第47話「五日目」休憩時間④ たった一つの策

 四度目の、――つまりは今宵、最期の休憩時間の間に、ベータたちは動かなくなった〝アヤト〟を静かに運び出した。


 いっそ厳かとでもいうような光景だった。


 取り乱そうとする者は一人もいなかった。緑のベータ・シープだけが、が幽鬼のように肩を落として付き従ったのが印象に残った。


 〝ゼロ〟にしても、ただ茫然と見ているしかなかった。


 それほどに、目を閉じて動こうとしない彼女は、それが最初からそうであったかのように、完全なもののように見えたのだ。


 少なくとも、そう思えるほどには、その顔は苦痛にゆがんではおらず、作り物のように穏やかだった。


 悪夢を見てはいないのだと、勝手に思い込むことにした。


 でなければ、自分のことなど考えられなかった。


「ごめん。――」


 無理をして残影から視線を切り、隣に居た〝レイア〟に謝った。


 だが、その由来は自分でもはっきりしない。何故だろう? 〝アヤト〟に手を貸そうとしたことだろうか? 的だった〝アヤト〟に。


「違う」


 〝レイア〟は言った。


 〝ゼロ〟が顔を上げると、〝レイア〟はどこか、申し訳なさそうな、らしくない顔で視線を逸らした。


「アンタまで、そっちに行かせらんないと思った」


 そう言って、言葉を切る。


「謝んのはアタシの方かもしれない」


 自分勝手なことをした、と言いたいのだろうか?


 そんなことはない。


「そんなことは、――ねぇよ」


 そんなことはない。少なくとも、あの手を取ってしまっていたら、〝ゼロ〟は、「次」のことなど考えられなかっただろう。


 先に進むことなど、できなかった。


「ごめん」


 だから、謝る必要などないのだ。


「もういい。――次のことなんだけど」


 だが、自分で言ってみてから、続ける言葉が無いことに気づく。


 次のこと。次に進める。次のゲームについて。


 そんな事、考えるまでもない。


 どうしようもない。それだけだ。


 どう考えても、〝キング〟には勝てない。勝ち目などないのだ。


 しかも、最悪なことに、フォールドすることさえ出来ないときている。


 逃げることもできないのだ。


 〝レイア〟も解っているのだろう。〝ゼロ〟の言葉に何も答えようとしない。


 視線を上げる。


 〝レイア〟が今、どんな顔をしているのか怖かった。


 自分がどうしようもないとき、それでも強気で笑っていてくれるのがコイツなのだ。


 悲観的になるのは自分だけでいい。

 

 勝ち目がどうとか、戦略がどうとか、そんな事は度外視して、前だけ見ていてほしかった。


 だから、恐る恐る視線を上げた。


 しかし、当の〝レイア〟は、何も見ていないような顔で、あらぬ方をじっと見ていた。


 半開きの口元からは、一滴の涎が細い筋を引いている。


「――だぃ……大丈夫か?」


 自分でも何事かと思うような声で呼びかけると、〝レイア〟はふと、うたたねから覚めたかのようなしぐさで〝ゼロ〟を見る。


「――なに? もう時間?」


 意識が飛んでいた!? ――――限界なのだ。


「まだ、大丈夫、だけど」 


「そっか、じゃあどうやってあのブタを……」


 言いさしたところで、〝レイア〟はずるりと椅子の上から崩れ落ちた。






 〝レイア〟は急遽、〝アヤト〟と同じようにストレッチャーに横たえられた。


 眠ることは出来ない。できるだけチップを使って、脳を休ませるしかない。


「――棄権、させられないのか?」


「スマンが、それだケは、当事者ノ意思表示が要ル」


 〝レイア〟を見下ろしている〝ゼロ〟に黒ベータが言う。


 わかってはいる。もう棄権するしかない。全てのレア・カードを放棄して、ベータ・シープになる運命を受け入れるしかない。


「――バカなこと言ってんじゃないよッ」


 〝レイア〟が身を起こした。


「お前、――なに言って」


「アタシは、一人でもやる。なのに、アンタ一人で逃げんの?」


 〝レイア〟の瞳には、確かな確信のようなものが窺えた。


 戦略云々のことでないのは解っている。それについては、もう詰んでいるようなものだ。


「――解った。最期まで続けよう」


 逃げたところで、死に等しい処遇を受けるだけなのは解っている。


 なら、〝レイア〟の言うように、たとえ玉砕するのだとしても、自棄になることだけはやめよう。


「〝ゼロ〟様、〝レイア〟様。――時間です。席にお戻りください」


 白ベータが、背後から事務的な言葉を掛けてくる。


 最後まであきらめないこと。この休憩時間で出せた方策はそれだけだった。


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