1 - ちょっとだけ周りを見渡す -



ㅤ俺が通っていたところとは違う高校の制服を着ている。前にかけた朱色のリボン、優しい色のブレザーに、短くも長くもないスカートが綺麗に着こなされている。背中まで伸びるほどの髪は黒に薄く赤みがかっており、今の日の当たり方では大きな目の中の鮮やかな赤色の瞳と近い色合いを見せる。端整な顔立ちが一際眩しく感じさせてくるので心を刺される気持ちで目を背けたが、その瞬間に足元をちょこんと蹴られた。

「さ、行きましょうか」

ㅤ彼女に有無も言わさないようもう一度弱めに蹴られてから門の中へ、玄関の方へと歩いていった。風で長い髪と膝上ほどのスカートが靡いていた。後ろ姿は可憐、自分のような人とは普通関わることすらなかったのではと思わされるほどに高嶺のように思え、向かい合うのも憚られる。

ㅤと、無意識に頭ががくりと下がる。後ろから付いて行こうとすると、彼女が一度立ち止まり横に並ぶ。ちらと横を見ると嬉しそうに笑っていた。

「そうそう、進学おめでとうございます。やっぱり最近出れなかったのは忙しかったからですか? まあ、どうでもいいですけど」

ㅤいらないひとことを付けながら、何も思っていないのかニコニコしたままだ。

「ちゃんと友達出来ましたか?こんなところに来てるなら出来てないんでしょう」

ㅤ彼女はそう言いながら『コミュニティセンター』と大きく書かれた看板を横目に扉を引いて開けるとすぐに入っていく。続くように閉まりかけた扉を掴んで自分も入るが室内の電気はまだ付いていなかった。色々諦めて答える。

「友達は……まあ言う通りだよ」

ㅤ返事も待っていないかのように歩き始める彼女を追いながら声を出す。他に人はいないのか声と足音が廊下に響き渡っていた。

「大丈夫ですよ」

ㅤ聞いた彼女は立ち止まりこちらを振り返るので俺も立ち止まり顔を向ける。少し暗くて顔が見え辛いが、優しく口を開くのはわかった。

「ここのみんなはそんな人だって知ってます。友達かと言われれば微妙ですけどね」

「そうだな」

ㅤ慈愛ある言葉かと思ったがなにか違った。苦笑いしてまた歩き始めると、彼女は今度は後ろから付いてくる。また靴の鳴る音が室内を埋めたが、返事をして以降声が響いてはなかった。


ㅤ少し歩くと大きな部屋がある。週に1度、水曜の夕方から夜だけ無料で解放される部屋があり、その日だけ人が集まる。もともとは会議や祝い事などとして使われていたのだが、最近の周辺の人口の減少に伴い部屋が空くことが多くなり、活用したのが人々のコミュニケーションを図ってもらうための施策としての定期解放だ。名前の通りのコミュニティの場として活用するお年寄りの方々や、貸し出しが可能な将棋盤などで遊ぶため小学生などが来ることが多いが、俺たちのような"特になにも考えず集まる人"もいる。なにかしらの意味自体は持っているのかもしれないが、最終的には時間を潰すためだけに来る人が好きに集まり、帰りには街灯だけに照らされるような時間まで話していることもある。

ㅤ彼女、皆雲さくらも同じように理由もなく集まる1人だ。彼女は最初こう言っていた。「ここにいるただ現実から逃げるだけのみんなは、多分居残りと同じですよ」。なんて。

ㅤそんなちょっぴりアレなさくらは部屋に入るとすぐ、部屋の手前奥、いつもの和室の隅にカバンを置きながら靴は脱がず段差に腰掛け胸ポケットからスマホを取り出し。

「珍しいですね、人がいないのは」

ㅤ2人きりの広い部屋に無色ビードロの声が響く。さくらが顔を落とし、俺も綺麗に並んだ長机の一箇所から椅子を引っ張り出し座り前にかかった時計で時間を確認しようとすると廊下だけ電気がつき始めた。それにすぐ気付いたさくらは一度顔を上げた。

「あら今頃。私たちが少し早かったんですかね」

ㅤそしてすぐに、そんなことはないですね、と呟きさっきまでと同じようにスマホに目を戻した。

「今日休館日とかじゃないよな」

「ないですね」

ㅤきっぱりと答えられた。さくらは画面に目を向けたままそう言い放つと、ふと鞄をそのままに立ち上がり、パタパタと優しくスカートをはたく。一挙一動は可憐で黙っていれば大人びているのに。

「職員さんと少し話してきますね」

ㅤすぐにさくらがそう言って出ていくので、明かりも灯っていない部屋に1人になってしまった。……することもないのでスマホに目を向けていたが、さっき頬に当てられたペットボトルを思い出し飲み物を買いに外に出ることにする。

ㅤ扉を開けると目の前に、髪を明るく染めた背が高く制服を心なしか緩めたイケメンが、なにやら困ったように立ち竦んでいた。

「あ……晴樹先輩、こんばんは。ちゃんと開いてたんですね」

「今日は全然来てないからな、俺も困ってた」

「そうなんですか。晴樹先輩はこれからどこに?」

「あ、いや別に、暇だしただ自販機にでも行こうかと」

ㅤそう言うと、彼はうーんと少し考え、はっとして声を出した。

「一緒に行っていいですか?」

「え、うんまあ、別にいいけど」

ㅤなぜか嬉しそうな顔をされる。どう反応すればいいのかわからないのでそのまま歩いていくと、隣に並んでついてきて気まずそうに声をかけてくる。

「ええっと、晴樹先輩、久しぶりですね。4ヶ月以上空いてましたよね」

「大学までの準備とかで時間がなかったんだよ……」

ㅤ……どうも前から俺に対して近い。そっちの気があるのかと思わされるが、彼は他に気になる人がいるのは認識済みだ。


ㅤそのまま2人して自動販売機の前まで来ると、さくらがきっちりとした服を着た女性と話をしていた。

「あれ?俊太くん来てたんだ」

ㅤ足音でこっちにすぐ気付き声を出したさくらと、もう1人が振り向く。彼、戸賀俊太はあっと一言出し口を開いたまま一瞬固まり、すぐに声に負けないほどの爽やかな笑顔を作った。

