第15話「二日目」大浴場①
連れてこられた大浴場とやらは、まるで学校のプールかと見まがうばかりの規模のものだった。
しかし、その巨大な浴槽には今、ゼロ〟が一人、ぽつんと湯を波立たせているだけであった。
と言うのも〝ゼロ〟自身が人払いをしてほしいと言ったからである。
今は彼をここへ
「何かご要望は有りませんかノン」
本来、このパークには大浴場を埋め尽くすほどのオメガが居るのだという。
最初にこの浴場で〝ゼロ〟を出迎えたときも、とにかく数が多かった。
そしてなぜかただ居たのではなく、どいつもこいつもが音楽を奏で、ミュージカルみたいに歌い踊っていたのである。
とにかく、まるでどこぞの偉人が凱旋を果たしたかのような騒ぎっぷりであった。
しかし、それほどの喝采を浴びても、〝ゼロ〟にとっては煩わしいだけであった。さらに今、こうして温かな湯につかってみても、やはり〝ゼロ〟の肺腑からこぼれるのは冷えた息ばかりである。
と言うのも、昨夜のあの強烈すぎる体験を共有したプレイヤー達と再び顔を合わせるのが、改めて気が進まなかったのだ。
聞けば、〝アヤト〟をはじめ昨夜〝ゼロ〟と同じ会場でゲームに参加したプレイヤーたちも、皆まとめてこのパークに移動しているのだと言う。
やはり、〝レイア〟や〝ツーペア〟だけではなかったか、と思うとともに、考えてみれば当然なのかもしれない、と〝ゼロ〟は思い直していた。
あんなことがあったのだ。皆が皆、出来るだけ近いパークで休息を取りたいと思うのは無理からぬことであろう。
その心境は、〝ゼロ〟にも痛いほどよくわかる。
そして、〝ソノダ〟をあのような末路に叩き込んだのは、如何に不可抗力的な部分が大きかったとはいえ、如何に〝ソノダ〟自身が招いたと言える部分が大きかったのだとはいえ、それでもそれをやった当事者が〝ゼロ〟であるというのは周知の事実なのである。
「ノ~ン。プレイヤー様、元気がないですノン~」
それも当たり前だ。間接的にとはいえ、殺人者と変わらないのだ。今の〝ゼロ〟は。
そうののしられても否定のしようが無いのだから、もうこれは仕方がない。
故に〝ゼロ〟は人払いをしたのだ。ここで騒ぎまくっていてはいずれ誰かに――いや、〝アヤト〟にも〝ゼロ〟がいることがバレてしまう。
それは耐えられないことのように思えた。
彼女にまで殺人者のレッテルを張られ拒絶されるくらいなら、――いっそ、二度と会わない方がマシなのでは、とさえ思えてしまうほどに〝ゼロ〟のナイーブな心情は鬱々と淀んでいく。
「……なぁ、ここから別のパークへも行けるのかな。二日目のパークって他にもあるんだろ?」
罪悪感で鉛のように重くなった頭を持て余した〝ゼロ〟は、オメガに訊いた。出来るならば、本気で別の場所からゲームを再開したいと思っていた。
「ノン? 今からですか? もちろん行けますが、遠回りになりますノン。このパークはお気に召しませんか?」
「そうじゃないんだけど……。いや。いいや、忘れてくれ」
「承知しましたノン……」
言葉を重ねることさえ苦痛だった〝ゼロ〟は強引に会話を切り上げた。依然として神経がぎりぎりのところにあることは明らかだった。
入浴ついでに用意してもらった豪勢な食事にも、ほとんど手を付けることが出来なかった。
食欲などまるで湧いてこないのだ。
いよいよ移動の為に自分のベータを呼ぼうかどうしようかとくよくよと考えていた〝ゼロ〟だが、しかし、よくよく考えたらアイツも今は着替えたり休んだりしているのだろうか?
想い返してもみれば、あの濡れそぼつ森の中をわざわざ〝ゼロ〟を迎えに来ていたのだから、〝ゼロ〟ほどではないにしろずぶ濡れだったはずだ。アイツだって着替えるのが普通だろう。
あれも一応は女である。自分などよりは何かと手間がかかるのかもしれない。今呼びつけたりしたら都合が悪かったりもするのだろうか?
その時であった。
そんな胡乱な思考を断ずるような活きのいい喧騒が聞こえてきたのは。
誰も入らないように言いつけてあったはずの大浴場に、新たな人影が現れたのだ。
入って来るなと言えばオメガ達は入ってこないだろう。その言いつけを破ってくるとすれば、それは〝ゼロ〟と同じプレイヤーである。
まさか〝アヤト〟か? と〝ゼロ〟は一瞬色めき立ってしまったが、すぐにそれを打ち消した。
仮に〝アヤト〟だったとして、いったい、どんな顔をして合えばいいというのだろうか?
