うきまだり
伏潮朱遺
第1話 捨て子
1
レジカウンタに近づいても離れても結果は同じ。視界に入っているのは小柄の女性とポニーテールの女性のみ。
いない。
以前は水曜のこの時間にいたのに。
土曜の午後にもいたのを思い出して出向いてみたが空振りに終わる。最寄り駅から二つ目だから毎日来て調べるわけにも。営業時間的にバイト帰りに寄ることも出来ず。
潰れて凹む。
「どしたんすかセンパイ」
「ふへえ」
「ああ、またふへえなんすか」
側頭部から左右に飛び出る髪の束がびゅんびゅん揺れる。テーブルを拭いているのだ。脱力してぼんやりしている代理。頼んでなくてもやってくれる。
「ふへえ」
「で、今日はどんなふへえで?」
「メガネっ漢消失」
「それはおツライ。もしやこないだ言ってたアニマニの?」
「短期バイト君だよきっと」
「訊いてみては」
「ムリ」
「んじゃあたし訊きましょか」
「ダメ」
着替えて戸締り。テンチョに手を振って屋外へ。
コーハイと一緒に街灯の下を歩く。
「ふへえ」
「だいぶショックすね」
電車はガラガラ。キョロキョロしても面白くない。コーハイは途中で降りた。
ぼうっとしていたらアナウンスを聞きそびれた。所要時間から言って間違いなさそう。地下鉄の駅は個性を排している。
無意味無意味。意味はない。取替え可能。代替可能。
アパートの外廊下は眩しいくらい明るい。ドアポストに差し込まれている封筒やらを抱えて部屋内へ。
封筒を破ってディスクを取り出す。テレビをつけてプレーヤにセット。
解像度が悪い。そういう趣旨だから。
音声が聞きづらい。これもそういう趣旨だから。
部屋の照明を落として画面に近づく。
中央に白いものが映り込む。
正味三十分。
2
姉が結婚した。
といっても結婚式も披露宴もなし。婚姻届に必要事項を書いて届け出ただけ。同棲もしていなければ同姓も名乗っていない。
世間的には秘密らしい。職場内恋愛だから。
連絡をもらったときは驚いた。
姉だけは結婚しないと思っていた。男よりも好きなものがあるのだから。一生かけてそれを追求していくものと。
結婚しても姉は何も変わらない。
週一で電話もくれる。メールも頻繁に遣り取りする。昔からずっと一緒だった。大学が近ければ同じ部屋を共同で借りてもよかった。
姉はのろけ話をしない。してほしいわけではない。きっとのろけるような事象が発生していないだけ。
本当に仲良くしているのか心配になって、姉の配偶者を呼びつけたこともある。もちろん姉も一緒に。
予想は的中する。
のろけられるような関係ではなかった。
近いのは友人。たまたま所属する領域が似ていたから共に過ごしている。訴えかけようにも姉はそれで満足している。相手も満面の笑み。決して作り笑顔ではなく。
姉の配偶者はとんでもないほどカッコよかった。さすが面食いの姉だけのことはある。遊んでいる雰囲気はしなくでもないが一旦決めたら誠実を貫いてくれそう。礼儀正しく紳士的。言葉が霧散するほど完璧なルックス。優しげな微笑を向けられたら溜息必須。
さぞ学生にモテそう、と言ったら小声でその通り、と返された。姉は浮気不倫に厳しいだろうと思う。
まさか唾をつけただけだったり。
姉に誤魔化されたからちょっと推理。絶対に何か裏がある。
外見パーフェクト。内面はほぼ姉好み。
玉の輿なのか。金持ちなのか。その線が有力。
車の色は微妙だが安い車ではなさそう。その辺を歩いている分にはすれ違いそうにない車種。
彼が席を立ったのを見計らって追及。
「何もないよ」
「あやしい」
「確かにお金は持ってるみたいだけど別にそれが目当てってわけじゃ」
「やっぱ他にある。なあに?」