「こんばんはさくらちゃん」

ㅤさくらは返事をせずに俺の方を向く。

「え、俺?」

ㅤ何故か差されてびっくりすると、さくらが俺の顔に対してこくりと一度だけ首を縦に振り隣の長椅子の上を指差した。ダンボールに大きめな荷物が積まれている。

「僕がやるよ」

「じゃあいいとこ見せてくださいね」

ㅤ俊太の言葉にふふっと笑って返すさくらはピュアにニコニコしていたが、俊太はその顔を見る暇もなくダンボールに入った抱えるほどの荷物を1人で持ちあげていた。身長が高いので前はギリギリ見えているようだったがバランスを取りながら少々おぼつかない足取りをしている。

「後で私も行きます。俊太くん、頑張ってね!」

「はい、頑張ります!」

ㅤ隣にいたスーツ姿のスラっとした女性にハツラツな声をかけられ、俊太は元気に返事をする。彼女は大学生の2年で、俺の進学した大学の1年先輩にもあたる。艶やかな茶色地毛の髪は長すぎず、スーツの似合うスタイルのいい女性だ。さくらは彼女に優しい声をかけていた。

「では芽依夏さん、仕事頑張ってください」

「うんまた後でね、さくらちゃんと、晴樹くんも」

「あ、真野さんの分の飲み物は」

「悪いから別にいいよ、じゃ、またね!」

ㅤ優しげに笑い踵を返した彼女、真野芽依夏さん、なぜきっちりと身なりを作っているかというと、大学生ながらコミュニティセンターでよく雑用をしているからだ。最近では地域でもここに来る人や就職する人も少なくなってきていたのを近くで見て感じていた真野さんは、大学に進学してすぐにボランティアとして仮に働きはじめたらしい。就職もここにするかもしれないと大学で語っていたのは最近の話だった気もする。

ㅤしかし、今日に限ってはいつもとは違う。真野さんも居残りの一員で、その日だけは一般女性?としてここに来ることが常だったが、見た限りだとどこか忙しそうに働いていた。肩ほどの飾らない髪がふわりと跳ねる後ろ姿が目を引く。

「芽依夏さんが言うに、今日は他の職員さんが来れていないらしく、芽依夏さんとあと1人で回してるらしいです。一緒に話せなくて残念ですか?」

ㅤさくらの言葉は無視する。再び俺の隣に並んださくらは小さな荷物を胸の前に抱えていた。

「全部持たせてなかったのか」

「私そんな畜生じゃないですよ」

「え?」

「え?」

ㅤ妙な沈黙で時間が流れると、少しして足元を蹴られた。そのあとすぐさくらは物を抱えたまま俺にニコリと微笑む。

「え?じゃないですよ、いい性格してますね。じゃあ先に戻ってるんで、私はもも水お願いします。行こう、俊太くん」

「おっけー。あ、僕はコーヒーでいいです」

ㅤ俊太も爽やかにそう言って、返事も待たないまますぐに廊下を2人で歩いていった。苦笑いで迎えた後、おごらされていることに気付きひとり肩を落とすしかなかった。


ㅤ……というか。来た時にさくらは飲み物を持っていたはずで、買う理由はなかったんじゃないか。手に持ったももの味がする水のペットボトルもここに来る前に一度見たし、なぜ買わせたのか謎を残したままのペットボトルと、2人分の缶コーヒーを抱え道を戻っていく。

ㅤしかし久しぶりの感覚だ。大学新生活が忙しくてあまり顔を出していなかったのもあり、こんな微妙に近しい距離感の人たちと話すのがどこか心地も良く感じる自分がいた。運命的な出会いがないとしても、これくらいの小さな再会はこうして起こるのだと思う。明るくなった部屋が前に見え、閉じた戸を開けると、和室に座るさくら、窓際でスマホを弄る俊太に加えて俺が座っていた席の隣に座る小柄な女の子もいた。見た感じ少しキツそうなそんな彼女はこちらを見ると微妙に嫌そうな顔をしてそっぽを向いた。

「……ええと」

「買ってきました?もも水」

そんな2人の間に割り入ったさくらは気にも留めずに俺の抱えていたペットボトルを抜き取り、

「ありがとうございます。いーちゃん、お菓子食べよ」

と言ってすぐに戻り、いつもの和室の段差に腰掛けた。

ㅤいーちゃんと呼ばれた子は真野伊吹。真野芽依夏の妹で高校1年生だが、身長やらなんやらが大きい姉とはうって変わって小さいというのを初見で感じるほどに幼く見える。姉と同じ茶色の肩が隠れるほどの髪をハーフアップに纏め、星型のヘアピンを前髪に付けている。さくらや俊太とも違う校章の付いた制服だが、俊太同様緩く着崩されている。ひとつ歳上のさくらと仲がいいが、俺に対しては何故か冷たい。

「さくらさん、ダメですよあんな男と仲良くするのは」

ㅤよくすごく酷いことを口走っている。真に清楚な姉とは逆で口がなっていない気もする。

ㅤさくらは優しい顔のまますぐには返事もせずに鞄から袋を取り出し、そのまま隣に座った伊吹ちゃんの足の上に乗せてから口を開いた。

「好きに罵倒しても晴樹さんはなにも言い返さないもんね、優しいから」

「優しいとかありえないありえない。戸賀先輩の方が優しいしイケメンだし、戸賀先輩みたいになってから出直せって感じですよ」

ㅤ伊吹ちゃんは乗せられた袋からグミを取り出しながら、俺の方を向くことなくそんなことを口に出した。さくらはその言葉の後にこちらを向き、なんとなく2人を眺めていた俺と目が会う。

