第26話 修羅と戦姫①
左から迫る大鎌を見切って一歩進み、剣を振るって斬り落とす。ならばと逆の大鎌を持ち上げた時には、それも半ばの節から先を斬り飛ばしていた。怒りからか、それとも恐怖か、鳴き声をあげようとした時には、その口に俺の長剣が刺さっている。急所を貫かれたバグ・ソルジャーは、痙攣しながら地へと墜ちた。
すぐに後続がやってくるが、洞窟内の限られたスペースには既に同胞の亡骸がいくつも転がり進行を阻む。それでも、命果てた同胞を踏みつけて襲いかからんとするが、俺から見れば剥き出しの急所に長剣を突き刺すだけだ。
そしてまた後続が一匹──。
どれだけのバグを貫いただろうか。長剣を持つ手の感覚を失って久しく思える。背後に累々たる屍の山を築き続けて、俺はただ前へと進んでいた。
上層から落ちた俺を救った地底湖のある空洞から出て暫くは、何匹かのバグをやり過ごすことが出来たが、進むに連れてその数は増し、ついに前後から挟まれて戦闘へと突入した。
この地の底に近い場所には近接型のバグ・ソルジャーがいるだけだ。遠距離から燃焼液を吐き出すバグ・ボマーがいたならもっと苦戦したはずだ。多少はツキがあるのか。しかし──
それからずっと、数時間と剣を振るい続けている。だが、終わりはまだ見えない。斬れども斬れどもバグは尽きない。この広大な地下全てが巣穴ならば、どれだけ斬れば終わるのか。想像すらつかない。
それでも、俺はまた一匹を斬る。
そして、また一匹。
また、一匹──。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
ようやく一息ついたのは、あれから何時間経った頃だろうか……。
後続のバグが尽きたわけではない。攻防を続けるうちに、ついに通路が詰まったのだ。前に進むだけではキリがない所為でもあったが、体力を消耗して押し進むだけの圧がなくなってしまったためでもある。
物音から察するにバグの方に諦めた様子はない。命尽きて絡み合うようにして通路を塞ぐ同胞の亡骸を取り除いているようで、あくまでも俺を排除するつもりらしい。
俺も今のうちに少しでも体力を回復せんと《
何故、俺は足掻くのか?
そう思わないでもない。
死ねば終わる話だ。今世では死んでも蘇るのだから、無理に足掻く必要はないようにも思える。
だが、戦士としての本能がそれを許さない。ただ死を待つばかりか、自ら進んで死を招くなどとは、足掻きに足掻き続けた前世を生きてきただけに、俺にはそれが許されないのだ。
何故なら、それは敗北だ。
単純な勝敗ではなく、真なる敗北だ。心と魂の敗北だ。
俺の中の戦士の魂は、それを決して許しはしない。
足掻け。
屈するな。
死んでも殺せ。
死ぬなら一匹でも多く殺せ。
死のその淵まで戦い続けろ。
それこそが、戦士の誉れ。
だが、もしも迫る死を乗り越えたなら──俺はまた一つ強くなる。
死線で剣を──いや、牙を研げと、俺の中の戦士の魂が狂おしい程に強さを求めて叫ぶのだ。
だから、俺は足掻く。
死を享受せず、喰らわんと──。
「貴様、呆れた男だな」
その声は背後から唐突に鳴った。
まるで、洞窟の壁や床であるかのように、初めからそこにあったかのように、今の今まで俺のセンサーに全く引っかからなかったのだ。俺にとっては、この地の底に落ちることなどよりも、余程の異常事態だと言える。
「あんた、
突然現れた存在への警戒と驚愕から早鐘を打つ鼓動とは裏腹に、重い身体をどうにか動かして後ろを向き、やっと絞り出したしゃがれ声で問う。
女だ。
目深に被ったフードで顔は見えないが、声と身体つきから女と分かる。
「それはこっちの台詞だ。貴様こそ何だ? 鬼どころの話ではないぞ」
何を言っている? と、問いたかったが最早口を動かすのすら億劫だ。
「そうだな。修羅、とでも言ったところか」
俺には構わず女は続ける。
──強い。
俺は直感した。
目の前にして尚、気配すら掴めない。現れてから一歩と動いてはいないが、その必要はない。立ち姿だけでそうと分かる。尋常ならざる力量だ。
「ふははは、尚も強さを求めるか? その状態で笑うとは天晴れだ!」
言われて気付く。
