第49話「七日目」最期の夜


 島の頂上から見上げているせいか、今日は、妙に星が多い気がする。


 あの日の空を――夜を思い出す。真に暗き夜の空。


 覚えてはいないけど、きっと、こんなふうに、降るような星空だったんだろう。


 ゲーム七日目。最期の真夜――最後の夜だった。


「――にしても、今回はつまらなかったねぇ」


 島の頂上に位置するゲーム会場へ姿を現したのは全てのベータ・シープを引き連れた〝キング〟だった。


「最終日に一人っていうのはいつものことだけど、六日目ぐらいまでは一人や二人残るもんなんだけどねぇ」


 ひきつるような吸気で笑いながら、〝キング〟は夜露に濡れる芝生の上を、ズカズカと進んでいく。


 応える声はない。傍らの赤ベータが〝キング〟の視線を受けて肩を竦めるばかりだ。


 得意満面と言った具合にダブダブとゆるんでいたその顔が、そこで不意に、硬直した。


 今から踏み入ろうとした最終会場の前、その出入り口の辺りに、何か、血斑ちまだらの何かが寄り掛かっているのだ。


 〝キング〟でなくとも目を剥くことだろう。


 〝キング〟は一度、あんぐりと口を開けて驚愕していた――が、すぐにむせ返っているかのような笑いを張りあげる。


「アハッ――――まさかねぇ?」

 

 それは〝ゼロ〟だった。


 目深に被ったフードとパーカーは血が滲み、見るも無残な有り様となっている。


 その下からのぞく手足や首元、つまり全身が傷だらけな様で、これも血まみれの包帯が雑に巻きつけてある状態だ。


 これには、〝キング〟と連れ立ってきたベータ達も目を剥いている。


 当然だろう。こんな登場を予想できるヤツはいない。


 でなければ、ここまでやった意味がない。


「なるほどぉ? を昇ってきたわけ、か」


 ベータたちが動揺を隠せずにざわつく中、〝キング〟は一人、さほど驚きもせずグヒィッ、と、相変わらず耳障りな嘲笑を漏らした。


「過去にも何人かいたよ、キミみたいなおバカさんが。大半は落ちて上がってこなかったし、上がってきても君みたいに血だらけだった」


 たるんだ顎をさすりながら、〝キング〟は、〝ゼロ〟ににじり寄ってくる。


「よく頑張ったねぇ。素人で、なんの用意もないのに。そのうえ、たった二日で。以前登りきった奴は、少なくとも三日はかかってたのにねぇ」


「……」


「特に、夜に昇るのは自殺行為だからねぇ。昼の間に、少しずつ昇って来るしかない。何日もかけてねぇ。――もっとも、そんなやり方で昇ってきても、意味なんてないんだけどね。最後のゲームでボクに勝てるわけもないんだからぁ。ブヒヒッ♪」


 〝キング〟は〝ゼロ〟の眼前、――と言うには少々間の空いた地点で足を止めた。 


「何度思い出しても笑えてくるよぉ。せっかく昇ってきたのにっていう、あのカオッ」


 そして抱えきれていない太鼓腹を抱えて、また汚らしく笑う。


「クヒッ、にしても、君は思ったよりも根性があるねぇ? あ、それとも? そうせざるを得ないくらい怒ってるっていう意思表示かな?」


 〝ゼロ〟は応えない。ただ、血に染まった前髪とフード越しに、〝キング〟を睨み付けるだけだ。


「だろうねぇ。君はあの娘と仲がいいみたいだったもんねぇ。――バカなやつだったよねぇ。ぼくの言うとおりにしておけばよかったのに。君だって、今はそう思ってるんだろう?


「どうでもいい。――もう、お前と喋ることはない」


 〝ゼロ〟は静かにしっかりと、それだけを告げた。


 喋る必要はない。何をどうしても、何も還らない。何も戻らない。取り返しなど付かない。

 

 だから、喋る必要はない。


 ただ、俺は、俺のすべきことをするだけだ。


「ふぅ~ん? でも残念だったねぇ。――きみじゃあ、ここまでたどり着いても意味がないんじゃないの?」


 無駄だよ無駄ァ――。と、〝キング〟は今度こそ壁に背を預けて座る〝ゼロ〟のすぐ前まで歩み寄り、そこでおどけた様に、もう一度距離を取った。


「おっと危ない。これでまた暴力を振るわれたら適わないからねぇ。あぁ、こわいこわい」


 そこでまた、ブヒヒッ、と耳障りな笑い声を上げる。


「とにかく、おしゃべりもしないなら、キミにできることはないねぇ。残念だなぁ。知っての通り、ベータ彼等は話し相手にはなってくれないからねぇ。勝ちが決まっちゃうと、なおさらさぁ」


 〝ゼロ〟はフード越しの視線を上げた。見据えるのは、彼の前に居る〝キング〟ではない。その後ろに並び立つベータ。そのうちの一人。


「本当に残念だよ。最後の夜に一人じゃあ、つまらないからねぇ。誰かと語らいながら日の出を迎えたかった……」


「――それはどうか解りませんが」

 

