第22話「三日目」〝過去〟と〝再会〟
昔、小学生のころだ。クラスに俺と同じ苗字の女がいた。同じと言っても同じなのは読み方だけ、字は違う。
俺の名字は「城」と書いて「きづき」と読む。そいつのは「毀(こぼ)れる月」と書いて「きづき」と読む、ちょっと難しいヤツだった。
けど小学生にはどうでもよかったらしくて、何かとセットにしてからかわれることが多かった。
そいつはまるまると太っていた女子で、珍しかったからか、そいつはよくいじめられていた。
イジられていたというべきか。まぁ、人によって表現はいろいろだろう。
だが、事実としてそいつはよく泣いていた。つまりはそういうことだ。
で、俺がどうしていたかって?
そいつをかばってやったり、守ってやったりしてたのかって?
残念、逆だ。俺は誰よりも率先してちょっかいをかける役だった。
だって、仕方がない。
身なりも薄汚れてて、いわゆるデブで、それが何の因果か、苗字が同じ。
そうしなきゃ、俺もセットでハブられてたに決まっている。
おれには選択肢なんてなかった。
もちろん、自殺に追い込むほどの過激なことなんてしなかった。
昔はどうだったか知らないが、最近は皆、ガキの時分からお行儀がいいのだ。
だから、俺たちも認識上は友達みたいなものだと思ってた。
ちょっかいをかけてからかうのもコミュニケーションみたいなものだった。
それが悪いことだったんだなって思うようになったのは、つい最近だ。
相手がどう、何を感じてるか、なんて考えてなかった。
けど、今思えば、アイツは何をどう考えてたんだろうな。
そして中学校に上がる少し前に、アイツは学校に来なくなった。
俺は妙に責任を感じて、何とかしなきゃっていろいろ友達連中に声をかけて回った。
けど、物分かりのいいそいつ等は、自分らには何でも出来ないって繰り返すだけだった。
アイツはどう思っただろう? 一度くらい、会いに行くべきだったんじゃないのか?
友達だった俺たち――いや、友達だったはずの俺に、裏切られたと思っただろうか?
なぜだろう、今になって思い出す。
結局、俺はその一件でそいつ等とはつるまなくなって、一人でいることが多くなって、ただでさえ日陰にいたのが、いつの間にか、あの部屋で一人だった。
裏切られて、アイツも、こんな気持ちだったのかな?
ふと、気づく。
自分が泣いていることに。
というか、泣くなんてレベルじゃない。涙が、信じられないぐらいの涙が、ぼたぼたと、いや、どろどろとこぼれ出してくる。
ああ、これにも、
こぼれ出していくのを止められないんだ。
自分がいじめられる側に回るのがいやで、別にいじめが楽しかったわけでもない、
ただ、恐かったから。
もうだめだ……。
あから、
だかあ、イジメて、
あいつ、なんて名前だったっけ、
もう、
なんで思い出すんだろう。
だめだ、脳が、思考が、もう
とろけだす。
救い上げることもできない。
意識が、もう、物理的に、地面に、土砂に、ぬかるみに混じりこんで、
もう、戻せない。
もう、すくえない。
零れる。掬えない。すくえない。救えない。
もう、ボクヲ、ボクガ、すくえな――イ。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
あのひと、そのだ、も、ごめんなさい。
ヒドイことして、ゴメ、ン、ナさ――、イ。
不意に、浮き上がる。
――気が付くと、まず襲ってきたのは水中に押し込められたかのような、強烈な違和感。
寒――い? というよりも、なんだこれは? 動けない。何か、ある。身体の前に、水浸しの粘土みたいな、ぬかるむ泥みたいな壁があって。
それが俺に迫ってくる。押し付けられている。
「嫌あ! ―――あああああああああぁ、嫌あぁ、いやあ、いやあ! いやあ!!」
潰されるッ。息も出来ない。声も出ない。「だ」が発音できない。助けを呼べない!
嫌だ! 助けてくれ!
