第14話「二日目」〝レイア〟との不可解な問答

 『な、なんなんだよもう!』と、〝ゼロ〟は滂沱ぼうだのような息を吐きながら思う。コイツは……〝レイア〟だ。


 昨夜のゲームで〝ソノダ〟に負けていた……、目つきの悪い、〝ゼロ〟とは同年代の女だ。


「な、何の、用?」


 〝レイア〟は〝ゼロ〟の問いには答えず、「ちょっと来てくれる?」とだけ、ぶっきらぼうに言って、唖然とする〝ゼロ〟を元の大通りにまで連れ出した。


 互いに無言であった。〝レイア〟は足早に〝ゼロ〟の前を進んでいく。〝ゼロ〟は少々つんのめりながらそれについていく。


〝ゼロ〟には訳が分からない。そもそもこの女、人を呼びつけておきながら、心こちらの顔をうかがおうとすらしないのだ。


「別に――、そもそも、そんな義理もないんだけどさ」


 そして大通りの真ん中で足を止めた〝レイア〟から唐突に、しかも背中越しに投げかけられたのはそんなセリフだった。


「……や、だから、なに?」


 〝ゼロ〟は首を捻るばかりである。まずはなぜ彼を連れ出したのかを説明してもらいたいところなのだが。


「なんつーか、……あることで「提案」を、されたんだけどさ。あの〝ツーペア〟っていうおじさんに。アタシは断ったけど、……なんていうか、フェアじゃないと思って……、いや、そんなんじゃない、のかな」


 というか、この女とはサシで話し合うのも、あのレベル5の小屋以来である。


 そもそもあのときは挨拶さえしていないのだから、むしろ初対面と言ってもいい状況である。


 まずは自己紹介ぐらいすべきなのではないだろうか? なのに、なんなのだろう、いきなり? 


「……ああ、そう言えば、〝ツーペア〟あのひとも来てるんだ」


「そこはどうでもいいのよ」


 なんだよどうでもいいって、軽い会話のキャッチボールだろうが。


「――で、なに?」


 一度はムッと口を噤んだ〝ゼロ〟だったが、それでも、出来る限り愛想よく問うた。――つもりである。


 それは、とにもかくにも、昨夜の〝ソノダ〟の件を知りながら、それでも自分から〝ゼロ〟に接触してきてくれた相手だという事実が〝ゼロ〟の傷心を幾ばくかは慰撫してくれるものだったからに他ならない。


「だから、忠告に来たっつってんのッ」


 しかし、その前向きな気持ちも、この女の切って捨てるような語調に霧散してしまいそうだ。


 そもそも〝ゼロ〟には未だ彼女が何をしようとしているのかがまるで理解できないのだ。


 何が「だから」なのだろうか? そもそも前置きもなく、また〝ゼロ〟の返答も待たずに話し始めるのに至っては、もはや閉口するしかない。


「いやあの、……わりぃんだけど、後にしてくれない? 今そういう気分じゃなくて……」


 すると、この女〝レイア〟は〝ゼロ〟へ向かって振り返り、そして真正面から彼を見据え、不機嫌そうに眉を顰めた。


「――だいたい、あんた、なんでこんなとこに居んのよ?」


「あんた、って……」


 なんだよコイツ、いきなりなれなれしい。さすがの〝ゼロ〟もそろそろ愛想笑いが億劫になってきた。


 そもそも彼は愛想笑いなどロクにしたことが無いのだ。


 ほぼ初対面なんだからさ、もっと適切な距離感ってあるじゃん。苦手なんだよなぁ、こういう距離感のおかしい女って。〝ゼロ〟は無言で頭を掻いた。


 問われたからと言って野放図にあれもこれもと喋るはずもない。


 そんな義理もないのだから当然だ。しかもこんな礼儀も知らないヤツとあってはなおさらである。


「……あの〝アヤト〟ってガキが目当て?」


「んなッ、――――な、なんなんだよ、関係ないだろッ?」


 しかし、そこで不意を突いて出た思わぬ指摘に、〝ゼロ〟は思わず声を荒げてしまった。

 

 対してこの〝レイア〟は、深く、心底から吐き洩らすような深いため息を吐いた。


「……バカすぎる………」 


「はぁぁ!?」


 なんだァこの女! ――チッ! やっぱこの女、見た目のとおりに育ちが良くねぇんだな!  


