不眠罪ゲーム どうやらショートスリーパーの少年〝ゼロ〟は『睡眠時間を賭けるデスゲーム』で、無双するつもりのようです(旧題インソムニア・ゲーム)
第27話「三日目」vs〝シード〟① 会場へ。〝ゼロ〟の秘策と猟犬の罠
第27話「三日目」vs〝シード〟① 会場へ。〝ゼロ〟の秘策と猟犬の罠
時刻は真夜にもほど近い頃合いであった。
〝ゼロ〟と〝レイア〟は、日の落ちた道を進んでいく。
今夜の会場へは徒歩で向かうこととなった。〝シード〟が待つ会場へ行くだけだから、行き先を選ぶ必要もない。
二人の背後には影のように付き従う三人のベータと……何故かゲームには参加できないはずの〝さくら〟の姿があった。
〝さくら〟は土気色の顔で、恰幅の良いはずの身体を萎れさせるようにして、〝ゼロ〟と〝レイア〟についてくる。
「……せや。この街でプレイヤーやれとるのは、あの〝キング〟だけで、他はみんな狗にされてしもてるハズや」
「なんでわかんのよ?」
ゲームに際して呼びつけられた当初は、まるで土壇場に引き立てられる囚人の様に沈痛に押し黙っていた〝さくら〟だったが、しかし道中、〝ゼロ〟から事の次第を聞く内に、頑なに口を開くことを拒んでいた口をぽつぽつと開く様になった。
〝ゼロ〟があらかじめ〝レイア〟を拝み倒してこれ以上罵倒しないよう頼み込んでおいたのも功を奏した。
なにせ、今宵のゲームには、どうしても〝さくら〟の協力が必要になるのだから。
「なんちゅうか、……あの〝シード〟っちゅう男は他人を全く信用しとらんのや。で、〝キング〟はあのとおりのアホやろ? ああいう手合いの方が手駒としては扱いやすいってことなんやろうな」
「それで、アイツだけパートナーみたいな扱いなわけ?」
「ちゅうより、……さっき言っとったみたいに、迷いなく無抵抗の人間を殴りつけられる奴なんて、そうはおらへんやろ?」
〝シード〟及び〝キング〟が昼間にパークで行っていた凶行を聞いても、〝さくら〟はもはや驚きもせずひたすら重い溜息を吐くだけだった。
要するに、〝シード〟のやり方に賛同してついて行けるのがあの男だったというだけのことらしい。
これには〝ゼロ〟も〝レイア〟も無言で納得せざるを得なかった。
ほどなくして、会場が見えてきた。
外から見るそれは、円い――ドーム型のゲーム会場だった。
なんというか、小さな東京ドームのような。しかし、中で野球ができるほど大きくは無さそうだ。
材質は例によって妙に古びている石造りだった。まるで遺跡のような。
近付くと、その影の中から一人の男が歩み出てきた。
例によって例の如く、無貌のマスクとポワポワで顔を隠したベータ・シープであった。
しかし妙な色合いのシープである。金髪か? それとも白いのか?
「あ、どもども。ども」
見慣れぬ羊は気安く会釈をしてくる。ガタイが良いわけでもなく、逆に細すぎもせぬ、絶妙にひょろりとした特徴の無い男だった。
「……あれが、〝シード〟についとるベータや」
〝さくら〟が耳打ちしてくる。となると、このポワポワは銀色と言う事になるのだが、この夜半では言われてみてもよくわからない。
「にっしても、――ちょっと見ねぇ間に妙な組み合わせになってんねぇ」
銀ベータは〝ゼロ〟達の背後に並び立つベータたちに声を掛ける。
「全くです」
「あら↑ぁ? 私は意外と嫌じゃないわよぉ。ねぇ?」
「……」
白は率直に頷き、金斑のベータは楽しげに脇の黒ベータを見上げるが、当の黒ベータは何時にも増して無言、と言うよりも大岩の如く押し黙っている。
どうやらこの組み合わせ――と言うよりも、金斑の奴が白ベータ以上に気に入らないらしい。露骨に態度に出すやつだな。
「んじゃ改めまして、〝ゼロ〟さんに、〝レイア〟さんね。どうもね」
銀ベータは〝ゼロ〟と〝レイア〟に水を向ける。
しかしこの銀ベータ、あの〝シード〟のお付と言う割にそこまで凄惨な人柄とも見えない。
……まー、いちいちプレイヤーに合わせてベータが選ばれてるわけもないんだから、当然と言えば当然か。
もしそんな事なら、〝ゼロ〟に付くのがこんな粗雑な感性の女の筈がないからな。
この銀ベータもまた妙な雰囲気の奴だが、とりあえず当たり障りの無さそうなやつだったのは幸いだ。……今のところは、だが。
「あちらさん……〝シード〟の坊ちゃんはもう会場にはいってんでね。すぐ始めんで、狗の人らはこっちに残ってくださいねっと」
「中はプレイヤーだけなのか。狗は何をするんだ?」
〝ゼロ〟が問う。
「後ほど解説したしますので、ご心配なく」
