第10話「一日目」Vs〝ソノダ〟① 〝ソノダ〟の秘策

「なんというかね、娘に毛嫌いされる父親ってヤツの気持ちが分かったような気がするよ。これでもボクは独身なんだけどねェ……」


 意気込む〝ゼロ〟の思惑に反して――勝負は〝ゼロ〟が最初のレイズを行った時点で〝ツーペア〟がフォールド(ゲームを降りる)してしまい、大した盛り上がりもなく終了してしまった。


 それから〝ツーペア〟は事の次第よりも愚痴をこぼすことに終始し、それが終わると後は引っ込んでしまった。


 〝ゼロ〟としては不満も不満だったが、まぁ、勝ちは勝ちである。


 チップは15枚増えて計53枚(2枚はゲーム直前に使用。期待したほどの感覚はなかった)である。


 余裕でもう1ゲーム行けるが、デッキの中身は一気に半分になってしまった。


 やはり、ゲームを続けるにはこのワンデッキ10枚と言う制限が邪魔だと思われた。


 白いのに聞くところでは「レベル2」の特典(主に何かしらのアイテムを獲得できる)にデッキに余剰スペースを開けることのできる「追加パック」があるとのことだったが、増やせる枚数は2枚だけらしい。


 それじゃあ意味が無い。もっとこう、20枚30枚と持ち込めればいいのに……なんでこんな制限がかけてあるのだろうか?


 とかく内心でそんな不満を漏らしつつ、〝ゼロ〟が他の対戦相手を探そうかと顔を上げた――その時であった。


 「ハッハァッ!!」という、勝利のおたけびのようなものが聞こえてきた。


 考えるより先にわかった。


 ――〝ソノダ〟である。


 先ほどの〝アヤト〟〝ツーペア〟そして〝ゼロ〟の悶着を皮切りに周囲でもしきりに宣言や交渉が交わされ、実際にゲームが行われていたのは知っていた。


 そんな中で聞こえてきたのが、この〝ソノダ〟の雄たけびである。


 振り返って見れば、――細い、とがった肩を怒らせて足早にそのテーブルから去ろうとするのはあの〝レイア〟だ。


 あの女、負けたのか。


 ――と、〝ゼロ〟は彼女に声を掛けようかと思い近づこうとしたのだが、顔を蒼白に歪め、まるで世界のすべてを拒絶するかのように風を切る彼女の有様に、どう声を掛ければいいのか見当がつかなかった。


 そもそも、最初からあまり融和的な雰囲気の相手でもないし、下手にやぶを突いてバカを見るのもどうかと思えた。


 できれば今の勝負の内容を、もとい〝ソノダ〟の情報を聞いておきたかったのだが……。あの様子では、とてもではないが難しそうだ。


 萎えるように足を止めた〝ゼロ〟は他に誰か、話を聞ける相手はいないものかとあてどなく首をめぐらせたのだが、そこで――彼の首根っこをわしづかみにするような濁声だみごえが浴びせかけられた。


「おう、おめぇ! なんだおめぇも勝ったんだな。ちょうどいいぜ、勝ったもん同士、やろうじゃねぇか。なぁ? それとも逃げるかぁ?」


 いきなりの事でもあり、〝ゼロ〟はすぐには反応を返さず、ただ背中で、その〝ソノダ〟の声を受け止めていた。


 衆目が〝ゼロ〟に集中する。


 〝ゼロ〟はただ、静かに――内心で溜息を吐いた。


 やれやれ――だな、オイ。てか、ハァ? って感じだ。いきなり何言って来てんだろうなこのおっさん。


 なんでこう、いちいちケンカ腰なんだろうなぁ。こういうのに粘着されんのって、ホント迷惑だよな。


 正直、こんな場所でなけりゃ、適当に躱すだけの話なんだけどさ、――


「――良いっスよ。こっちも、ぜんぜん余裕なんで」


 満を持して〝ゼロ〟は振り向く。


 決意の宿る瞳をひるがえす。ニタニタと〝ゼロ〟を見下ろしている〝ソノダ〟と目が合った。


 今度こそ、その視線が逸らされることはない。


 予定外のタイミングではあったが、あいにく引く理由が見当たらなかった。


 もともとの標的でもあったし、昼間の時点でこのオヤジには思うところもあったのだ。


 この、妙に勘違いしたおっさんには悪いけど、ここいらでちょっともんでやった方がいいのかもしれないな。


 でないとこの先、この見るに堪えない振る舞いが増徴し続けることは想像に難くない、ってなもんだ!


 〝ゼロ〟は今の今まで〝レイア〟と〝ソノダ〟が戦っていたボードで向かい合い。裏向きのカードを強く突きかざした。


「〝ソノダ〟さんと勝負を希望します」


「受けるぜ。来なよアンちゃん」


 両者の背後には、いつの間にか、それぞれ影のように侍る二体のベータ・シープが対を成す。


「確認いたしました。ゲームは成立します」


「では、交渉フェイズに移ってください」


 赤白のシープがリレーして進行する。〝ゼロ〟にとって、初日最後となるゲームが、幕を開けた。


  互いにカードをセットしながら、〝ゼロ〟と〝ソノダ〟は相対する。


 勝負形式はどちらが言うともなく5枚セット。互いにそれで初戦を勝ってきたという暗黙の了解によるものだった。


 〝ゼロ〟も、〝ソノダ〟もデッキ内に残ったカードをすべて放出することになる。


 もはやカードを選ぶ余地もないが、カードは並べ方も重要だ。


 その間にも〝ゼロ〟は相手の、〝ソノダ〟の様子を上目づかいで窺う。


 〝ソノダ〟は視線を合わせず、肩をいからせるように振って、カードを勢いよくセットしていく。


 〝ゼロ〟はアンカーの発光具合で様子を伺う。〝ソノダ〟の額の血の色のようなアンカーは綺麗に澄んでおり、結構な量のチップを消費していることを現している。


 〝ソノダ〟も今の勝負で勝ったようだけど、どのくらい勝ったんだろうか? 