手足をバタつかせる。足掻くように、泳ぐ様に手足をバタつかせるが、全く動かない。
動けない。溺れちまう。沈んで、いく。
助けてほしい。じゃないと死んでしまう。――しかし、誰に? 誰が助けてくれる?
思い当たらない。
じゃあ、誰も助けてくれない。
そう言えば、誰も俺を助けてはくれないんだったな。ここは、そう言う所だったんだ。
そういう所、だったんだ。
もはや、もがく手すら止まり、意識さえ手放そうとして――しかし、そこで彼の身体は水面から引き上げられた。
〝ゼロ〟はそのぬかるんだ地面に頭からつっぷして、鼻と口がふさがれたため、陸の上で溺れることとなっていたのだ。
あのままでいたら本当に溺死していたことだろう。
今も何者かに襟首を掴まれているから呼吸ができるが、自力で身体を起こすことさえ不可能だった。
「気が付いた? てか、起きてる? もしもーし」
ペチペチとあらぬ所から頬を打たれ、そこで、ようやく彼は、自分の目の前に何者かが立っていたことを知ったのだ。
ただ、自分がそれを認識できなかっただけ。「なんで……」と、その一言を発するよりも先に襲ってきたのは、鼻の奥の強烈な異物感。
その先に新しい水たまりが出来るほどに。
「うわぁ……」
呆れるような声が聞こえる。が、当然、〝ゼロ〟は訳が分からない。
「ゲ、――ほ、ぶほぉッ! ――おれ、なんで? の、脳みそ、は」
どこへ行った? そうだ! 俺の、脳みそ。どこへ? 大事な、脳みそは――
「はぁ? なに言ってんのアンタ」
「――ッ」
ここでようやく、〝ゼロ〟はさっきまで自分が見て、体験していたものが幻覚の様なものだったのだと悟った。
――現実じゃ、なかったのか? 見回せば、景色にも見覚えがある。
ここは未だ、「蜘蛛の糸」のゲーム会場、その下界部分だったのだ。
ようやく時系列を認識し、〝ゼロ〟はホッと、なけなしの息を吐いた。
「よ、――よかっ、た……」
の、だろうか? 本当に?
「ふぅん。――ま、いざってときには使えなくもない、ってとこかな?」
そして降ってくる声が誰のものなのかに気づいた。
――が、気付いたはずの誰かの名前が出てこない。誰なのかは知っている、さんざん悪態をついてくれたアイツ。
そして、幼いころの回億に登場した同級生と、同じ名前のあの女。
――幼いころのあいつとはまるで似ていないけれど、その面影に重なる部分は――確かにある。
それは分かる。思い出せる。合致する。――なのに、その合致した答えだけが、まるで虚空に掻き消えるかのように、判然としない。
誰だ――いや、それよりも、コイツが、本当に、アイツなのだとしたら、
「――ゴメ……ン」
「はぁ? ――ま、いいや。降ろして」
すると自分を吊り上げていた重機のクレーンのようなものが不意に〝ゼロ〟を放した。
再び泥に突っ込みそうになり、寸でのところで両手をぬかるみ突っ張り、自分の身体を保持する。
――が、たったそれだけの作業が、今の自分には相当に応える重労働に想われた。
意識はとりあえずはっきりしてきているのだが、身体の方がそれに付いてこない。
まるで、手足がいつの間にか、あずかり知らぬ石木に置き換えられてしまったような具合だった。
生まれたての小鹿のように震えながら背後を振り返ると、そこには天に届くような真っ黒な影がそびえ立っていた。
がっしりとした肩幅はまさしく石の壁を想わせる。だが頭頂部のデカいアフロヘア―のようなポワポワで、コイツが黒のベータ・シープなのだと分かる。
「――でさぁ、分かってる? 今がイツで、あんたがドウなって、ココがドコなのかぁ」
手ごろなボックスに腰かけ、うつろな視線を廻らせている〝ゼロ〟の頭を爪先でコツコツとノックしながら、ソイツは問うてくる。
分かる。――いや、分かるようで、分からない。正確なことが、まるでわからない。
隙間だらけの壁越しに見上げた空は確かに、或いは異様なほどに蒼い。記憶では未だ朝焼けだったはずの空が。
どれほどの時間が経った? 負荷をかけられてからの記憶が無い。
どうして今、こうしてものを考えていられるのかもわからない。――いやここまでぶっ壊れていたのなら、どうして俺はこうして、ものを考えていられるんだ?!