「晴樹さん。らしいですよ」

「は、はぁ。言われても困るんだけど」

「だって」

ㅤさくらはもう一度伊吹ちゃんに向き直る。

「知りませんよ」

ㅤそう言って、伊吹ちゃんは開封したグミを3粒ほど一気に口に入れた後にちらりとこちらを見たが、すぐにぷいっとそっぽを向かれた。それに対してさくらはどこかにこやかにしていた。

ㅤ──静かな時間が流れる。自分たち以外がいないのは珍しく、ここまで静かなのはあまりない。みんな趣味とかが全く違うので話すことは本当になく、ただビニールのかさかさ音くらいしか聞こえてこなくなってしまったので、なんとなくぼーっと手に持った缶コーヒーを眺める。

ㅤふいに俊太がこちらに歩いてくると、机に置いていたうちの1本を取り目の前で立ったまま開ける。まあ身長が高い。俺も低くはないはずだが……。

「どうしたんですか?こっち見て」

不思議そうで爽やかな声が上から聞こえる。ぼーっとしていただけと思ったが、そんなに見ていたのか。

「いや、俊太、またかっこよくなったなと思って」

「え、あの、それは……」

ㅤ見上げてみると、整ったその顔立ちが即赤くなっていた。彼は意外と赤面症なのかも知れない。

「ちょ、ちょっと、お前、戸賀先輩になに言ってるんですか……!」

ㅤその奥、和室になっている部屋との段に座っていたうちの1人、小さい方が立ち上がり、声を荒げてお前と呼んできた。これでも俺は今のこの部屋の中だと最年長だ、はっきりと言ってやるしかない。

「お、おう……」

ㅤお前とは何事だ、と思ったが、なんとなく特に理由もなく変な返事しか出なかった。特に理由もなく。俊太はあははと呆れたように笑いながら女の子2人の方へ向く。

「まあ、晴樹先輩は褒めてくれたわけだし、嬉しいからいいんだよ。伊吹ちゃんも可愛いって言われたら嬉しいでしょ?」

「晴樹先輩に言われても嬉しくはありませんが、まあ人並みには……」

ㅤなるほど。伊吹ちゃんは照れくさそうにもじもじと動いていた。俊太にはめちゃくちゃ甘くて可愛らしい。

「晴樹さん晴樹さん」

ㅤもじもじしてる人の隣から声をかけられ、そっちを見ると続けて言われる。

「私は可愛いですか?」

ㅤなぜ俺にそんなことを訊くのか。

「まあ……さくらは黙ってりゃ可愛いよな」

ㅤ恥ずかしいので少し目を逸らして思ったことを率直に話してみると、さくらの「ん?」という声が小さく聞こえた。

「本当にクソ野郎ですね」伊吹ちゃんの少し嫌味めいた声も聞こえる。と思えばハッとして、唐突にさくらの前に回って肩を強く揺すりはじめた。

「さくらさん!なんでそんなこと訊いてるんですか!?」

「私も言ってほしかっただけだよ、晴樹さんに。なんとなく」

「戸賀先輩でもいいのに、伊吹にでもいいのになんでよりによって……!」

ㅤさくらはなにも言わないまま顔が前後に揺れていた。なんとなく笑ってる気はする。

ㅤそんな状況で誰かが戸を開いて入ってきた。

「よーすお前ら……ってなにやってんだ。入ってすぐこれは狂気のそれだぞ」

ㅤその声に伊吹ちゃんの腕はピタリと止まり、さっきまで頭を振られていた人にごめんなさい!とひとこと言っていた。

「川崎さん、こんばんは。遅かったですね」

「まあなー、ちょっとスイーツ買ってきたから遅くなった。まあいいや、とりあえず……あれ?メイちゃんはまだ来てないか」

ㅤ短く切られた髪の爽やかな好青年で、身体つきがいい。声をかけた俊太にいい笑顔で返答した後、周りを確認してひとりいないということを認識した。伊吹ちゃんは持っている箱にぱぁっと明るい顔を見せた。川崎実鷹さん、彼はこちらにも目を細めてしまいそうな爽やかなスマイルをこちらに向ける。

「ハルは久しぶりだな!4ヶ月そこいらか?顔だしてくれて嬉しいぞ。……と、まあいいんだ、食べるだろこれ?」

ㅤ一番初めに食いついたのは見るからに嬉しそうで見えない尻尾をフリフリさせる伊吹ちゃん。

「当たり前です!ありがとうございます実鷹さん!さくらさん、ほら、はやくこっちに来てください!」

ㅤ甘いものに目がない。さっきまで甘いお菓子を食べていたのにまだ食べる気なのがすごいなと思っていると、俺の座っている横、向こう側の机で箱が開かれた。さくらも少し面倒そうに立ち上がり呼んだ伊吹ちゃんの隣に並ぶ。

「はは、まあ今日は長丁場だろうしこれくらいはな。ほらシュンも遠慮せずに」

「じゃあまあ、2人が選んだ後で遠慮なくいただきます」

ㅤと次に俊太も4つ並んだケーキを見てどれがいいかを見始めた。

ㅤ……ん?4つ?川崎さん自身が食べないとして……。

「あ……」

ㅤ俊太もそれに気付いたのか、少しバツの悪そうな顔をし始めた。前に並びかがんだ2人は気付いてはいないようだった。というか多分気にしていない。

ㅤ俊太が川崎さんに話す。

「あの、川崎さん、もしかして、晴樹先輩の分は……」

「あー……そういや、最近いなかったから忘れてた……買ってくるか?」

「いやいいです」

ㅤすぐに支度を始める川崎さんを即引き止める。伊吹ちゃんは淡々と話した。

「そうですよ。買わなくていいんです」

「いやぁ、相変わらずハルには冷たいなぁイブキちゃんは。それでハルは本当にいいのか?」

「はい。なくても困りませんし。どうせ帰れば妹の晩ご飯も待ってると思うんで」

ㅤ川崎さんの厚意にも甘えることもせず、このタイミングで、あーそろそろ妹が晩ご飯を作る頻度も減らさないとなぁ、なんて思う。

ㅤそしてすぐに開いていた戸の方から上機嫌な女性が顔を出した。さくらと伊吹ちゃんが好きなケーキを備え付けのフォークで食べているところを見てすぐ嬉しそうな声をあげる。