 〝ゼロ〟の視線に応えるように、声が上がった。固く淡々とした女の声だ。


「寂しがる必要はないかと思います。今宵、「最後のゲーム」が〝キング〟様を待っていますので」


 集団の中から歩み出した白ベータが続ける。


 その語韻ごいんはいつも通りのようでいて、しかし何処か毅然として戦慄くような響きを孕んでいた。


「――どういうことだい?」


 〝キング〟が呟く。


 その問いには答えず、白ベータは〝ゼロ〟の前にまで歩み寄り、持っていたデッキケースを、〝ゼロ〟に手渡した。


「つまりは、こういう事、です」


 そして、血に染まった〝ゼロ〟の手を取り、立ち上がるのに手を貸す。


「〝ゼロ〟様の指示です。――いえ、賭けと言うべきでしょうか? 最終日の真夜までに、自分が最終会場までたどり着けたなら――」


「もう一度だけ、俺に付けってな」


 〝ゼロ〟の言葉を皮切りに、巨漢の黒ベータ、青、銀、オレンジ、チビ黒や金斑の見知った者や、そうでない者まで、10名以上のベータが、〝キング〟の背後から歩みだし、白ベータに倣うように〝ゼロ〟に傍らに並び立った。


「こ、の――――お前らぁッ!!」


「――意味がないように思えますがね」


 言葉にならない罵声を吐き散らそうとした〝キング〟に先んじて、赤ベータが声を上げた。


「今更、なにをしたところで――ねぇ? 結果は何も変わりませんよ?」


 〝キング〟は背後で声をあげた赤ベータ振り返り、そしてニタッと笑いを噛み潰しながら、離反したベータ達を見る。


「――そうだねぇ。そうだねぇそうだねぇ。結果は何も変わらないんだ。行きたいなら、行けばいいさ。ヒヒぃッ。どうせ、ぼくに勝てる可能性は〝ゼロ〟なんだから」


「ですので、皆さん考え直されてはいかがですか? なんと言いますか、まるで無意味かと」


「心配には及びません。――そこまで世話を焼かれる謂れは有りませんので」


 赤ベータの言葉に、白が切って落とすような言葉で応答する。


「彼はやり遂げた。ならば答えるのが我々の使です」


 白ベータが重ねて断じ、赤ベータはただ肩を竦め、その軽口を閉じて沈黙した。


 ここに来て、コイツ等にも決定的な対立が生まれたようだな。


 ――もっとも、俺にはそんなものを気に掛ける余裕はない。


 前提は成った。後は、勝つだけだ。このゲームでな! 

 

「……では、始めましょう。――最終ゲームです」


 すると、オレンジがここぞとばかりに音頭を取り始める。






 今や二つの徒党に分裂した30名ものベータは、二人のプレイヤーにそれぞれ引き連れられて会場入りする。


 中は――簡素だった。清潔感のある白い空間が広がるだけだ。


 印象としては〝アヤト〟が、そして〝レイア〟が脱落した第五ゲームに、そして小規模な造りは初日に〝ソノダ〟と戦った第一ゲームの会場に似ていた。


 中にあるのは一台ののボックスと、これまでの会場と同様、軽い飲食ができるテーブルと食器の類いだけだった。


「グヒッ。キミは初めてだね。――僕は何度も来てるけど」


 〝ゼロ〟は何も答えず、ボックスを挟んで向かい合うように〝キング〟と対峙する。


 いまさら質問することなど、あるはずもない。


「……では、最終ゲームのルールを説明させていただきます」


 両者の背後にはあの〝ソノダ〟の時と同じように白とそして赤ベータが付き従い、音頭を取るのはオレンジのベータだ。


 奇妙に、因縁めいたものを感じる。だが、取り合っている暇などない。


 会場の内装と同様に、この最終ゲームの特種ルールも簡素なものだった。


 即ち、〝全てのレア・カードを使い切る〟こと。


 たとえ優勢にゲームを進めていても、カードが一枚でも残っているならば、それは勝利にならない。


 それが、この最終ゲームのルールだ。


 それは即ち、〝キング〟の「ストレンジ・マーブル」も、最期には手札として消費しなければならないという事になる。


「妙な期待をしない方が良いと思うなぁ」


 ボックスを挟んだ〝キング〟が 告げてくる。


「ぼくにはスキャニングの限界が無いっていうのは、どんなルールの会場でも同じなんだから」


「御託はいい。――さっさと始めよう」





 ベータ達の離反劇によって、両者の所有するレア・カードは以下の通りとなった。




〝ゼロ〟の所有するレア・カード一覧(13枚)



 ホワイト・ポータル


 ブラック・ポータル


 ブラック・ポータル


 エージェント・オレンジ(ブランク)


 シルバー・バレッド


 ゴールド・イクリプス


 サンライト・イエロー

 

 ディープ・ブルー


 ディープ・ブルー


 ブルー・フィルム 


 ブラック・リスト


 ダーティ・レッド 


 エア・アズール



〝キング〟の所有するレア・カード一覧(17枚)



