第11話「一日目」Vs〝ソノダ〟② 決着、そして末路
「うううううううっ、コール、こーるぅ、コールコールコールッ。コールだッ、コーォル!」
「は? ――はぁぁぁ?!」
〝ゼロ〟は、それでも絞り出した。その言葉を。
俺は、俺はショートスリーパーだッ!
雑魚じゃない。ずっと雑魚だった。底辺のクズだった。誰にも気に留められない、道端のゴミみたいにして生きてきた。
だから、ここでは雑魚じゃない!! ここでは違うはずなんだ!
じゃなきゃおかしい。おかしいじゃないかッ!
「〝ゼロ〟様。宣言は一度で結構です」
白ベータが何の変調もなく告げる。
無論、〝ゼロ〟の方にそれを
〝ゼロ〟はコールした。
泣いていた。泣きながら声を絞り出した。
縋れるものを探して、最後の最後にしがみついたのは、結局自分がショートスリーパー。特別な人間だという一点の事実。
そしてそこにか細く絡みつく、一条の願いであった。
だって、そうじゃなきゃおかしいじゃないか。
こんな
それで、またあの「日常」に戻るのか? 何の意味があるんだ? この勝負を降りることに、何の意味があるんだ?
おかしいじゃないか。意味が無きゃおかしいじゃないか。――意味が無くちゃいけないんだ。そうじゃなきゃダメなんだ!
――その幼い想いが、〝ゼロ〟にフォールドと言う選択を許さなかった。
ここで特別になれないなら、もはや未来などなかった。
それが〝ゼロ〟に馴染みの逃避行を許さなかった。
ここでならば主役になれる。その都合のいい、しかし手放すことのできない、吹けば飛ぶような事実にすがって、今〝ゼロ〟はあらゆる思考思索打算から手を放していた。
大海に投げ出された木っ端のように、
俺はショートスリーパー。生まれて初めて、他人に対して優位に立つ位置にいる。
ここから、このゲームから退いちゃったら、俺はもう一生ここに立てない。初めから周回遅れの立場で戦わなきゃならない。
なんでも与えられて、何不自由なく、当たり前に自分が世界の主役だと思って生きてる奴らの中に、戻される。
いやだ。それは、いやだよ。――せめて、せめて理不尽に戦わされ、比べられなら、ここでがいい。このゲームの方がいい。
――それが、〝ゼロ〟が震えながら絞り出した結論だった。
「て、てめぇ、何言ってやがんだっ! 勝負したら、どっちがが死ぬんだぞ!」
〝ソノダ〟の怒声に、涙と悲鳴を呑み込んで〝ゼロ〟は吠える。
「うるせぇッ! そう思うならあんたが降りろよ。俺はもうコールした。コールしたんだ。降りない。俺は降りないッッッ」
椅子に座ったまま足を振り乱し、〝ゼロ〟は全身で拒絶する。もはや見栄も外聞もあったものではない。
「わ、訳わかんねェこと言ってダダこねてんじゃねェぞ、このガキぃ……」
〝ゼロ〟は今度こそ顔を上げ、〝ソノダ〟を正面から見据える。
「座れよおっさんッ! コールだ。取り消せない。勝負だ、もう勝負するしか、――ないんだ、うううっ」
自分の言葉でさらに追い詰められていくのを感じる。抑え様のない悲鳴が、口からこぼれる。
「う、う、あぁぁぁ……」
「この、――このガキ」
「では――ご両人とも、フォールドは無しですね」
両者ともに無言のまま視線を上げる。
何とも言えない目で白のベータを見つめる。何言も発しなかった。何も言えなかった、が正解だろうか。
放心したように立ちすくむ〝ソノダ〟を赤ベータがそっと席に座らせ、白ベータは貝のように身を縮める〝ゼロ〟をただ見下ろす。
沈黙が横たわった。しかし、異様に凝固したようなその一瞬は長く続かなかった。
「よろしいですね――――では、カードオープン」
尋常でない様相を呈する両プレイヤーに対して、ゲームは淡々と進行していく。
ゲーム盤に
もう戻れない。「ちょっと待って」も許されない。それってホント? マジなの? 〝ゼロ〟にはその現実が信じられない。
もはや直視することさえできない。
〝ゼロ〟は限界まで細めた目で、顔を背けながら、その顔を覆った両手の隙間から、垣間見るかのようにそれを盗み見る。
息が詰まる。血が沸騰する。視界が歪んでいく。
本当にマンガみたいに現実がぐにゃぐなやに変容していく。
いやだいやだいやだ。負けたくない負けたくない負けたくない。――堕ちたく、ない。
再び本能が絶叫する。本来そこにあるはずの思考が圧迫されて流動性を失うのを〝ゼロ〟はまざまざと感じていた。
