第3話 暗鬼牢アンキロ

     1


 愛も恋も要らない。

 片想いでなければ体だけの関係。

 男は気持ちが良ければ相手が男だろうが女だろうが。

 それを利用して女から乖離させる。

 これで殖えなくなる。

 男同士なら面倒な気を遣わなくていい。

 ムードとかロマンティックとか。

 おまけに避妊とか。

 ただ盲目的に快感を求められる。

 セックスしたい女は女同士ですればいい。

 最近は便利な器具がたくさんある。

 男性器の代わりなんていくらでも。

 したくない女は眺めてればいい。

 想像すればいい。

 腐女子はそれの延長。

 BLは完全に外部視点。

 受けに自分を重ねる娘は自慰でもして。

 攻めに自分を重ねる娘は百合でもして。

 見学希望は腐女子的脳で妄想三昧。

 悪魔がしたかったことは私が遂行する。

 これで人類は限りなくゼロに近づく。

 少子化も高齢化も私の意に沿ってる。

 年中発情期が仇になって。

 性欲肥大症に殺される。

 莫迦みたい。

 さようなら凡庸なヘテロ。

 そうそう。

 メガネっ漢なら。

 残してもいいけど。


     2


 バイト前にスミさんのお見舞いに行くのが日課になった。

 まだベッドから起き上がれない。バイトに行けないのと本業がストップなのとで気の毒。時間かければすっかり元通りになるし。ちょっとの辛抱だし。

 別に日口ヒグチにうゆが望んだから轢き逃げされたわけじゃ。

「テンチョがこれ」

「ありがとう。お客さんにも迷惑よね」

「みんな心配してます。だけどやっぱ入院先まで教えるわけに」

「そう、客入り減ってるんじゃないかしら」

「う、あの」

「いいのよ。テンチョは優しいから話題を出さないけれど」

 スミさん目当てのお客さんが足を運ばなくなってるのは確か。

 にゅー目当てのメガネっ漢がごっそりいなくなった上にこれは痛恨。新たな人員を入れて違う客層をゲットする必要も。テンチョは何も言わないけどみんな重々承知。

 でも絶対に日口にうゆのせいじゃないけど。

 スミさんを轢き逃げした車が見つかったらしい。盗難車の乗り捨て。乗っていた人間は今も逃走中。

 マゼンタに訊いたら。


 往生際が悪いのでしょう。

 すぐに発見されますよ。


 その通りだった。

 盗難車が乗り捨てられていた山奥で首吊り死体が見つかった。車に残っていた指紋その他からその人物だと判明。

 住所不定無職の若者。身元がわかる物を何ももっていない。運転免許証すらなかった。足元にメガネが落ちていたくらいで。

 メガネっ漢なわけない。

 マゼンタに確認したから間違いない。

 アウトロー白衣先生にちょくちょく会える。先生は守熙モリヒロが監禁されているだなんてきっと思いも寄らない。家に帰っていないのだから気にしてもよさそうなのに。

 日口にうゆ以外の人間に漏らしているのだろうか。

 姉に訊いてみる。

「もしもし。いまいい?」

「お友だちが入院してるんだってね。聞いたよ」

「うん、でね、おねーちゃんのだんなさんの」

