第36話「四日目」セナカアワセ

 中空へまろび出た〝ゼロ〟は光が目蓋を刺すほどの瞬間を経て、水に飛び込んだ。


 浮遊感も、吹き上げてくる風も感じる暇が無かった。飛び込んだというか、ぶち込まれたと言う感じだ。


 だが、「マワリノロノロ」の効果のおかげで、とりあえず着水はなんとかなった。


 当然だ。いまさら、こんな程度でおたついていられない! ――いや、いろいろと麻痺してるだけかもしれないが。


 とにかく、俺のことは良い。はやく〝レイア〟を助けて、川岸に上がらないと!


 〝ゼロ〟は、すぐさま浮き袋を膨らます。


 すると、瞬く間にちょっとしたイカダほどのものが出来上がった。水上に安定しているのでひっくりかえるような心配もない。相変わらずハイテクだ!


 あとは水に逆らわず、先に流された〝レイア〟を探す。


 ――見つけた。かなり下流に居るのが見えた。浮き袋イカダで身体を安定させれば、水を掻いて追いつくのは難しくない。


 だが、問題は〝レイア〟のすぐ近くには「鬼」もいることだ。


 「鬼」はそれでもなお〝レイア〟を襲おうと手を伸ばしているが、水の中じゃ上手くいかないようだ。


 そりゃそうだ。どんなバカぢからも、地に足がつかないんじゃ意味が無い。水の中で優位に立つのは、腕力があるほうじゃなくて、泳ぎの達者なほうだ。


 なら、こっちにも勝機はある!


 そして、〝ゼロ〟はすぐに〝レイア〟に追いつける位置まで近付いた。〝レイア〟も〝ゼロ〟を見つけたようだ。


 しかし、〝ゼロ〟のイカダは途中、川中州かわなかすの大岩にぶつかって〝レイア〟ではなく、「鬼」の方へ流れていく。


「――御旗みはた!!」


 〝レイア〟が叫んだ。このまま、「鬼」にイカダを取られてはまずいことになる。


 ――だが、そのぐらいは俺だって対策済みだぜ!


「お前は、いいかげん――」


 もう目の前だった。


 奥まった眼窩の底から炒るような憎悪の眼光が、〝ゼロ〟に向けられる。だが、そこで〝ゼロ〟は、背負っていたモノを、「鬼」に向かって投げつけた。


「――楽になりやがれ!!」


 投げたのは先ほど〝レイア〟が撃ち尽くしてしまったショットガンだ。


 とうぜん、それがぶつかったからと言って何ほどの意味もない。だが、〝ゼロ〟の狙いはダメージではなかった。


 ショットガンのベルトが、「狼」の首に引っかかった。


 途端に、「狼」はもがきはじめる。


 このショットガン、〝企業〟製だからなのか、かなり軽量な代物なのだが、それでも水中ではかなり邪魔になる。

 

 そして繰り返しになるが、もはや異形と化してしまった「鬼」は自分の身体、特に骨ばって伸長した手足を持て余している。


 そんな奴が、この急流の中で、さらに重しまで付けられたら、後はもう沈むだけだ。


 案の定、「鬼」はしばしの間、あらん限りの力で水しぶきを跳ね上げてもがいていたが、次第にその動きは緩慢になり、水飛沫の向こうに――見えなくなった。


「……ッ」


 断つ様に視線を切った〝ゼロ〟は急ぎ、手で水を掻いて、こちらも沈みかけていた〝レイア〟を捕まえた。

 

 あとは、気力と体力をふりしぼって、岸まで向かうだけだ。


 




 〝ゼロ〟はなんとか〝レイア〟を岸まで引き上げた。〝レイア〟は苦しそうにしているが、自分で水を吐いているし、とりあえずは一安心だろう。


 一方〝ゼロ〟はなだらかな大岩を見つけてその上に身体を横たえた。


 日に照らされていたせいか、岩肌はじんわりと温かく、まるで羽毛のベッドのようにも思われた。


 なんとかなった。――なんとか、なった。のはいいが、正直もう無理だった。


 もう無理ってところからさらに無理をし過ぎた。俺はこのまま死ぬかもしれない。


 激痛は相変わらずだし、濡れて寒いし、眩暈めまいもするしで、限界も限界だ。


 つーか、さっきまで実際に死に掛けてたっつーの! ホント半死人になにさせてんだこの女は!


