第6話「一日目」〝アヤト〟との和解

「あの、もし。ご一緒してもよろしいですか」


 と、そこで集中していた〝ゼロ〟のもとへ羽毛のように軽やかな声が掛けられた。


 あらん限りに首をひねって集中していた〝ゼロ〟は、ギョッとして声の方に振り向いた。


 そこに居たのは、あの〝アヤト〟だった。


「あッ! ――――――――ああ、いいよッ、全然。全然ッ」


「ありがとうございます。ゲームの前に皆さんとお話しておきたいと思ったのですけれど、――――正直、あのような方とは、わたくし、ちょっと……」


 どうやら偶然入れ違いになったわけではなく、彼女はあの〝ソノダ〟を避けて〝ゼロ〟に話しかけたかったらしい。


「ああ、――ああそう。そう、なんだ」


 口を突いて出た物言いこそ素気なかったが、〝ゼロ〟は内心では妙に気分が良かった。


 無論、客観的に言うならあの酔っ払いよりはマシだと判断された、というだけの事なのだろうが、それはそれ、これはこれだ。


「だから――困ってましたの。だってこのパークでは、交流を持ちたいと思えるのは、……あなただけですもの」

 

 日本人離れした視線が〝ゼロ〟を見た。そして見つめてきた。


「え、いや俺は、その……俺だって」


「いえ。本当にあなたのような方が居てくれてよかったです。あなたは違いますものね。……とは」


「というと、……他のメンツはみんな、その……『スパ』に」


 すると、〝ゼロ〟の隣に腰かけた少女は、さも汚らわしいと言わんばかりに、年相応のリアクションで嫌悪感を露わにした。


「正直、信じられませんッ」


「だ、だよねぇ。…………ホンットにごめん。ごめんなさい! おれもさっきはバカな勘違いしちゃって」


「いいえ……」


 地に伏すがごとく肩を落とす〝ゼロ〟に、少女は一転、困ったように微笑みかけた。


「でもその、さっきはホントに失礼どころじゃないことを」


 〝ゼロ〟はなんとか謝らねば、と思うが、どうにも言葉が出てこない。


「お気になさらないでください。――だって、わたくしもそうでしたし」


「え?」


 そう言って〝アヤト〟も申し訳なさそうに肩を落とす。


「だって、……この最初の街で、いきなりあんなことを言われて……説明されて、わたくしもその、……動揺してしまいましたもの」


「……そ、そうなんだ」


「ええ、とても。……恥を承知で申しますけれども、わたくし、子供の頃から同性としか付き合いが無くて……その、世間知らずなんです」


「そうなんだ……」


「ですから、誰かと話そうにも他のプレイヤーの方はちょっと。……ですから、貴方のような方がいらして本当に助かりましたわ」


 正直に言えば、圧倒的に生々しいリアルを前に逃げただけなのだが、とにかくあんなチョンボをしたというのに、この少女に軽蔑されていなかったのは幸いだった。と〝ゼロ〟は思う。安易におセックスとかしなくてよかった! とも。


「あれ? でももう一人いるはずなんだけどな。あの、……〝レイア〟っていう」


「ええ。ですが声を掛けてもいい返事をされませんの。剣呑な態度を取られてしまって」


 なんだって? アイツ、いやあの女、そんな性悪だったのか……いや、確かにあんまり素行のよさそうな格好はしてなかったけどな。


「わたくし、嫌われてしまったみたいです」


 そういって、〝アヤト〟はまた細い肩を落とす。


「き、気にしなくって良いって。……いや、その、ほら、俺がいるし」


 言ってみてから『しまった、馴れ馴れしいか?』と焦った〝ゼロ〟だったが、〝アヤト〟は意外にもふわりと微笑んでくれた。


 すると〝ゼロ〟のほうも自然と笑いがこぼれ、二人は物言わず微笑みあった。それは、彼にとって不思議な時間だった。


「あ、そうでしたわ。わたくし、ちょっとわからないことがありまして」


 まるで夢の中で木霊こだまするかのように、〝アヤト〟が言う。


 〝ゼロ〟は微笑んだまま人形のようにカクカクと頷いてから、ハッと我に返った。


「――あ、いや。そ、それならベータに聞けば」


「それが、意味深な事ばかり言うので困ってますの」


「意味深?」


「ええ。――直接は関係ないけれど、或いはゲームの助けになるかもしれない――とかなんとか」


〝アヤト〟はそう言うと自分が腰に下げていたデッキから一枚のカードを取り出し、〝ゼロ〟に見せた。


 それは本来、レベルを現す数字以外には何の文面も刻まれていていないはずのレベル4のカードであった。


 しかし本来空白ブランクなはずのスペースには、通常記されている説明文とは別の書体で書かれた


 『昇る蜘蛛 急いては事を仕損じる』


 という、それだけではどういう意味なのか解らない文章が書きこまれていた。


「これなんですが……」


 しかし、そのカードを目にして、〝ゼロ〟はすぐに彼女が言いたいことを悟った。


「ああ、それは『フレーバーテキスト』ってやつだよ」


「フレーバー? 香り、ですか?」


「うん。なんというか、トレーディングカードなんかだと、こういうカードの空いてる部分を埋めるためにさ、なんというか、料理にする香りづけというか、雰囲気を盛り上げるためのものというか、あんまり意味の無い言葉が書いてあったりするんだ。なんていうか……変なところでこってるよねこのゲーム」