 ストレンジ・マーブル


 レッド・パージ


 ゴールド・ラッシュ 


 ブラック・ポータル


 ブラック・ポータル


 ブラック・リスト


 ブラック・スワン


 グリーン・ピース


 グリーン・ピース


 グリーン・ピース


 ディープ・ブルー


 ダーティ・レッド


 サウンド・オーカー


 ブロンズ・スタチュー


 ピンキー・ウェア


 ブラウニー・ブラウニー 


 インペリアル・パープル



 

 レア・カードを持たず、クエストを行う余地のなかった〝ゼロ〟はもとより、ゲームを行うとは思っていなかったらしい〝キング〟も、ともに通常カードを所有しておらず、互いに二分されたレア・カードのみをもってのゲームとなる。


 総数はさすがに〝キング〟の方が多いが、全てを使い切らなければならないという会場ルールがある以上、カードの方が直接勝利に結びつくわけでもない。


 進展は速やかだった。


 どちらが言いだすでもなく五枚セットでのゲーム。


 両者とも迷いなくカードをセットした。


「……では、カードオープンとなります」




〝ゼロ〟

 

 ディープ・ブルー    レベル-


 ディープ・ブルー    レベル-


 ブルー・フィルム    レベル10


 ブラック・リスト    レベル10


 ゴールド・イクリプス  レベル10





〝キング〟


 ピンキー・ウェア    レベル8


 ブロンズ・スタチュー  レベル8


 インペリアル・パープル レベル10 


 ブラック・リスト    レベル10


 ディープ・ブルー    レベル-






 両者ともに、最初から考え得る限り、最強のハンドを作って望むこととなった。


 カードの総数そのものは〝キング〟の方が多いようだが、カードのレベルは〝ゼロ〟のレア・カードの方が高いようだ。


 しかし、普通に考えるなら二度・三度とゲームをしなければならないのだから、「ディープ・ブルー」のような「勝ち確」のカードは次のゲームに回すべき、と考えるべきだったかもしれない。


「せぇいかい、だよ」  

 

 しかし、カードオープンの直後、〝キング〟が呟く。


「カードを使い切らなきゃならないから、二度目、三度目のゲームがある。――なんて生温いことをにはならないって、流石に気付くよねぇ」


 ――流石はここまで上がってきた、ぼくのライバルだぁ。


 などと、〝キング〟は鼻の先まで優越感に浸りきったかのような視線を、〝ゼロ〟に向けてくる。


「ぼくはね、で、もう決めるつもりだよ!」


 言って、〝キング〟はスキャニングをする。


「「グリーン・ピース」を使うよ、選ぶ効果は〝相手のデッキの中から、カードをランダムで2枚、破棄させる〟だ!」




「矮小なるな緑の徒(グリーン・ピース)」レベル6


 このカードが対峙するカードに勝利した場合、所有者のプレイヤーは以下の三つから効果を一つ選び、実行してよい。


 1 相手のデッキの中からランダムで2枚のカードを破棄させる。


 2 好きな数のカードを選び、それらのカードのレベルを引き上げる。増幅する値は合計2までとする。


 3 最大2人まで、相手のプレイヤーがセットしたカードセットを確認する。




 すると、〝ゼロ〟の持っていたデッキから2枚のカードが機械的な音と共にせり出してきた。


「キミのカードが残ってても面倒だからね、在庫処分をしておいてあげるよぉ」


「……〝ゼロ〟様、対応なされますか?」


「しないッ」


 白ベータが、無言で手を差し出してくる。〝ゼロ〟はせり出してきたカードをデッキから引き抜いて渡す。


「このカードも、使用したって扱いになるのか?」


「そうだよぉ。もっとも、そのカードは最後までキミのカードってことになるんだけどねぇ。――バカなことをしたねぇ、キミたち」


 〝キング〟は〝ゼロ〟ではなく、白ベータへ向けて唾を飛ばすように言った。


「〝キング〟様、ゲームと関係のない話は……」


 背後からの赤ベータの言葉に、〝キング〟は一旦押し黙った後で、改めて〝ゼロ〟に向き直る。


「まぁいいよ。じゃあ、後は同じように、「グリーン・ピース」を使用させてもらおうか。キミのデッキが空になるまでねぇ」


「その前に、俺がスキャニングする! ――「エア・アズール」だ!!」



 

「色即是空(エア・アズール)」 レベル0


 このカードが開示された時点で、所有者のプレイヤーが所有する全てのデッキが空だった場合、このカードの所有者のプレイヤーは即、ゲームに勝利できる。




 〝ゼロ〟はスキャニングしたカードを掲げ上げる。デッキを空にできれば、会場のルールなんて無視して即、勝利が確定するカードだ! これで――


「はぁ、――そんなのがキミの切り札なのぉ?? ここまで頑張って、それがこれ、だなんて」


 対して〝キング〟は本気悲しむかのようなそぶりさえ見せて、カードを取り出す。


「……〝キング〟様、対応されますか?」


「もちろんだよ。手堅く、「ブラック・ポータル」でいいかな」


「――対応する、同じく「ブラック・ポータル」で――」


「止めなよ。めんどくさい」


 〝キング〟の憐れむような声に、〝ゼロ〟は手を止めた。ボックス上に血が滴る。


 出血と疲労で目がかすむ。まるで思考が働かない。ここまでダメージが深刻だったとは予想外だった。


 これ以上のスキャニングを、肉体が拒絶しているようだった。 


「はいはい。期待はずれだったねぇ。もっと、何かあるのかと思ってたのに……」

 

