2 - いつでもそうだと言い聞かせ -
妹と街に出てみるのも板についてきた気がする。妹が小学生の頃から家族で出掛けることも多かったが、最近になって母親が1日寝ていたり父親が帰ってこられない日だったり、そういうことも増えたこの頃では時々妹と2人きりで外へ出掛けるわけだ。しかし、なんと言えばいいか、こいつも少しは大人になったなぁと思うことが時々あるが、まだ変に幼稚な部分があって兄としては微妙に恥ずかしい気持ちになる。今まさに大きめのパーカーにプリーツのミニスカートという姿で、隣でキャンディを口に咥えながら右手に握ったスマホを見て前を見ずに俺の服の裾を摘まむ桃花を見てそう思った。まあマンガだと妹がくっついてくるみたいな展開もよく見るが、こいつはそんなにベタベタはしてこない。普通に仲がいいくらいで、ブラコンでもないし、俺もシスコンではない。本当に。
なんだかんだ今年度はもう受験生な妹だが、成績も悪くないというかめちゃくちゃ頭がいいので志望に受かるんだろうなという感じはする。
「ねえねえ、にぃ、お昼どうすんの?」
「んー?あー、そんな時間かー。好きなところ行ってもいいぞ。高いところは遠慮してほしいけど」
「んー、ちょいまちー」
話しかける時にちょいとこっちを向いていた桃花はまたスマホに目線を戻し、かと思うとすぐに画面をこっちに向けてきた。近くにあるパンケーキの店が載っている。
「これくらいいいよね?せっかく休日の街に来てるわけだし」
「人並んでないか?列が少しくらいならいいけど」
「んーそだよねー、まあとりあえず行ってみて人が多いなら他行こー」
わがままじゃなく割とさっぱりとしているのがこの妹だ。諦めがいいわけでもないのだが、自分の好きを通そうとはしない。物欲もそこまでない。
とりあえずその店まで2人して歩いていきながら時間を確認すると、スマホの中で電子的な数字が11:30を示している。確認してから桃花の方を見ると俺とは逆に周りをキョロキョロと見渡していた。
「あったあった。そんな並んでないよーここでいいよね」
こちらを向いた桃花と目が合う。身内でもわかるほどの可愛らしい顔にドキッとしかけるが、妹相手なので落ち着いて指差す方向へと目線を変える。3組ほどの列が店の前にある。微妙なラインだが、この程度なら妹の機嫌のために余裕だ。
前の席、残った飴の棒だけを口に咥えたままにいた桃花はそれを口から離して持つと。
「にぃ、それで、さくらさんとはどれくらい進展あったのよ」
不意にそんなことを言った。
「進展ってなんだよ……なにもないから。……あーそうだ、来週の春祭り行くのか?人は集まるかわかんないけど色々やるにはやるしいつもよりかは楽しめると思うけど」
ふと俺はさくらに言われたことを思い出し訊いてみると、なぜかそれを聞いた桃花は後半を無視して唇を尖らせた。
「ちょっと、にぃはこのままでいいの?一生彼女作らずに、そしてそのまま無様で情けないまま生涯を終えるの?」
……そこまでか?そこまでの話にまで発展するとは微塵も思っていなかった。
「あたし心配だよ、にぃがあんな美人さんを紹介した時はやっとにぃも色恋沙汰に手を出したかと思って嬉し……あ、ありがとうございます」
話の途中で注文の品が届き話が中断される。なんとなく安心した。さっきとは打って変わって嬉しそうにダイヤのようなキラキラとした顔をする桃花は、手に持っていた棒を横に備えてあった紙にちゃんと包んでからナイフとフォークを手に持った。
しっかり者だからなぁ。なんて思ってると俺の前にも甘そうなパンケーキが置かれる。
「あ、そういやそんな顔、伊吹ちゃんもしてたな」
「あ、他の女の名前出したな?あたしは、さくらさんと上手くいってくれるといいと思ってるけど」
いやまあ誰でもいいけど、と呟いてから小さな口で大きく一口食べる桃花を見ながら俺も切り分けて食べると、なぜかみんながケーキを食べていた中自分だけ食べなかったことを、呟く内容を間違えたなぁということを気にしないように思い出す。
「ん、ひぃははまふひふほ」
「飲み込んでからな」
俺の言葉ですぐに、んくっ、と桃花は勢いよく飲み込む。
「にぃは甘すぎるよ。大学生にもなって未だ彼女なしって……いや。待て。あたしも彼氏いない歴年齢か……?」
桃花のパンケーキを切っていた手が止まる。衝撃の事実に頭がパンクしているようだった。いや、中学生なんだからそこまでおおごとでもない気もするが言い返してみる。
「そういやそうだよ。お前可愛いのにそういう話聞かないな」
「え、そ、そうだよね。やばい、謎だ……」
あくまでも可愛いは否定しない。
「というかにぃみたいな人の周りに女性がいっぱいいるのが怖いよ。あたし周りに女の子いっぱいいるけど男はいないもん」
みたいなってなんなのだろうか。桃花は止まった手を再開し勢いよく口に入る限りの量を一気に含んでいた。
「はあ……まあ、そういうこともあるだろ」
「ぐっ、んんっ!」
「飲み込んでからな。ちゃんと落ち着いて食べてくれー」
なにか言いたげだった桃花はこくりと頷くと、ハムスターのように膨らましていた頬をもぐもぐと動かしゆっくりと縮めていく。一目見て誰もが可愛いと頷けるような可愛さがある。……こんなことを誰もが思うのはあまり許せない気がしてきた。
「んんっ……にぃ、おかしいよ。普通はそうなんだよ、普通は。普通は、ただの男子大学生があんな美人さんいっぱいと一緒にいるなんてないんだよ。カーストトップじゃなけりゃハーレム系の物語でもあるまいし……」
「まあさくらも黙ってりゃ可愛いし、真野さんはめちゃくちゃいい人だし、伊吹ちゃんも……いや、あれは怖い。まあ後桃花もいるしな。もしかしたら俺はハーレムラノベ主人公なのかもしれない」
あと少し違うけど俊太。いややっぱ俊太ルートだけは進みたくないのでなし。
「調子乗んないでー」
ナイフの先を指のように使い俺の顔を指してきた桃花は、その後またそのナイフで残っているパンケーキを少し切り分けて話す。
「どこかで絶対にあたしはにぃの彼女を見たい。というか結婚式に出たい。あたしがお嫁に行く前に晴れ舞台見たいよ」
「お嫁に行かないで」
「いや、行くけど」
ミスった。すらりと口に出てしまった。
「父さんも母さんも心配するから、絶対に見つけてよね。あたしはさくらさんがお似合いだと思ってるよってだけで、にぃの好きなようにすべきだと思うけど」
