第18話 新たな魔法と豚の王④

 ◇◆◇◆◇


「あっぶな!! ギリギリじゃない!!」


 凄まじく迫る炎により《反射リフレクション》が耐久を超えて破壊され、間髪入れずに《魔壁ウォール》を展開して事なきを得たリーナは、背筋に冷たいものを覚えて叫んでいた。


「いや、ナイスだよ! ナイス、リーナ!」


 その後ろで、もしもの時は己が前に出んとした姿勢を見せていたナルシスもまた、恐怖を覚えずにはいられない火勢から命を拾い、心底安堵したといった表情を見せている。


「グレンの馬鹿、本当に手加減したんでしょうね?」


「はは、一度食らった身としては多分ね。いやしかし、この光景を二度も見ることになろうとは……」


「心中お察しするわ……」


 グレンとの手合わせを思い出したのか、ナルシスの顔は青い。そしてリーナも以前の自分が少し恥ずかしく思えていた。

 グレンと初めて会ったあの日。パーティーを組むかとの話の折にはこう言ったものだ。


『剣を振るうしか能のないあんたには出来ないことが私には出来るってこと──』


 それは真実だ。剣をひと振りする度に魔法を一発撃てば、倒せる敵の数だけでも自分の方が多いだろう。だが、リーナは自覚していた。

 もしも、今の出来事と似たことをするのなら《火炎の嵐ファイアストーム》を用いるだろう。しかし、それでは森ごと焼き尽くしてしまう。そこまでの繊細な制御力は今の自分にはない。無論、今の攻撃だってリーナが協力して初めて可能となる策だったが、それでも自分には出来ないことがグレンにも、そしてナルシスにもまた出来るのだ。そう自覚すると、少しだけあの日の言葉が恥ずかしく思えるのだった。


 でも、とリーナは思う。

 私にしか出来ないことだってきっとある。今までだって、そしてこれからも、きっと自分にしか出来ないことがある。

 そうやって、足りない部分を補うのが仲間というものなのだろう。かつての自分は持っていなかった──否、求めすらしなかったのだ。国一番の魔女として孤高を貫き続け、ついにそのことに気づかなかった。

 愚かにも、それが故となって死ぬまで気づかなかったのだ。

 けれど、今はこうして隣に立ってくれる存在が暖かくて、心強い。かつての強大な力を失った代わりに、なにか掛け替えのないものを手に入れた……そんな気がするのだ。

 ならば応えよう。かつてとは比べるべくもない貧弱な力でしかないが、それを必要とする仲間達のため……そのために、今生では魔法ちからを振るおうと。


「さあ! ここからが本番よ! 聖騎士様の準備は如何かしら?」


 今日のメインアタッカーはナルシスに決まった。遥か先を見据えた場合、この戦いで肝となるべきは、聖騎士の固有魔法で安定した攻守を見せるナルシスであるべきなのだと、グレンが獲物を譲ったのだ。異論はない。


「自信があるとは言えないけど、やるさ! やるしかないんだ!」


「大丈夫。援護は任せて」


「ああ、頼りにしているとも。先に行く」


 かつての自分からは出るはずもない言葉が自然と出たことにリーナは驚いた。でも、不思議と嫌ではない。いや、今はまだ戦いの最中。今はただ、仲間のために出来ることをする。そして、その為の力を磨く時でもある。リーナは意識を切り替えると、走り去ったナルシスの背中を追うのだった──。



 ◇◆◇◆◇


 もうもうと煙る中をひた走る。

 グレンの攻撃で殆どの敵は倒れたはずだ。残るのは最たる目的のオークキングと、その周辺にいた数匹の魔物達だろう。

 敵わないな、とナルシスは思った。

 グレンの剣士としての強さ。その並々ならぬ技量は先日の戦いで思い知った。とてもではないが、剣術で勝てるとは思えない。

 そして、驚くべき戦術。無謀でイカれた戦術を平気で口にした時にも驚いたものだが、それを成し遂げた技量にやはり感服する。

 聞けば、前世は戦場で生まれ育ち、生涯現役の傭兵だったという。自分も幼い頃から騎士を志し、その夢を叶えはしたがようやく叙任されたに過ぎない。場数も経験も技量も度胸も知恵も、何もかもが劣るのだ。

 そんなグレンが、今回のメインを張るのはお前だと言った。予想外の一言だった。てっきり、自分はサポートに徹するものと思っていたからだ。まず間違いなく、聖騎士の魔法に期待したのだろう。それでも──