「もう、名前憶えてって。なあに伝言? それとも直接?」

 知らなそう。

 姉は勘が鋭いから悟ってくれると思ったけど。ない袖は振れない原理。

「ううん、仲良くしてるならいい」

「なにそれ。まるで仲良くしてなかったみたいに」

「そうじゃないの?」

「そうだねえ、たぶん好きあってると思うけどねえ」

「なんか含むなあ。そいえば相手の出方次第、はどうなったの?」

「そうそれ。結婚と本気は別もんなんだ。ちょっとひしひしとね」

「どうゆうこと?」

「うーん、思いの外早かったね。そうじゃないかな、て踏んでたんだけど」

「全然わかんない」

「また今度会ったときにね。まだもう少し整理しないと」

「えーわかんないよ。教えてって」

「ごめん。講義だ。じゃね」

 切られた。

 かけてもきっとムリ。姉は誤魔化さない。本当に講義の時間。

 わざと階段を下りてたらアウトロー白衣先生が上ってきた。

 いつもカッコいい。

 姉情報によるとエレベータが嫌いらしい。止まったらどうするんだ、が口癖で。

「おはようございます」

「ああ、ご苦労様。もう帰りで?」

「はい、弟さんのことなんですけど」

「まさか居場所」

 アウトロー白衣先生の顔つきが変わる。

 でも知らない。知ってても迎えに行けない。生きてることは知ってる。ディスクが届くし。写真もあるし。

 とぼけてきょとんとした顔をしていたら。

「ああ、すんません。知ってるわけ」

「いないんですか」

「なんか連絡取れなくて」

「行方不明ってことですか」

「どこにいるかわからないってのを行方不明て呼ぶなら、まあ」

 好きな人は誰ですか、と言いそうになって抑える。

 まだ姉にも訊いていない。訊けない。切り出し方がわからない。聞けたとしても守熙に伝える手段がない。伝え方もわからない。

 壊れることを願っているのは日口にうゆだけ?

 マゼンタは守熙を殺すつもりはない。界長はそれを望んでいない。もし日口にうゆ界長が最上メガネっ漢守熙を見捨てたら間違いなく。

 人の命ってこんなもん?

 アウトロー白衣先生に救ってもらった命で先生の父違いの弟を殺すことが可能。

「ケンカしてるだけじゃないんですか。なんか揉めてましたよね」

「ああ、あれは、なんつーか恒例で」

 ウソだ。

 守熙はマゼンタのところから命からがら逃げてきて。大好きな兄に守って欲しくて。辛かった。哀しかった。

 それがわからないのか。先生のくせに。

「とにかくあれは見なかったことに」

「心配してないんですか」

「まあ、大丈夫だと」

 そんなわけない。先生の弟の命は日口にうゆが握って。

「あ、まずい。そろそろ」

「死んでたらどうしますか」

 アウトロー白衣先生が足を止めて振り返る。

 なにを莫迦なこと、と呆れ顔で。

「死んでるかもしれませんよ。先生が心配しないから」

「悪い冗談ならやめてくれ。急いでる」

「知りませんよ」

 聞こえなかったみたいだった。

 最終通告だったのに。無視するからいけない。相手にしないからいけない。

 先生の好きな人が殺されてもそんな顔でいられる?

