第24話「三日目」知らされた末路

「いぬ? ――犬ってなんだよ?」


「つまり……不審者が来て騒ぎを起こしたところなのですノン」


 不審者? いやでもお前いま、「犬」って言ってたよな? 〝ゼロ〟には訳が分からなかった。


 不審者と言うのも意味不明だし、何よりもそれを「犬」と呼ぶオメガが、予想外に過ぎた。


 とにかく、一同早足で渦中の場所へ向かう。オメガ達は引き止めようとするような空気を出したが、〝ゼロ〟も〝レイア〟も無視した。


 そして行きついたのはこのパークにいくつかある食堂の一つであった。


 いくつかのテーブルと椅子が歩道と地続きの敷地に並べられているオープンカフェのような店舗で、開放的な雰囲気が特徴だった。


 聞こえてきたのは、そんな店構えにはそぐわない、動物によるけたたましい唸り声――などではなく、哀れを誘う哀願の声であった。確かな、人間の。


「頼む。このとーりや! 贅沢は言わん、水。水だけでもぉ!!」


 そこに居たのは石畳に頭を擦り付けている、恰幅の良い中年男性であった。


 とにかく、傍から見ても汗と泥にまみれてひどい有様だった。


 今の〝ゼロ〟と変わりがないほどだから、相当なものだ。


 それが、多数のオメガ達に、サスマタのようなもので追い立てられているのだ。


 それでも、転げるように、土下座するように、石畳みにしがみつくようにして、その男は「頼む、水だけでも」と、オメガ達の背後いる男たちに繰り返し慈悲を乞うように哀願している。


 哀願を受けるのは昨夜〝ゼロ〟をハメた男たち、〝小松菜〟と〝バズーカ〟だった。


 この凸凹コンビは、昨夜の人のよさそうな風体とは打って変わってふんぞり返り、這いつくばる中年男の様をあざ笑うように見下ろしている。


 思わず身を固くした〝ゼロ〟の胸に去来するのは、しかし、嫌悪感よりも虚無的な羞恥心であった。


 昨日の俺も、傍から見たらこんなふうに見えてたってのか? 〝ゼロ〟は嫌悪するよりも先に愕然としてその光景を見る。


 そこで〝ゼロ〟達――と言うよりも〝ゼロ〟を見止めた凸凹コンビは、まるで三流芸人のコントよろしくギョッと身を強張らせて目を丸くしていた。


 二人でそろって〝ゼロ〟の姿をじろじろと舐め回し、そして一瞬だけホッとしたように息を吐いてから、何も言わずに立ち去っていった。


 拍子抜けだった。なんだ、『被害者が強い』ってのは本当のことらしいな。と、〝ゼロ〟は乾いた笑いを浮かべた。


 確かに憤懣ふんまんやるかたない思いはあったが、〝ゼロ〟には彼らの心理がよく理解できたのだ。


 それは初日の夜以降〝ゼロ〟がい交ぜに飲み下そうとして飲み下せなかったものだったから。


 まぁ、自分が生きていたことで多少は肩の荷が下りたことだろう。


 〝ゼロ〟だって、できることなら今からでも〝ソノダ〟との勝負を無かったことにしたいと思う気持ちに偽りはないのだから。


 とにかくあの二人については、もうどうでもいい。と〝ゼロ〟は気持ちを切り替えることにした。


 そして、気になっていたことを〝オメガ達に問いかける。


「にしても、お前らもちょっとひどくない? 何であんなことすんだよ。水ぐらいいいだろ?」


「ですが、プレイヤー様が仰ったので……」


 と、オメガ達はお互いに顔を見合わせている。どうやら、〝小松菜〟〝バズーカ〟の二人が何もくれてやるなと言いつけていたらしい。


「あいつらか……。でもさ、だからってお前らも態度変わりすぎじゃねぇの?」


 しかし、何度問い質しても、オメガ達は意見を変えなかった。


 〝ゼロ〟に対しては申し訳なさそうに目を伏せるのだが、あの中年男への対応を改めるような考えは一切ないようだった。


 〝ゼロ〟は訳が分からず途方に暮れて言葉を切った。


 とにかく、追い立てられていた中年男に近づく。


「プレイヤー様! 後のことはノン達がやりますノン。プレイヤー様はどうぞ、スパに!」 


 オメガは相変わらず、元気よくそんな事を言う。


 〝ゼロ〟はそれが奇異だった。だって、今そこに泥まみれになってへたり込んでいる人がいるのに、「後のことは……」なんて言い方、おかしくないか?


「いや、まずはあの人と話させてくれよ」


「ですが……いぬですノン」


 コイツ等は、あの人をまるで人間扱いしていないのだ。


「いいから、ちょっと下がってろ!」


「かしこまりましたノン……」


 〝ゼロ〟が語気を強めると、悲しそうにそう言って、オメガ達は距離を取った。


 少し悪いことしたような気になったが、この異常な事態の方が気にかかった。


 そもそも、あのおじさんはなんなんだ? このゲームにプレイヤーとシープ以外の何者かがいるのか?


「あんた、何する気よ」


 男の元へ行こうとした〝ゼロ〟に背後から声が掛かる。一連の騒動を無言のまま見ていた〝レイア〟だ。

 

