第38話「五日目」ルール解説『ハングド・ペンタゴン』
そこに誰が居るのかは既に分かっていた。コイツがここに居ることは分かっていた。
しかし、いざこうして面と向かってみれば、胸がざわつくのを抑えきれない。
ふわりと、花が散るようなしぐさで〝ゼロ〟を振り返った綺麗な顔が、作り物みたいに微笑んだ。
――〝アヤト〟だ。
〝ゼロ〟は思わず、繋いでいた〝レイア〟の手を強く握りしめる。
〝アヤト〟。あの二日目のゲームで、〝ゼロ〟をハメ殺そうとしたグループの首魁である。
それがいま、また素知らぬ顔で〝ゼロ〟を見ている。
あのときと、――彼女を疑いもしなかった頃の〝ゼロ〟の隣で浮かべていたのと同じ、透き通った笑顔さえ添えて。
――この女、いったいどんな気持ちで、そこにいやがるんだ!?
お前が嘲り笑いながら、さんざん嬲りながら狂い死にさせたはずの人間が、目の前にいるんだぞ?
なんでそんな顔が出来る!? なんでそんな目で俺を見れる!?
少しでも、――ほんの少しでも、人間らしい感情のひとつも見せてみやがれ、このバケモノめ!!
しかし、当の〝アヤト〟は、何も言わず、すぐに視線を逸らした。〝おまえになど何の興味もない〟とでもいうかのように。
――――このッ!!
「ちょっと」
「ぬぁん!?」
思わず〝アヤト〟の方へ詰め寄ろうとした〝ゼロ〟の尻に、そのとき、何故か〝レイア〟の膝が突き刺さった。
「な、なにすんだよいきなりッ」
変な声出ちゃっただろ!
「いちいちキレてんじゃないよ。どっかのビビったガキじゃあるまいし」
言いながら〝レイア〟は〝アヤト〟を見る。
吐きかけるような言葉。
が、それ以上は取り合う気が無いらしく、黙ったまま顔を背けた。
その横顔は、しかし、喉を掻き毟りたくなるほどに可憐であった。それが〝ゼロ〟の内容を、予想しえなかったほどにかき乱す。
いっ――いちいち、癇に障る顔しやがって。可愛さ余って憎さ百倍とはこのことだろうか?
――いや、使い方あってんのかわかんないけど、とにかく、この女だけは許し難い。さしもの〝ゼロ〟も激情を抑えきれる自信が無かった。
いまも、まるで彼が存在していないかのごとく、涼しげに翻る視線が、流れるような仕草が、掻き分けられる髪が、いちいち彼の神経を引き剥がしていくかのようだ。もはや理屈ではない。
しかし、その涼やかな横顔がわずかに引き攣っているのが分かった。
〝ゼロ〟ははっとして〝レイア〟を見た。すると〝レイア〟はまた口角をへし曲げて意地悪く笑って見せる。
なるほど、〝アヤト〟も〝ゼロ〟はともかく、〝レイア〟に対してはいろいろ思う所があるらしい。少なくとも、その顔色を変えるくらいには。
そういや、最初っから犬猿っぽかったもんなお前ら。
一体〝ゼロ〟の知らないところでどんなやり取りがあったのか。想像するだに恐ろしい。が、これは嬉しい誤算だ。良いぞ、もっとやってやれ!
「……皆様お揃いですね。刻限も迫りました。これよりゲーム『ハングド・ペンタゴン』を執り行っていきたいと思います」
無言の
そういや、コイツも二日日以来だな。まったく何の感慨もないけど。
ちなみに、最初こそはまとめて会場入りした計31名ものベータ・シープ達だったが、すぐに5人だけを残し、残りは退室してしまった。
やっぱ多すぎんだよなコイツら……。残りの奴らは何しに来たんだ?
会場内に残ったベータはそれぞれの担当である「白」「黒」「緑」「オレンジ」そして「赤」のベータである。
5人のプレイヤーの中で〝キング〟だけが、おそらくは当初とは違うであろうベータを担当につけていた。
なぜなら、その赤ベータは〝ゼロ〟も見知ったヤツだったからだ。
あの、〝ソノダ〟の担当として初日から〝ゼロ〟達と行動していたベータである。
その後〝シード〟の御付きとして現れ、三日目のゲームで黒ベータに冗談みたいにブッ潰されていたやつだ。
そのままリタイヤしたのかと思っていたが、まるで何事もなかったかのようにケロッとしてやがる。
視線を向けると、当初と何も変わらぬウィットな仕草で頭を下げてきた。別人と言う訳でもないらしい。やっぱ何でもアリなんだなコイツら。
でも、一応、よかったって言うべきなのかな? こんな奴でも死なれるのは夢見が悪いし。
しかし、この赤ベータはどういう経緯であの〝キング〟なんぞについているのだろうか?
