不眠罪ゲーム どうやらショートスリーパーの少年〝ゼロ〟は『睡眠時間を賭けるデスゲーム』で、無双するつもりのようです(旧題インソムニア・ゲーム)
第30話「三日目」Vs〝シード〟④ 決着。そして「狼の時間」へ
第30話「三日目」Vs〝シード〟④ 決着。そして「狼の時間」へ
息も切れ切れに〝ゼロ〟が会場に着いた時、すでにゲームは佳境だった。
〝レイア〟と〝シード〟、3度目の直接対決の真っただ中だ。
これまで、互いにレア・カードをスキャニングし続けて来たためか、〝レイア〟は元より、〝シード〟にも極度の疲労の色が見える。
「――なんだ、遅かったな」
〝ゼロ〟を見つけてまず声を掛けてきたのは、眼下に色濃い
さすがに額に汗を浮かべている。前回のレア・カードの切り合いで負った、脳へのダメージは相応に在るという事だ。
どれだけ手持ちのチップで補填しても、スキャニングのコストは少しずつ脳の機能を蝕んでいく。
〝シード〟にもスキャニングの限界はあるのだ。まだ、勝機はある。
――が、それは〝レイア〟にも同じことが言える。
〝レイア〟は会場に駆け込んできた〝ゼロ〟を見たが、何も言おうとしなかった。
その目は何の感情も湛えてはおらず、虚ろな視線は霧中に見知らぬ人影を流し見たかのような具合だった。
〝レイア〟の疲弊具合の方が〝シード〟のそれよりも深刻なのは目に見えて明らかだ。
――もう、現界なのか?
「〝ゼロ〟はん……」
一方〝さくら〟はどうしていいのかわからない、というでもいうように〝ゼロ〟を見る。
「おい、――教えてくれ。何がどうなってるんだ!?」
〝ゼロ〟は怒鳴り気味に銀ベータへ問うた。今も息が切れるほどのスピードで駆け戻ってきたところなのだ。経過をカメラで確認することができていなかった。
「んー、っとですね。現在「親」が5周目でして」
「んなこと、――聞きたいんじゃ――ないでしょ?」
〝レイア〟が視線も向けずに言った。
疲れた顔には似合わぬほどに、その語気だけは未だ持ち前の勝ち気を失っていない。
「見ての、通りよ。アタシが「親」で、3枚勝負」
「今しがた、手札を開けたところだ。――そこでお前が来た」
〝レイア〟の説明を続けるように〝シード〟が言った。
オープンされたセットは
〝レイア〟
5 2 2
対
〝シード〟
4 4 4
レベル4は例によって無地。
レベル5は「このゲームに勝利したプレイヤーは得られるチップが250倍になる。また、勝利した者は自らの心臓を提出する」というもので、〝ゼロ〟の知る限りチップの増加量が最大のカードだ。
しかし、あまりにも危険なカードだといわざるを得ない。
〝レイア〟はわざとこれを選んだのだろうか? それとも偶然なのか? 〝ゼロ〟が獲得した情報は間に合ったのだろうか?
レベル2は2枚とも同ナンバーのカードで、これは№4「レベルアップ引換券」の取得を意味するカードである。
〝レイア〟のヤツ……この期に及んでまだ、これを出してくるのか……。
少なくとも心は折れていない、ということなのか? ――ならば、まだ勝機はある!
「――ッ」
〝ゼロ〟は無言のまま、強く、自分に言い聞かせるようにして、頷いた。
〝レイア〟が折れずに踏ん張っていることもそうだが、このカードセット、――この状況そのものは理想的と言っていいのだ。
このまま行けば、〝シード〟は勝利と引き換えにレベル5の特典――特に、「心臓を提出する」と言う、致命的なリスクを負うことになる。
そうなれば、後はレア・カードを全て放棄して命を拾うことしかできないだろう。
――無論、それはこのまま誰もレア・カードを使用しないという場合に限るのだが。
「そう。――とーぜん、このまま負ける、いや、勝つはずがないよな?」
と、〝ゼロ〟の思考を読んだかのように続けて、〝シード〟は新たなカードをデッキから取り出した。
「というわけで、このカード「ダーティ・レッド」をスキャニングする! 効果は『レベルの強弱の逆転』だ!」
・「卑劣な革命児(ダーティ・レッド)」 レベル:9
このカードが対峙するカードに勝利した場合、このゲーム・フェイズにおけるレベルの強弱を反転させる。
〝ゼロ〟は息を呑んだ。そんなレア・カードまで有ったのか?! トランプの「大富豪」における「革命」のようなものだ。
通常は数値が高い方が勝つ、という基底ルールが覆され、数値が小さい方が勝利したと見なされてしまうのだ。
「これで、おしまい、だな。――ハハ、
〝シード〟は多少舌をもつれさせながら言った。
対して、〝レイア〟は前のゲームでレベル2の特典も使い切り、「ブラック・ポータル」も使えない。それを証明するかのように息は浅く、荒く、いつもなら鋭く敵を見据える視線は今にも閉じてしまいそうだ。
相当にきつい状態なのは傍目にも明らかだ。
それは、これ以上のゲーム続行は不可能だという事を意味している。――これ以上、ゲームを長引かせることはできない。
そして、――だからこそ、今〝ゼロ〟が持ち込んだ、この青いレア・カードが意味を持つ!