姉がメガネのフレームに触る。
妹にはお見通し。焦っているときの証拠。
「教えてよ」
「まだもうちょっと待って。もう少しなんだ。もう少しで」
「すぐ?」
「ううん、相手の出方次第」
「ちっともわかんない」
姉の配偶者が戻ってきてしまったのでそこで終了。
ドリンクバーは飲み放題でうれしいけど持ってくるのが面倒。それが狙いか。
三人で歩くのが苦痛。駅まで送ってもらって別れる。姉も忙しいので別段奇異には映らなかったと期待。
買う予定の商品と日付を照合。見事に空白。買うつもりもないけどなんとなく入ってしまう店というのは存在する。
ふとレジカウンタを見遣る。
いろいろが停止する。ハイスピードの焼付け。
無理に買うものを探してレジに並ぶ。
近い。近すぎ。手元を見るふりをして目元を凝視。
見つけた。
足取り軽くバイト先へ。着替えてフロアに出る。
コーハイがグラスを片付けていた。
「楽しそうすねセンパイ」
「ふへえ」
「今日は楽しそうなふへえだ」
指名された客にも言われる。嘘ではないので訂正しない。
椅子に腰掛けてメガネを外そうとするから。
「あ、それはそのまま」
「いいの? 邪魔だろうに」
「顔はマニュアルにありませんよ」
「まあ確かに」
「昨日の観ましたか」
「観たよ観た観た。あのクオリティは認めるよ。だけどね、原作知ってる側から見るとだいぶ不満がね」
「そですか。わたしはアニメから入ったので」
「今度見てみなよ。絶対いいから」
「わかりました。今何巻くらい」
「先月に最新刊が出たはずだから、そうだね、七巻だね。充分追いつけるよ」
マッサージを終えてふと上を見ると。
「ヒゲだあ」
「うん、伸ばしたてだから文句ばっか言われてるけど」
「お世辞嫌いです」
「だったね。メガネでヒゲかあ」
「でもあんまり沢山だと。このくらいがいいです」
「にゅーちゃん、おじさん好きとか?」
「メガネありきです」
時間が来たので二人目。
この人も顔馴染み。
「聞いてよ、にゅーちゃん。ついにバレちゃって別れるって」
「ふへえ」
「どうしよう」
「なんだか相容れないと思います。そうゆう彼女にしましょう」
「だよねえ。でもにゅーちゃんみたいな子っていなくてさ」
「わたしはダメです」
「わかってるって。にゅーちゃん俺らのアイドルだから手ェ出せないって。それよかクリアしたよ。にゅーちゃんまだ途中だっけ?」
「ふへえ、早い。さすがですねえ」
「結構オモロイよ。前作シリーズこなしてると最後に凄まじい引っ掛けがあるから。それ楽しみに」
「ちょっとネタバレの気配が」
「ああごめんごめん。とにかくこれは投げないでやってみて」
指名が途切れたのでフロアでうろうろ。
コーハイが忙しなく動き回る。そのうち頭の上にカップをのせて給仕できると思う。器用だから。
「すいません、コーヒー」
「追加ですかあ」
テーブルにカップを運ぶ。
知らない顔だった。
お得意さんのほうが多いから入りづらいだろうに。視線が痛くて。
「もしかして
「いえ、にゅーです」
「え、でも」
指名が入ったようなので個室もどき区画に戻る。
隣の部屋から楽しげな笑い声。優しげな声の感じから言ってスミさん。
いまここでバイトをしているのがにゅー。
創作活動をしているのが
それをわかってない。
スミさんだって同じ。コーハイも。ここで働く人はみんな名義が三つ以上ある。テンチョだってそう。
「言わないんですね」
「好みじゃないので外してください」
「これでもいろいろ苦労してるんですよ。暗いところで寝転がって活字を読んでみたり、照明を落としてゲームしたりと」
「無駄な努力ですよ」
