第2話 平野ティラノ
1
恋も愛も必要ない。
性欲すら超越する。
近いのは視姦。
脳内のヴァーチャルセックス。
実際に性器に触れることなく。
いや体のどの部位にも触れることなく絶頂に達する。
そのためにはどうすればいいか。
ネット依存。
同人的腐女子思考によって妄想の海にダイヴ。
沈んだまま二度と上がってこなければいい。
ぷかぷかと死海に浮かぶ肉の塊のように恍惚を求める。
人類なんか滅べ。
少子化も高齢化も私の意に沿っている。
私は殖えない。
私の遺伝子なんか私を最後に耐えるべきだ。
私は結婚しない。
私は男が好きだけど脳は男だから。
結婚というドグマ的制度に当て嵌まらない。
私が欲しいのはメガネっ漢。
メガネが体の一部になった観賞用の少年。
彼らが私のせいで壊れ崩れ狂っていく様を見続けたい。
暗い瞑い闇の淵で。
悪魔はその昔、人類を滅ぼすためにとある種族を人間界に送り込んだ。
それが私。
両性具有の性的倒錯者。
しかし私は気がついた。
私は人類を滅ぼすために完璧ではない。
悪魔は肝心なところが抜けている。
私がお前に代わって人類を滅ぼせばいいだけ。
両性具有の問題点は生殖能力を失っていないこと。
それを是正するために私はいいことを思いつく。
世界中からヘテロがいなくなれば。
2
ディスクが増える一方で減り得ないものが減っている。
バイト先の顔見知りお客さんからメガネっ漢がごっそり消えてしまった。
知らないふり。気がつかないふり。それの首謀者がわかればディスクが送られなくなるのことくらい承知。
イベント帰りに打ち上げに誘われたが断った。向こうも付き合いが悪いことくらいわかっている。
そもそもメガネっ漢見守り境界は界員一人。界長がこっそり愉しむためにこっそり立ち上げたマイナなもの。境界があったところで表立って何かをしていたわけではない。
そこに誰だったか入界を希望して。メガネっ漢がなんたるかよくわかっていたようなので事務局長に任命したら瞬く間に界員が増えて。
すべて界長の預かり知らぬところで起こっていた。
特に不満はない。盛り上がりたい人だけで盛り上がってくれれば。無理に界長を巻き込んだりしなければ。
いつだったか交通事故に遭った。
免許を取ったばかりで運転に慣れていなかった。せっかく譲り受けた小さくて可愛い車がぺちゃんこ。大型トラックに挑んだって勝ち目ないのに。
運ばれた病院がよかった。救急車に乗せられたときは虫の息だったらしいが評判の外科医がいて。後遺症まるでなし。どこが開いてどこを縫ったのかもわからない。
カッコよかった。
メガネっ漢でなかったが不良系アウトロー白衣。
姉の勤める大学のすぐ傍の病院。付属じゃなくてたまたま近かったから提携してる。実質は大学病院みたいなもんだけど、大学とは違う名前が冠されてるし。
姉とも知り合いだったことがあとで判明。正しくは姉の配偶者の知り合いだったが。
もう一度顔を拝みたい気もするけど別段調子の悪いところもない。姉に言えば意図も簡単に何とかなりそうだけど何となく言いづらい。
妹の趣味が云々。
知り合いの誰かが凄まじい事故に遭えば付き添いで、と不謹慎なことを思いつく。
ディスク製作者もといマゼンタに相談する。
界長がお望みなら何とかしましょうか。
さすがに私が事故るのは不可能ですが。
身の回りで自家用車を利用している人間の検索。
コーハイは同じ路線。スミさんは謎が多くて。
他の子はあまり親しくない。異国語を話す異星人。通じない。翻訳してもらってもわからない。
テンチョはどうだったかな。
店の周りに駐車場はない。バイトに来るといつもテンチョがいて、テンチョに手を振って家路を辿る。
