私の日常、世界の日常

華也(カヤ)

日常と非日常

『私の日常、世界の日常』


著・華也(カヤ)




世界は回る。

それは残酷にも日常的に…。

私の意思とは関係なく…。


───────


ピピピッ!


目覚まし時計の音が夢を見ている私の世界に入ってくる。

なんでこんな古臭い音のする目覚まし時計を使っているのかというと、簡単な話、その音でしか起きれられないからだ。

もう一つ理由があるとしたら、スマホからアラーム音が鳴らないから。

"なんか、スマホに縛られてるみたいで嫌だ"

そんな幼稚な理由で、LINEの通知をOFFに設定して、常にマナーモード。寝る時はスマホの電源を切っていることが多いからだ。

現代の10代において、LINEやSNSの利用はもはや利用する事が義務化されてる。勿論、法律でなく、10代特有の空気がそうさせる。世間がそうさせる。

私が物心ついた頃には、既にSNSというものが身近にあり、学生は1人1台スマホを持つことは当たり前だった。

私は、もしこの世界からSNSが無くなったらどうするのだろう?と、無意味な事を考えては現状にイライラする日々を送っている。

LINEで連絡は当たり前。

クラスのグループ、友人同士のグループ、部活のグループ、バイトのグループ、etc…。

TwitterやInstagramでは、誰々とどこに行ってきたと、加工した写真を、いかにも学生生活を青春をエンジョイしています的な何かを載せる。

常に現状であり、等身大よりも少し盛ってある私をSNSに載せなければならない。

LINEの既読無視をしようものなら、仲間外れにされる。SNSイジメという言葉さえある通り、私達学生にはなくてはならない生活ツールになっている。

大人は学生は呑気でいいね、なんて言うけれど、多分人間関係は学生の方がシビアだと思うのは私だけなのかな?

そんなのに縛られるのが嫌で、LINEの通知をOFFにした。

連絡が来ても

「通知OFFにしてて、気づかなかったよ〜」

という言い訳が成立する。

友人達はどう思っているかは正直わからない。でも、私はそれでいいと思ってる。

Twitterはアカウントだけ作って放置してる。やってないと「やろうよ!」というカルト宗教の勧誘みたいなテンションで、友人が詰め寄ってくるからだ。

ちなみに、カルト宗教の勧誘もマルチの勧誘もされたことがない。ネットとテレビで見た知識だけだが、なんかそんな感じと勝手に位置付けてる。


学校名を載せるアカウントもあるが、ネットの怖さを彼らは認識していないのだろうか?

私は適当に書いた…いや、プロフィールだけはなぜかキチンと書いてる。

趣味、好きな音楽、好きな映画など。

その辺は変にマメだなと思ってしまう。

学校名や部活などの事は書かない。なんか怖いし。

更新は友達と遊びに出かけたり、カラオケに行った時に、楽しかったという無機質な文字を打ち込んでツイートする。


ピピピッ


急かすように、また目覚まし時計が音を出す。非常にうるさい。


───────


ピピピッ


目覚ましが起きない私を再び起こそうと鳴る。

うるさい。

心地良い夢を見ていた。

私はある程度は夢を夢だと自覚できるみたいで、これが夢だと理解してても、それでも良い夢だと思う。

なんて事のない内容。

ただ、学校に行き、友達とお喋りして、帰りは恋人と一緒にファーストフードに寄って、宿題とお喋りをする。

そんな他愛もない夢。

現実には恋人は居ないのに、この配役は、私の深層心理を映し出しているのだろうか?それとも、まだ忘れられないのか…。

友人達は現実に存在している人。

勿論、今も友達という括りに入る。

恋人はなんなんだ?

前に別れた恋人が、何食わぬ顔で私の横にいる。

原因は些細な事からだった。

LINE通知OFFによる返事の遅さが、彼をイラつかせ、不安にさせ、喧嘩をした。二股しているのではないのか?浮気してるのではないか?本当に好きではないのだろうか?なんで?なんで?