「桃花、結婚しよう」
桃花はその言葉を無視して刺していたのを食べ始める。いやまあ俺も冗談なんだけど、さすがにパンケーキも冷める冷たさ。
「精進します……」
俺もそう呟いて、切り分けたパンケーキを口に運んだ。どうしてこんなところで歳の離れた実の妹に説教されたのか。まだ冷め切ってはいなかったパンケーキが口の中で醸す味は甘苦く感じて仕方がなかった。
何回も言うが桃花と俺は普通の仲だ。悪口を言い合い、それでも嫌いなわけでもない。それくらいの関係だ。ただ少し可愛いだけだ。
ただ可愛いとは武器なのだ。さくらを見て常々思うのは、あのむかつく余計な付け足し言葉も可愛いから許してしまう感じがあるみたいだ。それと同じように俺の彼女のことばかり話す桃花のこともなぜか許してしまっている。もっとクソ生意気な妹だったら許していないだろうなと思う。
──とはいったものの、俺の大学の服装を決める桃花は一体どこの目線なのだろうか。服屋の中、向けられた目は真剣そのもので、俺の彼女作りを手伝う彼女はさながらキューピッドのつもりだろうか。
「にぃは見た目だけはいい方だから色々と似合うよね。ほらこれなんてどうかな?……大学新生活応援キャンペーンに友達作りのため参加する好青年Sってキャッチコピー」
さらりと見た目だけと言われてしまう。微妙な気持ちになるしかなく「そうか」としか返せない。少しだけ沈黙の風が吹き、すぐして桃花は少し耳が赤くなる。
「え、変な例え使ったのにその返事しかしないのどうなの!恥ずかしいんだけど」
「そこまで頭回ってなかった。でも今になってもどういう返事が正解かわからないんだけど、そこんとこどう思いますかマイシスター?」
「いつも通りに、なんだその例え。とでも返してよー!専門分野はそっちでしょ、にぃは」
「分野……」
ツッコミかボケかの話だろうが、そもそもそんな専門知識を習った覚えがない。どこかいいところで履修しておこう。
「いいよもうーツッコミ出来ないボケにぃ」
「ボケの意味がなんか悪口になってないですか?」
「なってないよボケカス」
「口悪すぎない?」
「はいはい次々ーいくよー」
流すような物言いで桃花に手を握られ引かれていく。このままではただの言いなりなので俺も兄としてはなにか強く主張を言うべきなのだろう。一度息を吸って声を上げる。
「あの、桃花さん、別に服選ぶのは……」
「大学生らしいカッコいい服装してもらうんだから黙って選ぶよほら」
「あ、はい」
……いやぁ、ちゃんと主張出来たなぁ。と引かれながらに思う。
その後もなんだかんだ何軒か巡り2人分の服や桃花の文具などを買い、俺が袋を携えて、嬉しそうな桃花の背中を追って歩く。小さな背中だが頼もしく感じるような足取りで前を進んでいく桃花のことを見て、成長したなと思った。
そして昼も過ぎると大勢の人だかりに揉まれることになるので、涼みが出来るような少し裏の店で2人で座っていた。桃花はカップのジュース片手に、いつもあるかのようにスマホをもう片方に握りテーブルに肘を置いていた。
「なにしてんだ?」
「ん?なにが」
なるほど。桃花にとってはスマホをいじる事は呼吸をするようなものなんだなぁ。
「なに見てるんだろうと思って」
訊くと、一度こちらに画面を見せて俺が見たのを確認してすぐに手を戻した。可愛い女の子が画面上で無音で喋るやつ、よくあるソシャゲ。
「ゲームだよ?ぽちぽちタイプのやつ。音出さなくてもいいしいいよねー課金要素はまだ手をつけらんないけどやりやすい」
妹、暇があればゲームをしている気がする。家でやればいいのになぜこんなところまで飛び出して来たのか甚だ疑問である。やっぱ成長してるのか怪しい。
「にぃはゲームしないね。オタク一家でも趣味って全く違うんだなぁ」
「おいおい桃花よ、俺が本当にゲームしないとでも?」
「えっちなのはしてるってこと?」
こちらを向くこともなく、桃花はまたスマホに目線を置いたまま。普通に言うのはやめてほしいよ外だし。それと実の妹にそう思われてるのはすごく癪だ。
「やってない。部屋に入れないからわかってないだけだと思うけど俺の部屋もゲーム機はある」
「あれ?にぃが部屋に入れてくれないのってエ○ゲ隠すためじゃないの?妹モノの」
「妹モノのエ○ゲはさすがにまずいだろ」
「え、妹モノのエ○ゲやってなかったの?」
「……なぁ桃花。妹系エ○ゲはさすがに見つかったらガチで家庭崩壊するから買えるわけないだろ?」
そんな目がなければ買うのかと言われれば……微妙なところだったりもするが、さすがに実の妹にひけらかすレベルに落ちぶれはしない。あと、妹に妹モノが好きだと思われてる兄、印象が最低ではないか。
「いっつも妹出るアニメの話とかしてくるし、あたしに対して結婚しようとかも言ってくるからてっきり妹系が趣味なんだと思ってた、よかった。にぃはちゃんとあたしから離れていいお嫁さん見つけてもらわないといけないし」
──これぞ循環のことわり。もはや俺は恋人を見つけなければこのループからは抜け出せないらしい。
「……いやまあそんなことはいいや。今度なんか一緒にやろ。あたしもにぃのやってるゲーム知りたいし、アニメ以外の話も聞きたいし」
と、すぐに桃花は続けた。時にこういう事を言う桃花が俺は好きだったりする。デレるってやつ。言葉とは裏腹に目線は画面に向けたままだが。
「桃花に合うかはわからないけど、まあ、やるならRPGとかかな」
「ふーん」
「それか妹の出るギャルゲーでもやる?」
「それはあるんかーい」
こっちを見ずにぶっきらぼうなツッコミをしてから、ストローをまた口に咥えて吸っていた。そんな無意味な情報を頭に入れながら、俺も飲み干したカップに残る氷を口に流す。
桃花はそこからすぐにして一度スマホを裏にしてテーブルに置き、くー、と間抜けな声を出しながら伸びをした。そしてふぅ、と一息置いて、少し緩んだ顔の桃花は言葉を出す。
「にぃ、次どこいこっか。今日の晩ご飯でも考えながら買い物でも行く?」
「そうだなぁ……今日は寝る前にどんなマンガ読もうかと思いながら本屋行くか」
「そっかーじゃあにぃは本でも食べてて」
いつのまにか身体が本を食べて生きる妖怪ブックマンと化していることも常。