まるで、この時の為に
「さて、何もないなら、俺の勝ち、いいや、「負け」でいいのかな?」
〝シード〟が荒い息を吐きながらも満足げに言う。〝レイア〟は応えない。――それでいい、応えるべき言葉と方策を持っているのは、〝ゼロ〟の方なのだから。
「いいや、あるぞ!」
プレイヤーたちの間に割って入るように踏み込んだ〝ゼロ〟が咆えた。
「ああ? ――狗に何ができるって? レアも持ってないお前に?」
「レアならある!」
言って、〝ゼロ〟は先ほど青ベータに手渡されたレアカードを掲げて見せる。
「カード名は「
・「藍より出でて藍より青し(ディープ・ブルー)」 レベル:-
このカードのレベルは常に対峙するカードのレベルの2倍に相当する。
しかし、それを見て一度はギョッと眼を丸くした〝シード〟だったがすぐに表情を一変させ、げらげらと笑いだした。
「なんだそりゃ?」
「……なにッ」
「そんなものだけあってどうするんだ? ――いや、分かるぜ? 『ホワイト・ポータル』だろ? お前らの切り札だ。知ってるって言ったよな? それで俺の「シルバー・バレッド」を「再使用」して、そのカードを、その女のレベル2と入れ替えればいいわけだ」
盤上を視線で指しながら〝シード〟は言う。その通りだ。それで文字通り、この盤面はひっくり返る!
「確かに俺も、もうスキャニングのコストがキツい。だがな、見てみろよ。その女に、あと1回、あるいは2回、「ホワイト・ポータル」をスキャニングする余力があるように見えんのか?」
〝レイア〟は何も言わず、ただ事の成り行きをぼんやりと見つめている。
「いいや、無理だね。言っただろうが、最初からお前らに勝ち目なんてないんだよ!」
しかし、〝ゼロ〟は待っていたといわんばかりの決然とした言葉を、〝シード〟のにやけづらへ、叩き付けるように言った。
「そんなことはない。――そう思い込んでるだろうってのが、俺が、いや、俺たちが最もつけ込むべき隙だったんだ!」
「はぁ?」
〝ゼロ〟は強い眼光をみなぎらせながら、満面の笑みを見せる。
「〝さくら〟さん!」
〝ゼロ〟の言葉に、今までひたすら汗をにじませながら俯いていた〝さくら〟が面を上げ、
そして、デッキから一枚のカードを引き抜く。
「――それ、はッ」
「わ、わいもスキャニングさせてもらうわ! 『ホワイト・ポータル』をスキャニングして、あんさんの『シルバー・バレッド』の効果を〝再利用〟させてもらうで!」
それは、このインソムニア・ゲーム中に1枚しか存在しない、
〝シード〟もこれにはたまらないとばかりに、声を震わせながら席を立つ。
「な――――ッ、ふ、ふざけるなッ!
「って、考えるだろうからこその狙い目だったんだよ」
〝ゼロ〟は強く〝シード〟を見据え、解説する。
「全部、筋書き通りなんだよ。お前が、――そう言う風にしか考えられないお前だから、〝さくら〟さんにレアを預けるなんて絶対に想像さえもしないお前だからッ、この策が成立したんだ!」
そして、この論理に納得したからこそ、〝さくら〟も逃げずにこのゲームに
〝レイア〟の余計な捨て身には焦ったが、結果的に、この策を完全なものにするためには必要なことだった。
〝レイア〟の〝さくら〟をまったく当てにしていないという言動が、自分一人で戦うという姿勢が、いざと言うときに〝さくら〟に「切り札」を切らせるという策につながったのだ。つまり、
――これは、全員で勝ち取った勝利だ!
「どうする? 打ち消すか?」
〝ゼロ〟の言葉に、〝シード〟は初めて見せる顔で熟考する。そう、熟考せざるを得ないだろう。
「少し、待ってくれ……」
萎れるような声で、〝シード〟は言った。
『ブラック・ポータル』は既に1度使用済みだ。次にスキャニングするには2度目のコストを払わなければならない。その数値は一気に36。
それは払えるかもしれない。何とか耐えられる負荷かもしれない。しかし、それではすまないかもしれない。
だからこその熟考なのだ。〝シード〟は先ほどから押し黙っている〝レイア〟を見る。
問題は〝レイア〟の『ブラック・ポータルだろう』〝レイア〟は既に2回『ブラック・ポータル』を使用している。
3度目のコストは216。約43時間分の負荷を掛けられる。普通なら馬鹿らしいと考えるだろう。これほど疲弊した状態で3度目などないと考えるだろう。
――だが、先ほど平然と自分の指を斬りおとして見せたこの女に限って、本当に無いと言えるだろうか? 3度目のスキャニングが!
