第45話「五日目」第三ゲーム③ 不本意なエンドゲーム

「……では、カードオープン」


 第三ゲーム、最終的なハンドは以下のようなものとなった。




  

 〝ゼロ〟  6 3 2 1 1

 (レベル5を一枚、「グリーン・ピース」レベル6に入れ替えている)


 〝レイア〟 4 4 4 3 2

 (ドラフトしたカードをそのまま提出)


 〝アヤト〟 6 6 6 - 1

 (四枚あったレベル5をそれぞれ「ブラック・ポータル」レベル6×2と「グリーン・ピース」レベル6、そして「ディープ・ブルー」レベル-に入れ替えている) 






 〝キング〟は変わらずにフォールドを宣言。皆それどころではないからか、反応はほぼなかった。


 勝ちに行かねばならない〝アヤト〟は予想通りレア・カードをつぎ込んできた。


 「ブラック・ポータル」を使い潰してしまっているのは、もはやスキャニングが不可能だという自覚ゆえであろうか。


 だとしたら、しめたモノなのだが。


「……」


 〝アヤト〟は誰とも視線を合わせないでいる。――こちらとしてもその方が楽だ。


「では、この結果に対して何か対応しようという方はおられますか?」


 あきらかに〝ゼロ〟に向けての言葉が聞こえる。だが、この赤ベータの声もまるで他人事のように聞こえる。

 

 妙に息苦しく、不快だった。


 俺みたいな雑魚が、あの〝アヤト〟を追い詰めているのだ。本来なら胸のすく思いがするはずだ。


 しかし、こんなにも憔悴しきったような〝アヤト〟を前にしても〝ゼロ〟の胸にはどんな快哉の、その予感さえ訪れなかった。


 正直、見るに堪えなかった。


 だからこそ、もう、ここで決めてしまいたい。


 そう言う心理も手伝ってか、仕掛ける〝ゼロ〟の判断も早かった。


 将棋で言えば、終盤の「寄せ」の段階だ。つまり、相手の玉を詰みに向かって追い詰めていくという作業に近い。


 細かい手管は必要ない。シンプルに詰むところまで持っていけばいい。淡々と確実に追い詰めていけばいいのだ。


 ――躊躇ちゅうちょは、不要だ。


「対応するぞ。「シルバー・バレッド」をスキャニングする!」


「はい。ではどうされますか?」


 白ベータが問い返してくる。


 「シルバー・バレッド」は、文字通り、魔物に対する「銀の弾丸」よろしく、いざというときに必要なカードをピンポイントで取り寄せられるというカードだ。




「銀の銃弾(シルバー・バレッド)」レベル:7  


 このカードが対峙するカードに勝利した場合、所有者のプレイヤーは自分のカードセットのカードを1枚だけ、自分のデッキの外にあるカードを取り換えてもよい。 




 しかし、〝ゼロ〟が自分のデッキの中から任意のカードを使用するという事は出来ない。


 ゆえに、〝ゼロ〟は隣の席の〝レイア〟に視線を振る。


「これ、渡して」


 〝レイア〟は自分が用意していたデッキから、一枚のカードを取り出して、両者の間に立っていた白ベータに手渡した。


 それを受け取った〝ゼロ〟は、〝アヤト〟を見る。目が合う。


 レベル5を排除することが出来て、ほっと息をついていたであろう〝アヤト〟は、唖然として〝ゼロ〟の行為を見ていた。


 そして、次の瞬間、その意味を悟ったのであろう。


 その冷えて弛緩したようだった表情を一気に沸騰させるがごとく、変貌させる。


 そう、〝ゼロ〟がやろうとしているのはあの〝シード〟が取ったおぞましき戦法と同じことなのである。


 〝アヤト〟の憎悪を真正面から受けとめながら、〝ゼロ〟は、それでも躊躇しない。


 ――これで、終わらせる。


「「シルバー・バレッド」の効果でハンドの「グリーン・ピース」をこのに入れ替える!」


 〝レイア〟から受け取ったカード、それはだった。


 そして、このレベル5の得点獲得条件は、「このゲームに勝利した者に特典を与える」と言うもの。


 当然、このゲームに勝つのは、4枚ものレア・カードをつぎ込んでいる〝アヤト〟だ。


 〝ゼロ〟は、一度はレベル5から〝アヤト〟を救っておきながら、今度はあえてという挙に出たのだった。


「フォールドしろ!」


 苦渋の決断を反故にされ言葉を失っている〝アヤト〟へ、〝ゼロ〟はすかさず言葉を掛ける。


「降りないなら、このカードを俺の手札の加える。どうなるかはわかるな?」


 〝ゼロ〟は、レベル5のカードを印籠よろしく掲げ、〝アヤト〟へ突きつける。


 「シルバーバレッド」の文面は「入れ替えてもよい」と言う表記になっているため、スキャニングをしてそのコストを支払ったとしても、特典を行使するか否かはプレイヤーの意思にゆだねられる。