白ベータが言った。
「そゆことね。ま、聞いといて聞いといて」
〝ゼロ〟は不安げな顔を見せる〝さくら〟を見て、頷く。
「じゃ、行くわよ」
〝レイア〟が言い、二人は会場の中へ踏み込んだ。
「今回のゲームは中と外の連携が勝敗の鍵になんでね。さ、急いでね」
「お前らは行かないのか?」
〝ゼロ〟は動こうとしないベータたちに問いかけた。答えたのは当のベータ達ではなく銀ポワのベータである。
「中はオレッチがひとりで切り盛りさせてもらいます。他の連中は別の仕事があるんでね。いやぁ、良い提案をしてもらっちゃってあんがとね。今日のゲームはどうしようかと思ってたとこで」
「そうか……」
そうして、プレイヤーと銀ベータは会場内へと足を踏み入れた。
ドームの壁面には縦長の入り口が設けられていたが、その中の様子は真っ黒な液体のような闇に満たされており、まったくと言ってもいいほど見通しが効かなかった。
踏み出した床は水平ではなく、わずかに傾斜していた。向かう先は地下であろうか。
この島に来てからはよく眼にする、得体の知れない古代文字のようなパターンの境界を幾度か跨ぎ、その度に僅かずつ傾斜の強くなる斜面を下りていく。
狭く暗い、しかし澄んだ闇に満たされたトンネルを抜けると、意表を突くほどに広い空間が広がっていた。
そこは巨大なすり鉢状の空間だった。まるでオペラかミュージカルを見に行くような場所――そう、劇場のような会場だった。
銀ベータとプレイヤー達はそのすり鉢の斜面へ出ると、今度は渦を巻くような階段を下って、そのすり鉢の底へと向かっていく。
会場は場所によって明暗の差が激しい。照明は淡いスポットライトの様に直線的で、円い天蓋の淵に沿って等間隔に設置されている。
そこから伸びる幾重かの光の筋が収束する場所、すり鉢状の空間の底にあたる部分に平らな円形の部分がある。
そこだけが闇から浮かびあがるように照らされている。まるで舞台のように。
その円形の舞台には、ぽつぽつと柱状の墳墓のように四つのボックスが並べられていた。
そこへ近づくにつれ、乾いた光がまるでシャワーのように、まとわりつくような闇を払っていく。
そして影をも
見上げる空間は、外からの印象からは想像もできないほど広かった。
舞台の上からは周囲を取り囲む扇状の斜面、――まさしく客席のようなそれを一様に見渡せるようになっている。
まるで、本当にそこへ観客を並べて舞台劇を展開てきそうな場所だった。これは――ほんとうにゲームの為に建造されたものなのか?
前日の会場は、その構造それ自体にも意味があったけど、この会場の仕様にも何かしらの機能的な意味があるのだろうか?
〝ゼロ〟は懸念を持たざるを得なかった。
しかしそんな〝ゼロ〟の思考を置き去りにして〝レイア〟達プレイヤーと銀のベータはボックスに近づいていく。
ボックスにはそれぞれ椅子が伴われており、うち二つにはすでに二人のプレイヤーたちが腰を落ち着けている。
降るような照明の光を浴びて佇んでいるのは、緩い顎を突き出した〝シード〟と堆積したヘドロのように椅子の上に
〝キング〟の腫れ物のような顔には、昼間には無かった痣、つまり殴られたような跡が付いていた。〝シード〟に殴られたか、それとも自分でやるように命じられたのか。
兎角、〝ゼロ〟は昼間の一事を想いだし、胃がせり上がってくるようなムカつきを覚えた。
――くそ、〝レイア〟は大丈夫か? あの、〝シード〟を前に激昂して作戦を忘れたりしなければいいのだが――。
新たに二人のプレイヤーを舞台上へと誘った銀ベータは、先に席についていた二人に会釈をし、〝レイア〟たちに言葉を掛ける。
「んじゃ、お二人さん。席についてね。今宵のゲームの名は『ドッグ・ラン』。ご想像のとおり、狗をいかに活用するかが重要になるゲームだね」
「――おい、どういうことだ!?」
しかし、その進行を断じるように真っ先に声を上げたのは、すでに会場入りして自分の席にふんぞり返っていた〝シード〟だった。
その面相からも分かる通り、奴は驚愕している。
何故か? それは無理もない。予想以上の反応に、〝ゼロ〟は思わずほくそ笑んだ。
なぜなら、〝レイア〟と共にプレイヤーとして会場入りしたのは〝ゼロ〟ではなく、誰もが「狗」だとみなしていた〝さくら〟だったのだから。
当の〝さくら〟は蒼ざめた表情のまま汗を浮かべている。しかしすべては予想済みの事態である。過度の動揺はないハズだ。
――これはすごいな。会場の外からでも、驚愕している〝シード〟の顔が良く見える!