もはや彼の中を占めるのは、単調な運命への哀願の羅列でしかない。
結果
〝ゼロ〟セット 4、4、4、4、1
対
〝ソノダ〟セット 1、4、4、4、1
「――――――――――は?」
訳が、分からなかった。
「では、1勝4分けで〝ゼロ〟様の勝利となります」
白のベータが淡々と宣言する。
一泊の間を置いて、それまで息を忘れていたかのようなギャラリーから
「す――ごい! 凄い!! やりました。勝ちです〝ゼロ〟さん!」
〝アヤト〟が飛び掛からんばかりの勢いで〝ゼロ〟の肩に飛びついて来る。
そもそもギャラリーの存在すら忘れていた〝ゼロ〟は仰天して椅子から転落しそうになるが、それを支えるように他のプレイヤーたちも口々にすごいすごいと興奮して〝ゼロ〟と取り囲んできた。
しかし、当の〝ゼロ〟本人は放心状態のまま何事も発することが出来ず、周囲の顔を見回すことしかできない。
「先ほどまでのレイズの結果とカードの効果を考慮いたしまして、移動するチップは総計65000ポイントとなります」
「ろ、6万?!」
――そうか、自分が一枚だけセットしていて、伏せたままだったレベル1(〝ソノダ〟と同様に勝者のポイントを10倍にする)の効果も加わるのか。
しかし、〝ゼロ〟はその途方もない数値に、もはや実感が追い着かない。
とにかく訳が分からなかった。なぜ〝ソノダ〟はあんなカードセットであそこまで強気だったのだろうか?
「結局、レベル5も無しで……」
〝ゼロ〟はただ疑問だけ見つめ、あてどなく呟く。
それだけが、とりあえずの安堵だけを残して空洞になったしまった〝ゼロ〟の意識の中を空回っていた。
そして、当の〝ソノダ〟は、負けが確定したにもかかわらず、泣きも叫びもせず、狂乱もせず、静かに席に着いたままだった。
「……おい」
ただ俯き、日陰に伏した般若みたいな顔のまま、静かに御付きの赤ベータに声を掛ける。
「おい。なんだぁ、これァ」
「残念でしたね〝ソノダ〟様。時間も残ってはいませんが、今は反省よりも挽回の手段を模索されては」
担当プレイヤーの脇に立ち、つらつらとそんな口上を述べる赤ベータに、〝ソノダ〟は首をねじ曲げて、何事かをつぶやいた。
「? 何でしょうか」
「いや……だから、……おかしいだろっ、つってんだよ」
声はなぜか囁くようで、対面する〝ゼロ〟でさえも聞き逃しそうだった。
「おかしい、ですか? 何のことでしょうか? ゲームは滞りなく進行したしました。我らベータ・シープ一同が保証したします」
死刑宣告にしては異様なほど軽やかな声が言い終わるより先に、それまで冷えた巌のようだった〝ソノダ〟は一転爆ぜるように赤シープに掴みかかっていた。
「だからおかしいってんだろ! おかしいんだよ! 俺は堕ちる側の人間じゃねェ、堕ちるのは他の人間のハズなんだ! そうだろ? 今までもそうだった。こういうクズが落ちるはずで、俺はそもそもがそう言う人間じゃねぇんだよッ! なんで、なんであんなブルってるガキが降りねぇんだ!? 命のやり取りだぞ? おかしいだろうが! 何かの間違いだ。そうだろ? そうに決まってんだろうがよぉ、―――――これは、間違いだ。なぁ、これァ何かの間違いだろ?」
「と、言われましても」
いくら叫ぼうとも、胸倉をつかまれた――否、すがりつかれたというべき赤ベータは取り合おうとはしない。
〝ゼロ〟を含め、衆人もみなそれを静かに見つめることしかできない。
〝ソノダ〟の語る言葉に理がないことは誰が見ても当然の事のように思われたが、しかし〝ソノダ〟本人にしてみれば、全く客観性のない思いこみに縋ってでも、言わずには、叫ばずにはいられなかったのだろう。
「こんなはずじゃねぇんだよッ。――やり直せ。何かおかしいところがあったはずだ! やり直しだ。全部元に戻して……」
「ちょ、」
「問題ありません」
聞き捨てならないセリフに〝ゼロ〟も口を挟もうとしたが、白ベータは構わず〝ゼロ〟を席から立たせた。
「いや、でも、」
「すべて、想定内の事ですので」
白ベータはここに来て、初めて聞くような、とても穏やかな声でそう言った。
〝ソノダ〟に提案――否、懇願された赤ベータはなんとも困ったとでもいうようなしぐさで肩をすくめた。
「御気の毒ではございますが、〝ソノダ〟様。〝ソノダ〟様の仰ることは何一つとして通りません。その、――――ルールですので」