 ムリだ。

 探してやる。先生の好きな人を探してマゼンタに言ってやる。

 メガネっ漢見守り境界界長日口にうゆは全メガネっ漢の味方なんだから。


     3


 もしやしなくても、界長は境界設立して初めての活動になるかも。

 姉の配偶者に都合をつけてもらって会うことにした。

 彼に訊けば絶対何かわかる。そもそも先生と知り合いなのは姉じゃなくて彼のほう。姉に訊いてもわかりそうだけどやっぱり訊きづらい。

 姉なしで姉の配偶者に会うのにもかかわらず、姉はなんとも思ってない。いまだに名前を憶えていないので、仲良くなるきっかけにしてほしいとか思ってるのかも。

 別に仲良くしたくない。

 メガネっ漢じゃないし。

 待ち合わせ場所に行ったらもう来ていた。十分前だからこんなもんかな。どう逆立ちしても女性を待たせるようには感じられない紳士だし。

「もしかして待たせましたか」

「まだ時間じゃないよ」

 キザだ。

 常々キザだとは思ってたけど耐えられるか心配。

 だいたい格好が凄まじい。こんな格好で姉とデートするのか。姉はそうゆうの気にしないからいいけど。

 そっか。気にしないからうまくいってるのか。

 溜息が出るほどカッコいいのは認めるけど同じ区域に入っていたくない。

 メガネっ漢じゃないせいかも。

「浮気してるみたいでが引けるなあ」

「浮気できますか。おねーちゃんそうゆうの許しませんよ」

「みたいだね。気をつけないと」

 やっぱり車だった。

 乗りづらい。姉はフツーの顔でこれに乗るのか。後部座席に乗りたい。

 だけど助手席のドアを開けられた。

「車まずくないですか」

「まずいことしないよ」

「信じても」

「それはもう」

 運転の仕方からいって眼に毒。カッコいいんだけどカッコよさに非の打ちようがないからイライラする。やっかみに近い。

 さっさと話振って帰ろう。バイトもあるし。

「先生のことなんですけど」

「君も狙ってるの?」

「も?」

 なにその展開。

「あれ、お姉さんから聞いてない?」

 まさか。

 そうゆう。

「ふへえ」

「聞いてないなら言わないほうがいいかな」

「おねーちゃんのこと好きですよね」

「好きだよ」

「ならいいです。わかりました」

「え、わかっちゃったの? さすが姉妹だなあ」

「どういう経緯で?」

「ううん、それはまだお姉さんに知られてないと思うんだけど」

「時間の問題です。さ、吐いてください」

 姉の配偶者は困った顔を浮かべて柔和に微笑む。

 確かにカッコいいや。

「先輩は、あ、これ僕が勝手に呼んでるだけなんだけど」

「わかります。どう見ても歳が」

「それはひどいなあ。たった四つなんだけど」

「出会いは?」

「僕が大学入ったばっかのときに偶然、不良グループ相手にたった一人で挑んでる勇ましい中学生がいてね。それが先輩。若気の至りで恥ずかしいけど一目惚れだね。で、きっとフツーに声かけても良くて黙殺、悪くて殴殺。だから僕は頭を使った。これでも頭いいのは自慢だから。どうやったと思う?」

「えークイズですか。うーん、殴られないで済んだってことですよね。土下座して手下にしてください、とか」

「すごい、もうほぼ正解。ケンカお強いですね、先輩と呼ばせてください、て言ったんだ。心臓どきどきで脂汗だらだら。告白するときだってこんなに緊張しないのに」

「告白でしょう?」

「そうだね。遠回り過ぎて気づいてもらえなかったかな。でも顔見知りにはさせてもらえたよ。先輩は学校サボってケンカばかりしてる不良のくせにある時突然医学部に行きたいって言うんだ。もうわけがわからないやらなにやらで。心を入れ替えた理由はいまも教えてもらえないけど、すごくいいこともあった。それはなんでしょう」

「またクイズですか。うーんと、医学部に行きたいってことは勉強するってことですよね。あ、わかった。勉強教えてくれって、家庭教師ですね」

「すごすぎだよ。お姉さんといい勝負だ。これは遺伝子かな」

「話逸れてますよ」

「ごめんごめん。どうもお姉さんに追及されてるみたいで。そう、先輩は僕にバイトやら女の子とのデートやらを一切やめさせて三年間ずっと家庭教師をさせたんだ。これは飛び上がるほどうれしかったね。でも家庭教師以上のことは何もなかったけど」

「寝てないんですか」

「ずいぶんストレートに訊くね。たぶん頼めば応じてくれるとは思う。だけど僕が望んでるのはそういうことじゃないから。なんだかね、寂しいよね」

 弟は寝てるんですけど、と言いそうになって口を押さえる。

 嫉妬心を煽ってどうする。

「伝えましたか」

「伝えるつもりはなかったんだけどいろいろあってね。間接的に伝わっちゃって。だけどなんだそうか、くらいでそれっきり。あとは俺が原因で離婚するとか言いやがったらぶっ殺す、とか凄まれたけど完全にジョークだよ。たぶんさ、付き合いが長いからその延長で、くらいに思ってるんじゃないかな。そうじゃないんだけどわざわざ訂正するのも余裕ないっぽいかなって。それに君のお姉さんに申し訳ない」