「もしもーし。聞こえてんの?」
一つ考えられるのだとしたら、目の前のコイツが、何かをしたということ。
だが、どうして? どうやって?
「どう、して――俺を助けた、んだ?」
たまらずに問う〝ゼロ〟に、この女は嘲笑で応える。
「ァハ。じょーだん。実験だっつーの。実験」
「……?」
「さっきのゲームでさー、アタシ勝ったじゃん? レベル2であんたに。したらゲームの後にこれ渡されたのよ」
その手にあったのは、使用済みと見られるものと、ケースに入った残り二本、計三本注の射器があった。
「えーっと、なんか、眠気? つーか、……『脳への負荷を一時的に
「……」
「んで、ちょうどいいから」
「――おれ、で、試した、のか」
「そそ。でもって、――ずいぶんマシになったみたいじゃん。アンタ。さっきに比べてさ。けっこう使える、ってことでいいのかなぁコレ。気付いた事とかあるなら言ってもらいたいんだけど? どっかオカしいとか、ツラいとか、アガるとか?」
〝ゼロ〟は無言で、眼差しをほころばせながらその薬を手の中で弄ぶ〝レイア〟を見る。
「……なに? 特に無し? ちょっとは協力的になってもくれてもいいんですけど?」
何も言えない〝ゼロ〟に対して口を尖らせた〝レイア〟は、そのまま、「ま、いっか」――と、言って子供のように細い膝を伸ばした。
「じゃ、それだけだから。あとは邪魔しないから好きに。……その、なに? さっきの遊び続けていいよ? ルールわかんないけど」
吐き捨てる――と言うよりバラ撒くように言って、女はけらけらと
さすがに頭に来る――ような気がしたが、それも定かでない上に、ここで激昂してはならないという意識が、〝ゼロ〟の曖昧な意識を押しとどめた。
「なに? ――なんか文句でもあんの?」
無言で睨み付けている〝ゼロ〟に、〝レイア〟は目ざとく、言葉で詰め寄ってくる。
「い、や。ああ、あひが、ありがとう――助かった……」
「――はぁっ!? んだそれ。つまんねー」
言うとおりにしているのになぜか〝レイア〟は不満げだが、今回ばかりは〝ゼロ〟にも自己弁護のしようが無い。
本当に、危なかった。
この〝レイア〟の気まぐれが無ければ、本当に今ので〝ゼロ〟のゲームは終っていたことだろう。それも確実に。
あの不眠の負荷は、どれほど言葉を重ねても足りないほどに圧倒的な終わりを意味するものだった。
今思い出しても
それに、
「ムカ、つくこと、ばっか、言うけど、お前、は――俺から、――何も、取り上げなかった――、から」
餌付きながら、〝ゼロ〟は言葉にできる限りの誠意を込める。
「まー、忠告までしてやったしねぇ。――ま、る、で! 解ってなかったみたいだけど」
しかし応える声は冷淡であった。――ある意味で仕方のないことだ。しかし、
「……ごめん」
〝レイア〟はまた、ハッ! と鼻を鳴らす。そして吐き捨てるように言う。
「めそめそすんじゃねーよ! このクソ雑魚。つーか、あのガキの作戦に乗るのがヤだっただけだし!」
「ああ、〝アヤト〟――いや、『アイツ』は、おれ以外の全員に声を掛けてたわけだな」
「そーいうことね。ま、いきなりチップ6万とかゲットしたんなら、そりゃ狙われるっつーの」
「そこまで、考えてなかった」
「本物のバカ?」
〝ゼロ〟はうなだれる――が、その視線は悔恨とは別の場所に向けられている。
〝レイア〟が手にする、残り二本の注射器に。
それが、なぜなのかを把握しきれないまま、それでも〝ゼロ〟は言葉を絞り出した。
「……頼み、がある」
〝ゼロ〟は臍を噛む思いで言葉を紡ぐ。
言葉も、手足と同様に、他人のもののように実感のないものとなっているのだ。だが、下手なことを言ってはならない。