 5枚セットの勝負だったというのなら〝ゼロ〟と同様に基本の15と言ったところだろうか?


 それとも特典とレイズでもっと大量のチップを獲得したのか?


 しまったな。こうならないように対戦相手だった〝レイア〟に事情を確認したかったのに……、


 鼻持ちならない〝ソノダ〟の挑発に思わず乗ってしまった。

 

 これはヤバイか……。よくない流れか? ――いや、と、〝ゼロ〟は〝ソノダ〟のニヤついた顔を見据えて思う。


 もしも、このおっさんが初戦の情報を与えたくなくて、わざわざ〝ゼロ〟を名指しで煽ってきたんだとしたら、それは自分と〝ゼロ〟の勝ち分に差が無いから、とは考えられないか?


 このおっさんのことだ。今の勝負でデカく勝ったというのなら〝ゼロ〟に、その差を積極的に喧伝せずにはいられないだろう。


 そうして相手を煽り、精神的に優位に立とうとするはずだ。


 ――間違いない。このおっさんが〝レイア〟から奪い取ったチップはせいぜいが15ポイント。


 さらに、アンカーの強い輝きから見て、その勝ち分15は既に使用済みと見ていいだろう。


 いま、このおっさんが残しているチップはせいぜいが8時間分。


 40ポイント程度とみるべきだ。現在チップ53を残す〝ゼロ〟との差は歴然。むしろ、優位になのは彼のほうなのだ。


 くだらないブラフで現実を見失ってたまるか。


 状況は何も変化していない。〝ゼロ〟は依然としてこのゲーム内で最も優位な状況にあるプレイヤーなのだ。


 ――――良し!


「御二方とも、よろしいですね? よろしければ、後はカードの交換等は出来なくなります」


「では、ゲーム・フェイズへ移行します」


「じゃあ、俺レイズしま」


 す。――と。間髪入れず、〝ゼロ〟は揚々と宣言しようとした。


 どっちが優位かわからせてやるつもりだった。余裕を持ってレイズし、動揺を与えてやるつもりだった。――の、だが、


「レイズだ!」


 〝ソノダ〟は、〝ゼロ〟がレイズしようとした所へかぶせるように、きっぱりとレイズを宣言したのだ。


 〝ゼロ〟は憤慨を声に変えて吐き洩らす。


「ハァッ!? ――いや、いまおれがレイズしようとしたんスけど……」


「いいじゃねぇか。別に先攻も後攻もねぇんだ。そうだろ」


 あからさまに声を荒げさせた〝ゼロ〟に対して〝ソノダ〟は奇妙なほど静かに、しっかりと、或いは貫禄たっぷりに、自分のシープではなく〝ゼロ〟の白シープに対して言った。


「はい。インソムニア・ゲームでは現在、このような場合はされます」


「はぁ!? なんでそんなっ――――あ、いや――『スタック』、か?」


 それに気付いた〝ゼロ〟は、苦汁を絞り出すように言った。


「あ? なんだそりゃ?」


「要するに「後入れ先出し」ということです。解決すべき計算や選択肢などのオブジェクトを順にスタック……つまり「積み重ねて」いき、今度はそれを上から順に解決していくと言う対処方です」


「元は情報処理等で使用される概念でしたが、カードゲーム・ボードゲームと言った遊戯においても多々、使用される概念となっております。――すでにご存じだったとは〝ゼロ〟様はなかなか博識でいらっしゃる」


 無知を隠そうともしない〝ソノダ〟に白と赤のシープがまたリレーして解説をする。


「……、」


 赤ベータの少々過大な賞賛を受けた〝ゼロ〟だったが、だからと言ってそれで看過していいことではない。


「ほぉー。なぁんかしらねぇが御大層なもんだな。ま、知ってんなら話がはえぇ。俺のレイズからだ。で、次がお前のレイズ」


「そうではありません」


「お?」


「まず〝ソノダ〟様のレイズに〝ゼロ〟さまが対応することになります」


「現在は〝ゼロ〟様のレイズに〝ソノダ〟様のレイズが「乗っている」状態ですが、〝ソノダ〟様のレイズに〝ゼロ〟様が対応することになりますので、〝ゼロ〟様はそこでコールかレイズか、あるいはフォールドするかを選べます」