あまりに軽い物言いであった。
まるでその言葉で確定される「死」に、爪の先程の興味もないかのように。
「テ――、テメェッ、テメェ殺すぞ! 若造がぁ、テメェコラぁぁぁ!!」
〝ソノダ〟はとうとう傍からも目視できるほど明確に激昂し、遠投でも始めようかと言うほどに、手にしていた酒瓶を振りかぶった。
しかし、それがベータの脳天を砕く事は無かった。
赤のベータはその瓶を事もなげに受け止め、さらに片手で〝ソノダ〟の首を捕まえ軽々と掲げ上げていたのだ。
〝ゼロ〟も含め、誰もが唖然とそれを見ていた。
赤のベータも確かに長身だが、〝ソノダ〟と比べるとその体躯は明らかに細身である。
それが、まるでテーブルの上にある置物でも持つように、〝ソノダ〟を掴み上げているのだ。
「ぐ、……グエ、グへぇッ」
そして、足をバタつかせながら潰れたカエルみたいなうめき声も漏らすばかりの〝ソノダ〟を、赤ベータはこともなげに、5メートルほども放り捨てた。
もんどりうった〝ソノダ〟はまるで蹴飛ばされた野良犬のように身悶えて、呻きを漏らす。
聞いたこともないほどに哀れを誘う声だと、〝ゼロ〟は思った。
「――お静かにお願いいたしますよ、〝ソノダ〟様。『暴力行為は厳禁』でございます。わたくしも心苦しいのですが、――――ルールですので」
重ねて慇懃に言って、赤ベータはそれっきり、ゴミみたいに転がった〝ソノダ〟に声を掛ける事は無かった。
最終的に〝ソノダ〟はそれ以上騒ぐこともなく、会場の隅で静かにしていた。
手にした酒を煽ることもせず、ただ、手負いの獣みたいに一点を見つめてじっとしていた。
本当に最後の手段だった暴力まで完封されて、もはや打つ手もなかったのだろう。
その後は誰もゲームを始めず、ただ静かに時間が過ぎて行った。
ゲームは尻すぼみに活気を失い、静かに終わりの時を迎えた。
せっかく勝利した〝ゼロ〟もはしゃぐような心持ちではなかった。ただ安心感と言う足場を確かめて放心するので手いっぱいだった。
「時間となりました。それでは「決済」を行います。プレイヤーの皆様ご、ご注目ください」
「……チップがマイナスになっていた場合、ゲーム終了後、その都度マイナスの分の負荷をかけることになります」
誰知らず、集められたプレイヤーやシープたちはこれから「決済」を受ける〝ソノダ〟を丸く取り囲むように距離を開けている。
引きずられるようにそこに引き立てられた〝ソノダ〟だったが、そこで一転、自ら身体を起こすと、取り巻く人々をぐるりと睨み据えた。
血走ったやぶれかぶれの面相は、ギャラリーを引かせるのには十分だった。
しかし、引き下がる者はいなかった。誰もが〝ソノダ〟から、そしてこれから起きることから目を背けようとし、なおかつ興味を引かれてもいるのだ。
その衆目を振り払おうとするかのように、ケッ、――と〝ソノダ〟は唾を吐いた。
そして正面に立つ赤ベータに向けて口火を切る。
「やってみやがれッ! ――――おれは堕ちねェ!!」
〝ソノダ〟は吠えた。
「そもそも、そんなもんを人工的にどうこうするなんて眉唾だぜ! 疑似的ってヤツだ、人工的に負荷をかける? そんなもん本物とはちげぇだろうが! そんなもん俺が見てきたものとは別もんだ! そんなチャチなもんなんかがよぉ、俺に効くかよ!?」
まるで滝に打たれてきたかのような汗を流し、〝ソノダ〟は吠える。己の恐怖を掻き消そうとするかのように。
「効くわけがねェェェッ! やってみろよぉ。耐えりゃあ良いだけの話じゃねェか、俺をあんな底辺でうろついてるようなカス共と一緒にするんじゃねェッ。やれよッ――――――やってみろよぉぉぉッッッ」
血を吐くような絶叫に、しかし、取り合う声はない。ベータ・シープたちはあくまで機械的にそれを執り行う。
「で、では」
「時間です」
「……決済を開始します」
当の赤は黙ったまま、それ以外のシープたちが冷然とリレーする。
「――――」
〝ゼロ〟はその瞬間、目を閉じていた。
見るのが恐ろしかった。しかし見ない訳にもいかなかった。どうなった? 決済は終ったのか? それともまだ始まっていないのか? 一度目をつむった〝ゼロ〟は、しびれを切らしてすぐに目を開けた。
見たくはないが、見ずにはいられなかった。