「それなら大丈夫です。おねーちゃんは気にしてません」

「気にするよ。本気じゃないならオーケイするなって言いたいよ、僕だったら」

 結婚と本気は別もん。

 姉の言いたいことはこれだった。

 これは伝えない。姉が自分で言うべき。妹は蚊帳の外で何とかすべき。

「両想いじゃないんですか」

「そういうことになるね。君の訊きたいのはそこから先かな」

 先生の好きな人は。

「誰なんですか」

「言えない」

「言ったほうがいいですよ。先生のこと大好きなら」

「それはどのくらい強い脅迫?」

「考え得る最悪の事態を想定してください」

「僕は無傷なんだ」

「先生と両想いの相手が他にいるならそうなります」

「僕が先輩の想い人ってことになってるんだね、君の推理では」

「違うならその証拠を見せてください」

「君のお姉さんと結婚したってのは駄目?」

 結婚と本気は。

「別です。正直に言ってください」

「僕が庇ってるっていう仮説もあるわけだけど。つまり先輩にとってあまり重要度の高くない僕が犠牲になれば、ていう意味ね」

「誰を庇ってるんですか」

「先輩と先輩の周りの人だね」

「先生に弟がいるの知ってますか」

「らしいね。あんまり似てないけど」

「先生、そのことについて何か言ってませんか」

 一瞬だけ、柔和を装った仮面が剥がれた気がする。

 自分で頭がいいと自慢するだけのことはあるかな。

「先輩、ここ最近当直断ってるんですよ。なぜだと思いますか」

「わかりません」

「そんなわけないでしょう。勘のいい血筋の貴女ならわかってるはずだ。居場所を知ってるなら教えていただけませんか。勿論ただで、とは言いません」

「先生のためなら死ねますか」

「死ねませんね。まだ、という但し書き付ですが。もう見てられないんですよ。先輩はぜんぶ自分で背負い込むくせに痛いほど顔に出るんです。僕が力になれればいいけど生憎当てもなく無駄に車を走らせることしか出来ない。でもようやく手掛かりが見つかりそうなんです。お願いします、何か知ってるなら」

「ただでとは言いません、というのはどういう意味ですか」

「僕に出来ることなら何でもする、という意味です。命までは懸けられませんが金銭関係ならいくらでも工面できます」

「お金ならおねーちゃんのものです。それにわたしは先生の弟さんについて何か知ってるといった憶えはないです。わたしが知りたいのはひとつ。先生の両想いの相手を教えてほしい。あなたがそれを知らないなら用はありません。降ろしてください」

「残念ながら、首を縦にはふれないな」

「じゃあ交換条件にします。先生の好きな人について情報を下さい。そうしたら」

「教えていただけるんですね」

「カキ氷が食べたいんです。そこのコンビニに寄ってください」

 駐車場に車が入る。

「ここでさよなら、なんてのは、なしですよ」

「かき氷持ったまま走る莫迦はそうそういないです」

 姉の配偶者は苦渋の表情とは程遠い顔で頷く。憎らしいほど余裕綽々。

 かき氷を買って外に出ようとしたとき凄まじい破壊音。

 地面がぐわんと揺れた。

 大型トラックがコンビニの駐車場に横転。

 駐まっていた車は壊滅的に潰れる。

 中に乗っていた人間も然り。

 日口にうゆは野次馬に紛れてマンゴソースを啜る。

 メール受信。

 邪魔しないでよマゼンタ。

 返信は食べ終わってから。


     4


 アウトロー白衣先生は執刀できなかった。

 膝から崩れて使い物にならなそうだったから。

 そしたら助からないと思うけど。

 姉は大学が夏休みだったからすぐに駆けつけられた。もし講義やゼミの最中だったら来なかったと思う。大学が病院と眼と鼻の先のあるにもかかわらず。例え耳に入っていたとしても。