でもテンチョが事故ったら困る。それにテンチョが車で移動していると決まったわけでは。
兄弟姉妹はいませんか。
そちらのほうが自然でしょう。
ダメダメもっとダメ。姉は絶対ダメ。
姉の運転免許証はただのライセンス。デートは絶対助手席。運転席に座らせられない。姉の配偶者もわかっていると核心。曲ってからウィンカを探すなんてあり得ない。
いつどこでと確約は出来ませんが。
少々お待ちいただければ。
やめて、とは言えなかった。
止められるなら最初からマゼンタは反応しない。選択肢はひとつ。話に乗ってきた時点で決められている。呪詛のような予言。
その日は、異常気象ここに極まれりといわんばかりに暑い日だった。
体温より暑い。高熱と同じレベル。
お昼休憩に水場は芋洗いだというニュースを眼にしてうんざり。
バイト先でも先週テンチョの思いつきで急遽始めたカキ氷ばかり売れる。コーハイの手が色とりどりのシロップで染まっている。
「何味売れてるの?」
「いまんとこイチゴすけど、センパイが勧めれば変わるんじゃないすか」
「ふへえ、舌が青いと面白いよね」
「どぞ」
作戦大成功で、みんなブルーハワイを注文するようになった。
ブルーハワイがなくなったのでレモンを勧める。レモンが終わるとメロン。実にヒドイ商売。
閉店時間が来てテンチョが入り口のプレートをひっくり返す。
裏工作がスミさんにバレてくすくす笑われてしまった。コーハイの声がでかいから。
「いろいろあるわよね。グレープとかマンゴとか」
「マンゴってあるんですか」
「ええ、この間食べたわ。確かそこのコンビニでいま」
「ふへえ、食べたい」
「んじゃ帰りに寄ってきましょうよ。あたしもマンゴなら」
「スミさんはどうしますか」
「私はこないだ食べたのよ」
スミさんとテンチョに手を振ってコーハイとコンビニに向かう。
店員に複雑な表情をされた。深夜にカキ氷で何が悪い。
違った。売り切れと言われる。
しぶしぶ店の外に。
「どします?」
「他のコンビニってどうかな」
「カキ氷出すのはここくらいすね。ファーストフード行ってみます?」
「マンゴじゃないよね。ならいい」
食べたいと思ったときに限って食べられない。明日にはもうどうでもよくなってる。スミさんももう少し早く教えてくれれば休憩時に買ってきたのに。
コーハイと話をしながらマゼンタに愚痴メールを送る。
それはいけない。
憂さ晴らしに祭りにお誘いしましょう。
近くで祭りがあるのかな。
駅前がやけに騒がしい。深夜なのに。
赤いライト。ドップラ効果。救急車が近づいてくる。
鬱陶しいくらいの人だかりの合間。ちらりと見えた。
黒い液体まみれ。
倒れているのは。
「センパイ、あれ」
黒くて長い髪。顔にかかっていて。淡い色のロングスカート。ミュールがあちこち。白い腕白い脚。可愛いバックが。
見た。今日見た。
朝とついさっき。
コーハイが駆け寄る。救急車が到着。
付き添いですか。
お願いします。
待ってわたしも。
無音。無声。口の動きだけの会話。
なんだ。
車運転してなくても事故に遭えるじゃん。
3
手術中のランプがついた。
いつもは飄々としているコーハイがしゃくり上げている。肩を抱いてあげる。
大丈夫だから。
すごい先生なんだから。
いてくれて助かった。でももしもあの不良系アウトロー先生がいなかったらどうするつもりだったのか。たまたま当直だったからよかったものの。でも日口にうゆのときも深夜だった。当直ばかりしてる先生なのかな。
家族の人とか連絡したほうがいいと思うけど、スミさんのバックは恐ろしく簡素で。財布と化粧ポーチと手帳だけ。手帳もほとんど事務的なことしか。ケータイは轢かれたときに吹っ飛んで壊れてしまった。
轢き逃げみたいだった。