 〝ゼロ〟は、このままこの凶器の如きカードを手札に加えてもいいし、加えなくてもいいわけだ。


「――楽しいですか!? 後の無い相手を玩弄してッッ」


 生殺与奪の権を奪われた形の〝アヤト〟は、呪いかけるような声を浴びせてくる。しかし、〝ゼロ〟は動じない。


「なんにも、全く、楽しくねぇよ。――お前と違ってな」


 〝アヤト〟は押し黙る。煽りたいわけでも論破したいわけでもない。〝ゼロ〟にしてみれば本心だった。


 こんなこと、何一つとして楽しくはない。


 相手を盤外戦術でハメて、チートつかって、一方的に相手を叩き潰して、オモチャにするなんて。


 こんなの、何が楽しいってんだ?


 正々堂々なんてガラじゃないし、スポーツマンシップも縁が無い。そんなキラキラしたヤツらの真似なんて、したくもない。


 けど、ルールは守りたい。ゲームである以上、最低限のルールを守らなきゃ、そんなもんなにも楽しくなんかねぇよ。


 そんなのを楽しめるっていうのはさ、どこかおかしいんだ。おかしくなっちまってるヤツなんだ。


 ――お前も最初から正気じゃなかったのかもな。


 だから、あんなことをしたんじゃないのか?


 だったら、許すよ。


 俺は、お前を許す。心神喪失? 精神的錯乱? 詳しいことは何もわからないけどさ、そう言う状態で罪を犯した人間を、人は罪に問えないって言うじゃないか。


 なら、俺はもうお前を恨まない。


 お前をそうしちまったものこそが、俺たちが今、立ち向かわなきゃならないものなんじゃないか?


 ――甘すぎるかな? 〝レイア〟はきっとそう言うかもしれない。でもと、今なら思える。



 




 〝ゼロ〟は改めて、真っ直ぐな声で、そして視線で〝アヤト〟を見据えた。その瞳には、もはや薄ら暗い陰はない。


 〝アヤト〟を脅すのでもなく、ただ、真摯に言い聞かせるように、語り掛ける。


「もう止めろ。フォールドできないなら、このままゲームの参加権を放棄するんだ」


「ふざけないでください! 何をバカなことを――」


「お前の望みは俺たちが叶える!」


「――ッ!?」


 〝ゼロ〟がしっかりとした語調で、断言したその言葉に、〝アヤト〟は息を呑んだ。


 ――ありえないって言いたいんだろうな。けど、そんなことはないんだよ。


「俺たちの望みは、俺たちと全てのオメガの「命の保証と自由」だ。そこに、お前も加える!」


 自分から、そう言うものを断ち切ったりはしないでくれ。お前はそんなに頭の悪い奴じゃないだろ?


「どこまで望みが叶うのか、俺たちには解らない。だが、賭けてみる価値はあるはずだ! ――違うか?」

 