「来たよー、って、ケーキじゃん!実鷹さんかな?さすがー、やるー」

ㅤめちゃくちゃに褒める真野さんは、数を見てあっと声を出した。

「晴樹くん、もしかして伊吹に先に食べられた?」

「お姉ちゃん! 伊吹はそんなことしないよ!?」

「あら、違うの。じゃあそもそもこの数ってこと?晴樹くんは久しぶりだしそういうことかな?んーじゃあ晴樹くんこっちにおいでー」

ㅤ机に置かれた箱を覗きながら俺を呼ぶので、仕方なしに立ち上がり対面するような位置に立つ。真野さんはフォークで小さく切り分けると、空いた手の方を皿にして俺に向けてくる。

「はい、あーん」

ㅤ伊吹ちゃんと俊太が驚いたような顔をする。そんな俺も同じような顔をしていると思う。助けを求め他を当たると、さくらは頭にハテナを浮かべているような顔をしていて、川崎さんは……俺と目が会うとフレッシュな笑顔を見せて親指を立てた。違う。

「お姉ちゃん!なにしてるの!?」

「なにって足りないんだから私の分を少し分けてあげるんだよ?」

「いやいや、おかしいよ、そんな仲なの?」

ㅤその言葉を聞いた真野さんは俺の方を見て首を傾げた。なぜ傾げたか真相を聞いてみたいが、怖いので伏せておいた。

「じゃ、じゃあ僕があげます!晴樹先輩!僕と食べましょう!」

ㅤ……それもそれで話が面倒くさくなる気もした。真野さんはすごく驚いた顔をしてから、なぜか顔を隠した。

「そ、それがいいよね!男同士、男同士なら問題ないもんね!」

ㅤどこか上ずった声で真野さんは刺さったケーキをすぐ口に含む。なぜこの人たちはこんなにもテンパっているのだろうと考えると、さくらが口に入ったものを飲み込んで口を開いた。

「あ、私のもあげるべきでしょうか?少しくらいならあげますよ」

「話をややこしくするのはやめてくれ」

「そうですか?このモンブラン美味しいのに」

ㅤ問題はそこではないと思いながら、俺ははぁと溜息をついた。

「別にいらないから、俺のことは気にしなくていいよ……」

ㅤ席に戻ると、真野さんはえーと何故か不満そうな声を出す。さくらを見てもそうですかー、と気にもとめずにまた一口食べていた。

「もう、お姉ちゃんはあの人のことどう思ってるの……」

「ん?晴樹くん?いい後輩だよ。気を遣える優しい……」

ㅤ真野さんは話の途中でこちらを向いてきた。とすぐに伊吹ちゃんの方に目線を戻した。

「伊吹は晴樹くんのことどう思ってるの?」

「え……」

ㅤ伊吹ちゃんは何故か姉の前になるとちゃんと話さなくなる。というか、俺への態度も軟化するので逆に怖い。

ㅤここではっきりと嫌いと言われても別に俺は気にしない。なので次こそはっきりと言ってやろうと思った。

「伊吹ちゃん」

「なんですか」

「あ……いえ、なんでもないです」

ㅤその少し睨んだような目付きで見られたのが怖いわけでもないが、言うのをやめた。

ㅤしかしそれ以降伊吹ちゃん側はしおらしく口籠ったままで、それを見て真野さんはフフッと笑うと、すぐ咳払いをして真面目な顔に戻りながら口を開く。

「ま、そうとして、今日やることはみんなわかっていますか!さっき箱で持ってきたもので大体揃ってると思いますが、なければ、実鷹さん、頼めるでしょうか?」

「はいよー、お嬢様のご命令とあらば」

「晴樹くんは今日来たからわからないと思うから後で説明します。俊太くんとさくらちゃんのを手伝ってもらえれば大丈夫ですのでそこまで言うことはありませんが」

ㅤその後真野さんはみんなに役割を話し、終わると俺の前でしゃがみ机を挟んで目線が合うような位置で話しかけてくる。

「簡潔に言えば来週土曜の春祭りの準備なのだけど、少しだけ規模を大きくしたいの。ここ2回の集まりなんかで決めて道具も用意したから晴樹くんは知らないと思うけど、晴樹くんも手伝ってくれるよね?」

主旨としては来週末の春祭りを盛り上げたい、ということだった。桜もそろそろ散り終わり春らしさはないだろうが、あまり野暮なことは考えない。毎年のことだ。

「もちろんです。帰り遅くなるなら妹に伝えておきますね」

「ごめんね、久々来た時にこんな仕事みたいなことさせちゃって。思えば私のわがままでこんなことしてるわけだから、文句なら私に言ってね。妹いる同士その心配かけさせまい気持ちもわかるから、頼ることがあればなんでも言ってね」

ㅤそう言って真野さんは伸びをしながら立ち上がってその妹の方に早足めに歩いていった。俺はポケットからスマホを取り出して今日の日付を確認する。‪4月13日水曜日‬。特に意味もなかった1日に、少しだけ意味が出来てしまったことに少しだけ顔が緩んでしまう。

ㅤそのまま妹に遅くなることを伝えてからさくらと俊太を見てみると、真野姉妹と一緒にケーキを食べていた。手持ち無沙汰なのでひとりダンボールの中を確認していた川崎さんに話しかけるために寄ってみる。

「あの、なんかすいません」

「いやー、俺もすまん。さすがに考えが回ってなかった。別にハルのこと忘れてたわけじゃないんだ。ただメイちゃんもハルのこと話さないし、こないと思ってたのはあるからなぁ……今日は長時間ここにいることになりそうだし、また時間あれば買いに行くよ」