俺は嬉々として──いや、鬼気として笑っていたことに。
「いいぞ。貴様が気に入った」
そう言う女に、俺は再度問う。
「だから……あんた、何なんだよ?」
「ふむ。正体を明かしてもいいか。どうやらコンラットが訝しんだような痴れ者ではないようだしな」
そう言いながら、女はフードを上げてみせた。知った名が出たが、次の瞬間には俺は目を奪われていた。
背中にまで伸ばした絹糸のような銀髪がはらりと舞う。神秘的な紫の瞳が不敵に俺を見る。鍛えられてはいるが、意外にも身体の線は細い。歳の頃は二十歳前後に見える。その容姿は一見儚げな美しさのようだが、蠱惑的な色をも持ち、華々しく咲く大輪の花のようでもある。しかし、その本性は棘を隠すどころではない。巨大な牙を隠し持った猛獣のような女──そんな、めちゃくちゃな印象を俺は覚えた。要するに、よく分からない女だ。一つだけ確かなのは、圧倒的に強い。それだけは自信を持って断言出来る。その強さに、俺は目を奪われたのだ。
「ふふ、そんなに見つめるな。照れるじゃないか」
「あんた……人間かよ?」
「失敬な。人でないなら何だと言うのだ? それから、私の名はヒルダだ。どうせ呼ぶなら名で呼んでくれ」
何とも自信に満ち溢れた態度の女だ。無駄に、ともつきそうな程に泰然として女は──ヒルダは言う。
「そのヒルダさんとやらは……ここで何を? コンラットの使いか?」
「《さん》もいらん。ヒルダと呼ぶことを許そう。質問に答えるならコンラットに頼まれはしたが、使いではない。貴様を監視していたところだ」
「はあ?」
受ける印象と同様に、まるで意味が分からない。
「分からんか? 貴様がこの世界で成してきた足跡を考えろ。ルーキーにしてはなかなかの功績ではないか」
「それはつまり……出来すぎとか言いたいわけか?」
「そうだ。コンラットに言わせればな」
そりゃまあ確かに、と納得する部分もなくはない。モンスターとの出会いだけには恵まれている。
「だが、安心しろ。貴様は単に運が悪いだけの男だ。私が保証しよう」
「はあ……」
と言われても、全くありがたくない感じしかしないのは何故だろうか。
「今日一日、貴様を見てきたが不審なところはない。寧ろ、戦士としては久々に好感の持てる男だ。実に、久々にな。くだらぬ
ただ、とヒルダは付け足す。
「女神には随分気に入られているようだがな」
「まあ、よく分からんが……何かの疑いが晴れたなら十分だ。しかし、今日一日ってのは……どっからの話だ?」
「最初からに決まっているだろう。同じ荷馬車に乗った仲ではないか」
いや、確かに何人もの同業者が一緒だったが、全く気付かなかった。どれだけ隠行が上手いんだ……。
「じゃなくて……俺は上から落っこちたわけだが……まさか?」
「無論、私も飛び込んだ」
「はは……なるほど……」
決まりだ。相当にイカれた女だ。呆れるあまり乾いた笑いが浮かぶ程に。
「ああ、話すのが楽しくて忘れていた。だいぶ疲弊しているようだからな、これを飲め」
ヒルダが近寄ってきて小瓶を差し出す。やはり、見事な身のこなしだ。
「これは?」
「ポーションだ。怪我と疲労に効くぞ」
「ポーションて……魔法薬の?」
「うむ。それしかなかろう?」
俺は再び呆れるしかなかった。ヒルダが何でもないとばかりに渡そうとしているポーション──つまり、魔法薬というやつはかなり値が張る代物だ。俺からすれば、こんな風においそれと与えられるようなものではないのだ。
「ああ、すまんな。私としたことが。気遣いが足りなかった」
俺の躊躇いに何を思ったのか、ヒルダはポーションの入った小瓶の蓋を開けて口をつけると、一気にあおった。
そして──
俺の顔に手を添えて顔を近づけてきたかと思えば、唇が触れ合う──
「──ッ!?」
驚きで俺の叫びは声にならず。一方で、ヒルダは「ほぅ──」と、熱っぽい吐息を漏らして顔を離す──。
「ふふ、可愛げもあるじゃないか」
そう言うヒルダの潤んだ瞳に、俺は情けなくも言葉を返すことが出来ないのであった……。
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