 〝ゼロ〟が沈黙すると、〝キング〟は雑に「グリーン・ピース」のスキャニングを繰り返し、〝ゼロ〟のデッキを空にした。


「これじゃ、まるでただの作業だねぇ。――ま、何時ものことなんだけどね」


 そして、これまたつまらなそうに、「グリーン・ピース」の2番目の能力で、自分のハンドのレベルを変更した。


「こんなところかな」


 そして以下が変更されたハンドである。




〝ゼロ〟

 

 ディープ・ブルー    レベル-


 ディープ・ブルー    レベル-


 ブルー・フィルム    レベル10


 ブラック・リスト    レベル10


 ゴールド・イクリプス  レベル10





〝キング〟


 ピンキー・ウェア    レベル8


 ブロンズ・スタチュー  レベル8


 インペリアル・パープル レベル11 


 ブラック・リスト    レベル11


 ディープ・ブルー    レベル-





 これで、〝ゼロ〟のデッキは空となり、ハンドの優劣も決してしまった。


 はやくも勝敗は決してしまったことになる。


 〝キング〟にしてみれば「ストレンジ・マーブル」を使う必要性すら皆無だったということだ。


 だが、これは解っていたことだ。最初から、まともなやり方では勝てないという事は。


「じゃあ、駄目押しでこれも言っておこうかな。「ゴールド・ラッシュ」だよ。――君は知ってたのかな?」




「黄金の奔流(ゴールド・ラッシュ) レベル6


 このカードが対峙するカードに勝利した場合、所有者のプレイヤーは自分のデッキから好きな数のカードを破棄し、その枚数の分だけ任意の一枚のカードのレベルを底上げする。




「このカードとキミがさっき使った「エア・アズール」はね、鉄板のコンボなんだよ。――クヒッ、まぁ君には関係なかったかな」


 ぼくには通じないコンボだしね、と〝キング〟は結ぶ。後には、耳障りな残響だけが残った。




〝ゼロ〟

 

 ディープ・ブルー    レベル-


 ディープ・ブルー    レベル-


 ブルー・フィルム    レベル10


 ブラック・リスト    レベル10


 ゴールド・イクリプス  レベル10





〝キング〟


 ピンキー・ウェア    レベル8


 ブロンズ・スタチュー  レベル8


 インペリアル・パープル レベル23 


 ブラック・リスト    レベル11


 ディープ・ブルー    レベル-



 これが、「ゴールド・ラッシュ」の効果も加えた最終的なハンドだった。


「これで、ぼくのデッキも空だ。勝利条件はすべて満たされた。――終わりだね」


 〝キング〟は興の乗らない宴席をお開きにするかのような声で言った。


「お互いにカードはない。で、このゲームの勝者は「最も多くのチップを獲得した者」なわけだけど。もうスキャニングも満足にできないでいるきみののチップはどのくらいかなぁ? ぼくのチップより多いとは思えないなぁ」 


「……それについてはお答えできません」


 水を向けられたオレンジのベータが生真面目に応答すると、〝キング〟は、子供のがはしゃぎ回るような声を上ずらせる。

 

「別に聞いてないよぉ。クヒヒぃッ! だって確認するまでもないからねぇ!」


 〝ゼロ〟は無言だった。反論も訂正も、特にない。お前の言うことは全部正しいよ。――だが、な。


「あーぁ、無反応これだもんなぁ。興ざめって奴だよねぇ。何の工夫もないんだもの。だぁから、言ったんだ。君の勝てる可能性は〝ゼ……」


 そこで、〝キング〟が言い終わるよりも先に〝ゼロ〟は静かに席を外した。


 そして、飲み物や軽食の類いが置いてあるテーブルに向かった。


 〝キング〟をはじめ一同が、唖然として〝ゼロ〟の姿を追う。


 ――だがな、そうなることは、こういう状況になることは、俺にだって最初からわかることだったんだよ。


「……〝ゼロ〟様、ゲーム中は」


 オレンジが言いさしたところで、白ベータがそれを遮る。――


「プフィヒィッ! な、何のつもりだい? ま、末期の水ってヤツかなぁ!?」 


 〝キング〟は噴き出すが、〝ゼロ〟は取り合わない。ただ、真っ直ぐにへ向かった。


 そしてグラスなどが並べてあるテーブルの前で、屈みこむ。

 

 その裏側に手を伸ばして、そこにを剥ぎ取った。


 ベリベリと言うその音に、〝キング〟をはじめ、大半のベータたちが怪訝な表情を浮かべているのが、手に取る様にわかった。


 それはそうだろうな。


 まさか、こんなこと、夢にも思わないだろうからな。


 これは白ベータにも伝えていない。一切のカラクリなしで、よくもまぁ、他のベータまで引き込んでくれたもんだ。


 ありがとよ。お前が居なきゃ、こいつに


「――ゲームは終ってない。俺には、まだ」


 だから、後で礼くらいは言ってもいいかもしれないな。


「カードが残ってる!」


 ――さぁ、受け取れ! これが、俺の最期の策だ!!