捕まったのかわからない。早く捕まえて。
だけどもしマゼンタだったら。
日口にうゆは共犯に。
ダメダメ絶対ダメ。マゼンタが捕まったらディスクが届かなくなる。
とにかくマゼンタにメール。
捕まっても平気な奴を使いました。
決して界長に迷惑はかかりません。
どうかご安心を。
そんなこと言ったって捕まっても平気な奴なんか。
いるんですそうゆう輩が。
私は人脈が広いことが唯一の自慢です。
賠償金入院費云々もなんとかしましょう。
ムリムリそんなこと出来るはず。
私ならば可能です。
それは界長が一番良くご存知のはず。
お疲れのところ徹夜させてしまう私をお許しください。
もう信じるしか。マゼンタに関わってしまったときから全面的に頼る以外に方法は。
コーハイのところに戻る。
コーハイは顔を伏せていた。肩が小刻みに震えている。
手術中のランプはちっとも消えない。眠くなってきた。
帰りたいけど。
日口にうゆのせいでスミさんが事故に遭ったわけない。
手術中ランプの前まで行って引き返し、また手術中ランプを睨む。
コーハイはぴくりともしない。寝ているのかと思った。動くだけのエネルギィを垂れ流したせい。
すごく静か。吸い込まれそうな寂莫。
曲がり角付近の壁に影が寄りかかっている。照明の関係で膝から下しか見えない。妙に白い。ジーンズではなさそう。
凄まじい視線。貫通してその先に憎悪。
手術中がそんなに怨めしいのか。
「なんだよ」
じろじろ見ていたのがバレた。
案外若そうな声。近づいてこない。
ふうと安堵。
「てめえの連れか」
「そうです」
「もう死んでんだよ」
コーハイの肩がびくんと痙攣した。声が大きかったからじゃなくて内容に。
「いま言い訳考えてんだよ。これこれこうゆう手を尽くしましたがってな」
「なんでそういうこと言うんすか」
いまのは日口にうゆじゃない。
コーハイが曲がり角を睨んでいる。眼に涙を湛えて。
影は不動。こちらから向こうは見えないけど、きっと向こうからは見えている。向こうは暗いけどこちらは明るい。
「ほおらお出ましだ」
手術中のランプが消えてたくさんの人が出てくる。移動するベッドみたいなのにスミさんをのせて。チューブみたいなのがいっぱい。サイボーグぽい感じで。
不良系アウトロー先生がマスクを取る。
やっぱりカッコいい。
汗の量が半端ない。鋭い眼にも疲労の色が滲む。
手術は成功。
当然。わかっていた。
コーハイがお礼を言いながら頭を下げる。
不良系アウトロー先生がコーナを曲るときに気がつく。さっきの嫌味な影はもういなかった。
何しに来たんだろ。先生の腕も知らずに小生意気な。
エレベータで病室へ。
スミさんは眠っている。コーハイがまた泣き出す。
「よかったす」
「大丈夫だって言ったじゃん」
アウトロー先生が入ってくる。緑のあれじゃなくて白衣。こちらのほうが断然カッコいい。
にやける顔を必死で堪える。
容態について詳しい説明を受ける。ぜんぶ耳から耳に抜ける。コーハイが相槌を打ってくれていた。いつ退院できるかもわざと聞き逃した。
だって無事に決まってる。
トイレに行くふりをしてアウトロー白衣先生の後をつける。
夜の廊下は靴音が反響しやすい。
踵の高い靴がいけない。廊下の造りがいけない。
エレベータに乗るのかと思ったら素通り。階段をすたすたと下りる。
尾行を諦めろと言われているような気が。
早すぎて追いつけない。
最終手段で手すりを滑るか。でもスカートだし。
「あんなもんになに手間取ってんだよ」
声がする。
下の踊り場に白衣らしき裾が。
「家にいろって言ったろ。今日は帰れねえんだから」
「つまんねーし。血のつながった兄弟より赤の他人のほうが大事かよ」
兄弟?