 一息に言い切ってから、〝ゼロ〟はごまかすように笑った。


 他人に何かを解説してあげるというシチュエーション自体、普段の生活では経験が無いので、なんだかこそばゆい感じがした。


「まぁ。お詳しいんですのね」


「いや、ちょっと。……ちょっと、ね」


 自分の得意なことだからと、いきなり饒舌に語り始めるというのは傍から見れば眉をひそめられそうな行いだが、〝アヤト〟は納得した様で、好意的に笑顔を見せてくれる。


 慣れないことはしないほうが良かったかな、と一瞬思った〝ゼロ〟も、すぐにそれを打ち消した。


 こういう話を生身の相手と出来るのは、正直嬉しかった。しかも相手は超美少女と来ている。


 そこで興が乗った〝ゼロ〟が続けてゲームの豆知識など、参考になりそうなことを諸々語っていると、そこで〝アヤト〟がこんなことを言い出した。


「――それはそうと、〝ゼロ〟さんはどうしてこんなゲームにいらしたのかしら? なにをお使いに?」


「なにって?」


 唐突な質問に、〝ゼロ〟はおうむ返しに言葉を返した。


 返した後で少々狼狽えた。なんてバカ丸出しの反応だ――。


「違法なアンカーとか、薬物とか。最近では音響アプリでもそうものがあるとか聞きますわね。そういうものが無ければ『真夜』に出歩くなんてそもそも無理な話じゃありませんか」


「あッ! ――いや、その、いや、えっと……」


 〝ゼロ〟は内心で飛び上がった。


 そうだった。普通はの状態でそんなことが出来るはずがない。だからこその〝違法〟であり〝刑罰〟なのだ。


「……。わたくしは学校の先輩に誘われましたの。かなり高価なものが手に入ったから、と。それでついつい火遊びを」


「お、おれも――まぁ、そんな感じかな」


 〝ゼロ〟はごまかすように頭を掻いて顔をひきつらせた。


 本人としては笑ったつもりだったのだが、うまくいったとは言い難かった。


「……そうですか。バカなことをしたものですわね、お互い」


 しかし〝アヤト〟はそう言って〝ゼロ〟にならうようにして、困ったように微笑んだだけだった。


 ホッとすると同時に、再び、不思議な時間が〝ゼロ〟の身体を包み込む。


 まるで日の光でも浴びるように、〝ゼロ〟は、己のあらゆる表皮面で甘く仄温かい温度を感じとっていた。


 溜息でもこぼしそうな浮遊感さえ伴って。

 

 そして、そう言う比喩的な表現が、決して故なきことではなかったのだと初めて知ったのだ。


 本当に、本当にこんな顔をする人間と言うのは居るのだ。〝ゼロ〟は火照った頬を持て余し、揺蕩たゆたう思考から手を放した。


 考えるのではない、感じるのだ。


 笑顔だけで人はここまで幸福を感じられるのだ。そう思うと、五体を縛っていた嫌な緊張が緩んでいくような気がした。


 心底から、あの不用意な発言で彼女を不快にさせていなかったことを喜んだ。


 そして、少々飛躍しすぎではあったが、今後彼女と戦うのは出来る限りやめようとも思っていた。


 とてもではないが、こんないい娘を、ゲームでとはいえ打ち負かすことは出来ないと思ったのだ。

 

