第8話「一日目」最初の真夜 最初のゲームへ

時刻は、はや真夜まで一時間を切っていた。あと少しで、ゲームが始まる。

 

 何が起こるかわからない。いや、どんなことでも起こってしまいそうな、無法の遊戯が始まるのだ。

 

 重要な点を整理しておこう。と、〝ゼロ〟は一人居住まいを正す。 


 このゲームのキモは、取り合わなければならないはずのチップを、ゲーム以外でも消費し続けなければならないという点にある。


 プレイヤーは全員、8時間分のチップを睡眠とゲームに使用する分に分けているはずだ。


 あの〝アアアア〟のように、この島に来た時点で既に眠たげにしてたやつもいるし、そうでなくとも真夜まではかなりの時間があった。


 周囲に合わせて再び押し黙りつつも、ゼロは他のプレイヤー達の額に光るアンカーを観察する。それらはみな、澄んだ輝きを見せている。


 無論〝ゼロ〟のアンカーも同様だろう。


 皆、おそらくは10ポイント前後のチップを使用しているとみるべきだろう。10ポイントは約2時間分の睡眠をとったこと相当する。


 初日なら、まぁこんなモノだろう。


 無論〝ゼロ〟にしてもそれは同じことなのだが、彼は他のプレイヤーとは事情が異なる。


 そもそもショートスリーパーである彼は、チップをほとんど消費せずにゲームに移ることが可能なのだ。


 事前に1枚。そして、ゲームの直前にもう1枚消費すれば、それで睡眠については問題ないだろう。


 チップ38ポイントを残して、しかも万全のコンディションを保ちながらゲームに臨むやつなど、他に居るはずがない。


 彼は絶対的優位な立場に、最初から居るのである。


 その事実が、対戦相手達の計算を狂わすことだろう。


 〝ゼロ〟の圧倒的な優位を背景にした余裕が、大胆な行動が、最終的には今のブラフを活かすことになる。「持っているのかもしれない」という朧気な懸念に、実体を与えることになる。先の発言は、そのための布石なのだ。