見たい。すごく見たい。
この角度だと頭すら。
「あのなあ、それが俺の仕事だって」
「俺だってひどい目遭って命からがら」
「だから泊まらせてやってるだろ。こんなとこいるよか」
「仮眠室とかあんだろ。そこ」
「駄目だ。おとなしく帰」
れ、が聞こえなかった。
さっきまで見えてた白衣の裾がない。
どこどこ。ゆっくり階段を下りてみる。靴音を消しつつ。
アウトロー白衣先生が兄弟の人を突き飛ばしたとこが。
「なにすんだ」
あわあわ。
「やっとの思いで逃げてきたってのになんで一緒にいてくんないんだよ」
ちゅーしたみたい。
唇が切れている。
「だから俺は仕事が」
「そんなの休めよ。俺のこと心配じゃないのか」
揉めてる。取っ組み合い寸前。
止めたほうがいいような。
こっそり観戦したいような。
「頼むからわがまま言わないでくれ。別にお前のこと心配してないわけじゃ」
「だったら」
「帰れ」
重い沈黙。
息が出来ない。
「俺が壊れたら兄貴のせいだからな」
そう叫んで階段を蹴る音が遠ざかる。いなくなったのは弟かな。
アウトロー白衣先生は溜息をついて。
眼があった。
まずい。どうしよ。
まさか最初から見られていることわかって。
「何か用が」
「ご、ごめんなさい」
怒ってはいなかった。むしろ呆れられている。
「さっきの付き添いの方ですよね」
「あ、はい。実は前に先生にお世話になったことが」
「はあ、それはなんというか」
奇遇。まさかまさか。
「お姉ちゃんもお世話になってるようで」
偶然ではないよ。
「お姉さんが?」
日口にうゆは本名を言う。
よく忘れていなかったな、と自分で感心。
「え、あ、ああ。そうなんですか。じゃあ、あの時の」
「似てませんよね。よく言われるんです」
「まあ、そうですね」
怖い顔のまま表情を崩さないアウトロー白衣先生の驚いた顔が見れた。
姉に感謝。
「弟さんですか」
「やっぱりつけてましたか。階段でまこうと思ったんですがまさかあんなとこに」
「ごめんなさい。でもいいんですか。なんか」
惚れてたみたいな。いや違う。
もっと深い。
「気にしないで下さい、ああゆう奴なんで。すいませんがそろそろ」
「ごめんなさい。ありがとうございました」
アウトロー白衣先生はあっという間に見えなくなる。弟さんが待ち伏せしていなかったら完全にまかれてた。足速すぎ。
時刻確認。終電が行ってしまった。
コーハイはスミさんに付き添うつもりだからいいけど。姉の家も電車に乗らないと。バスもなさそう。
マゼンタが徹夜なんたらと言ったのはそういう意味だったのか。
「うぜー奴だな。いちいちふざけたことしやがって」
階段をゆっくり上がってくる。それがアウトロー白衣先生の弟さんだとわかるのに時間がかかった。
だって。
この顔は。声は。
白っぽいパーカじゃないけど。ズボンも履いているけど。
マゼンタのディスクに映っていた最上メガネっ漢。
そのもの。
「てめえのせいだ。てめえらが他の病院連れてってりゃ」
至近距離で凄まれているけど。
似合いすぎのメガネが気になってそれどころでは。
「消えろ、いますぐ」
「逃げてきたってホントですか」
「はあ? なに勝手に」
「逃げてきたんですね。監禁されてたところから」
弟さんが一瞬怯んだ。
図星。
「よく逃げましたね。あの人いまも捜してると思いますよ血眼になって」
「うっせーな。黙れ」
「知ってますぜんぶ。その人に居場所教えられたくなかったら」
「は、妄想だろ。根拠も」
「いいえ、アドレスも番号も知ってます。このケータイからいますぐ伝えても」
弟さんがケータイを奪おうとするから蹲る。背が低いと役に立つことも。
「寄越せ。そんなもんぶっ壊して」
「叫んでもいいんですよ。そしたらどう見てもあなたのほうが悪い」
覆いかぶさっていた弟さんが舌打ちして離れる。
回転が早い。さすがマゼンタから逃げただけのことは。
「どうゆうことだよ」
「おにーさんの家に連れてってください」
4
「目的は何だ」
「特に」
「んなわけねえだろ。俺と付き合いたいとかだったら」
「別に」
アウトロー白衣先生は車で病院に通っているらしい。望みは叶わないことが発覚。歩くにしたって遠すぎる。
仕方ないからファミレスを探した。
