第16話「二日目」大浴場② ~〝アヤト〟との再会


 差し出されたのは大きな皿に乗った、真っ黒な――何と表現すればいいのか、湯気を立てる真っ黒な、そう、大きなオムレツのようなものだった。


 なんだろうこれは? 食ってくれと言うのだから、見てのとおりのオムレツ……いや、この大きさだとオムライスか? 


 ――しかしなぜこんなにも真っ黒なのだ? 丸焦げになっているという風でもないし……いや、それよりもなぜ今これを食べる必要があるのだろう?


「俺が作ったんだ! さぁ、食ってくれよッ!」


 とにかく事情や背景は解らずとも、彼の全身の機能がそれを拒絶しているのは確かである。


 こんな得体の知れないもの、食えと言われて素直に食えるか!


「いや、――いやでも、もう用意してもらったから、これ以上は――」


 と、先ほどオメガに持ってきてもらっていたプレートメニューを見るのだが、


「ダメだってそんなんじゃあッッ ――ッダメダメダメッ」


〝バズーカ〟は持ち前の大声と共に、力任せにそのプレートメニューの乗ったお盆を押し退けてしまった。


 ぞんざいに押し退けたせいでいくらか浴場の床にちらばってしまったのだが、当の〝バズーカ〟は勢いが付いているせいなのか、気にすることもなく眼を爛々と輝かせて〝ゼロ〟にそれを――その真っ黒な何かを押し付けてくる。


「美味いよぉーッッ。いやマジでッ、マジで評判良いんだからさぁッッ」


「ふぉーーーーうッ」


〝ゼロ〟としては見知らぬ他人の手料理を食べさせられるというのがまず気が進まないし、何よりも見た目がコレである。


 何度もやんわりと断ろうとするのだが、その度に〝バズーカ〟だけでなく〝小松菜〟までもが満面の笑みで、しかも真上から伸し掛からんばかりに迫って来るので、もはや仕方が無かった。



  



「――――あ、美味い」


「だるぉお―――――ッ!」


 形だけはオムライスに見えたのだが、実際にもオムライスだったらしい。外側も中も真っ黒なのはイカ墨というヤツだろうか?


 食べたのは初めてだったが、どんどん食が進む程度には美味であった。


 中身まで真っ黒なドギツイ見た目に反して素朴な味わいが舌に優しく、噛めば噛むほど味の出てくるような、新鮮なイカの切り身入りのチキンライスがまた絶品だった。


「イカ墨ってこんなに美味いんだ……」


 言いながら、〝ゼロ〟は自分が空腹だったのを再確認した。いざとなればどんどん色が進むほどに。


「美味いだるォォォッッ。イカだけじゃないんだぜッ。ドライトマトを使うってのも、俺のアイデアでさッ。――」


 そう吼えるように言って〝バズーカ〟は自分たちの身の上についてを話し始めた。


 なんでも今は飲食店の厨房で働きながら、いつか自分の店を持つのが夢なのだという。


 さらに、この〝ブラックイカ墨オムライス〟は彼が考案したものなのだという。


「オレさぁッ、これで一発当てようと思ってんだよねッ」


 確かに驚くほど美味かったのだが、この見た目で果たしてそこまで人気メニューになるのかどうかは、〝ゼロ〟には解らなかった。

 

「俺は、〝バズーカ〟で、コイツは〝小松菜〟ねッ。前からのあだ名なんだッ。――いやぁッ、じつはヘマをやったダチがいてさァッ、ソイツが〝企業〟にとっ掴まったって聞いたんだッ。そんで〝小松菜〟コイツと二人で〝企業〟の本社に乗り込んだんだけどよォッ。全ッ然、話が通じねぇもんだからさッ、あったま来ちまって、そんで、二人で大暴れしたんだよなッ。――したら、なんか眠らされて、気が付いたらここだぜ。まいっちまうよなッ」


 ――この二人組、所見ではチンピラのような連中だと思っていたが、想っていた以上にチンピラだったようだ。


 まさかこのご時世に〝企業〟の本社にカチコミをかけるバカがいるとは思わなかった。


 言っちゃなんだが、バカって怖いな。と、〝ゼロ〟は内心でドン引きしていたほどだ。


 しかし如何に〝企業〟とはいえ、そこまでおおっぴらに人を浚うような真似はしないのではないだろうか?


