第27話 修羅と戦姫②

「具合はどうだ?」


 俺の顔を至近距離から覗き込んでヒルダが言う。


「ああ、だいぶ楽になった。握力はまだ完全とはいかないが、まあ何とかなる範囲だな」


「そうか。まだ暫くは保つ。ギリギリまで休むがいい」


「そろそろ起き上がれそうなんだがな?」


「そうはやるな。まだ時はある」


 どうやら話が通じないようだ。何がと言えば、俺はいま何故だか分からないがヒルダに膝枕をされて寝ている。

 何故、なすがままなのかと言えば、単純に腕力で敵わないだけの話だ。

 俺よりは遥かに細身のはずだが、驚くべき膂力をもって俺の頭はヒルダの膝に据えられた。

 当然、俺は何故そんなことをするのかと問うた──


「戦いの後に男を癒すのは女の務めだ」


 ──などと、何とも姉御的な台詞が返ってきたことで疲労感が増した俺は、それ以上の抵抗を諦めた。

 まあ、悪い気はしない。というか、居心地はだいぶ良い。俺も男だ。

 余談だが、先程の不意打ち──口移しでポーションを飲まされた件についてもヒルダはこう言った。


「その手では瓶の蓋が開けられぬであろう?」


 その通りではある。だが、それなら蓋を開けてくれるだけでいいと言おかとも思ったが……とりあえず、疲れもあってその話も切り上げた。


「ヒルダ、ここが何処だかは分かるのか?」


「さあな。私とて《蟲穴むしあな》の下がこんなにも広大だったと知ったのは今日が初めてだ」


 つまり、脱出するには先の続きを繰り広げることが決定した。戦力が増えたとはいえ、なかなかに厳しい。


「心配は無用だ、グレン。虫けら相手なら一月は軽く戦えるぞ」


 またもや常識外れなことを言ってのけるヒルダだが、その言葉に偽りはないと俺はすぐに思い知るのであった。


「では、行こうか」


 散歩にでも行くかのようにヒルダが言う。その手には《空間収納ストレージ》から取り出した短槍こそ持っているものの、街中を歩く時に着る平服にフード付きの短い外套と軽装に過ぎる。


「本当に鎧はいらねえのか?」


「ふふ、心配してくれるのか? だが、不要だ。グレン、貴様に良いものを見せてやる」


 ヒルダはその言葉を体現した。


 ついに、同胞の亡骸を片付けたバグ・ソルジャーが俺達に襲いかかる。

 それに向かってヒルダは槍を横薙ぎに払った。無造作に見えるその一撃は、人の身と同じ大きさのバグを洞窟の壁へと叩きつけ、たったのそれだけでバグは沈黙した。

 剣を弾く硬質な外皮諸共、急所を叩き潰したのだ。恐るべき膂力だ。


「遅れるなよ」


 一言そう言うと、ヒルダは前進した。一歩を進む度にバグが吹き飛ぶ。そのいずれもが一撃で叩き潰され、体液をぶち撒ける。

 まさに、無人の野を行くが如く。

 俺が技を駆使して一体ずつ屠ったバグ共を、小虫を払うように散らす。

 ヒルダにとっては技を使う必要などないのだ。人外とさえ疑った初見の印象通りに、俺はおろか、今までに相対した誰もが並ぶべくもない強さだ。


「グレン、私の槍はどうだ?」


「強いとしか言えねえ。だが、美しくもある」


「ふはははは! そうだろう! 流石に見る目があるな!」


 そう、美しいのだ。技をこそ振るいはしないが、鍛え上げられた実力からなる無造作な一振りは、ただそれだけで俺の目には輝いて見える。


「グレン、冒険者というのは素晴らしいぞ! 才あれば人の常識を遥かに超える高みに行ける」


 ヒルダは見るからに上機嫌に言う。


「だから、貴様も早く上ってこい」


「俺にその才があると?」


「愚問だな。私の目に留まったのが証だ。ふはははは! 久々に楽しみだ。青い果実というのは実に良い」


 青い果実というには俺の精神年齢はおっさんに過ぎる気もするが……ヒルダの言葉には心踊る。

 目前で敵を払う圧倒的強者に認められた事実。いつか、その横に並び立ち、そして超える。

 強さを渇望する俺には、どんな美酒よりも甘美な誘いだ。


「昂ぶっているな?」


「これで燃えねえ戦士がいると思うか?」


「それで良い。頂きは高いぞ。私とてまだその最中だ」


「登り甲斐があるってもんだ」


 戦士としても、男としても燃える。かつて読んだお伽話に出てくる英雄と言っても過言ではない存在が実在するのだから。まだ見ぬ頂きに、俺は想いを馳せずにはいられなかった。