 もう、ゲームは始まっている。これこそメタ・ゲームというものだ。


 己の冴えわたる計画と戦略に一人、再び綽々しゃくしゃくと頷こうとしたところで、ゆっくりと進んでいた車が停止した。


 〝ゼロ〟はたったそれだけのことに、自分でも驚くほど狼狽して頭をぶつけそうになった。




 最初のゲーム会場に着いた。この場にいる誰にとっても、最初の。


「ではおのおの方、手荷物をお預かりします」


 一人のシープが言った。会場に持ち込めるのはゲームに必用なものだけと言うのは聞いている。


〝ゼロ〟はそもそも余計なものは持ってきていない。


 デッキケースに入れられなかったカードは、パークを出るときにすべてベータたちに回収されてしまった。


 金属探知機(カード探知機?)みたいなものまで使っていたから、余分なカードを隠し持ってこれた奴は皆無だろう。


「おぉぉい、じゃあ酒はどうなんだ? こん中で喉が乾いたら、どうすりゃいいんだよッ」


 ヤジでも飛ばすように、或いはウケでも狙うかのように、〝ソノダ〟が威勢のいいがなり声を上げる。


 とことん、紳士的なゲームの空気には合わないオヤジである。


 愛想笑いをしているのは〝ツーペア〟だけで、女子勢もベータも一切無反応。


 しかしこのオヤジは特に気にする様子もなく、ガニ股で御付きのベータににじり寄る。


 まったく理解できない人種だと〝ゼロ〟は改めて思う。自分の言動に対するリアクションとか気になったりしないのだろうか。


「例外は有りません。ですが、ゲーム会場には基本的に軽い飲食の用意はしてありますので問題はないかと」


「おお? そうかい」


 と言った〝ソノダ〟はベータに蓋が開いたままの酒瓶を押し付ける。すると中身がこぼれてぽわぽわの赤いベータの袖を濡らしてしまう。


「おぉ? おー、わりぃな」


 〝ソノダ〟は全く反省の色など見せず、げらげらと笑いながら会場の中へ大股で踏み込む。


 赤ベータは無言で頭を下げただけだった。


 〝ゼロ〟は、あんなオヤジに付いたばっかりに、と、この赤いのに同情した。


「なんか……大変そうスね」


 しかし当の赤ベータは肩を竦め、


「いえいえ、お気になさらず。……これから大変になるのは、プレイヤー様方のほうでございますので」


 と、奇妙なほど滑らかな声で言った。ギョッとして固まるゼロに、


「どうぞ」


 と、反対側から白いシープが声を掛ける。


 気が付けば最後の一人になっていたゼロは両サイドを無貌のシープたちにいざなわれ、入場する。


 ――なんだか、昔の死刑囚みたいだな――両脇をやんわりと固められたゼロは、他人事のように、自分を断頭台へ向かう罪人の様だと思った。






 会場の中には他の「パーク」から来たらしいプレイヤーが二人いた。二人とも男だったが、どんな名前だったのかは思い出せなかった。


 兎角、その二人を合わせてプレイヤーは全部で7人。


 結構集まったな、と〝ゼロ〟はひとりごちた。人の多そうなところを選んでよかった。その点については僥倖ぎょうこうという奴だ。


 なにせ閑散とした会場で対戦相手に拒絶されたらそれまでなのだ。


 勝ってチップを獲得したい〝ゼロ〟にとっては、対戦相手は多い方がいいに決まっている。


「……では。この会場のルールをご解説いたします」


 全員が会場に収まったところで、〝ツーペア〟の御付きのオレンジ色のベータがマイクを手に取った。


 改めて見ると主人である〝ツーペア〟と同じかそれ以上にふくよかで丸っこい奴である。


「…………とはいっても、この会場は特に固有ルールが設けられていないプレーンな会場です。……初日ですので。まぁ、そうなりますよね。……我々ベータの裁量によって何らかの変化をつけることもできますが、今回は最初の夜と言うこともありますので、まずは通常ルールでのゲームをしていただきます。……つまり――」


 なんだか妙に元気のない――もとい、覇気のない声で喋るベータである。


 声は白や赤と同様、結構若そうな感じなのだが、なんというか、奇妙なほどに内実を窺わせないとでも言おうか。


「……ゲームの進行はすべてプレイヤー様にお任せいたします。何かご要望があれば我々が対応いたしますので、お呼びつけください」


 いや、今はベータなんぞよりもゲームが大事だ。集中しろ。〝ゼロ〟は己に言い聞かせる。


 つまりはゲームの相手も、それを受けるかどうかもそれぞれのプレイヤー次第、ということか。


 ある意味ありがたいのかもしれないが、初日にこれではプレイヤーは動きにくいことこの上ない。


「……さぁ、ゲーム開始です」


 丸く広いゲーム会場はパーティーホールのような具合に開けた場所で、部屋の中心にはいくつかの、ゲーム用のボックスが設置されており、丸く囲まれた壁際にはぽつぽつと瀟洒な椅子やテーブルが並べられている。


 あとはトイレ用のドアがあるだけで、とにかく簡素な空間だった。


 とはいえ、床はマーブルカラーの大理石という奴だし、壁も何も日常生活で目にするようなものではない。


 なんと言おうか、兎角とかく意味もない部分に湯水のごとく金を掛けてあるかのような、金をかけるために金をかけたのだと言わんばかりのこしらえという奴である。


 金をつぎ込むことそのものが目的なのだろう。


 つまり、ここはもはや一個の彫像作品のような建物と言えるのかもしれない。


 もっとも、生まれた時からデジタル機器に囲まれて生きてきた〝ゼロ〟にしてみれば、金持ちと言うのは、何が悲しくてこんなうんともすんとも言わない調度品の中で暮らしたがるのかが、常々疑問であった。


 空調の類はないようで、換気扇が回るような音さえ聞こえない。と言うよりも何の音もない。何も聞こえない場所だった。外からの物音が何も聞こえない。


 なんだか、あらゆるものから切り離され、取り残されたような場所のように思えた。この砂漠のような夜の只中に、ただ一つだけ取り残された檻の中に居るような。

 

 誰も声を発しなかった。無音だった。


 奇妙な息苦しさがあった。非日常的な空間がゆえか、居心地の悪さを感じているのは〝ゼロ〟だけではないようで、プレイヤーたちはみな互いに距離を取り、手にしたコップを弄んだり椅子に腰かけて床を見つめてみたり、デッキケースの中身を確認したりと互いに探り合うように視線を走らせている。


 壁際にそって備え付けてある椅子に浅く腰かけたゼロは、隣に直立している白いベータにぼそぼそと声を掛ける。


「――これってさ、……一回もゲームをせずに朝を迎えても構わねぇの? それとも、最低でも一回はゲームしなきゃいけない、とか、あんのかな?」


「今回はこのまま静観なさってもかまいません。我々としてもそれは望むところではありませんが――プレイヤー様方に任せると言った以上は、そのようになるでしょう」


「あくまでも今回は、か」


「はい。時間制限があり最低一回はゲームをしなければならない会場というもの存在します」


「この先に?」


「それは解りません。どのようなルートを通るかにもよりますので」


「そう言うこと、だな。――――――けど、」


 と言って、ゼロは言葉を切る。――けど、それじゃ困るんだよッ。俺は、勝つためにここに来たんだ!



