第10話 いざ、初仕事へ
翌朝六時。
時を知らせる鐘の音が三つ鳴ったのを聞いて、俺は目を覚ました。
三日目の天井だ。まだ見慣れたとは言えないが、ありがたいことに無料で貸し与えられたルーキー専用の寮の一室が、この世界での今現在の俺の家ってわけだ。同じく、昨日からパーティーを組んだリーナもこの寮の一室にいるはずである。
ベッドから起き上がり、小さな木窓を開ければ、朝特有の清涼な空気が室内に流れ込む。
「うむ。いい朝だ」
それをたっぷりと吸い込んでから着替えを済ませ、俺は前日に待ち合わせをした通り、ギルドに併設された酒場へと向かった。
今日はいよいよ初仕事だ。
昨日は午後から街に出て、武器防具にアイテム少々と、ギルドから支給された準備金を注ぎ込んで装備を整えた。残った金が朝飯に消えると正真正銘のすっからかんだ。
つまり、今日の仕事が空振りに終わると夕飯すら食えないわけだ。最悪、借金という手もなくはないが、新たな世界での新たな人生の門出の一歩目からケチをつけたくはない。何としても稼いで今夜も旨い酒と飯にありつくのだと気合いを入れる。
その前の腹ごしらえにと酒場に入り、朝飯と店員に勧められたコーヒーなる飲み物を頼んでから壁際の席の一つに陣取ると、数分と経たずにリーナが現れた。
「おはようさん。よく眠れたか、リーナ」
「おはよう、グレン。準備は万端よ」
俺の方針で互いの名は呼び捨てに決めた。些細なことだが、こういう何でもないことの積み重ねが良いコンビを作るには欠かせない。何より戦場に遠慮は無用だ。躊躇った奴は大概痛い目を見るか、死ぬ。
「でも、意外ね。てっきり寝坊でもするのかと思ってた」
朝飯を口に運ぶ合間にリーナが言う。
「それはないな。寝起きの悪い傭兵なんぞ信用ならん。それにしても、よく似合ってるじゃないか。高名な魔法使いに見える」
今朝のリーナは落ち着いた紫色のローブを身に纏っている。急所には硬質な素材が当てられているので鎧とローブの中間といったところか。武器は大きな宝玉のついた長杖と如何にもで、派手ではないが所々に施された銀細工のような飾りが洒落ている。
驚いたことに、リーナの長杖はギルドから与えられたという。貸し出しではなく無償での譲渡らしい。何でも、ヨゼフの爺さんが女神からお告げを受けたそうだが、大魔導士という職業ゆえか、かなりの特別扱いである。
「逆に、昨日はどういう目で見てたのかが気になるわね」
「良いとこのお嬢様、かな?」
「その口、黙らせてみせるから覚悟してなさい、兵隊さん」
「そいつは楽しみだ」
対して、俺の装備は実用性重視だ。同じく急所を硬質の素材で補強した革鎧も、左手にはめたガントレットも、腰に帯びる長剣も飾り気一つない。しかし、値段の割には丈夫なものをと吟味したので一応は満足している。
朝食を終え、食後のコーヒーを楽しむ。黒い液体に口をつければ苦味とコクは俺好みだ。一服する間に昨日のうちに受けておいた仕事内容を確認しあう。
「ゴブリン退治。討伐数の制限なし、ね」
「まあ、初仕事にしてはいいんじゃない? 一応、街の外には出れるんだし」
「まあな。数は稼がなきゃならんがな」
冒険者としては駆け出しの俺達に許された仕事はこのゴブリン退治と、街の中での何でも屋といった仕事だけだった。性分的には雑用よりはゴブリンの方が遥かにマシだ。
とはいえ、必要があるから仕事になるわけで、ゴブリンというモンスターは雑魚の代名詞ではあるものの、旺盛な繁殖力を持つ生き物らしい。放っておくと、あっという間に増えるため頻繁に間引かねばならないそうだ。俺の世界ではゴキブリは一匹いたら三十匹はいるなどと言ったもんだが、それと近しい存在なのかも知れない。
そんな理由もあって、駆け出しのルーキーや、実力に不安のある冒険者達の手頃な獲物として駆除依頼が出るとのことだった。
朝食と打ち合わせを終えると俺達は早速行動を開始した。まずはヴィラムの街を出るべく、その周りを囲む外壁を目指す。