 万感を込めた〝ゼロ〟の宣言に、〝キング〟はそれこそ、本当に魂消たまげるような、茫然とした顔を返した。


「改めて、〝キング〟に「奇襲」を仕掛ける! カードの無いお前は、これを防ぐことが出来ない!」


 〝ゼロ〟は手に取ったカードを手に、続けて叫ぶ。その手にあるのは、2枚のカード。確かな〝ゼロ〟のカードだ。


「は、――――はぁぁぁぁぁ?? なぁにを言ってるんだい? だいたい、もうお互いレア・カードなんて持ってないんだ。僕らはもうプレイヤーじゃないんだよぉ。ゲームは終わりなんだ。何を的外れなことを言ってるんだい?」


「いいや、少なくとも、俺はまだプレイヤーだ」


 断言し、〝ゼロ〟はボックスの位置まで歩み寄る。そしてそのカードを、見えやすい位置までかざして見せる。


 それは確かにレア・カードだった。レベルは0で、なんの文言も刻まれていなかったが。


「な――、なんだそのカード!? そんなものあるはずが……」


 〝キング〟は小さな目を見張りつつ、仰け反りつつ呟く。


「そんなことはない。ただ、これはってだけのことだ。――不思議だったんだよ。どうしてお前が〝ツーペア〟と組んでいたのか」


 〝ゼロ〟の唐突な言葉に、〝キング〟は元より、周囲のベータ達も首を傾げ、顔を見合わせる。


「だってそうだろ? 〝ツーペア〟がお前と組むのは分かるよ。メリットしかないからな。でも、逆にお前が〝ツーペア〟と組む理由が解らなかった。お前はこのゲームにおいては無敵だ。負けるわけがない。それが、どうしてわざわざ〝ツーペア〟と組んだんだ?」


「いや、――それは」


「それは、警戒してたからだ。お前も恐れてたわけだ。自分と同じ特別枠の〝アヤト〟を、そして〝アヤト〟が持つ「特別仕様のレア・カード」をな」


「じゃ、じゃ、そのカードは、まさか……」


 気付いたらしい〝キング〟は、見る見るうちに顔色を変えた。


 そうだ。このゲームにはそもそも31枚のレア・カードが用意されていた。だが、今のラストゲームで使用されたカードの総計は30枚でしかない。


「でもやっぱり、お前は詰めが甘かったな。カードの性質を最後まで確認しなかった。この「エバー・グリーン」のカードはな、「エージェント・オレンジ」の効果で崩れた後、粉みじんになってそのままになるんじゃなくて、もう一度真っ白なブランクカードになって残るんだ!」


 そうだ、ここにあるカードこそが31枚目。あのゲームのあと、緑のベータによって回収されていた「元エバー・グリーン」のカードってわけだ。


「そんな……そんなカードあるわけが、……いままでだってッ」


「無かったんだろうな。。でもお前が知らないカードが有ってはいけない、なんてルールは無かったみたいだな」


「う、ぅむぅぅぃッ!!」


 〝キング〟は全身を噛みしめるようにして唸った。ぐうの音も出ない、とはこのことだろう。


「お前は確かにを持ってる。けど、それでもやっぱり、詰めが甘い。ちょっと気が利く奴なら、気付いたはずだ。お前の取り巻きになってたベータの中に、あの緑の奴がいないってことにな」


 ちなみに、あの緑のベータは〝アヤト〟の元に居たいと言ったので好きにさせることにした。アイツは本気で〝アヤト〟に心酔でもしていたんだろう。


 だが、このカードを俺に届けた後、アイツが姿を隠してくれたおかげで、この策がうまくはまったのだといえる。


 こうして〝アヤト〟のカードで、〝アヤト〟の仇を取れたのは、間違いなくアイツのおかげだ。


「……そんな、だって」


 〝キング〟は口を開くが、出てくるのはオロオロとした虚ろな言葉ばかりだ。


 〝ゼロ〟は取り合おうとはぜず、果敢に言葉を続ける。


「これは、「エージェント・オレンジ」と一緒で、もうなんの力もない。レベルも0だ。それでも、これが有れば俺はまだプレイヤーと見なされるんだ」


「そんなぁ……。ん゛ん~!! で、でもぉッ。おかしいじゃないか。でも、なんで、そんなものが、テーブルの裏そんなところに……」


 〝キング〟は声を上げる。反論でも何でもなく、ただ、ただ当惑に満ち満ちた声を。


「――俺がこの会場に最初に到達したのはさっきじゃない。だ」


「はぁ!?」


 さて、種明かしだ。


 もはや隠すべきことは何もない。ベータ達にも聞こえるように声を張る。全身が痛んだが構わない。


 〝ゼロ〟は一層明朗な声を張り上げる。


 そうすることで、自分の、そして、〝レイア〟の勝利でもあると、言いたかったのかもしれない。


「俺が崖を昇ったのは、今日の昼間の話じゃないんだよ。昨日の夜、真夜が明けるまでの時間に、俺は崖をショートカットしてこの会場に入ったんだ」


「う――嘘だ!! できるわけがないじゃないか! ……ろくな明かりも。身体強化も、装備も無しで、あんな夜の崖を?! 一晩で?!? そんな奴は今まで誰も……」 


 〝キング〟の言う事はもっともだ。


 あんな断崖絶壁、根性だとか、誰かが死んでしまったから、なんて精神論で登れるわけはない。


 物理法則に支配された世界は、どんなに不幸な人間にも同情なんてしてくれない。――最初から、解ってたはずなのに。


 どうして、俺は〝レイア〟を死なせてしまうまで、世界が、最期には俺の味方をしてくれるなんて、考えていたのだろう?