「いや本当にいいんですって、帰ってから食べらんないとかなると申し訳ないですし」

「あー、そういや妹さん今日は1人か?寂しくしないか?」

「そんな子供じゃないですよ。高校に上がる時にはひとりで暮らしても大丈夫なくらいのスキルは身に付けるから、とかなんとかで俺の手すら借りようとしないし、ここ最近は大学を遅く帰るとひとりで片付けまでして、嫁であるかのように、チンして食べてって書いた手紙を俺の分の食事に乗せてます」

ㅤ思えばめちゃくちゃ妻っぽい。いいお嫁さんになれる気がしてきた。帰ったら褒めてやろうと思った。

「いや、そういう問題か……?」

ㅤ川崎さんは俺の言葉に少し首を傾げたが、すぐに話を変えた。

「あ、そうそう、ハルたちはこの幕に春祭りの文字を入れるんだ。門前に掲げるやつだから気合い入れてくれよー」

ㅤと、結構な重さのある折りたたまれた白い布を俺に渡してきた。この大きさはさすがに敷く場所がないので、笑って一旦ダンボールの横に戻した。

「みんなが食べた後で机を後ろにやってから取ります」

「あっ、そうだな。すまんすまん」

ㅤはっはっは、と大きく笑った川崎さんはすぐに他の物も出していく。ハサミや、アクリルの絵の具とパレットに筆洗い、丸く纏められた針金にアルミパイプなど様々なものが出てくるので、出来る限り机の上に纏めて置いていく。

「あ、んふ、実鷹さーん、他のダンボール畳んだやつは外に置いてますー、よろしくお願いしまーす」

ㅤなんだかスーツでいるとは思えない緩さで真野さんは川崎さんに声をかけていた。食べながら喋るので変な声が出ている。

ㅤそれを聞いて川崎さんは外へと出て行くので、俺はひとりで、スペースを空けるために長机を奥にひとつひとつ持っていっていると、大量のダンボールを抱えて戻ってきた川崎さんと、ケーキを即食べ終えた俊太も手伝い始め一気に空間が出来た。


ㅤ少し時間が経ち、俺たちは長方形の布を床に広げ作業をし始めていた。適当に起こした文字に色を入れ始めるところでさくらがふと呟く。

「晴樹さんは今日なぜ来たんですか?あ、話す義理はないですけど」

「そうだなぁ、ほんとになんとなくだから言うことがない……」

「ですよね。ここに来るなんて理由は必要ないとは思いますが、タイミングが絶妙でした。人員確保としていいタイミングです」

ㅤさくらはそう言って筆を筆洗いに横にして置いて伸びをした。

「んんーっ、……と。……あ、すいません変にリラックスしてしまって。見世物じゃないですよ」

「そんな見てない」

ㅤ文字に落としていた顔を上げてみるとさくらと目が会う。にこりとしたと思えばなにも言わずに横に置いてあったペットボトルをもう一度筆を持ち直し、何事もなかったかのように他のところの色を塗り始めた。

「晴樹先輩、そこにある緑の絵の具ください」

ㅤ他のところから声をかけられ、隣にある絵の具からひとつ選び少し遠いところにいる俊太に投げる。

ㅤそこから少し、3人して黙々と作業をしていた。特に話すこともないのではやく作業を終わらせようとしていると、真野さんが俺の後ろから3人に声をかけてきた。

「来週までに終わらせればいいから、急ぎすぎなくても大丈夫だよ」

「あ、芽依夏さん。お菓子食べます?」

ㅤ全然話の繋がりのないさくらの言葉が斜め前から聞こえた。真野さんはお腹を押さえて言う。

「あーもらいたいけど、ケーキも食べたのに太っちゃうよー。いやそうじゃなくて、とりあえずいい具合に切り上げてね3人とも。まだ始めたばかりだけど時間も時間だし」

ㅤ真野さんは笑って返しすぐ言うので、部屋の前にかかる時計を見る。短針の7超えを指し、長針は6と7の間ほどにあった。なにも会話をしていないのに時間だけは優雅に去っていっていた。

「何時までいられますか?」

ㅤ俊太は真野さんへと目線を戻す。うーんと腕を組み考えて、すぐに真野さんは言った。

「親御さんの心配にならない程度?」

「……大雑把だ……」

「でも、大事だよ。私も伊吹を遅く帰らせるのは嫌だしね。あ、あと‪9時‬は絶対に閉めるからダメ、守ってね。今日は人もいないしすぐ閉めるからごめんね」

ㅤそう言って向こうでダンボールになにかを描いている伊吹ちゃんの方に戻っていった。

「だそうです。来週も時間あるので、ここらで終わるのもありですよ。私は特に時間気にしませんが」

ㅤさくらは塗っていた部分から一度手を退ける。彼女の担当区分を見ると綺麗に塗れているわりに作業がものすごく早い、女性らしい精密さを感じた。俊太の方を見ると明らかにガタガタしていて、俺も見てみると同じだった。さくらもこっちを見たとき二度見した。

「2人してなんですか?下に砂利でもありました?」

「あったのかもしれない……」

「人生の砂利道」

「……なに言ってんだ」

ㅤ俺とさくらの会話をよそに俊太は一度立ち上がり、すぐ後ろの机にあった缶コーヒーを持って戻ってきた。そういや俺のやつはまだ開けてすらないなと思い出す。

「2人とも、今日は終わりにしませんか? 綺麗に塗らなくても大丈夫なんで」

「いいのかそれで」

「はい。私が直しますから大丈夫ですよ。2人が下手なんで……あっ」

ㅤさくらはすぐにハッとした顔をし、両手で口を隠し噤んだ。俊太の方を見ると彼も同じように俺を見ていたので2人して苦笑いし、俊太はさくらに笑って返した。

「下手だから最後は頼みたいところだったんだよ」

「ごめん、俊太くん。……いや、隠しても意味ないよね、下手だなって思ったんだし」

「うんうん、別にここは学校じゃないしみんな知ってるから気にする人もいないよ。晴樹先輩なんて特に」

「お、おう、そうだな……ってさくら、髪に筆付いてるぞ」

「へ!? あ、え、あ、やば、少しおトイレ……!」

ㅤ俺の言葉にアホの子のような声を出し、持っていた筆をすぐにさっきと同じように置いて慌てて立ち上がり外へ出て行った。それを見ていたのか、川崎さんが手に曲げた針金を持ったまま話しかけてきた。