「奢れってことか」
「お金あるんですか」
「ないことはない」
「結構です。貸しは多いほうが」
明るいところで見るとさらにどきどきする。
アウトロー白衣先生と全然似ていない。口調が似ているくらいだけど弟さんのほうが真似したのだろう。
顔は可愛い系だし声は高いほうだし。語気に迫力が欠けている。
「おにーさんのこと好きでしょう」
「だったらなんだよ」
「ふへえ、否定しないんだあ」
「てめ、見て」
見学者がいたことは知らなかったらしい。
とするといちいちふざけたこと、というのは、スミさんの手術で時間をとったことに加えてアウトロー白衣先生と個人的に話したことだけかな。
「うまくいってないみたいですね」
「うっせ」
メニュにマンゴ味のカキ氷を発見。
でももういーや。
「何食べます?」
「いい」
意地張り我慢大会になりそうだったから適当に注文した。喉が渇いていないのでドリンクバーは要らない。深夜だからメニュが少なくてつまらない。
「わたし、ヒグチ」
「兄貴知ってんなら知ってるだろ」
「モリヒロちかおさんですね」
守熙がこちらを睨む。
「なんでそれ」
ケータイで写真を表示。一枚目のディスクのラベルを撮ったもの。
でも名前が書いてあるわけではなくて。マゼンタから教えてもらった偽名。映像でも半裸男に何度か呼ばれていたと思う。
「まあそういうことです」
「なんでてめ」
「いろいろありまして」
「あいつとどういう」
「あんまりしつこいの嫌いです」
守熙が眉をひそめて唇を噛む。
歯向かうとどうなるかよくわかっている。
「観やがったのか」
「もちろん」
「げー最悪。趣味ワル」
「ふへえ」
「なんだそのふへえってのは」
「どうやって逃げたんですか」
「け、誰が」
「そですか」
「あーちょっと待て。わーった。頼むから」
ケータイをチラつかせるだけでこの効果。マゼンタは相当トラウマになっている。お得さんとか他のメガネっ漢も同等まで。
いや、それ以上。
「俺だけ薬の量少なかったからなんとか隙ついて」
「どうやって隙ついたんですか。拘束されてたはずですが」
正しくは監禁。
「忘れた」
「そですか」
「あーもーだから、俺だって出来ればもうなんも」
「俺が壊れたら兄貴のせい、ですもんね」
注文したものが運ばれてきた。守熙がちらちら皿を見る。
「つーかてめ超うぜえ」
「ふへえ、そですか」
「わーった。頼むよやめろ」
「美味しいです」
「つまりなんだ。てめえは何がしたい」
「ただモリヒロさんを眺めてればそれで」
「わけわかんね。頭へーきか?」
「あーんしてください」
「いらねえよ」
「美味しいのになあ」
「あーはいはい。わかりましたよ」
なかなか素直で可愛い。
マゼンタが守熙を監禁しておきたかった理由がよくわかる。
メガネっ漢見守り境界界長日口にうゆとしては、これを訊かないわけにいかない。
「視力はどのくらいですか」
「これ外すとてめえの顔わかんね」
「ふへえ」
「だからそのふへえってのは」
「近視ですね。それも結構進んでる」
「ガキのころゲームしすぎたんだよ。兄貴は全然悪くなんねえのに」
「ふへえ、どんなゲームするんですか」
「RPG」
「具体的には?」
やっぱり。有名どころは全制覇。
ゲームネタを振ったらかなり乗ってきた。急に饒舌になる。
相当好きなのだろう。
お兄さんと同じくらい。
「なんで閉じ込められちゃったんですかね」
守熙の表情が強張る。お冷が空になっている。
「よく思い出せねえ」
「他の人はまだ」
「だろうな。発狂してんのもいんじゃねえか」
違う。違うから。
日口にうゆのせいでメガネっ漢が発狂したわけじゃない。
「なあ、頼むからあいつにもうやめろって言ってくんね? 俺だけ逃げてきてこんなこと頼める義理じゃねえけどよ」
「ヤダっていうかも」
「親しんだろ? たぶんお前が言えばゆうこと聞く気がする」
「他に何人くらいいましたか」
「わかんね。数も数えらんねえくらいヤバかったことしか」
もしかして連続誘拐事件として報道されてるのかも。テレビもニュースも見ないから。
知りたくない。知ったら良心が。
良心が残っていればの問題だけど。
もしマゼンタが捕まったら日口にうゆも共犯?