 というか、まだいたのかお前。


「いや、でも」


「同情でもしてんの?」


 なんだよ、嫌な聞き方する奴だな一々。


「そうじゃなくて……、少しでも情報が欲しいんだよ。今の俺たちには何のアイデアも方策もないんだから」


「あっそ。勝手にしなよ。――アタシはいい加減風呂行くから、勝手にしな」


 そうかよ、さっさと行けよ。ったく。と、〝ゼロ〟は心の中で吐き捨てる。


 だいたい、お前が俺を助けたのと同じだろうが。何言ってんだよ。




「……どうしてや、どうしてこないなことにッッ」


 〝ゼロ〟は一人、未だに石畳の上にうずくまり、嗚咽を漏らしている中年男に歩みよった。


「あの、」


「ヒィッ」


 〝ゼロ〟が近づくと、この中年は土下座するように頭を下げ、手を合わせて〝ゼロ〟に拝みかかる。


「かんにんや! かんにんしてや! 騒がすつもりはなかったんや」


「いや、気にしてないですから。というか、俺たちワケ解ってなくて……どういうことなのか話してほしいんですけど」


 出来るだけ優しげに言ったつもりだが、中年は顔を情けなく歪ませたまま、曖昧に開いた口元を戦慄かせているばかりだ。


 えーっと、どうしたもんかな。と〝ゼロ〟は頭を掻いたが、すぐに先ほどのやり取りを思い出す。


「おい、――誰か水持ってきて」 


 〝ゼロ〟が言うと、距離を置いて待機していたオメガ達が反応する。


 するとなずむようにしてへたり込んでいた中年男が、初めて〝ゼロ〟を見つめてくる。


 驚くほど生気の無い顔である。


 〝ソノダ〟が言っていたように、本当に色褪せようとしているような、半死人の顔色。


 〝ゼロ〟はそれを想い内心でゾッとして身を強張らせた。


「ええんか……? ほんまに、……た、助けてくれるんか?」


「ええ……と、はい。……その……情報交換とかしましょう」


 すると、へたり込んでいた中年は、驚くほどの動きで〝ゼロ〟に這いより、


「うぇ、ちょっ――ウェ! うへぇぇぇ!!」


「おおきに! おおきにや!! なんや、あんさんは仏様みたいな人やぁ……」


 〝ゼロ〟へ向けて飛び込むような勢いで抱き着いてきた。


 お互い泥だらけな上に、強烈な汗の臭い、と言うか濃厚な加齢臭をダイレクトに浴びせかけられ、〝ゼロ〟は眼を白黒させねばならなかった。


 ……ちょっと待て。ゲームとかラノベとかなら、こういう役柄って普通は女の子だよな? 


 


「いやぁ、生き返った。ホンマに生き返ったわ!」


 とにかくスゴイ食欲だった。なんでも、丸一日以上何も食べていなかったらしく、おじさんは出されたものを綺麗に平らげた。


 元気になってみると、よくしゃべるようになり、笑顔も見せるようにった。


 こうしてみると、なかなか人のよさそうなおじさんだと、〝ゼロ〟には思えた。――でも、普通は美少女だよなこの役回りって。


いぬのお皿も下げますノン」 


「……お前さ、そんな言い方ねぇだろ」


「申し訳ありませんノン。ですが、」


「ええねん。それはもう、ええねん」


 当の〝さくら〟が、〝ゼロ〟をいさめた。皿を下げに来ていたオメガは深々と〝ゼロ〟に頭を下げ、立ち去る。


 プレイヤーである〝ゼロ〟に対しては本当に、ある意味神様でも拝むみたいな敬虔な態度をとるくせに、どうしてデッキを失っただけでこうなるのか……。


「ですけど、なんでこんなところに? ホントならもっと先のパークへ進めるはずなんじゃないですか?」


 足止めを喰らっている〝ゼロ〟達と同じような場所でうろうろしているのはそもそもおかしいのだ。


「……いや、ワイは、もうプレイヤーやあらへんのや」


 お付きのシープもおらず、デッキも持っていないところから予想はしていたが、やはりそういう事だったらしい。

 

 デッキを、というよりも「レア・カード」を失った、元プレイヤーということなのだろう。


「何があったんですか? えーと、」


 さて、この人は誰だったか? 関西弁の人だ。レクリエーションで見ているはずなのだけれど……


「〝たこやき〟さん? でしたっけ?」


「ちゃうわい! なんや関西人やあからタコ焼きて、ワイは〝さくら〟や」


 ああ、スイマセン、と苦笑いしつつ〝ゼロ〟は先を進める。


 訊きたいのはそんなことではない。正直、名前などはどうでもいいのだ。


「別にいいじゃん、どっちでも」


 すると、〝ゼロ〟の内面を代弁するようにいって〝レイア〟が現れた。服装は変わっているが、これがまた露出過多のパンクな代物だった。


 どこにあったんだこんな服? 他にもまともは衣装はいろいろ用意されているはずなのだが……、


 と思いつつ、〝ゼロ〟は〝レイア〟の服装については何も言わずじろじろ見るのもやめておいた。


 こんな恰好をしておきながら、いざそれについて触れられたらキレるのがこの女のパターンである。


「あー、遅かったな。メシ、まだあると思うけど……」


 オメガを使いに出したのは〝ゼロ〟達がテーブルに着く前だったのだが、結局、その食事が終わるまで〝レイア〟は姿を現さなかったのだ。


「もう食べたからいい」


「あ、そう……」


 じゃねぇかと思ってはいたけど、やっぱりそうか。


 別に飯くらい一緒に食えばいいんじゃないの?


 何でそこまで人目を避けようとするのか〝ゼロ〟には解らなかった。


 〝ゼロ〟も大概陰キャなのだが、ここまで来ると、もはや別の人種のような気がしてくる。


「あ、コイツが俺の協力者の〝レイア〟です。今のところ、仲間は二人だけで」


 〝ゼロ〟は気を取り直して〝さくら〟に言った。しかし、当の〝レイア〟は相手を見ようともしない。


「――キモ」


「……」


「あ、ああー、ワイは〝さくら〟や、なんや、この人には世話になって」

 

 絶句する〝ゼロ〟に気を使ったのか〝さくら〟は柔和な笑顔を見せるが〝レイア〟は取り合うつもりが無いらしく「どうでもいい」とさえ吐き捨てる。


「それよりさ」


 と、そっぽを向いたまま体育座りでもするように椅子に乗った〝レイア〟が口を開いた。


 とりあえず、人と話をする体勢には見えないんですけど?