 建前上ではあっても、「一企業」とう体裁をとっているはずなのに。


 いろいろ思う所はあったが、指摘しても意味の無いことなので、〝ゼロ〟は静かに聞いておくことにした。



「ま、――その辺は置いといて、だ。昨日はホント凄かったぜッ、なぁ? マジでスゲェーーよッ。初日からしびれたぜッッ」


「ふぉう。ふぉーう!」


 そしてひたすら一方的に話し続けた〝バズーカ〟の饒舌は、昨夜の〝ゼロ〟の「快勝」についてを綴り始めた。


「いや、そのことは、その……」


 昨夜、つまりそれは〝ソノダ〟のことである。――話したくない。


 反射的に喉を震わせ、言葉と居住まいとを翻そうとした〝ゼロ〟だったが、当の〝バス―カ〟は、そんな〝ゼロ〟の対応などまるで目に映っていないようで、無遠慮に間合いを詰めてくる。


 というか、なんて距離感で喋るんだこの男は!


「さっきもそれを言いたかったんだッ。今度こそ、これ見てくれよ」


「これ――って」


 すると、カエルみたいにものも云えずに固まっている〝ゼロ〟の眼前に、先ほど全裸だったオメガシープが――今度は通常取りの際どい、シールというかヒモというか、とにかくそんな衣装をまとった姿(改めて見てると、これはこれで大概である)――で現れ、〝ゼロ〟の前で、をつくるように身体をくねらせ始める。


 な、なんだ? 何が始めるんだ? 今にも逃げ出さんとしていた〝ゼロ〟もこれには本能的に目を見張らざるを得ない。


 我ながら何をやってるんだと思うが、これがなんともしようがない。こんなことをされたら見てしまう。悲しいさがというヤツだ。


「これだよッ ここッ」


 それにしても〝バズーカ〟は相変わらず至近距離とは思えない音量で耳をつんざくような声を出す。


 どうやら、何かが間違っているわけではなく、彼にとってはこれが普通の、初対面の人間との距離感と発声量らしい。


 とにかく、何事かと思いつつも〝バズーカ〟の指し示す方を見ると……そのオメガ・シープの染み一つない体表に、何か、巻き付くヘビのような具合に奇妙な文字列のようなものが浮かび上がっているのを見つけた。


 なんだ? 刺青? それともボディペイントの類いか?


 ――いいや違う。〝ゼロ〟はすぐ察した。


「これって……」


「応よッ。現在のゲームの情報とか、そう言うのはさ、コイツ等の身体で読めるみてぇなんだッッ」


 何それ? と〝ゼロ〟は目をしばたたかせる。しかし言われてみれば、確かにそれはまるで記事のようにも思われた。


「プレイヤー様、ノンも、ノンもできますノン!」


「――いや、今は、いい」


「ノ~ンッ(泣)」


 と、隣のオメガも服を引き裂かんばかりに主張してくるが、別に何が違うわけでもないので放っておく。


 いまはとにかく、この内容を把握することが重要だった。


 〝ゼロ〟は食い入るようにそれを見る。天候や地形のガイド、危険なので立ち入ってはならない場所を示す注意喚起、はてはアルファ・シープのコラムや現在の時刻まで、様々の情報が、まるでオメガたちの皮膚を情報媒体の素地とするかのようにして表示されているのだ。


 アンカーの機能によってプレイヤーの肌に地図などを表示できるのと同じ原理なのだろうが、いきなり見せられると少々ギョッとせざるを得ない。


「そんでぇ、今のチップの順位がぁ、分かるんだぁ」


「チップの順位?」


 ついで、巨漢の〝小松菜〟が高い所から言う、のったりとした言葉の意味がよくわからない〝ゼロ〟はおうむ返しに言葉を返す。


「そうそうッ、昨日のゲームで取ったチップの数が多い順にッ、俺らの名前が出てるんだッ」


 まさか、――と合点しつつ見てみれば、確かに〝ゼロ〟の名前が浮き出ている。


 そうか、そりゃあ、初日から60000ポイント以上も勝ったプレイヤーは他にいないだろう。


〝ゼロ〟自身だって、やろうと思ってやったわけではない。


 どちらかと言えば、あれは〝ソノダ〟の自滅に近いのだ。


 改めて複雑な心境の〝ゼロ〟だったが、しかし、これに対して周囲のオメガ達と〝小松菜〟〝バズーカ〟は掛け値なしの喝采をひきつづき送ってくる。


 引き締まったオスのオメガの身体や、染みひとつない艶めかしいメスのオメガの皮膚に、光る様にして浮かび上がる文字列。


 ――正直、いくら芸術作品のように引き締まってはいても男の体表をまじまじと見つめるような趣味はないので、必然、〝ゼロ〟もまろつやめく女の体表を舐めるようにして読まなければならない。