勘違いする人が半分はいる。
また訂正が必要かも。
「わたしが好きなのはメガネっ
「メガネが似合うというのは完全ににゅーちゃんの主観でしょう。もう少し詳しく知りたいなあ」
「自分で研究してください」
適当にあしらって時間経過を待つ。
フロアに戻るとき通路でスミさんとすれ違う。ロングの黒髪が綺麗。
「おつかれさま。ここ、会員制ぽくて安心してたのにね」
「ふへえ」
「メディア取材拒否してもお客さんが発信者だものね。ところで進み具合はどう?」
「わたしはへーきです。スミさんの楽しみです」
「ありがとう」
コーハイと一緒に休憩。
スミさんはまた指名。さすが一番人気。
「センパイ、ついに発見したんじゃないすか」
「わかるの?」
「いちおー付き合い長いつもりでいますから」
「いつも行くアニマニの店員さん。最近入ったみたい。どんぴしゃ」
「へえ、あたしもお目にかかりたい」
「ダメ減る」
「ヒゲもすか?」
「童顔なのに変な感じ。アンバランスがまたよし」
「んじゃ初の満点で?」
「うーん、満点突き抜けてる」
「ますます見てみたい」
「だめー」
好きなものについて議論し幸せを多人数で分かち合いたいのとは縁遠い。むしろこっそり楽しみたい。
いいものは誰にも言わない。黙して秘める。
厭きてきたら外に出す。それで齟齬が起こる。
わかってもらいたいから喋るのではない。
気にしない。
3
バイトが休みでよかった。例え休みでなくても休むしか。
隈ができて瞼が重い。
睡眠不足だからこれから寝ようと思ってベッドに横になる。
眼が冴えて寝付けない。
眼を瞑ると映像が途切れ途切れで再現。ダイジェスト版で。印象に残ったシーンをつなぐ場面を脳が勝手に創作。完全新作になってる。
先が気になって睡眠導入口から引き返す。徹夜に向かない体質なのにすでに眠気が吹き飛んでいる。空腹も感じない。喉も乾かない。自動思考が可能。
馴染みのないサイズの封筒が届いていた。
振るとガサガサ。リターンなし。宛名も手書きではなく印刷。空気入りのクッションに挟まれてディスクが出てくる。
そこで半時間くらい迷った。
ラベルに印刷された文字に心惹かれる。こちらの嗜好が完全に読まれている。サイトで大っぴらに公言しているとはいえ。
ゲームではなく映像のようだった。恐る恐るプレーヤにセット。もし壊れるならせめて映像を再生し終わってからに、と祈る。
薄暗い部屋に人間が二人。
拘束されたほうは顔含め足先まですべてがアップで映るが、自由が利くほうは基本的に鼻から上が映らない。アングルが切り替わらないのでカメラは一台。どこかに固定して録られた映像。
声の量は圧倒的に拘束されたほうが多い。口が悪い。公共では放送できないような単語がぼんぼん飛び出す。自らを拘束した相手に対して怒りを向けているのだが、当の本人はまったく相手にしない。無視して質の違う音声を発させようといろいろ工作する。
上半身は白っぽいパーカ。下半身はよく見えない。たまに、病的に白い膝が映りこむのでもしかしたら何も履いていない。
鼻から上が映らないほうは上半身裸にジーンズ。裾が擦り切れている。丈が長いせい。腰ではいているせいも。
座らされているほうに釘付けてしまう。
店員さん以上にメガネっ漢。
店員さんが満点突き抜けだとしたら、彼は満点ぶち超え。ヒゲがなくても構わない。そもそもヒゲはオプション。メガネありきの話。なくて完璧ならないほうがいい。
ところで、なぜこれが送られてきたのか考える。
住所は間違いなくここ。世界で一番心許ない普通郵便。見たことのない切手に消印。県内ではなさそう。
検索エンジンで捜索。
通っていた大学のある県。知らなかった。