今度は〝ゼロ〟の方が手に取るように〝シード〟の思考を追うことが出来た。
「ピンキー・ウェア」による「ブラック・ポータル」の複製も、ダークホースである〝さくら〟の「ホワイト・ポータル」に封じられてしまっている。
今なら「ホワイト・ポータル」で先のゲームで使用された「ブラック・ポータル」の再利用が可能になるからだ。
使用済みのカードを再利用できる「ホワイト・ポータル」は、ゲームが進めば進むほど強力になっていくカードだといえる。
だからこその「終盤で生きる策」なのだ。
なによりも決定的なことは、〝シード〟に3度目は無い、ということだ。
その他のレアを多用しているということもあるが、累加スキャニングの想像を絶する負荷に立ち向かうだけの勇気が、気概が、この男には無いのだ。
加えて、〝レイア〟が背嚢に入れて持ち込んでいる、数々のレベル2の特典。これも〝シード〟をたじろがせるに足るものだろう。
なぜなら、惑うようだったその目は今、じっと〝レイア〟の椅子に掛けてある背嚢を見つめているからだ。何とかして中身を見通せないかと言うほどに。
「もちろん、あるぞ」
凝視する〝シード〟に〝ゼロ〟が告げた。〝シード〟は視線を跳ね上げ、忌々しそうに奥歯を噛んだ。
何があるのかは、実は〝ゼロ〟にも解らない。
だが、おそらく、未だ〝ゼロ〟が知らない、おそらくは「スキャニングのコストを軽減する」という類のレベル2の特典があるのだ。
「ブラック・リスト」を持ってしまったが故の欠点というところか。どんな特典があるか知ってしまっているから、その脅威についても想像せざるを得ない。その脅威を想定せざるを得ないのだ。
先ほどの血の滲むような〝シード〟の視線が、それを物語っている。
そして、〝シード〟は先ほどからまるで存在感の無かった〝キング〟を見る。
しかし〝キング〟もまた、どうしようもないとでも言うようにぶるぶると首を振るだけだ。
それはそうだろう。なぜなら、〝シード〟はこの〝キング〟にはレア・カードを1枚しか預けていなかったのだから。
〝シード〟の性格なら、当然そうするはずだ。他人を信用しないこの男は絶対に、2枚以上のレアを他人に預けたりはしないだろう。
自分で独占するに決まっている。
もしも、この〝シード〟と〝キング〟が大量のレアを折半していたなら、結果は違っていたことだろう。
しかし、それももはや詮無きことである。〝キング〟の持つ「グリーン・ピース」ではこの現状を打破することは出来ない。
これが決定的な差だ。〝さくら〟を信じて1枚しかないレアを預けた〝ゼロ〟と、他者を信用せずレア・カードを独占した〝シード〟。その考え方の違いが、勝敗を分けたのだ。
「――打ち消しは無いんやな。なら、使わせてもらうで、あんさんの「シルバー・バレット」を再利用して……」
万策尽きたであろう〝シード〟がそれ以上何も言わないのを確認し、〝ゼロ〟と視線を交わした〝さくら〟は力強く頷き、宣言しようとする。
「ちょっと待ってくれる?」
――が、それを遮ったのはほかならぬ〝レイア〟であった。
「つーか、何? いきなり来て、勝手なことしないでよ」
「……は?」
「な、何言うてはるんや、〝レイア〟はん。――何を待つ、いうんやッ!?」
唐突な〝レイア〟の言葉に、〝ゼロ〟も〝さくら〟も、いや、その場にいた全員が唖然として〝レイア〟を見る。
それも当然だ。あとは勝つだけなのだ。そこで何を待つというのだろうか?
「だ、か、ら――、このまま、そいつが降参しても、カードが手に入るだけじゃん。チップはどうすんのよ」
――――なにを言ってんだ? コイツは?? 〝ゼロ〟は本気で意味が解らなかった。
「なに言ってんだよ!? このまま負けたら、特典を受けることになる。解ってんのか? 「心臓の提出」だぞッ!?」
「そのための、「コレ」じゃん。アンタは知ってんでしょ」
何をそんなに驚くのだと言わんばかりの、いかにも軽い口調で、〝レイア〟は、背嚢の中から、安っぽい紙切れのようなものを取り出した。
「――それは」
それまで事の成りゆきを、まるで他人事のように眺めていた〝シード〟が声にならない声を上げた。
当然、コイツも知っていたのだろう。ある意味、この狂気のゲームの中にあって、もっとも狂っていると言えるこの特典を。
「ああー、それ出してきちゃうか―。なんつーか、さすがは〝レイア〟さんって感じだねぇ」
さしもの銀ベータも肝を抜かれたかのような声を上げる。
その紙切れは「チケット」だ。レベル2の特典の中でも、あまりに現実離れし過ぎていて、とても使えないと思わされる特典。
その名は「
アイテム№は30。表記によると、なんらかの理由で摘出された臓器の代わりの代用品をすぐに補填してくれるのだという。