 ちなみに、立候補の圧がすごかったので、今は媒体役をあの巨乳のオメガに担当してもらっている。


 しかし、これがなかなか難儀だった。


 文字が小さいので拡大しようとするとオメガは測ったかのように猫のような声を上げるし、フォントを大きくしたらしたで文字列がわき腹やひざ裏の辺りにまで逃げてしまう。


 仕方なく、くねくねとポーズをとるオメガを、目の前で反転させたり裏返したりしながら読まなければならない。


 本人はなぜか終始笑顔であり、むしろどこか誇らしげでさえある。


 はたから見るとアホみたいな格好なのだが……。


 しかし、〝ゼロ〟は改めて得心していた。なぜ新聞が紙で出来ているのか、そしてなぜスマホがヒト型でないのか。


 ずばり、人間の身体は情報を書き込む媒体として適切ではないということである。


 率直に言って読みにくい。


 いや、これもひとりなら違うのかもしれないが、人前で読む場合はどうかと思う。これが一人個室の中でなら、そりゃあ、ちょっとは楽しいかもしれないさ。


 ばらばらと歪み、あちこちに散らばった記事やら章やらを探して、瑞々みずみずしくサービス精神満点な女体を繰り返しひっくり返して隅から隅までしげしげと眺めるというのは、なかなかどうして驚天動地の新感覚を味わえるというものだ。


 もしも全ての文書がこんな女体に表示されるなら、「若者の活字離れ」なんて耳障りな言葉は一気にオワコン化することだろう。


 しかし、現状においてはなかなかにキツい。先にもいったが、衆目があるからだ。どう贔屓目に見ても変態予備軍でしかない。


 と言うか、なんでいちいち生き物で代用しようとするんだろうなこのゲーム、もとい〝企業〟はさ。


 別に街頭パネルみたいなものでいいじゃん。壁にでも掛けとけよ、そう言うの。


 そう言えば、なぜこの島では電子機器の類が使用されていないのだろうか?


 ……たしか、最新技術のお披露目も兼ねてるんだっけ? じゃあ、今のこの光景も誰かに見られていたりするのだろうか?


 だとしたら、余計に滑稽なことをしているように思えてきて、〝ゼロ〟は少々辟易する。


 いやしかし、ここで塞ぎこむことに意味はないだろう。


 幸いにも他のプレイヤー達――少なくともここにいる二人――には排斥される恐れはなくなったのだ。


 今は余計なこと考えずに楽しむべきなのではないだろうか。


〝ゼロ〟は突き出されたオメガの臀部をまじまじと見つめながら、思い直すことにした。







 大浴場を後にした彼らが向かったのは街の中央にある、これまた石造りの巨大な集会場……今は宴会場となっている広間であった。


 身体を洗い腹も膨れた〝ゼロ〟は、〝バズーカ〟や〝小松菜〟に連れられ、すでに用意してあったこの場所へ、誘われるままに足を運んでいた。


 そしてやたらめったら騒がしい連中に囲まれながら、しげしげと女体を――と言うかそこに現れる情報を、再びところであった。


 しかし、彼が期待したような情報はほとんどなかった。


 あったのは既に聞き知っているようなことばかり、唯一有益になりえる情報と言えば、先ほど確認したチップ獲得者の順位。そして、


「一日目の、『脱落者』……」


 〝ゼロ〟は思わず、噛みしめるようにその文面を音読していた。そこには〝ソノダ〟と、そしてそれに続く名前が3人分、羅列されていた。


「昨日だけで4人も……」


 何という事だろう。


 つまり、あの〝ソノダ〟の末路はこのゲームにおけるイレギュラーなどではなく、往々にしてあり得ること、そして今後も、起こり続けるのだということを意味している。


「ままッ、まーまーまーッ。そんなにさァッ、心配することねぇってッ。現在トップなんだろッ? それも6万だぜ? もう、勝ったようなもんじゃねぇかァッ。羨ましいぜまったくゥッッ」