 こんなヤツに何時までも足止めされてたまるか。こっちは見てのとおり泥だらけなんだよ!


 〝ゼロ〟は何も言わず、憤然と踵を返そうとした。しかしその背中に、冷や水でも浴びせ掛けるような声が掛かる。


「ちょっとは考えてみたらいいんじゃないの? があんたみたいなのに、何の理由もなく懐くわけないじゃん。裏があるって、考えなくても解りそうなもんだけど?」


「なッ――あ、あんなのってなんだよ!」


 これには流石の〝ゼロ〟も沈黙を破らざるを得ない。


 〝アヤト〟の名を出されたこともそうだが、人をいきなり『バカすぎる』とはあまりにも常識外れではないか。


 言っていいことと悪いことってあんだろ。てか、俺とあの娘のことを、外野がとやかく言うんじゃねぇよ!!


「はぁ? ――? ……あんた、アタシの話聞く気ある?」


 だから、元から無ぇんだよ、んなもん!! 内心で吐き捨て、〝ゼロ〟は大きく息を吸う。


「訳がわかんねぇよ! だいたい、何もわかってないくせに、知ったようなこと言うなよ。俺はともかく、あの娘のことを悪く言うなッ」


「どんだけ、バカ?」


 顔を引き攣らせながら〝レイア〟は言う。嘲る意味ではなく、純粋に――〝ゼロ〟のことをありえないほどの阿呆だと、本気で思っていると言わんばかりに。


「――ッ! なら、もっとわかりやすく言えよ!」


 〝ゼロ〟はいよいよ怒鳴り気味に語気を荒げるが、


「だから、そんなんだからいきなりホントのこと言っても信じないだろうと思って、言葉を選んでんじゃん。――つーか、アタシなんであんたなんかの為に、こんなことしてんの?」


 この〝レイア〟にはまったく無意味らしく、逆に頭を抱えている始末だ。――これには、〝ゼロ〟もそろそろ後に引けなくなってくる。


 この訳のわからぬ問答に嫌気がさしているのは、こっちのほうなのだ。


「な、――なんか、ってなんだよ! 人のこと知った風にッ――なにが言いたいのかわかんねぇけど、簡単だろ、そんなのッ。俺が昨日『勝った』からだろ?! 〝アヤト〟あの娘は、それが最初からわかってたってことだッ」


「ハァ? ――わけわかんないこと言わないでよ。あんなの、ただの運じゃん」


 こ、――ここ、こぉんのおんなァッッッ!


 さすがに激昂し、〝ゼロ〟は訳も分からず拳を戦慄かせる。


 あの接戦を、ただの運だと? 傍からどう見えたかは知らないが、当事者の〝ゼロ〟がどんな気持ちで、どれほどの恐怖と戦っていたのか、想像さえできないのか?


「なによ」


 しばし無言でこの女を睨み付けていた〝ゼロ〟だったが、しかし握りこんだ拳を静かに降ろした。


 そもそも誰かを殴ったことなど無いし、それは禁止されている。あとでペナルティなど喰らっても面白くない。――なによりも、


〝ゼロ〟は一度、深く息を吸い、顔を上げて胸を張った。そして意気揚々と、目の前に女に告げる。


「かもな。……ああ、そうさ。ただの運さ。けど、その運を試すことさえせずに逃げたのは誰だっけ?」


 そうだ、なによりも、自分とこの女との間には決定的な差がある。


 なにが言いたいのか知らないが、少なくとも、この「ゲーム」において自分がこの女に劣る要素など何もないのだ。


 案の定、〝レイア〟はたちまち刃物のように両の眼を細めて、〝ゼロ〟を睨み返してくる。


「……アタシはあのおっさんに、なんかあると思ったから引いただけだし」


「戦略的撤退って言いたいのか? その割に、ずいぶん悔しそうな顔してたよな?」


「はぁ!? ――なに? アタシのこと見てたってこと? ――キモッ」


「――ぐッ」


 そう言う意味で見てたんじゃなくて、〝ソノダ〟の情報が欲しかったんだよ、このバカ女!