 と、〝レイア〟に恨み言のひとつやふたつも言ってやりたかったが、もはやそんな余力も見つからなかった。


 もう、なんでもいいから目をつむってしまいたい。――眠ることが出来ないんだとしても、とにかくもう動きたくない。


 と、〝ゼロ〟は切に願った。


 ――だが、その願いは当然のように叶わない。


 水を吐き切った〝レイア〟はしかし、途端に〝ゼロ〟へ向かって飛び掛かってくきたのだ。


 ――って、なんでだよ!?


「この!」


 逃げるほどもの体力もない〝ゼロ〟は身を起こして咄嗟にその両手を掴み取る。


 濡れた髪の向こうにすさまじい面貌を晒す〝レイア〟が居た。


 スゲェ顔だなオイ! なんだ、さっきの「鬼」が乗り移ってんのか? 流石にねぇだろ!? そこまで行くとオカルトじゃん!?


「何で――、来たッ!?」


 が、それは長く続かず、〝レイア〟は苦しそうにへたり込んでしまう。――よかった。憑依現象ひょういげんしょうとかじゃないらしい。


 同時に〝ゼロ〟の体力も本当に限界だ。てか、もうホント、ホンキでやめとこうぜ。俺たちに今必要なのは休息だ。どう考えても。


「何で来た? 何で!? ――ほっとけばよかったのに!」


 お互いへたれこんだまま荒い息を吐く。だが、〝レイア〟は――まだ、それでも言う事が有るらしい。


「いやでも、だってさ、――それじゃお前、下手したら海まで行って死んじまってたぞ?」


「来てほしいなんて言ってない!」


 言いながら、〝レイア〟は〝ゼロ〟の胸や肩口をドンドンと、地団太代わりに叩きながら叫ぶ。――いやちょっと待て、俺いま骨とかバッキバキなんだけど!? 


「ぐはッ! ――く、来るな、とも言ってなかっただろ。――だから来たんだってッ」


 だが、痛いから止めろと言う雰囲気でもない。大事なのは、〝レイア〟の言わんとすることを受け止めるってことなんだろう。いや、でもマジで痛いんだけど。


「なんで?!」


 そりゃ、お前、なんでって……。〝ゼロ〟は呆れたような声で応えるしかない。


 だってわざわざ答える程のもんでもないだろう。俺がお前を助ける理由なんて。


「俺が来たかったからに決まってんだろ!?」


 当たり前のことだ。ていうか、どうして来ないなんて思うんだよ? 