「変わんないなあ」

「何がですか?」

「全部、かな」

ㅤなにを指して言っているのかわからず、はぁ、と声を漏らすしかなかった。俊太は笑って立ち上がり、近くに置いた缶コーヒーの残りを飲み干し、部屋の前方隅まで缶を捨てにいく。カコン、とスチールのぶつかる音が響いた。

「んや、すぐにわかるさ。とりあえず今日はもう終わるか?」

「あーいや、もう少しだけやります。俊太は?」

「僕もやります。さくらちゃんの量を減らすために丁寧に塗りますよ。川崎さんもやれるだけやってくださいね」

ㅤゆっくり歩いて戻ってきた俊太は川崎さんの奥にある針金で組み立てられたなにかを見ながら言っていた。俺も目には止まったが、想像し難いが一体なにに使うのだろうか。

「来週もいつ来れるかわかんないから完成させとくよ」

「頑張ってください。晴樹先輩も一緒に頑張りましょう!」

「頑張るか」

ㅤさくらの迷惑にならない程度に。

ㅤ床の幕に目をやり文字を綺麗にしていて、程なくして横髪にピンク色の絵の具をつけていたはずのさくらが帰ってくる。髪は濡れていたが塗れていた痕跡は見えなくなっていた。それを見てちょうど他のことをしていた伊吹ちゃんが気付き驚いた声を出した。

「さくらさん、髪濡らしてどうしたんですか!? まさか」

「晴樹さんのせいじゃないよ」

「あ、そ、そうですか……ってそう、タオルタオル……戸賀先輩持ってますか?」

ㅤ伊吹ちゃんの鞄の中にはなかったらしく、俊太に慌てたように早口で声をかける。

「多分持ってるけど……」

ㅤまあ気持ちもわかる。女性に男の物を渡すのは絶対に抵抗があるが、やむなしだ、と目線で伝える。こっちを向いていた俊太も申し訳なさそうに鞄からタオルを取り出しさくらに渡す。

「使ってないから多分大丈夫だよ、ごめん、僕ので」

「貸してくれるだけありがたいよ。私も持ち合わせていなかったし助かる」

ㅤ渡されたタオルで優しく横髪を包むように拭きはじめる。見てるだけなら絵になる美しさがある。

「やっぱり戸賀先輩ですね、優しくて頼りになりますよ」

「あはは……」

ㅤ完全に困った顔をした俊太が俺の横で座った。しかしまあ、さっき並んで立っていると、この2人は服の崩し具合だとかで不良カップルに見えてくる。あの、きゃーセンパイかっこいー!みたいなチャラいやつ。

「晴樹先輩。助けて」

「いいだろ優しいお前で」

「えぇ……まあデメリットはないかもしれないですけど。僕は……いややっぱいいです。塗りの続きしましょう」

ㅤ実際はこんなんだが。伊吹ちゃんはさくらに、潰れそうで悔しそうな声ですいませんと言っていた。

「晴樹さんは優しいのに、自分だ、と主張はしないですね。だからいーちゃんにも舐められるんですよ」

「いいよ、別にそれで」

ㅤすぐにさっきと同じ位置に戻ってきたさくらが髪を拭きながら俺にそんなことを言うので、苦笑いをするしかなかった。体勢を少し崩そうと動くと足が固まってしまっていたのかよろけてしまい、俊太の方へ凭れ掛かってしまったのを受け止めてくれた。

「っと、悪い、ずっと動いてなかったから」

「いえいえそんな、謝る必要なんてありませんよ」

「ぶふっ」

ㅤ後ろの方から噴き出すようななにかが聞こえる。俺は気にしないようにして立ち上がり、ぐーっと体を伸ばしてからついでに後ろの机にある自分の鞄とコーヒーを持って戻る。

「よし、ラストスパートいくか」

「あ、まだやるんですか?では私もやります」

ㅤカチリといい音を鳴らし口に入れる。このなんとも美味しいとは言えない感じが実は嫌いではない。


ㅤ意外とほぼほぼ塗り終えて、‪8時半‬を電子的に指すスマホを確認してみると妹からのメールが1通。

「んー、今日は終わりだな。さすがに遅いと怒られた」

「あ、桃花ちゃん?じゃあ今日はおしまいですね。ほぼ終わりましたし、僕もお腹空いたんで帰ります」

ㅤ俊太が立ち上がり俺も立とうとした時にさくらがそこまで慌てず声をかける。

「2人とも足元気を付けてください」

ㅤそう言った瞬間に俊太が足元にあったマーカーペンを踏み体勢を崩し、俺の方へと倒れてくる。

「うわっ!、……晴樹先輩、大丈夫ですか?」

「大丈夫大丈夫、俊太こそ無事か?」

ㅤ支えるように腰に手を伸ばしたがあまり意味もなく、俊太に覆われるように腕が俺の脇下まで伸ばされ地面につけられていた。顔がめちゃくちゃ近い、整った顔立ちがはっきりとする。しかしまあ……全く嬉しくない。嬉しそうなのは向こうで「ぐふっ」と汚い声を出した真野さんくらいのものだ。