 しかし、なんだか言い訳がましいことを言うように思えて、〝ゼロ〟は憤慨を言葉にできない。


 頭の中でならいくらでも流暢な台詞が出てくるのだが、いかんせん、いざ実際に喋るとなると、


「はぁ――ッ、見境なしとか。マジでキモいわ。どんだけサカってんのよ――。あーもういい。忠告とかガラじゃなかったし、もうやめるわ」


 ちょっと待て! ここで会話が終わったら、俺がお前みたいな細いだけの女にまで粉かけようとしてしくじったみてぇじゃん。ふざけんな!! こっちだってお前みたいなのに興味なんてないんだよ!!


「お――、おまえ、あの〝ソノダ〟相手にビビったんだろ!? なんだよ、それがさ、俺に忠告とかしてる暇、あんの?」


 あまりに悔しすぎて口を突いて出た言葉だったが、すると〝レイア〟は先ほどまでとは一変、怒りとは全く無縁の、何の感情も灯らぬ表情で、真っ直ぐに〝ゼロ〟を見た。


「あっそ。――じゃ、好きにしなよ」


 その顔には、見覚えがあった。忘れもしない、昨夜の〝ソノダ〟が見せた、もう人を人として見ていないような。『コイツはもう仕方がないんだ』と諦め、見放すかのような、そんな視線。


 〝ゼロ〟は身震いした。なぜそんな目で見られなければならないのか解らない。


 ――だいたい、なんなのだこの女。思い返してみても何が言いたいのかまるでわからない。


 ただただ、気味が悪く、不快だった。多少はマシになったはずの気分が急転直下していくようだ。


 ホントなんなんだよ、この女! 


「――クソッ! 結果が全てじゃないのかよ!! お前は逃げて、俺は勝った! それで得たチップがどんだけのもんか、わかるかよ! お前のチップは今いくらだ? 人に忠告してる暇なんてあんのかよ! 身の程を知れってんだ、この――」


 まるで聞こえていないかのように去っていく〝レイア〟の背中に、〝ゼロ〟は思い着く限りの言葉を投げつけた。


 次第に自分で思ったよりも苛烈なものとなってしまったが、言葉はしばらく止まらなかった。


 


 〝レイア〟の細い背中が見えなくなるまで、聞こえてもいないであろう言葉を漏らしていた〝ゼロ〟だったが、次第にそれもむなしくなった。


 これではただの独り言だ。馬鹿馬鹿しくなり、〝ゼロ〟は大通りを町の中心へ向けて歩きはじめた。まだ日は高い。身体に張り付いた泥も乾き始めている。


 ――何やってんだ、俺?


 〝レイア〟のせいで、回復しかけていた気分さえもドス黒いものになり始めている。

 