「この人のことより、ゲームのことの方が大事じゃないの? どうすんのよ、今夜、あのバカ面の二人組をヤルの?」


 視線も合わせずそんなことを言う。こんなことで時間を使っている場合かと言わんばかりの棘のある声で。


「それは――それをこれから」


「だぁから、ウダウダしてんじゃねぇだろっつってんの! 悠長に身の上話なんて聞いてる暇あんの? ないよね?! もう昼だよ? すぐに次のゲームが始まる! チーム組むっつたんだからちゃんと考えろよ!」


 咆えるように言って〝レイア〟はテーブルを蹴り上げた。


 〝ゼロ〟はもとより、〝さくら〟も何も言えずに視線を逸らすしかなかった。これではとても話し合いなどできそうもない。


 〝レイア〟は呼ばず、先に〝ゼロ〟だけで話を聞くべきだっただろうか? 


 しかし、後になって、なんで自分を呼ばずにそんなことをしたのかと顰蹙ひんしゅくを買うのもバカバカしい――といいうよりも想像するだに恐ろしい。

 

 しかし、呼んでしまったものは仕方がない。


 時間がないのも確かなのだ。とにかく、今はこの〝さくら〟が有益な情報を持っていることを期待して話を聞くしかないのだ。


「と、――とにかくッ、その辺の事も考えるためにもこの人の話は聞いとくべきだと思うんだよ」


「せやな。……でも、今夜あの二人とやるのは、やめた方がええと思うわ。自分らで言っとったが、なんやエライ量のチップ持っとったで」


「……」


 助け舟を出すように〝さくら〟が言った。


 それ自体はありがたいのだが、〝ゼロ〟としては、さすがに、それを奪われたのが自分だとは言い出せなかった。


「知ってるっつーの! んなことくらいッ」


「あの二人っていうのは、〝小松菜〟と〝バズーカ〟の二人ですよね。〝ツーペア〟って人はどうしてます?」


 とにかく、何とか〝レイア〟も交えて話を進められそうなので、〝ゼロ〟はひそかに息を吐いた。


 そして、あの凸凹コンビと共にこの街に戻っているはずの男について尋ねた。しかし〝さくら〟はパグ犬のように首を傾げる。


「いや、ワイがここにたどり着いてから、あんさん等に会うまでに見たのはあの二人組だけやったで?」


「はぁ? ――んなわけないでしょ」


「――いや、」


 声を尖らせた〝レイア〟を制するように、〝ゼロ〟は声を上げた。


 もしかしたら、と言う予感は以前からあったのだ。


「あの人は「横」に移動したのかもしれない」


「何それ? 横? どーいうことよ」


「つまり、昨日のゲームのペナルティって、このパークに一日足止めされるって意味だと思ってたんだけど、もしかしたら、パークに戻ってからは、案外自由に動けるってことなんじゃないか? 『二日目のパーク』は他にもあるんだから」


 俺たちも別に監視も拘束もされてないし。と〝ゼロ〟は続けた。


「だから何? 一日遅れなのは変わんないじゃん。パークからパークまで移動できるって言っても、ゲーム会場へは真夜じゃないと入れないんだから」


「いや。ただ、ココじゃないパークまで移動できれば、もしかしたらペナルティを帳消しにできるルートがあるかもって話で」


「――ハッ、ンだよソレ、ただの、「だったらいいな」って希望じゃん」


 しかたねぇだろ! ――とは口に出せなかった。


 言ってもこの女はさらに機嫌を悪くするだけだろうし、実際に、〝ゼロ〟の考えも、だったらいいなと言う程度のものでしかないのは確かなのだ。――が、


「いや、それは可能やで」


 意外なところから、是の声が掛かった。


「ハァ?」


「ど、どういうことですか!」


 うさん臭そうに椅子の上で膝を折った〝レイア〟は鼻で嗤う。


 それに対し、〝ゼロ〟は勢いよくその言葉に喰いついた。


「この島は、何処から始めてもゲームが進むにつれて、幾つかのルートに分かれるようになっとるんや。それで、何処のルートであっても、何かしらの手段でショートカットが出来るようになっとる」


「どうしてわかるんですか?」


 すると〝さくら〟は、力なく唸った。


「待ってんか。――それには、順を追って話さなあかんねん。まず……「レア・カード」っちゅうもんについては」


「それは知ってます」


 〝さくら〟が言い終わるよりも先に〝ゼロ〟はデッキからカードを引き抜いて見せ、そして〝レイア〟を見る。


 〝レイア〟は咎めるような視線を向けてくるが、溜息を吐いて黒いレア・カードを引き抜いて見せる。


「……ちょっと、あんたたち人来ないように見張っといて」


 〝レイア〟は近くにいいたオメガに言って、多少斜めではあるが、真っ直ぐに椅子に座ってテーブルに向き合った。


 さすがにこの〝さくら〟の話は聞き流していいものではないと解ったのだろう。


「気付いたのは昨夜のゲームが終わってから。まだ使った事は無いです」


「なんや、それなら話が早いわ。つまりな、わいのレアが、そのルートの情報を見れるっちゅう代物だったんや」


「はあぁぁぁ!? 何それ、チートじゃんッ。――ッだよ! アタシそれがよかった。こんなわけわかんないのより」


 と言って、〝レイア〟は手にしていた「ブラック・ポータル」のカードをテーブルの上に投げ出す。


 このバカ、さんざん説明したのに、まだその「ブラック・ポータル」の強力さが分かんねぇのかよ。それ、凄いカードなんだぞ?