一方〝ゼロ〟は会場の外で、その様子をつぶさに観察していた。
これを可能としているのは、昼間のうちに集めたレベル2カードの特典の一つである。
・アイテム№9「
白ベータの語るところによれば、この特典は指定したベータ・シープの仮面か、あるいは「ボックス」に仕掛けられているマイクロカメラやマイクと感覚を同調させることができるという代物である。
他人の視界を通して物を見るというのは妙な感じだったが、考えてみれば装着式のVRディプレイだと思えば、なんてことはないかしれない。
にしても、ベータ達がカメラを持っているというのは、まぁ想像の範囲内だが、ボックスにまでそういうものが仕掛けられているとは思わなかった。
どう考えてもイカサマ推奨用の特典である。こんな物が有ったらおちおち密談もできなさそうだ。
……今は、先にコレの存在を知れてよかったと思うことにしておこう。
現在、〝ゼロ〟の視点は銀ベータのそれに準じているようだが、ゲーム会場内では好きなボックスのカメラに切り替えることができるようだ。
〝ゼロ〟は視界をボックスのカメラのほうに切り替え、アングルを調整してみる。
広い会場の中央にキャンドルの火のようにぽつりと灯るその舞台の上で、〝レイア〟と〝さくら〟は何も言わず席に着く。
「――なるほど、特典か。たしか、「人狼の衣」だったか。俺には必要ないんで忘れてた。――「ゴールド・イクリプス」の得点で手に入れたわけだ」
一度は驚愕を露わにした〝シード〟だったが、すぐに平時の能面のような顔色を取り戻し、そして〝さくら〟の装備を観察してニッと笑みを浮かべた。
これもレベル2の特典だ。
・アイテム№は12。「
つまりは疑似デッキである。見た目は通常プレイヤーが持つものと変わらぬカードデッキだが、無論、本物ではない。
効果は、一度レア・カードを失い狗となったプレイヤーを、一夜限り、プレイヤーとして再起させるというもの。
レア・カードが入っていないこと意外は普通のデッキと変わらないため、プレイヤーのサブデッキとして使用することもできる。しかし、一度ゲームに使うと破棄しなければならない使い捨ての特典でもある。
イメージとしては狗=狼が人の皮をかぶって一時的にプレイヤーに成りすますってことなのかな。
「しっかし傑作だな!! 「銀の弾丸」相手に、「人狼」のカードで対抗しようってのか? お前らアタマ大丈夫かよ?!」
どうやらコイツもこのレベル2の特典については知っていたようだな。
もともと「ゴールド・イクリプス」を持ってたんだから、コイツもレベル2の特典を集めていた可能性は高い。
だが、――それはまだ、想定内のことだ。別に〝シード〟を驚かせるために〝さくら〟をゲームに参加させたわけではないのだから。
「わざわざヤラレに出てきたようなもんだな?」
無遠慮なかすれ声で
しかしその時、〝レイア〟が唐突にボックスを蹴り上げた。
開けた空間に鈍い音が響き渡る。この広い空間は良く音を反響させるようだ。
「――どこ見てんだよ!?」
その〝シード〟の視線を強引に捻じ曲げるような声色で〝レイア〟が言った。
当の〝シード〟はそこで初めて〝レイア〟を直視して、〝そう言えばこんな奴もいたか〟とでもいうように目を細めた。
対して、〝レイア〟は奥歯を軋らせるように面貌を歪めた。
どうやら、昼間〝シード〟の策にまんまと嵌められたことを根に持ち続けているらしい。
〝レイア〟にとって、この〝シード〟はもはや不倶戴天の敵なのだろう。そう定めた以上、二度とその認識が揺らぐことはないのだろう。
自分にとってその人間がなんなのか、その相手はなんなのか。この女はそれを強烈に、明確に色分けするタイプの人間なのだ。
無論、気持ちは分かる。しかし、〝ゼロ〟ならばおそらく、その感情とは距離を置こうと考える。
いったんネガティブな感傷は切り離し、出来るだけ冷静になるべきだと考える。
つまり、ブレーキを踏む。その感情のまま行動すれば想わぬミスをすることもあるだろうし、何より、そんな激烈な情動を持ち続けるのは身が持たない。
しかし、この〝レイア〟は違う。〝ゼロ〟が努めてブレーキを踏もうと意識するような場面で、敢えてアクセルを踏み込むかのような。
そんな過剰ともいうべき衝動的な行動理念が、ただこの女には有るのだ。
〝レイア〟のやり方が危ういのは当然だ。しかし一方で〝ゼロ〟の、波風を受け流すような立ち振る舞いでこのゲームを勝ちあがることが出来ないのも、また確かだ。
だからこそ、自分達は協力し合わなければならない。互いの弱みを補い合わなければならない――と。
〝ゼロ〟は今更ながらに、自分が強く〝レイア〟と組むべきだと考えていた故を思い知っていた。
自分に足らないのは、この向う見ずな胆力と、強烈な勝利への執着心なのである。
だからこそ、自分は今宵のゲームを〝レイア〟に任せたのだ。
「あのね、〝レイア〟さんね、あんまり備品とかを蹴るのはね……」
銀ベータが言うのだが、誰も耳を貸す様子が無い。〝レイア〟は怒りで、〝シード〟は嘲りで、〝さくら〟は恐怖で、そして〝キング〟はあいも変わらぬ卑屈な表情を崩そうともしない。
「んな雑魚相手にイキがってんじゃねぇよッ。アンタの相手はアタシだ」
