第5話 剣と魔法とゴブリン

 場所を変えると言ったコンラットに案内されたのは、ギルドの地下にある部屋だった。正確には部屋ではなく、百人規模からの広さがある闘技場といった造りだ。


「ここは訓練場って呼ばれる部屋でね。試験とか冒険者の力試しをする時に使うのさ」


「へえ、力試しね。あんたが相手してくれんのか?」


 願ってもない。俺の嗅覚はこのお調子者な男が見た目通りではないと告げている。


「その口振りだと、君は戦い慣れてるみたいだね?」


「傭兵だったからな」


「なるほど、それは頼もしいね。正直な話さ、戦ったことがない人が転生してくることも結構あるんだよね。特に魔法職の人なんかがそうなんだけど、慣れてくれるまで時間がかかっちゃって大変なんだよ」


 何をとは言うまい。殺しに慣れるまでってことだろう。血を見るだけで狼狽える奴なんざ、前世でも散々見てきたもんだ。


「さて、僕が相手をするのも悪くはないけど、これはあくまでもチュートリアルってやつだからね。君の相手はこいつさ」


 訓練場の中央に立ったところで、周りを囲む座席からコンラットの声がかかる。

 俺の視線の先。砂が敷き詰められた訓練場の壁には昇降式の鉄格子が設置されている。口を開けた鉄格子の奥、通路と思しき暗がりの中から何かがやってくるようだ。次第にシルエットが露わになり、ゲートを潜って現れたのは異形の生き物だった。

 二足歩行の人型。しかし、人ではない。肌の色からして緑色と見慣れぬ色だ。小柄な痩身の皺がれた老人が、歯を剥き出しに威嚇しているかのような醜い面立ち。腰ミノを纏い、手には棍棒という原始人スタイルは多少は知恵がある証だろうか。


「ギィィィ!!」


 観察しているうちに、奴も俺を見つけたらしい。金切り声のような鳴き声をひとつ上げると、棍棒を振り上げて駆け出した。

 俺は迎え撃つべく長剣を構える。右手の長剣と身に付けた革鎧はコンラットから借り受けたものだが、質はなかなかのものだ。敵が迫る間に与えられた情報を反芻する。

 この緑の生き物は《ゴブリン》というらしい。

 ヨゼフが語った悪しき神の眷属。歴としたモンスターだ。但し、最弱の、という冠を戴く雑魚中の雑魚ではあるが、この世界で初めて相対する敵だ。

 相手は人ではない。何をしてくるか分からない以上、最大限に警戒する。たとえ隙だらけだとしても油断はない。侮りが死を呼ぶと、俺は知っているのだ。

 ゴブリンが五メートルに迫る。右の棍棒は振り上げたまま。左に暗器を持つ様子はない。


「ギィィィ──ッ!!」


 掛け声だけは勇ましく──かどうかもよく分からないのだが、ゴブリンはついに三メートルにまで近付いた。

 その瞬間、待ちの姿勢から一転、俺は駆け出した。彼我の間を一歩で潰し、動き出すと同時に翻した長剣を袈裟懸けに斬り下ろす。

 ギャッ!! っと悲鳴が一つ。肩口から両断されたゴブリンが派手にぶっ飛んだ。


「軽いな。つーか、弱すぎだろ」


 結局、隙だらけだったのは戦法でも何でもなく、ただ単純に雑魚なだけだった。

 俺の身長は前世と同じなら百八十センチを超える。ゴブリンは精々百三十センチくらいだろうから、大人と子供ほどに体格差があると考えれば当然の結果だろう。


「しかし、なんだって腰ミノ一枚なんだ? こいつら鎧とかないのか?」


 ゴブリンは一匹ではなかった。後続して二匹、三匹と現れるが全て一刀の元に切り捨てる。その弱さと言ったら、剣を持ったばかりの新兵にも劣るだろう。つまり、素人だ。


「あ、そういや魔法使ってねえわ」


 身体の試運転をしていたこともあり、余りの弱さに呆れたこともあり、胸を高鳴らせた魔法の存在をすっかり忘れていた。


「よし、あいつで試すか」


 七匹目のゴブリンが現れた。同じく原始人スタイルで駆けてくる格好の的だ。


「《魔弾バレット》!!」


 魔法は明確な使用意志の元、魔法名を唱えることで発動する。ぶっちゃけ緩い設定だが、魔法初心者の俺にはもってこいだ。

 果たして、空いた左手で適当に狙いをつけた《魔弾バレット》は、狙い違わずにゴブリンを盛大に吹き飛ばした。


「おー、なかなか爽快だな」


魔弾バレット》の効果はその名の如く、魔法の光弾を作り出して撃ち出すというもの。射程はまだ余裕がありそうだ。肝心の威力はというと──。


「意外としぶといな。顔面ぐちゃぐちゃなんだけどなあ」


 拳大の《魔弾バレット》が命中したゴブリンは吹き飛んだものの、即死とまではいかなかったようだ。慈悲を込めてとどめを刺してやる。

 すぐに《状態表記ステータス》を開いて確認してみると、《魔弾バレット》の使用可能回数が三回から二回に減っていた。分母の最大使用回数は三回と表記されたままなので何らかの方法で使用回数は回復するのかも知れない。