「ふぉーう!」


 蒼ざめた顔をする〝ゼロ〟の心情を察したのか、〝バズーカ〟と〝小松菜〟は、ひたすら陽気な声を掛けてくる。


 彼らは当然のようにビール片手――というよりも両手にビールと言った有様ですでにトップギアなのだ。


 〝ゼロ〟は、無言ではにかむ程度の笑みを返した。


 彼らの言葉と笑顔が心強かった、――というよりも、そのあまりの軽挙妄動さに失笑を持て余しているというのが正直なところだった。


 ちなみにこの二人、未成年の〝ゼロ〟にもさも当然のように飲酒を進めてくるので断るのに苦労した。


 昨日の〝ソノダ〟のことも思い出してしまうのもあるが、そもそもゲームの前にガブガブ呑むようなものだとは思えない。


 それに何より、第一全然うまそうだと思えない。臭いからして体に悪そうだ。冷えたコーラのほうがいいに決まっている。


 まったく、こんなものを浴びるほど呑んでいる有様を見ていて、改めて思うのだが、この二人、あまりに考えが無さすぎる。


 このゲームに送られた経緯もそうだが、とにかく思慮が足らなすぎるように思われて仕方がないのだ。

 

 〝ゼロ〟の現状のことも、何も考えず結果だけで判断すればそう、思えなくもないのだろうが、〝ゼロ〟の頭は彼らほど軽やかには出来てなかった。


 バカは恐ろしいが、反面、物事の是非を精査しようとしない、その無神経さは羨ましいとも思えた。


「〝ゼロ〟さん」


「――あ、」


 そこに声が掛かった。耳に残る鈴なりのような。それはようやく再会することが出来た〝アヤト〟のものであった。






「良かった。――昨夜はみな動転してしまっていて、〝ゼロ〟さんの行方が分からなくて心配してましたの」


 昨日のブレザーとは違い、妙にエキゾチックな、ゆったりとした浴衣のような丈の長い貫頭衣を着ていた〝アヤト〟は〝ゼロ〟の隣に座り、まずは来るのが遅くなったことを詫びた。


「ご、ごめんね、いやホント。……あんな、いきなり走り出して、……自分でもどうかと思うよ……」


 〝ゼロ〟は顔を伏せながら頭を掻く。やはりまだ、彼女に顔向けできるほどには心が決まっていなかった。


「いいんです。あんなことがあったんですし……〝ゼロ〟さんはゲームの当事者。わたくしも、同じ立場だったらと思うと寒気がします」


「それは、――そうだよね」


「〝ゼロ〟さん?」


「あれは、――俺がやったのと同じことだしね」


「そんなことは在りません。だって、〝ゼロ〟さんも知らなかったことじゃありませんか」


「そりゃあ、そうだけど……」


 掛けられる言葉は掛け値なしに優しかった。


 〝アヤト〟は、そして〝バズーカ〟や〝小松菜〟も口々に擁護してはくれる。しかし〝ゼロ〟には、とてもそれを素直に受け入れることが出来なかった。


 やはり、昨夜の〝ソノダ〟の一件を他人事のように話題にすることは出来ないと思われた。少なくとも、今はまだ。


 気まずい。言葉が切れ、不意に〝ゼロ〟は席を立とうとした。


 よくない癖だ。こういう時、彼は何かが起こるよりも前に退散してしまうことが多い。


「〝ゼロ〟さん?」


「あ、いや。――そ、そろそろカード集めに行かないと……」


「あーッッ。いいっていいってッ」


 しかし、また一層威勢のいい大声で〝ゼロ〟を制した、〝バズーカ〟と、それにつられて〝小松菜〟がビール片手に立ち上がった。


「いや、でも」


 首を捻る〝ゼロ〟に、隣の〝アヤト〟が答える。


「それは任せておいてください」


「そそ。俺らで代わりに集めてくるからさッ、後から選んでくれよッ」


「ええ? いや、でもなんで」


「良いんです。……私たち、みんなで話し合ったんです」


 〝バズーカ〟と〝小松菜〟は笑顔で宴会場を出ていった。


 唖然とする〝ゼロ〟に〝アヤト〟が語ったところによると、つまり、〝ゼロ〟を見失ってから、残ったプレイヤーたちは皆で協力し、おそらくはこのままゲームの勝者になるであろう〝ゼロ〟のバックアップを努めようという事になったのだという。