 赤が言い。白が続ける。白が続け、赤が補足する。どっちがどっちのセリフなのか、〝ゼロ〟は少し混乱し始めていた。


「もしもフォールドを選んだ場合、それらが〝ゼロ〟様自身のレイズよりも先に解決されることになりますので、〝ゼロ〟様のレイズは無効化されます」


「……じゃあ、コールした場合は?」


 〝ゼロ〟はふてくされた子供の様に不満げな声を出すことしかできない。


 すぐそばに立つ白ベータが相も変らぬ冷然とした声で続ける。


「〝ソノダ〟様のレイズが終了し、今度は〝ゼロ〟様のレイズに〝ソノダ〟様が対応することになります」


「取り消すことは出来ないんだな?」


「はい、一度宣言し、スタックされたレイズ等の宣言は基本的に取り消すことはできません」


「さっ、――先に言っとけよ、そう言うことはッ」


 〝ゼロ〟は声を荒げざるを得なかった。抑えるべきだとは思ったが、さすがに歯止めが利かなかった。


「申し訳ありません。しかし最初にこのような細微なルールまで解説しても混乱を招くだけかと……」


「スタックだと言われりゃ、俺は解ったんだよ!」


「申し訳ありません」


 〝ゼロ〟が白シープを怒鳴りつけるその光景を、〝ソノダ〟はニヤニヤしながら眺めていた。


 〝ゼロ〟はほぞを噛む思いだった。


 ――落ち着け。こんなの、失態の上塗りじゃないか。威勢を張るところを間違えるな。シープに当たり散らしても意味が無い。


「で、どうすんだ? 降りてもいいんだぜ?」


「いや――ちょっと混乱してるんで、考える時間をもらっても?」


「……」


 〝ゼロ〟はあえて白いベータ・シープを睨みながら言った。


「よいでしょう。これは我々ベータの落ち度だと言えます」


 赤いベータが言い、白も頷いた。


「ただ、席を立つことはお控えください」


「わかったよ」


「俺もいいぜぇ。別に急ぐわけじゃあねえしな」


 言って、〝ソノダ〟は手にしていた酒瓶を控えめに煽った。見下すような、ニヤついた視線はしっかりと〝ゼロ〟に向けられていたが。


 〝ゼロ〟は沈黙し、脳裏で焼けるような言葉を反芻する。


 なぜ? なんでだ? 最初から圧倒的に優位にいるはずのオレが、どうしてこんなオヤジに見下されなきゃならないんだ?


 ありえない――、ありえない、ありえない!


 それもこれもルールを隠していやがったこの白ベータのせいだ。そもそもなんで先攻後攻がねぇんだよ! 普通は持ち回りだろうが!


 おかしいだろ! おかしい、どう考えたって…………いや、違う。


 待て、自暴自棄になるな。


「……なぁ、何で普通のポーカーみたいに進行しないんだよ。普通は最初に決めるだろ、親と子とか、先攻とか後攻とか」


「――〝スタックによる処理の方が都合のいい状況が在り得る〟から。としか、今は申し上げられません」


 白ベータの意味深な言い回しに、〝ゼロ〟は再び憤慨しかける。が、何とか己を律する。


「ああ、そう……」


 〝ゼロ〟は必死で低きに流れようとする自分の思考を押し留めようとしていた。


 よく考えろ。別に不利になったわけでもない。向こうがレイズするのは予定外だったが、別に問題はないのだ。どう考えてもチップの残量はこちらが上。


 張り合いで負けるはずがないのだ。もともとそのつもりだった。何の問題もない。問題はないんだ。


 深呼吸を一つして、〝ゼロ〟は顔を上げる。


「再開してくれ」


「よろしいので?」


「ああ。レイズ、どうぞ」


「なんでぇ、思ったよりも早かったな」


「〝ソノダ〟様」 


「わかっったつの――ったく。じゃあ、行くぜ?」


 〝ソノダ〟は勿体つけるように間を取り、〝ゼロ〟を見据える。さっさと来いよクソオヤジめ。〝ゼロ〟は無言で悪態をつく。


 そして〝ソノダ〟はカードを一枚開示した。カードのレベルは……、


「レイズ、20だ」


「な――――」


 〝ゼロ〟は思わず声を上げた。レイズの額も額だが、〝ソノダ〟が開示したカードはなんと「レベル1」。


 さらにその下にはこんな文言が記してある。



『このゲームの勝者は獲得するチップが10倍になる。逆に敗者のうち1人は奪われるチップが10倍になる。複数の敗者がいる場合、ゲームの勝者がこれを指名する』


「――――ッッ」


 〝ゼロ〟が息を呑んだもの無理はないだろう。まさかの「レベル1」である。


 〝ゼロ〟も同様のカードを使ってレイズをする気ではいた。しかしさらに20ものチップを上乗せするとは考えていなかった。


 なぜなら、そこまでする必要が無いからだ。ハッキリ言ってやり過ぎだ。


 何せ、この「レベル1」は負ければ奪われるチップが10倍になるという諸刃の剣ともいえるカードなのだ。


 それを基本賭け値15枚のゲームで使うとなると、それだけで150ものチップが動く。さらに〝ソノダ〟はレイズでチップを20追加している。


 そのままコールしたとしても、負けたらどちらかが350ものチップ――つまりは、75時間もの不眠の負荷を掛けられるリスクを追うということになる。


 チップは1日40ポイントずつしか増えないんだから、この時点でもう破綻は確実だ。


 このオヤジ、何を考えてやがるんだ!? ショートスリープを持つ〝ゼロ〟でさえ、こんなレイズは考えていなかった。 



 どういうつもりだ? 75時間と言えばほぼ3日分だぞ? 3日3晩もの間――つまり、


「…………ん?」


 と、〝ゼロ〟はそこである違和感に気づいた。


 350ポイントのチップを失う。75時間の不眠。――それは、果たして「脅威」なのだろうか?