「その辺はあとでコンラットに聞くとして……便利だが使用回数が少ないから、戦闘はやはり剣がメインだな」


 問題はない。いつだって俺はこの剣の腕で命を拾い、未来を切り開いてきたのだから。


「何だ、マシなのもいるじゃねえか」


 そいつは十匹目のゴブリンだった。

 緑の肌、皺がれた醜い顔と、ゴブリンの特徴はそのままだが、見るからにサイズが違う。まだ俺よりは小さいが百六十近くはある。身体つきも雑魚より筋肉質だ。そして、最も期待した要素は武装をしていることだった。

 オンボロながらも金属鎧に兜まで被っている。武器も棍棒ではなく戦鎚と、雑魚を雑兵とすればこいつは武将といったところか。


「ギィィィ!!」


 鳴き声は同じながらもやや野太い。貫禄だけは一端な気がするのだから不思議なものだ。


「ま、なるべく保ってくれよ」


 言い様に俺は駆け、まずは小手調べと手加減をした上段を放つ。すると、この世界に来て初めての手応えが伝わった。


「ギ、ギギィィィ──ッ!!」


 と、何とも必死な様相ではあるが、俺の初撃を戦鎚で受け止めることに成功したのだ。雑魚には見られなかった反応だ。


「よし、その調子、その調子!」


 続けざまに上段から二撃を叩き込み、完全に防御で手一杯になったところで、隙だらけの胴部へ前蹴りを叩き込んで吹き飛ばす。


「それでもこの程度だよな。仕方がねえ。試し斬りに付き合ってもらうか」


 最初に見た瞬間から気になっていた魔法がある。それはこの魔法──


「《炎の剣フレイムソード》」


 発動と共に、剣身に炎が渦巻く。その熱と燃え盛る勢いは、まさに身を焦がす程。


「おおー! 燃える剣とはこれ如何に!」


 そう、世界は変われども憧れの対象は変わらないのではなかろうか? だからこそ、この魔法が存在するのではなかろうか? 全少年──いや、男の夢が今ここに実現したのだ。


「さて──」


 俺は武将風ゴブリンを見た。

 奴も俺を見ている、その目に恐怖を湛えて。


「悪く思うなよ」


 俺に言えることはそれだけだった。


「ギ、ギィィィ──ッ!!」


「逃すかぁ──ッ!!」


 悲鳴を上げて逃げ出すゴブリン。

 だが、身体能力の差は歴然だ。一歩でゴブリンを追い抜いて回り込み、大上段から炎を纏った剣を振るい、斬る──その瞬間。

 轟ッ!! ──と、炎が渦巻いて猛り、武将風ゴブリンは一瞬で炎に包まれた。絶命の叫びが高らかに鳴り、たちまち肉や体毛が焼け焦げる悪臭が充満する。見る者によっては悪夢のような光景だろう。

 だが、俺は今日夢を一つ叶えた。《必殺技》を手に入れたのだ──。


「はははははッ!! こりゃ、凄え!! 魔法最高じゃねえか!!」


 これが笑わずにいられようか? 前世ではまさに夢物語だった。子供の頃に誰もが夢見る魔法という奇跡。大人になるに連れそんなものは幻想なのだと思い知る。だがどうだ!? その夢が、ここにはあるのだ!!


「気に入ったぜ、この世界。こりゃ、女神様に感謝しなきゃなあ。いいぜ、誠心誠意女神様あんたの為に働こうじゃねえか」


 だから、もっと力を寄越せ──。

 口には出さない。だが、これは俺の渇望だ。ここに来る前からの俺の原動力だ。こんな俺だから、女神様あんたは俺を選んだのかもな──。


「いやはや……君、大したもんだねえ。ここまで躊躇の一つもないのも珍しいよ」


 今まで無言で見守っていたコンラットだが、その表情は半ば呆れているようだ。


「躊躇う理由がねえ」


 敵は斬る。斬らなきゃ斬られる。死にたくないなら先にる。それだけだ。


「つーか、まだ終わりじゃねえんだろ?」


「あれ? 分かる?」


 そりゃ分かるだろ。ゴブリン共が出てくるゲートの奥からは複数の気配がする。それも今までとは比べ物にならない程の数だ。


「いやね、こっちにも段取りというか、色々と都合ってものがあってね」


「興味ねえな。さっさと始めようぜ」


 これはチュートリアルらしい。もしも、その意味が《洗礼》ということなら、ここで極限まで追い込むのだろう。


「いいぜ、殺れるもんなら殺ってみろ」


 見る見るうちに数を増すゴブリン。その中には、これまでと違い武装した姿が多い。武将風と呼んだ全身鎧だけでなく、中には魔法使いじみた格好の個体までいる。その数、およそ百匹といったところか。


「懐かしいな。こんな状況もあったもんだ」


 人と魔と、種族の違いはあれど以前にも見た光景。雑魚でもこれだけいればそれなりに圧巻ではある。

 それでも俺は不敵に笑った。ピンチの時にはいつでも笑うのだ。もっとも、この程度じゃ本気になれるかすら分からないがな──と、付け加えると俺は一気に駆け出した。

 そう、いつも通りに──。

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