「こ、の――」


 そして、〝レイア〟は手を振り上げたまま、涙をこぼした。いや、こぼすなんて生易しいものではなく、まるであふれさせるように、ポロポロと。


「う、ぐ――――ふぅッく」


 そのまま、言葉を継ぐこともせず、声を漏らして〝レイア〟は泣き始めた。それは次第に、人目もはばからないくらい、激しいものになって。


 まったく訳が分からない。


 ――なんて、言わねぇよ。


 全部が分かるわけじゃなくても、お前がそうしてる理由、分かる気がする。


 ――けどな、さっきから言ってるが、俺はもう限界なんだよ。気の利いたセリフのひとつも言ってやりたいけど、――もう、無理だ。


 もはや〝レイア〟に胸を貸すこともままならず、〝ゼロ〟は湿った砂利に倒れ込んだ。


 いや、せめて、――せめて倒れるのならさっきのベッドの上で……。






 それからそれからしばらく、二人で砂利に座りんでいた。


 〝レイア〟は泣き続け、〝ゼロ〟はまたマグロの様に横になっているしかなかった。(〝ゼロ〟のせいで)いろいろと絞まらないが、だが、これはもう仕方ない。


 暫くそうした後、二人とも無言でさっきのベッドの上に腰を落ち着けた。ああ、ったかい。


 すると〝ゼロ〟の脇で膝を抱えた〝レイア〟はぽつり、ぽつりと、降り始めの雨みたいに話し始めた。


「――アタシは、ずっと、誰も信用しないで生きてきた」


 そりゃあ、見てればだいたいわかるさ。


「俺のせい――か?」


 身体の不具合が無くなったわけではないが、とにかく今は忘れておくこととし、〝ゼロ〟は真摯な態度で〝レイア〟の言葉に応じる。


「ううん。違う。――て言うか。逆」


「逆――って」


「――もっと前から。生まれたときから、ずっとそうだった」


 そして、〝レイア〟は滔々と語った。


「あたしの名前、なんて書くか覚えてる? 愛がゼロ零愛レイアだよ? そう言うナマエ。着けちゃうような親なんだよね」


「いや、でもそれ、たしか、――「こぼれるほどの愛を」、みたいな意味じゃなかったっけ?」


 昔、ずっと昔に、そんな話をした覚えがある。


 あのときはお前得意げにそう言ってたじゃん。


 なんでそんなの覚えてんの。と〝レイア〟は、へらっと、泣きそうな顔で笑った。そして続ける。


「実際のところが伴ってなきゃ同じじゃん? ウチの親、結局口先だけでさ。――アタシが他の子と違うから、それがムカつくんだってさ。――アタシのせいじゃないのにね……家庭環境と遺伝無視して太る子供なんて居るわけないじゃん?」


 〝レイア〟は吐き捨てるように語る。


 きっと、それは、これまでの人生で、誰にも打ち明けられなかった胸の内というヤツなのだろう。


「親も、友達も、先生も。結局、誰も信じられなくなってた。結局。成る様にして成ってるって、理解したんだ。そんで、家から逃げてさ。いろんなものから逃げるうちに、ここに来てた」


「……」


 自分も同じだ。なんて言葉は吐けなかった。少なくとも、〝ゼロ〟にはあの自室があった。〝レイア〟にはそれすら与えられなかったのだ。


「アンタ、アタシの家に来たでしょ? 昔」


「――ああ」


 〝レイア〟はまた、噛みしめるように言った。


「一人でさ。雨ん中」


「だれも、一緒に来てくんなかったから。――結局何もできなかったけど」


「うれしかった」


 〝ゼロ〟はただ、〝レイア〟を見たが、〝レイア〟は顔を背けたままだ。


「――アンタだけだったからさ。アタシの為に、何かしようとしてくれたの」

 