そうだ。なにせ、この切り札を切り損ねては、今度こそ死ぬことになるからだ。
〝ゼロ〟は努めて冷静に言葉を絞り出す。
「た、の……む。……15、いや、10ポイントで、いい。俺に、チップを、くれ」
既に背中を見せて立ち去ろうとしていた〝レイア〟は「ハァ?!」と大仰に悪態を向けてくる。
「……アンタさぁ。ねぇ? 頭湧いてんの? それとも今の薬でラリってる? あぁークソッ、だったらコレ、使えねぇじゃん! ンだよ、せっかくの特典なのにぃ!」
白い眉間に苦々しい苦悶を浮かべた〝レイア〟に、しかし〝ゼロ〟は言葉を続ける。
「ただで、とは、――言わない。――情報、を、や、やる、よ」
相手の言葉を待つ余裕が無いのだ。ハンドルのない自転車に乗るような不安定さを感じながら、言葉を送りだす。
「………………へぇ~? どんな?」
これ以上ないとでも言わんばかりの嘲り貌で、〝レイア〟は〝ゼロ〟を見下ろしてくる。
「先に、さ、ぎに、――チップを、くれ!」
「……ね、出来んの? そう言うの」
〝レイア〟は背後に居た、やたらと上背のある黒髪のベータに声を掛ける。
それまで鉄塔か石像のようにそびえていただけの男は、その体躯に似合いの重苦しく低い声色で応える。
「一応ハ可能なリ。たダ、恐喝や脅迫によるもの、ト我々が判断した場合ハ止めさせていただク」
「で、この場合は?」
「両者の間デ了解があるならバ問題ハない。〝レイア〟殿次第ダ。これハ判断のしどころだな」
鬱陶しそうに「あー、そーいうのいいからぁ」と、袖にしつつ〝レイア〟は自分の細い腕を抱いて、未だに地べたに突っ伏して震えている〝ゼロ〟を見下ろす。
まるで感情のこもらない視線が、〝ゼロ〟に注がれる。
「で、――その「情報」ってさー、マジなの?」
視線は〝ゼロ〟を見据えたまま、彼女はベータに問いかける。放言するような具合だった。語尾に力がこもっている。
「なゼ、そんなことヲ訪ねる?」
ただでさえ細い身体をさらに細く引き絞るようにして〝彼女〟は黒いのに向き直った。
挑むような視線が黒ベータを見上げているのが〝ゼロ〟には分かった。
それは確信を秘める視線だ。これを向けられたら、まともな人間は言葉尻を取り繕うのを止めるものだ。繕えば繕うほどに醜態をさらすことになるのだから。
「だって、あんたたち知ってんでしょ? こいつが持ってるっていう情報だか何だか」
確たる視線が、岩壁のようなベータを射抜くように見据える。
「……なゼ、そう思う?」
「だって、あとは
すると巨漢は降参だというように、力を抜いて両肩をすくませた。
あの赤ベータとは違ってウィットさなどは無く、さながら巨大な重機が休めでもしているような重量感があった。
兎角この男、全く得体の知れないヤツではあるが、少なくとも、言い訳が時間の無駄だということぐらいは弁えている手合いのようだった。
見た目は唯の木偶の棒のようだったが、実像は随分違うらしい。
「……
「だから、いーからそういうの。――で、どうなのよ」
長身の黒ポワベータは身体を折りたたみ、レイアの顔に視線を合わせる。
「簡単ニ言うと――メッチャある」
意外と切れ者なのかと思ったが、違うかもしれない。
〝ゼロ〟は
「軽ぃなオイ。……で――も、メッチャあるんだぁ?」
しかし、この場で〝ゼロ〟の失意や不安に思い至るものは皆無である。
〝彼女〟はこれまで仏頂面だった顔をニヤッと歪めた。
「オッケー。10ポイントあげる」
移譲された10ポイントを一気に使ったことで、何とか、首まで鉛に埋められたような感覚はなくなった。
「まったく……」