「……良いですね。素晴らしいです。それは、とても、感動的で、いい終わり方なのかもしれません」


 しばし押し黙った後、〝アヤト〟はどこか希薄な、空気がひゅうッと抜けるみたいな声をもらした。


「――なら、」


「ですが、お断りします」


「……なんでだよ!」


 〝ゼロ〟は思わず立ち上がり、ボックスを殴りつけていた。――やりきれない。あまりにも。


「良いですよね。――――それを信じられるならどんなにいいことか……」


「俺は、もうお前を恨んじゃいない。仕返しなんてするつもりはない。もう、何とかしれて、全員でこのバカげたゲームから生還したいんだよ!」


 〝ゼロ〟は必死に声を張る。だが、それは届かない。


「あなたごときに、情けを掛けられる覚えは有りません。恨んでしない? だから何です? 何様のつもりですか? ――最初から許しを請うつもりなてないんですよ!」


「おまえ……」


「――は止めろと言ったでしょう!!」


 〝アヤト〟は続けざまに叫ぶ。状況が分かっていないわけではないのだろう。それでも止まる気がないのだけはよくわかった。


「だいたい。勝ち目がないなどと勝手に決めつけないでください。――この状況、わたくしのどこが危険だというのですか? このまま素直に勝つだけのことです」


「バカ言うな。――これが見えないのか」


「だって、貴方はそれを取り下げてくれるのでしょう?」


 哀願――ではなく、まるで相手の齟齬そごを指摘するかのような鋭さで〝アヤト〟は言い放った。


「出来もしないことを誇らしげに語るものではありませんね。これ以上滑稽なものもありません」


「脅しだと――思ってるのか?」


「ええ。そうです。そう思っています。どうぞ? ――やって見せてくださいな。私が切り刻まれるのを見たいなら」


「……」


「どうしました? できませんか? なら、貴方こそフォールドしていただけますか?」


 〝ゼロ〟は押し黙った。


 そう来るのかよ。――バカ正直に喋りすぎたか? 逆に警戒させちまったってことなのか? 


「ハッタリの意味がないんですよ! 引き金を引けもしない人間が、銃を振りかざしたところで脅しにすらならない!」


 〝アヤト〟は、やつれた顔でなお、颯爽と髪を掻きあげる。


「私を見殺しにできるだけの覚悟もないくせに……。あなたは、最後には降りる。


「出来ない、じゃない。――したくないっていってるんだ」


「いいえ、出来ませんね。あなたは心が弱すぎる。わたくしが憎いからと言って、死ぬような目に合うのを承知で何かを決断できますか? 出来ないでしょう? だから、貴方は指し手ではなく、駒にしかなれない。わたくしは安心してこのままゲームできます。そんなレベル5を恐れる必要な度ありませんッ」


 ――違う! ――いや、違う、のか? わからない。


 俺にはわからない。確かに俺には何が正しいのかわからない。だけど、――それでも、この決断と選択には後悔しないって思う。それだけは確かだ!


 それに、俺は〝アヤト〟の言う強さなんて、欲しいとは思えない。

 

 なら、――――なら、俺は!