言ってみれば、これもレベル5に対しての救済措置として用意されているものなのだろう。
しかし、これを自分に向けたレベル5の保険に使おうという発想は常軌を逸しているという他ない。
そして、その常軌を逸した策を、ためらいもなく実行するのが、この女なのだ。
「じゃあ、お前……そのレベル5は、自分であえて選んだってことか? チップのために?!」
ゼロは声を震わせる。ゼロが獲得した情報は届いていたのだ。だが、その届いた情報はゼロの思惑とは別の使われ方をすることになってしまった。
〝ゼロ〟はそんなことのために、〝レイア〟を傷つけるために、必死に駆け回ったわけではないのに。
「だから――、その『シルバー・バレッド』で入れ替えんのはその青いカードじゃなくて、――なんだろ? ねぇ、そこに並んでるカード指定していい?」
〝レイア〟は〝ゼロ〟の言葉には応えず、銀ベータに問うた。
「ああー、そうね。これ以上は使わない感じだし、伏せたままでいいなら好きに指定してもいいよね」
「やりぃ。んじゃその端の奴と入れ替えてよ。レベル1だから」
これで〝シード〟から取り立てるチップは12500(5×250×10)になる。
儲けた、と言わんばかりに笑みを浮かべる〝レイア〟に〝ゼロ〟は思わず声を荒げる。
「何考えてんだよ!」
たまらず詰め寄る〝ゼロ〟に〝レイア〟はけだるげな視線を刺し返す。
「んだよッ。半分はあんたの取り分なんだから、感謝くらいしてよ」
「そうじゃないだろっ! 心臓を切り取られるってことだぞ! そんなことして、ただで済むわけないだろ! このままゲームを続けることだって……」
「あー、その辺はね。心配しないでいいよね」
そこで、銀ベータが補足するように言葉を挟んだ。
「〝企業〟特製の人工心臓に取り換えることになるからね。ここだけの話、普通にその辺に出回るようなもんじゃないんだよね。とんでもない値段がすんのよ。施術もすぐに済むし、朝には普段通りに動けるようにもなるし。施術痕も見えないようにできるしね」
解っていたはずだったが、――こいつも、まともじゃない。〝ゼロ〟は改めてこのベータどもの異様さを痛感せざるを得ない。
「……」
「だって、さ」
ただ言葉を失う〝ゼロ〟へ気軽に言って、〝レイア〟は、控えめに笑って見せた。
――だが、〝ゼロ〟は見てしまう。そう言って
恐怖心が無いわけがない。恐くないはずがない。――何の問題もない心臓を取り出すなどと言うふざけた行為に、嫌悪感が無いわけがない。
〝ゼロ〟の全身を、言い知れない感情が駆け巡った。怒りにも似たそれを〝ゼロ〟は持て余す。
それは、このゲームそのものへの決定的な失望感のようなものだった。こんなことになるくらいなら、それがもしも実行されるというなら、
〝ゼロ〟はどんな手を使ってでも、それを止めなければならないと思った。
それは、彼にとって許容できるラインを超えていた。
「――やめてよ」
しかし、何処へ向けていいのかもわからない拳を震わせる〝ゼロ〟に、〝レイア〟は小さな声で冷や水を浴びせ掛ける。
そして〝ゼロ〟の手を取って強引に引き下がらせる。
それでも〝レイア〟は、この気高い女は言うのだ。「自分の決断を邪魔するな」と。
しかし、ならば〝ゼロ〟のこの想いはどこへ行くというのか。
「ゼ、〝ゼロ〟はん……」
〝さくら〟が哀願するように声を掛けてくるが、何もできない〝ゼロ〟はそれきり何の言葉を発することもできなくなった。
「んじゃ、レベル1に入れ替えるってことで……」
〝レイア〟が言いさした所で、そこでそれまで押し黙っていた〝シード〟が大きな拍手をしながら、叫んだ。
「負けだ! ああ、俺の負けだッ。これは仕方がない。見事だよ。そこまで捨て身になられたら、どうしようもないってもんだッ!!」
〝ゼロ〟をはじめ、〝レイア〟まで皆が皆、目を見張って〝シード〟を見た。
奇妙だった。その声は妙に明るくて、まるでこれから狂い死ぬ運命にある人間の言動とは、まるで思えなかった。
「……何笑ってんの? これで、いくらあんたでも終わりだよ。自分の心配でもすれば?」
「あぁ、そうだよなぁ。けなげだなぁ…………。けど、だめ」
誰もその言葉の意味が分からず、ただ、漫然と顔を伏せたまま肩を揺らす〝シード〟に見入っていた。
「けなげにルールを信じてるとこ悪いんだけどさ、俺は〝シード〟。……つまり特別枠なんだ。俺に「破滅」はあり得ないんだよ」
再びイモリのような湿った面貌を上げた〝シード〟は、もはやゲームのことなどどうでもいいとでも言わんばかりに、そんなことを語り始めた。
「はぁ? ――何言ってんの、まだバカになるのは早いと思うんだけど?」
〝レイア〟が吐き捨てるように言うが、〝シード〟は動じることなく、言葉を続ける。