「……ンだよ」


 〝ゼロ〟が諦観混じりに阿呆を眺めるような視線を向けていると、〝レイア〟がガンを付けてきた。〝ゼロ〟はすかさず視線を逸らす。


 ついでに、なんでこんなに凶暴なんだよ。昔は、昔はもうちょっとおとなしい奴だったのになぁ。なんだか足癖も悪くなっちゃって……。


 〝ゼロ〟は先ほど蹴りつけられたところをさすりながら、気を取り直して引き続き〝さくら〟に質問を続ける。


「えーと、すいません。その〝さくら〟さんのカードがスゴいっていうのは解ったんですけど、「だった」ってことは」


「せや。ワイはカードを奪われてしもた。見てのとおりや。それも最初のゲームでや。それで、……この有様やねん」


「どういうことよ? 初日からレアを知ってたってこと?」


「順を追って、お願いします」


「……せやな、長い話っちゅうわけでもない。全部、話した方がええかもな」


 そう言って、この〝さくら〟という恰幅の良い中年は威勢のよさそうな声色とは裏腹にぼそぼそと、至極つまらなそうに、いや――とても、辛そうに喋りはじめた。


〝あの男〟――〝さくら〟は重苦しい声色でそう呼んだ。


 今や、一つのパークを支配し、「自分の街」と呼んでいる支配者気取りのプレイヤーのことを。


「ワイは、初日のゲームで、デッキを失い。――あの男の狗にされたんや」


「まず、その、犬ってどういうことなんですか?」


「てゆーか、あの男って誰のことよ」


 〝さくら〟はまずは聞いてほしいといって、話を再開する。


「まず、そのアイツ言うんは、〝シード〟っちゅう二十歳かそこらのそこらの男なんやが」


「はぁ? 誰?」


「ああ、あの真っ赤な頭の」


 あのレクリエイションで舌打ちをしていた、真っ赤な髪を撫でつけていたひょろりとした男だ。


「せや。アイツが全ての元凶やった。……アイツは、初日にとんでもないことをやって、ワイら他のプレイヤーを全員自分の狗にしたんや」


「全員? ――ってことは、みんな「犬」に?」


「『犬』やなくて『狗』やな。わいを含めて少なくとも三人、狗になった奴がおる」


 手振りを交えた〝ゼロ〟の質問に、〝さくら〟も同じようにして解説した。


 そして〝ゼロ〟は息を呑む。じゃあ、こんな扱いをされてる人が他にもいるってことか?


「てか、その狗ってなんなのよ。プレイヤーじゃなくなると、そのまま狗になるの?」


「そうやない。狗、いうんは、プレイヤーに着いて回って、飯やらなんやらをねだる奴等って意味や。そうせんと、ワイらは人間として扱ってもらえへんねん。見てのとおり、オメガ連中は、デッキとカードを失った人間のいう事はまったく聞かななるねん」


 まさかと思ってはいたが、――ひどい話だ。


 それであのオメガ達の冷徹な対応というわけだ。そう言うルールなんだとしても、もうちょっと人として手心とかあってもいいだろうに。


「ここの従業員て妙に徹底してるよな、変なところで」


じゃ、ないんじゃない?」


 その時〝レイア〟が妙なことをぼそりと言った。


 話の腰を折りたくなかったので何も言わなかったが、〝レイア〟の何かを確信しているような声色が気になった。


 従業員じゃないなら、なんだっていうんだよ?


「……そんで、一度狗になったら、主人のいう事には逆らえへん。やから、自分のチップを献上したり、ナンボ理不尽でも命令を聞かなあかんようになるんや」


「ぶっちゃけ『飼い狗』ってわけね。チップが残ってても、カードが無きゃどうにもなんないってわけ。――最悪」


 〝レイア〟の言葉に〝ゼロ〟も胸が悪くなる思いだった。


 そして、使いようのないチップを搾取されるだけの小作人みたいな存在になるわけか。


 なんだよやりきれねぇな。こんなとこに来てまで結局……。


 そこで、俯いてた〝さくら〟は、不意に声を上げる。


「なんで――――なんでこうなんねんやろうなぁッ」


 自分で話しながら感極まってしまったのか、〝さくら〟はボロボロと涙をこぼす。


 そして勢いに任せ、自分の身の上を語り始めた。


 どこに行ってもこの調子で、あっという間に搾取される側になってまう。何でこうなんだろうかと。


「――ワイは、なにもしたくて「夜更かし」なんてしてたんと違うんや! 違法だろうとなんだろうと、そうでもしなけりゃ生きてけへんかった。あの〝企業〟が出てきて、なんや世の中よくなったっちゅうけどな。それはぜんぶやない。ワイみたいに、上手くできヘン奴も大勢いんねん。健全な社会なんてゆーても、それについていけヘン奴は、どうなんねや?」


 吐き出すように言って、〝さくら〟はさめざめと泣き始めた。〝ゼロ〟にしても他人事ではない。


 同じだ。自分も今の社会に居場所が無いと感じていた人間だ。


 思えばあの〝ソノダ〟も、この〝レイア〟も、このゲームに送られるような人間は、皆そうなのではないか。


 さらに〝さくら〟はさめざめと語る。


「それに、この場所は嫌や。なんや空恐ろしくなんねん。このオメガ言う奴等も、何かがおかしいやないか。冷たくされたとか言うんやない。みんな似たような顔で、人間味みたいなもんが、なんも感じられへん」


 もう帰りたい。――そう、〝さくら〟は繰り返した。


 これ以上この島に居たら、自分もおかしくなってしまいそうだ、と。


「もう、刑務所で眠らされるのでもええ。元の場所に戻りたい……」

 

 〝ゼロ〟は親ほどの年齢の男が、ここまで心情を吐露して泣くのを見たのは初めてだった。


 それ故に哀れを誘うし、はっきり言って他人事ではないのだ。


 〝ゼロ〟だって、出来ることならなけなしの命を拾って、さっさと家に帰りたいと思う。誰だってそうだ。


 今となっては、あの空虚なだけの自室が懐かしい。いかに空しく孤独でも、おのれの命を危険にさらすよりはいい。


 誰だって、そう思うはずではないか。



「――ハッ、結局はただの負け犬ってことじゃん。アッホくさッ」



 しかし、それに異を唱える者は、意外と近くにいた。

 