まさか大学で一緒。そうだとしたら憶えていないわけがない。わざとその場所から送ったという可能性だって。
正直に言うと、この最強メガネっ漢に会いたい。
それには証拠が少なすぎる。このまま警察に持っていっても好転は望めない。むしろ厄介になる。
監禁されているようだから助ければ。
ディスクの内容は途中で終わっているように思えて仕方ない。続きが観たい。また送ってくれればいいのに。問い合わせも出来ない。
がさ、と何かが落ちた音。玄関。
続きだ。
封筒サイズも宛名の印刷も切手の合計金額も消印場所も同じ。
違うのはラベルに2の数字。プレイヤにセット。
何が映っているのかわからない。
荒い声と途切れる息遣い。
揺れる天井揺れる床。
肉の衝突と液体の潤滑。
繋がって離れてそれでも放さない。
白い粘液が滴ったところで唐突に画面がブラックアウト。
しばらく放心していた。
何も考えられない。考えるだけの取っ掛かりが排除された。けばけばの側面をやすりで削られてつるつるに。
それが空白だとわかるのにまた時間がかかった。
立ち上がってもどうして立ち上がる必要があるのかわからない。不純物が濾されて透明になった純水。無菌滅菌。見ているものがわからない。
パソコンを立ち上げてメールを返信。
ダメ。入力した端から忘れて。
映像によって何かを伝えようとしているのではない。誰かに観てもらう前からこの映像は世界から断絶している。録画された瞬間に目的は完遂。
ばら撒かれただけ。
外に出て隣の部屋のドアポストを見る。
ない。反対側もない。二つ隣の部屋にもない。アパートは、ほとんど留守だからこの部屋に届けられていないとしたら偶然の選択の結果。
或いは
悪戯にしては手が込みすぎ。住所だって公開してない。表札も出していないし。
急に気分が悪くなる。
喉元を摑まれて、至近距離で射られている。
やめたい。それが狙いか。何か気分を害するようなことをしているのか。
ブラックレタより無気味。誹謗中傷メールより悪質。
手掛かりゼロ。
それから毎日、趣旨の違うディスクが届くようになる。
4
三枚目はストーリィらしき様相を帯びていた。
しかしやることは同じ。およそ平和とは程遠い暴力そのもの。俳優も依然として同一の二人。全身を拘束された蒼白いメガネっ漢が、鼻から下しか映らない半裸男に陵辱されるという。
なんだか記憶の端に引っ掛かるものを感じる。
同じ部先輩後輩なんてありがちにも程が。そのせいか。
ネタ飽和でシチュエーションも基本使い回し。アレンジも限られてくる。この状況をこの二人で体験させることに重きが置かれてくる。三大王道ネタの看病、記憶喪失、魂入れ替わりがいい例。酔った勢いというのもよくある。
本棚を漁る。
タイトルは忘れた。表紙は憶えている。
これでもない。これでも。
あった。
ディスクを送りつけた奴はこれを読んだことがある。
普通に攻めている分にはこの運びになることはまずあり得ない。確実なマイナ路線。セリフもそのまま。実写版。
原作者としては出来るならファンタジのまま放っておいてほしい。これは現実の世界では起こっていないことになっている。脳が発酵している者たちが妄想した空想の産物。
原作者に評価してほしい、という意図も感じられない。これは録れば終わり。誰に見せるわけでなく脅しとして使用するのが好ましい。これをばら撒かれたくなかったら、という具合に。
四枚目は第三作目だった。二作目を飛ばしたのはこのキャストでは再現不可能だったからだろうと思ったら、五枚目できっちり映像化してきた。
年齢的にムリ。どう見てもあの二人はとうに二十歳を超えている。でも五作目で描かれているのは小学生。