「ならないんだよ。――俺だけはそんなことにならないッ。俺はお前らとは違うんだ。根本的にな。なぜなら、俺はこのゲームに招かれた、文字通りの「シード」なんだからな!!」
〝シード〟は再び立ち上がり、その場にいた人間の顔を舐めるように、順番に見据えた。
「俺はそもそも罪人じゃないんだよ。何の咎もないんだ」
似たようなセリフを以前に〝ソノダ〟からも聞いた覚えがあった。
このゲームの参加者が曲者ぞろいなのは、もう分かっている。一律に「夜更かし」の罪を犯しただけの人間を集めているのでないことはわかっている。――が、そもそも何の罪も犯していないとはどういうことなのか。
「じゃあ、なんでこんなゲームに……」
思わず、〝ゼロ〟が問うと、〝シード〟は改めて「いいか?」と続けた。
「このゲームはな俺のための、〝企業〟への足掛かりなんだよ」
「なぁ、考えてもみろよ。仮にこのゲームに勝ったとして、お前らは何を企業に望むんだ? 金か? 自由か? いいや違うな! まともなヤツなら、当然〝企業〟の一員になることだろ? この〝企業〟へ就職するための倍率がどんなもんだか知ってるか?」
目を血走らせた〝シード〟はいよいよ卿が乗ったとでもいうようにしゃべり続けている。
まるで演説でも打つように、身振り手振りさえ加えて、この男は言葉を紡ぐ。
「普通じゃ考えられないプラチナチケットだ。この〝企業〟は、そのうち日本だけじゃなく、世界を手中に収めるんだろうさ。誰も逆らえないんだからな! その、人類史上類を見ない「勝ち組」の、支配者の列に並ぶこと。――それが確約されるのがこのゲームだ!」
しかし、なぜだろう? そこにはあの〝ソノダ〟のような、実体験からくる凄みが感じられなかった。
かと言って〝アヤト〟のような邪悪な狡知も感じられない。――これでは、ただ、
「当然、そんな人材を、お前らみたいなクズ共から選ぶと思うか? ありえないね。――そこで選ばれたのが俺だ。お前らみたいなやつらを上にあがらせないためにな!」
ただ、追い詰められて、必死に身勝手な持論にすがっている子供のような……。
「そうだな。……いうなれば、これは「
〝ゼロ〟は一人、冷ややかに〝シード〟の言葉を推し量っていたが、言葉を真に受けたらしい〝レイア〟と〝さくら〟と〝レイア〟は抗議の声を張り上げている。
「そない、そないあんまりやないか! そない、ゲームですらない……」
「ふざけんな!! ――そんなの許さない!」
〝さくら〟はひたすらに泣きそうな声を上げ、〝レイア〟は奥歯を噛んだまま、いよいよ人を殺せそうな眼で、顎を突き出し嘲弄を続ける〝シード〟をにらみつけている。
「って、言われてもなぁ? お前らだってわかってるだろ? 人間生まれついて越えられない壁ってもんがあるってことがさ。生まれ変わろうが何をしようが、俺は上、お前らは下なんだよッッ!」
応酬はヒートアップしていく一方だが、〝ゼロ〟はただ黙って、あの〝アヤト〟のことを思い出していた。
あの女は、明らかに協力者か何かのように振る舞う〝カムイ〟というプレイヤーを引き連れていた。
〝アヤト〟も、この男が言うように、このゲームに送り込まれた「特別枠」だったのだとしたら、納得ができるかもしれない。
というよりも、本当に「特別枠」のプレイヤーなんてものが居るなら、ああいう人間である方が自然に思えてくるのだ。
この〝シード〟の悪辣さもある意味常人離れしているが、今の振る舞いを見ても、こいつがそれほどの「人材」とはとても思えない。
「ヒヒ、――クヒヒ」
ふと目を向けると、渦中から離れたところで〝キング〟が一人、いつにもましてニタニタと、異様な笑みを浮かべて〝シード〟を見ていた。
もう〝シード〟の勝ちだと、こいつも悦に入っているのか? だが、そうは見えなかった、まるで……。
「ま、――このゲームではイレギュラーに見舞われちまったけど、もう十分だろ。ショーとしても盛り上がったはずだし、試験としても、もう十分なはずだ。そろそろゲームそのものを切り上げてもいいんじゃないか」
〝シード〟は〝レイア〟や〝さくら〟の言葉には取り合わず、銀ベータに告げた。
まるで、自分が不利になったからとゲームをひっくり返す子供のように、あまりにも身勝手で、無分別な子供のように。
――しかし、と〝ゼロ〟はいよいよ訝る。本当にそんなことがあり得るのか?
〝企業〟の採用試験なら確かにどれだけ大掛かりでも納得できる気がするけど、あの〝企業〟がそんな温いやり方でリクルートを行うものだろうか?
「んー、あのねぇ、ぼっちゃ」
その時、なにがしかを言いかけた銀ベータの言葉に割り込むようにして〝レイア〟が吼えた。
「ふん。――なら、アタシらにもチャンスがあるってことじゃん! 続けてよ! ゲームを途中で終わらせる権利なんて、あるはずない!」
〝レイア〟もまた、詰め寄るようにして銀ベータに叫ぶ!