 配偶者だと露見してしまう恐れがあるから。

 そんな理由で耐えるのだろうか。素知らぬふりをして学生の前で喋り続けるのだろうか。

 姉なら出来る。姉は感情をその他諸々から切り離すことが出来る。いまだってちっとも動揺していない。静かに手術成功を祈っている。

 アウトロー白衣先生のほうが悲惨だ。顔から表情が剥離している。片鱗すら感じられない。壁に額を付けてぼんやりしている。さっきまでは微かに嗚咽も聞こえた。

 仕事にも戻れない。職務放棄も仕方ないかな。

 相当のダメージ。

 両想いの相手は他にいるとして。

 唯一とも言える手掛かりが一時的に口封じの状態。やりすぎたかな。

 あとは姉だけどとても平常に切り出せるムードではなさそう。

 メガネっ漢見守り境界界長としてはこれくらいフツー。

 思い知ったか。でも本当に当直断って夜な夜な守熙を探していたとしたら。

 ちょっと悪いことしたかな。

 血眼になって探しているならそう言えばいい。心配そうな素振りを見せればいい。焦ってどうしようもなくなって八方塞な絶望感を曝せばいい。

 弟を生かすも殺すも日口にうゆの機嫌次第なのだから。

 手術は時間がかかりすぎ。

 空気も重くて息が詰まる。

 トイレに行くふりをしてマゼンタとメール。


 花火が派手すぎたでしょうか。

 お怒りでしたらどうか叱責を。


 別に怒ってない。タイミングばっちりで気持ち悪いくらい。


 喜んでいただけたなら光栄です。

 今回はさすがに逃げ場がなくその場で御用でしたが。

 お望みなら無に帰すことも。


 前回だって捕まっても良かったと言っていたはず。今回は逃がすつもりだったのか。


 言葉足らずで混乱を招いたようですね。

 重ね重ね申し訳ありません。

 よく考えましたらその方が都合がいいかと。

 勿論捕まってもなんら心配は要りません。

 彼らはメガネをかける価値すらないのですから。


 そう。メガネっ漢気取りは滅ぶべき。

 スミさんのお見舞いに。どうせ戻ってもまだ手術室手術中。

 エレベータで上へ。アウトロー白衣先生は移動してないから階段を使う必要なし。

「こんにちは」

「にゅーちゃん」

 反応がやや遅れた。

 考え中だったかな。

「あ、ごめんなさい。今日手ぶら」

「いいのよ。毎日来てくれて、それだけで」

 スミさんの声が震えている気がする。まだ上体を起こせない。

「来週よね。行きたかったのだけど」

 年に二回の大きなイベントがある。

 スミさんはそれにも出られない。

「お遣いなら承りますよ」

「ううん、それは頼んであるわ。ありがとう。そうじゃなくて」

 適当な言葉が浮かばない。

 黙る。居づらい。

 だから日口にうゆのせいじゃないよ。

「ごめんなさい。あのね、聞いてくれる? まだ誰にも言えてないんだけど」

「なんですか」

 厭な予感。

 包帯の間からスミさんの眼が見える。

「ケガは治るんだけど、きれいに治るのよ。だけどね」

 スミさんの目線を辿るまでもなく。

 利き腕。

「字は右でも書けるのだけど、絵はね。こっちじゃないと」

 そんな。

 おかしい。どうして。だって。

「うそ」

「嘘だったらよかったのよ。でもね、嘘じゃないみたいなの。どうしようかしら私」

 こんなの違う。

 名医で有名なアウトロー白衣先生に手術してもらったのに。

 戻ったよ。日口にうゆはもうどこも動かなくなくないよ。

 もうスミさんの描いた漫画は。

「あんまりよね」

 責めてる?

 まるで日口にうゆのせいでスミさんの利き手が動かなくなったみたいな。

 違う。違うの。

 スミさんに頭を下げて退室。

 どういうことマゼンタ。


 それはお気の毒です。

 しかし私にはどうすることも。


 なにそれ。無責任。界長はそんなこと望んでない。


 どうかお鎮まりください。

 私をなじって気が済むのであれば。


 電源を切って手術室前に。

 イライラする。思い通りに運ばない。

 アウトロー白衣先生がいなかった。どこからか怒鳴り声が聞こえる。

 姉の精悍な横顔が見える。

「意識が戻らないんだって。だから先生が」

 奮い立って執刀。

 怒鳴って指示を出している。塞いでいる場合ではないことに気づいた。

 そう。先生が手術してくれなきゃ。

 でもスミさんは。

 あり得ない。手を抜いた?

