第35話「四日目」真意は何処か
ゴンドラは宙空を進んでいく。思いのほか、静かだ。
ちょうど白く
もっとも、床にマグロが如く横たえられている〝ゼロ〟にには、確認しようがない。
まるで
ゴンドラはゆっくりと、しかし確実に進んでいる。
まぁ、――下なんて見れない方が良いさ。何メートルあるのか知らないが、もう二度と高所や落下の恐怖に晒されるのは御免だ。
死んだって二度とやらない。俺はもうこれから、三階以上の建物には絶対に昇らんぞ。
などと一人、切に物思いながら、〝ゼロ〟はじっくりと時間をかけて食事を取っていた。例の携帯食料だ。二度目でも、やはり大層美味い。
それをたっぷり咀嚼して、息を吐いた。上等の毛布にくるまるような安堵感が心地よかった。
身体はそれこそボロボロのズタボロだが、これで何とか生き残れる……。
まさか生き残れたっつーだけのことで、こんなに喜ぶ日が来るとは思ってなかったよな……。
などと言う間に、腹が不服を訴えるように鳴った。ありゃりゃ。
まぁ、そりゃあそうだよな。目いっぱい時間をかけて携帯食料を噛んではみたが、流石に消耗し過ぎていて物足りないのだ。
ちゃんと休める安全な場所で、ちゃんとした食事をとりたいもんだ。
……思えば、まさか、このゲームで睡眠以外の心配をすることになろうとは考えてもみなかったな。
今までは好きなだけ勢を凝らした食い物がでてきたんだもんなぁ。話が違うぜまったく……。
ああ、向こう岸のパークに着いたら何を喰おうか。いや、まずは熱い風呂に浸かりたい。
汚れすぎだ。ぶっちゃけ次のゲームのことも考えなきゃなんだろうけど、ここまで心身が擦り切れると、人間、そんな先のことにまで頭が回らなくなる。
――いや、違うな。
本当は、これまでにあったことを考えないようにしているだけなのかもな。昨夜の大勝利と、それが目の前で掻き消えてしまった事実。
そして何よりも多すぎる死を見続けてしまったこと。
こうして見ると、やはり現実のこととは思えない。まるで何年も前の、或いは遠い世界のおとぎ話のようにも思えてくる。
人の記憶は、それがそのままの記憶であり続けることを許されない。
その記憶は、良くも悪くも、分かりやすい形にデフォルメされ、まるで倉庫か書斎のような場所に押し込まれ、他の曖昧な記憶と押し並べられて、平均化される。
きっと、マンガや映画や、或いは遠い場所で起こった悲劇の伝聞みたいなものに埋もれて、見えなくなってしまうのだろうか?
――それは、許されるのか? 許されることなのか? 昨夜の、いや、このゲームで起こったことを、〝ゼロ〟は、いったいどうやって、日常へ持ち帰れば良いのだろうか?
「いっ――てぇ」
身じろぎの対価には過ぎた痛みが、思考を分断してくる。
――ダメだな。せっかく生き残ったんだ。ここでネガティブなことばっか考えて、ヘマをしたら目も当てられない。
いまは、とにかく現状を前向きに捉えよう。
そう思って、ゴンドラの天井を見上げる。美味い料理に安全な寝床。安心と安堵を貪る空想を浮かべようとする。
しかし、〝ゼロ〟の気持ちは一向に晴れる気配が無かった。
勝って、生き残った。誰かを助けることもできた。自分みたいなヤツには、これ以上ない成果だ。――けど、どこかで、自分は満足していないような気がする。
何か――なにか、出来るハズなのに、取り残しているモノが、あるような。
「ねぇ――さっき言ったこと、ホンキなの?」
〝ゼロ〟が故も知らぬ自問自答をしていると、不意に声を掛けられた。
ゴンドラの隅、
膝を抱えたまま、何故か遠巻きに〝ゼロ〟を見てくる。てか、なんでお前、そんな遠くに居んの?