 〝ゼロ〟はそこで、あらためてこの「350ポイントのチップのマイナス」について考えてみる。


 〝ゼロ〟は自分のアンカーを操作して掌に基本のルールを映し出した。船の中でのレクリエーションで提示された基本ルールの一つ。



『7 チップはマイナスになり得る。マイナス分は、ゲーム終了毎に「脳への負荷」として0になるまで清算される』



 ということだから、ここで負ければチップが0になるだけではなく、マイナスになった分、ほぼ3日間徹夜しただけのダメージを脳に受けることになる。


 300ポイント以上のマイナス――と言えばとんでもないことのように思われるが、脳に課されるという不眠、脳への負荷、これは、どの程度のものなのだろうか?


 3日の徹夜。3日3晩、寝ない。三徹――よく考えてみれば、そこまで恐れるようなペナルティとも思えなくなってくる。


 別に1日2日くらいの徹夜ぐらい、このゲームに送り込まれるような人間なら、「夜更かし」の常習犯なら経験のひとつもありそうなものだ。


 このチップのマイナスが7日7夜にわたって累積していくというのなら確かに恐ろしい、最終的に狂おしい苦しみに襲われるだろうとは、〝ゼロ〟にも想像が付く。


 しかし、何故かこのゲームはそれを毎夜、ゲームごとに清算、つまりはチャラにしてくれるというのだ。


 しかも、明日の正午にはきっちり40枚、8時間分のチップが配給され、次のゲームに向かえるのだ。


 無論そこで不眠の苦痛に屈して8時間分を使い切ってしまえば、後のゲームに響くことだろうが、それでも挽回の出来ないペナルティだとは思えない。


 話にはかつては5日ぐらい寝なかった人間もいたと聞くし、さほどのものでもないと思えてくる。


 そうだ。いままでは悪辣な「レベル5」のせいで意味もなく怯えていたが、このゲームは基本的にはセーフティなものなのだ。


 〝ゼロ〟は思い直す。高々3日の徹夜を怖がって引けるかよ! だいたい、こっちはショースリーパーだ。3日分だろうが5日分だろうが、耐えきって見せるぜ!


〝ゼロ〟は決然とまなじりを見開く。


 よし。ならばこっちも「レベル1」を使ってレイズして……。


 いや、〝ソノダ〟もこの「3日分の不眠のペナルティ」に高をくくっているってんなら、条件を同時にするんじゃなくて追い込んでやる必要があるな。


「コールします」


 思考を切り上げ、〝ゼロ〟は宣言する。


「承りました」


「なんだぁ、降りねぇのか。意外と度胸あんなオマエ」


『――チッ、降りねぇよッ』


 意外だとでもいうような中年の声に〝ゼロ〟は無言のまま刃のような視線を返す。


 ちょっとは動揺しろよこのドブオヤジッ。


「では、掛け金が吊り上ります。このまま行くと、勝者は敗者から350ポイントのチップを奪うことになります」


 赤ベータが確認するように言い。視線を向けられた〝ソノダ〟は何も言わずに顎をしゃくった。


 あくまで余裕だという態度を崩さない。


「今度は、こっちのレイズだよな」


 主導権を主張するように〝ゼロ〟が尖った声で言う。


「はい」


 入れ込む〝ゼロ〟に対して、白のシープはあくまで静かに答える。


「レイズ、こっちも20!」


 そして開けた札は〝ソノダ〟が開けた『レベル1』と正対する位置にあるカード。


 そのレベルは「4」。これで〝ソノダ〟の手札は一敗が確定したことになる。


 そこで背後から、「また20!?」「そんな……」と言った声が聞こえてくる。


 気付けば、他のプレイヤーたちがベータと共に〝ゼロ〟と〝ソノダ〟のゲームを見守っている。


 考えてもみれば、〝ゼロ〟も〝ソノダ〟も一回戦は相手をさっさとフォールドさせて勝っただけだから、こんなチップがマイナス必至の張り合いは今夜初めて、いや、このインソムニア・ゲームにおいて誰もが初体験だということになる。


 ギャラリーから押し殺しようのない声が漏れ聞こえてくるのも、仕方のないことなのかもしれない。


 もっとも、それは後ろの連中がレベル5のせいで目を曇らされているからなのだが。


「あの、〝ゼロ〟さん……」


「ゲーム中のプレイヤーに干渉することはお止め下さい」


 〝アヤト〟が声を掛けてくれようとしたみたいだが、白ベータに阻まれた。できれば「心配しないで」とでも応えたかったが、まぁゲーム中だから仕方がない。視線で大丈夫だと伝えるだけにしておいた。