「〝ゼロ〟様、どうなさりますか?」


 動きを止めていた〝ゼロ〟が、いざ、動き出そうとしたその時、なぜかその気勢を挫くようにして、白ベータが語りかけてきた。


 ……お前さぁ。


 視線の先にあるタイマーを見上げれば、残り時間は10分を切っている。なるほど、このゲーム、いろいろあったからな。司会進行としては焦るのも変わるさ。


 でもさ、それはそれとして、お前ホンッッットにタイミング悪いよな。感心するほど空気も読めねぇし。


「なにか?」


「何でもねーよ」


 今更なので、コイツに何かを言うつもりはない。


 邪魔が入ったが、心は決まった。――たとえ、どんな結果になるとしても。


「睨んでみても、無駄ですよ?」


 〝アヤト〟はしかし、そんな〝ゼロ〟の視線を逆に睨みつけるようにして受けとめている。


「――止めといたら?」


 と、そこで在らぬ方から声が聞こえた。――〝レイア〟だ。


「そのバカが降りてもアタシは降りない」


 その声は〝ゼロ〟ではなく、〝アヤト〟に向けられている。


「……人のことを言える頭ですか? アナタ方が二人で協力してチップを獲得するから問題なのです。私は既に十分チップを得ています」


 そう言って、〝アヤト〟は勝ち誇ったように、無言のままの〝ゼロ〟を見る。


「片方が降りるなら。わたくしもフォールドで問題ないんです。貴女一人ならなんのこともない」


「かもね。でもやっぱやめた方が良いわ、アンタ。ここにきて誰かの甘さにすがりつくしかないなんて、のがバレバレ」


 〝アヤト〟の言葉に動じることもなく、〝レイア〟は言い放った。〝アヤト〟の貌が、傍からも見て取れるほど、困惑に歪む。


「……縋り付いてなどいません。駒の持つ弱みを利用しているだけです」


 すると、〝アヤト〟は「そーかなー」と言いつつふんぞり返り、ボックスの上に足を乗せた。


「そんなふうに見えないんだよねー。だってさ、そこのバカがいくらお人よしだって言ってもさ、万が一がある賭けに出るなんて、らしくないんじゃない? ――だって」


 〝アヤト〟が何かを言おうとする。しかし、その吸気が言葉に変わるよりも早く、〝レイア〟は突きつける。


「自分が大事だもんねアンタ。――そもそもハッタリになってないんだよ」


「……なにを、知ったようなことを……」


「アンタ、頭いいし、いろいろと恵まれてるし、その上いろいろチートとかあんのかもしれないけどさ」


 言いよどむ〝アヤト〟をあえて取り合わずに、〝レイア〟はふんぞり返ったまま、言葉を続ける。


かもしんないけど、自分が有利な状況でないと不安で仕方ないんでしょ? もう隠しきれてもないけど」


 〝アヤト〟はその言葉に幾度となく言葉を返そうとしているが、言葉が言葉にならないかのように、まるで息の仕方を忘れたみたいに、口を開いては閉じてを繰り返している。


「足場が崩れるともうどうしようもないんでしょ? もう吹っかけるもくそもない――駆け引きやってるようで、実は必死で安全圏に逃げようとしてるだけ」


 一方の〝レイア〟は〝アヤト〟の方を見もせず、自分の手の辺りを弄りながら、放るように言葉を続ける。


 しかしその声はどこか確信に満ち、余人に口を差し挟む余地を見失わせるものだった。


「はっきり言って、向いてないよ。こんなにはさ」


「……貴方こそ、似合いませんよ? 他人を分析する前に、まずは自己分析できるだけの……」 


 ようやく絞り出した言葉は、〝レイア〟が突き出したに遮られる。


「だって、耐えらないでしょ? アンタ、こういうの」


 突きつけられたのは遠間からでも解る傷跡。〝レイア〟が自分で切り離した小指の切断面だった。


 手を弄ってたのは治療用のガーゼや包帯を取り払ってたのか。


 その切株みたいな断面を突きつけられた〝アヤト〟は、一瞬笑い飛ばすかのように貌をたわめようとしたが、――その頬や口角は上手く形にならず、グニャグニャと歪んで、最後には、子供みたいな顔になって――