「お姉ちゃん声出てる」

「嘘!?」

ㅤそんな話し声が聞こえた。それをよそに俊太は身体を起こすとすぐに立ち上がり、俺を解放してくれる。俊太は頭を掻く。

「こんなところにマーカーが転がってきてるのは気付いてなかった」

「すいません戸賀先輩!伊吹のところのやつだと思います!ほらお姉ちゃんも」

「ナイスファイト!」

ㅤ真野さんは俺と俊太に向かって親指を立ててウインクする。一体なんなんだそれは。そしてすぐに伊吹ちゃんに肩を叩かれ頭をさげた。

「ごめん!仕組……わざとじゃないの!本当に!怪我なくてよかった!」

「まあ、真野さんがわざと危ないことするとは思えませんし」

ㅤとは言ったものの彼女もこの集まりにいるだけあってかなり変わった人なので、なんだかんだやりかねないと思ってしまった。

ㅤで、こんなものの後ろで川崎さんは話を聞いていたのかせっせと荷物を片付けているのだ。この人は切り替えがはやいなぁ。今伊吹ちゃんが机に適当に置いた、さっき踏みつけたマーカーペンを入れ物に戻し、ダンボールの中に突っ込んでいた。伊吹ちゃんがもう一度手持ち無沙汰解消に取ろうとしたわけだが、虚しく無を掴むだけだった。

ㅤ川崎さん1人にやらせるのもあれなので、俺も俊太の伸ばしてくれた手を引き立ち上がってすぐに周りに散らかったものを片付ける。パレットを洗うこととかは俊太に任せておいて。

「晴樹さん晴樹さん」

ㅤ箱に出したものを詰め込んでいるところを後ろから話しかけられる。2回呼ぶ涼やかな声はさくらだ。

「どうした?」

ㅤ俺は向きを変えずに話を続けようとすると、彼女もあまり気にも留めずに話を始める。

「帰ってからでいいので、妹さんに来週末お祭りに来るのか、来週の集まりまでに訊いておいてくれませんか?」

「突然なんだ」

「理由は来週話します。では帰る支度でもしましょう。今日はお疲れ様でした。髪のこと、すぐ知らせてくれてありがとうございました」

「あ、送っていこうか?もう暗いし」

「では待ちます」

ㅤそう言って箱の横に絵の具一式の箱を置かれ、そのまま俺から見えている位置にあった鞄を手に持ったさくらはまた部屋の前まで出る。まあきっと和室部屋だろうなぁと思った。


ㅤ机を元に戻したあたりで真野さんがマネージャー紛いに招集をかけた。部屋はホウキもかけられており元よりも綺麗になっていて、蛍光灯に当てられ輝くように感じた。

ㅤさくらは動くことなく部屋の前でい草の匂いに包まれているだろう場所に座ったままで、伊吹ちゃんは部屋の後ろの方で凭れ掛かってスマホを弄り、俊太はそれに並び立って同じようなことをしている。川崎さんは唯一俺と一緒に真野さんの近くにいた。