「いやね、だからね」
「解ってないなぁ。ないんだよ、そんなものは最初から。上に上がれる人間ていうのは決まってんだよ。生まれつきな。――なぁ、そうなんだろ? 早いとこと終わらせてくれ」
そう言って〝シード〟もまた銀ベータに向き直る。こんな茶番はもう終わりにしよう、とでもいうように。
「いやね、お二人さん。ちょっと聞いてね。いやマジで」
「――ちょっと、聞いてんの?!」
「どうした、早くしろ」
両者から詰め寄られてた銀ベータは、たじたじになりながらも、何とか両者を制し、そして放り出すように叫んだ。
「や、だから、――ねぇんですよ、そんなものはッ」
「――――はぁ?」
両者が動きを止めたところで、「もー、ハナシ聞かねぇんだから……」とこぼし、一度大きく息を吐く。
「……どういうことだ?」
〝シード〟が、つぶやくような声で問うた。顔は再び能面のように硬直し、血の気が失せている。
「だからねぇ、〝企業〟のリクルートに、コネや縁故関係なんてものは一切ねぇんですよッ」
銀ベータのあまりにもそっけない返答に、〝シード〟は、それこそ本当に子どものように、手振りを加えて声を荒げた。
「ふ――ふざけるな!! 俺は〝シード〟だ! 特別枠なんだろうが!」
「いや、それもねぇ。オレッチも何事かと思って聞いてたんだよね。坊ちゃん、いきなりなに言いだすんだろうと思って……」
「ふざけるな! じゃあなんで俺がこんなゲームに招かれなきゃらないんだ!?」
そこで銀ベータは「んー、坊ちゃん何も聞いてなかったみたいだねぇ」と、いかにもバツが悪そうに「真相」を語り始めた。
「んー、実はねぇ。坊ちゃんのご両親ねぇ。
「しょっ……処、分……?」
「それにご両親もね、〝企業〟の一員って言っても、正社員でもない、かなーり端っこの方の、使いっぱしりみたいな人らだったみたいだしねぇ。仮に縁故入社が有りえても、ぼっちゃんの席はないんでねぇの?」
「……なッ、……ふ……ッ………………」
「でもまー、坊ちゃん自身はまったく関与してなかったわけだからね。ご両親の仕事のことも知らなかったわけだし。お情けのチャンスって意味で、このゲームに送られたってことだね。まぁー、ある意味とばっちりみたいなもんだけど、坊ちゃんもね、今まで親の七光りで、好き勝手やってきたわけでしょ? だからねぇー」
「…………じゃあ、俺は、」
「んまぁー、つまり、ただのついで、ってことだねぇ」
銀ベータはそこで言葉を切り、うんうんと自分の言葉に頷いた。
無言だった。誰もが、なんの言葉を発しなかった。
何を言えたというのだろう? あの〝レイア〟でさえ、茫然と〝シード〟の蒼白な顔を、怖いものでも見るような目で追うばかりだ。
「ハ――ハハ、ハハハ……」
数秒か、数分か、どのくらいの時間が流れたのかも解らなかった。不意に、〝シード〟はケタケタと笑いを漏らし始めた。
「あー、坊っちゃん?」
「……かた、ない」
そして笑いながら、かすれるような、喉の奥でうがいでもしているかのような奇妙な声を発した。
「何です? ――って、あ」
そこで銀ベータがなぜか、ギョッと背筋を伸ばした。
「じゃあ、――じゃあ、仕方ないな――じゃああぁぁぁぁッ! 仕方、ないよなぁぁぁぁ!!」
そして、〝シード〟はデッキから真っ赤なレア・カードを無造作取り出し、デッキを投げ捨てると、すかさずそのカードを「スキャニング」した。
「あらら。あー、まぁ、そうなっちゃうかー。…………お気の毒だねぇ、みなさん」
銀ベータが他人事のように呟いた。
すると途端に、巨大な警報のようなものが鳴り響いた。この会場やその周辺だけではない。おそらくは――島中から、この警報が鳴り響いている。
その、警報と言うよりも、まるで巨大な狼の遠吠えのような、思わず耳を塞ぎたくなるような音が収まると、今度は耳を
――まるで島そのものが、固唾を呑んで何かを待ちわびるかのような。
もはや、事態を冷静に
それぞれに視線を惑わし、「なんだ」「なんなんだ」と繰り返すことしかできない。
その時、そんな一同の眼前で、いきなりボックスが「展開」した。
ギョッと目を剥くプレイヤーたちの前で、まるでミカンの皮でも剥くかの様に外装が花開き、そして中から何かがせり出してくる。
皆、それを凝視することしかできない。
「……ッ」
「なんや……これ、なんなんやッ!」
〝ゼロ〟は思い出していた。
白ベータが何気なく口にした「我々は狼が大嫌いです」という、あの文言を。そして、青ベータが語った不吉な言葉の数々を。
「ハハハハハッ! いいぞ、こんなゲーム――ぶっ壊してやるよぉぉ!」
ボックスの中からせり出してきたのは「武器」だった。
大小の刃物に銃器、鈍器に、何に使うのかもわからないスプレー缶やデバイスの数々、バラエティに富んだそれらが、溢れるようにしてボックスの中から飛び出してくるのだ。
このボックス、中身に無駄なスペースが多そうだとは思っていたが、まさかこんなものが入っていたなんて……。
しかし、訳が分からない。暴力が厳禁の筈のこのゲームで、なぜこんな無用の長物が大量に……。
「おまえら――の、せいだぞぉ?」
そこで夢遊病患者の様にゆらゆらと歩み出した〝シード〟が口角に泡を吹きながら咆えた。
これ以上ないほどにハイになって頭を振り乱し、快哉を叫ぶように。その手には目の前のボックスから引き抜いたと思われる拳銃のようなものがあった。
「お前……ッ」
〝ゼロ〟は〝レイア〟を庇うようにその前に立つ。
しかし、〝シード〟の眼はもはや何を見てもいないようで、焦点も定まらないまま、あてどなく、しかし忙しなく動き続けている。