 〝レイア〟は醜態をさらす男をせせら笑い、これ以上なく蔑んで見せる。


「てか、おじさん恥ずかしくないのぉ? いい年してメソメソ言い訳してさ」


 娘ほどの歳の〝レイア〟に言われて、〝さくら〟は、グッと口を結んだ。


 当然だ。何も言い返せなくても、平気なわけではないのだ。


「おい、もっと言い方ってあるだろッ」


 言い返しようのない正論を盾に責められる気持ちは〝ゼロ〟にもよくわかる。


 溜まらずに〝ゼロ〟が言い返すと、へらへら嗤っていた〝レイア〟は、一変、弾けるように怒声を張り上げた。


「知るか!! ――――何が「夜更かし」したくてしたんじゃない、だ! んなもん言い訳じゃなくてなんだっつーんだよ!」


 その怒声に、奥歯を食いしばっていた〝さくら〟は一転、ひぃっと声を上げて椅子から転げ落ちた。


「か――かんにんや、かんにんやでぇ」


「結果が出てから、終わってからぐちぐち言ってんじゃねぇ! 後から何言ったって何の意味もない、言い訳じゃん。それとも他に何かあんの?」


 〝さくら〟は押し黙り、〝レイア〟も言葉を切って沈黙した。誰も視線を合わせない。


「……そ、それで、どうして〝さくら〟さんはこの街に来たんですか? 狗になったら、普通はどこかのプレイヤーに着いて歩くものなんじゃ」 


 話題を変えようと、〝ゼロ〟は切り出した。さっき〝レイア〟も言っていたが、何をするにも時間は待ってくれないのだ。


「それが、……「命令」だったんや。――あの男の」


 〝さくら〟は、また、さらに沈鬱に語り出した。


 実は他のプレイヤーを見つけて、あるパークまで騙して連れて行かなければならないという密命を帯びていた。と言うのだ。


 しかしそれもうまくいかず、結局あちこちのパークを丸一日彷徨っていたのだという。


「誰かを連れて帰らん限り、パークには入れん、言われたんや。せやけど、なんや、わい、上手くいかんでな。要領が悪いっちゅうのか……」


 そう言って、また愚痴をこぼすように言葉を続けた。


 〝ゼロ〟はまた〝レイア〟が怒鳴り上げるのではと、彼女の方を見たが、当の〝レイア〟は先ほどとは違い、静かに、自分の膝を抱きしめながら目を細めた。


「――ねぇ。それ、言っちゃダメなやつなんじゃないの? ホントなら、アタシらのこと騙して連れてくのがおじさんの仕事なんでしょ?」


 すると〝さくら〟は大きく首を横に振った。


「ワイは、もうあのパークに戻りたない。片棒を担ぐのもかなわん。……もう、嫌なんや」


「決まりだね」


 言って、〝レイア〟は足を延ばした。そして我慢できないとでも言うように顎を突き出して言い放った。


「こんな奴とは組めない。コイツは簡単に裏切るクソだよ」


「わ、――ワイはそんなつもりは……」


 〝レイア〟の言葉に、〝さくら〟は狼狽を見せた。


「一度裏切った奴は、もう一度裏切るに決まってんじゃん」


「だからってお前――なんで面と向かってそんな」

 

 〝ゼロ〟が  そうとすると、〝レイア〟はは〝ゼロ〟の中身を覗き込めるほどの距離から〝ゼロ〟を睨み付けた。


「――アンタ、マジでわかってないんだね? もうちょっと自分を客観視してみたら? なんで自分が、この人に同情した風なこと言ってるか解ってる?」


「……どういう、意味だよ」


「アンタは安心したがってるだけだ! 自分よりも下の人間を見つけてさ、それを傍においとけば、気分が良いからじゃないの? ムカつくんだよ! 他人を助けるふりをして悦に入ってるヤツら! そう言うのをなんて言うか知ってる? ゲス野郎っていうんだよ!!」


「そんな……こと、は」


 唐突な〝レイア〟の指摘に、〝ゼロ〟は即答できなかった。即、違うと断じる事が出来なかった。


「あたしと組みたいなら――そんな糞みたいなやり方はやめてもらう。もしも、それでもこのグズを連れて行きたいって言うなら、使い捨てにするぐらいの覚悟を持ちな!」


「べ――別にそんな話はしてないだろ!?」

 

 この話し合いは、あくまで〝さくら〟から何か有益な情報を得られないかと画策してのことである。――が、


「んじゃあ、どんなつもりでいたのよ? 話だけ聞いて、それで放り出す気でいた? 違うよね?! 」 


 そう言って、〝レイア〟は〝ゼロ〟を突き飛ばした。だがさほどの力ではなかった。二三歩下がっただけだった。


 ただ、〝ゼロ〟はその〝レイア〟の気勢に呑まれてしまっていた。


 ――確かに、自分はどういうつもりで、この〝さくら〟の話を聞いていたのだろうか?


 なし崩しに連れて行こうとしていたのではないか?


 それはなぜか? ただの同情だったのか? ――確かにそれもある。ただ冷徹に他人を利用して切り捨てるあの〝アヤト〟のような振る舞いをしたくないという気持ちも、確かにある。


 それで、感謝されていい気になっていたというのも否定しない。だが、それだけではない。


 それだけではないのだ。

 

 〝ゼロ〟には、本当なら最後まで話を聞いた上で話そうと思っていた方針があった。


 〝ゼロ〟は当初から、この〝さくら〟がいたことで、その情報があったおかげて初めて取ることのできる、起死回生の策を思い描いていたのだ。


「……わいは、邪魔する気なんてないねん。もう、プレイヤーとしてゲームに参加する気も在らへん。ただ、わいらはプレイヤーに着いて行かんと、なんにもできんのや。かといって、もうあの男には付いて行かれへん。何とか、君らと一緒に行かせてはもらえんやろか?」


「ふざけんじゃ――」


「――俺も反対です」


 〝ゼロ〟はあえて語気を強めて言った。


 三度〝さくら〟を罵倒しようとしていた〝レイア〟も黙る。〝さくら〟は目に見えて落胆した。


 しかし、そこで〝ゼロ〟は「ただし」、と付け加えた。


「俺が反対してるのは〝さくら〟さんを連れていくことじゃなくて、行き先のハナシです」


「どういうことや?」


「もしも、本当に〝シード〟ってヤツが狗を使ってプレイヤーを誘い込み、その人たちからカードを奪っているなら、――ソイツは今現在、相当な量のチップとレア・カードを集めてる可能性が高いってことですよね」