轢き逃げの件だってたぶんまだ。
「兄貴のこと狙ってんのか」
「ううん全然」
「じゃあなんであんな突っ掛かって」
それはあなたです、と言いそうになってぐっと堪える。
「前に事故って手術してもらったことあって」
「マジで?」
「まじです。安心してください。取りません」
「てめえ如きに取れねえよ。兄貴好きな奴いっし。ぜってー両想いだし」
「ふへえ、モリヒロさんじゃないですね。なあるほど」
睨まれた。
なんだか迫力が足りない。メガネっ漢は須く受けだから。
「俺と兄貴、似てえねえだろ。親父違うんだよ」
「ふへえ」
「いちいち気色わりぃなあ。話には聞いてたよ兄貴がいるって。小四の時だったか、初めて会ったわけで」
「ふへえ」
「それは相槌か?」
「それで一目惚れですね」
「てめえさ、よくわかんね。ふつー引くだろ」
「なんでですか」
「だって、まあいろいろ」
「異父兄弟くらいで諦めちゃいけませんよ。押して押して押しまくるんです」
「変な奴」
「報われない愛は殊に応援します。ファイトです」
「無理だよ。言ったろ、両想いだって」
「その人男の人ですね」
「なんでわかる」
「モリヒロさんが諦めモードだから」
守熙がお冷を欲しそうだったので日口にうゆの分をあげる。口つけていないし。
一気に飲んでしまった。
たぶん誰かに打ち明けたのが初めてだった。緊張している。
「何か飲みますか」
「俺の分は俺が払う」
「情報料です」
メニュを貰って追加注文。ドリンクバーからは逃れられない。だって安いし。
守熙が席に戻ってから先を促す。
「もうねえよ。だいたいこんな話聞いたって」
「相手の人って会ったことありますか」
「ない。だけどそれとなく聞いたらいるってさ」
「探ってあげましょうか。いちおー伝とかありますし」
「え、やっぱそういうのって」
「違います。探偵とかじゃなくて、わたしのおねーちゃん、先生とお知り合いで」
「マジで?」
「まじです。だからもしかしたら何か知ってるかも」
守熙がグラスを持って席を立つ。飲みすぎだと思う。
「知りたくないですか」
「そりゃ、まあ。でも」
「何が心配ですか。こそこそ探ってることがバレておにーさんに嫌われることでしょ。それなら大丈夫です。それとも知りたいけど知りたくないてゆうびみょーな」
「だってもしそいつ、マジカッコよかったら」
「諦めたんじゃないんですか」
「やだよ。確かにだいぶ諦めモード入ってっけど」
「おにーさんが幸せならってやつですか」
「たぶん、まあその」
「優しすぎですよモリヒロさん。そんなんじゃおにーさんは取られたままですよ」
「でも、駄目だよ。兄貴がひとりぼっちだったの俺のせいだし」
「ふへえ、どういうことですか」
「だから、母さんが兄貴ひとり置き去りにして家出てたんだよ。兄貴の父親は単身赴任で、兄貴育てるのには一切関わってねえらしい。で、俺が小四のときにやっと帰って」
「おにーさんそのこと責めてませんね」
「なんでわかんだよ」
「ふへえ、あんなにカッコいいおにーさんはそうは居ません。性欲処理なら相手してくれそうですし」
「たぶん可哀相だと思えば男だろうが女だろうが誰でも義理で寝てくれる。それだけのことだ」
「ふへえ」
「だから、そのふへえは」
5
守熙はおとなしく始電で帰った。
ついていこうかと思ったけどスミさんに会いたくて病院に戻る。病室でコーハイがうとうとしていた。
「あ、センパイおはようございます」
「ごめん。ちょっと外ふらふらしてて」
「いっすよ。あたしも寝てましたし」
「スミさんまだ」
「みたいっすね。一旦お暇しましょか」
顔が白すぎる。いつも真っ白だけどその比じゃない。病人的な白さ。
ケガ人か。