「……いってもあたしもちょっと見たいのあるし本屋行こう。んで、日が落ちる前に向こう戻ってスーパーに寄る」
「やっぱそうなるよな、オッケー、じゃあ動きますか」
固まってきていた足のためにも立ち上がろうとした俺を、桃花は裾を掴んで止めた。
「あ、待って。もうすぐガチャ更新の3時だから」
○○○○○
昼も過ぎ、日の落ちかけになっても大賑わいの大都会というそのもので、混沌としている感じもする。地元の駅から10駅30分ほどで着く、少しだけ遠出の感覚で俺たちのような少し外れに住む人はここに来る。都市内は、住んでいる人すら見えない住宅地とは全くと言っていいほど違い、人で溢れかえっているのでかえって目立つものもあるのだ。それはそうとなんだか嬉しそうな桃花は前をスキップして歩く。
「あ、にぃ。いいのと悪いの、2つのおしらせがあるよ、どっちから聞きたい?」
「ん?突然どうした。いいのから聞くけど」
ふと、人通り少なめの裏の道で桃花が立ち止まってこちらを振り向く。
「さくらさんがいます」
そんな嬉しくない。
「じゃあ悪いのは?」
「さくらさんがいます」
一緒!二択にする必要性がない……というか地味に気を遣って悪い方にも入れるのいらないんだけど。
「見つからないように動きたい」
「ダメ。行くよ」
年相応の身長に腕を抱かれ無理矢理引かれる。あ、女の子の感触だ……成長したなぁ……。と正気を失いかけてしまったところではっと我に返る。その頃には桃花が目の前の清楚な女性に声を出していた。
「さくらさんお久しぶりです!今日はどうしたんですか?」
「あ、桃花ちゃん、久しぶり。そこの晴樹さんと買い物?私は少し気分転換、かな。家に居たくなくて」
白基調に所々フリルをあしらう長袖に、膝が隠れるほどの青のスカート。短くフリルのあしらった白ソックスがさくらの黒髪と合う気がした。髪には小さなリボンが耳元あたりに付いている。雑多でうるさい街中から少し外れたここにはどこかミスマッチさを感じた。ただ、桃花もすぐに気付いたように、この子はすごく目を惹くな、とも思った。
「そうですそうですー。あ、さくらさん、すること決めてないなら一緒に見ていきません?」
「マジで言っ……痛いからやめて」
嫌だと示し切るより先に桃花の肘が腹にグリグリされてめり込んでいく。それにさくらはふふっと笑って微笑んだ。
「もうこんな時間だけど、晴樹さんがいいと言えば同行しようかな?……どうですか?嫌なら嫌で全然構いませんが」
「い……、べ、別に嫌じゃないですから桃花さん」
「うしじゃあ決まり!にぃ、ちゃんとエスコートしてあげてよ!」
桃花のほしがるだろう返事をすると腹に穴が開いていると感じるほどの肘攻撃が止み、嬉しそうな桃花は天使のように跳ねて歩き始める。さくらと俺は後からゆっくりと付いていくことにする。隣で持った手提げをゆらゆら揺らしながら、さくらはビードロの声を出した。
「すいません。本当はあまり乗り気じゃなかったですよね?」
「……まあ。知ってるだろ、桃花がめんどくさいの。俺と、その……」
「晴樹さんと私が付き合ってほしい、と言っていることですか?」
かなりきっぱりと言い切った。そこまではっきりわかっていながら詰まることなく言われると、逆に少しも意識されてない感じがして虚しい。
「なんとなくですけど、妹さんはよく晴樹さんのいいところを推してくるので、そういうことなのかと思います」
「俺に言うだけじゃなく、相手にも言ってるのかあいつ」
さくらは苦笑いをしていた。珍しくどこか陰鬱な表情を見せて口からこぼす。
「私のどこがいいのでしょうか」
……それは答えにくい質問すぎるので悩んでしまう。そんな俺の顔をちらりと見て彼女はなぜか笑った。
「ふふっ、晴樹さんは上手く話せませんよね、こういうことは。荷物、少し持ちます」
「別に持たなくていいから大丈夫。……なんだ……別にさくらは魅力ないわけじゃないし、そこまで卑下しなくてもいいだろ」
「そうですか?どうでもいいですけど」
どうでもいいのか……。
「妹さんとのデート中断してしまうのは申し訳ないですが、私も私で暇でしたし、加えていただけるのであれば丁度よかったです。邪魔にならなければ」
「そういや、家に居たくない、か。よく来るのか?」
俺の言葉にうーんと少し考え、さくらは慎重に声を出した。
「よくは、来ません。なので本当に今日は偶然なんですが……あまり言うと晴樹さんはこれ以上嫌と言えなくなるので言いません」
踏み込んでこないし踏み込ませない、そんな意志を感じる。ただ、少しだけ。少しだけ居残りのように笑ってはいない。
「そうか」
としか返せなかった。
ふとさくらは思い出したようにあっと声を上げた。
「そういえば妹さんに訊いてくれましたか?」
「あー……今日の昼に話したけど返事もらってないわ」
会話を思い出すだけで頭が痛くなるし、隣に本人がいるわけなので恥ずかしくなってくる。さくらは少し先を行く桃花の背中を見る。
「そうですか。また私が話しておきますね。……高校に上がった時にはまた一段と大きくなってるんですかね?私よりも大きくなるんでしょうか」
「どうだろうな……突然どうしたんだ?」
「なんでもありませんよ」
と、話すうちにパッと視界が開け大通りに戻ってきた。桃花は俺の方に近付きはぐれないように服の右側を握って歩くのを続行した。さくらはその桃花を見て何故か嬉しそうな声音を出した。
「桃花ちゃん、お兄さんとべったりなのね」
桃花は一度首を傾げ、俺の方を見上げてからそこまで身長差もない方のさくらに向きなおした。
「ああそういう。……さくらさんも手でも握ればいいと思いますよ?はぐれにくくなるので」
俺はいつものことな気にしていなかったのだが、隣にくっつくことを知らないさくらは、なぜかそのひとことの後で俺の顔を見てくる。身長の差的に少し見上げられる感じになり、酷くドキリとしてしまう。
「え、いや、その……」
「知ってますか?こういう時はシャルウィダンスって言うんですよ?」
「ここで踊ると邪魔になるな」
「適当です。どっちにしてもはぐれても帰るので問題ありません」
「いや、帰りたくないのならその結論はダメだろ。……別に俺は握るくらい構わないけど……」
「遠慮しておきます」
何故か逆にきっぱりと断られた。
にぃから言うなんて、とかなんとかの声が桃花から聞こえた。さくらからは断られたけれど!