 先生は最高の外科医て有名で。

「にうちゃん」

 ビックリした。

 姉は虚空を見つめたまま。

「なあに」

「何か言いたいことない?」

 気づいてる。

「ないよ。なんで?」

 バッグのケータイ。

 大丈夫。電源はオフ。

「そっか。いいよ、ないなら」

 ぜんぶ知ってる。

 言えない。言うことなんてない。姉が何を求めてるのかわからない。

 謝罪。真実。思惑。

 殺してないよ。事故だよ。

 助かるよ。

 アウトロー白衣先生が加わればもう。

 日口にうゆは悪くないよ。

「おねーちゃん」

 信じてよ。

「なに?」

「もしさ」

「そうゆう話はしない。私にも哀しいときはあるから」

「もし、だよ」

「にうちゃん」

 姉の声色が鋭かった。こんな声聞いたことない。

 怒ってる?

 もしかしてすごく。

 一緒にいたのに妹だけ助かったから。妹より配偶者のほうが大事だから。妹が代わりに死ねば。

 そうゆうこと?

 赤いランプが消えた。

 遅く。白黒。人とベッド。チューブ。

 成功。

 しましたが。

 同じ光景。同じ。

 同じなのに。

 意識は。

 違う。こんなの絶対。

 戻ってない。

 元の通りにならない。

 姉は何も言わない。

 知ってるくせに。そうだよ、ぜんぶ合ってるよ。

 あなたの実の妹が、あなたの愛する配偶者をこんなにしたんだよ。

 先生は何も言えない。

 名外科医のくせに。そうだよ、とんだ恩知らずだよ。

 あなたが助けた患者が、あなたの大事な友だちをこんなにしたんだよ。

 マゼンタ。

 ちょっと。

 お仕置きが必要。


     5


 イベント終了までに会場内をうろつく界長を探し出し問題用紙を提出せよ。

 全問正解以外はその場で権利失効。挑戦は一度限り。

 メガネっ漢見守り境界副界長の座が欲しくば。

 当たって砕けろ。

「これってあたしは」

「ダメ。界員じゃないし」

「そっすか。けど副なんてすげ名誉すよね」

 事務局長に協力してもらって全界員にメールを出した。

 イベントに来れない勢は端から除外。

 せっかく界長に会えるのに機会を逃すところからして相応しくない。例えどんな重要な用事があろうともすべてを犠牲にしても界長に認めてもらうため己のすべてを曝け出すくらいの勇気がなければ副にしたくない。

「でも見つけられますかね。けっこ広いすよ」

「見つけても合ってないと」

「むしろそっちが難関すか」

「改竄防止に予備があるけどやってみる?」

 受け取る前からコーハイが顔をしかめている。

「あのセンパイ、これ」

「うん、界長の気合いてんこ盛り」

 全百問。一問を除いて五枝択一。

 冊子になってしまった。

 問題文が長いせいかな。

「無理しょ、いくら界員とはいえ」

「界長はぜんぶ出来るよ」

「そりゃまあ、センパイが考えたんすからね」

「そうじゃないよ。ネタは三割SNS、三割サイト、三割日口にうゆ著作」

「で、残りは」

「界長特論。九問選択肢でひとつ記述。メガネっ漢に対する愛が溢れんばかりで、ちょくちょくSNSチェックして、日口にうゆの嗜好知ってれば九割簡単」

「んじゃあそもそも満点は望めないすね」

「わかんないよ。出るかも」

 コーハイの格好が派手だから発見は容易い。これは想定済み。

 挑戦者がいなければ界長もつまらない。答え合わせくらいはさせて。それだけ苦労したんだから。

 出て来いマゼンタ。

 ぜんぶお前へのサーヴィス問題だ。

「え、それ努力賞すか」

「欲しかったら界員になって、やらなきゃだよ」

 努力賞は界長責任編集の界誌臨時号。月一で事務局長が出しているのとは比べ物にならない。図らずもまた活動をしてしまった。

 メール受信は拒否。

 界長はお冠だということをわからせる。直に会って詫びないと許さない。

 イベントは全三日。

 一日目も二日目も全問正解者ゼロ。挑戦者は四十人ほど。数えてないけどたぶんそう。きっともう少し来てるけど発見できない勢がいる。歩く広告塔みたいなコーハイを引き連れているのに。