吐き気を催して実際戻した。
原作者はここにいるのに。全人類のうち誰の脳で考えたのか思い出したらまた気持ちが悪くなった。頭痛と吐き気が同時に襲って息が出来なくなった。もし重力がなかったら宙に放り出されてふわふわ漂っていただろう。
六枚目は開封せずに玄関の脇に置いてある。内容はわかっている。
これを日の高いうちから観賞できる人間は存在しない。ほぼ乱交。最初から最後まで裸体しか出現しない。意識が飛び恍惚を貪る様子を描いただけの無意味な内容。
もしこのディスク製作者が
何も思いつかない。妄想の泉が枯渇する。サイトも更新できない。サイトが更新できないという連絡さえできない。メールも返せない。
事実上、活動は停止された。
キーボードを叩かなくなって一週間。
何とかバイトには行くがコーハイもスミさんも不審がる。テンチョにも相談できない。たぶんこういうのは他言無用で、誰かに話したりSOSサインを発したら監禁されているメガネっ漢が殺される。
彼は人質。
「にゅーちゃん最近元気ない?」
「そですか」
「ふへえ、も聞けないし。大丈夫?」
「ふへえ」
「ほら、元気ないふへえなんだよ。活力を吸い取られてる感じで」
「そかもです」
まずい。確実にまずい。
ふたりは別人。しっかりしなければ。接待客商売。
毎日来てくれるお得意さんが来なかった。
どんなに忙しくても顔見せに来てくれるのに。愛想をつかされてしまったのか。ここずっとあまり会話が弾まなかったから。満点には達しないもののまあまあほどほどのメガネっ漢だったのに。
悪循環でエネルギィ低下。底を尽きそうな予感。
テンチョの計らいで早退が決まる。
ぽっかり空いた空洞に魅せられている。飛び込んで闇の一部になりたい。
さすがお見通し。
明日は定休日だから一日充電。
了解で。
ドアポストを見るのが怖いような楽しみなような。
七枚目はラベルからして違った。連番がない。タイトルも違う。
違う意味で心惹かれる響き。
手が震える。ディスクを入れ替えるだけの動作で。
また同じ部屋。薄暗い。
やけに白いものが画面中央に。拘束されていない。地べたにへばりついている。ちょうどそこだけ重力が多めになっているみたいに。呂律が回っていない。酔ったり寝ぼけたりというよりその手の薬を連想させる。
自由に動ける上半身裸の男が、寝転がっているほうを足の甲でひっくり返す。
全身に寒気が走る。
お得意さんだった。
彼は来なかったわけではない。来れなかった。ディスク作成者に監禁されて外に出られなかった。
白っぽいパーカのメガネっ漢は今回は出演しない。
やることは同じ。
抵抗できない状況に陥れて暴力的に陵辱。
ストーリイ仕立てに出来ないのはまだ慣れていないから。お得意さんも白っぽいパーカメガネっ漢のように強制トレーニングをさせられている。その第一幕。
お得意さんは選択的に誘拐された。
パソコンを立ち上げてサイトを開く。日記のページをスクロール。これを全消去したところで意味がない。向こうはすでに脳内に保存済み。
すべては、
わからない程度に個人情報を伏せていあるつもりなのに。わかる人にはわかってしまう。やはり
しかし創作活動ならストップされている。これは変化球ブラックレタではないのか。
お得意さんがさらわれた時点で実質被害は拡大している。ならば意味を取り違えていると改めるべきか。
電話が鳴った。姉からだ。
「もしもし」
「明日休みだよね。ちょうど私も」
「実はちょっと立て込んでて」
「そうなの? じゃあダメかあ」
姉に相談したい。
姉の専門は心理学。どう切り出せば怪しくない?