 どうして、無策のまま〝キング〟に挑もうなどと思ってしまったのだろう? 


 どうして、諦めなければどうにかなるなんて、考えてしまったのだろう?


 俺は、この先も一生、これを悔い続けるだろう。


 二度と、大事なものを失わないために。


「いいや、あったのさ。レベル3無しでも――身体強化をする手段はな!」


 そして、〝ゼロ〟はパーカーのフードを脱ぎ、血斑に染まっていた首元の包帯を取り去った。


 〝キング〟だけではなく、周囲のベータまでもが目を見張ったのだがわかった。


 そこにあったのは「咎狗の首輪(ギルティ・ドッグ)」だ。本来はプレイヤー権を失った人間を狗にして搾取するためのアイテム。


「これも裏ワザ――って言っていいのかな? この首輪、本来はプレイヤーを対象にすることは出来ない。まぁ、当然だよな。けど、問題なく使用することが出来るんだ。――それと、」


 あとはこれ。と続けて、〝ゼロ〟は続けざまにパーカーのポケットからあるものを取り出す。


「げえぇッ、そ、それはッ」


 ――ハハ。いい反応すんなぁ、お前。


 まぁ、しかたがないか。俺だって逆の立場なら悲鳴のひとつも上げるはずだ。


 〝ゼロ〟が取り出したのは、手のひらに収まるほどの小さなデバイスだった。

 

 そう、あの〝シード〟が使用していた悪辣極まりない狂気のアイテム。「支配者の見えざる鎖(クラック・ドミネーター)」だ。


「じゃ、じゃあ、その血は、その傷は――」


 〝キング〟はようやくすべてを悟ったようで、吐き出すはずの息を喉に詰まらせている。


 そうだ。この体の傷は命からがら崖を昇ってきた時のものじゃない。「ドミネーター」で自分の身体を変化させた代償だ。


「うそだ。嘘だァッ!! だって、そんな事を、自分で!? そんなッ」


 〝ゼロ〟は冷笑を返す。


 俺にしてみれば、他人にならやってもいいって言うお前の考えの方がおかしいと思うけどな? ――まぁ、もうどうでもいいけどさ。


 実際、大したことじゃなかった。肉は裂け、骨は捩れ、血管は行き詰って破裂し、皮膚に至っては完全には元に戻らなかった。


 だが、そんなもん大したことじゃなかった。


 もう、どうやっても元に戻せないことの方が多すぎたから。


 いくらでもやり直しの効く異形化なんて、物の数じゃなかった。


 本気の、本気で、なんのこともなかった。


 もしも、取り戻せるなら、一生異形バケモノになったままでもいい。


 血を流しながら崖を昇る間、俺は本気でそう思っていたし、今も思っている。


「だいたい、それ、どこから持ってきたんだ!? 反則だよ! イカサマだ! 何かやったに決まってる!!」


 おいおい。〝キング〟が言いだしたセリフに、〝ゼロ〟は笑ってしまった。


「お前だって見てたろ? あの二日目のゲーム会場で、〝シード〟が使ってたやつだよ。それを使ったんだ」


 だいたい、何かやってたとしたって、見破れなきゃイカサマにはならねーじゃん。


 ホント、チートがなきゃ、何もできないんだな、お前。


 〝レイア〟に、コイツと同じだと笑われた時のことを思い出す。


 お前の言うとおりだったよ。


 チートが無きゃ誰かとゲームもできないやつが、をすんのは、滑稽だよな。


 いまになって、自分がどれだけ愚かで滑稽なヤツだったのかが分かる。


 〝キング〟、お前と俺は良く似てるよ。


 だから、お前は負けたんだ。


「――ウソだ! だって、――だって取りに戻ってるヒマなんて」


「もちろん無い。これを取りに行ってきたのは俺じゃない。――オメガ達さ」


 〝ゼロ〟の言葉に、〝キング〟は舌でも噛んだみたいに、言葉を詰まらせる。


「このゲームで会場やパークの掃除やら整備やらをしてんのも、アイツらなんだろ? つまり、アイツらは使用済みの会場へ自由に出入りできるってことだ」


 〝ゼロ〟は言葉で一歩、また一歩と〝キング〟の逃げ道を塞ぐように、追い詰めていく。


 終局は、近い。


「で。これを届けてもらった。特に、俺の為に親身になってくれるオメガ達がいてさ。――助けてもらったよ」 

 