「ええ?! ――で、でも、いいのかな? そんな、俺なんかの」


「なんか、ではありません!」


 非難を恐れて逃げようとさえしていた〝ゼロ〟の弱気を払うかのようなに、〝アヤト〟は断言する。


 姿勢を正し真っ直ぐに見つめてくる視線が、〝ゼロ〟の心胆を直に射るようだった。


「昨日のゲームはすさまじかったですわ。あれを見て、まだ〝ゼロ〟さんと対戦しようという人間はいませんでした」


「そ、……そっか。そうなんだ……」


 予想だにしなかった〝アヤト〟からの賛辞に、〝ゼロ〟はいきなりのことに腰が落ち着かないようなふわふわした気分を持て余して、胡坐を崩したり組んでみたりを繰り返した。


 なるほど考えてもみれば、あの〝バズーカ〟と〝小松菜〟がいやに〝ゼロ〟へ対して友好的だったことに合点が行っていた。


 というか、最初に説明してもらえれば、もうちょっとわかりやすかっただろうに。


「説明、しなかったんですか?」


「そ、そうなんだよ、いきなりごちそうされたりで、何が何だか」


 〝アヤト〟は困ったように笑い。〝ゼロ〟も少しだけ笑みを返した。


「困った人ですよね〝バズーカ〟さん。でも私はそこまで悪い方だとは思いません。〝小松菜〟さんも」


「そ、そうだね。ちょっと考えが足りない感じだけど、俺もそう思ったよ」


「では、――みんなで〝ゼロ〟さんと行動を共にするという提案を受けてくだざいますか?」


「あ、――ああ。それは構わない、よ。うん」


 しかし〝ゼロ〟はその真剣そのものの視線に耐えられず、視線を切った。


 切ってしまった。


 また、やってしまったと思いつつ、〝ゼロ〟はまた、固まる。無言だ。〝アヤト〟も、何も言おうとしない。


 いや―――マズいだろ。なに急に黙ってるんだ!?


 〝ゼロ〟は己を叱咤するが、さて、何を話せばいいのか、言葉が出てこない。


「〝ゼロ〟さん。やはり何か嫌なことが……」


「――いや、そうじゃなくて!! ――あー、なんだろ、その――――あ、あれぇ? でもそれって、その、このパークに居るプレイヤー全員?」


「ええ、そうです。わたくしとさっきのお二人。それに〝ツーペア〟さんですね」


「いやでも、もう一人いるじゃない? あの〝レイア〟っていうヤツなんだけど」


 場が持たないが故の苦し紛れの言葉だった。


 正直、あの〝レイア〟のことなどどうでもよかったのだが、しかし、〝ゼロ〟がそう言うと、〝アヤト〟はわずかに顔を、表情を曇らせた。


 〝ゼロ〟が仰天したのは言うまでもない。


「――実は、さっきの話し合いなんですけど、あの方だけは同意せず、〝ゼロ〟さんを目の敵にしていたようで……」


「あ、そうなんだよッ。さっきも、ここに来るなり、門の辺りでなんかいろいろ言われてさァ」


「そうですか――――なにか、話しました? その〝レイア〟さんと」


「いや、よくわかんないんだけど、忠告がどうとか……。いや、なんでもない! なんでもないよ。ごめんね。どうでもいいこと言っちゃって……」


「いえ、どうでもよくなんて、ありません!」


「え?」


 終始やわらかい語調を保つ〝アヤト〟の声が、週に刺々しく強張ったので、〝ゼロ〟も一瞬ギョッとしてしまった。


「――すみません。けど、――私も最初に、邪険にされましたし」


「だ、だったよね」


 そう言えばそう言う話を聞いた。昨日のことだが大昔のことのようだ。しかし、〝ゼロ〟自身が何か彼女を不快にさせたという訳ではないらしい。


 ほっとひとつ、息を吐こうとしたところで、


「それに――」


 と、〝アヤト〟は、子供がすねるような声を出した。


「あまり、ほかの方と仲良くしてるの――いや、ですし」


「え?」


 言って〝アヤト〟は、阿呆丸出しで呆けている〝ゼロ〟から、しゃなりと顔を背けた。


 僅かに頬が染まっている、ような、気が、する。


「え? ――――そ、それって……」


 思ったより根に持つタイプあのかな? などと思っていた先入観が一気に反転した。


 それは、つまり〝ゼロ〟へのヤキモチ……という奴なのではないだろうか? 