「雑魚、ねぇ? ――その雑ァ魚と、お前がどれだけ違うっていうのか、教えてほしいもんだけどなぁ?」
〝レイア〟はマイクで拾えるほどに奥歯を軋り鳴らす。――〝レイア〟にすべてを任せたのは間違いではなかったと思うが、しかしそれ故に、彼女の激情が悪い意味で暴走してしまっては元も子もない。
この〝シード〟の煽りも、〝レイア〟の性質を見抜いてこのことなのだろう。ここは、なんとか冷静さを保ってもらわなければならない。
〝レイア〟のふてぶてしさと、〝ゼロ〟の立てた作戦があれば、この〝シード〟にも対抗しうるはずなのだから。
「だいたい、本気でヤルつもりなのか? お前ら」
怒りを露わにする〝レイア〟を、さらに煽るように、〝シード〟は声を上げる。
「ハッ――、やる気あんのか疑わしいのはそっちじゃん? なんなのよその椅子」
「いいだろ?」
確かに、明らかに〝シード〟の椅子だけが他の三つのものとは異質なのだ。
一言でいうなら、それは玉座だ。
石造りのバカでかい座に分厚いクッションを敷き詰めてあるようで、シードはその中に、沈み込むように座っている。
さらに、馬鹿みたいに伸びている巨大な背もたれの最上段には、なんだろう? 戦国武将のカブトについている鋭利な飾りみたいなものがデカデカと輝いている。
そしてそこにいくつかのデッキが束になってひっかけてある、といった有様だった。
豪華とか荘厳とかいう形容を通り越して、完全に喜劇的なセットになり果てている。
逆に、よくこんなものを持ち込もうなんて思えたもんだ。
「えー、〝シード〟の坊ちゃんからの要望でね。『好きな椅子を使わせろ』ってことだったんでね。〝レイア〟さん側の要望だけ取り入れるわけにもいかなかったんでね」
「……フザけてんの?」
〝レイア〟もあきれ気味に問いかける。しかし〝シード〟は一向にその視線の意図に気づくことも無いようで、声色を変えることもなく言葉を続ける。
「この会場、昨日も使ったんだが椅子が硬くてさ。だから、今回は自前の椅子を用意させてもらった。――何かおかしいか?」
無言で睨み付ける〝レイア〟に〝シード〟はこらえきれないとでも言うような忍び笑いで応える。
〝レイア〟の表情が目に見えて険しくなっていく。
「それとも――対策しろとでも? お前らごときに対して?」
そして〝シード〟は一変、細い目を見開き、ぬるりと首を伸ばして、手の届くような距離で真っ直ぐ〝レイア〟を見据え、嘲弄する。
「――舐めるなよ? お前ら雑魚相手に、慌てふためくわけがないだろ? 身の程ってものを知ってほしいもんだ!」
そして、椅子の背もたれに、まるでチャンピオンベルトの如くかけてあった5つものデッキを掴み上げて見せる。
「この戦力差が解らないのか? だから、おとなしく狗になっておけばよかったんだよ、お前らは!!」
〝レイア〟は無言だ。無言で〝シード〟を睨み付け、拳を握りしめている。
――〝ゼロ〟はそれを見ながら神に祈る。
頼む、頼むから冷静になってくれ! ここでキレたら全部が台無しになっちまう。
「昼間にも言ったよな? 俺は「喰い物」に抵抗されんのがムカつくんだ。喰われて当然の奴らがジタバタ足掻くのが、とにかく許せないッ」
「……レ、レイアはん。そない、イキらんでもええやないか。まだゲームも始まってへんのやで」
〝レイア〟の一触即発の空気を見かねてか、これまで一言も言葉を発していなかった〝さくら〟が、ここで気遣う風な声を掛けた。
「……うっさい!」
〝レイア〟は振り切るように言ったが、〝シード〟に揺るぎなく向けてられていた視線は、ひとまず背けられ、〝レイア〟自身も、おとなしく椅子の上で片膝を抱えた。
〝ゼロ〟はホッと息を吐いた。危うく乱闘でもおっぱじめて、何かのペナルティでも喰らう所だった。
ただでさえ不利な状況なのだ。そんなことになっては目も当てられない。
〝さくら〟も、今にも逃げ出したいだろうに、〝レイア〟のサポートを良くやってくれている。
ここまでは順調――とまでは言えなくても、とになく、破綻せずに進んでいると言える。――先は長いが。
「じゃあね、じゃあもう説明すっからね。――ゲーム名は『ドッグ・ラン』。説明すんでね。ちゃんと聞いてくださいねっと」
ゲームそっちのけでヒートしていたプレイヤー陣に、銀ベータは溜息ひとつを挟み、再びマイペースに解説を始める。
しかし、と、そこで〝ゼロ〟は一人、会場の外で首を捻った。
ドッグ・ランって、犬をあそばせるとこじゃ無かったっけ? どんなゲームなのかゲーム名からは想像が出来ない。
「今宵のゲーム『ドッグ・ラン』なんだけどね。これを解説する前に、昨夜この会場で行われたゲーム『チキン・ラン』について、まず解説させてもらいますね」
「なんでよ?」
脊髄反射的に〝レイア〟が問う。こういう所はホントに相変わらずだ。
「今宵のゲームはその『チキン・ラン』に手を加えたモノ、だからだね。ま、聞いて聞いて」
銀ベータの語ったところによると、『チキン・ラン』とはこういうゲームらしい。
1.プレイヤー全員参加で行うゲームである。
2.それぞれのプレイヤーに「親」か「子」の「役」が割り振られる。「親」は1人で、他のプレイヤーは「子」となる。時計回りに順番で変わる。