 そして、〝ゼロ〟の応答を待たず、〝レイア〟は続ける。


「親も先生も、だれも、アタシじゃなくて、アタシのラベルにしか興味なかった。のことなんて、誰も気にしてなかった」


零愛れいあ……」


「アンタだけだった」


 〝レイア〟は依然として、顔を背けたまま抑揚のない、しかし棘の無い言葉で語って聞かせる。


 初めて聞くような、優しく、それでいて懐かしいような、そんな声で。


「今も、昔も、体張ってまでアタシのこと助けようとしたの。アンタだけだよ」


「――それで、確かめたのか」


 〝ゼロ〟がどういう人間なのか、本当に自分が信じてもいい人間なのか、〝レイア〟はそれを確かめずにはいられなくなったのだ。


 だから、あんな真似をした。


「……」


 〝レイア〟は曖昧に〝ゼロ〟の方へ顔を向け、頷いた。叱られるとでも思ったのか、すぐに首をすくめて下を向く。――ああ、そういうの、昔のまんまだ。


「良かった」


 〝ゼロ〟はため息交じりに言った。〝レイア〟は上目使うような具合に、〝ゼロ〟を見る。


「ホントにあいつらのこと、見捨てるつもりじゃなかったんだな」


「……わかんないけどね。自分でもどうなるかわかんなかったし」


 それでもいいさ。〝ゼロ〟にとっては、自分への仕打ちよりも、そっちの方が重要だった。


 正直、俺自身への扱いについては今更の気がするしな。


「……全部、アタシのせいだって思わないの? 昨日の、あの〝さくら〟おじさんのことも、オメガを身代わりにしたことも」


「思わねぇよ。自意識過剰かよ」


 そもそも、こんな非常識なゲームの中に居るんだ。それで誰が何をしたんだとしても、一番問題なのはやらせてる〝企業〟じゃねぇか。


「誰かのせい――なんて考え始めると終んねぇだろ。そう言うのは、全部終わってから考えればいいと思う」


「――そっか、な」


「そうだよ」


 〝ゼロ〟が強く言うと、〝レイア〟は黙り。二人はしばらくの間、せせらぎの音を聞いていた。


「……あんた、ホントにあいつら、帰してやるつもりなの?」


 不意に〝レイア〟が言葉を続ける。


「ああ。そう思ってる」


 〝ゼロ〟は頷き、しっかりと言葉にした。これから何があっても、その目標は変わらないと思う。


「お前は、どうするつもりなんだよ。ゲームに勝って、〝企業〟に入るのか?」


「じょ~だんッ!! こんなわけわかんない事しでかす連中と一緒になんてなりたくない」


 少々声の調子を上げて、〝レイア〟は言う。ちょっとは元気でてきたか?


「じゃあ、金?」


「……そりゃ、欲しいけど、……アタシはとにかく、自由でいたい」


 一転、またしぼむように言ってから、今度はうつむいていた顔を上げる。


「この〝企業〟だけじゃない。国にも、親にも、誰にも! 理不尽に押さえつけられて、見下されない、誰にも支配されない。……そういう人生が、欲しい」


 そして、まなじりを決した〝レイア〟に、〝ゼロ〟も真っ直ぐに応える。


「じゃあ、決まりだろ。――俺たちが企業に要求すんのは「自由と安全」だ。俺とお前と、それとオメガ達全員の」


 すると〝レイア〟は、一度頬を紅潮させてから、しかし、すぐに視線を逸らした。


「――アンタはそれでいいの? アンタからしてみたら、それって、なんも貰ってないのと同じなんじゃない?」


 確かに、〝ゼロ〟はそもそも〝企業〟の支配から自由だったし、やろうと思えば何でもやれた。


 やっていなかったのは、やらずに不貞腐ふてくされていたのは〝ゼロ〟自身の問題だった。


「ああ。それでいい。賞金があるなら欲しいけど。無くてもいいや。自由と安全、それが第一だって、このゲームで思い知らされた」


「……ま、そーかもね」


 〝レイア〟が嫌みのない声でいい。〝ゼロ〟も自分の言葉を反芻はんすうしたが、やはり、それでいいと思えた。 


 だいたい、こんな目にあって、それでも何度も一か八かの決断を迫られてきたんだ。むしろ、日常に戻ってから変わらずに生きていける方が変だとさえ思える。


 ここで経験したことが〝ゼロ〟にとっては今後の財産みたいなものだ。


 だから、後はコイツと一緒に日常に戻れれば、それで悔いはないと思う。

 

「……けど、オメガを全部を解放しちゃったら、ここってどうなんのかしらね?」 


 視線を身体ごとそらして、〝レイア〟は言った。


 相変わらず、なかなか喋ってる相手と正対しねぇなお前は。――ま、いいけどさ。


「さぁ? ――また、他の人間をオメガにすんのかもな」


「それじゃ、一緒なんじゃない?」


「んじゃ、これから先もプレイヤーをオメガにするなって要求もするか」


〝企業〟アイツら、聞くかな?」


「無理かもしんないけど、言うだけ言おう」


「……うん」


 もとより、どれだけ要求する権利があるかもわかんないんだしな。今それを考えても意味が無い。やるだけやってみようぜ。


「それに、どーせなら、あのベータ共にやらせればいいんだ。給仕も何もさ」


「アイツラに? すっげークレームとか来そうなんだけど?」


「だな」


 言って振り返った〝レイア〟は満面の――とは言わないが、何時もよりも素直な――笑顔を見せた。


 〝ゼロ〟も、率直に笑う。――というか、あの無愛想な白ベータとか、巨漢の黒ベータがオメガの代わりをやっているところと言うのは、想像するだけで笑えてくる。

 