これだから、と言わんばかりの小さな溜息が〝ゼロ〟自身の背後から聞こえた。
〝ゼロ〟は振り向かなかったが、それが誰なのかはわかっていた。〝ゼロ〟の傍にはいつの間にか白ベータが立っていたのだ。
なんだ、居たのか、お前? いや、何処かに居たんだろうさ、動けなくなった俺の後始末があったんだろうからな! と、〝ゼロ〟は無言で吐き捨てる。
「〝ゼロ〟様、薬の効果があったとしても、正午までは動かない方が良いかと」
「……」
〝レイア〟もいつの間にか出現していた白ベータをねめつけつつ、何も言わない。
追及しても意味が無いし、別に面白い返答も返ってこないのは解りきっているのだろう。
「――ま、あんたそのなんとかって言うチート体質? だかなんだかあるんだし、今日の分40ポイント全部使えば、ゲームに復帰とかもできんじゃない? 知らないけど。――で、良いかげん、その重要な情報ってのを教えてよ。はよ」
「……それより、その注射、もう一本、俺にくれないか」
誰も予期していなかったであろう〝ゼロ〟の発言に、それまで弛緩しかけていた場の空気が、緊迫する。まるでそのまま凝結していくかのように。
「〝ゼロ〟様、まずは情報を」
白が言うが〝ゼロ〟は応えない。
「……」
「でなけれは、契約不履行と判断されますが」
「……」
〝ゼロ〟は無言のまま、白ベータに手を差し出した。
すると白ベータは何も言わず、あの時〝ゼロ〟が投げ放ってしまったままだったデッキケースを取り出した。
コイツが持っているのは解っていた。だから〝ゼロ〟は何も言わなかった。
〝ゼロ〟にはもうすべて解っている。
これは打ち捨てておいていいものではないはずなのだ。だから、このベータが後生大事に持っているのだという事は解っていた。
情報とは、つまりそれ。
それを、この相手に教えればいいだけなのだ。
――が、その時押し黙ったままの〝ゼロ〟へ向けて、突如として巨体が閃いた。
一気に跳躍した黒ベータの蹴りが、殴り書きの影絵のように〝ゼロ〟の顔面の、すぐ脇を通り過ぎていった。
〝ゼロ〟はまったく反応できていなかった。
もしも白ベータが彼の前に躍り出ていなかったなら、彼の顔面は洗面器よろしく陥没していたことだろう。
白ベータを身体ごと吹き飛ばした蹴りは、それでもなお〝ゼロ〟の耳朶を擦過しており、わずかに血がこぼれた。
一方、砲弾よろしく数メートルも吹き飛ばされた白ベータの方も、こちらはこちらで何事も無かったかのように着地し、そのまま滑るように歩いて〝ゼロ〟と黒ベータの前に、再び割り込んだ。
昨夜の赤ベータの怪力もそうだが、コイツ等の身体能力は人間のそれとは思えないものがある。
なるほど、これでは、どれだけプレイヤーが暴れてみても意味がない。
どうあがいても、コイツ等に従うしかないのだ。
「――無言で蹴るのはやめさない。せめて忠告してから動くべきです」
「言っテからでは蹴りが当タらナい。言うベきことハ、もう言ってアる」
そして、異常ともいうべき体術を披露しつつ、二匹の羊は対峙する。じりじりと視線がかみ合っているのが無貌の仮面越しにも分かる。
「……申し訳ありません。カバーが遅れました。この男だけはどうにも言動が読めないものでして……」
流石に痛いのか、デッキケース持ったままの自分の手首をさすりつつ言う白ベータに、〝ゼロ〟は冷然と言葉を返した。
「ああ、構わねぇよ。――なにせ、お前は別に俺の味方じゃないんだからなぁ」
低く掠れるような〝ゼロ〟の声に、ベータたちは動きを止めた。〝レイア〟も遅れて「止まれこのバカ!」と黒ベータに叫んでいた。
「……お前が本当に俺の味方なら、もっとやり方はあったはずだ。だが、そうしなかった」