──なぜさくらが俺に少し近いのかはよくわからない。そもそも彼女は天然な気もするのでそこらは俺の理解が及ばない範囲だ。しかし、俊太や川崎さんなんかよりも俺に対しては一歩ぶんほど近い。勘違いしかけるのでやめてほしい。
「そういやどこへ向かってるんですか?」
「本屋です。そういえばさくらさんは本を読んだりします?」
疑問に、桃花は楽しそうな声で返す。さくらはすぐに首を振った。
「教科書くらいかな」
それは本と言っていいのか……?あながち間違いではないが……。
教科書を見つめる時間が多いと言うのは、さくらの通う高校は頭がいいからだろうと思った。実は桃花も志望はそこで、そのためしっかりと勉強はしているらしい。ゲームもほどほどに。
なのでそこまで頭のいいところでもなかった俺からすると、そんな部分も高嶺にいる人間に思わされる。もはやなにもかもが不思議でならない。
そんなことを考えていると、トントン、と腕をつつかれるのでそっちを向く。
「晴樹さんは本を読むんですか?あ、ライトノベル?とか、マンガとかでしたっけ?」
「ん?ああそうだな、それくらいしか読まない」
「そういえばクラスの隣の人も可愛い女の子の挿絵の本を読んでました。見てると隠されましたけど」
「隠すか隠さないかは人によるけど、まじまじ見られると結構な人が困るぞ」
「そういうものですかね?」
話した内容の通りさくらは普通の女子高生だ。いや、趣味はよく知らないし家で何をしているのかも知らないので本当に普通の女子高生かはわかってないが。
なのでオタク特有の感情もわからないものなのだろう。仕方がない。
「そういうものなんだよ」
それでこうして話す内容なんかも、趣味も違うので難しかったりする。2人だけだと無言の空気すら流れることがある。桃花はそこをわかってくれない。
「さくらさんはこういうオタクに対して忌避感とか感じないんですか?」
「だって、趣味でしょ?私がそういうのないから、なにか思う理由もないかな。羨まし……あっ」
「優しいですねさくらさん。普通、見た人の大半は気持ち悪いだとか変な趣味だとか言ってくるんです。あたしも言われたことはありますからね。だから隠す人も多いんですよ?見られるとなにか言われるんじゃないかと」
ゆっくりと流れに乗りながら歩くさくらと俺の横から、桃花はにっこりと微笑んだ。さくらは、うーんと考え込みながらも歩みは止めない。
「誰がどんなことをしてようと、私には──」
──実際。
さくらが初めて俺の家へと上がった、今の桃花と同じ中学3年生の時。家族揃ってオタク趣味である佐藤家の家の中なんて見せられるものでもなく、まだ高校生であった俺からすれば誰かに見せるのも恥ずかしいものだった。隠して生きてきた俺が高校に上がり初めてそんな家の中を見せたのがさくらだったが、その当の本人は一度見渡して、きょとんともきょろきょろともせず、それを当たり前かと言うように濡れた四肢や髪を乾かすためにブレザーを脱ぎ始めるだけだった。
……思い出すと恥ずかしくなる。突然脱ぐので目を瞑って桃花を呼んだのだった。ブレザー程度、とは言っていたものの当たり前だが土砂降りに透けて目のやり場に困るわけで、気にしないのはどうかと思っていた。
きっとそれくらい、他人の趣味や他人の目線を見ない子だ。桃花とは真逆で整いすぎたその服装もそういうところにあるのだろう。ナンパとかされないのだろうか。
「晴樹さん晴樹さん」
さくらが2回呼ぶ。
「ん?」
「私も晴樹さんと同じものを見て回ってもいいでしょうか?」
「え、見せもんじゃないんだけど」
「……にぃ?」
「あ、はい、よろしくお願いします」
大きな建物に1階から2階まであるそんな品揃いの良さげな本屋に足を踏み入れると、さくらは困った様子できょろきょろと、あまり見せない不安感を見せていた。きっとこういうところまで来て意味もなく本屋に立ち寄る人ではないのだろうな。
入ってすぐ、前に並んだオシャレ雑誌や週刊誌を通り過ぎ、マンガのある二階へと向かうためのエスカレーターの前で、桃花が立ち止まった。
「2人で先に行っててー。にぃ、さくらさんに変なこと言わないようにね」
「言われる方だぞ」
「え?今なんて言いましたか?」
「なにも言ってません」
さくらがニコニコして言っているのがひどく怖く感じた。威圧感とはこうして出すものなんだなぁとしみじみ思う。
「そういうのそういうの。そういうのやめようね、にぃ。じゃああたしは下で色々見るものあるからーさくらさんもまた後で!」
「うん、後でね」
すぐに背を向けて歩いていった桃花を見送り、さくらを先にエスカレーターへと乗せようと手を差し出すとふふっと小さく笑った。
「妹さんはもういないんですから、別に気を遣わなくてもいいですよ。優しいですね」
……わかって言ってるな。
「では、行きましょうか」
すぐにさくらが昇っていくので後ろに付くように続く。前に持った小さな手提げが今更に目に入った。その中に何が入ってるのかわからないが、あまりまじまじと見てしまうと申し訳ないのですぐに顔を上げると、段差で顔の距離がいつもより微妙に近くなっていることに気付いた。ふと。
ニコリ。
──魔性だ。雰囲気で言えばそう、眩しくないのにその瞬間だけ目を瞑るような気分になる。
「どうかしました?」
さくらは俺に素直に訊いてくる。きっとわかってなく言ってるな。甘いチェリーが困るようないい匂いが酷く心もくすぐってくる。
「いや、なんでもない。足元気を付けて」
「ありがとうございます」
さくらは軽やかにふわりと、動く床から飛び移る。そう見えているだけかもしれない。
「好きなもの見に行ってもいいんだぞ、本当に」
「いえいえ気になっているので見ます。晴樹さんの趣味のこと、知りたいです」
またそうして、さくらは笑顔を向ける。勘違いするのでやめてほしい。
少し歩いたところで、俺が新しく発売されているマンガを棚から取る横、人1人分ほど空いたところで少し嬉しそうな顔をして棚を眺めていた。桃花のように近くにいるわけでもないのだが、それでもなんとなく近く感じる。コミュニティセンターではこうして真近くで顔を見ることはないので新鮮だ。
「どうしました?」
「あ、いや、こうして2人で出掛けることないしなぁと」
視線に対しこっちを不思議そうに見ていたそんなさくらは首を傾げる。
「なにも変わりませんよ、毎週と」
「そんなことはないだろ。さくらがこんな綺麗な私服着てるのなんて新鮮だし」