 ひとしきり笑って、話し込んだ後、二人は川原の端まで移動した。その先は切り立った壁のような斜面となっている。


 少しは風を遮れるが、日は落ち、気温が下がってきた。


 体温調整の機能は有るが、やはり限度というものがある。


 くしゃみが出るし、身体も氷みたいになっている。


「火とか起こせねぇかな」


 困ったらサバイバルツールだ。〝ゼロ〟はまたサバイバルツールを腕に押し当て、詳細を探る。


 確かライターとかもついてたはずだ。――しっかし、このままだとこのツールの機能全部使い切ることになりそうだな、俺たち。


「――てか、人にばっか恥ずかしいこと言わせないでよ」


 〝ゼロ〟が流木でも拾って薪にしようかと考えていた時、背後からそんな事を言われた。


「ん? なに?」


「だから、――あんたも、なんかないの? 言ってないこととか、秘密とか」


「なんだよいきなり……」 


「いいからッ」


 横目で振り返ると、〝レイア〟が耳まで真っ赤にして居るのが見えた。


 どうやら、今になってさっき自分が言ったことに対して羞恥心が沸き起こってきているようだ。


 いや分かるよ。一時のテンションで言ったりつづったり発信したりしたことが、後で考えてみると取り返しのつかない事だったってことがな。人、それを黒歴史と呼ぶ。


 けど、俺が何を言っても今更な気がするなぁ。なにせ、恥ずかしいも恥ずかしくないも、俺の内外のあれこれはぜーんぶ知られちまってる、と言っても過言じゃない。


 いまさら告白することなんてない。


 ――けど、ああ、そうだな。どうせだから、俺も、この際勢いに乗っておくのもいいか。


「秘密とかじゃないけど――」


「なに?」


 〝ゼロ〟の言葉に、〝レイア〟は思いのほか食いついてきた。なんだその期待した目は。


 悪いが、今度はお前に笑われてやる気はねぇ。


「――俺は、ここに居てくれたのがお前で、本当によかったと思ってる。助けられたこととか、そういうの抜きにしても、さ」


「………………そう」


 〝ゼロ〟のこれまたこっ恥ずかしい、しかし、一切のウソ偽りのない言葉に、〝レイア〟は掠れるような声で応えたあと、今度は完全に背中を向けてしまった。


 ――なんだぁ、恥ずかしがってんのか? だろうな。俺も恥ずかしいけど、お前も恥ずかしい奴だよなコレ。これぞ黒歴史返しだ。


 でも、本心だ。誰にどう思われたとしても、俺はホンキでそう思ってるよ、零愛。


 ――と、〝ゼロ〟が一人目を細めていると、なにを血迷ったのか、〝レイア〟はそのまま、〝ゼロ〟に背を向けたまま服を脱ぎ始めたのだ。


「――ちょちょちょ、おまままッ」


 〝ゼロ〟は仰天して声を上げるに上げられずに目を逸らす。


 ――いや、なに勘違いしてんのお前!? 俺たちってそう言うんじゃね―から! ……ねーよな?


 しかし、を問い詰めるわけにいかない。というか声が出ない。


 逸らしたはずの眼には落ち始めた夕暮れの光に照らされる〝レイア〟の裸体が映っていた。


 つまり、全然逸らせてないってことだ! しかも、意に反して目が離せない。そんなつもりはなかったんです?!


 と、〝ゼロ〟は当てどの無い言葉と舌とをねじれさせながら、ソレを見つめる。


 細く余裕のない、どこか尖った印象だった身体の線が、いまや妙に丸く、なんというか、年相応の少女の裸体に見えたのだ。


 って、ええええぇ!? いや、なんスか!? マジでなんなの!?


「――なに見てんの? アンタも脱いで」


「ぅえへぇ!?」


 いや、違うだろ!? 一時のテンションでっていうのは黒歴史までににしとこーぜ!?


 これ以上はアレだって! 良くないって! ――いや、意外なほど全然嫌ではないけど、やっぱ良くないって!! だって河原だし!


「服乾かすんだって。――なに想像してんの?」


「……ああ、うん。だよな」


 してませんけどぉ?! なにも想像なんてしませんけどぉ!? 


 て言うか、なんだこの敗北感は!? 何で俺負けたみたいになってんの?!


