第25話 深き地の底で

 落ちる。

 落ちる。

 ひたすらに落ちる。

 奈落に呑み込まれるが如く、只々ひたすらに落ちてゆく。

 まず思ったのは──


 こりゃ、死んだかな?


 どこか他人事な感想だった。

 次に思ったのも──


 リーナとナルシスは無事か。まあ、二人でならどうにか戻れるか……。


 やはり、他人事な分析だった。

 ここでようやく──


 さて、どうしたものか……。


 と、先のことに気が回るが……生憎、俺には空を飛ぶ術などない。

 従って、ひたすらに落ちる浮遊感を味わい、耳に鳴る風切り音で落下の速度を知る以外に出来る事はないのだ。

 いや、もう一つ……


 くそったれ、ぺちゃんこになって中身をぶち撒けるなんてゴキブリ体験はしたくなかったから奴隷になったんだがなあ……。


 己の運か、女神の嫌がらせか、とまでは考える余裕はあった。

 そして──


 足の裏が何かに触れた気がした瞬間、全身に衝撃が駆け抜ける。と同時に、ゴボゴボと何かの音が聞こえた。

 瞬時に理解することは出来なかったが、身体に纏わりつく独特の感触。


 ──水?


 と、頭に過ぎった時には、開いた口や鼻に何かが満ちている。


 水だ。

 息を……

 泳げ……

 沈む……


 次々と脳裏に浮かんでは消える。


 まずは、泳げ!


 どうにか思考を繋いで、俺はがむしゃらに手足を動かした……。

 どれだけ足掻いただろうか──


「ぶはあ──ッ!! ごほっ!! ぶふっ!! ぷあっ──」


 ついに、頭が水から逃れた。

 気道に入り込んだ水にむせ、それでも肺は空気を求めて、またむせる。

 幾度かそれを繰り返しながら、必死で手足を動かして水に浮かぶ。

 ──と、視界の端に岩壁を捉えて、陸地であれよと、死に物狂いで泳ぐ。

 やがて──


「ぶはあっ!! げほっげほっ!! くそっ!! ごはあっ!! この、くそったれっ!!」


 手が陸を掴み、どうにか這い上がって九死に一生を得た。


「くそっ、死ぬかと思ったぜ……」


 呼吸もままならず、尚且つ武具一式を背負っての水泳をこなしたとあっては、流石の俺でも疲労を覚える。

 呼吸と体力の回復を図りながら索敵するが、何かがいる気配はない。


「ここは、どこなんだ?」


 辺りを囲むのは石の壁。それも延々とそそり立つ岩壁だ。落下中の感覚からしても相当の高さから落ちたらしく、上空は闇色で閉ざされている。


「地底湖ってところか?」


 地下にぼっこりと空いた広大な空間をバグが掘り出したとは思えない。おそらくは自然の産物だろう。


「その上にバグが穴を掘って、戦闘の衝撃か劣化かなんかで落ちたってか? 大当たりもいいとこだな」


 出来れば遠慮をしたい方の当たりだが、それでも俺は生きている。いったい、運が良いのか悪いのか……。


「うだうだ言ってても始まらねえ。まずはキャンプだ」


 そう、こんな時にこそ用意したアイテムが役立つのだ。《空間収納ストレージ》から取り出した道具で火を起こし、全身ずぶ濡れの装備や服を脱いで火にあたる。体温が下がれば体力も落ちてしまうので注意せねばならない。ある程度身体が乾いて暖まったところで予備の服に着替える。武具の予備もあるが、とりあえず火にあてて乾かすことにした。とんだアクシデントではあるが、こういう時こそ冷静に行動すべきなのだと、俺の経験が物語る。

 リーナとナルシスのことは気にかかるが、焦っても今の俺には何も出来ない。無事を祈るばかりだ。もしも、二人が無事ならギルドに報告に行くだろうし、そうすれば何らかの対応をしてくれる可能性もなくはない。最悪、脱出を試みる最中で死んだとしても冒険者は復活するし、取り返しがつかない深刻な事態とは程遠いだろう。

 そう結論を出すと、俺は飯を食って寝ることにした。人生、なるようにしかならないのも、真実の一つなのだ。



 ぴちょん、ぴちょん、と水滴の落ちる音で俺は目を覚ました。


「ん──っと。はあー、さて……」


 起き上がってから体を伸ばして、大きく一つ息を吐く。多少は回復したようだ。身体に痛みもない。

空間収納ストレージ》から再び携帯食を取り出して小腹を満たしてから、装備に破損がないかを確かめる。長剣と防具は無事だが、弓は落下の際になくしてしまった。《蟲穴むしあな》の攻略に役立つかとのお試しだっただけに予備はない。


「ま、ないもんは仕方がねえ」


 いつまでも止まっていても埒があかない。まずは探索と、松明を作ってからルートがないかを調べて回る。

 十分ほど経っただろうか。


「あったな。洞窟と似ているから上に続いている可能性はあるか……」


 岩壁に開いた通路は緩やかな傾斜で上へと伸びている。


「んじゃ、探検といきますか」


 迷わずに足を踏み入れて、数十分と歩く。上とは違って一本道が続く。

 が、やがて俺は気配を察知した。


「やっぱなあ。そりゃ、いるよな」


 予感、と言うよりも確信していた。やはり、《蟲穴むしあな》の延長か、繋がるどこかだったのだろう。一本道が左右に枝分かれしたところで、バグ・ソルジャーを発見した。

 すぐに松明を消して様子を伺う。ヒカリゴケの仄かな明かりに照らされたバグに気付いた様子はない。こちらに背を向けたまま、右の通路の奥へと消えていった。

 分かる範囲では他に気配はない。これ以上出会すなよと、無理な願いを祈りながら俺は左の道へ進むのだった。

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