見えたのは直立する〝ソノダ〟の背中であった。
見たところ、そこまでの変化はない。――やはり、〝ソノダ〟の言うとおり、不眠の負荷を人工的に再現することなど、簡単ではないのでは、
と、そのとき、ガクン、と〝ソノダ〟の長身が揺れた。
「な、なんでぇ。へッ、大したことねェじゃねぇか。大した、たいし、たいししししししししししししししし」
そして痙攣したかのように言葉尻を戦慄かせ、同時に、まるで一人だけ大地震の渦中にあるかのように、横に、そして縦に跳ね上がるかのように震えた〝ソノダ〟は、その後、ぴたりと静止した。
「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッッ!!!!」
そして一転、バネ仕掛けみたいな勢いで自らの頭を抱えた〝ソノダ〟はそこで絶叫するかのように顔を歪めた。
その顔色が赤から青、黄色と、信号機どころではない勢いで、目まぐるしく変わっていく。
しかし肝心の音が、声が、いつまでたっても聞こえてこない。
顔を手を、もはや真っ黒な血色に染め、なにか、この世のものとも思えぬ何事かを喋っている風に、口腔を割り開きグニグニと虚空を泳いだかと思うと、そこで再び硬直した。
力が入っている。傍から分かるのはそれだけだった。全身に満身の異様な力が入っているのが分かる。
まるで引き絞られて一つの鉄塊に還ろうとする針金の束のようだっだ。
そして微動だにせぬその内部では、おそらく何かが確実に進行しているのだということが〝ゼロ〟には――否、それを見ていた全ての人間が理解していた。
ゴリゴリと、
ゴリゴリと。
何かが確実に。
だから目を離せなかった。
卵を万力で静かに締め上げていくような、静かで重苦しい時間が過ぎた。
突然だった。唐突に、木造建築が軋むような、生木が引き裂けるような、聞く者の耳を
メキメキ、べりべり、と言う音が〝ソノダ〟の全身から、まるで生き物のように飛び出してきた。
白いマーブル模様の床が赤い雨にでも降られたかのように染まっていく。音だけではない、出血も起こっているのだ。
いったいどこから?
正解はそこら中から、である。
飛び出していく。あらゆる体液が、〝ソノダ〟の中に詰まっていたものが異常な圧力によって押し出され、絞り出されているのが分かった。
さらに内に向かおうとする手足から、細い骨が飛び出している。鎖骨、下腕部の尺骨、脛あたりの骨。
顔面に押し付けられた両腕は手首の辺りまでめり込み、十指は本来曲がるはずのない方向へバラバラに折れ曲がる。
なぜかは誰にも解らない。
ただ、それを、その光景を総括して言うなら、〝ソノダ〟はなぜが全身の筋力を異常に暴走させて自分の肉体を内側に折りたたもうとしているのだ。
そうとしか表現の出来ない光景だった。
「おい、……止め、止めなくて、いいのかよ。血が……骨も」
「残念ですが止めることはできません。他者へ暴力行為は厳禁ですが、自傷行為についてはなんの罰則もありませんので」
平然と答える白ベータに〝ゼロ〟は絶句する。だが状況は、変化は止まらない。
〝ソノダ〟からはもはや肘が、膝がなくなっていた。
背骨もまるでカタツムリの殻のように丸まり、頭部と胴体の境目は見つけようがなかった。
そして〝ソノダ〟は血の海の中で、まるで手荷物ほどの大きさの、まさしく一つの肉塊になってしまった。
そしてソレが動かなくなったのを見届けて、それまで直視し続けていたプレイヤーたちは、そこでようやく我に返ったかのように悲鳴を
何人かがトイレに駆け込んだ。〝アヤト〟は――もはや立ってもいられないのだろう。御付きのベータに、身を投げ出すようにしてもたれ掛かっているのが見えた。
〝ゼロ〟も何も言えなかった。何もできなかった。
もしも負けていたら、自分がああなっていたというのだろうか?
有りえない。そんなバカな。信じられなかった。あまりにも現実味が無かった。
そして再び
同時に彼の精神は限界を迎えた。
絶叫と嘔吐物と、ありったけのモノを吐きだしながら、恥も外聞もなく彼は逃げ出した。
ゲーム終了と同時に解放されていた扉から、取るもの取らず外へ駆け出す。
とにかくそんな空間から逃げ出したかった。
ただ、それだけだった。
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