アイツがジョーカー(だっけ?)扱いしていた〝シード〟はあえなく自爆してしまったというのに。
まぁ、これは考えるだけムダだろう。解らない部分が多すぎて推察も何もない。
「ハング……って何よ」
そこで、〝レイア〟がまた疑問を率直に口にする。問われた白ベータが応える。
「ハングド。つまり「逆さに吊られた五芒星」と言う意味になります。つまり、この会場の特色を表しています」
この辺はもうお互いに慣れたモノだ。あえてお付きである黒いのに聞かないのは、言い回しがめんどくさいからなんだろうな。
「タロットカードで有名ですわね。ハングドマン。〝吊られた男〟でしかたか」
「左様でございます」
〝アヤト〟が言い、そしてベータの賛同を得つつ、まるでわかっているそぶりの無い〝レイア〟に無言で視線を向ける。
〝レイア〟は手負いの獣みたいに顔をしかめた。
そして、かたや壮絶な笑顔で、かたや隠そうともしない憤怒で、二人の女は睨み合う。
おいおい、〝レイア〟さんよ。人には偉そうに言っといて自分は全然抑える気が無ぇじゃん? 煽るのは良いけど自分がキレたら意味なくないか?
……もしかしてキレるのは自分の役だからお前はキレるな、的な意味で言ったんじゃないよなお前。
まぁ、確かにゲームについて、できるだけ冷静にならなきゃならないのは俺の方だ。そう言う意味じゃ〝レイア〟の気勢も間違ってはいない。
当初の予定通り、「勝ちに行く」のが〝レイア〟の役目なのだから。
「……その名の通り。五芒星、つまりは「5」と言う数字がキーワードになるゲームであると認識していただければと思います」
オレンジのベータが付け加えた。
「……では、具体的なルールの解説に移らさせていただきます」
語られたルールは以下のようなものだった。
・プレイヤーは全員でカード・ドラフトを行い、それぞれにハンドを作る。
・そのハンドでゲームを行い。獲得したチップが最も多かった者が勝者となる。
・行われるゲームは「5」回のみ。この5回のゲームで何度勝者になっても、獲得したチップが少なければ勝者とは成りえない。
・一回のゲームにおける制限時間は50分。これを一度でも超過した場合、ゲーム自体がご破算となる。
「50分て……長くない?」
〝レイア〟が口を挟んだ。
たしかに、このインソムニア・ゲーム、ただゲームをするだけならそこまで時間はかからない。
しかし、カード・ドラフトをするとなるとちょっと話が変わってくる。
「ドラフトするからだろ」
「だから、それってなによ?」
相変わらず脊髄反射で会話をするやつだな。もうちょっと推察しながら喋ってくんないと補足がしづらいっつーの。
「では、カード・ドラフトについて、詳しく解説いたします」
〝ゼロ〟が口ごもると、赤ベータが声を上げた。
喋り方もいたって普通だ。ホントにあの怪我が治ってるみたいだな。
「ドラフトとは「選抜」という意味になります。プロスポーツの話題などでもお聞きになったことがあるやもしれません。つまりは、プレイヤー様自らが、自ら使用するカードを選抜していただくわけです」
赤ベータが流暢に語ると、今度は緑がどもりつつ、解説をつづけた。
「ぐ、具体的には、まず、それぞれのプレイヤー様に、ご、5枚のカードが配られますので、それを一枚抜いて隣のプレイヤーに渡していただきます。そ、そして受け取った4枚のカードの内から一枚を抜いて、また隣りへ渡す、と。これを、く、繰り返して得た5枚のカード、全てを使って
その時――〝ゼロ〟は手振りを加えて懸命に解説をしている緑のベータを見ただけだった。
しかし、何を勘違いしたのか、その緑ベータの脇にいた〝アヤト〟がその〝ゼロ〟を見止めて鼻で笑い、視線を切った。
まるで「やめてくださいな」とでもいうように。
――おい、ふざけんな、別にテメーなんか見ちゃいねぇんだよ!!