「おっめでとうございますノン! プレイヤー様!!」


 その時であった。飛び跳ねるような声を掛けてきたのは、どこにでもいそうなオメガ・シープだった。――が、〝ゼロ〟は一目でぴんときた。


「あれ、あんた……」


「プレイヤー様、お聞きしましたノン。すごい大勝利だったとのことですノン! すごいですノン! ノンも鼻が高いですノン」


 そうである。初日にいきなり「おセックス」発言をして〝アヤト〟と三人で気まずい空気になったあのオメガだ。


 何でここに? というか、なんでお前が鼻を高くする必要がある。


 正直、オメガ達はろくに服を着ていないせいもあってベータ以上に見分けがつきにくいのだが、このオメガはすぐに見分けがついた。


 なんにせよ、好意的に笑顔を向けてもらえるのはありがたかった。


 おかげであのわけのわからない凶悪女に凹まされた心が癒されたような気がする。


 聞けば、オメガたちもゲームの進行に合わせて使用済みになったパークからは移動するのだという。


「ノン! 最低限の人員だけを残して、先のパークに向かいますノン! プレイヤー様のお世話をいたしますノン! オメガの習性ですノン! 大移動ですノン!」


「そ、そうなんだ……」


 いや、知らんけど。


 とはいえ、ささくれ立っていた気分が和らいだのも事実。こういうケアもコイツ等の仕事の内なのかもしれない。


 最初はテーマパークの着ぐるみバイトよろしく、バカみたいな仕事だと思っていたが、よく考えたらコイツ等ってすごいプロフェッショナル集団なのかもしれないなぁ。


 この徹底した役作りと言い、ただのエキストラとは言いながら、かなり厳選しないとこんな仕事に集まることもないだろう。


 その上おセックスまでサービスとして提供するというのだから、恐れ入る。


 そうなると……どれだけ高給なんだろうなぁ、コイツ等。〝ゼロ〟はじっと傍らのオメガを見つめる。


「ノン?」


 オメガは〝ゼロ〟の視線を正面から受けて首をクリっと傾ける。


「あ、いや……にしても、よく俺が来たって分かったな」


「こちらだとお聞きしましたノン! お世話をいたしますノン!」


 胸の前でグーを二つ握りしめてフンスッ! と意気込むオメガ。たぶんさっき別れた白ベータが呼んでくれたのだろう。


 こっちに興味が無いように見えても、一応フォローする気ぐらいはあるようだ。……けど、なんかズレてんだよなぁ、アイツ。まぁ、一応感謝ぐらいはしておこうか。


 ちなみに、このオメガが昨日のアイツだとすぐに分かったのは、今もバルンバルンと揺れている胸元が他の女オメガとは一線を画すからである。


 他のオメガ同様、まるでフィギュアかと思えるほどの理想的な形を保ったままで、尚且つこのサイズというのは、ある種の奇跡的な神秘を感じないでもない。それほどの逸品であった。


「おセックスですかノン? いよいよですか、ノン!」


 いっそ無心でまじまじとを見下ろす〝ゼロ〟に対し、オメガは昨日のリベンジだとでも言うようにいきり立つが、


「え? ――あ、いや、それは……ダメだ。うん。ダメ」


「……そうですノン? そうおっしゃるなら仕方ないですノン。ノンは悲しいですノン」


 いや、なんでそんなに残念そうなんだよ!? 


 〝ゼロ〟にしても気持ちはありがたいと思えなくもないのだが、今はとてもそんな気にはなれないし、何より……そうだ、何よりもまず〝アヤト〟を探さなくては。


 彼女もこの街に居るのだろうか?


「それより人を……他のプレイヤーを――いや、」


 と言いさして、泥だらけのままの自分の見下ろす。


「まずは風呂と――着替えを頼む。……おセックスとかは無しで」


「わかりましたノン。この「パーク」自慢の公衆大浴場にご案内いたしますノン!」


 そう言って、オメガは待ちきれないとばかりに歩き出す。そして、大股で前進しながら、一度〝ゼロ〟へ向き直る。


「でも、でもでもでもッ、おセックスが必要なら、いつで仰って欲しいですノン。ノン達は、プレイヤー様のお役に立つことが、何よりの喜びなのですノン! ノンノン!!」


「ああ、分かった分かった」


 うーむ。ここまでの「役作り」を要求されるんだから、やっぱコイツ等の報酬ってとんでも無さそうだよなぁ。


 バスト同様に奇跡的な造形美を誇る臀部を上下に追いながら、〝ゼロ〟はぼんやりとそんなことを思った。


 思って、少しだけ〝アヤト〟に申し訳ないような気になり、ひとり、気まずそうに頬を掻いた。


 あの娘は〝ゼロ〟のしでかしてしまったことを、どう思っているのだろうか?

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