 う、嬉しい! 〝ゼロ〟は思わず天を仰ぐ。初めての体験すぎて何も言えないのだ。


 ただ、幸福感だけが理解を差し置いて、熱い皮膜のように〝ゼロ〟の五体を包み込む。


 そして、同時に、瞬間的に至極自然に、彼はある決意を固めていた。彼を悩ませていた問題を解決するための一手。もはやそれを惜しむことは出来ない。


「あ、あのさ」


 熱に浮かされるまま、〝ゼロ〟は〝アヤト〟へ真摯な視線と言葉を向けていた。


「〝ゼロ〟――さん?」


「き、聞いてほしい! ――俺も、俺も思ってたんだ。君と、二人でゲームをクリアできないかって」


「私と――私とだけ、ですか」


 〝ゼロ〟は思わず、生唾を呑み込んだ。


「――そ、そう、です。――はい」


 内心では未だに葛藤があった。本当に今、こんなことを口にして良いものか。しかし、もはや止まることはできない。


 〝ゼロ〟は言葉ではなく、視線で〝アヤト〟に訴えかける。すると、〝アヤト〟はその大きな眼を細めた。


「いきなりゲームクリアなんて、気が早いんですね。まだ二日目なのに」


 そう言って、〝アヤト〟はまた、あの輝くような笑顔を見せた。甘い熱波を放つかのような。そんな、人を幸せにしてしまうかのような笑顔を。


「あ、いや、――えっと」


「ありがとうございます。現金な様で恐縮ですが、私も――」


 そう言って〝アヤト〟は控えめに、所在無さ気に投げ出されていた〝ゼロ〟の手に自分の手を重ねてきた。


「――あなたと、二人でゲームをクリアしたいです。行きましょう。一緒に」


 一方〝ゼロ〟は、情けないことに返答どころではなかった。


 ただ、視線が真正面から重なった。


 普段はほとんど人と目を合わすことなどない〝ゼロ〟だが、今回ばかりはその視線がぴたりとはまって、ずれることもない。


 見つめ合う。思えば、これまでの人生において、これもまた有り得なかった場面である。


 〝ゼロ〟は無言のまま、今またうつろだった自分の内容が、仄温かいもので満たされていくかのような、言語化しがたいほどに幸福に満たされていくのを感じていた。


 見つめ合う。


 〝アヤト〟もまた無言だ。距離が縮まったような気がした。


 いや、確かに縮まっている。どちらから何かも定かではないが、確かに二人は距離を詰めている。


 このままではぶつかってしまうのではないか? いや、密着してしまう。むしろ彼女と重なってしまうのではないか。


 色素の薄い、映画でしかお目に掛れないような瞳を覗き込む。お互いに、お互いの内側を目視しようとでもするかのように。


 このまま、お互いが一つの存在となってしまうのではと言う危惧さえ孕んで。


 しかし止まり方が解らなかった。引くことも、ずれることも、ぶれることも逸れることも。もはや不可能だった。


 髪の香りが鼻腔をくすぐり、彼女の甘い体温を、全身の産毛が予期し始めた頃、


「――やぁ。来たって聞いてたけど、何事もなかったようだね」


 しかし、そこで緊迫した空気にそぐわぬ、気の抜けたような声が掛けられた。


 〝ツーペア〟である。この状況を訝る様子もなくマイペースに笑顔を振りまいてくる。


「へぁ!? ――あ、――はい、どうも」


 一旦はギョッとして身を離した〝ゼロ〟も、苦笑いでそれを迎える。はにかんだ理由の大半は照れ隠しだったが。


 〝ゼロ〟と同様に頬を染めた〝アヤト〟も同じように笑って〝ゼロ〟を見つめてくる。


「でも、とりあえずは皆で行きましょう。もう誰も、昨日のような目には合ってほしくないですから」


「――うん。そうだね」


 そう言って、〝ゼロ〟はもう一度〝アヤト〟の小さな手をしっかりと握った。




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