「このカードの意味を、教えてやるよォ。――効果は「暴力の解禁」! サイコーだろ? ホントは最期に使うつもりだったけど、仕方ないよなぁ? お前らが追い詰めるからだ。――お前らが、全部、悪いんだからなぁ!!」
と、全身を強張らせるようにして引き金を引こうとしたその顔が、次の瞬間、真っ赤に爆ぜて消し飛んだ。
・「血の饗宴(レッド・パージ)」 レベル:0
このカードが開示された時点で「暴力の解禁」を行う。期限は開示の行われたその時点から次の真夜までとする。この効果は1度しか使用することができず、いかなるカードの干渉も受けることはない。
それが、〝シード〟自身があらぬ方から撃ち抜かれたのだという事に、〝ゼロ〟はしばらく思い至ることが出来なかった。
しばらくの間、〝レイア〟共々直立不動で固まったあとで、ようやく、それをやったのが、大きな散弾銃のようなものを抱えた〝さくら〟だったのだと知った。
「さ、〝さくら〟さん――」
礼を言うべきだったのだろうか? それとも今まさに目の前で殺人に手を染めてしまった〝さくら〟を
とにかく、何か言おうとして歩み寄ろうとした〝ゼロ〟に、〝さくら〟は銃口を向けた。
「さ、〝さくら〟さん?」
〝さくら〟は呆けたような顔をしたまま、〝ゼロ〟の声が聞こえているのかどうかも分からないような顔をして、じっと〝ゼロ〟と、そして〝レイア〟を見ていた。
誰も声を発しなかった。
どう、何を言えばいいのかが定かでなかった。ただ、虚ろな〝さくら〟の眼差しと、それに倣うように、ゆるりと向けられた銃口を見つめている。
「……このッ!」
「止めろって! な――にしてるんですか。〝さくら〟さん」
〝レイア〟が前に出ようとしたのを押さえ、〝ゼロ〟はなんとか、もう一度〝さくら〟に声を掛ける。
とにかく一度声を出したことで自由になった視界をめぐらせると、銀ベータの姿はとっくに消えており、あの〝キング〟も同じように姿を消していた。
有るのは銃を向ける〝さくら〟と、それを向けられる〝ゼロ〟と〝レイア〟、そして狂気の快哉を叫んだまま事切れている〝シード〟の遺骸だけであった。
「……だけなんや」
しばらくそのまま時間が過ぎ、不意に〝さくら〟はどこを見ているのかも判然としない視線を震わせながら、つぶやいた。
「さ、〝さくら〟さん、とりあえず、落ち着いて……」
そう言ってもう一歩近づこうとした〝ゼロ〟だったが、一転、機敏な動きで自分を捕らえた銃口に睨み据えられ、それ以上動くこともできなくなった。
〝さくら〟は撃つつもりなのだろうか? なぜ? どうしてそんなことになるのだ?
百歩譲って、〝ゼロ〟達に銃口を向けていた〝シード〟を撃ったのは、まだ分かる。
しかし、これは意味が解らない。なぜ、〝ゼロ〟達にまで銃口を向けるのだろうか?
〝ゼロ〟は訳が分からないなりに現状を考察する。
レベル3で身体強化されてまくっている今の状態でなら、銃弾も何とかなるかもしれない。
――が、だからと言って本物の銃口を前に
眼に見えて
「許してんか。――――わいらは、わいらは弱いだけなんや……」
唐突な言葉に、〝ゼロ〟は一層意味が解らなかった。
「分かってしもたんや。コレは、わいらみたいな人間のための特典なんやって」
「な――、なに言ってんですか! 〝さくら〟さんはこんなことをしたがる人間じゃないでしょう?!」
本心だった。この状況でなくとも、あの〝さくら〟がこんなことを好んでやる人間でないことは分かっている。〝ゼロ〟がそうであるように。
しかし、〝さくら〟は
「ちゃうねん。そう言う意味やない。これはわいらみたいな、全うなゲームでは間違っても勝ち上がれん、駄目なヤツらへの救済措置なんや」
「なに、――なに言ってッ」
「わいにはなんもない!」
〝ゼロ〟のわなついた言葉を押し退けるようにして、〝さくら〟は叫んだ。
「わいにはなんもない。いい歳こいて恥ずかしいけどな……、それが現実なんや。このゲームで勝ちあがれるような知恵も! ギリギリの
「そんな……」
「そんなわいらでも、これを持てば五分や。これは、そういう事なんやろ?」
「……ゲームにだって、復帰できるのにッ」
やりきれなさを声に変えるように、〝ゼロ〟は叫んだ。我ならが血を吐くようだと思った。
〝さくら〟の気持ちは痛いほど分かるのだ。
しかし、それを聞いた〝さくら〟は、何かを
「いまさらゲームに戻ってどないすんねん? また良いようにやられて、すぐに狗になってまうわ」
「頑張りましょうよ! 俺たちが助けますよ! 一緒にクリアしましょうよ!!」
〝ゼロ〟は半ば泣きながら答えていた。
もはや、分かっているのだ。〝さくら〟が首を縦に振らないことくらい。それでも、〝さくら〟の言葉は悲しかった。
「けぇど、こないなグズ、信用でけへんのやろ」
〝ゼロ〟は何も言え無かった。背後で〝レイア〟が身体を震わせたような気がした。
「ええねん。わいらとはあんさんらは違うわ。まだ若いし、何か、人に無いもんを持っとる。――だから、わいがこういう風にしかできん、ことも、ゆ、ゆるして、……ほしい……」
〝さくら〟はそうして言葉を切った。それが哀願するような〝さくら〟との最後の会話だった。
そのとき、〝レイア〟が〝ゼロ〟の背後から転び出る様にして、〝さくら〟へ向かった走り出した。
「――このバ」
「この期に、及んで、まだ、――言い訳か! このグズ野郎!!」
「――フッ!」
〝ゼロ〟は喉が詰まりそうなくらいに息を呑んだ。〝レイア〟もレベル3の強化は成されているが、それは主に感覚器官に対するものなのだ。
いくら動体視力が強化されていても、真正面から銃弾を浴びれば終わりだ。
全部わかってるはずなのに、――このバカは!