「どうされますか、〝ソノダ〟様」


 赤シープが問う。


 どうだ、せいぜい蒼ざめて見せろクソヤロウ。〝ゼロ〟は〝ソノダ〟を、その表情を悠々と注視する。


 しかし得意げに上がっていたその口角が、萎びるように、ゆっくりと落ち窪んでいく。


「なんで……」


 〝ソノダ〟の表情には一片の陰りも現れていなかったのだ。


「降りねぇよ」


 嘲笑混じりに、吐き捨てるような声が響く。


「コールだ」


「え――」


「聞こえてんだろ? コールだ。さぁ、俺はコールしたんだ。おめぇはどうすんだ? 何にもなきゃこのままカードオープンだぜ。なぁ?」


 〝ソノダ〟はまったく動揺を見せなかった。


 固まる〝ゼロ〟を余所に、赤のベータが頷く。


 予想外のことに、〝ゼロ〟は動揺せざるを得なかった。


「いや、ちょっ……」


 おかしいだろ? コールするにしても、もうちょっと、何かしらの反応が、逡巡しゅんじゅんが無いとおかしい。


「〝ゼロ〟様、どうなさいますか? コールか」


「それともフォールドか、或いはレイズされますか?」


 赤の言葉を引き継いで白が続ける。


「ちょっと、……ちょっと待って」


 兎角、今は固まっている場合ではない。〝ゼロ〟はふたたび考える。


 さらに20加えているというのに、コール? これでチップの総数は15+20+20×10で550にもなる。


 時間に換算すると6600分。つまり110時間。


 さすがに人間の限界と言っていい時間だ。簡単には判断の下せない数字になってくる。


 さすがの〝ゼロ〟も、これには懊悩せざるを得ない。


「なんだぁ、おいおいおい。どうした静かになっちったなぁ。なぁ、このまま朝になっちまったらどうすんだぁ、あぁ?」


 この〝ソノダ〟はどういうつもりで、どういう戦略のもと、こうもたやすくに勝負に踏み切ってきているというのか……。


 既に1敗が確実なんだぞ? 何も考えていないのか? それとも何かしらの思惑が、それとも策があってのことなのか。


「このまま真夜の終わりまで、と言うのは問題ですので、必ず決断をしていただきます。が、そうでなければ時間に制限はございません。あと2時間ほどで「夜明け」ですが」


 赤シープの言葉に、ウソだろ? と〝ゼロ〟は思わず顔を上げる。


 この会場内には窓が無いため、中からは更夜の程合いが分からないのだ。嗚呼、どうしてこんな場所に閉じ込められなきゃならないんだ。


 いや、余計なことを考えるな。余計なことは考えるな。


 〝ゼロ〟は不安に圧迫される己の神経を必死に叱咤した。


「だ、そうだぁ。ま、ゆっくり考えてくれ。あ、ションベン行ってきていいか? こう待たされてばっかりだとよぉ」


 〝ソノダ〟が薄ら笑いを浮かべて放言する。赤が白を見る。


「基本的にゲーム中は席を離れない、が原則ではあります――が、」


「許可します。一応誰か、担当以外の者が付き添ってください」


 白が指示を下し〝ソノダ〟はオレンジのシープに連れられてトイレに向かった。


 ――くそ! 訳が分からないッ。〝ゼロ〟は思わず頭を抱えて突っ伏す。


 なんであのオヤジはあそこまで余裕なんだ!? さっきさんざん俺が「レベル5を持ってるかも」って動きをしてただろうが! 


 〝ゼロ〟は自分の中のイラつきを抑えきれなくなってきているのを感じていた。


 こんなはずではなかったのだ。事が予定通りに運ばないことがここまでストレスになるとは予想外だった。






「よう、どうだ? 腹ァ決まったかぃ?」


 たっぷりと時間をかけて戻ってきた〝ソノダ〟は赤ベータに預けてあった酒をひったくると、席にも戻らず、何も応えずにいる〝ゼロ〟に覆いかぶさるように声を掛けてきた。


「〝ソノダ〟様」


 ルールにうるさい白ベータが声を掛けるが、〝ソノダ〟は取り合わず、その〝ゼロ〟を見下ろす視線に、異様な力を込める。


〝ゼロ〟も何事かと目を見張る。


「なんでぇ、まぁだかよ? しかたねぇヤツだなぁ。ああ、しかたねぇ。じゃあ、俺から動いてもいいかい」


 は?


「さらに、レイズ10だ」


 ――――は?


〝ゼロ〟は、いや、それ以外の者達も耳を疑ったことだろう。


 なんと、〝ソノダ〟は淀みのない動きで長い手を伸ばし、自分の伏せカードを開けたのだ。しかも二枚目の「レベル1」を。


「――――なッ、はぁ!?」


「〝ソノダ〟様、まずは御席に」


「ッせぇなッ、良いだろが別に。――このぐれぇのがよぉ。慣れてんだ、俺は。――『説得』ってやつがよぉ」


 〝ゼロ〟はもはや状況に思考が追い着かず、絶句するほかない。忠告しようとした白シープにも〝ソノダ〟は取り合おうとしない。


 白シープは赤シープを見たが、赤シープは手振りで「まーまー」とでもいうように、白いのを諌めた。


 それを見た〝ソノダ〟は我が意を得たとばかりに、〝ゼロ〟を見下ろす。


 一方〝ゼロ〟はそれどころではない。


 2枚目の「レベル1」効果は先と同じく獲得するチップ数を10倍にするというものだ。


 これは、慮外の事態だった。しばし言葉を失っていた〝ゼロ〟もさすがに外聞を捨てて叫ばざるを得なかった。


「あ、あああ有りえないッ。「レベル1」って! 有りえない。有りえないだろッ。それじゃあ6000……いや、6500ポイントを超えてるんだぞ? 1300時間なんてむちゃくちゃだ! あんた、何考えてんだよ!?」


