは犯さない。
そもそも、中央管理機脳は既に自己完結した脳味噌のようなものである。自分で定期的に様様な点検はしているが、ここ数百年は自己学習機能の起動した形跡はないし、防御壁の強化等の更新をした様子すらない。そんな機械仕掛けの神を、楽園の善き導き手と敬い、疑うことをしないのは滑稽の極みだった。
そんな天都の人間がどんな存在か。退化することもないが、進化することもない、永遠の楽園で、ただ食べて寝て起きて、また食べて寝るを繰り返し、怠惰に堕落することを避けるための義務的労働をこなし、寿命がくれば死ぬ。それだけの生き物。
私は鞄を持って、列車のドアが開くと同時に駅へと降り立った。
朝の済んだ空気の匂いがする。空を見上げれば、薄い雲の棚引く空に太陽が輝いている。今日はそういう設定らしい。
天都を包む天蓋に映し出された虚構の空を眺め、贋物の初夏の空気を吸いながら、私はふと考える。
この天蓋一杯に、彼女の闘う様を、血の華華を咲かせる様を、大写しにしてやったら、さぞ安寧に浸りきった人人は、驚愕し、恐怖するだろう。きっとそれは堪らなく愉快に違いない。
そんな夢想に心の底で笑いながら、私は學校へと向かった。今の私に与えられた役は學生であり、優等生の演技をこなすのが義務である。
後ろで電子音が鳴り響き、列車が滑るように次の駅へ出発していく。決められた線路を、決められたように走る為に。
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