「集まりが悪すぎるんですけど。まあいいや、閉めるので荷物忘れもないようにしてください。伊吹、課題は忘れないようにしなきゃいけないからね!」

「今日はここでやってないから忘れないもん!」

ㅤ姉妹の大きな声が部屋に響いた後に、川崎さんが俺に小さく話しかける。

「次はハルの分も買ってくるから、ごめんな」

「いえいえほんといいですから」

「えーでは解散です!みなさん退室お願いします!」

そんな話をよそに真野さんが大きく呼びかけ、ようやくさくらは立ち上がり、声に負けないほど大きく伸びをした。



ㅤみんなと玄関で少し話した後、街灯に足元が見えるほど照らされた門前で解散し、俺とさくらと、ひとり車で来た川崎さんが残る。

「じゃあ、2人も気を付けてな。車で送らなくて本当にいいのか?」

「はい、帰路は真逆ですし、煩わせません。晴樹さんと……いや、なんでもないです」

「そうか、ハル、ちゃんと送ってやれよ」

「わかってます」

「晴樹さんじゃ心許ないとは思いますが、大丈夫です。私もそこまで求めてないので」

「さらっと酷くないか」

「本当のことですよ?」

ㅤ俺とさくらとの会話に、川崎さんは、はっはっは!と大きく笑いながら駐車場の方に身体を向けた。

「本当に変わらんなーみんな!じゃあなー、また来週!」

「はい、お疲れ様でした」

ㅤ隣でさくらがニコリと笑って片手を上げた背中が遠退くまで出迎え、2人になる。

「帰りましょうか。念願の帰宅ですよ晴樹さん」

ㅤそう言ってさくらは有無を言わさないよう俺の靴を弱めに蹴り、光に当たり黄色にすら見える花びらの道を歩き始める。

「さっきの、俺となんなんだ?」

「なんだと思います?」

「わかったら訊いてないけど」

「……なんて言うほどのことではありませんよ。別に、私が思ったのは、晴樹さんと帰る道が同じなんで。ということだけです」

ㅤ足を踏む音が小気味好く鳴らされていく。来た時よりも舞う花びらは少なく感じたが、下を向いて歩く彼女の髪が舞うように揺れていた。

ㅤ今日のように夜深くなると妹に言われるため家まで送ることは多い。さくらはそれに対してなにも言わないが、心許ないなら本当にいいのだろうか……。

「いーちゃんはなんだかんだ晴樹さんが来ないこと気にしてましたよ」

ㅤ隣で揺れる彼女が不意にそんなことを言う。

「それはないだろ」

「いつもいーちゃんは晴樹さんがいないと本調子じゃなくなります。いつもですよ?だから晴樹さんに口が悪いいーちゃんを見ると嬉しくなります。久しぶりで嬉しかったです」

「そ、そうか、よかったな」

ㅤ俺は毎回心労がすごいので、久しぶりに来たのに目の前で入るの躊躇ったレベルだが。

「俊太くんも嬉しそうでした。中学の頃からですが晴樹さんと一緒にいるのが好きみたいですね 」

ㅤ……それはそっちの気はないので割と勘弁して欲しい。

「そんな晴樹さんや俊太くんと一緒に話すのが実鷹さんは好きそうですね」

ㅤ……いやまあ、男の集まりとしてはそれは俺も嫌いではないか……。さくらは続けて話をする。

「珍しく今日は他の人もいなくて静かでしたが、今日と来週は私たちしかこないかも、と芽依夏さんが言ってました。週の予定を見ない私たちだけが来てるみたいですよ」

「予定表を確認しない人たちの集まりになってるのか……」

「どうせわかってても居残りな人々なんて進んで来ますよ。そんな人たちです」

ㅤ明るく照らされた横顔が少し笑っているように見えた。綺麗な横顔の輪郭がはっきりと目に映える。

「少しだけ周りを見渡してみると、はっきりと集まる人たちが見えます。私はそれが好きです。ひとりひとり全然違うのに、何故か集まってくる人たちが」

ㅤそんな人たちの集まりが好きです。さくらは立ち止まりこちらを振り向いて、そう小さく呟き、そして同じように足を止めた俺にニコリと笑った。

「晴樹さんは、好きですか?」

「……少しくらいは」

ㅤ照れくさくむず痒くなってしまい目を逸らして返してしまう。足元をちょこんと蹴られた。

「まあいいです、久しぶりに来てどうでした?実鷹さんの言う通りなにも変わっていないでしょう。初めて会ってから変わったのなんて年齢くらいですよ。あと芽依夏さんのオタク気質」

ㅤそう言ってさくらは踵を返しまた歩き始める音がした。

ㅤなんとなくわかった。誰も踏み込まない、その微妙な距離感と深淵は、変わることはない。

ㅤ心地よくて誰も深くに上がりこんでこない。川崎さんやさくらの言った通り、変わってない。

「それが俺たち居残り組だな」

ㅤ妥当な言葉なんて見つからない、俺たちはそんな集まりだった。



ㅤそこからしばらく特になにも話さず、さくらの家の前まで来るとすぐにさくらがひとこと。

「では、妹さんに訊いておいてくださいね」

ㅤそう伝えて、明るく照らされた少し大きめの家の玄関の扉を開いて、ただいまも言わずに入っていった。

ㅤ見送って、閉まった扉の音と共に自分の家へと足を運びながら考える。

ㅤ──あの場所ではなにも変わっていない。それでもその環境が好きで、皆は足を運ぼうと少し考えてしまう。変わらなければきっと後悔するだろうみんなの悪癖やコンプレックスは、形を保ったまま崩れ去ることがなく残り続けている。

ㅤ俺もそうだ。立ち位置が分からないまま話を始めて、そうしてからなにをすべきかわからなくなってしまう。そんなちっぽけで不必要なものを抱えても、あの中だとなにも言われない。本音は、本当に素敵な出会いと言っていいのか俺はずっとわからないのだ。

ㅤこのままずっと、なにも変わらない気がした。


○ㅤ○ㅤ○ㅤ○ㅤ○


「ただいま」

ㅤ家に入り靴を脱ぐと奥の扉が開き、家系のままの青みのある黒髪をポニーテールにしてTシャツにジャージ半ズボン、裸足姿のラフな妹が顔を出した。自室から少し嬉しそうな顔を覗かせた妹はすぐに出てきて、「おかえりー」と言いながら早足でリビングの方へ入っていく。

ㅤ俺もそれに続くように開いたままのリビングに行くと、妹は今日は珍しく俺のご飯を待っていたのか今用意をし始めていた。

「今日は先に食べてないのか?」

「そりゃあ、にぃの今日の報告を食べながら話してもらおうと思ったからね。荷物置いたら手伝ってー」

「そんなに重要なことですかね?」

「当たり前じゃん」

「当たり前なんですか……」

ㅤ妹と2人分のお米、肉じゃが、味噌汁に漬け物の皿をテーブルに運び終えるとすぐにいつもの席に座り手を合わせる。

「「いただきます」」

ㅤ2人して言うとすぐに俺が切り出す。

「母さんは?」

「今日は‪2時‬終わりだってー。で、にぃ。久しぶりにどうだったの?」

ㅤしかし全く話を逸らせなかった。

「んー、特になにも……」

「えー、嘘だー」

「本当だよ……桃花こそ、今日は学校どうだったんだよ」

ㅤゆっくりと小さな口を動かして食べる妹、佐藤桃花は、少ししてから話を続けた。

「今回も遅い帰りなら、さくらさんと一緒に帰ったんでしょ?なんで最後までなにもないの?家に連れてこればいいのに」

「ウェイのお持ち帰り方法かよ」

「なに言ってんの……?」

ㅤ本気でハテナを浮かべている様子の桃花だったが、すぐに話を続けた。

「あー後あたしの方はねー、部活に新入生が入ってくるタイミングを機に今年も3つくらい部活誘われたけど断っちゃったね。やっぱ家でゴロゴロゲームしてるのサイコーだよー」

ㅤそう言いながらしっかりと素養を身につけているのが桃花だったりする。着々とハイスペック妹が誕生している。趣味のゲームはやめないらしいが。

「まあそれでいいと思うならいいんじゃないか? 今年もう高校受験なんだから今更入ってもだろうし」

「んーだよねー、あたしもそういう建前で断ったし。にぃはサークルとかは?やっぱり週1のために入らないやつ?」

「……人付き合いって難しいよな……」

ㅤなるほど、と桃花は俺の意味深な言葉に感心したような態度を見せながらまた一口食べる。

「全然理解出来んわ」

ㅤやっぱり全然理解出来ていなかった。

「まあいいや、あたしはさくらさんと仲良くしてくれればそれで満足だよ。サークル入れないとかは別にいいよ。だから期待を裏切らないでよねー」

ㅤお米を口に入れたままそんなことを言われる。食べながら話すの直すべきだと思います。

「本当になにもなかったから、期待しないでください……」

ㅤそう呟いて俺もしっかりと食べはじめることにした。それ以上なにか言うつもりもなさそうでしかし不満気な顔のまま桃花も一緒に黙々食べる。桃花の作った料理は今日も美味しい。


ㅤ食べ終わるより先に、桃花は空気を変えるように訊いてきた。

「あ、そうだ。週末街に出ない?」

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