 しかし、そこで〝ゼロ〟を見下ろしていた〝ソノダ〟は心底おかしそうにクックと、如何にも意地の悪そうな笑いを漏らした。


 どうしようもない愚か者を見下すときに、人が一様に浮かべる嘲笑の相。


「かぁんけーねぇんだよ。100時間でも1000時間でも同じなんだからよぉ」


 予想外の言葉に〝ゼロ〟は意味が解らず、幼子のように問い返す。


「……どういう、こと」


「――約50時間ッ!」


 〝ゼロ〟の虚ろな問いにかぶせる様に、〝ソノダ〟は断言した。


「それが人間の限界なんだよ。それ以上なら何時間でも関係ねぇのさ、それで人間は確実に壊れるッ」


「なに、……言って、あんた何言って」


 〝ソノダ〟はぐぐい、と長い顎を突き出して〝ゼロ〟を見眇める。


「おまえよぉ。さっき3日分の「負荷」ぐらいなら、まぁ負けても『辛い』で済むとか思ってたんだろ? 明日まで、半日我慢すればってよぉ。――それがバカなんだよ! お前だけじゃねぇけどな。「毎夜のゲームごとにマイナス分を取り立てる」ってぇこのゲームのルール! あれはな、少なくとも50時間以上のマイナスを背負ったヤツはそこで脱落って意味なんだよ!」


「――――ッ」


 周囲からもどよめきが起こった。


 「不眠」の限界に対する認識は皆その程度のものだったのだろう。しかし、〝ソノダ〟はそれを正面から叩き潰さんばかりに否定する。


「お優しいゲームだとでも思ってたのか? コイツはな、テメェらの考えてるようなお遊びじゃねェ。俺たちを皆殺しにしても飽き足らねぇぐらいのクソみてぇなギャンブルなのさ!!」


 〝ソノダ〟は大手を振り、周囲に居並ぶ他のプレイヤーたちに宣下するかのように声を張り上げる。


「ベットされんのは『眠り』なんかじゃねェ。俺たちの『命』そのものだ!」


 誰も反応を返さなかった。


 静まりかえるギャラリーをぎらぎらとぬらつく視線で舐め回し、〝ソノダ〟はめぐらせた首を再び〝ゼロ〟に向ける。


「テメェは退き時のきどきを逃したんだよ。さっき逃げておけば、知らないうちに命のやり取りになんて踏み込まずに済んだのになぁ」


「は、」 


「は? お? なんだ? お?」


「はったりだ! ふざけんな、世の中には5日間人間が眠らなかったって記録もあるんだ」


 息を切らし汗を滴らせた〝ゼロ〟の必死の反論に、しかし〝ソノダ〟はおどけて見せることしかしない。


「おほぉー、言うねェ。お得意のネット検索かァ?」


「――――ッ」


「最近の若けぇのは、すーぐそれだよな。誰が書いてんのかもわからねェモノを鵜呑みにしてデカイ口を叩きやがる」


「はぁ? ――じゃあ、じゃあッあんたの50時間ってのはなんなんだよ。根拠は? あんたこそ、とても物知りな大人には見えないけどな!」


 〝ゼロ〟にしてみれば精一杯の反論だったが、〝ソノダ〟はこれを無言のまま一蹴した。


 これ以上面白いものはないとでもいうように、〝ゼロ〟を見下ろして笑いを漏らす。


 その面貌は、そろそろヘビのような人間離れしたもののように見え始めていた。


「あー、そうだな。オレも細かいことは、なーんも知らねェ。ただな、俺は何度もなぁ、これが」


「はぁ?」


「言ってなかったけどな、――俺は別に『夜更かし』をしたからってここに来たわけじゃねぇんだよ」


 そして、〝ソノダ〟は驚くほど滑らかに語り始めた。


 静かに、しかし揺るぎない確信を込めて言葉を繰り出してくる。


「違法な偽造アンカーを買ってまで夜更かししたいって連中が多いってのは、まぁ、お前らには言うまでもねぇが。俺ァな。その元締めの連中と、ちょいと仕事をしてたのさ」


 さらに〝ソノダ〟は〝ゼロ〟を、その体内までをも見透かすかのようにじっと覗き込んできた。


「とはいっても、ケチな売人みてぇなことをしてたんじゃねぇ。俺はな、在る連中のところに「行き場のないクズ」――そうだ、いわゆる底辺のクズ共を集めて届けんのが仕事だったんだよ」


 〝ゼロ〟はただその視線を、言葉を真正面から受け止めるしかない。


「その「在る連中」ってのがなんだったのか、今でも詳しいことは解らねェ。たぶん海外の技術者だかなんだかだったってぇ話だ。とにかくそいつらのところによ、アンカーだとかドラッグだとかってものに手ぇ出して、首の回らなくなったバカ共を届けるのさ」


 自分の首を掻っ切る真似をしながら〝ソノダ〟は驚くほど流暢に語る。その視線は、〝ゼロ〟の心の奥ではなく、彼をあくまで物体として、その奥に何があるのかを観ようとするかのようなものだった。