「――――フ、フフフッ!」
〝さくら〟はもはや正気を失ったように笑い、連続で、そしてためらいもなく引き金を引いた。
〝ゼロ〟は咄嗟に、〝レイア〟を突き飛ばし、自分でそれに覆いかぶさっていった。
極めて心臓に悪い重低音が、耳と全身の皮膚とを薙いだ。
銃声は一度では終わらない。しかし撒き散らされる散弾は〝ゼロ〟達に浴びせられるわけではなく、あらぬ方へ、と言うよりも四方八方へ向けてばら撒かれる。
「フフフ――フフフフフフフフッ。――わいは、わいは死にたないんやぁ! 死にたないだけなんや! それが、それの、どこが、悪いことやぁ!」
〝さくら〟は正気を失っていた。最初の銃が空になると、すぐさま他の銃を手に取り、狙いもつけずにぶっ放した。
すり鉢状の閉鎖的な空間に、銃声が幾重にも残響し、幾つかの照明は砕け、闇が色味を増していく。
だが、これは機だ。
闇に身を
ゲーム会場の外へ出てしまえば、外は未だに夜だ。銃なんて当たりっこない。
「走れるか? 今のうちに」
「いいから退いて!」
〝レイア〟は〝ゼロ〟の顔をぐいぐいを押し退けようとして来る。
怪我はしてないみたいで良かったけど、お前さぁ……。
「良し――逃げるぞ!」
「行くなら行けば。アタシは、あのグズを殺す!」
――――ハァ?
この期に及んで何を言ってやがるんですかこのバカは!?
「おま、頭冷やせよ――」
その時、〝ゼロ〟達が目指していた会場の出入り口が、まるで雪崩れ打った土石流にでも突破されるみたいに破壊された。
見えたのは巨大な蜘蛛のそれにも見える異形の影――つまり、手足を振り乱した「猟犬」達だ。
――おそらくだが、〝シード〟へ復讐するために、会場へ乗り込んできたのだろうか?
〝シード〟が死んだにもかかわらず、その五体と精神は未だに異形と化したままであった。
そうか「
〝さくら〟が正気だったなら、会場のどこかに落ちているそれを探して解除できるかもしれないが、この状況ではほぼ不可能と言っていい。
そして〝さくら〟と「猟犬」達は、ろくな明かりもない、斑な薄闇の中で、互いに引き合うようにして殺し合いを始めた。
「猟犬」達はそれが憎き〝シード〟だと勘違いしていたのかもしれない。〝さくら〟は、もうそれがどういうことなのか、相手がなんなのかもわかっていなかったもしれない。
もはや、それを止めることは何者にもできなかった。
〝ゼロ〟はなぜ、何に謝っているのかも定かでないままに、すみませんと何度も繰り返しながら、〝レイア〟を無理矢理掲げ上げ、走り出した。
〝レイア〟が何を言っていたのかも判然としなかった。
ひたすら、すみませんと繰り返した。
外への通路を抜ける間も、背後からは人のものとは思えない、引き切れるような雄叫びがあがる。同時に瞬く断間ないマズルフラッシュを背に〝ゼロ〟は走る。
外へ出た。夜気の涼やかさを感じる暇もなく、走り出す。行き先は分からない。
どこでもよかった。とにかく安全なと所へ。
しかし、そんな切なる願いをあざ笑うかのように、森を、風を、夜を隔てて、悲痛な悲鳴と耳を塞ぎたくなるような喧騒とが、島中から響き渡ってくる。
まるで予言されていたかのごとく、まるでこの島そのものが、生贄の血を求めているかのように。
そうして「狼の時間」が、幕を開ける。
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