3.毎ターン各プレイヤーへ、自分で用意したものとは別のカードが、ランダムで1枚ずつ配られる。プレイヤーは必ずそのカードを手札に加えなければならない。
4.後は通常通りに手札を公開してゲームをする。
5.手札何枚で勝負するのかと言う形式については、「親」が決定するものとする。
6.「子」はフォールドできるが、「親」はフォールドすることが出来ない。
概要はこんなところである。通常のゲームに近いため「蜘蛛の糸」なんかに比べればまだ解りやすいな。
問題は「ランダムに配られたカードを必ず手札に加えなければならない」と言う点だろう。
このランダムと言うのは、当然レベル1~5までのカードがランダムに配られるという意味である。
もしも配られたのがレベル5だったなら、まず勝負などできない。勝ってしまった場合のリスクが高すぎるからだ。
この場合ゲームを降りるのが当然となるが、しかし、自分が「親」の時にレベル5を引いてしまうと、まずいことになる。
最悪、レベル5の特典で再起不能にされちまう。
それ故に、相手の手札にレベル5があるか否かの読み合いが、このゲームを制するためカギとなるわけだな。
「よーするに、ババ抜きね」
と、存外にあっけらかんとした声で、〝レイア〟が言った。何とも気の抜ける態度だが、ある意味間違ってはいない、ともいえる。
先ほどまでは明らかに冷静さを失っていると見えた〝レイア〟だが、思ったよりも冷静なのかもしれない。
〝さくら〟のおかげだ。見れば本人も幾分ホッとした表情を浮かべている。
「……そ、そんで、なんでそないゲームを変えることにしたん?」
〝さくら〟がおずおずと問うと、銀ベータはまた息を吐く。
「そーなんだけもどねぇ。……配られるカードが完全ランダムだと、プレイヤーの皆さんが萎縮しちゃうみたいでねぇ。チキンがチキンのままだとゲームにならねんだよね。なのでぇ、運に頼らなくても勝てる可能性を用意してみたっつー次第なわけね」
「ああ、まったく。昨日のは、まー、クソつまらねーゲームだったよな」
〝シード〟が銀ベータの解説を掻っ攫うようにして得意げな声を上げた。
「えーっとね、つまり昨日のゲームでね、えー、もう知ってるかもだけど、〝アアアア〟ってぇ、プレイヤーの人が、早々にゲーム続行不能になっちゃってね。他のプレイヤーの人らは皆ゲームを放棄しちゃったんだよね」
「――で、何分もしないうちにゲームしゅーりょー。こっちは暇を持て余すことになっちまったよ」
クッションに身を投げ出しボックスの上で足を組みながら、〝シード〟が放言した。
無論、〝ゼロ〟を含む、〝アアアア〟の末路を知る者達は一様に息を呑む。
〝レイア〟は無言で〝シード〟を見据え、〝さくら〟は所在無さ気に俯いている。
「ところで、ゲームの「放棄」についてはもう理解してるか? レア・カードを自分から相手に差し出すことで、ゲームを中断して、プレイヤーであることを放棄することができる。ゲームとは無関係な存在となるってーことだ」
〝シード〟が〝レイア〟と、そして視線を合わせようとしない〝さくら〟に対して蛇みたいな視線を向けながら言った。
「知ってるっつの。それが「狗」でしょ。てか、聞いてないんだけど? なんであんたが解説してんの?」
切って返すように応えるのは〝レイア〟だ。〝シード〟も失笑混じりに〝レイア〟を見る。
「だからさぁ。確認しといてやってんだよ。お前らの為に。感謝してほしいね。何時でもギブアップしていいんだぞ? このインソムニア・ゲームそのものからな」
対して〝レイア〟は何も言わなかった。ひたすらに、顔を蒼白に染めて、〝シード〟を射殺すように見据えるばかりだ。
〝ゼロ〟も心境は同じだった。
それで、そうやって、〝アアアア〟を殺して、他のプレイヤーを脅したってのか?!
なんてヤツだ。そうやって、盤外戦術でカードを巻き上げてきやがったのか、コイツは!
もはや何度目になるのかもわからない怒りが、再び〝ゼロ〟の心胆を焼き焦がす。
コイツは最初っからゲームをやるつもりなんてないんだ! こんなヤツに――いや、こんなヤツラに負けたくない!
会場の外で〝ゼロ〟も〝レイア〟と同様に拳を握りしめる。
「あ~、そんでねぇ~、今日はちょいとマイルドになるようにルールを付け足してみたんだよね」
もはや注意しても同じだと諦めたのか、銀ベータはマイペースに話を続けるようだ。
「今回はね、配られるカードがあらかじめ分かるかもしれないようになってんだよね」
言って、銀ベータはすり鉢状の斜面にあたる部分に口を開けている舞台袖のようなところから、キャスター突きのテーブルらしきものを出してきた。
かなり重厚な代物で、さらにテーブルクロスのようなものが掛けてある。
それをプレイヤー達にも見える位置にまで引き出すと、テーブルクロスをさっと取り払った。
そこには、伏せられたまま均等に並べられた5×5の、25枚のカードがあった。
「えー、これが、これから皆さんに配られるカードになりまーす。今回は手札に加えるカードを自分で選んでもらうことになる、と言う訳だね」
「何が違うのよ?」
「うん。このまま選ぶんなら、「チキン・ラン」と何も違わねぇんだけどね。けんど、今度はこのカードが、どういう順番で並んでんのかを知るチャンスがある――っちゅうことだね」
〝レイア〟は未だにわからなそうな顔をしていたが、〝ゼロ〟にはピンとくるものがあった。