「そういうものですかね?」
「そういうものなんだよ」
ふふっ、とさくらは小さく笑って言う。
「どの漫画で仕入れた口説き文句ですか?」
「そんなんじゃないぞ。でもまあそうだな……」
と、表紙でなんとなく選ぼうとしたところで、後ろからチッとすごく不機嫌そうな舌の音が鳴る。さくらは気付いていないのかあまりなにか思っている感じはしなかったが、居座るのもあれなので少し場所を変えるために既刊のコーナーへと歩いて行く。うるさくしてごめんなさい。
左右を確認しながら付いてきたさくらが、俺の探している隣から話を続ける。
「私も思います」
「ん?なにが」
「こうして出会うことにすごく新鮮な気持ちになるということです。意味もなく歩いていたわけじゃありませんでしたし……あっ」
「いいよ、聞かない」
口を噤み手で塞ぐのをチラリと見て俺は小さく息を漏らした。さくらは少し俯き言葉を続けた。
「そういうところが晴樹さんのいいところです。……後で話す時間をください。簡単に伝えますから」
「そっか。あ、これなんてさくらにいいかもしれない」
そういう話題を続けないよう持っていた本を渡してみる。さくらは優しい顔で俺の方を向き直し、笑顔を作った。
「ちょっと出来るお兄ちゃんみたいですね」
「これでも本物の兄だからな、見えないかもしれないけど」
「見えませんね」
「ショック」
そこからニコニコしてなにも言わないさくら。……もしかすると本気で兄失格なのもしれない。後で桃花に頭を下げようと思う。
少しの沈黙の後にさくらは首を傾げた。兄に見えていないことがよくわかる。
「他も見たいです。教えていただけますか?」
「あ、はい。教えます」
返事をして、尾を引いたままそのまた奥の方にあるコーナーまで歩いていく。さくらはマンガを一度元の場所に戻していた。
ライトノベルのコーナーにいくとマンガコーナーよりも少し人が多かった。そういうこともあるもんなんだなぁと思ったが、さくらは気にすることなく中に歩いていった。躊躇がないので本当に意識しないんだなと感じる。
「晴樹さんはどういうのが好きなんですか?」
表紙が並ぶところを見渡したさくらのと隣に立つと、不意にそんな言葉が流れる。
「俺は……割となんでもかな」
「じゃあ芽依夏さんが好きなのは」
「あー……そ、それより、こんなのどう?」
この話題もあまり続ける気は起きないのでパッと目に見えたものを取り渡す。内容は知っているものなので多分大丈夫だろう。さくらは少し表紙を見て、はっと声を出した。
「もしかして晴樹さん、こういう趣味なんですか?」
くるりと表紙を向き返して見せてくる。いつもの……。
「ええと、べ、別にそういうんじゃないぞ」
「でもさっきの話の流れ的に、兄だと言ったりしてますし……桃花ちゃんのことそう見てたんですね」
「断じてない。断じてないです。普通です」
「ふふっ、冗談です」
さくらはいつものように笑う。続けて、『少し可愛いくらいです』なんて言おうとしたが、桃花に話されると弁解の余地もないのでやめた。
……というのを、そういえば妹系ラブコメだったなぁ、なんてその表紙で書かれる謳い文句を見て思いながらも、内心ノミのような心臓なので変な汗が止まらない。
その後色々と見せながら少し内容の説明をしたりしていると、後ろからツンツンと背中がつつかれる。
「ま、ここだよねー。どうよにぃ。買うもの見つけた?」
その指と小さめの声の方を向くと、桃花は手を下ろし重そうに両手で袋を持ちなおしていた。
「何買ったんだ?」
「勉強用ー、とあと色々ー」
「あ、桃花ちゃん、受験生だっけ?」
俺の後ろからさくらが桃花に話しかけた。桃花はもう一度持ち直して、はい、とひとこと。
「そうだ、さくらの分も買おうと思うんだけど」
「あ、待ってください。私、家に持ち帰れないので買えません。すみません」
俺がすぐにかけた言葉はさくら本人によって遮られる。
「そうなのか。でも別に謝る必要は……」
「あ、そうですよ、家に色々あるんでまた来てくれればいいです!にぃの部屋にしかないですけど」
「ちょっと待て。部屋にあげるのはまずいから。色々な人から殺される」
挙げるだけでも俺たちの親、さくらの親。あと伊吹ちゃん。……いやよく考えれば桃花くらいしか許してくれない気がする。一男としても一オタクとしても、部屋の一線は守らないといけない。リビングで手を打ちたい。
「どうしてですか?」
「にぃはね、妹とイチャイチャするゲ」
「やめてください桃花さん!」
あやうくなって公開処刑を受けるところだった。上手く途中で止めたのできっとどうにかなったのだろう。さくらは話の内容を理解できていないか首を傾げていた。
「桃花ちゃんはどう思ってるの?」
「何がですか?」
「晴樹さん……お兄ちゃんが妹好きなこと」
全然上手くいっていなかった。こうなれば言うしかないだろう。少し息を吸って吐き出すように、言ってみる。
「本当に誤解しないでほしいんだけど、別に妹が好きとかじゃなくて妹がちょっと可愛いだけなんだ」
「変わんねえよバカ」
俺のまぎれもない事実に妹様ご本人から不機嫌そうな顔でバカと言われてしまった。さくらは桃花の言葉に優しく笑う。
「ふふっやっぱり仲良いね。桃花ちゃん見て思うよ」
「んーまあ悪くはないと思いますよ。嫌いなら話しかけないと思います。というか兄との関係って難しいんですよね、あたし的には嫌いすぎても気まずいだけだと思いますし」
「そうなんだね。私には兄弟がいないからわからないけど」
桃花は抑揚もなしにきっぱり物事を言う。俺もこういうはっきりとしていてスマートな妹に励まされたり、心を満たされたりする。好きとか言い過ぎるとまたとやかく言われかねないのでチャックしておくが。
それより、いつもよりも桃花の口ぶりも楽しそうなのが見えて嬉しい。
「にぃはあたしのことよりもさくらさんのことをちゃんと見るべき」
「見過ぎると光で浄化するから」
「自分のこと汚物みたいな言い訳しないで、汚いから」
「どっちの意味の汚いで取ればいいのかわからないしどっちにしろそんなによくない」
「さくらさん、こんな兄とも仲良くしてください」
「うん、そうするね。ありがとう桃花ちゃん」
あ、普通に無視されるのか……。この短時間でツッコミ学を履修してきたというのに。適当。
話もひと段落もついてから、俺は買おうとしていた本を買った。1階で待っていればいいと言ったのだが何故か付いてくるので、買うところまで見られた。