そんな、子供染みた事を言われた記憶がある。

そもそも、二股している学生なんている?ドラマや漫画の中だけにしかいなさそうな事なのに、何ゆえそこまで不安になるの?

私は見繕った言い訳をしたが、修正不可まで亀裂は入ってしまっていた。

彼も我慢していたんだ。

私は彼のことをガキだなあと思ってしまってたけど、人の事を思いやる事のできなかった私の方がガキだった。

そう気付いてから、夢に時々出演してくる元恋人。

私は楽しかったし、別れたことに後悔もしてるし、悪かったと思っている。

だから、どこかで彼を思っているのかもしれない。無意識に。


ピピピッピピピッピピピッ


何度も呼びかけても応答しない患者に、強く呼びかける救急隊の如く、目覚まし時計は私に起きろと呼びかける。

「…うるさいっ!」

と我慢の限界がきて、声に出して目覚まし時計のスイッチを切る。

ガシャンという、本来鳴ってはいけないであろう音を立てて、部屋は静まり返った。


───────


私は習慣で、朝起きてからテレビの電源を入れる。適当な朝のニュース番組をつけ終えてからベッドから起きる。

私のベッドは横の柵がない。ゆえに寝た状態から右手側を壁に接して設置してる形になる。

左側に転がったら、落ちて頭身体をぶつけるであろうセッティングであるが、私は寝相は良いので、落ちた事はない。

ベッドから落ちるなんて、あんなのドラマや漫画の演出の一つで、実際には起きない現象だ。

…訂正。本当にあるらしいから、私には起き得ないが正しいかな。


小さい窓を僅かに開けてるので、外の音が少しだけ聞こえる。

鳥の鳴き声、会社に行くお父さんを見送る家族の声、謎のおっちゃんの大きいくしゃみ、小学生くらいの子達の喋り声。

「小学生は起きるの早いなあ」

と、いつも遅めに起きる自分に自分で言いながら、ニュースキャスターの原稿を読む声を横に、制服に着替える。


───────


スマホの電源を入れる。

起動した後にLINEアイコンの右上に通知が0から60まで上がる。

心のどこかで「うわあ…」という嫌悪感を抱きながらも、なんかいつもより通知多い?なんで?と思いながらアプリを開く。

内容なんていつもの他愛もないことばかり。

言い方を悪くすれば、無駄な事。

私は業務連絡的なの以外のLINEが好きではなく、あまりしたくない。

「昨日のカラオケ、あの曲歌い忘れたー」

「明日、マック寄らね?」

「今週の金曜ロードショー、またジブリ祭りだってさw」

「ねえねえ聞いてよー。彼がさあー」

うるさい。

あとで嫌でも学校で会うのだから、その時話せば良いのに。

そんな無駄な事へ一応ちゃんと返事を送る。

ちゃんと、おはよーと挨拶をSNS上でもしてから、内容への返答をする。

そして、そんな普段通りの内容の中に半数以上をしめていた話題があった。

それは、流し聞きをしていた、ニュース番組で流れた。

さっきまでエンタメのコーナーだったのか、芸能ゴシップをヘラヘラと伝えている口調から、真面目な口調に変えた女子アナウンサーの口から出た言葉と同じ内容だった。


{昨晩、夜11時頃…◯◯県◯◯市◯◯町の◯◯高校で、在校生2年生の◯◯さんが遺体で発見されました}


うちの高校の隣の町の高校の出来事だった…。


───────


登校すると、クラス中…いや、学校中の話題は隣町の遺体で発見された学生の事で持ちきりだった。

当たり前だ。こんな身近な場所のニュースというのも珍しいからだ。

ましてや、周辺の映像や写真がネットニュースやテレビで写ってるから尚更である。

「朝のニュースでも報道してたよ!全チャンネルで扱ってた!」

そんな風にいつもより少しテンション高めに離れた席から駆け足でわざわざ伝えてきた友人。

全チャンネルチェックしての?暇かよと、茶化すように言うと、後ろの席と前の席、右隣の席の奴らも

「そのニュース見た!ヤバくね?」

と続いて来る。

クラスでの席は窓側に面してるので、左側は窓とカーテンしかないので、私周辺の友人達は私を取り囲むように話しかけて来る。

私は一応、クラスでは比較的良いグループに属している。

というのも、クラスには、上位、中位、下位という社会の縮図のようなものが、この狭い世界で構成されているからだ。

誰かが決めたわけではなく、自然と起きる現象というのだろうか?