「5枚全部を使うの? 『交渉』は?」
〝ゼロ〟は悔しさを噛みしめ、援軍を乞うがごとく〝レイア〟を見るのだが、当の〝レイア〟はルールを理解するのに必死らしい。
――――いや、いいんだけどさ。それが確かに一番大事なことなんだけどさ。
〝ゼロ〟は一人、なんともいえぬ悔しさともの悲しさを抱えて俯いた。
考えてもみれば、自分の代わりに〝アヤト〟にガンつけてくださいってのはあまりにもなさけねーよな。
適材適所とはいえ、あまりに他力本願が過ぎた。なにやってんだ俺は。俺もゲームに集中しないと……。
「このゲームにおいてはハンドの枚数についての交渉は発生しません。ゲームは常にハンド〝5〟枚での勝負となります」
〝ゼロ〟が独り相撲をしている間にも、解説は続いている。
だが、問題はない。ドラフトの概要についてなら、〝ゼロ〟は最初から理解している。これもたびたびカード・ゲームなどで用いられる概念だからだ。
「そうなると当然、最初に配られる5枚のカードってのはランダムじゃないんだろうな」
気を取り直した〝ゼロ〟は傍らの白ベータに言った。
「はい。全員に、レベル1~5のカードが一枚ずつ配られることになります」
白が応える。
だろうな、手札の読みあいを
大体、ドラフトってのは普通にゲームするよりも難しいんだ。ランダムなカードで素人がいきなりやってもグダグダになっちまう。
「あれ? ――じゃあ、持ってきたカードは?」
「も、申し訳ありませんが、レア・カード以外は破棄していただきます」
〝レイア〟の言葉に、緑のベータが答えた。にしても、あの黒ベータはほんとに喋らねぇな。他の奴らはみんな頑張ってんのに。
「はぁ?! 先に言ってよ! 無駄になるじゃん!」
〝レイア〟はいかにも、な感じで声を荒げる。相変わらずのクレーマー気質だな。
まぁ、これは誰もが抱く不満だろう。せっかく集めたカードなんだし。だが、ドラフトとやるという以上は仕方のないことだ。
なにより、俺や〝レイア〟にとっては、無駄になる労力以上の損害になりえる。
〝レイア〟が危惧しているのはそのことだろう。
「……申し訳ありません。ただ、ゲーム会場の個性によっては有り得ることである、と事前にお伝えはしてあったはずですので、ご了承ください」
「…………けどッ」
「使わないって前提なら持っててもいいんだよな?」
よって、〝ゼロ〟はそれをフォローする意味も込めて声をかけた。
オレンジの言葉に食い下がろうとした〝レイア〟へ言い聞かせるように、である。
〝レイア〟の懸念はわかる。だが、それをここで他のプレイヤーに教えてやる必要ない。
「……はい。ゲームに直接使用しないなら。そのまま持っているのも自由です。取り上げる理由はありません」
それを聞いた〝ゼロ〟は〝レイア〟を見て頷いた。大丈夫だ。それなら問題はない。
〝レイア〟も渋々頷き、その場は引き下がった。
「――ずいぶんと、仲良くなられたんですね」
そこで視線を交わしていた〝ゼロ〟と〝レイア〟へ、まるで卑下するような、蔑むような言葉が掛かけられた。〝アヤト〟だ。
「……悪いのかよ」
正気かこの女? 出来る限り余計なコンタクトは取らないようにと、こっちが気を使ってやってるってのに。
「いいえ。ただ、見ていて非常に気色が悪いので控えていただけたらと思いまして」
――――この期に及んでこっちを煽ってきやがるとはな。
無邪気に目を細めて、そんなに愛らしい貌で、そんなことを言う。意識が、視界が再び真っ白に染まった。
「そーよ。見ての通り仲良くなったわけ」
しかし〝ゼロ〟が何か言うよりもはやく、何かをするよりも早く。〝レイア〟が飛びつくようにして隣の席にいた〝ゼロ〟の首に抱き着いてきた。
「――うひぇえ!?」
「んでぇ? なぁに? アンタはボッチなわけぇ? 例の保護者もいないみたいだけどぉ?」
何事かと思ったが、これはファインプレーだ。〝レイア〟が押さえてくれなければ殴りかかっていた可能性が高かった。
「……貴女には言っていません。許可なくわたくしに話しかけてこないでいただけます?」
当の〝アヤト〟も〝レイア〟の言葉に顔色を変えた。あの〝カムイ〟のことはコイツにとっても触れられたくない部分なのだろうか?