夜に読むものも決まり、後は帰るだけのところで桃花が足を止めた。本屋の一階、自動ドアの近くの隅で重そうな袋を下に置き、スマホでなにかをし始める。
「あ、2人で今日の晩ご飯決めてください」
最初に、ん?と違和感を覚えたがすぐにさくらが話すのでわかった。
「あの、私も、ですか?」
「はいはい。時間があるならですけど家で一緒に食べませんか?丁度そういう話もしましたし。帰りは兄が送ってくれます」
「帰るのが遅くならないなら、別に私は構いませんが……」
「にぃがちゃんと送り届けてくれるんで大丈夫ですよ。だよね?」
「え?まあ、うん。流石に」
「わあいつもより心強い。さくらさん、どうですか?」
さくらが家に来るという事実からは目を逸らし、目を向ける方向はとりあえずさくらの方になる。
さくらはそれじゃあ、と服を正しながら言った。
「お邪魔したいです。家に帰り……いや」
また途中で言葉を止めながら。そういうさくらには少ししっくりこないが、言いたいこと自体はなんとなく察せてしまう。
さくらはふぅと息を吐き、俺の方をを見た。
「久しぶりですね、家に上がらせてもらうのは。よろしくお願いします」
「あ、ああ……」
「よーし、帰ろ帰ろー。母さんにメールしとくねー」
桃花はすぐさま手に持ったままだったスマホをもう一度動かし、少ししてポケットに入れるとその後伸びをして俺よりも大きくはぁと大きく息を吐いた。
「持つの入れ替えようか」
「あーよろしく。普通に重いから手が痛い」
何の気なしに言ったものに、さくらは少し意外そうにしていた。
「やはりちゃっかりしてますね、晴樹さん」
「いやいや、桃花まだ中学生だし。……まあさくらと身長はそこまで変わんないけど、女の子だしな」
「そういうところがですよ。これならもっと積極的に動けば友達も作れると思うのに……」
うーんと俯きがちに考え込んださくらをよそに、桃花はそのまま俺の渡した袋を持って外へと出て行く。
「にぃ、はやくいこー。ご飯作る時間もあるから」
すぐについて来ていないことに気付き振り向いた。すぐに返事をしておいてから俺は可愛く唸るさくらに小さく声をかけておくことにした。
「いくか」
「あ、はい。すみません。考えていました。なぜ晴樹さんは友達がいないのかと」
「めちゃくちゃストレートに来たな」
立ち止まる桃花の方へと2人で向かいながら、さくらは「冗談です」といつものように笑った。
○○○○○
人も多い都市の圧に身を縮めてしまっていても、夕方の人もいない郊外まで出てしまうと伸びをしても迷惑がかからないほどになる。ビルやマンションも並ばないほどなので遮るものも少ないし、夕方に染めるオレンジも涼しさに思えてくる。
さくらはその中で、俺が持ってきていたエコバッグを鞄と重ねて両手に持ち、桃花と楽しそうに話をしていた。ミスマッチさもさほど気にならなくなり見慣れた場所へ帰ってきた感じがある。重たい荷物を両手で持った俺は気持ちのやり場もなく買った本に期待を膨らませたまま買い物帰りの道を歩いていた。
女性を招くのにカレーなんてどうなんだと桃花に叱られたが、綺麗な服を着たさくらの提案でミートソーススパゲッティとなった。いやどっちもどっちで服が汚れる心配しかないのだが、でも食べたいと言っているので仕方ないだろう。そんなこんなでスーパーでの買い物も終え、桃花はさっきさらっと買っていたジュースを飲みながらさくらにスマホゲームのよさを語る。沼道に進めていくのはやめてほしい。
家の前に着くとさくらは少し躊躇ってか立ち止まった。
「母さんには伝えてあるんでそのまま入って大丈夫ですよ」
「あ、ありがとうございます。では……」
さくらの家からすると小さい玄関だ、踏み入れることが少し違和感あるのだろう。さくらが来ると同時に桃花はドアを開いた。
「ただいまー、母さん、準備終わってるー?」
「おかえりー、終わって、る……よ……!」
桃花の声に反応してリビングの方から髪をこの前の妹と同じように髪を結ぶ母さんが顔を出す。靴を脱いで上がってるところのめちゃくちゃラフな格好だった桃花の後ろに綺麗な服の人が立っていてか、母さんは驚いた顔をして、何度かそんな人に向かって頭をひょこひょこ下げていた。それに対して隣の綺麗な人は頭を一度深く下げる。
玄関の棚の上からもうフィギュアやポスターが飾られている風景だ、普通ならなにか思うところがあるはずなのだがさくらはなにも言わず桃花に続いて靴を脱ぎ始めた。足元から見ても高そうな靴だった。
「お邪魔します、お母様」
母さんの前で挨拶をしたさくらに驚いてか母さんがこっちを見る。そしてすぐに目を戻した。と思うともう一度こっちを見た。
「晴樹……リアルでこんな子と出会えるなんて、もしかしてそういう」
「なにもしてないから。ほらさくら、ゆっくりしてていいから入って」
「あ、ありがとうございます」
さくらがすみませんと言いながら母さんの横をそのまま通ってリビングに入るのを見送り続こうとすると、母さんは俺の腕を鬼のように掴んで逆にまるで子犬のようなキラキラとした目をして見てきた。こうして見るとやはり桃花と似た顔付きだが、さすがにいい歳してなにやってるんだ。
「ねえ晴樹、あの子貸してくれない?」
「俺のでもないんだけど」
「いいじゃんいいじゃんーあんなイラスト映えする子いないんだもーん、晴樹ー訊いてよー」
「自分で頭下げればいいんじゃないですかね」
「ケチだケチ、わかりましたー」
母さんは一度リビングから出ると、とりあえず部屋の隅に荷物を置いた俺が桃花のいるキッチンへ向かう途中ですぐ戻ってきた。抱えていたのは多分紙とペンだろう。
俺の方は桃花に任せっきりもどうかと思ったのでキッチンへ立つ。鍋やフライパンなどはすでにあらかた準備されていた。桃花からなにも言われずすぐに包丁とまな板を渡されるので、手を洗いそのまま必要な材料を切っていく。
ふと、トマト缶を開いた桃花は、
「母さんはさくらさんのこと絶対気にいると思った。あたしじゃない人も描きたいだろうしね」
俺に聞こえるように呟いた。
「変なことされなきゃいいけどな」
「されてるよ」
まじ?……なにが起こっているのか見たいが今は手を止められないので諦めるしかない。疚しい気持ちはない。好奇心だけだ。しかし、例えば半脱ぎだったりしたらそちらに目を向けるのもやぶさかではない男なので。