 その〝ゼロ〟の発言に、〝さくら〟はもとより、〝レイア〟も目を剥いた。 


「な、何言うとんねん!」 


 〝さくら〟が声を上げるが、〝ゼロ〟は取り合わず、自分の考えをまずは伝えようと柄にもなく声を張る。


「ベータが言ってました。このゲームは、急いで先に進むよりも如何にレア・カードを集めて、如何に強いデッキを造るかが重要だって。俺たちには大量のレアが必要だ。それも、早急に!」


「……でもさぁ、それならこのまま街に居るアホ面連中から巻き上げた方がよくない?」


 〝レイア〟の懸念に〝ゼロ〟はかぶりを振る。


「この街にはもうプレイヤーは二人しかいない。〝小松菜〟と〝バズーカ〟だけだ」


「〝ツーペア〟って人は?」


「――あの人はやっぱり〝横〟に進んだって事で決まりだと思う。〝さくら〟さんの話と照らし合わせても、合点がいく。もしかしたら、あの人は俺たちが知らないようなことも知っていたんじゃないかな。だから、最初から何処か余裕があったし。今回の移動にも迷いがない」


 そして、それはつまり、俺たちも同じことが出来るという事だ。


 〝ゼロ〟の言葉を聞いた〝レイア〟は言葉を切り、瞳を揺らして虚空を見つめている。


「それに、ここで〝小松菜〟と〝バズーカ〟からレアを奪って〝アヤト〟と〝カムイ〟を追っても、巻き返しのチャンスはないと思う」


 「蜘蛛の糸」のショートカットを使えば一日分の短縮は出来るが、ショートカットできるのは一人だけだし、何よりもう一度あの「蜘蛛の糸」に挑戦できるかもわからない。


「……なるほどね、少なくとも、そこにはレア・カードが5枚はあるわけだもんね……」


 〝レイア〟は静かに言った。


「け、けぇども、わざわざそげな危険なとこに飛び込まんでも」


「――あたしたちには後が無い。ここで安全策なんて選んでも、じり貧だってことでしょ?」


「そうだ。――それが俺たちの現状だ」


 〝さくら〟の声には取り合わず、〝ゼロ〟と〝レイア〟は差し向かいで言葉を交わす。


 〝ゼロ〟も引く気はない。


 ここで間違えれば、もう、再起のチャンスはないかもしれないのだ。


「デカい『勝ち』が要るわけだ。――その、〝シード〟ってヤツに勝てば、チップとレア・カードが大量に手に入る」


 〝レイア〟は、一転、引きつるように笑った。期待と恐怖が入り混じるような顔で。


「いいじゃん」


 〝ゼロ〟も強く頷く。自分ではわからないが、きっと〝ゼロ〟も同じような顔をしていたはずだ。


「それには〝さくら〟さんが必要だ。その男を攻略するためには、情報がいる。だろ?」


「まぁね。そういう事なら――」


「あかん!」


 しかし、そこで脇から〝さくら〟が咆えた。


「あかん! そらあかん考えやで〝レイア〟はん! あいつは、あの男はそんな考えで挑んでいい男やあらヘンのや!」


「――そんな? そんなってなんンだよッ? おっさん! あぁっ?!」


 尋常でない〝さくら〟の言葉に〝ゼロ〟は面食らうが〝レイア〟は肩をいからせドスのきいた言葉で応戦した。


「何が解ンだよ、あんたみたいな、いい歳こいてメソメソしてるだけの負け犬がさぁ!」


 吐き捨てられ、怒鳴られ、〝さくら〟は言いさしていた言葉を噛み潰すように下を向いた。


 だが、今度はそのまま口を噤むことはしなかった。〝さくら〟は絞り出すようにか細い言葉を紡ぐ。


「そんでも……、そんでも、死ぬような目ェに合うよりはマシやろ? 負けて刑務所でおとなしく眠ってた方がええ。誰だって、」


 〝レイア〟はその言葉が言い終わるよりのも待たず、大喝する。


「――死ぬよりも許せないことがあるんだよ。命さえあればいい、なんて生き方、私は絶対に嫌だ!!」 


 そして〝さくら〟に侮蔑の念を向ける。見下げ果てた、とばかりに。


「なんにも無いの? 死んでも叶えたいって思うことないの? 何のために生きてんの? ただ生きてりゃいいの?」


「…………」


 何も言えないのだろう。〝さくら〟はまた押し黙った。


〝レイア〟は無言で近くの椅子を蹴り飛ばした。


「――アンタはどうなのよ」


 ひとしきり細い肩を戦慄かせた〝レイア〟は、顔を伏せたまま言葉を切って、〝ゼロ〟に問いかける。


「俺は……やるよ。〝さくら〟さん無しでも、やるさ」


 掠れて消え入りそうな〝ゼロ〟の声に、〝レイア〟は目を細め何も言わず、背を向ける。


「――どこ行くんだよ」


 〝ゼロ〟の言葉にも取り合うことなく、ズカズカと食堂を後にした〝レイア〟はそのまま何処かを目指して一直線に進んでいく。


 何をするつもりなのか〝ゼロ〟には皆目見当がつかない。


 くっそ、なんでこうなんだよッ。方針自体は上手いことまとまりかけてたってのに。

 

 〝ゼロ〟は、こちらも石みたいに固まっている〝さくら〟に声を掛ける。


 余計なことをしてくれたという感もあったが、なぜそこまでその男を恐れているのかが気になった。


「あー、すいません。なんつーか、極端なやつで……」


「ええんや。あの娘の言うことは何も間違っとらん。なんや、若い意見やとは思うけどな…………けぇど、けぇどこれだけは言っとかないけんことや思うてな……」


 まるい身体を震わせる〝さくら〟〝ゼロ〟も何事なのかと息を呑み、居住まいを正す。


「いったい、何がそこまで危険だっていうんですか?」


「……さっきも言うたやろ。アイツは、ゲームの相手を再起不能にして、ワイらを脅して狗にしおったんや」


「再起、不能?」


 〝ゼロ〟は思わず身を強張らせた。脳裏に浮かぶのはもちろん〝ソノダ〟の末路である。


「話してください。何があったんですか?」


「――――わいの、わいのせいなんや!」


 そこで、いきなり声の調子を上げ〝さくら〟は再び両手で顔を覆った。


「どういう……」


「実は、わい、最初に乗ったボートの上で、自分のレアを見つけてもうたんや」


「えぇ?」


 〝ゼロ〟も、これには思わず驚愕して声を上げる。


「しかも、それを大仰に喧伝してもうてな。みんなも自分のデッキのレアを見つけてもうたわ。そんで、あの男の、あの最悪のカードも、わいのせいで見つかってもうたんや!」


「最悪の、カード?」


 〝ゼロ〟はおうむ返しに返すが、〝さくら〟の血を吐くような呟きは席を切ったように止まらない。


「……その時は皆、気楽なもんでな。なんや、ゲームのこともまだようわかっとらんかったわけやからな、みんなでお互いのレアを見せあっとったわ。そんで、最初は呑気なもんや。とにかく最初に強いカードを見つけたもんで、わい、舞い上がってしもてな」