そう言いながら、〝ゼロ〟は今度こそ白ベータから、空の筈のデッキケースをひったくり、その底の部分から、1枚のカードを引き抜く。
「なに? ――――それが、情報?」
〝レイア〟も慌てて自分のデッキを確かめにかかる。そして、
「これ? これが――これって、つまり」
〝レイア〟もそのカードを、見えるように掲げる。
〝ゼロ〟と〝レイア〟、両者の手に収まった二枚のカードが、それぞれに白日の光を受けて煌めく。
〝ゼロ〟のレア・カード。その名は、
・「再臨の白孔(ホワイト・ポータル)」レベル:10
このカードが対峙するカードに勝利した場合、所有者のプレイヤーはゲームにおいて一度使用され、或いは無効化された、或いは既に破棄されたカードの効果を再現し、使用してもよい。ただし現状、スタックに乗っている効果は再現できない。
裏面は通常のカードと同じだが、表の部分は真っ白な陶器のような色合いをしている。
対して〝レイア〟のレア・カード。
・「虚無の黒孔(ブラック・ポータル)」レベル:6
このカードが対峙するカードに勝利した場合、所有者のプレイヤーは任意のカードの特典、さらにそれに付随する効果を全て無効化する。ただし、それらはスタックに乗っている状態のものに限られる。
こちらも、〝ゼロ〟のものと同様、表側は真っ黒な墨色に染められてしまっている。
「これが、レア・カード……」
〝レイア〟が呟く。
「そウだ。そレこソが、すなわチ『レア・カード』成り。簡単には見つからヌと伝えてあった通リだ」
「……レア・カードの存在は、プレイヤー様が自ら見つけ出さねばならないものなのです」
白ベータの言葉に、黒いのも頷く。
「それでも、お前は迷ってた。違うか?」
〝ゼロ〟はカードを手にしたまま、低く唸るように、白ベータに問いかける。
「否定はしません。あなたを見殺しにし、別のプレイヤー様にこのデッキを預けるという展開も有り得ました。……いいえ、〝レイア〟様の気まぐれが無ければ確実にそうなっていたでしょう。言ったはずです。私たちにもそれぞれ事情があり、なおかつ、我々は群れたがるものだ、と」
〝ゼロ〟は満身の力と怨嗟を込めて、自分のシープを睨み付ける。
「落ち着けっての。ハナシ進まないし。――つーか、ンなことよりコレについて教えてよ。なに「レベル6」って、聞いてないんだけど? それに、これってさ、ソイツがあの状態から何とかなるような代物なわけ?」
〝レイア〟は自分のレア・カードを手に、訝るような声を上げた。
「ではマず、レア・カードニついての解説ヲしヨう。〝ゼロ〟殿、その白いノと話を付けるのハ、後にしていタだコう」
重苦しい黒ベータの言葉に、〝ゼロ〟はおとなしく引き下がった。今のやり取りだけで、もはや残りの体力が尽きかけている。
倦怠感は消えたわけではなく、手足も思考も依然として他人の物のようだ。自分の身体が自分のものだという実感が薄い。
このままでは、正午まで持たないかもしれない。このままでは戦えない。このままでは勝てない。それは――ダメだ。
自分でも不思議だったが、〝ゼロ〟の中には今、不可解なほど前向きな――と言っていいのか定かではない――闘志が渦巻いていた。
それが否応なく彼を突き動かそうとしている。
これは怒りか? それとも後遺症か何かなのか? わからない。しかし今はこれに縋って、前に進むしかない。
そのためにも、カードの有用性を彼女に証明しなければならない。注射が欲しいというだけのことではない。
もっと上等な戦略の為に、〝彼女〟を、〝レイア〟をパートナーとするためにも、ここで、自分の価値を証明しなければならないのだ。
勝つ為に!