「ん? なに?」
しかもぼそぼそと話すもんだから聞き取りにくいっつーの。もうちょっと大声でしゃべるか、近くに来てくれ。こっちはまともに動くこともできねぇんだからさ。
「だから、コイツ等、みんな家に帰すって」
「いや、まぁ、うん」
ああ、そのことか。そこまで具体的な考えから言ってことではなかった。つい、口をついて出た言葉だったのだ。
〝ゼロ〟は頷きつつ、周りにいるオメガ達の顔を見回した。皆、相変わらず不思議そうな顔をするばかりだ。
一度は、どう答えればいいのか、といつものように考えた〝ゼロ〟だったが、すぐにそれを止めた。
いまさら、顔色を窺うような間柄でもないだろう。正直に答えるだけだ。
「――そうだな。そう思うよ。コイツ等も元はプレイヤーなんだ。こんなこと終わらせて、帰してやりたい」
それはもう、〝ゼロ〟にとって取り消すには忍びないものとなっていた。たとえ、何度問われても、この気持ちはウソではないと思う。
「……勝って、それを〝企業〟に要求したいってこと?」
「まぁ。……そう、なのかな」
あ、そっか。何かと思ったが〝レイア〟はこの「インソムニア・ゲーム」に勝った後の話をしてるのか。
気の早い奴だな。と〝ゼロ〟は半ば呆れたが、――まぁ、この修羅場を乗り越えたんだ。多少なりとも浮ついた話をしてもいいか。
「それでいいの? こんな目にあって、貰えるのがそれで」
「でも、それ以外にどうしろって? まさかこんな〝企業〟に就職なんてしたくないし(そもそも就職自体したくないし)、特にしてほしいこともない。あとは生きて帰って――もちろん、慰謝料ぐらいは欲しいけどさ」
〝ゼロ〟は声の調子を上げ、割合に意気揚々と語ったのだが、何が気に入らないのか、〝レイア〟はぶつ切りよろしく、視線を断った。
「――あっそ」
そして、または黙り込んでしまう。
何なんだろーなーコイツは……。せっかく生き残って身の安全も保障されたってのに、なんでまだそんな難しい顔してんだ? 浮かれてたんじゃないのかよ?
「ちょっと後ろむいて」
暫く押し黙った跡、〝レイア〟が唐突に言った。
「はい?」
会話が途切れたのをいいことに、ひたすらぼーっと空気を噛んでいた〝ゼロ〟は、その言葉に半分寝ているような反応を返した。
先ほどのゴツい注射のせいか、感覚がフワフワしてきて、自分の状態が定かでなくなってきていたところだった。
休みたいはずなのだが、逆になんだか寝てもいられないような、妙な気分だ。――やっぱあの注射、ヤバい代物だったんじゃなかろうか。
「包帯巻きなおしてあげる、つってんの」
「ぅええ?」
しかし、〝レイア〟の発言に、そんな副作用への懸念は吹き飛んでしまった。
なんだぁ? 別の人格でも目覚めたのか? それともお前も不思議な薬がキマってたりすんのか?!
緊急事態でもないのに、そんなこと言いだすキャラだっけ? お前??
「なによ」
「いや、まぁ、けど……」
言って、〝ゼロ〟は顔を曖昧に引き攣らせる。
そりゃあ、まぁ? 悪い気はしない、けど?
いや、それでもちょっと気味悪いというか……
しかし、〝レイア〟はじっとねめつけるように見てくる。断る理由もない〝ゼロ〟は、素直に従うしかなかった、
「じゃ、じゃあ、頼む……」
なんなのだろうか? 見た目からは解らないけど、やっぱりコイツも内心では浮かれてるとかだろうか?
もしもそうなら、もうちょっとわかりやすく浮かれてほしいもんだなぁ。
兎角、〝ゼロ〟は、難儀しつつ立ち上がり、ゴンドラの窓際に手をついて、〝レイア〟を待った。
下を見下ろすと斜に注ぐ日の光が、水面に反射していのが分かる。
――うわぁ、やっぱ思ったより高けぇ。下が水でも落ちたら終わりじゃねぇのコレ?