「いやでも、乾かすってももう夕暮れだし……」


 ――――第一、とはいえ、なにはともあれですよ? 二人とも脱ぐのは、なんかマズくないですか? いや、何もしないし、させないけどさぁ。


「良いからさっさとする! ぶっ倒れられても困んのよ。何時までも川岸ここに居られないんだから」


 〝ゼロ〟が一人懊悩する間に、〝レイア〟は下着姿のまま川岸に転がっていた流木を集めて〝ゼロ〟の脇に積んだ。


 〝ゼロ〟としては、それをじろじろと見るわけにもいかず、もそもそと濡れた服(といってもズボンと靴ぐらいのものだが)を脱ぐしかない。


 いや、にしったってもうちょい隠してくれませんかねぇ? 


「もうちょっと、物干しに仕えそうな枝とか探してくるから、アンタ火ぃ起こしといて」


「はぁ!? ――いやちょっと……」


 そんな〝ゼロ〟の気も知らず、〝レイア〟はさっさと行ってしまう。


 単独行動は危険だとかなんだとか、いろいろ頭には浮かんだが、言葉にすることはできなかった。

 

 〝ゼロ〟は仕方なくサバイバルツールで火を起こす。てか、言いたいこと言ったらいきなり元気になったなお前! 調子狂うっつーの!!






 サバイバルツールのおかげか、適当に積んだ流木にも簡単に火は着いた。


 マジで役に立つなコレ。〝ゼロ〟は一人、火に当たりながら考える。


 しばらくそうしていると、だいぶ身体が温まってきた。いくら標準的に体温調節機能が付いてるからって、ここまでズタボロにされた挙句に川に落ちたんだ。


 そう簡単に体力は回復しない。何時までもここに居るわけにもいかないと言うのは正しい。


 服を乾かしたら、先へ進まなければならない。


 「狼の時間」が終わるのを待って救助を期待するって手もあるんだろうが、ここに留まって何が起るかは予測がつかない。


 あの「鬼」が追ってくる可能性もゼロじゃないだろうし、他の「狼」や或いは武装した「プレイヤー」に見つかるかもしれない。

 

 とても、ここにじっとしているという選択は取れそうになかった。


 まだ周囲を見通せるほどには明るいが、じきに全てが闇に包まれることだろう。特に木々の間に入ると闇は危険度を増す。


 出来るだけ早く服を乾かして、動き出さなければならない。


「はいこれ」


 そうしていると〝レイア〟が戻ってきた。


 〝ゼロ〟は枝を受け取り、サバイバルツールを使って簡易的な物干し台を作る。(今度はなんかセロテープみたいな紐のようなものが出てきて、テキトーに縛ったらうまくいった。相変わらずチートだ)


「火に当たんなくていいのか。寒いだろ」


 そういう焦燥もあって〝ゼロ〟は〝レイア〟を促すのだが、〝レイア〟は火に当たるのではなく、何故か〝ゼロ〟の背後に回って、また背中越しに何かを寄越してきた。


 靴と――下着だった。


 マジかてめェ!?


 〝ゼロ〟だって、パンツだけは履いたままだ。なにさらっと全裸になってんだよ、お前は!


 しかし叫ぶわけにもいかず、〝ゼロ〟はそれをおとなしく物干し台に並べた。いくらなんでも思いきりが良すぎんだろ。


 だから、なんなんだこの敗北感は!?


 ――まぁいいけど。にしても困った。まさか全裸で並んで火に当たるわけにもいかない。


 いや、この緊急時に何をと言う意見もあろうかとは思うが、いやしかし、やっぱりね、そう言うのをうやむやにするのは良くないですよ?