「そ、そろそろ最後のクエストに行かないと」


 しばしの後、これ以上見つめているのは不自然だと気づいた〝ゼロ〟は唐突に顔を背けた。


 少女は不思議そうに、光を放つような瞳で彼を見つめ、首をかしげる。液体みたいな金髪が流れるようにして彼の視界を撫でていく。


「あら? まだ必要ですの? ずいぶん熱心に回ってらしたのに」


 そのしぐさ一つで〝ゼロ〟は再び失語症になりかけたが、そのあたりの詳細については繰り返しになるので割愛する。


「あッ――、ああ。あー、その、まだ、その、レベル5が、足りないんでね。多分黒い屋根のクエストをやれば」


 クエストができる施設はパークに五種類あり、それらにはわかりやすいように五種類の塗料で目印のようなものが描かれたりしていた。


 それぞれを回ってみたところ、色とカードのレベルは対応しているようで、一つのクエスト小屋で貰えるカードのレベルは一定なのだと気づいた。


レベル1は赤色の建物、


レベル2は青色の建物、


レベル3は緑色の建物、


レベル4は白色の建物、


 と言った具合にもらえるカードの数値が違う訳である。ほしいカードがどの色の小屋に対応しているのかが解かる。


 そして、レベル5はまだ入っていない黒い色の建物で手に入れられるはずだ。と〝ゼロ〟はアタリをつけていた。


 しかし、それを聞いた途端〝アヤト〟は顔を曇らせた。輝く月が一瞬で群雲に覆われてしまうかのように。


「――レベル5? ……やめておいた方がよろしいわ。あっても、とても使えませんもの」


「使えない? どうして?」


「申し訳ないのですけれど、……それは、口に出したくありません」


 とにかく、さっきまで笑顔だった美少女が顔を曇らせただけで、〝ゼロ〟は自分でも驚くほど狼狽して、落ち着かなくなってしまう。


 まるで、どうにかしなくてはと遺伝子のレベルで焦燥に駆られているかのように。


 なんとか、――なんとかしなくてはと手足をバタつかせるが、どうにもできるわけがない。



「――ま、まぁ、とにかく行ってみるよ。ごめんね、なんだか嫌な思いさせたみたいで……」


「いえ、わたくしの方こそすみません。説明できないのなら言うべきではありませんでしたわ。こんな事……」


「大丈夫。大丈夫、大丈夫ッ。気にしてないからッ」


 何度も繰り返し、彼女が僅かにはにかんでくれたのを確認してから、〝ゼロ〟は足早に食堂から抜け出した。


 ――――マズい。マズすぎる。あんまり美少女すぎて、リアクションに一喜一憂してしまう。もう少しでショートスリープの能力のことまでバレてしまう所だった。


 しかし、それも仕方がない。〝ゼロ〟はクラスメイトの、ちょっと気が利いたレベルの女生徒ともまともに話し込んだことが無いのだ。


 〝ゼロ〟はアイドルというものに疎かったが(ファンになっても最終的には辛いだけだから)、今はなんとなく、そういうものに入れ込む人間の気持ちが解ったような気がした。


 本当に美しい人と生身で向かい合って過ごすリアルな時間は、バーチャルなデジタル情報を介して接するそういうものとは、全く別物なのだ。


 たとえ自分が向こうにとっての特別な存在でなかったとしても、その他大勢、ファンの一部でしかなかったとしても、そう言う「リアル」と直に接することは、なんというか、悪くないものなのだと。


 だから、自然と考えてしまう。もしもこのゲームで勝利し、元の生活に戻れた時は、今までのように必要以上に卑屈になる態度を辞めるべきかもしれない、と。


 ――いや、それよりも彼女、〝アヤト〟。確か本名だったはずだ。彼女と一緒にこのゲームをクリアする、ということは出来ないか?


 可能性は十分に有るはずだ。いや、考える必要すらない。ゼロが最後の勝者になり、〝企業〟に要求すればそれでいい話ではないか。


 ――急激に、沸き立つが如き全身の血が体温、感覚、思考のすべてを巻き込んで、一つの結論に収束していく。


 出来ることなら――いや、そうじゃない。やるんだ! 俺はゲームをクリアして、彼女と添い遂げる!!


 そうだ。出来る。もともと勝てるゲーム。圧倒的に優位なはずのゲームなのだ。


 自分で勝つだけではなく、もう一人を連れて完全勝利する。――これだ!


 定まった。――と〝ゼロ〟は思った。生まれてから今の今まで、限りなく散漫だった己の行く末、それが急速に定まったのだ。


 そして何かが体中に漲っているのが分かる。


 気力とでもいうのか、熱量というのか、とにかくただ歩くだけでも、いつもは気だるいだけの身体が、酷く軽いのだ。


 もはや、不純な遊楽施設――即ち「おセックス」になど興味はなかった。


 彼に――否、必用なのは、完全なるゲームクリアと言う未来への橋頭保なのである。


 迷いはなかった、足取りも軽く〝ゼロ〟はレベル5のカードを求め、黒斑に塗られた建物を目指した。





 ――中は薄暗かった。レベル5がもらえるはずの黒い色の小屋の中へ、〝ゼロ〟は足を踏み入れる。


 日は傾いているが、石柱に埋め込まれるような形で点々と明りが灯っていた。妙な具合の灯りだ――とは思ったが、さほど気にするようなことでもない。


 特に今の〝ゼロ〟には多少の不気味さなど、どこ吹く風だ。


 クエスト自体は特におかしいこともない、レトロなコンピュータゲームだった。


 他の建物のようにオメガが常駐しておらず無人だったが、自動で動くゲームだからだろうかと思い、さして気にも止めなかった。


 適当なゲームをクリアすると、オモチャの景品のような具合に筐体きょうたいから自動でカードが滑り落ちてきた。


『なんだ簡単だな。なーんの変哲もないカードじゃないか』


 〝ゼロ〟はやれやれと、溜息さえこぼしてこれを拾う。順調すぎて怖いくらいだ。


 むしろ、もうちょっとくらいハードルが高くないと張り合いが無さすぎるな、このゲームは――


 ――と、何気なくカード下部の文面に目を通し、そこで、



 思考が凍り付いた。



 その、レベル5のカードに記載されている文言が、矢庭には理解できなかったのだ。


 レベル5のカードには、簡潔に記してあった。


『このゲームに勝利した者は自らの眼球を一つ提出する。このゲームに勝利した者は本来の100倍のポイントを、好きな対戦相手から奪うことが出来る』


 甘く火照っていたはずの身体から、一気に血の気が失せた。

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