 ところで界員数はどのくらいだっけ。

 事務局長は権利がないけど不満そうではなかった。年季は事務局長のほうがいってるしぽっと出の副界長より偉い地位だということがわかっている。

 さすが界長が見込んだだけのことはある。

「今日は来ないっすね。日が日すかね」

「男もいると思うけどなあ」

「そうなんすか。ならあたし入っても」

「それで遠慮してたの? 気にすることないのに」

「あ、いや、ダメかな、と」

「ちっともそんなことないよ」

「あ、じゃあお世話になるっす」

 メガネっ漢見守り境界一名界員プラス。

「時間そんなにないけどどうする?」

「挑戦できるもんなら是非」

「じゃ界長はうろうろしてるね。ケータイは禁止だよ」

「ガンバりやす」

 コーハイとはそこで別れた。でもこれで発見確率が減る。

 全問正解は厳しかったかな。

 事務局長から連絡があって最高得点者に変えればどうか、と言われる。まだ終わったわけじゃないのに。諦めるのが早い。

 そもそも界長は副が欲しいわけでも界員のために盛り上がり要素を追加しているわけでも。

 どうして来ないマゼンタ。

 界長自ら催した祭りなのに。

 ブロックを解除して文句を送りつける。痺れを切らした。


 本当にお久しぶりです。

 私なりに反省をしたつもりですがまだお怒りでしょうか。

 みだりに会うのもお恥ずかしく。

 申しワケありませんが私は会場にはおりません。

 しかしながら副界長という地位に眼が眩み問題だけは解かせていただきました。

 会場にいけないならば意味もありませんね。


 来い。いまからなら。


 いいえ、不可能です。

 会場まで遠いのです。

 それに私は人酔いの気があり。


 嘘だ。界長に背信するつもりか。お前の顔だって。


 顔というのは。

 何のお話でしょうか。


 映ってないけど知ってる。わかる。鼻から下が。


 まさかどこぞに届け出るおつもりでは。

 やめたほうがよろしいかと。

 私だけならともかく。

 界長も共犯ですよ。

 それに最上の人質がいることをお忘れなきよう。


 証拠は、と訊くと。

 すぐに写真添付。

 直視できない。

 とても生きているようには見えない肌の色。力も抜けてだらりと垂れ下がった腕。床に張り付いているのがやっと。

 眼が死んでる。死んだ眼球が濁りを呈して。

 誰がこんな。

 メガネっ漢見守り境界界長なのに。率先してメガネっ漢を保護すべきなのに。

 違う。絶対に日口にうゆでは。


 可哀相ですか。

 界長のお望みですよ。

 界長のご希望の通り私は。


 返せ。いますぐ戻せ。全員解放して。


 そんなことをしたらどうなりますか。

 いくら薬でコントロールしていたといえ記憶までは。


 消せ。出来ないはずない。

 界長命令だ。


 出来ません。

 そもそも界長に送ったのは私を認めてもらいたかったが故。

 私という存在を知ってもらいたかったが故。

 彼らは最初から私のものです。

 ようやく可愛くなってきたというのに。

 いまさら解放など。


 狂ってる。おかしい。


 褒め言葉です界長。

 最大の賛辞を受け取って私は嬉しい。

 やっと私は認められた。

 これで心置きなく。


 添付された写真には。

 お馴染みの上半身裸の男。

 仰向けに寝転がって。


 界長認定最上メガネっ漢の。


 下腹部にナイフが。


 守熙ちかおと。


 じゃあ。

 マゼンタは。

 だれ?

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