そこで――「狗」つまり〝ゼロ〟の出番になるという事か。
「あー、テステス。外の方聞こえますぅ? で、その手段っつーのを、この会場の外で、『狗』の皆さんに探してもらおうってハナシなわけです。――あーちょっと待ってね」
といって、銀ベータはまた袖に姿を消した。
「なるほど、それで『ドッグ・ラン』ね。笑えるな」
何が面白いのか、実際にニタニタと薄ら笑いを浮かべつつ〝シード〟が言った。コイツもだいたいのゲームの構造を察したらしい。
〝キング〟と違って、倫理観こそ壊れてはいるが、頭まで悪いわけではないらしい。――〝ゼロ〟達の側からすれば厄介なだけの話だが。
「――探してもらう範囲とかのね、指定は特に無しです。ただね、外からこのゲーム会場が見える範囲内。とだけお伝えすんね」
といって戻ってきた銀ベータは、今度はずいぶんとでかい板状のスクリーンのようなものを引っ張り出してきた。
これは珍しく石材ではなく、近代的な電子機器のように見える。
「皆さんも外の様子見たいだろうからね」
銀ベータがそう言うと、そのスクリーンに、今この会場をカメラ越しに見ている〝ゼロ〟自身が映し出された。
――なるほど。つまり、〝ゼロ〟達『狗』の活躍如何によっては、セーフティなゲームになることも、または一方的な蹂躙になる可能性もあるという訳か。
「画質はいまいちだけど、我慢してくださいねっと。えー、情報の在りかはヒントによって分かるようになってまーす。詳しくは外のベータの人らに任せてあんでね、狗の人らはよく聞いてくださいね」
聞こえてますぅ? と重ねて外に居る〝ゼロ〟達に確認するように言って、銀ベータはいよいよとでも言うように、4人の「プレイヤー」に向き直った。
「はやく連絡がくるといいっすね~。――んじゃ、始めましょうか」
しかし、これを聞いて、〝シード〟はまた堪えきれないと言わんばかりに笑いを漏らした。
「おいおい、なんだそりゃ? ホントにその条件でやるつもりか? これじゃあ勝負ならないだろ? こっちの「狗」は5匹だぞ? そもそも、お前らよく「狗を使ったゲーム」なんて提案できたな? 狗の数を考えればどっちが有利かなんて解りそうなもんだがな?」
スクリーンには〝ゼロ〟と同様に、先ほどまで暗闇でじっと動こうともしなかった〝シード〟の「狗」達が映っている。
ベータに促され、〝ゼロ〟の方が彼らの近くに移動させられたのだ。
ベータの説明を聞き、のろのろと起き上がってくる彼らの様子を改めて見た〝ゼロ〟は息を呑んだ。
生気が無い、どころか、表情もまるでないのだ。
さらに〝ゼロ〟の視線を吸着したのは、彼らの首に掛けられた金属製の首輪である。
「嘘だろ――あれって、まさか……」
〝ゼロ〟達も手当たり次第にレベル2の特典を集めていたので、このアイテムについては知っている。しかし、まさかこんなモノを、実際に使う奴がいるなんて思わなかった。
その一見してアクセサリーのような、華奢な首輪は、しかし、このゲームにおいても残酷な特典のひとつである。
・アイテム№28。名称は「咎狗の首輪(ギルティ・ドッグ)」。
これは「狗」、つまり資格を失ったプレイヤーにのみ使用可能なアイテムで、これをはめられた「狗」はプレイヤーの命令に逆らえなくなるというのだ。
そのかわり、首輪付きであるが故に、狗のまま通常プレイヤーのみが享受できるサービスの数々を受けることができるわけである。
装着には本人の同意が必要だったハズだが、一度装着されると自分では外せなくなる。
さらに、自分でチップを使用することが出来なり、常に一定量のチップを吸い上げ続けられるという搾取の枷でもある。〝ゼロ〟はとても使おうなどと思えなかった。これは〝レイア〟も同様だ。
「あぁ……ッ、〝ムッシュ〟はん。なんてことにぃ……」
会場からそれを見ていた〝さくら〟は小さくうめき声上げた。初日に〝さくら〟同様狗にされたプレイヤーであろうか。
その狗たちだが〝ゼロ〟が視線を向けても反応する様子が無い。
まるで麻薬中毒者のような有様だ。人間と言う存在そのものが色褪せてしまっているかのようにさえ思えてくる。
〝さくら〟自身は初日のゲームで狗となり、そのままパークに戻らず彷徨っていたため、この首輪をはめられずに済んでいたのだ。
もしも〝シード〟の命令どおりにプレイヤーを連れ帰っていたら、〝さくら〟もまた彼らと同じめにあわされていたという事なのだ。狼狽えるのも無理はないだろう。
「ヤツラは俺の命令に絶対服従する。本当に死ぬまで走れって命令でも従うんだぞ? ――なぁ、ホントにこの条件で勝てるなんて」
「……って、思うじゃん?」
しかし、そこで傲然と嘲るような〝シード〟の声に対し、〝レイア〟はいっそ朗らかに微笑み返した。
「――あ?」
さしもの〝シード〟も怪訝な声を上げる。
中での会話を聞きながら、〝ゼロ〟は身体を伸ばし、爪先で軽く砂を蹴る。
この島の通路は道なりに磨かれた石が敷き詰められているのが常なのだが、この会場に近づくにつれ、地面はいつの間にか石畳から固く
まるで今夜のことが想定されていたかのようだ。――つまり、
「うんうん。オレッチもおんなじように思ってたよね。――今の今まで」
――全力で走れるってことだ!