中学でもそうだった。

上位はイケているグループ。所謂(いわゆる)、リア充という人種が集まってできた、少し声の大きいグループ。

特に誰隔たりもなく話せ、声のボリュームも気にしなくていい。

クラスの取り決めの際の発言権もある。

クラスの中では勝ち組に位置するグループ。

下位グループは、非リア充の集まり。オタクの集まり。上位グループとは殆ど関わらなく、クラスでの発言権も声のボリュームも限られている。

いつかのアメトークでやってた、学生時代イケてないグループに所属していた芸人みたいな。

中位グループは、その名の通り、真ん中。普通。どちらにも属しているし、属してもいない。そんな中間である。所謂普通のグループ。

この学校という世間から見るとごく小さいコミュニティの中でも、既に社会の縮図は完成されているのだ。

小学校でも中学でも高校でも、おそらくは大学でもだ。

一番シビアな小さく大きいコミュニティ。

どこに属してるからといって、何か優遇されるわけでもない。

ただ、クラスで過ごしやすくなるかどうかの差だ。あと声のボリュームね。

幸い私は上位グループに属してるらしく、だからこそこうして上位グループの連中が話しかけてくる。

「つか、お前LINEの通知ONにしろよ!すっげえ話したかったのに!」

前の席の男子がふざけた調子で言ってくる。

本来ならLINEの返信をすぐにしないだけで、学生は喧嘩やイジメの原因になりかねない行為。普通はやらない事。幸い私は上位グループに属してるというのと、もう諦められているのか、それが許される関係にある。

「ごめん。たぶん映画見た後すぐに寝たから、LINEチェックしてなかった」

と、言い慣れた言い訳を見繕って返す。

「ちゃんとスマホ見ろよな〜。お前は昭和の人間かよ!」

いかにも昭和の人がスマホを使いこなせていないような事を言ってくるが、私たちの世代では、何かと古臭かったり、最新の事柄に対して順応していないと"昭和"という事で罵る風潮がある。