「でも、最初のゲームで?」


「そうや。まさかあんな使い方をするとは、夢にも思わんかった」


「あんな使い方?」


「あの男が最初に持ってたレア・カードや。名前は『シルバー・バレッド』ちゅううんやけどな。レベルは7や」


「意味は――『銀の弾丸』?」


 それを聞いて、〝ゼロ〟にはすぐピンと来た。


「多分――それってゲームを始めた後で、何処からか別のカードを持って来れるってカードだったんじゃないですか?」


 〝ゼロ〟が言うと〝さくら〟は目を剥いた。


「せや。そのとおりやで。何でわかったんやッ」


 銀の弾丸とは、欧米圏の伝承なんかで狼男や悪魔などを撃退できるとして登場するアイテムだ。

 

 これが転じて、「まともな手段では対応しきれない難題を打開するための劇的な手段」の比喩表現として使われるようになった。


 カードゲームなんかでも、特定の相手をたった一枚で完封してしまうような効果を持つカードを、デッキの中に一枚だけ潜ませておくような戦法を指す言葉として使われている。


「なんや、すごいやないかッ」


 と、〝ゼロ〟が解説すると、〝さくら〟は素直に賞賛してくれる。なんだか、賞賛されるのは久しぶりな気がする。


 昨日までは〝アヤト〟が同じようにいちいち〝ゼロ〟の薀蓄うんちくに感心して賞賛してくれたのに。……未だに想い返してもあれが悪辣な演技だったとは、〝ゼロ〟には信じられない。


 なんとも未練がましい話ではあるが。


 自嘲気味に肩を落とした〝ゼロ〟に首を捻りつつ、〝さくら〟は続ける。


「……とまぁ、ワイは最初、そのカードのことがよくわからんかった。ワイのカードの方がレベルも高くて強かったし、なんとでもなると思っとった」


 〝ゼロ〟は頷く。実際、序盤でそこまで強そうなカードだとは言えないかもしれない。


 最初はみんなレベル4で手堅く行こうとするだろうし。どっちかっていうと他のレアと合わせて使ったほうが強いカードだと言える。


「けんど、そんな――そんな、生半可なもんやなかった」

 

 途端に、〝さくら〟は今まさに苦痛に悶えるかのような声を上ずらせる。


「あの男は恐ろしい男やった。――まさか、あんな。思いついても、普通はやれへん」


 〝さくら〟は鉛を吐き出すようかのような重苦しい言葉を吐く。


「あの男は、……初日からレベル5を使ったんや」


「レベル……5?」


 それを聞いて〝ゼロ〟もそれだけで身をすくませた。


 レベル5――聞くだけで〝ゼロ〟の背筋を騒めくような悪寒が駆け巡る。


 ゲームにおける勝利と引き換えに、勝った側に身の毛もよだつような対価を要求する、このインソムニア・ゲームの狂気を象徴するようなカード。


 幸い、と言っていいのか、〝ゼロ〟はこれが実際に使われるのを目にしてはいない。


「――使った、んです、か」


「せや」


 〝ゼロ〟は自分でも驚くほど重苦しい己の声に、内心で驚いていた。


「でも、おかしくないですか? レベル5を使ったんなら、ソイツはただじゃすまないハズですけど」


「あいつは、わざと負けて、それを相手に押し付けたんや」

 

 一瞬、何のことかを逡巡した後、〝ゼロ〟は「あっ」と声を上げた。


「そうか、――逆なんだ」


 〝さくら〟も頷く。


 つまり、その男、〝シード〟は最初からのだ。


 カードはいくつかの種類があり、「使用者が勝った場合に効果を齎す」もの、「カードが勝った場合に効果を齎す」もの、そして使用者に関係なく「ゲームに勝った者に効果ももたらす」ものがある。

 

 〝ゼロ〟は改めて、その男の異常性に息を呑んだ。しかも、初日。最初のゲームであのレベル5を、そんなふうに使うなんて!!


「そうや。アイツは普通のゲームで、一回わざと負けるんや。それでカードオープンして、もうお互い降りれんようになってから、レア・カードの効果でレベル5を一枚だけ手札に加えんねん。すると、その相手は勝ったはずなのに、どうしようもない効果を押し付けられてまう」


「そのプレイヤーの人は……」


「死んでもうた……」


 〝さくら〟は言葉を切り、〝ゼロ〟も悲痛に言葉を呑み込んだ。


 初日の脱落者、〝ソノダ〟以外にもそんなむごい形で脱落したプレイヤーがいたとは。

 

 〝ゼロ〟はやりきれない思いを持て余した。〝さくら〟も同様なのだろう。しかし、ここでやめるわけにはもいない。


 しばらくしてから、二人は静かに話を再開した。


「でも、最初はともかく。次からは交渉で逃げられるんじゃ……」


「……せやな。けぇど、まだみんなゲームに慣れとらんかった。何せ初日や。それで、いきなり死人がでて、ワイらはみんなパニックになってもうた。あの男に、『カードを渡すなら悪いようにはしない』なんて言われて、もちろん嫌やった。けど、それ以上に怖かったんや。目の前で人が、あないな死に方をして……ワイらはもう、」