「あーらら、そりゃ失礼。でもさぁ、だったらテメーも許可なくこっちに話しかけて来てんじゃねーよクソガキッ」
つ、強い! なんというか、煽り方と言うかイントネーションと言うか、凄まじくムカつく言い回しがここまで堂に入っていると逆に心配になってくるレベルだ。
しかし、今はこの上なく心強い。
「――――ッ」
対する〝アヤト〟も、無言で立ち上がった。
心なしか、流れ落ちるようだった長い金髪が逆立っているようにも見える。そんはずはないのに、そう見えるほどに、この、まるで表情のない貌が空恐ろしい。
だが、ここで引いてやる理由はない。〝ゼロ〟も〝レイア〟と共に、精いっぱいの念を込めて睨み返す。
もはや当人達ですらどうなるのかわからない。一触即発の事態だ。おそらく、次に誰かが口を開いた、その時――――。
「……クヒヒ。クヒヒヒヒィッ。……たのしそうだねぇ~」
と、誰もが予期せぬ声は、あらぬ方から響いた。
粘つくような忍び笑いが衆目を引く。
それまで、俺たちをやり取りを何も言わずに見ていた〝キング〟が、ここにきて初めて、喉を引き攣らせるような笑いと共に声を上げたのだ。
これには〝レイア〟も、さしもの〝アヤト〟も言葉を切った。
「いいなぁ。いいなぁ。女の子がたくさんいるのって良いよねぇ。いいよぉ。凄く、いいよぉ」
「――ハッ、なにアンタ居たの? 気付かなかったわ」
「……」
〝レイア〟は吐き捨てるように言い。〝アヤト〟は無言のまま、さもけがらわしいとばかりにハンカチで口元を隠し、目を逸らした。本気で吐き気を抑えているかのように。
だが、この醜い男は以前のように取り乱すことはなかった。
ただ額にぎらぎらとした脂汗を浮かべて、肉にうずもれさせたような顔を不気味に歪めて――嗤っている。
「クヒヒ……。ヒヒヒ……」
引き攣るというか、しゃくりあげるような笑い方だ。相変わらず見てるだけで気分が悪くなってくる野郎だな。
〝キング〟は一度〝ゼロ〟にも視線を向けてきたが、すぐにそれは〝レイア〟に、そして翻って〝アヤト〟に、と忙しなく動きまわる。
どうも、この期に及んで若い女にしか興味がないらしい。言っちゃなんだが、なんでこんな阿呆がここまで残っているのだろうか?
〝アヤト〟や〝ツーペア〟はともかく、この〝キング〟に限ってはなぜここに居るのかが不可解でならない。
実際、〝アヤト〟が残っていることを知った時以上に驚いたくらいだ。
そもそも、暴力の解禁が行われた、あの狂った夜を超えて、生き残ってきた面子がこの5人ってのはなかなか予想外だ。
このゲームが普通の殺し合いだったなら、とても残れない人間ばかりだろう。
察するに、結局、あの暴力の解禁ってルールに乗っちまった人間はお互いの暴力で身を滅ぼしちまったって事なんだろうな。
それに乗らなかった。あるいは逃げ切ってきた奴だけがここにたどり着いたってことだ。
「……解説を続けさせていただきます。一度のゲームにおける時間制限は50分。その間に22分の休憩を挟みます」
プレイヤーたちが言葉を切ったため、オレンジが解説を再開した。
「――なんでそんなに半端なのよ」
「いや多分、トータルの時間から逆算してってことじゃね?」
〝ゼロ〟もできるだけ自分のペースを乱さないように気を付けて補足する。
真夜は6時間。50×5のゲームがあって、残りの110分をこれまた5で割ると、22分だ。
休憩は4回だけど、残りの一回はこの前準備に使われてるってことじゃないか?