 ひたすらにバグを吹っ飛ばして進んできたヒルダが不意に歩みを止めた。

 何が、と聞くほど俺も素人ではない。無数の気配も察知していた。


「どうやら面倒な場所に着いてしまったようだな」


 声を潜めるヒルダに問う。


「面倒ってのは?」


「《クイーン》だ」


 バグ・クイーン──それはバグ共の母胎。全てのバグを生み出す母にして、その上に君臨する女王。

 つまり、その周囲にはクイーンを守る無数のバグがいるということ。


「やはり、貴様はつくづく運の悪い男のようだな」


「なあ、さっきも言ってたが、そりゃどういう意味だ?」


「そのままの意味だ。厄介ごとを招く星の下にいるらしい。所謂いわゆる、トラブルメーカーというやつだな。しかし、喜べ。それは同時に英雄には欠かせない資質でもある」


 素直に喜んで良いものやら……。複雑な心境だが説得力はある。思えば、初仕事からしてアクシデントに出会っているのだ。


「いや、俺だけのせいか? ヒルダだって今この場にいるじゃねえか」


「無論、私もトラブルメーカーだ」


「自慢げに言うなよ……」


 何だか、救いがない気がしてならない。俺の一生はトラブル続きということなのか? やれやれだぜ。


「で、どうする? 全部は無理だが、クイーンだけでも道連れにするか?」


「馬鹿なことを言うな。ヴィラム中の人々から恨まれたいのか?」


「あん? どういうことだ?」


「考えてもみろ。クイーンを殺してしまっては卵が産まれないではないか」


「あー、ってこたぁ、幼虫ミールが採れなくなると?」


「そうだ。ヴィラムの街が一気に飢饉に陥るぞ。クイーンの殺害はご法度だ。下手をすればギルドまで敵に回しかねん。それはそれで面倒だ」


 面倒どころか、世界が敵に回ると言っても過言ではなさそうだ。


「ならどうする?」


「方法は一つしかあるまい」


 最低限の邪魔者を蹴散らして逃げるということだ。


「問題はどれを選ぶかだな」


 思案顔のヒルダの脇から中を見る。

 俺が落ちた地底湖のようにだだっ広い空間が広がっている。その中央にいる巨大なバグがクイーンだろう。ソルジャーやボマーとは姿がやや異なる。

 黒と黄の縞模様の体色は同じだが、頭と胴が一体化したようなパーツの下に、更にぼってりと膨らんだ腹部を持つ。ずっしりと腰を下ろしたような形状で動くには向かなそうだ。

 その周囲には数えきれない程の卵が転がる。そして、それを守る無数のソルジャーの姿。

 壁に目をやれば、ヒルダが悩むのも頷ける。いくつもの通路が口を開けているのだ。それぞれが何処に繋がるのかなど分かるはずもない。


「ふむ。分からんな。貴様が選べ」


 やがて、ヒルダは投げ出した。


「貴様の方が勘が良さそうだからな」


「そう言われてもなあ」


 まるでピンと来ない。

 が、しかし──。


「んじゃ、あれな」


 適当に一つを指差す。


「貴様、よりにもよってあそこを選ぶのか?」


 示したのは、現在地からほぼ正反対の位置にある通路の一つだ。


「守りが厚いんだから外に繋がってるんじゃねえか?」


「ふむ。一理ある」


 ヒルダは少しだけ考える様子を見せたが、俺に賛同すると決めたようだ。


「ならば行くか」


「おう」


 互いの覚悟を聞くまでもない。俺達は視線だけでタイミングを合わせると、死地へと飛び込んだ。

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