「嘘だよ。普通に対面して座ってる」
「嘘か。危なかった」
「なにが危ないだよ、危ないのは頭か手だよ。ほら進めて。もう結構時間も過ぎてるしはやくしよう」
話しながらもテキパキとやることをやる桃花に倣い俺も玉ねぎを細かくしていく。妹の腕捲りのジャージもなかなかに似合うなぁなんて思いながら。
「母さん。そろそろテーブル片付けて」
「あ、はーい。ありがとねさくらちゃん、いい絵が描けた」
「いえいえ、これくらいはなんてことありませんよ。家庭によくしてもらえるなんて嬉しいですから」
桃花が道具を避けられ空いた場所にテーブルに皿を置く。俺も2つ分持って、さくらに1つ渡すと、いつものように優しい笑顔をつくった。
桃花と俺はいつもと同じところに座るが、父さんがいないので俺の隣には代わりに身内ではない女性がいるのだ。適当な席に座らせてごめんなさい、そこ父さんのなんです……。
「いただきます!」
母さんはすぐ言うと、周りを待たずがっつく。さくらの前なのだからもう少し大人の矜持でゆっくり食べてほしい。
桃花がため息を漏らして、ゆっくりと食べる。それを見てさくらも上品に食べ始めた。
「美味しいです」
「桃花が作ったんだから桃花に言うべきだろ」
「ん?あれだけ手伝っておいて1人だけってことはないよ」
俺が桃花の方を見ると、彼女は口に含みながらも聞こえるように言った。母との血の繋がりを感じてさくらの目を塞ぎたくなる。
「そうですよ。しかし、晴樹さんって結構料理出来るんですね。絵の具の扱いは下手なのに」
「器用かとかってよくわからないよな……」
俺が呟いた時にはさくらは嬉しそうにもう一度口に入れていた。そんなのを見ているとなんだか恋人に初めて料理を振る舞った時の気分がする。思い上がりもほどほどにしてほしい。前に座る2人のようにしないよう気をつけて俺も食べる。
少ししてさくらが話を切り出す。
「あ、桃花ちゃん。来週暇かな?春祭りがあるんだけど」
「あ、兄も言ってました。友達連れてくるかもしれませんが行きますよ。なにかあるんですか?」
口に入れていたものを飲み込んで返した桃花の言葉に、さくらはにこりと笑っていた。
「特に大したことではないけど、お祭りが成功するかわからないから来てもらえるとありがたいという話だよ。という建前でお手伝いを頼みたくて、芽依夏さんと話をして晴樹さんの妹ならどうかという話をして」
桃花は見るからに嫌そうな顔をして俺の方を睨んだ。そうだよな。めんどくさいことはしたくない子だもんな。
「にぃ。これマジ?」
「いや、初めて聞いたから俺も知らんぞ」
「あ、本当は言うつもりなかったんですけど……」
さくらも少ししゅんとしたのを見て母さんは陽気に笑った。
「あっはっは!なんかよくわかんないけどいいじゃん桃花!職場体験として行ってみれば!」
「えーあたし面倒なのはやだよー」
「知ってるよ、最近あんたこの子に迷惑かけてるの。罪滅ぼしとしてやってきなさいよ」
それは初対面で絵のモデルにした人の言うことではない。純粋な女の子なので迷惑をかけないでほしい。
「してな……してる……!さくらさん!わかりました!お助けキャラとして特定のタイミングで加わるアレやります!テーテテー……」
してるのか……というかなんかもっといい例え使ってください。フォークを置いて慌てる桃花をさくらは優しく見る。
「ふふっ。暇な時間来てくれればいいよ、そこまで煩わせないから。……なんだかそういうところ晴樹さんと似てるね」
「それだけは聞き捨てならないですね……どういうところがですか」
さっきよりもさらに嫌そうな顔をした桃花だったが、さくらは変わらない調子で、
「人に言われたら意見を曲げるところかな?」
と言った。
……桃花と2人して目を合わせてしまった。そんな中を母さんはまた豪快に笑う。
「あはは!言えてるー!そこまで知ってるってことはさくらちゃんはやっぱ晴樹と付き合い長いんだねぇ」
さくらは臆することはない。
「そうですね、私が中学の頃からの知り合いですので、普通以上かと思います。ですよね晴樹さん」
「え?あ、ああ……そういう認め方でいいのか?」
食べている時に声をかけられて少し戸惑ってしまった。桃花は立場を突然変えて、見守るように俺を見ている。助けを乞おうにもきっとなにも言ってくれないのだろう。無情なる妹だ。
「晴樹友達作るの下手だから仲良い人がいるだけで嬉しいよ。さくらちゃんこれからもよろしくね?言ってくれた通りちょっと気が弱いところあるけどなんだかんだしっかり者でいい奴だからさ」
母さんも桃花と同じように嬉しそうにしながら話す。家族揃ってなぜそんな風に……。
──俺はこの子をどう思えばいいのかはわからないし、この子からどう思われるべきなのかもわかっていない。周りから仲が良いだとか、恋人なのかとか、そんなことを聞かれたって思えることなんてあまりない。何度も言うように俺とは住む世界が違う人で、近しくとも2人して踏み込まない。
さくらはいつもと変わらないその笑顔でまた優しく笑う。それが、またいつでもそうだと思わせてしまうような笑顔で。
「わかりました」
そう言って、残っていた残りの一口を食べていた。
○○○○○
それからしばらく、桃花のゲーム論や母さんのイラストの続きなど、意味もない話をしていた。さくらのサブカルチャーへの疎さはかなりのものだが、話はよく聞く子なので2人とも嬉しそうに語っていた。悲しいかな、家族揃ってオタクがよく出ている。
玄関前で俺がさくらの支度を待ち、周りを見ると日は落ちていた。
「では、ありがとうございました。少しの間でしたが楽しかったです。ご馳走様でした」
「こちらこそありがとう、また来てね。……そういや親御さんへの連絡なんかはしなくていいの?」
「あ、大丈夫です。夜に帰るとわかってると思うので、あまり心配はないです」
「携帯なんかは?」
「ええと……今日は持ち歩いてませんでした」
「あー……母さん、もし何かあれば俺が謝っとくから気にしないでいいよ」
「いや晴樹が一番心許ないよ?自覚ある?」
全然なかった。というかまさか家族から思われてるとは思ってなかった。
「心許なくても晴樹さんが謝ってくれるだけで気持ち楽ですよ。多少はですけど」
追い討ちが隣に立っていた人から送られた。無駄に追い込まれてノミのような心臓が潰れて亡くなった。
「何か困ったことがあれば訪ねてくれればいいから。桃花も部活せず帰ってくるし、晴樹も友達いないから帰ってくるの早いしね」