「その通りでございます。時間制限もありますので、今回は分かりやすいようにタイマーをセットさせていただきます」
赤ベータが手を鳴らすと、さっき会場から出て行ったベータたちが総出で標識みたいなデカいタイマーを二本、会場に設置していった。
……でもいくらデカいって言っても、さすがに全員はいらないだろ。絶対人手余ってるぞコイツら。
タイマーは、デジタル式の何ともシンプルな代物だ。表示されている数字はすでにカウント中で、あと5分を切った所となっている。
これはつまり、あと5分ほどでゲームを開始しなければならないという事なのだろう。
というか、こんなものがあるなら全部の会場に置いといて欲しかったぜ。今までの会場には時計の類いが無くて困ってたってのに。
「では、無駄話で時間を潰すこともありませんわね。説明を急いでいただけます?」
感情のこもらぬ声で〝アヤト〟が言った。
くそ、まるで姫が家来に下知でもするような口ぶりだ。いちいち癇に障る言い方をしやがる。
別に〝ゼロ〟自身に何かを言っているわけでもないのに、妙に腹立たしい。
重ね重ね、想い返さずにはいられない。
初日のアレはなんだったというのだろうか? 天使か妖精かと見まがうアレは? 擬態か? 擬態なのだろうか?
正体を隠す必要がなくなったったということか。つまり、これがこの女の素なのだろう。冷血の蛇だ。それがこの女の正体なのだ。
やっぱ、――あんな絵にかいたような美少女なんて存在しないんだろうなぁ。
いまさらのことでもあるし。あらゆる神仏に誓って未練などないが、それでも〝ゼロ〟は心の片隅に言い知れぬ失望を感じていた。
「いや、ゲームそのものを早く切り上げてしまえばいいだじゃないかな」
〝ゼロ〟が鬱々と一人俯いていると、ここで初めて〝ツーペア〟が声を上げた。
その声色は初日から変わらず軽やかだ。相変わらずマイペース――というか、まったくと言っていいほど態度の代わらないおっさんだな。
……いや、それはもはや「異常」だろう。ここまでの経緯、しかも「狼の時間」を乗り越えてなお、「変わらない」というなら、それは極め付きの異常者か、あるいは初めからすべてを知っていた人間という事になる。
「〝ツーペア〟さん、結構余裕そうですね。もう五日目だってのに」
〝ゼロ〟はここで初めて〝ツーペア〟に声を掛けた。柔和な笑顔が〝ゼロ〟の石みたいな言葉を、これまた柔和に受け止める。
「いやいや。そうでもないよ。この歳になるとね。君たちのようにはいかないね」
「そうですか? その割に、他にもいろいろやってたみたいじゃないですか」
コイツが何をしていたのかなど、〝ゼロ〟には皆目見当がつかない。カマをかけただけだ。
しかし、〝ツーペア〟は何も言わずに、
顔色一つ変えない。
この男も〝ゼロ〟を奈落に突き落とした人間の一人だ。だが、当の〝ゼロ〟を前にしても、こうして言葉を交わしても表情に変化はない。
〝アヤト〟のほうが、まだ良くも悪くも表情の変化を読み取れる。そういう意味ではまだ人間らしさがある。
だが、この男は、本当に一辺倒の面しか見せていない。あるいは、このゲームで最も異常なのはこの男なのかもしれない。
――けどな、そろそろ、その作り笑いにも飽きてきたぜ? おっさん。
〝ゼロ〟は憤激を抱いたまま、〝ツーペア〟から視線を切った。
「……ゲームそのものが50分掛からずに終了した場合はその分進行が早まります」
プレイヤー同士のやりとりを待って、先ほどの〝ツーペア〟の言葉にオレンジが応えた。
「たしかに、50分の制限があるとはいえ、絶対に50分使わなければならないという事でもありませんものね、」
不意に、揚々と声を上げたアヤト〟は、そこで「――ですが」と言葉を切った。
「わざわざ
その声に場が静まり返った。
賛同――したくはないが、〝ゼロ〟も同じ考えだ。これまでのゲームの構造を考えれば、何かあると思うのが普通だろう。
「そ、それは各自で、お、お考えください」
隣に立つ緑のシープが言い、〝アヤト〟はうっそりと、また蛇みたいに微笑んだ。
――これは
初日に〝ゼロ〟もやっていたが、事前に相手プレイヤーの思考や感情を乱すような言動を取り、その選択をコントロールしようとすること。
