月夜の晩に

石燕 鴎

第1話

 青年はメダルゲームが好きだった。あのメダルの完璧な円状がコイン投入口にすぅっと入る。当たり外れはどうでもよくて、ただその投入の際の快感を彼は愛していた。転じて彼は球状のものも好きである。例えば野球のボールである。あの綺麗な球が軌道を描いていくさまが好きで好きでたまらない。円と球が好きな彼は両方を兼ね備えた月が好きであった。

 とある年の中秋の名月。彼は大好きな月を見上げるため散歩に向かう。曇り空であるが、満月が薄っすらと観察できる。青年は雲を不快に思いながらも、その雲がかかることで朧げになる月も美しいと思いながら歩いていた。

 しばらく散歩していると近所で見かけたことのない女性が川べりに座り込んでいた。青年はまじまじと女性の方を見る。彼女は頭以外は球体でも円状でもなく、肩から足に至るまで滑らかな曲線で構成されていた。青年の視線を感じたのか、女性は振り返り、青年のことを見つけた。

「どうしましたかお姉さん」

 青年は出来るだけ明るい声を出し、女性に声をかけた。不信感を抱かれたくなかったのである。女性はその声を聞いて俯きながらか細い声を出した。

「放っておいてください。私は月に帰りたいのです」

「月に帰りたい?あなたはなよ竹の姫君かい?」

  青年はくすりと笑い、女性との距離を詰めようもした。しかし、どれだけ川の土手を降りても女性との距離が縮まらない。途中で諦めて女性の声が届く距離で青年は止まった。女性はぼそぼそとこう告げた。

「私はかぐや姫でも何でもありません。ただの、普通の、女です。月という美しい極楽浄土に行きたいだけです」

青年はこくり、と首を傾げた。

「ということは君はなにか事情があってお月様に行きたいと言うことだね。でも残念ながら自ずから死ぬと完璧で美しい月にはいけないよ。3つの死後の世界で迷うだけさ。閻魔様もそこまで暇じゃないと思うし、僕でよければ君の話を聞かせてくれないかい?」

 女性はすっきりしない口調ではあるが、これまであったことを話し始めた。自分はOLで職場のお局にいじめられている、とか結婚詐欺に引っかかってしまった、またFXで貯金を溶かしたなど可愛そう半分、自業自得半分の話であった。青年は女性の話を見上げながら散歩を始めた際には朧げであった月が段々と雲が晴れ、綺麗な円状の月になっていくのを眺めていた。彼女の話も終わりが見え始めた。青年は彼女の最後の言い分を聞いてからこう言った。

「生きていれば色々あるし死にたくなるときも色々ある。でも生きていればこうして一夜かぎりの縁をつなぐこともできる。大丈夫。君の頭部はとても綺麗な球状をしている。そういう頭にはエネルギーが集約されるからそのうちいいことあるさ」

彼は彼なりの理論で彼女を励ましたつもりである。彼女はさっぱりとした顔で「そうですね」と言った。彼女は「もう、大丈夫です。今日は色々話を聞いていただきありがとうございます」と礼を述べ、立ち上がった。きっと家に帰るのであろう。

青年は相変わらず月を見上げながら「お気をつけて」といい、ラフに手を振ったのである。青年が気がつくと女性の姿はなかった。青年は心の中で「少しいいことしたかな」と思い、ぼんやりとくっきりと綺麗になった月を観察していた。いつまでも、月が沈むまでその場所を離れず、月を見ていた。

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月夜の晩に 石燕 鴎 @sekien_kamome

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