潰れて亡くなったものを踏まれる。
「ふふっ知ってますよ、晴樹さんはいつも友達がいないですから」
「もうやめて」
もはや形は成されていない。
「はい、やめます。帰りましょう晴樹さん。では、また」
ハートが形を成していない詰まりかけた息で声を出すと、それを聞いた、小さな鞄と袋を両手で持つさくらはすぐに母さんに小さく頭を下げていた。
玄関を2人で出るとすぐ、さくらは先ほどまでとは正反対な、昼間のような憂いた声を出した。
「少し、遠回りしましょう。遅く帰るために」
くるりと翻りスカートを靡かせる。この前と同じように暗く表情は認識出来ない。
「桜も散り終わり頃ですね。春祭りには全く咲いていないのでしょうか?」
少し歩いて別の道、街灯に照らされるように、さくらの背中が俺の前を進む。
「4月末に行うことがそもそも間違いじゃないか」
「そうですよね。まあ春には変わりないのでこれでいいんじゃないかとも思いますが、桜が咲いていてこそだとも思います。……晴樹さんは桜が好きですか?」
「見るのは好きだが散るのは好かない。微妙」
「……言葉の綾って知っていますか?なぜか私も嬉しくなり悲しくなりました。まあ晴樹さんなんで別に気にしませんけど」
「え、なんかごめん」
足音だけが返ってくる。いつもはよく喋るさくらがしおらしく、散った桜の木々のように風に少し靡く髪が前に見えるだけだった。
いやに不安になって弱く声をかける。
「さくら」
「はい、なんでしょうか」
「いや……今日のこと聞こうと思って」
「あ、そうですね。……学校が休みの日は、何をすればいいのかわからないんです。晴樹さんはなにをしてますか?」
「本を読む。につきるな」
さくらは顔をこちらに向け、見たあとすぐに前を向き直して歩いた。
「近いうちに、晴樹さんと同じように同じ場所で同じ本を読もうと思います。よろしくお願いしますね」
「同じ本はさすがに集中力が途切れて読めそうにないんですけど」
「読み聞かせしますよ?嫌でも」
さくらはそう言った。笑った声は聞こえないがきっと冗談めかして笑っているんだろうなと思う。
それくらいの距離を2人して縮めない。空白は埋まらない。
「……家にいるのも嫌なので、休日は時々こうして色々な場所を歩くんです。理由なんてただそれだけです。かこつけてしまうならばお菓子を食べたかったというものもありますが、買っていないので言えませんね」
「そういやお菓子好きだったな」
「はい。和洋、甘味にも限らず好きです。晴樹さんも今度はあの子とも一緒に食べませんか?」
「え……それは遠慮します」
天然なのかもしれないが、彼女には少し付き合いというものをわかってほしい。……とも思ったが恋人でも友達でもない異性を家にあげる自分自身も人との付き合いをわかっていない気がして、返ってくるので言えない。
「あの子のことですから、イヤイヤ言いながら拒まないと思いますよ?」
「それを拒んでると言うんだぞ」
「違いますよ、先輩」
少し真似をしたのだろうがあまり似ていなかった。もっとこう、真に迫る気迫が足りていない。
あ、俺も伊吹ちゃんのことよく見てるなぁ。違うか、すごく突っかかられるからかもしれない。
「まあ女子2人で話してる方が楽しいだろうし遠慮しておく」
という理由にしておく。さくらは目の前で、いつもの帰り道と同じ街灯に照らされながら、「そうですか」とだけ淡々と呟いて続けた。
「あ、この菓子折りありがとうございます」
持った鞄ともう一つの袋を横から揺らして見せた。帰りに渡しておいた帰りの土産のようなものだ。
「適当にあったものだからそんないい物じゃないと思うぞ」
「構いません、なんでも好きですから」
とはいうものの、お眼鏡に叶うものがわからずに本当に残ってあった小さめのお菓子の袋だ。もう少し高いものでないと受け付けないのでは?という気がしてならない。……そんなに高慢ではないか。
「……また、次の水曜日に出会う時には、いつも通りにお願いします。1人でも躊躇わずに入ってくださいね?」
さくらの家の前まで歩くのはそうかからない。現にこうやって歩けばすぐ着く道のりを遠回りしても10分だ。それでも、少しでも嬉しそうに話すさくらが前にいる。くるりとスカートが翻るほどに回り、目を合わせられた。
「どうしてもと言うなら付き合いますよ?晴樹さんは小心者ですからね」
「なんかごめん」
「ふふっ、それではまた。この前の水曜日と同じように、なにも変わらずにいてくれて嬉しいです」
大きな一軒家を前に、さくらはにこりと笑った。春の夜風に髪が靡いていた。
「あ、さくら」
「はい、なんでしょうか?」
なにかが不安で、門を抜けようと踵を返す彼女をまた意味もなく呼び止めてしまった。……いや、言っておくべきなのかもしれない。
「また暇があれば来ればいいよ。……まあ桃花がめんどくさいかもしれないけど」
「次に行くときは、なにか持って行きます。その時はもしかするとなにかの経緯で桃花ちゃんの言う通りになっていたりしても……いえ、ないですね」
「まだ始まりもなく終わらせるのやめて?」
意識してしまうようなその上目遣いで言うとか悪魔かなにかか?さくらは門の前でふわりと優しくガラス片のような声を出した。
「だって私たち、友達でもないじゃないですか。その程度の関係じゃないですか」
「それは……」
「今日はお世話になりました。晴樹さんも気をつけて帰ってくださいね。また何かあればよろしくお願いします」
その時の顔を見せないようにかさくらはスカートを摘み頭を下げた。本当にそういう動作をする人もいるんだと思っていると、顔を上げると近付いて来て足元の靴を蹴られた。
○○○○○
──俺の手には可愛らしいストラップ。桃花は、さくらの来週のことについて話していた。昼を食べてすぐに来たのは、あの日帰ってから桃花から街へと誘われた理由であった雑貨屋で、渡すと喜びそうなものを2人で選んでいた。
"いつでも俺たちはそうだから"。そう言い聞かせ、今まで特にしてこなかったことだ。最近になって桃花が知ったらしいそのことで変に付き合わされているだけだが、たまには変化があってもいいのかもしれない。そんな気まぐれな俺の思考だ。
渡す時は伊吹ちゃんにバレないようにしよう。めんどくさいから。
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