「昭和生まれの人に謝れ」

私がそう返すと、ごめんなさいと、窓の方を向いてこれまたふざけた感じで手を合わせて謝ってみせる。

本当に意味で昭和生まれの人をバカにしてるわけではなく、我々平成ど真ん中に生まれた者は、こういうやり取りは自然と身につく。

これに関して私は、何を思うわけでもない。

だって、テレビニュースのコメンテーターなどは、何かと

「平成生まれはこれだから…」

「これだからゆとり世代は…」

と、平成生まれを小馬鹿にしている発言をしているから、私は同年代が昭和を笑いのネタに使っていても何とも思わない。

第一、ゆとり教育を決めたのは、昭和生まれの大人達で、我々は被害者のはず。

なのに、あたかも私達がダメみたいな事を言われるのは、不本意で少しムカつく。

大人の決めたルールに準じてただけで、私達がゆとり教育を推進したわけではない。

ドヤ顔でこれでもかと平成生まれを小馬鹿にするコメンテーターはムカつく。

そういう時に、Twitterとかで呟くはずだが、私は面倒くさいのでやらない。

そんな世間への苛立ちを考えていると

「ねえ聞いてる?結局あのニュースの子、自殺だって」

右側にいた友人達がみんな知っているであろう情報を声高らかに伝えてくる。

知ってるよ、とあまり感情が乗ってない声で返す。

そう。今朝のニュースで報道されていた子は、自殺だった事が判明した。

自宅の自分の机の上に遺書が置いてあったそうだ。

それを親が発見した頃には、もう既に今朝知ったばかりなのに、名前を忘れてしまったあの子は屋上から飛び降りていた。

屋上のカギをどうやって手に入れた?などの疑問なんて、特に気にはならない。

ただ、あの子は自殺をした。

私達と同い歳の学生が。

ニュースで伝えてたのは、イジメを苦に自殺だということだった。

遺書に具体的な内容と、加害者であろう人の名前が数人記されていたらしい。詳しい事は調査中ということだった。

人ごとのように思ってしまえば、可哀想だなというのが出てくる。

悲しい人生の幕切れ。

どんな気持ちで死んだのだろう…。

同年代だから、少しだけ気になってしまってる。

「私、あの学校に同中の友達いるから聞いたんだけど、報道陣とか校門前に溜まってて、インタビューされたっていってた。いいなあー。インタビュー!私もテレビに映りたい!」

そんなテレビに映りたいって、同年代が死んだのに、こいつは何を言ってるのだろう?

「ちょっとそれってさ…」

と言いかけた時に、教師が入ってきて

「ホームルーム始めるぞー」

といつもの調子で言ってきた。

私を取り囲んでいる友人達は自分の席に戻り、私の言葉はどこにも行き場を失って、頭の隅っこに追いやられた。


───────


不思議ではない。いつも通り。当たり前なんだろうけど、午後の授業に入る頃には、誰も今朝のニュースの話をする者はいなくなっていた。

話題なんて、いつもの芸能ゴシップ、恋人の話、友人の話、他愛も無いいつもの日常会話が交わされていた。

帰りに寄ったマックでも、その話題はまるで無かったかのように話されることはなかった。

私の頭の中に残っていた、同年代のあの子の事も、時とともに風化して消えていった。


───────


友人達と別れて、家に着いた。

いつものように、リビングにいる母親に「ただいま」と言うと、いつものように「おかえり」と母の温かい声が返ってくる。

当たり前の日常のやりとり。でもこれはとてもありがたいし、幸せな事なんだって今はまだしっかりと実感できていない気がする。

大人になったらするのかな?

そのあとは、いつものルーティーンで、部屋に行き、テレビを付け、制服から部屋着に着替える。

制服って、なんか戦闘服みたいだ。

脱いだ瞬間に、全身の緊張が解けるように力が抜ける。リラックスする。

制服を着てる時は、学生として振る舞わないといけない。近所の人にも、友人にも、先生にも。

高校2年生の私は居なくなり、ただの17歳の私が戻ってくる。

テレビのニュースからはいつもの如く、次々と話題を淡々と発信していく。

アメリカのニュース番組と違い、どっちかというとエンタメ志向の強い日本の報道番組。

別にいいんだけどさ。

それになんとなく耳だけ傾けて聴いていたら

{昨夜起きた、高校生飛び降り自殺のニュースです。学校側は会見を開き、イジメはなかったと…}

あ……。

そんな事件そういえばあったな。

隣の学校のことなのに、今の今まで忘れていた。

普通に数学の小難しい数式や実践的ではない日本の英語の授業と、友人達との会話の内容に埋もれて忘却していた。

ニュースはものの2分ほど伝えて、他のニュースを伝え始めた。

ふと思った。

顔も名前も忘れてしまったあの子は、死んだにも関わらず、世間からは世界からはそれだけの扱いで完結してしまうほど、小さい存在だったのだと。

芸能人の不倫のニュースは20〜30分扱っているのに、あの子のニュースはたった2分。

そして、私も忘れていた。

こういう時に気づいてはイライラしてしまう。

人が死んだんだよ

同年代の子が

自殺なんだよ

どんな心境だったのか

家族は?

友達は?

あなたの死の価値は2分だったけど、どう思うのか?

そのニュースを見ていた人達のリアクションは?