「し――まって、ください」


 また、顔を伏せてしまった。細い身体をくの字に折って。


「なんでよ? お子様には刺激が強かった?」


 ……一応補足しとくが、大の男でも普通は引くからな? 誰もがお前みたいに覚悟完了してねぇんだよ。


「やっぱやめた方が良いよ。自分がかもって状況で、アンタは無理ができない」


 〝ゼロ〟の内心のツッコミも知らず、妙な貫録を見せつけている〝レイア〟は指を治めた。


 すかさず、黒ベータが新しい包帯を巻きはじめる。


「カッテに取るナ」


「別に良いでしょ。アタシの指だし」


 一方〝アヤト〟は再び、自分自身を必死で掻き抱くようにして蒼ざめている。


 そして真っ白に血の気の失せた細い顎の先からは、見るからに冷たそうな汗が滴っている。


「――で、状況はとっくにそうなってるわけ。だから言ってんの、もう止めた方が良いってさ」


 〝レイア〟は再び椅子に座りなおしてから、今度はじっと、膝を抱えて猫が何かを見つめるみたいにして〝アヤト〟に視線を送る。


 感情のこもらぬ視線だ。しかし、それすらも、今の〝アヤト〟は見返すことが出来ていない。


「フォールドしてくれ、頼む」


 〝ゼロ〟も言葉を重ねる。しかし、それでも〝アヤト〟は、応えない。


「……〝アヤト〟様。どうされますか?」


「――なにも、なにも変わりません。わたくしは、降りない。チップを獲得して、次のゲームに進みます」


 〝アヤト〟は〝レイア〟ではなく、〝ゼロ〟を見ながら、抑揚のない声で、言う。


 すべてを放棄するかのように。全ての決断を誰かに投げるかのように。何かを期待するか幼子のように。


「〝ゼロ〟様――」


「「シルバー・バレッド」の特典を実行する。カードはレベル5に交換だ」


 白ベータの問う言葉を差し置いて、〝ゼロ〟は宣言した。〝レイア〟から受け取ったレベル5を、しっかりとボックスのはめ込む。


 これで、このゲームの勝者はレベル5の特典を受けることになる。


 〝アヤト〟は、何の表情も浮かべず、ぼんやりと、〝ゼロ〟を見ていた。








「……では、ゲームセットとなります」


「このゲームの勝者は〝アヤト〟様と決定いたしました」


「いやぁ、すばらしい。ここまで全勝とは。この後も素晴らしいご活躍を」


「黙ってろ!!」


 〝ゼロ〟が赤ベータの口上を遮った。


 あの〝ツーペア〟がどんな人間なのか知れたせいで、この男がそれに似た、上っ面だけですべてを転がそうとする奴なんだと理解できた。


 〝ツーペア〟と違って、こっちはその上っ面の裏に何か、――もっと邪悪なものが潜んでいそうな気がするが。


「仰せのままに」


 赤ベータは〝ゼロ〟の言葉に慇懃にそう応えた。


 〝アヤト〟の背後には、いつの間にかベータたちが、揃っており、一通りの器具を持ってすでにスタンバっていた。


 よりどりみどりの医療器具、或いは工具のような器具が複数のカートの上に立ち並ぶ。


 異様な光景だ。


 それを振り返り見た〝アヤト〟は反応らしい反応を見せなかった。ただ、誘われるままに、それらの器具が並べられている中心へと進み出る。


「……さて、レベル5の特典の内容ですが、『肉、皮、骨等、一種類の体組織を選び、300g分提出する』というものですね」


 〝アヤト〟はまるで夢の中に居るかのような、呆けた顔でそれを聞いていた。


「せ、選択権は〝アヤト〟様にございます。どの組織を選ばれますか?」


「……肉か、骨か」


「あるいは皮か」


「……はい、その。――その……」


 ベータ達の続ける言葉に、〝アヤト〟は夢うつつであるかのように応答する。


 それを現実とは受け入れられていないかのように。しかし、その身体は、どうしようもないくらい、小刻みに震えている。


「どうされますか? 〝アヤト〟様」


 〝アヤト〟を逃がさぬようにか、その背後に回った白ベータが、問う。まるでそれが当然のことであるかのように。


 〝アヤト〟の目の前には、手術用の装束に着替えたベータたちがわらわらと群がっている。――用意周到なこったな!!


 〝ゼロ〟はこれ以上ない嫌悪感を込めてベータ達を睨みつける。


 どうしてお前らは、決まりだからって理由で、そんなことが出来るんだ!?


にしなよ。クヒヒッ。――多少切り取っても平気だからさァ」


 唐突に、席に着いたままの〝キング〟がそんなことを言った。


「筋肉や骨っていうのはやめてほしいなぁ。できるだけ傷を着けないでほしんだ。――とてもきれいな身体だろうからねぇ……」


「お前――!!」


 〝ゼロ〟は思わず〝キング〟に詰め寄ろうとした。しかし、それをベータ達に阻まれる。


「クヒヒ。でもいいアドバイスだろ? ――これなら普通の手術と変わらないよ?」


「……どうなさいますか? 〝アヤト〟様。臓器の類も、確かに一種の体組織と言えます。そのようになさいますか?」


 ベターな選択だと思われたのか、手術着姿のベータたちが機敏に対応している。


 そこで、――改めて問いかけたオレンジのベータではなく、別のところへ向けて〝アヤト〟は声をかけた。 


「――あの、」


 声は、〝キング〟に詰め寄ろうとしていた〝ゼロ〟に掛けられていた。


 〝ゼロ〟は〝アヤト〟に向き直り、駆け寄る。


「――あの、――助けて、くれないんですか?」


 事の次第を呑み込めていないみたいに、不思議そうな顔をした〝アヤト〟は言う。その唇を震わせて。


 〝ゼロ〟は、奥歯を噛みしめた。ゴリ、と何かが砕けるような音が聞こえた。


「プレイヤー権を放棄しろ!」


 乗り出すようににして〝ゼロ〟は叫ぶ。声に朱い血が入り混じる。


「……出来ない、です」


「なんでだ!? ここで負けたって、ちゃんと家に帰れるって」


「負けたら――だって、負けたら、帰るところ、なんて……」


 言いさした〝アヤト〟は両手で顔を覆い、口を噤んだ。


 そして、初めて――ボロボロと大粒の涙を流した。


 両手で抑え込んだ指の隙間から、何かが溢れだそうとするかのように見える。

 

 恐怖、悲鳴、嗚咽、哀願――すべてを抑え込むようにして。


「〝ゼロ〟様、――ゲームは完了しております。一度確定してしまった特典を失くす事は出来ません。〝アヤト〟様がプレイヤーでなくなったとしても、この特典がなくなることは」