「レア・カードハ通常のカードとは根本的ニ違う。最大の違イは、使用してもなくなりハしないというコと」
「へぇ……」
黒ベータの解説に、感心したように〝レイア〟が声を上げる。〝ゼロ〟は無言で耳を澄ます。
「そして基本的にフリーカード、つまり通常のカードに負けることは有りません。レア・カードのレベルは最低でも6。上限は10となっております」
黒の補足をするように白が付け加える。
「……それで、なんでアタシのとアンタので、そんなにレベルの差があんのよ」
〝レイア〟は面白くなさそうな声を上げるが、ベータたちは解説を続ける。
その数値の過多が必ずしも勝敗を分けるものではないのだと、諭すような韻を言葉尻に交えながら。
「ただし、このカードをゲームで使用して敗北すると、カードはそのゲームの勝者に譲渡されることになります」
「……んー? 使ってもなくなんない代わりに、負けたら相手が強くなるわけ……」
「いや、違う。そんなもんじゃない」
重苦しい〝ゼロ〟の言葉にベータたちは頷く。
「ええ。それどころではありません。このカードは「資格」をも意味します」
「資格?」
「我々ベータを引き連れる資格です。このカードの譲渡が起こると同時にデッキケース並びに我々シープも勝者のプレイヤー様に付くことになります」
「つまりハ、ゲームへノ参加資格そノものだと思えばイイ」
「ハァ!? ――えと、それじゃ、つまり……」
既に推察の付いていた〝ゼロ〟は、ただ白ベータを見据える。
「はい。このゲームに勝ち続けた者は何枚ものレア・カードとデッキを所有し、それと同じだけのベータを引き連れることが出来るようになるのです」
「このゲームハつまるところ、このレア・カードヲ集め、最強のデッキ。もとい最強の「群れ」を作った者ガ勝者となるゲーム、ということだ」
「何よソレ……、そんなこと最初は全然」
〝レイア〟が言いさした言葉を白ベータのそれが断じる。
「いいえ、それとなくは聞いていたはずです。我々は単独でいることを好みません。そしてあなた方は羊飼い。このゲームはもっとも多くの羊を連れた羊飼いを選び出すものなのです。我々としても、最終的には勝ち目のある羊飼いに付く必要が――」
その白シープの言葉尻を掠めるように、再び跳ね上がった黒シープの蹴りがそれを阻む。
「喋りすギだ」
「失礼……」
当たれば人間の首など飛んで行ってしまいそうなそれを、涼風のようにいなした白は居住まいを正す。
「お前ハいつもそウだ! 肝心ナ時ニ限って、余計ナことヲする。それハ俺たち全員ニとって」
「後で聞きます。今はやめなさい」
……なんだコイツ等? 妙に気安いというか……いや、お互いに良い感情は抱いてないっぽいが、それでもやたらに距離感が近い気がする?
考えてみれば、コイツ等はなんなのだろう?
あのオメガがエキストラのようなものだというのは分かるが、コイツ等は? おそらく〝企業〟の従業員という事になるのだろうが……。
それにしては、妙に……
「なんでもいいけど、あんたたちホントにそーいうのやめてよ。こっちの寿命が縮むっつの。……で? このレア・カードとデッキは解るけど、あんたたちをたくさん連れてたらなんだってのよ。あんたたち基本的にゲームの審判しかしないじゃない」
「……」
黒は無言で白を見る。白はやれやれと首を振って解説を続ける。
やはり――違和感がある、と〝ゼロ〟は思う。
「我々はゲームの裁量を司ります。終盤、微妙な状態に陥った場合、多くのシープを引き連れる者が優位に立つのは必然です」
「どうしてだ? 味方でもないのに」
〝ゼロ〟の呟くような声に、ベータたちは押し黙った。
「……ま、その辺の事はいいわ。とにかくこのレア・カードを上手く使って連戦連勝しなけりゃならないってわけね。アッタマ痛くなってきた……。あれ? でも相手がこのレアの存在に気づいてなかったら奪えなくない?」
「それは大丈夫だろ。薬やチップの譲渡が出来るなら、相手を破産させてからもらえばいいさ。いくらかのチップと交換で」