言わば、メタゲームだ。今回は昼間の内に事前工作なんて出来なかったし、正体も思惑もばれてるんだから大丈夫だと思ってたけど、そんなもの無くてもこの女は危険な相手なのだと再確認させられる。
人を操る蛇。あの〝シード〟なんかとは違い。こっちは本当の意味で狡知に長ける。
やはり、このゲームで最も警戒しなければならないのはこの女だ。
〝ツーペア〟も確かに真っ黒だが、実際ゲームで何かを仕掛けているのを見たことはない。
ただ、素知らぬ顔で生き残っているのが不気味と言うだけだ。
方針は定まった。やはり、この〝アヤト〟を攻略するのがこのゲームの第一義だ。
「では最期に、タブーについても解説させていただきます」
白ベータが唐突に告げた。
いよいよゲームかと思われた矢先に発せられた不可解な単語に、プレイヤーたちは皆、息を潜めた。
しかし〝ゼロ〟はすぐに納得した。これまでのことをふまえるなら、この大がかりな会場で行う特殊ルールがそんな簡素なものであるはずがない。
「タブー?」
〝レイア〟が言い。〝ゼロ〟が続ける。
「まだ、なんかあるってことだな」
「お察しの通りです」
白ベータはいつものように粛々と頷いた。
「このゲーム、プレイ中にある種の行為を行ってしまうと、ペナルティが発生する仕様となっております」
「……その、有る行為、これを「タブー」と称します」
「タ、タブーを犯したプレイヤー様には、一度の「タブー」に付き、こ、この黒い星を付けさせていただきます」
リレーして解説をするベータ達の手には、それぞれ黒いクリスタル製の「星」があった。
それは五百円玉ほどの大きさで、質感的には百均で売っている置物のようにも見えた。
というか、わざわざ作ったのかソレ? 相変わらず、妙なところに力を入れるよなおまえら。
「……このゲームのキーとなるシンボルは「5」。故に、この黒星を「5つ」つけられた時点で、そのプレイヤー様は失格となり、このロープウェーで「ふりだし」つまり、ロープウェーの袂である2日目のパークまで戻っていただくことになります」
「なお、当然のことですが、このゲームの終了をもって、ロープウェーは封鎖されますので、このルートを戻ることは出来なくなりますので、あしからず」
「なるほど、普通に負けるよりも致命的なリスクを負うことになるわけだね」
〝ツーペア〟がいい、〝ゼロ〟がその言葉に続く。
「で。当然その「タブー」は先に教えて貰えない訳だな?」
「はい。そう言うことになります。プレイヤー様方は何が「タブー」となるのかを推察しながらゲームを進めていただくこととなります」
白ベータが答えた。つまり、バスケのファウルとかサッカーのイエローカードみたいなもんか。
問題なのは、何がその引き金になるのかわからないってことか。
〝ゼロ〟はここに、一抹の不安を抱かざるを得ない。このタブーによる失格。これだけは避けなければならない事態だ。
そういや、ロープウェーも会場の設備の一つ、だったな。
〝ゼロ〟は一人ごちる。その、逆走させられる先を知るがゆえに、その懸念は深刻なものとなる。
それは「実質的なリタイヤ」を意味するからだ。どうシミュレートしてみても、ここで逆走してしまったなら、もう最終ゲームになんて間に合わない。
プレイヤーとしての資格を失えば、自分もまたオメガ・シープに変えられてしまう……。
自由意志を奪われて、まるでゲームのキャラクターみたいに、誰かに操られて……
考えるだに、背筋を悪寒が駆け上がっていく。
嫌だ。――それだけは、絶対に……
「んぶっ!?」
と、そこで再び〝ゼロ〟のもものあたりが小突かれた。右隣に居た〝レイア〟が足を伸ばして蹴りを入れてきたのだ。
「今からんな顔してどーすんのよ」
痛い、ってーよりびっくりすっからやめてくれよマジで。
〝ゼロ〟はへにゃりと〝レイア〟を見た。……お前は何も考えて無さそうだな。
でも、全くその通りだ。今からビビっても意味なんてない。
「わりぃ」
〝ゼロ〟が軽く笑うと、〝レイア〟も何かに挑むような笑顔で頷いた。
そう、いよいよなのだ。今更怖気づいても意味なんてない。なら、笑え。
――笑って、勝とう!
「おや、ちょど時間ですね」
「……では、第一ゲームの用意をお願いいたします」
丁度タイマーが鳴り、ベータ達が告げた。
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