転生を果たした神殿や冒険者ギルドといった主要施設は街の中心にある中央広場に面して設計されており、広場から十字に伸びる大通りはそれぞれが東西南北を指す。
南方面はヴィラムを治める領主の館で行き止まるので街を出るには残る三方へ向かうのだが、今日は東門を利用する。
街への出入りは警備兵が管理しており、一般市民であれ冒険者であれ手続きが必須だ。但し、冒険者に限ってはギルドに持たされた簡易身分証と、仕事を受注した際に発行される証明印の押された依頼書の二点があれば比較的簡単なチェックで済むようで、その前情報の通りに手続きはあっさりと終わり、いよいよと互いに顔を見合わせて外壁の門を潜れば──世界が広がる。
新たな門出を祝福するような晴天には雲一つなく、
「ほおー、こいつはまた……」
「凄い……実り豊かとはこのことね」
街を囲む外壁の、そのまた周囲は結構な範囲が開墾されているようだ。ヴィラムは小さな都市に迫る規模らしいから、人口もそれなりに多いのだろう。住人の胃袋を支えるに必要な政策ってことだ。
「さて、俺達の目的地はあそこだな」
街の東、麦畑を越えた先は暫く草原が続き、更に東へと進めば深い森が見える。森の中でも比較的浅い辺りは人がよく立ち入るそうだが、最奥に向かうのは冒険者くらいらしい。
言うまでもなく、俺達が狩場とするのは手前の草原から森の浅い部分のみ。ゴブリン以外のモンスターが多いため、それ以上奥へ入ることはギルドから禁じられている。
小一時間ほど歩いて森の入り口に着いたところで、リーナが言った。
「ほんの少しだけど、街より魔力が濃いって話は本当ね」
《魔力》とは、リヴィオンに満ちる不可視のエネルギーのことだ。
ヨゼフの話では、人々の祈りを受けた女神はリヴィオンに祝福を注ぐとのことだったが、それこそが魔力だという説がある。
転生者やモンスターも含めて、リヴィオンに生きるものの全ては魔力と共にあり、その身に魔力を宿すほど、生命力や能力が上昇するのだとか。種や個体により上限はあるらしいが、冒険者って存在はリヴィオンの人間と比べて許容量や成長率が高い傾向にあるらしい。ついでに、リヴィオンではお馴染みの魔法も、魔力があるからこそ発動するそうだ。
それはさておき──。
「つまり、どういうことだ?」
「この世界には自然と魔力が集まる場所があるって習ったじゃない。そして、モンスターは魔力が濃い地を好んで集う、ともね」
「ああ、そういうことなら話は早い。獲物がわんさかってことだな」
それはつまり、儲かるってことだ。
「ゴブリンがわんさか沸いたら全部焼き払って良いのかしら?」
「森を火の海にしなきゃな」
「それくらいの加減はするわよ」
今日の仕事はゴブリンを倒すのみ。モンスターの中には皮や牙などの部位が素材として重宝されたり、なかには食用となる種までいるようだが、ゴブリンにそういうものはない。何故なら雑魚な上に、腰ミノ一丁の原始人スタイルなのだから。当然ながら、見た目のまんまで食えるわけもない。
そのため、亡骸の状態に気を使う必要もないし、実は討伐数を自動的にカウントしてくれる術もある。なので、全てを焼き払えるのならば楽ではあるが……。
「やっぱなしだ。よく考えたらそれだと俺がノルマと経験値を稼げん」
「兵隊さんは大変ねえ」
「まったくだ。そうだな、細かいのは俺が、まとまって出たらリーナの魔法ってのは?」
「そうね。私はその方が楽だから良いわよ」
「追加で、もし強そうなのが出たら俺にくれ。雑魚ばっかじゃ腕が鈍っちまう」
「一人で倒しても報酬は半々よ?」
「構わん」
「それならどうぞ」
そうと決まれば探索だ。残念ながら草原にゴブリンの姿はないので、森の入り口付近を探ってみれば、木材を調達した跡や、幾度となく人が踏み入って出来たのであろう小道がある。とりあえず、様子見も兼ねてそれを辿ろうとしたところで──
「お、さっそくお出ましだ」
早々とモンスターに遭遇した。
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