「それを自分に使って――それで崖を昇ってきたっていうのか……!?」


「そういう事だ。――さぁ、〝対応〟してみるか!? 〝キング〟!!」


 当然、出来るハズが無い。


「グ――ッう――ッ」


 〝ゼロ〟の啖呵に、〝キング〟は出来の悪い家電製品みたいに沈黙した。


「なら、まず奇襲に使用するカードはレベル1。特典の効果は「相手の持つチップ総数の半分を奪い取る」だ!」


 用意してあった2枚のカードのうち、「エバーグリーン」ではない、もう一枚のカードを掲げる。


 それはかつて、〝アヤト〟が〝ゼロ〟をハメたときに使用したカードだ。今となってはもはや懐かしささえ感じる。


 あのときも、俺はただ、自分の身が可愛いだけだったな。俺には、足らないものが多すぎたんだ。こんな所へ来てしまうには。


 〝キング〟は変わらず沈黙したままだった。〝ゼロ〟は構わず、一方的にゲームを進める。


「対応しないなら、続けてこのブランクのカードで、もう一度「奇襲」を仕掛ける。――これで、このゲームは終了だ」


 油断はしない。膨れ上がった地蔵のように沈黙した〝キング〟をつぶさに睨みつけながら、〝ゼロ〟は宣言する。


 互いのチップの差がどの程度だったとしても問題はない、これで間違いなく〝ゼロ〟のチップが〝キング〟を上回った。


 ――勝った。これ以上ない完勝だった。


「……おめでとう」


 〝ゼロ〟が己の勝利をしたのと同時に、〝キング〟が呟くように言った。


「キミが――新しい〝王〟だ」


 その表情は意外にも、何かに安堵するかのような、力ない笑みをたたえていた。





 

 予想外の反応だった。


 てっきり、この醜悪な男は青天の霹靂よろしく、ありうべからざる事態に苦悶するかと思っていたのだが。


 しかし、それはそうとして雪辱せつじょくは成った。


 さまざまの感情が、ただ自分の内部で乱反射するように飛び交っている。


 〝レイア〟のこと、〝アヤト〟のこと、〝さくら〟のこと、〝ソノダ〟のこと、そしてオメガ達のこと。


 この島で体験した、あらゆる物事に対してのあらゆる感情とレスポンスが、止めどもなく〝ゼロ〟の内心を、脳髄を、胸に空いた伽藍がらんを飛び交っている。


 ――終わったよ、とでも言えばいいのか? わからない。なぜか、そう思えなかった。


 なぜだろう? この、〝キング〟が予想に反して苦悶のひとつも浮かべようとしないからか?


 なぜこの男は負けたにも関わらず、こんな顔をしていられるというのか?


 その時、呻くような声が聞こえた。目の前にうずくまった〝キング〟からではなく、彼らを取り囲んだベータたちの中から。


 予想外のところから聞こえてきた、合唱でもするかのような苦悶の声。


 目を見張る〝ゼロ〟の目の前で、身悶えしていたベータ達の装束が溶け崩れ始めたのだ。


 そしてその身体が、ブレるかのように変容し始める。


 ――――なんだ!? どういうことだ!?


「――あり得ない。なぜ!? なぜこんなことが!!! ――なぜ、なんで、こんなことをした!? 余計な、ことをしなければ、全員ではずなのに――!!」


 その五体と同じく、溶け崩れるかのようなその声音は、赤ベータのものだった。


 普段の洒脱なふるまいからは想像もできない怨嗟を秘めた響きに、〝ゼロ〟は思わず身震いした。


 もっとも、その声が向けられたのは〝ゼロ〟ではなかったが。


「そうですか? 私は良かったと考えています。実によい結果です。――アナタ方のように、いざと言うときに安楽な道を選ぼうとするを、早々に切り捨てることが出来たのですから」


 赤ベータが跳んだ。歪む五体にも構わず、獣の如く白ベータに挑みかかる。


 ――しかし、その吶喊とっかんを、白ベータは当然の如く迎え撃った。滑らかに伸びた拳が、収まるべきところに収まるみたいに、顔面をとらえる。 


 もろにカウンターを喰らってたたらを踏んだへ、ダメ押しとばかりに黒ベータの蹴りが見舞われた。


 砲弾と言う形容さえ生易しいと想えるそれを受けて、赤ベータだったそれは、何かの巨大な蛹のようになっていた〝キング〟を掠めて会場の隅まで吹っ飛んだ。


 〝キング〟もまた五体が溶け崩れ、まるで脱皮でもするみたいに別の存在へと変化していく。


 そのニヤつくような視線は最後まで、〝ゼロ〟を捉えていた。


 苦悶も、悔恨も、絶望さえなく。ただ、〝何も変わらない〟とでもいうような、無智なる者を嘲笑わんとするかのような視線で。


 衣服が、髪が、皮までもが脱落し、最期には、〝キング〟とベータたちは同数のオメガ・シープへと変容していた。


 〝ゼロ〟は呆気にとられつつ、この光景に見入っていた。


 どういうことだ? なぜ、司会進行役のベータ達までもがオメガになってるんだ?