君の死には2分の価値しかなく、それもあっという間に世間は忘却していく。

本当の死なのかもしれない。

彼は2度死んだ。

自身の死と、世間からの死。


───────


気づいてないふりをして、気づいている。

あの自殺した子のニュースは、私の人生にはなんの関係もない。誰もが思っている事。

それこそ、ニュースキャスターが淡々と伝えて次の話題に移るように。

私の日常にはなんの変わりもない。朝の家族との友人達との会話に話す内容が一つ増えた程度。

今回の件だけではない。

日本では毎日これでもかと新しいニュースが流れる。

強盗、誘拐、殺人、自殺、災害、芸能ゴシップ、スポーツ、政治家の汚職、etc。

毎日、朝テレビから流れるニュースには、誰かしらが苦しんで、死んで、不倫して、結婚して、離婚して、会見して…。

でも、私の日常を侵すほどではない。

だから忘却する。

どこか俯瞰から見ている。

どこの誰かが死んだ。でも私の人生には影響はない…と。

どこどこで災害が…。私の住んでるところは関係ない。

私の日常にはなんら影響はない。今日も私の周りはつまらなく平和です。

どこかの国が戦争をしてたな。でも、私には関係ない。考えたところでどうしようもないからだ。私が戦争を止められるわけでもない。

ただの傍観者を気取ってる事に、本当は気づいている。

私には関係ない。

今日も明日も誰かが死ぬかもしれない。

でも、私には関係ない。だって、私は救えないから。

同年代が死んだというのに、インタビューされたいという不謹慎な事を言った友人と私はなんら変わりはない。

友人も他人事なので、そういうことが言える。

私も他人事だと思っているから、こうやって忘れていく。

きっと、明日には誰一人としてあの子の自殺のことなんて、無かったかのように、別の話で盛り上がるのだろう。

世界では毎日何百人も死んでる。

私の日常は変わっていないのに。

世界では飢えで苦しんでる人がいる。

私は母親の作った愛情たっぷりのご飯を毎日食す。

紛争地帯で戦っている同年代もいるかもしれない。

私は学校で、受験嫌だなと日常と戦っている。

世界で起こっていることは、全て私にとっては他人事。

人が死ぬ。私は生きている。

今日も寝て夢を見る。

取るに足りない平凡な夢を見ながら。

明日にはまた別の話題を見つけては、友人達との会話のネタになるんだろうな。

私の日常と世界の日常のズレを見て見ぬ振りをする。


───────


テレビを点けっぱなしで、宿題に挑んでいた。

私にとっては、難しい政治の話より、目の前の宿題の方が総裁選よりも重要。誰が総理大臣になろうが、私の宿題が楽になるわけでもない。

目の前の事で精一杯なんだ。

こんなの将来何の役に立つかもわからないけど、やらないと成績に響く。

それだけの世界から見たら、ゴミみたいなちっぽけな理由でこなしている。

宿題を終え、時刻は夜11時半。

そろそろ本読んで寝ようかなと、明日の支度をし、ベッドに向かう。

テレビは夜遅くに放送する報道番組だった。

キャスターが原稿通りの事を伝える。


{俳優の◯◯さんとアイドルの◯◯さんが焼肉店で食事をした後、俳優の◯◯さんの自宅に二人で入っていくところが目撃されました。

二人の所属事務所は、プライベートは本人に任せていますとコメント…}


友人の好きな俳優だ。ベッドに横になりながら、明日の話題はこれなんだろうな…と思い、テレビの電源をOFFにして、目覚まし時計をONにする。朝強めに押したが、壊れてはいなかった。よかったとどうでもいいことを思ってスマホに手を伸ばす。

また明日、友人達からクレームを受けるのだろうなと思いながら、スマホの電源を切る。

私の日常は今日から明日へとシフトしていく。

この間にも誰かが苦しんでるのかも。殺されてるのかも。でも関係ない。私には関係ない。

私の日常と世界の日常は違うのだから…。




















いつか、私が当事者になるまでは……



END

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私の日常、世界の日常 華也(カヤ) @kaya_666

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