 このゲーム、カードが何枚の勝負であっても、普通に考えれば安全策として「レベル4」を使うことになる。それなら基本的に負けることはないのだ。


 5枚勝負ならレベル4を5枚。3枚勝負なら3枚。1枚勝負でも同じ。とりあえずそれなら負けることはない。と、まずは考えるだろう。


 皆、デッキの大半はレベル4で埋まっているはずだ。


 しかしお互いにレベル4を出し合っても引き分けにしかならない。チップは増えも減りもしないし、使用した分のカードを消費するだけで損だ。


 カードだけ失ってその後はゲームをただ傍観。それではゲームをやる意味が無い。


 だれも、そんな不毛な事態は避けたいはずだ。よって何とかしてこの定石を崩すことを考えるはずである。


 一番いいのはこちらにヤバイ札――レベル5があると思い込ませ、相手に勝負から降りてもらうということだ。


 たとえば5枚セットでの勝負。まずレイズして自分の札を1枚開けるとしよう。これが「レベル1」だったなら相手はどうするだろう?


 もしもその相手のセットが4・4・4・4・4というオール4のセットだったなら〝ゼロ〟のカードセット4・4・4・4・1に勝つのは確実となる。


 定石通りなら〝ゼロ〟の負け。その場合、相手はそのままコール(レイズで吊り上ったのと同じ掛け金を掛ける)するだろう。


 しかし、そこでさらに〝ゼロ〟がもう一度レイズしたら? しかもかなり巨額のレイズだ。


 別に開けるのは「レベル5」じゃなくていい。と言うか「レベル5」なんて持っていない。ただ、「レベル4」を一枚開けてやればいいのだ。


 5枚のうち2枚。1、4とオープンしておきながら、なおも強気でいるヤツに対して相手は何を思うだろうか?


 それが重要なのだ。そこまで強気な理由は? オール4のカードセットに、レベル1が混じったセットで勝てる理由は?


 そこで幻のレベル5が活きてくる。


 相手は勝手に〝ゼロ〟のカードセットを5・5・4・4・1とでも錯覚してくれることだろう。


 もちろん考えなしにやったのでは意味が無い。〝ゼロ〟自身、腹芸に自信があるという訳でもない。


 それでも、チップの変動は自明の理であり紛れもない事実だ。


 たとえば4・4・4・4・1の内、1と4のカードを開示し、さらに20枚、実に4時間分のチップをつぎ込んでくる相手を、訝らない訳にはいかないだろう。


 繰り返しになるが、この長丁場のゲームのキモは虎の子のチップをゲームと睡眠と、両方で消費し続けながら進行していくということだ。


 常人ならば、1日に少なくともチップ20枚4時間分、割り当てられる40枚のうち半分は睡眠に回したいと考えるだろう。


 さらに言うなら、二日目以降もゲームは続くのだ。少しでも今日の分の「睡眠」を明日以降のゲームの為に温存したいと考えるのは必然である。


 だから渋る。大きい勝負を避けて、安全策に逃げる。だが、大きく張らねば最終的な勝ちも望めない。


 だから渋る。チップ温存の為に「睡眠」の浪費を避け、我慢することを選ぶ。だが、このゲームは「選択」すなわち「判断」のゲームだ。


 判断力のぼやけた状態ではゲームの敗北は必至。それを避けるには虎の子のチップをつぎ込まなければならない。


 このぎりぎりのバランスゲームをしくじった奴から脱落していく、という訳だ。


 日を追うごとに、この葛藤は激化していくことだろう。やれやれ、バカみたいなゲームのクセにとことん悪辣にできていやがる。


 だからこそ、不眠症インソムニア・ゲームなんて呼ばれているんだろうけどな。このゲームは。


 故に、普通――つまり常人の考えでは賭けるにしてもせいぜいが5~10ポイント、レイズも大きく張ることなど考えられないだろう。


 しかし〝ゼロ〟だけはこの前提が異なるのだ。


 〝ゼロ〟はショートスリーパー。睡眠のためチップは10ポイント(2時間)あれば万全、さらに言うなら最悪5ポイント(1時間)程度でも問題なく次のゲームに向かうことが出来るだろう。


 〝ゼロ〟にとって、眠る/眠らないというのは、本当にその程度のことでしかないのだ。

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