駅で路線図を睨む。乗換えがよくわからない。行きはよかったけど帰りは救急車で送ってもらうわけに。
コーハイもちんぷんかんぷんな顔。検索したけど全然わからない。
姉に連絡してみる。朝は強いはずだからたぶん出てくれる。
「もしもし」
「どうしたの、こんな」
「いまね」
駅名を言う。帰り道がわからない云々。
「え、なんで。いまから行こうか?」
「ううん、乗り換えの駅とか教えてもらえれば」
「ちょっと待ってね」
ひそひそ話し声がする。まさか配偶者と。
いつから一緒に朝を迎えるような仲に。
「そこから二つ目の駅で」
面倒な乗換えだった。憶えられないのでメールにしてもらって電話を切る。すぐに届いた。それを参考に電車に乗る。
「助かりました」
「今日バイトどうしよ」
「あたしは一眠りしたら行きますけど。センパイは」
「午後から。スミさんの様子見て」
「わかりやした」
コーハイより先に電車を降りるのは変な感じ。
部屋のドアポストにディスクが届いていなかった。お詫びメールも届いていない。ケータイではなくてパソコンかも。
添付ファイルは開かないとして。
メガネっ漢見守り境界界長日口にうゆ様。
ディスクをお届けできなくて申し訳ありません。
しかしながら祭りを愉しんでいただけたかと存じますので。
それに代えさせていただければ。
気が向けばで構いませんので添付した写真をご覧下さればと思います。
たまには静止画も一興ですよ。
ウィルスが心配なんだけど。
静止画。かなり気になる。
写真を送るならば画像添付ではなくて写真自体を送って寄越せばいいのに。気が利かない。
その愚痴メールを送ってみる。まだ寝てる可能性も。
すみません気が回らず。
この興奮を一秒でも早く、と思い。
リアルタイムでお伝えする試みだったのですが。
やはり昨日はお帰りになれませんでしたか。
返信が来ないので予想はしておりました。
どうかゆっくりお休みください。
それと私はウィルスを送ったつもりは毛頭ございませんが。
もしも、という場合もございますね。
今後善処致します。
起きている。
マゼンタはいつ寝ているのだろう。どのタイミングで送っても五分以内に返信が来る。よく考えれば恐ろしい。凄まじい執念。
仕方がないので画像の内容だけ訊く。
それは観ていただいたほうが。
言葉で言っても伝わらないような。
あり得ない。マゼンタが日口にうゆ界長に意見している。
そんなに凄い画像なのか。
それはもう。
メガネっ漢境界界員ならば垂涎必須。
況や界長をや、でございます。
どうすべき。
見たい。そんなこと言われれば開くしか。
画像はたったの一枚。
一枚でよかった。一枚で必要充分の破壊力。
添付メールの受信日時を確認。
するまでもない。脳が思考を拒絶する。
そんな。だって。
ついさっきまで。
一緒に。
話して。
お茶を飲んで。ついでに朝ごはんも食べて。
マゼンタから逃げ出した最上メガネっ漢もとい守熙ちかおが。
お馴染みの上半身裸男に拘束されて。
メール受信。
ようやく見つかりました。
これで安心して撮影会に勤しむことが出来ます。
さすがメガネっ漢見守り境界界長ですね。
私たちの関係はまったくもって気取られていない。
このご恩は後々じっくりとお返し致します故。
見られていた。
病院も。ファミレスも。
まさかわざと逃がして反応を愉しんでいた。
あり得なくない。
檻は物理的じゃなくて精神的にすべき。
だから監禁して脳を磨耗させていた。
たぶん、マゼンタは日口にうゆの近くにいる。
吐息が届くほど近くに。
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