マイク越しに聞こえてくる銀ベータの言葉に先んじて、〝ゼロ〟は地面を蹴る。ロックは既に全解除してある。
その身体は立ったまま眠っているかのような〝シード〟の狗たちを、一瞬にして置き去りにしていた。
その速度はもはや人類の発揮しうる現界を超えていた。
「なんだッ――アレは!!」
たった一蹴りで4・5メートルも跳ね奔る〝ゼロ〟をスクリーンで見ながら、〝シード〟が驚愕の声を上げた。
「なるほどねぇ、レベル3の特典に気付いたってわけだねぇ」
「レベル――3だと? あんなふざけたカードで何が……」
走り出した〝ゼロ〟の身体は闇の中を掻き分ける――と言うよりも、切り裂くようにして進んでいく。
真夜中の運動会だ。生まれてこの方、駆けっこで誰かに勝ったことなどない〝ゼロ〟だが、それ故に、他者を置き去りにして疾走することのそう快感は言葉にできないほどのものだった。
「やっぱ、気付いてなかったか。――予想どうりね」
〝レイア〟が心底うれしそうな猫撫で声で言う。――もっともこれを予想していたのも〝ゼロ〟なのだが。
「レベル3の特典はちょびっとのチップがもらえるだけじゃなくて、アンカーによる身体能力の増強と拡張――でいいんだっけ?」
上機嫌の〝レイア〟に水を向けられた銀ベータも、若干
「そそ。みんなあんまり使わねぇからさぁ。意外と盲点なんだよねぇレベル3。実際はかなり使えんだよねぇアレ」
例を挙げると、
ユウキリンリンコワクナイ → 「恐怖心が抑制される」
ゲンキモリモリストロングパワー → 「筋力が強くなる」
カラダカチカチスチールボディ → 「皮膚が固くなる」
オメメパチパチイーグルアイ → 「眼がよくなる」
オミミピコピコデビルイヤー → 「耳がよくなる」
という具合に、得点によって各種身体能力が強化されるというのが本来の効果なのだ。
正直、ふざけた文面も手伝って、使ってみるまでこんな効果があるなんて想像もしなかった。
そんな会場内のやり取りを
いくら走り続けても、全く息の切れる気配もない。むしろ高揚していく脈拍と吸気が、この上なく心地よい。
今の今まで、たとえばランニングとか、そういう、趣味で身体を動かすような奇特な人間の気なぞ知りたくもないと思っていた〝ゼロ〟だが、これほどの感覚を得られるなら、趣味でランニングだか、マラソンだかをする人間の気持ちを想像することくらいは出来た。
生まれついて走る才能が有り、走れることがこんなにも楽しいのなら、毎日でも走りたいと思うのは当然なのかもしれない。
しかし、そんな連中ですら、今の〝ゼロ〟には絶対追いつけない。体感としてはおそらく、自転車どころか軽くスクーターほどの速度で「走行」しているのだ。
加えて、あのベータ共の異常な体術の理由にも合点がいっていた。
このレベル3と同様の効果で、アイツらも身体機能を強化していたのだ! そりゃあ、「生身」のプレイヤーじゃ歯が立たない訳だ。
「しかも、君らは『ゴールド・イクリプス』のおかげで、好きなだけレベル3を揃えられたってわけだね。うん、良いコンボだわな」
銀ベータも称賛の声を上げる。
ちなみに、今〝ゼロ〟が強化しているのは、まず全身の筋力・神経の反応速度・持久力・皮膚の硬化・苦痛の軽減・視力強化・暗視といった具合だ。
無論、狙ってのことではない。
狗を活用するゲームを提案しはしたが、実際になにをさせられるのかわからないのだから、レベル2同様、とにかく手に入るレベル3を片っ端から使用し、得点を獲得していったわけだ。
その甲斐あって、今の〝ゼロ〟は、軽く「スーパーマン」のような状態になっていると言える。
さすがに空は飛べないが、素手で岩を砕き、闇を見通し、刃物を押し付けても跡すらつかない身体を獲得しているのだ。
おそらく銃で撃たれてもそうそう怪我すらしないだろう。まぁ、流石にそんな事態があるはずもないが。
「…………レベル3、ね。なるほど、確かに気が付かなかった。ホント、まさか、って感じだ」
〝シード〟が、先ほどとは打って変わって、ボックスに肘をついた、いかにも深刻そうな格好で言った。
「――ハッ! そう安直に考えてるだろうから、なーんにも考えずこっちの要求呑むだろうって予想してたのよ。まんまと引っかかってんじゃんッ」
ここぞとばかりに、〝レイア〟が声の調子を上げて言う。……実際にはそう予想したのも俺なんだけどな。
しかし一旦は能面のように沈鬱に顔を歪ませた〝シード〟だったが、すぐにその表情を蛇のようにニタリと歪ませた。
「――けどな、こっちだって何もしてない訳じゃあないんだよ。――たとえば、レベル2なら、こっちもいろいろと試してるんだ」
そう言って〝シード〟はポケットから何か、スマホか携帯ゲーム機のようなものを取り出した。
めずらしい。この島ではこういうデバイスチックな代物はあまり見かけない、と言うのは先述してある通りだ。
「ああ、コイツは別物でさ、アンカーの身体操作では扱えないんだ。なんでも「危険」なんだそうだ」
周囲の視線に〝ゼロ〟のそれと同じ疑問を受け取ってか、〝シード〟は少々舌を上ずらせながら、それを操作する。
まるで、クリスマスプレゼントでも開封するかのように顔を紅潮させさせて。
そうしてゲーム会場の様子を見続けながら奔り続けていた〝ゼロ〟は会場の外周を一蹴して、元の位置まで戻ってきてしまった。
ぐるっと回ってみた感じでは、それっぽいものはなかった。
〝ゼロ〟達が探すべき「情報」は「あきらかに異質で、見れば一目瞭然な場所」にあるとのことなのだが、それらしいものは全く見当たらなかったのだ。
と言うか、会場の周りはひたすら平らな砂地で、ボックスも無ければ、旗すら立っていない。それらしいものも何もないのだ。どういうことなんだ?