 〝さくら〟は身体を震わせる。


 〝ゼロ〟にはこれを嗤うことも、叱咤することも、また慰撫することさえできなかった。


 もっと事の詳細を知りたいという思いもあったが、無神経にそんなことを質問出来るハズもない。


 これほどの体験をした人間に、どんな言葉をかけることができるだろう? 自分も解るとでも言えばいいのか? そんな気にはなれなかった。


 なにより、〝ソノダ〟の件を自分から喋ることも憚られた。


「〝さくら〟さんの言いたいことはよくわかりました。……俺から何かを強制する気はありません」


 結局何も言えず、〝ゼロ〟はそんな言葉を口にするしかなかった。


「わいは、……もう嫌や。このまま最終日までこのパークで、ひとり静かにしてたいねん。臆病でも、卑怯でも何でもええ、刑務所送りでもかまへん。この島でゲームやらされるよりかは、よっぽどええ……」


「そうですか……」


「あんさんらにも、行ってほしないわ。あの男に近づくのだけは……」


 〝さくら〟のの言葉に、〝ゼロ〟も逡巡せざるを得ない。固めたはずの決意がゆらぎはじめている。

 

 〝レイア〟なら何と言うだろう。これほどの話を聞いても、アイツは先ほどにように断じれるのだろうか?



「……アイツ、どこまで行っちゃったのかな」


 結局二人で行くしかないのか、いや、本当に自分はそんな相手に勝てるのか? 


 そう思いながら〝レイア〟を探しに行こうと席を立った〝ゼロ〟はしかし、食堂の出口でばったりと当の〝レイア〟と鉢合わせた。


「おわッ!」


「――何? 行く気になったの」


「……あ、ああ。行くさ。ただ、俺はともかく〝さくら〟さんに無理強いは」


「んなこったろうと思った」


 〝レイア〟はそう言うと、すべてお見通しだと言わんばかりの足取りでズカズカと食堂に踏み入ってくる。

 

 後からは複数のオメガ達が、総出で何かを引きずりながら付いてくる。


「な、なんだよ、これ」


 引きずられた先には何やら汚らしいボロ切れにくるまれた、重たそうなものがあった。


「あたしは、別にその役に立たなそうなグズを連れて行きたいとはおもわない。けどさ、このままアナグマ決め込もうって根性がムカつくから、退は断っといてやろうかと思ってさ」


 〝レイア〟は快活にえたような言葉を吐く。


 〝ゼロ〟は、いや〝さくら〟もまたすさまじく嫌な感覚にとらわれ、知らず、冷や汗を滲ませた。


「な、――なに言ってんだよ……」


「ついでに、腰が引けてるアンタにも教えとく。アタシらには、んだってことをね!」


 暗闇から白々と刺すかのような〝レイア〟の視線に、〝さくら〟は何も言えずにだらだらと汗を流す。


 〝ゼロ〟も、その底知れないその物言いに、気後れしてしまう。


「だから、……なんだっていうんだよ」


「これよ、これ」


 そのボロ切れに包まれているものは、動いていた。


 緩慢に、悶えるようにだが、確かに動いている。――生き物だ。


「これって、確か……」


 〝ゼロ〟は昨日、この街の薄暗い路地裏に何か動く者を見つけて、大きな動物でもいるのかと訝ったのを思い出した。


 あの時はこの〝レイア〟に声を掛けられて、そのままうやむやになってしまっていたのだった。


「てかさ、そもそもあんた等、なんで「諦める」なんて選択肢があると思い込んでんの?」


「いいから、いい加減教えろよ。なんなんだよそれは!」


 〝ゼロ〟は後ずさりしながら〝レイア〟に吠える。


 〝レイア〟が顎をしゃくって見せると、オメガ達がその布を剥ぎ取りにかかった。


 ひきつるような悲鳴が上がった。

 

 〝ゼロ〟は「――うッ」と息をのみ、〝さくら〟は声もなく椅子から崩れ落ちた。


ってヤツ? かな。私も詳しいことは知らないけど。見れば一目瞭然てヤツでしょ」


 それはオメガ・シープだった。


 しかし異様だった。彫刻の様に、まるでデザインされたように整ったオメガ達の肢体とはまるで似ても似つかない、ぶくぶくと膨れ上がり、にもかかわらず皺だらけの老人のような姿をしていた。


 顔が見えなくなるまで伸び放題に伸びた汚らしい髪とヒゲは、ところどころ色や髪質が変質しており、まるで疫病にでもかかった死に掛けの野良犬を想わせる。


 その隙間から見える、焦点の合っていないような瞳。


 数メートルの距離隔てて強烈に漂ってくる据えた臭い。


 そしてなにより、その頭部、いや額の辺りからぶらぶらと垂れ下がっている、細い鋼線かなにかに繋がれた金属質の……今〝ゼロ〟達の額に埋まっているアンカーによく似た、何か。


 なんなんだコイツは!? 〝ゼロ〟は、また〝レイア〟に問いかけようとしたが、それよりも早く、が、〝ゼロ〟に話しかけてくる。


「あああああああぁぁぁ、頼む―――頼むたのむぅ、助けてくれぇ、俺は、俺は――――――――――誰だっけぇぇえ……俺は、誰だっけ!? ――とにかく、何か、何か、ああぁぁッ、家族に、――うぅぅんんんんんッ!!!」


 叫び、咆え、唸り、何かを思い出そうとして思い出せないかのように、ソレ、は身を捩る。


「これは――なんなんだ。これはなんなんだよ!?」


「分かるでしょ?」


 〝ゼロ〟の嗚咽にも似た問いをあざ笑うように〝レイア〟が応える。


「コイツ等オメガっていうのはさ、従業員じゃないんだよ。多分だけど、前のゲームで退ってことなんじゃない?」


 思いもよらない事実に、〝ゼロ〟は再び目の前が暗くなっていくのを感じていた。


「……分かったでしょ? 一度このゲームに参加したんならさぁ、んだよ」


 〝レイア〟が言い、〝さくら〟は再びひきつるような絶叫を上げ続けた。〝ゼロ〟はひたすらにそれを見つめていた。


 退路など、無かったのだ。始めから。


 


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