そんな思いから、〝ゼロ〟は顔と身体とを丸ごとひきつらせるようにして来訪者を見た。
しかし、じっさいに大浴場に踏み込んできたのは、なんともむさくるしい半裸の男達だった。
確か、昨夜のゲーム会場で一緒だったプレイヤーだ。名前はそれぞれ〝小松菜〟と〝バズーカ〟、だっただろうか。
「ぉおーーッ! 居た居たぁ! 探してたんだぜぇッ、アンタッ!」
「ふぉーぅ!」
男達は湯船に飛び込み、ズカズカと飛沫を上げて〝ゼロ〟に向かってくる。
それに続き多数のオメガ・シープたちがその柔肌に湯気を纏いながら付き従う。
「――えぇ? あ、その……」
一団の先頭をズカズカと進んでくるのは〝バズーカ〟と言う小柄な男であった。
「ええ、と、俺は」
しかし、わかるのは名前だけ。とにかく話すのも初めての相手である。
何はともあれ、挨拶ぐらいはと思った〝ゼロ〟だったが、――そのか細い声は無残にも掻き消された。なにに?
「いいっていいってェッ! まだるっこっしいのはさぁ! 抜きにしようぜッッ!」
この〝バズーカ〟の快活な大声にである。妙に筋肉質で、色黒な小男なのだが、この男、とにかく声がデカい。
「なぁッ、それよりコレッ、コレェ見てくれよッ!」
本当なら今は誰にも会いたくないというのが正直なところだったのだが、そのあまりの圧力――もとい「突進力」に押されて、〝ゼロ〟は曖昧な言葉を漏らすことしかできなかった。
「これって、なにを……」
言いさして、〝ゼロ〟は言葉を失った。
見れば、〝バズーカ〟はひっつかむようにして連れてきた女のオメガを、〝ゼロ〟の目の前に突き出してくるのだ。
しかしそのオメガは通常通り目元を隠した以外には一糸まとわぬ姿だったのである。
〝ゼロ〟は息さえ止めて目を背ける。だって、こんな間近で見たことなんてないのに!!
「いや、ちょっと!! ――なんか、なんか着せて!」
「あぁん? なぁに言ってんだよ水くせぇッ。あッ――なんだよコレ! アンタこそ脱いじまいなって、こんなの!」
〝バズーカ〟はあろうことか、開いた方の手で〝ゼロ〟の腰巻を剥ぎ取ろうとてをのばしてくるではないか!
ちなみに、なぜ彼がこんなモノをつけているのかと言えば、隣のオメガが一緒に入浴すると言って(お世話をすると言って)聞かなかったからである。
そんな事でまた押し問答などしたくなかった〝ゼロ〟は両者とも最低限身体を隠せるだけの衣服をつけたまま入浴する、という事で妥協したのだ。
よって〝ゼロ〟はゆるい海パンのような腰巻きを履きを、オメガには薄手の貫頭衣のようなものを着せることにした。
普段から服とも呼べないような衣装しか身に着けていないオメガは、ここにきてむしろ厚着になってしまっていた。
本人は不本意なようだったが、こうでもしないと〝ゼロ〟の方が落ち着かないのだから仕方が無かった。
マナーとしてはアレなのかもしれないが、そもそも風呂場が全部混浴設定なのがおかしいのだと思う。
そして、そうまでして用意した腰巻きを取り上げられそうになった〝ゼロ〟はパニックである。
言いたいことも言えず、必死で自分の羞恥の最後の砦である腰巻きを押さえつけることしかできない。
「ちょ――ちょちょちょぉぉぉ!?」
さらに言うなら、真っ黒に引き締まった〝バズーカ〟も、その後ろの熊のような〝小松菜〟も全裸である。
自慢ではないが、〝ゼロ〟はこれまで銭湯に言った経験さえも数えるほどである。
それがこんな間近で裸の男に接近されるのも当然初めてであり、ましてや初対面の人間に着ているものを剥ぎ取られそうになるのも、空前絶後の経験である。
もうちょっとで女のような悲鳴を上げるところだった。
「いけませんノン! 〝ゼロ〟様が怖がっていますノン」
「おぉっとッ、わりぃわりぃッ、無理強いしちゃダメだよなッ」
「ふぉ――ぅ」
〝ゼロ〟の連れていたオメガが〝ゼロ〟を守るように立ち塞がると〝バズーカ〟が頭を掻き、〝小松菜〟がまた山のような身体を揺らして笑っている。
「〝ゼロ〟様はノンがお守りしますノン!」
言って、何故か一糸まとわぬ姿となった連れのオメガは〝ゼロ〟にドヤ顔で振り向く。
――そうか、ありがとな。よくやったぞ。けど、なにどさくさに紛れてお前まで全裸になってんだよ!
「んでも、とにかくさッ、見てもらいたいもんがあんだってッ」
今度は何を見せようというのか。しかし押し出されてくる全裸のオメガを相手に〝ゼロ〟は見るも何もない。
いや、言ってみればもともと半裸なのだが、いざ丸出しになられると、〝ゼロ〟はやはり気が気ではないのだ。
「そ、――その、とにかく、マジでなんか着せてください!」
〝ゼロ〟は連れのオメガにも再び貫頭衣を被せながら、必死で主張する。
「あーッッ、んー、じゃあッ……。ま、いっか。お前らは行っちゃっていいや。なんか着て来いってさ。――でさ、んならさ、それよりッ」
いったんは怪訝そうな顔をした〝バズーカ〟だったが、しかしすぐに考えるのをやめたようで、連れて来ていたオメガを突き離し、次いで後ろの〝小松菜〟が持っていたモノをひったくった。
「これ! ――これェ、食ってくれよ!!」
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