「ここで奮い立たなきゃ、男とは言えないよね。人使いも上手いってことか……」


 やはり、敵わないの一言に尽きるのだ。


「いいさ。それでも僕は騎士だ。今はまだ君のようにはいかなくとも、我が騎士道を愚直に貫き続けるのみさ」


 だから走る。幼き頃に憧れた弱きを守る救世の騎士たらんと。それが叶うやも知れぬこの世界での活躍を、いつの日か、最愛の妹リーナに聞かせるために──。


 煙っていた視界が薄っすらと晴れて落ち着き始めた頃。ナルシスはついに標的を捉えた。


「これは……ちょっと、きつくない?」


 覚悟も束の間、あっさりと弱音を零したナルシスだったが、それも無理はない。

 身の丈三メートルの分厚い脂肪を纏った巨体を間近で見上げれば……ナルシスの目にはちょっとした小山が映っているようだった。

 更に言えば、それ程の巨体を誇るオークキングは甲冑を着込み、手には戦鎚を持つ完全武装なのだ。その迫力たるや、咆哮一つでも並のオークが可愛い豚さんに思えるのである。


「ブゴォオオオオオオ──ッ!!」


 大音声で鳴るオークキングの咆哮が、びりびりと空気を揺らしてナルシスを圧倒する。


「いやいやいやいや……何を食べたらこんなに大きくなるのかな……?」


 その答えは先に見たはずだったが、それでも問わずにはいられない。

 だが、敵がそれを待つとは限らない。

 オークキングが「ブゴォ!」とひと鳴きすると、生き残ったオークは飼い慣らした黒犬、ハウンドドッグをけしかけた。


「くっ、しまった──」


 一瞬の隙だったが、戦場での基本中の基本をナルシスは誤った。しかし──


「《氷矢フリーズアロー》」


 最愛の妹と瓜二つである大魔導士の少女、リーナの魔法がピンチを救う。


「なにやってるのよ! また死ぬ気!?」


氷矢フリーズアロー》に貫かれ、氷結の効果で縫いとめられたオークとハウンドドッグの悲鳴の中にも、少女の一喝が凛と響く。


「す、すまない!」


 慌てて態勢を整えるナルシスは、ようやく自分が敵に呑まれていたのだと知った。


「もう大丈夫だ。やるさ、やってみせるさ! 《聖剣ホーリーソード》&《聖盾ホーリーシールド》」


 聖騎士の代名詞たる二つの魔法。剣と盾それぞれに宿る純白の光をその身にも纏うと、ナルシスはこう叫ぶのだった──


「不浄なる豚共の王よ! 我が名はナルシス! 我が妹、リーナへ捧げる愛の剣にてお前を倒す者なり! いざ、勝負!!」


 これぞ騎士とばかりの堂々とした名乗りだ。例えこれがこの世界にそぐわないものであっても、これでこそ騎士なのだ。

 己の思い描く騎士像を追いかけて、背中に掛かるリーナの呆れ声は置き去りに、ナルシスは只々、ひたすらに前へと駆けていった。


「ブゴォオオ!!」


 オークキングの目にどう見えたのかは分からないが、少なくとも名乗り返す気はないらしい。鼻息も荒く、巨大な戦鎚が振り下ろされる。ナルシスは余裕を持って避けると共に、純白の輝きを発する大盾を構えた。

 戦鎚の一撃は外れたものの、巨体に見合ったパワーが大地を揺らす。その勢いで弾けた枯れ枝や拳大の石ころが投擲武器さながらに飛んでくるのだから立派な凶器だ。生身で受けるべきではないと読んでの防御であった。

 冷静に石や枝を受けきると同時にナルシスは斬りかかり、純白の光を纏う騎士剣を操ってオークキングの足を刻むが、苦痛と怒りの叫びを上げるものの、膝を付かせるには至らない。逆に、怒りの戦鎚が振り下ろされて、ナルシスは後退するしかなかった。


「くそっ、馬鹿力め!」


 受ければただでは済まない追撃を躱し、飛来物を防ぎながらも隙あらば剣を振るう。

聖剣ホーリーソード》の斬撃はぶ厚い脂肪と皮を物ともしないが、オークキングのタフネスもなかなかのようだ。それでも戦えている。こんなにも巨大な化け物との戦闘経験などあるはずもないが、前世で騎士になるべく積んできた修行と女神から与えられた魔法は相性が良い。何より、魔法効果で底上げされた身体能力は、平常時には不可能な動きを可能とする。

 時折飛んでくるリーナの魔法の援護を受けながら、幾度となく攻防を繰り返す。

 しかし、転機はあっさりと訪れた。

 身に纏う純白の光が薄まったかと思えば、身体がいつも通りの重さを取り戻す。それは運悪く、オークキングへと剣を振るった瞬間だった。光を失った剣が肉に食い込んで止まる。

 そして仰ぎ見れば、頭上には今にも振り下ろさんとばかりに、戦鎚が高々と掲げられているのであった──。

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