〝ゼロ〟は自分の語調がまともになりつつあることに気づいた。少なくともさっきよりは気分が楽だし、手足にも血が通いつつあるように感じる。
「あーなるほどぉ。経験者は語る、ね」
「……」
「アハハーハ。取引は成立ね。ンじゃ、私はこれで……」
「待ってくれ」
自分の足で立ち上がった〝ゼロ〟は震える両膝を押さえつける。かなりしんどい――が動けるという確信はあった。
「ほう、流石ノ回復力だ。常人でハこうはいかナい」
黒ベータが感嘆の言葉を漏らし、一瞬の間を置いて、白ベータが手助けに来る。
手足に血が通うと同時に、
本当ならこの白ベータの手助けなど押しのけてやりたかったが、〝ゼロ〟はひたすらに暴れ出そうとする感情を押し殺していた。
確かに回復しかけている実感はあるが、同時に、「次は無い」という確かな予感もある。
おそらくそれは事実なのだ。このまま薬の効果が切れたら、そこで終わりなのだ。
急がなければならない。今夜のゲームで大勝し、チップを手に入れなければ……。
だから、ここで幼子のように癇癪を起しても意味などないのだ。
「……ンだよ、何度も何度も」
呼び止められた〝レイア〟は、また針のような視線を向けてくる。
なんとなくだが、機嫌を損ねるとこうなるのだという事は解りかけてきている。
――「昔」は、こんなじゃなかったはずなんだか――
「俺は――今日の正午に給付される40ポイントは、自分に使用しない。俺は薬を打って負け分を取り返しに行く。だから、もう一本、薬を譲ってほしい」
前に踏み出そうとした黒ベータを手で制しつつ、〝レイア〟はとうとう本気で気遣うような、案じるような声を掛けてくる。
「……だっからさぁ。あんたマジでヤバいんじゃないの? 今度こそマジで。てか、んなことしたらフツーに死ぬと思うんだけど?」
「もう、死んだようなもんだろ。いまさらだ。……なにより、俺たちは今優位な状態にいるんだ。これを一度でも見れば、自分のデッキケースからこれを見つける奴らもいるだろ。今しかないんだ」
「たしかニ、そろそろ他ノ場所でも、レア・カードニ気づきはじめる頃合いだろう」
黒ベータが補足するが、〝レイア〟は表情を崩そうとはしない。じっと、〝ゼロ〟を射貫くかのような視線を向けてくる。
「…………」
「俺もお前も、持っているアドバンテージはほとんどない。このほんの少しの勝機を生かさないと、もう勝ち目がない」
「……何が言いたいのよ、アンタ」
「協力してほしい。俺と組んでくれ」
〝レイア〟は、その言葉を聞くなり、今度はバネ仕掛けみたいに嗤いだす。ありえないとでも言うように。
「だっからさぁ~、本気で言ってんの? あたしにメリット、なくない? 勝手に死ねよ。アタシはもうあんたなんかに用はないんだよ」
吐き捨てられる言葉を、〝ゼロ〟は真正面から受ける。
「あるさ。少なくとも、一人で戦うよりも効率的だ」
「んなもん、アタシのメリットになんなくない? 組むなら他の人とでいいし。あんたと組んでも足手まといにしか」
「いいからッ、真面目に考えろよ!」
「――あ?」
〝ゼロ〟の怒声に、再び空気が凍りついていく。
〝レイア〟は目を細め、ベータたちは三度臨戦態勢に入る。しかし〝ゼロ〟も引かない。引くわけにはいかないのだ。
「メリットならあるさッ。あの〝アヤト〟じゃないが、いまさら得体の知れない人間と組むよりも、俺と組んだ方がいいに決まってる。なにせ――お前は俺を知ってる」
すると、〝レイア〟は一転、さも汚らわしそうに顔を歪めた。
「……何言ってんの?」
「俺もお前を知ってる。――いや、思い出した。〝レイア〟――いや、
今度はベータたちの方が訝る様に視線を廻らせた。
「――――チッ。……あっそ。よーーやく気付いたわけだ? それとも知っててシカトこいてたのォ?
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