「お手伝いしますノン」
「いらない。――全員黙って座ってて」
と言う、オメガを遠ざける〝レイア〟の声が、背中越しに聞こえた。
何でそう刺々しいのかねぇ。別に手伝ってもらうぐらいはいいんじゃね? まぁ、好きにさせるか。
〝ゼロ〟は煌めくような水面を見下ろしつつ、ただ、そのやりとりを聞き流した。
疑問はあったが、その疑問は聞き流してもよいものだったからだ。
しかし、次いで聞こえたのが、ガチャ――ッと、何か、重苦しい機器を可動させるような音だったのことには大いに疑問を感じた。
何かと振り返った瞬間、銃口は火を吹いていた。
〝レイア〟が手にしていたのは、先ほど「狼」への襲撃にも使用したショットガンだ。
これらの銃器の類いは並べてベルトで背負えるようになっており、〝レイア〟はゴンドラの中でさえそれを置こうとはしなかった。
そもそも、やたらと用心深い奴だし〝ゼロ〟も自分のことで手いっぱいで気にしてはいなかったのだ。
だが、それがいま、〝ゼロ〟の背後から、いましがたまで見ていた窓へ向けて、続けさまに射ち放たれたのだから、たまらない。
当然、窓は大破し、ゴンドラの側面には大穴があいた。
風が吹き込み、突如自分のを掠めて言った衝撃も加えて、〝ゼロ〟は眼も開けられない。
当然、訳が分からないし、意味も解らない。
耳を押さえて、身体をくの字に折った〝ゼロ〟だったが、すぐに足払いを掛けられ、破片の散乱する床に引き倒された。
肩口を踏みつけられ、銃口を突きつけられる。
後ろには風穴。このまま押し込まれるだけで、〝ゼロ〟は下の小川にまっさかさまである。
完全に死に体だ。抵抗のしようがない。さっき「狼」にされたのと同じだ。
だが、今それをやっているのは、自分を助けてくれたはずの〝レイア〟なのだ。
「おま――なんでッ」
言いながらも、しかし〝ゼロ〟は〝レイア〟が何をしようとしているのかを察していた。
考えたくはなかった。しかし、その状況は、このゲームにおいては常に発生しうるものだったから。
裏切り。
プレイヤーとして、別のプレイヤーを蹴落として、自分だけが先へ進むと言う選択。
だが、〝ゼロ〟には信じられなかった。まさか、どうしてこの期に及んで、〝レイア〟がこんなことをする理由がある?
〝レイア〟はすぐには言葉を発しなかった。視線が、交差する。
「――改めて
〝レイア〟は、また同じ質問を繰り返した。
「そ――そうだッ。だったらなんだってんだよ! これはどう――」
気を吐こうとしたところで、脚で身体を押し込まれ、穴に近づく。
「おまッ、やめ!」
「なら、あんたとはここまでだよ」
〝レイア〟は本気だった。確かめるまでもなく解った。
でなければこんなことしないだろうし、何より、自分を見下ろす壮絶な視線が、それを物語っている。
瞳孔は開き、蒼ざめた顔からは、これが狂言の類いでないことが解ってしまう。
「何言ってんだ!? どういうことだよ!?」
しかし、〝ゼロ〟には解らないのだ。なぜ〝レイア〟はこんなことをしているのか。
「アタシは、コイツ等のことなんてどうでもいい。アタシはそんな事の為にここへ来たんじゃない。アタシはアタシの為だけに勝つ」
淡々と、しかし、満身の力を込めるように、一字一字を鋲で打ちつけるようにして、〝レイア〟は言葉を発する。
――ホントにクスリとかキマってるわけじゃないよなお前?
「アンタがコイツラの為にっていうなら、アンタはアタシの敵だ!」
「――なんでだよ!」
何でそうなんだよ!?
〝ゼロ〟も〝レイア〟を睨み据える。しかし、敵対する気概は湧いてこなかった。対抗したいわけでもない。ただ、知りたいのだ。なぜなのかを。
だって、さ。
「お前だって、――〝助けたい〟って思ってたんじゃないのかよ!」
〝レイア〟はさらに〝ゼロ〟の身体を足蹴にしてくる。
〝ゼロ〟の背中は肩甲骨の辺りまで押し出され、遠い水面から跳ねる飛沫に晒されているような気になってくる。
「カンケ―ない。無理なんだつったろ! アタシらみたいのは、初めっから!」
これ以上はマジで落下の危機だ。しかし、だからと言って、ここでコイツに迎合するわけにはいかない。
「それは――お前が勝手に言ったことじゃねぇか!」
気を吐いた〝ゼロ〟に、〝レイア〟は鼻を鳴らす。
「――なら、なにされるがままになってんの!? アタシのこと押し退けるなり、殺すなりしてみろよ!」
何言ってんだコイツは!?