 それが何を意味するのか、〝ゼロ〟は知ることになる。


「で、その先で何を見たのか、だよな?」


 〝ソノダ〟はそこで再び酒を煽って、〝ゼロ〟を再び見下ろす。


 じっと。瞬きを忘れたかのように。


「人体実験って奴さ」


「……じ、ん?」


「あー、海外の人間にしたらよぉ。この――コイツ等の持ってる「テクノロジー」ってのが喉から手が出るほど欲しいわけだ。しっかし、知っての通り〝企業〟は一切の技術流出を見止めてねぇ。相手がアメリカだろうが中国だろうが、例外なしだ。だから、諦めきれねェ連中は独自にこのテクノロジーってのを調べて何とかものにしようと頑張ってたわけだ」


 それが、その視線が、意味するもの。


「俺みてぇなのに大金を払って、どうでもいいクズを集めさせてな。その伝手でよ、何度かがあんだよ。実験に使われてブッ壊れたヤツ。二度と起きなくなったヤツ。逆に二度と眠れなくなったヤツもな。いやー、ありゃ悲惨なもんだぜぇ?」


 それが今から解剖しようとする生き物、或いは屠殺される家畜、もしくは分解されて並べられる電化製品を見るような、物体としてどう捌くかと言う視点に基づいたものなのだと知って、〝ゼロ〟は心底から震えあがった。


「詳しくはねぇがよォ。要するに人間てのはいくら眠らないように気を張ったところで、疲労がたまったらぼーっとしたり、数秒だかの短い眠りを細かく取って、少しずつ脳を休ませるんだそうだ。で、それが〝全く出来なくなった〟ら、脳はあっという間に限界を迎えちまうのさ」


 これから皿に並べられる哀れな生き物に向けられる視線。それを向けられることがどういうことなのか、〝ゼロ〟は初めて生身でそれを体感していたのだ。


「正直よぉ、今でも思い出すぜぇ? いくら寝ようとしても、クスリ使っても頭割り開いて電極につながれても眠れなくなった人間ってのはよぉ。動かなくなる、喋らなくなるだけじゃなくて、見る見るうちに……。なんてぇのかなー、肌の色つやが変わるんだ。まるで生きたまま死んでくみてぇによぉ。さっきまで肌色だと思ってたのものが、こう、さーっと、色褪せてくんだ。灰色によぉ。わかるか? 人間の限界ってのが、目に見えるんだ。それで、もうこれで終わったんだなってのが、――分かるんだ」


 一転、〝ソノダ〟は目の前の〝ゼロ〟ではなく、かつて見つめていたであろう、その色褪せるような人の死を想い、虚空を惑う。


「本当に、夢に見るような光景だったぜ」


 そして、独り言のようにぼそりと言った。


 〝ゼロ〟は息をするのも忘れて石のように固まっていた。


 コイツは初めから、彼を人間だとは見ていなかったのだ。人間を人間として扱わないという非現実的な日常に、この男が生きていることがあまりにも恐ろしかった。


「ま、あんまり同情とかはしなかったがな。アイツらは、本当にクズだった。なんてーかな、解る。ってか、解るようになるんだよ。一生、うだつの上がらねェ、生まれついての雑魚ってのが、感覚でな」


 言葉でなら、イメージでなら、絵空事なら、人はいくらでも線を引ける。


 可愛そうだからと肉を喰わないのは現実的ではないし、割を食う人間がいなければ経済は回らない。


 頭ではいくらでも言い訳できるし、理屈もつけられる。線を引ける。


 たとえ自分以外の誰かが何かの犠牲になったのだとしても、しかたがないと人はそれを割り切って生きていける。


 しかし、現実に、目の前の犠牲者を、これから殺されて肉にされる生き物を前にして、線を引ける人間は多くない。


 そんな一線を越えた人間が今自分をで見ている。


「ま、それが解るから、そう言う人間を集めて来るなんて仕事が成り立ったんだけどよぉ」


「そ、それで、その人たちは……」


 訊きたくなどなかった。


 知りたくなどなかったが、問わずにはいられなかった。〝ゼロ〟は震えているのが声ではなく、自分の喉そのものなのだと初めて知った。


「さぁな。俺が知ってんのはそこまでだ。処分したのか連中の国に持ち帰ったのか。――ま、俺の雇い主だった、その『在る連中』ってのも、最後には〝企業〟と警察にとっ掴まってな。ニュースにもなってなかったみてぇだから、内々に処分とかされたんじゃねぇのか?」


 あくまで、知ったことではないとでもいうように、〝ソノダ〟は他人事のように語る。


「この〝企業〟様に、勝てるような国も何もあるわけねぇしなッ」


 〝ソノダ〟はあからさまにシープたちにめがけて言葉を放った。対するベータたちは無言だ。


「――で、そこから芋づる式にオレも掴まって今に至るってのが顛末てんまつよ。ま、俺は唯の共犯だったから、この『ゲーム』程度で済んでるが、実行犯の連中はこの程度じゃすまねぇんだろうなぁ。――まぁ、いい気味だぜ。連中、人を顎で使いやがったからなぁ」


 当然の報いってやつだぜ。と言葉を切り〝ソノダ〟は誰に向けてのものなのかも判然としない嘲笑を浮かべた。


 極上の美酒を舐めるかのような笑いだった。


 〝ゼロ〟の顔は蒼白になっていた。手も足も他人のものように冷ややかで、もはや自分の五体にどの程度の血が通っているかの定かでない。


「わかっただろ? 俺は詳しいのさ! このゲームでの負けは『辛い』とか『刑期がどうとか』ってレベルの話じゃねぇんだ。『負ければ壊れる』それがこのゲームの真実なんだよッ!」