「よし、分かった。俺がそっちを向くから、背中合わせに入れ替わって――って、うへぇ!?」


 急に何かが背中に押し付けられてきて、〝ゼロ〟は何度目になるのかもわからない頓狂な声を上げた。一瞬水でも掛けられたかったと思うほど冷たかったが、そうではなかった。


 遅ればせながらに味わう柔らかな感触で〝ゼロ〟は〝レイア〟が自分に背中を預けてくるのだと知れた。


 言わば組体操みたいな体勢だが、しかしお互いを隔てるものはそれこそ薄布一枚無い状態でもある。


「いや、おまえ……」


「いいよ。意外と、寒くない」


 背中合わせセナカアワセに、じっくりと、互いの体温が混ざり合っていくのが分かる。


 幾つかの意味で、跳ね除けようとは思えなかった〝ゼロ〟は、されるがままにしておくことにした。


「……なら、いい」


「うん」


 ――――ったく、良くないことですよ? つってんだろーが! ホントに気まぐれな猫みたいなヤツだよ、お前は! こっちは気が気じゃねぇっつーの!



 ……そして、二人は雲間の星が夜を染め始める頃まで、そうしていた。




   


 乾いた服を身に着け(〝ゼロ〟は上半身裸のままだが)、二人はまずロープウェーのワイヤーが見合える位置まで川岸をさかのぼった。


 このワイヤーを辿っていけば、次のゲーム会場にたどり着けるはずだ。


 とりあえず、ゲーム会場まで行けば、身の安全は保障されるはずだ。その一心で、ライターの灯で行く先を照らしながら、二人は崖を昇っていく。


 幸い、壁昇りに比べれば、登っていくのは簡単だった。


 時に体力のある〝レイア〟が、時に吸着能力のある〝ゼロ〟が先導し、互いに手を取り合いながら先を目指す。


 どれほど登り、そして歩いただろう。歩く地面が平坦になって、茂みの向こうに晴れた月夜を見上げる頃。


 二人は、ロープウェーのワイヤーが伸びる先にたどり着いていた。石造りの巨大な風車のような建物だった。


 時刻はそろそろ真夜、つまり「狼の時間」の刻限を意味する。


 ルール上は、これで安全を確保できるはずだ。しかし、このゲームのルールほど当てにならないものはない。


 入口は解放されていた。〝ゼロ〟は警戒しながら会場の中へ足を踏み入れる。あとに続く〝レイア〟が、手を握ってきた。〝ゼロ〟も、泥だらけのその手を、しっかりと握り返す。


 会場の中は真っ暗だった。ライターの火をかざすが、良く見えない。誰もいないのか? 人の気配は? わからない。もしも「狼」が居たら……。


 二人の心臓が、共鳴するみたいに脈動し、喉がひりつく。


 それでも、ここで足を止めるわけにはいかない。〝ゼロ〟は〝レイア〟の手を強く握りしめ、会場の中へ踏み込んだ。


 そこで、パッと、会場に眩い光が灯った。


 何事かと目をしばたたかせる〝ゼロ〟達の目の前には、10人ばかりの人影があった。


「――おめでとうございます。〝レイア〟様、そして〝ゼロ〟様」


 そして拍手が巻き起こる。見ればそこに居た10数名の人影はベータ・シープ達だったのだ。


 元は〝ゼロ〟の御付きだったの白ベータに、〝レイア〟の黒ベータ、金斑に青い奴もいる。なんだお前ら、総出でお出迎えに来てたってのか?


「見事「狼の刻限」を乗り切られましたね」


「お前……解ってたなら迎えに来いよ」


「申し訳ありません。今宵の真夜までは、我々は動くに動けませんでしたもので」


 〝ゼロ〟の言葉に白ベータは慇懃に頭を下げる。


 なんで、そう設定に忠実なんだお前らは。――まぁ、いい。新しい罠とかが無くて一安心だ。


「他には誰も来てないの?」


 〝レイア〟が巨漢の黒ベータに言った。


「いや、だレもいナい。お前たちだけダ」


 良いね。そりゃ朗報だ。安心したせいか、さっきから笑いっぱなしだった膝から力が抜けた。


 その〝ゼロ〟の身体を〝レイア〟が支えてくれる。しかし、当の〝レイア〟の身体も震えっぱなしだ。まぁ、間違いなく人生で一番キツい一日だったからな。


「それでですが、今宵のゲームはどうされますか?」


 そんな二人に、白ベータが淡々と言った。


「ハハ」


 やるわけ、ねーだろ……と、途切れるように言って〝ゼロ〟は、そして〝レイア〟も、そろってその場に倒れ込んだ。 



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る