「出来るわけねぇだろ!? なに言ってんだよオマエ!」
さらに蹴りが見舞われ、〝ゼロ〟は腰あたりまで押し出される。
なんとか手で穴の縁を掴むが、〝レイア〟がその気ならとっくに落ちていても不思議ではない。
「じゃあ落ちるんだけど? ここでリタイヤしたら、ゲームに勝つことなんてできなくなんじゃないの? そしたら、誰も助けられない」
「……お前……」
「結局、アタシの言うとおりだ。さっきアンタが言ったことは、口先だけってことになる!」
〝ゼロ〟にも、ようやく〝レイア〟の言いたいことが解ってきた。しかし、動機が分からない。
〝レイア〟はなぜ、こうまでしてこだわるのだろうか?
〝ゼロ〟は四肢に力を込める。
確かに、ここで脱落するわけにはいかない。――しかし、重症患者の〝ゼロ〟に何ができるというのだろう?
なにがある? ――サバイバルキット? しかし、これでショットガン相手にどうしろと?
「――お前は、それでいいのかよ!」
〝ゼロ〟は吼えるが、返答がわりに、銃口が顔面を痛打してくる。おまえ、――それそう言う道具じゃねぇからな?
「こ、こんな状況で、――抵抗も何もないだろッ」
〝ゼロ〟は顔面を押さえながら叫ぶ。ここまで追い詰めておいて、抵抗してみろとはあんまりだろう。
「バカなの? 使えるものならあるじゃん。声を掛けるだけでさ」
「――お前!!」
その言葉に、〝ゼロ〟も声を荒げざるを得ない。この期に及んで、コイツ等を、オメガを犠牲にして生き残れってのか!?
「それが生きてくことだって言ってんだろ!!」
突きつけられた銃口に何度も打ち据えられ、〝ゼロ〟の顔面は再び血だらけになる。
だが、これ以上後ろに下がることもできない。――いや、してはならない。
〝ゼロ〟は自分から顔面で銃口を迎え打ち、〝レイア〟を挑むように見据える。
――おまえだって、そんなこと望んで無いハズだろ!!
「さぁ、どうする? 自分か、コイツ等か。どっちもなんてのはない! 解ってんでしょ? ずっとそうだったって!」
「これからもそうだとは、限らねぇだろうが!」
「いいや、アタシの人生はそうだった。――だから、それを何とかするために、ゲームに勝つ! 自分のためにだ! コイツ等の為にじゃない!」
堂々巡りだ。このままじゃ、何も解決しない。
黙り込んだ〝ゼロ〟に、〝レイア〟は吐き捨てるような舌打ちを打つ。
「あのときと同じだ。あのときも――アンタは結局、何もしないで、帰った」
「――え?」
〝レイア〟がこぼした言葉に、〝ゼロ〟は一瞬、それまで抱えていた全てを取り落していた。
〝レイア〟への疑問も、この状況への葛藤も、すべて。
あの時、――って?
「そのくせ、今さら誰かのこと「助けたい」なんて言うな! どうせ口先だけの癖に! ――アタシのことは助けなかったくせに! 調子が良すぎんだよ!!」
当然、言葉の意味は分かっていた。だが、その意味を呑み込むことが出来なかった。
知ってたのか? お前。
あの、まだ小学生の時、学校に来なくなったお前の家まで、俺、一人で行って、でも、何もできなくて、ただ帰ってきて。
だって、家には明かりもついてなくて。なのに、気付かれてた?