 予感があった。なにか、致命的な予感だ。何かを見落としたかのような。そんな、この期に及んで、まさか――


「おめでとうございます。〝ゼロ〟様」


 背後から白ベータの声が聞こえて、〝ゼロ〟は振り返る。


 そこにはもう白ベータ――否、ベータ・シープは居なかった。


 女は仮面を外していた。初めて顔が現れたのだ。


 いっそ特徴らしい特徴が見つからないほどに端正な顔立ちの女だった。


 ポワポワも自ら脱ぎ去り、腰まである長い黒髪を流す。


 他のベータ達も同様に、それぞれにポワポワと仮面とを取り去る。


 今までの無個性な姿からは想像もしなかった、多種多様な眼光を放つ面々が威容を連ねている。


 ――何かが、奇妙だった。勝ったはずなのに、悪寒が止まらない。


 ゲームは正しく終了したはずだ。なのに、何かがおかしい。


 しかし、〝ゼロ〟は何事をも問いかけることが出来なかった。


 ――気づけば、声が出ない。


 舌がもつれ、身体の自由が利かない。体内のアンカーか? だが、どうして!?


「ご安心ください。一時的なものです。あなたは新しい特別枠として〝企業〟に迎え入れられます。――


 膝から崩れ落ちた〝ゼロ〟の身体を優しく受け止めて、白ベータだった黒髪の女は奇妙なほど人間味のある、朗らかな声で言った。


 何を、言ってるんだ!?


「どういう、ことだ。――俺の願いは、違う。――俺の、俺たちの、プレイヤーとしての望みは……」


 みんなを、家に、帰して、やるって――――


「残念ですが、〝ゼロ〟様――貴方は、というか、貴方たちはそもそも


 〝ゼロ〟は、とても形容のしがたい、呆けたような声を上げた。本当に、この女がなにを言っているのかが解らなかった。


「我々こそが、このインソムニア・ゲームのなのです」


「なん――、なに、言ってんだ? ――このゲーム、は、俺たち、の」


「正解ハ、リクルート、というこトだ」


 重苦しい声で、轟くような五感で、黒ベータだった褐色の肌の巨漢が補足する。


 採用試験リクルート? それって――


「我々は、いまだ〝企業〟の一員ですらない。いわゆる新卒の就職希望者なのです。その採用試験、通過儀礼の最終段階。――それが、〝このゲームを成立させつつ、最後に勝ちあがるであろうを選び、それに乗る〟と言うものだったわけです」


 白ベータだった女が、静かに、しかし揚々と語る。


「じゃ、あ――じゃあ、俺たちは」


「ただの「賭け馬」です」


 言葉を失う〝ゼロ〟に対して、しかし女は「貴方のおかげで、われわれはに昇れます」と、悪びれるでもなく、改めて万感の思いを込めるかのように呟く。


 くすぐるような吐息が、皮膚を焼くかのようだった。――そんな、そんな、ことって。


「いずれ世界の全てを手中に治めるであろう「企業」の一員になろうとするならば、相応の資格と、能力が必要となる。ということです」


 〝ゼロ〟は自由の効かない五体を、激しくゆする様にして、抗おうとする。


 しかし、「アンカー」に支配された彼の五体に、自由になる個所はほとんど残されていなかった。


 それを子供でもあやすかのように抱き直し、女は続ける。


「貴方にとっては不本意な結果でしょうが、――最初に聞いていたはずですよ。このゲームの肝はメタ・ゲーム。つまり、貴方達に勝ち目などなかったのです」


 ――それは、どんなゲームやギャンブルでも同じでしょう? と。


「事の全容を想像すらできない「駒」として、コントロールされる側になった時点で、敗者なのです。重要なのは、如何にコントロールする側に立つか、ということ」


 俺は――俺はまた、間違えたっていうのか? ここまで来て、こんなところで……。


 憤怒さえもが掻き消えていく。思考までもが混濁してきていた。


 〝シード〟の言ったこと、〝アヤト〟のセリフ、〝レイア〟と語り合った願い――様々なものが思考を覆うかのように、無数の澱となって沈殿していく。


 ――いやだ。こんなところで、こんな形で、ちゃぶ台をひっくり返されて、それで終わりなんて――――ッ。


「それを試されるのが、このゲームの全容だったわけです。貴方たちには最初から勝ち負けの領域に居なかった。――とはいえ、貴方の成長ぶりは賞賛に値します。失礼ですが、初日にはあなたが勝ち残るとは予想していませんでした。私が言うのもなんですが、見直しましたよ。心から」


「俺、は――」  


「それでは、〝〟様、良い眠りを――」


 手袋を脱ぎ去った細い指が、今にも落ちそうなまぶたに触れてくる。その冷たい感触が、生まれて初めて感じる、抗い難い眠りの誘惑を助長する。


「――俺はッ」


 しかし、〝ゼロ〟は、その腕を掴み取った。


 そして僅かな動揺を見せた女を、その双眸を、射るように睨み据える。


「俺は、〝!!」


 ――それが最後だった。その刹那、少年の意識は途絶え、全てが暗転した。


 女はしばし、息を呑んで沈黙した。


「……本当に、成長されましたね」


 そうつぶやき、死体のようになったその身体を抱え直した女は、そして新たなる〝企業〟の一員たちは、島を後にした。


 後に残るのは、あまりにも酸鼻を極めた、七日間にわたる喜劇の跡だけだった。

  


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る