しかし、止まっている訳にもいかない。未だスタート地点にたむろしている1ダースほどのベータ・シープ共を尻目に、〝ゼロ〟はさらにもう一周しようとギアを上げる。
すると、ヨタヨタと寄る辺の無い足取りで砂地を歩く〝シード〟の狗たちが居た。
〝シード〟からの命令で「情報」を得ようとしているのだろうが、とても何かを考えたり、失せもの探しに興じられる状態には見えない。
気の毒だが、競争相手がこれじゃあ、レベル3を使うまでもなかったかもな、と〝ゼロ〟は嘆息する。
これならさらの状態でも何とかなりそうだ。――いや。レベル3の特典なしで走らされるのなんてごめんだが。
などと思いつつ周回遅れの彼らを追い越した〝ゼロ〟はもっと会場から離れた位置に目を向ける。
やはり、だだっ広いトラックのような会場周辺地には、なにも無いよう見える。
いや、こうしてみても解らないというなら、そのヒントは立体ではなく平面的なものなのではないだろうか?
たとえば、ヒントが地面に描かれていたりしたら、パッと見何もないように見えるのは当然だ。
〝ゼロ〟は掌のコンソールを操作し、視力の拡張と暗視効果の度合いを深める。
先ほどまで「闇を見通せる」程度だった〝ゼロ〟の視界が、白昼のそれと変わらぬ――あるいはそれ以上の明度を獲得する。
先ほど〝ゼロ〟が付けた足跡さえもはっきりと見て取れるほどだ。
よし、これならどんなヒントも見逃さない――
と、そう内心で嘯いた〝ゼロ〟の視界が、やにわに暗転した。
「ちょっと、どーなってんのよ!」
今度は、会場内でスクリーンを見上げていた〝レイア〟が声を上げた。
「あーらら。ぼっちゃん、こんなもんまで見つけてましたか」
対して〝シード〟は心底うれしそうに湿ったような笑いを漏らした。
声を上げる〝レイア〟と同様に、〝さくら〟も言葉よりも雄弁に悲哀を語る視線を〝シード〟に向ける。
「そうだ。この『リモコン』だ。レベル2の特典、名前は『支配者の見えざる鎖(クラック・ドミネーター)』。効果は、見ての通りだ」
〝ゼロ〟は転倒していた。自分で足を滑らせたわけではない。背後から掴み掛かられたのである。
無論、〝ゼロ〟の驚愕は掴み掛かられた事ではなく、追い着かれたことにある。
視力を切り替えている間、確かに「減速」はしていたが。それでも走り続けていたことに変わりはない。
この相手は、その〝ゼロ〟に掴みかかれるほどにまで肉薄してきたという事になる。
いったい誰が? まさかベータが? と思い咄嗟に跳ね起きてみると、そこ居たのは先ほどまでナメクジの様に歩を進めていたはずの〝シード〟の狗たちであった。
しかし、彼が目を剥いたのは、彼らの様相が先ほどとは、いや、ついさっきすれ違った時とは、まるで別のモノに見えたからだ。
――いや、別のモノ、と言うよりも、まるで、人ですらないような――
会場内でも、〝レイア〟と〝さくら〟がこの上ないほどの驚愕に見舞われていた。
「だから、何なのよあれ!」
「なにって……。言ったろ? 見ての通りさ。このリモコンは、首輪付きになった狗を「猟犬」に変えてくれるっていう、素敵な代物なのさ」
何せ、使い道のないゴミを有効利用できるんだからなぁ! と〝シード〟は含み笑いを交えて語る。
「え~、詳しく言うとね。アンカーの効果で、狗の能力値を出来る限り……つーより、過剰に底上げしちゃうって代物なんだよね。――にしても、ぼっちゃん。いきなり最大レベルまで回しちゃったら……」
「――いいだろ別に? 連中、もう何もわからなくなってるだろうしな。痛覚は0、身体機能・感覚強化は最大値だ」
平然と言ってのける〝シード〟の言葉が〝ゼロ〟には信じられなかった。相手を、――人間を何だと思ってやがるんだ!
鉛のように黒ずんだ皮膚、異常に隆起した筋肉、歪に湾曲し、衣服を内側から引き裂く程に鋭角化した骨格。――なによりももはや人とは思えない、まるで本物の獣のように歪んだまま固定された、その面貌。
まさしく人外と言っていい姿だった。当然、そんなものに背後から襲い掛かられた〝ゼロ〟は物理的な衝撃よりも心理的な驚嘆に転げまわった。
それが幸いし距離を取って起き上がった――はいいが、改めて彼らの姿を凝視して、〝ゼロ〟は三度の驚愕を味わうこととなった。
この異形化の変化に耐えきれなかったのか、彼らの五体からは各所より血が滲み出し、もはやまとわりついているだけの衣服を赤斑に染めているのだ。
「……」
これにはさしもの銀ベータさえ、押し黙った。当然〝レイア〟や〝さくら〟も同様である。
ただ一人、〝シード〟だけが快哉を叫ぶように放言し続ける。
「レベル3がなんだって? くっだらないんだよッ。そんな面倒なことなんてしなくても、なんとでもなるんだ。――それに、これはお前らのせいだぞ? お前らが得意げにレベル3なんて使わなきゃ、あいつらだってあんな風にならずに済んだだろうに。なぁ?」
「ええ、全くですよ。クヒヒ。ヒドいことをするねぇ君たち」
〝シード〟に水を向けられた〝キング〟は卑屈な笑みと共に、
そんな中〝シード〟は一人、嘲っている風でもなく、心の底からそう思っているとでも言うかのように〝レイア〟に語り掛ける。
「――ま、これでハンデ無しってところだな。そろそろ、ゲームを進めようか。余興に熱くなりすぎた」
誰も何も言わなかった。〝シード〟だけが一人、淡々と言葉を紡ぐ。
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