――謝らないと。
咄嗟に〝ゼロ〟は思う。思うが、その思いが思うようには、言葉にならない。
でも、普通に考えて無理だったろ? 俺はあの時小学生で。でも、きっとコイツには関係なくて。助けてほしかったはずなのに。
オレ、何かできたはずなのに――――
助けたかった。何とかしようと、家まで行った。けど、何もできなかった。
そうか。それが、そんな奴が、お前を見捨てた人間が、いきなり目の前で博愛主義者に鞍替えしたら、そりゃあ、ムカっ腹が立つだろうな。
だから、謝りたかった。言葉のかぎりをつくして。
「――ごめ、ん」
しかし、いざ滑り出たのは、そんな空っぽの言葉だけだった。もっと言いたいことは有る。
弁明も、謝罪も、共感も、説明も、憐憫も、申し訳なさも。もっと言葉にしたいことはあった。しかし、それらは喉に詰まるようにして、やはり、声になってくれない。
喘ぐように、空を掻いた〝ゼロ〟の唇はしかし何事の言葉も続かない。
「――謝ってほしいんじゃないッ! 今更、そんなの、何の意味があんだよ!? そんなんじゃない! そんなんじゃなくて――――もっと必死になれよッ、アタシを押し退けてでも生き残ろうとしろよ! なんでおとなしくしてんだよ! 助けるんじゃないのかよ!?」
〝レイア〟は、オメガ達を見る。コイツ等を助けるんじゃないのか!? と。
また、嘘を吐くのか、と。
「けど、俺」
助けたいさ。けど、お前を切り捨てるなんて、俺には出来ない。
〝ゼロ〟は天を仰ぐ。どうすればいい? なにを切り捨てて、何を得ればいい? そんなこと、俺に決められるのか?
その時、見上げた日差しが、真っ黒に陰った。
「おしゃべりは終わり。あとは、――行動で示すんだね」
〝レイア〟はいよいよ〝ゼロ〟を落とそうと脚に力を込めた。――しかし〝ゼロ〟は一転、ショットガンの銃口を捕まえ、叫んだ。
「危ねぇ!
その声と共に悲鳴があがる。
そして〝ゼロ〟と、振り返った〝レイア〟の視界の端を、目を覆いたくなる血しぶきが染めていく。
真っ赤なものを噴き出しながら、一人のオメガが倒れていた。
〝ゼロ〟は〝レイア〟共々床に飛び退く。次の瞬間には、二人のいた空間を天井から突き出した異形の爪が薙いでいた。
それは、天井から腕を引き抜くと、今度は〝レイア〟が明けた大穴へ、それをさらに拡大するように身体を捻じ込んで、ゴンドラの中へと這入って来ようとしている。
〝ゼロ〟だけでなく、〝レイア〟もオメガ達も皆気付いたはずだ。それは置き去りにしてきたはずの「狼」だった。
どうやってここまで!? いや、そんなことはもはや明確だった。ロープウェーのワイヤーを伝って、ここまで追ってきたのだ。それしかない。
――なんつー執念だよ。
巨体の「狼」はゴンドラをのものを揺るがしながら、絶叫し、憎悪とも、憤怒とも、殺意とも取れる視線を〝ゼロ〟に向けてくる。
なんてこった。コイツ、また
昨夜は――いや、さっきまでは人間離れした、せいぜいトカゲみたいな無表情な顔だったはずなのに、今度は明らかに人間めいた、負の感情を凝縮してその面貌にありありと刻み込んだかのような、異形の面貌をさらしてくるのだ。
――つまり「鬼」だ。もはやコイツは〝企業〟のテクノロジーによって歪められた「狼」などと言う存在ですらない。
異常な憎悪によって人ならざるモノへと自らを変貌させた、悪意の化身と成り果てている。
きっと、コイツはコントローラーで異形化を元に戻したとしても、もう二度と人間には戻れないに違いない。
手遅れだ。――と、〝ゼロ〟は思考に先んじて結論を出していた。なによりも身体が限界だった。
「全員、
言うが早いか、〝ゼロ〟が呆然とへたり込む間に、〝レイア〟は「狼」の眼前に躍り出ていた。
そして、手にしていたショットガンを、至近距離で連射する。
ゴンドラをひしゃげさせながら中に入りこもうとしていた「鬼」は、無防備などてっぱらに散弾の雨を喰らってさらに絶叫する。
しかし、侵入しようとするのを止めはしない。
〝レイア〟はかまわず、残弾が無くなるまで射撃を続けた。しかし、相応のダメージはあったものの、この「鬼」を殺すことも、ゴンドラから落とすこともできなかった。
射撃が無くなると、「鬼」は血を吐きながら絶叫しつつ、腕を伸ばしてくる。
――まずい!! もう、武器が無い。
何か使えるものは――、と、〝ゼロ〟が
「なにやって――」
我が目を疑う〝ゼロ〟の前で、「鬼」の巨体がライブ会場のアンプみたいな大音響で震えた。
「爪」をかいくぐった〝レイア〟は、いましがた自分がショットガンを打ち込んだ腹に、その傷口に自分の手を突き入れているのだ。――こ、効果的! ――だけどエゲつねぇなおい!!