「ねぇ、ソイツ黙らせて」


「魅力的ナ提案ダな――」


 〝レイア〟の言葉に、黒ベータが揚々と応える。


「おおっと」


 赤ベータは二度目はご勘弁と言わんばかりに、逃げ退った。


「――頼む!! 信じてくれ、そう言ってくれれば、何とかする! 助けるから――」


 〝アヤト〟は困ったような顔をした後、しかし、スイッチを切るみたいに、一切の感情を消した。


 もはや視線は〝ゼロ〟を見ず、耳は〝ゼロ〟の音を拾わなくなった。


 生きているまま死んでしまったかのようだった。それこそ色褪せるみたいに。


「……〝アヤト〟様。お答えいただけない場合、〝キング〟様の提案に従ったとみなしますが」


 〝アヤト〟は何も応えず、そして、暫くしてからわずかに頷いた。


「――ッッッ!!」


 〝ゼロ〟は全身を拳みたいにして握りしめる。


「肝臓は人体の中でもで最も重い臓器です。多少切り取っても、問題は有りません」


 白ベータが補足するみたいに〝ゼロ〟へと呟く。だが、それは〝ゼロ〟の何をも慰撫することはない。


 その間にも、〝アヤト〟は移動式の無菌室みたいなものの中に運ばれていく。その中で、一人のベータがメスを手にしているのが見えた。


 今から、それで、何の問題もない臓器を、それがルールだからという理由で、切り取るために。


零愛レイア!!」


 ――――限界だった。〝ゼロ〟は叫んだ。当の〝レイア〟が応えるのを待たず、一方的に告げる。


「――ごめん!」 


 一方的な謝罪を、押し付けるみたいにして言い渡す。


 反対されても、止まることは出来ないと思われた。


「『血』だ――。! それで問題はないんだろ!!」


 〝ゼロ〟は叫んだ。我慢が出来なかった。


 例え一般的な手術の範囲、などと言われても、やはり、目の前で少女が身体を切り開かれるのを見過ごすことが出来なかった。


「……はい」


 一瞬、場は静まり返った。そしてオレンジのベータが、「確かにそれでもかまいません」とで言うかのような、むしろ素気ないとでもいうような声色で応える。

 

 血液の提出。つまりは採血で済むのだ。このカードはレベル5の中でも特異な「セーフティ」だったのだ。


 要するに、使い方次第でレベル5の特典を獲得しながら、致命的な負傷を追わなくても済む。そんな地雷原の中のセーフゾーンみたいなカードだったのだ。


 ヒントになったのは、あるレベル4のフレーバーテキストだ。


 

 『血も肉の一部? 否、血は一滴たりとも流してはならぬ』



 これらのフレーバーテキストが、一見意味のない文言であるかのように見えて、じっさいには今ゲームの各所の謎に対するヒントになっている、というのは二日目の「蜘蛛の糸」の時点でわかっていた。


 ただ、最後の最後まで確信は持てていなかった。ベータも誰もこの細微なルールについては明言を避けるからだ。


 できれば、ギリギリまで使いたくはなかったカードだった。


 〝レイア〟がわざわざこのカードをデッキにの中に持ち込んでいたのも、万一の場合に備えてのものだった。


「そ――それを、「血」を選びます!」


 〝アヤト〟が声を上げた。


「……問題ありません。一度決定したら変えられない、などと言うルールは有りませんので」


 ベータたちは一瞬顔を見合わせたが、オレンジのベータが取りまとめた。


 とにかく、これでやることは「ただの献血」だ。――できれば、これを教える前にプレイヤー権を放棄してもらいたかったんだが……。







「悪りぃ……」


「止める気なら、何してでも止めてるよアタシは」


 〝ゼロ〟が改めて謝意を述べると、〝レイア〟はそっけない声でそんな事を言う。――確かに、ホントに止める気なら蹴りのひとつでも寄越すよな、お前の場合。


 最初から、脅すのが目的だった。


 むしろ、このセーフティのカラクリがあるからこそ、限界まで揺さぶりを掛けられたというべきか。


 当然、〝アヤト〟も、ここまで追い詰められていなければ、普通に気付いていただろう。


 だからこそ、この状況でのみ、この状況でこそ、活きるはずのカードだった。しかし、活かすことは敵わなかった。


 明らかな失態だ。この先は、本当にノープランなのだ。あと二戦、どう乗り切ればいいのか。


 考えながらも、ゼロの心は軽かった。


「なーにキモい顔してんの。あとは勝つだけじゃん」


 すると、隣で〝レイア〟が、笑いながら〝ゼロ〟の肩を小突く。


「……ああ、そうだな。勝とう」


 〝ゼロ〟も笑い返す。


 やっぱり、隣にいるのがお前でよかったよ。


 ――でもキモいはひどくない?

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