「そういえば最近更新滞ってない? そんなに忙しいの?」
「ちょっとスランプ」
「日記も書けないくらい?」
まさか
「キーボード触る気が起きなくて」
「それはヒドイ。大丈夫? にうちゃんてそういうの初めてじゃない?」
「おねーちゃんはそういう時どうするの?」
「ううん、時期を待つかな。もしかしたら転機かもしれないし」
「好転すればいいけど」
「退化も進化の一種だからね。次のは上がってるんでしょ。なら少し休んでも平気じゃない?」
迷惑掛けたくない。姉は優しいから。
ディスク製作者は、
「サイト放置ってまずいかな」
「更新楽しみにしてる人もいるからね。ほどほどでいいからやっぱり」
「わかった。ありがと」
「そうそう、こないだ言ってたメガネっ漢。アニマニの。観てきたよ」
「ふへえ、わざわざ」
「だって見たいじゃん。にうちゃんの満点ぶち超えなんて一緒かかってもひとりいるかいないかだよ。逃したら勿体ない」
「キョージュって暇だあ」
「それほどでも」
電話を切って六枚目を玄関まで取りに行く。久し振りに日記をアップして謝罪。
しばらくのろのろペースになるかもです。
5
いままで届いたディスクは八枚。
一枚目は弁論大会。放送禁止用語過多。狂う前のメガネっ漢。
二枚目は最上メガネっ漢の陵辱と調教。純然たる性的奴隷にするために。
三枚目は日口にうゆ第一作目の実写版。部活内上下関係の悪用。
四枚目は日口にうゆ第三作目の実写版。実の兄弟における禁断。
五枚目は日口にうゆ第二作目の実写版。幼馴染小学生の好奇心。
六枚目は日口にうゆ第四作目の実写版。サバトを凌ぐ変態乱交。
七枚目はにゅーバイト先お得意さん訓練。おそらく二人同時を狙って。
八枚目は日口にうゆ第五作目の実写版。少年を飼うご主人様。
基本的にどれも成人指定。性的な興奮というより恐怖や不快感を煽っている。人間が壊されていく様子を表現することによって。
つまりこれを射精産業の一環にするには趣旨がずれており、ある程度屈折した性嗜好を持った人間なら、舌なめずりしながらニヤニヤ顔で観賞するかもしれない。免疫のない人種にとっては毒にしかならない。むしろトラウマになる。好奇心は身を滅ぼすとはよく言ったもので。
暴力性と所有欲は、画面の中で繰り返し犯されるメガネっ漢に向けられたものではない。あくまで日口にうゆに何らかの絶対的要求を訴えるため。
それがわからない。
朝から雨足が強かった。客入りが五割ほど落ちている。電車が止まっているのかも。ここを訪れる客は、天候に左右されて外出を決めるようなタイプではないはずなのに。
指名が入って個室もどきに向かう。
知らない顔だった。メガネっ漢でないし。
脳天から足先までじろじろ見られている。かなり不快。
「そーゆー店じゃないです」
「話するだけってこと?」
「プランはこっちです」
「へえ、なんだか当たり障りない感じだね。雨宿りのつもりで入ったんだけど場違いだったかな」
「オタの聖地ですよ」
「みたいだねえっと、にゅーちゃん。写真撮らせてもらいたいんだけど」
馴れ馴れしい。初対面のくせに。
でも我慢。
それがバイトといえプロの接客業。
「写真はこちらから選んでください」
「一挙一動で料金が発生するシステムは面倒だね。これでいいや」
「こっちのほうがお得ですよ。一緒に映れますし」
「記念撮影じゃなくてね、にゅーちゃんを撮りたいだけ。はいこっち」
シャッタは二回まで。撮られた写真は確認して不快に思ったら保存させない。
バストアップと全身。
気に入らない客とはいえ、写った表情は最上。
さすがナンバー2、とか自画自賛。
「おーけです。まだ時間ありますけど」
「ふつーどんな話するの?」
「最近ハマっているアニメ、コミック、ゲーム等の話題ですね。そこから派生してイベントや」
「僕のこと見たことない?」