さしもの「鬼」も絶叫して暴れるが、懐に張り付いた〝レイア〟を引きはがせないでいる。リーチが有りすぎるからだ。
しかも足場の悪いこの状況。確かにそのやり方なら、「鬼」を押し出せるかもしれない。
なんてこった、考えてやったのかは知らないけど、この状況じゃ最善手だぜ、おい!
〝ゼロ〟はすぐに、それに続こうと考えた。もう少し、あと一手で、〝ゼロ〟と〝レイア〟はこの「鬼」を排除できるかもしれない。
しかし、痛みを押して走り出そうとした〝ゼロ〟の身体を、振り返った〝レイア〟の視線が射止めた。
「加勢してくれ」でもない。「助けて」でも「来るな」でもない。
ただじっと、〝ゼロ〟に何かを言おうとして、それでも意地になって口を噤んでいるような。
そんな顔で、〝ゼロ〟を一瞥した。
〝ゼロ〟は思わず足を止めていた。なんだよ、お前。なんでそんな顔すんだよ。
次の瞬間床が割れた。「鬼」が足掛かりにしていた部分が、欠けるようにして抜けてしまったのだ。
「鬼」は絶叫を上げつつ、下に落ちて行った。その腹に手を突き入れていた〝レイア〟と共に。
こ、このバカ――何をやってんだ!?
クソ――なんてこった! すぐに助けに行かないと……。
〝ゼロ〟は血にまみれた大穴から下界を見下ろす。
下は川だ。すぐに死ぬってことはないだろうが、このままじゃ危ない。だがどうする? いま、この身体で〝レイア〟を追っても、助けられるかわからない。
そもそも〝ゼロ〟はそこまで水泳に自信があるわけでもない。――何か無いと、追っても無駄になっちまう。
「そうか、浮き袋!」
〝ゼロ〟は、直前にサバイバルキットを〝レイア〟から渡されていたのを思い出した。
そして、――同時に理解する。〝レイア〟はこれを渡してきた時から、いざとなったら〝ゼロ〟を川に落とすつもりだったのだ。
なんだよ、お前。
「いまから蹴落とそうって相手の心配までしてんじゃん、お前……」
お前、人のこと言えねぇよ。最後の最後で、人の為に自分で動いちゃってんじゃねぇか。
いまだって、いざとなったらやるなんて言っといて、――オメガ達に命令しようともしなかった。自分で最後までやったじゃねぇか。
なんだよ。お前も、やっぱりしたくなかったんじゃねェかよ!
カッコつけてんのは、どっちなんだ?!
〝ゼロ〟は心を決め、身体の動きを制限している包帯の類いを剥ぎ取った。身体に激痛が走る。
「――ぐッ」
「プレイヤー様! 何をなさるノン!?」
良いのか? 二度もアイツを見捨てて。オレは、それでいいのか?
こんな――身体の痛みを言い訳にして、また見放すのか?
――――ありえねぇだろ!
口で言うだけじゃダメなんだ。思いつくだけでもダメなんだ!
実際に、実現しなきゃ、どんな言葉だって、嘘になっちまう!
俺はもう、手を
やってやる。やってやるよ!
これが――俺のホンキで生きるってことだ!
「いいか! お前らはこのまま進んで、パークで俺たちを待つんだ。良いな!」
〝ゼロ〟はオメガ達の言葉には取り合わず、一方的に指示を出して、サバイバルキットを握りしめる。
ついでに空になって転がっていたショットガンも手にして、〝ゼロ〟は、――返答も聞かずに、跳んだ。
〝レイア〟を追って、遥か彼方の水面へ向けて。
――――しっかし、またこんな展開かよ! 出来れば、二度とやりたくなかったんだけどなぁ……。
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