 〝ソノダ〟はそう衆人に言いはなった後で、再び〝ゼロ〟を見る。


「それに、50時間ってのは、コイツ等にも確認はとってある」


 〝ゼロ〟は目を皿のようにして赤を、そしてすぐに白のベータ・シープを見る。


 まさか違うよな? と必死の思いを込めてこの女を見る。――が、


「確かです」


 返ってきたのは、にべもない是正。


「50時間と言うのも、いうなれば希望的な目安と言えます。場合によっては48時間もたない場合も往々に有ります」


 〝ゼロ〟はもはや彼女を睨むことさえできない。


 ただ、茫然とうつろな視線を向けるばかりだ。有りえない。どうしてそんな大事なことを……。


「おう、こっち見ろや」


 現実に引き戻される。〝ゼロ〟はまるでバネ仕掛けのように〝ソノダ〟に向き直る。


「分かるだろ? 俺は最初から命のやり取りだと知ってここに来てんだよ。テメェらとは覚悟が違うッ。指の二、三本ぐれぇどうってことないってくらいの覚悟があんのさ!」


 それは、つまり、「レベル5」の事か? 


 ハッタリだ。――と〝ゼロ〟は断じようとしたが、今〝ソノダ〟の口から語られた生々しい体験談がそれを許さない。


 逆につじつまが合っているように思えてくる。いや、もはや真実でしかないとさえ。


 そりゃあ、それが全部作り話だという可能性だって、もちろんある。


 だが、今の〝ゼロ〟にはそれを判断することも、反論してやり込められるだけの材料もない。


 睡眠が短く済んでも、彼は知能が高いわけでもなく、弁舌に優れるわけでもない。度胸などあろうはずもなく、ましてや自分を騙すだけの狡知さえ持ち合わせていないのだ。


 〝ゼロ〟だ。〝ゼロ〟でしか、ないのだ。


「ぐ、う、う、うぅ……」


 全身から汗が、目尻からは涙が、そして必死につぐむ口の端からは抑えきれぬ悲鳴が漏れ出してしまう。


 だって、その話が本当なら、これから自分は死ぬかもしれない。負けたら死ぬかもしれないということだ。


 たとえ確実でなくても、そんな可能性に、ここまで寄り添われた経験などあるはずもない。


 恐い、いや、恐いなんて言葉では足らなすぎる。


 圧倒的な本能の絶叫が〝ゼロ〟の全身を静かに包み込んでいる。


「お遊び感覚でそこに居るお前らとはちげぇんだよ。ああー、解るか、おぉい?」


 そんな、うつむき、何も言えない〝ゼロ〟の頭を〝ソノダ〟は実際に踏みつけるかのように言葉を浴びせてくる。


「〝ゼロ〟様、どうなさいますか」


 遊び感覚? ――違う。違う、違う違う! そんなつもりじゃない。変えに来たんだ。人生を変えに来たんだ。


「フォールドか、コールか」


 ベータ・シープ達が選択を迫る。


 〝ゼロ〟は押し黙り、ひたすら並べられたカードの背を見つめる。


 意味のない行為でしかないが、そうすることしかできなかった。ボックスに、熱い血のような汗が滴る。


「おいおい、兄ちゃん。やめとけって」


 そこで一転、貝のように動きを止めた〝ゼロ〟に〝ソノダ〟が優しい声で語りかけてくる。


「さっきも言っただろ? 俺ァ底辺の人間を見分けんのを仕事にしてたんだ。わかるか? そう言うのを見分けられるからそう言うことやってたんだ。だからよぉ、断言できるぜ。お前はあのモルモットにされてた連中と何も変わらなーってな」


「ち、がう。俺は――」


 とっさに漏らす否定の言葉はしかし、後が続かない。


 すがるべき根拠の持ち合わせが足りないからだ。そんな〝ゼロ〟に、〝ソノダ〟は一層畳みかけてくる。


「生まれついて、一生勝ちに縁の無ぇ〝雑魚〟だ。お前はそういう奴だ。いやよぉ、お前が悪いんじゃねーのさ。生まれとか運とか環境とか、いろいろあって今のお前になっちまったんだ。みんな同じだったぜ。そっくりだ。お前に」


 そんなわけがない。そんなわけがないそんなわけがない。


 そんじょそこいらに、ショートスリーパーが、〝選ばれた人間〟がいるもんか……。


「俺は――だって、俺は、ショート……」


「だっても何もねぇーんだよッ。いい歳してわかんねぇのか? 決まってんだよ最初からァ!」


 〝ゼロ〟が己に言い聞かせようとする言葉を掻っ攫うように否定して、〝ソノダ〟は、真に諭すかのような口調で〝ゼロ〟に言い聞かせる。


「かわいそうになぁ。こんなとこまで来ちまってよぉ。もう良いんだぜ? 無理しなくていいんだ。人間、出来ることと出来ねぇことがあんのさ、だからここはフォール」


「……―ル」


 〝ゼロ〟の漏らした呟きに〝ソノダ〟はアゴをのけぞらせ、なおかつ大仰に反応して見せる。


「あ? なんだぁ、聞こえねぇなぁ。なぁんだってェ? あぁ――――?」


「コール……」


「――――あぁ?!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る