なんとも古いナンパテク。もう博物館入りしそうな感じなのに。
「来たの初めてですよね」
「イベントふらふらするの好きなんだけどなあ」
きっと適当なこと言ってるだけ。それか話題に乗るために便乗してる。
ちょっとムカつく。
「時間です」
「延長は?」
「そーゆー店じゃないです」
一旦スタッフルームに戻る。
湿気で髪がふにゃふにゃ。疲れた顔してたみたいでテンチョが労ってくれた。
あの客はフロアに居る。
コーハイに紅茶を注文して。
「雨已みそうにないね」
「已んだら帰るんですか」
「冷たいなあ。ここ結構気に入ったってのに」
童顔のくせにチャラ男。背丈はさほど高くない。年齢は同じか少し下。年上には思えない。余裕ぶってるだけで。ペンダントトップがヘアピンにしか見えない。
休憩時にコーハイにそう漏らしたら大笑い。
「あーそっすか。どーりでどっかで見たような。いや、あたしも気になってはいたんすけどね」
「たまに変なの来るよね。巷で流行ってるからって物見遊山」
「まあ足運んでくれるのはうれしっすけど、確かにさっきのあれは先輩に対してなんつーかううん。ばしってゆうべきでしたかね」
お得意さんは今日も来なかった。
早く助けてあげたい。このまま手をこまねいていたらメガネっ漢が絶滅してしまう。そんな勝手なことをさせるわけには。
夜になって雨は已んだ。
傘が重い。お気に入りだから引きずれない。
ドアポストは空っぽだった。メールが届いている。添付ファイルは開けないとして。
タイトルから言って読むしか。
メガネっ漢見守り
はじめまして。
お楽しみいただいておりますでしょうか。
まだまだ不出来なところもありお恥ずかしいのですが、
キャストだけは自信が御座います。
本日お送りできなかった言い訳をさせてください。
一名逃亡を企てた輩がおりまして、
私にとっても重大な損失であり一日中探し回っておりました。
結局見つからず今日のところは引き上げた次第です。
また明日捜索を続けますがおそらく発見できない可能性が高い。
よって新しいキャストを探しに参ります。
つきましてはご希望がございましたら。
三回読み返してようやく意味が取れた。しかし発信者の真意は汲み取れていない。
返信すべきか否か。
ディスク製作者が寄越した、初めてのメッセージらしいメッセージ。
相手にしてほしいから発信した。
メガネっ漢見守り境界界長日口にうゆに。
言い訳なんかどうでもよかったはず。逃亡者だってウソの可能性も。
白っぽいパーカ最上メガネっ漢。お得意さん。
どちらが逃げたのだろう。
二択ではないかも。もっとたくさん捕らえられている。映像が届いていないだけで。
ご希望がございましたら。
日口にうゆが望めば誰でも誘拐してくるということ。
ますます不可解。まるでディスク製作者は境界界長である日口にうゆのためにこれらの映像を撮ってわざわざ送って来たかのよう。
境界の界員。近いのは狂信者。
サイト上に界員名簿があったはず。
手掛かりもないのに。界員でない可能性だって。
男女比で言ったら明らかに女性。しかし性別を登録する欄がない。男性だって境界に入りたいかもしれない。
名義とメールアドレスがあれば界員番号が発行される。ネット上の付き合いが主。たまにオフ会がある。主催は事務局長が全部やってくれる。
界長は呼ばれて出向くだけ。界長は界員とのふれあいを求めていない。
観たい。
観れるものなら。禁じられて観れなくても是が非でも観てみたい。
日口にうゆはメガネっ漢見守り境界界長なのだから満点突き抜けメガネっ漢なら絶対にこの眼球で捉えて網膜に焼き付けて視覚映像として再生して。
気づいたらキーボードを叩いていた。
返信。
アニマニて知ってる?
わたしの家から一番近い店舗にね。
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