第2話 転生と異世界と
目を灼かんばかりの白光に包まれたのは、ほんの一瞬の出来事だった。
不都合は、余りの光度に眩んだ視界が回復するのに数秒かかったことくらいだろうか。
それにしても不思議なもんだ。
創世の女神ルクスと名乗った存在と謁見した時には、間違いなく魂だけの存在だったのだろう。何故なら、身体は半透明だったし、長年親しんだ肉体の感覚がまるでなかった。
しかし、今はそれがある。
果たして、魂の状態でも目が眩み、それが肉体にも影響するのかという疑問もあるが、一先ずそれは置いておくとして……。
大きく息を吸い込めば辺りを漂う香の匂いが鼻を刺激する。それを深く肺に送り込む感覚とが相まって、俺はいま確かに生きているのだと実感する。
そうして、再び得た生の喜びを噛み締めるべく、何度か深呼吸を繰り返していると──
「お目覚めになられましたかな?」
すぐ側から穏やかな声がかかった。
目覚めた瞬間から感じていた気配だ。敵意がなかったので後回しにしていたが、そろそろ俺の置かれた状況の把握も必要だ。
ゆっくりと身を起こして辺りに目をやれば、白で統一された室内が映る。そして目の前には、たっぷりとした白髭をたくわえた温厚な面立ちの老人が立っていた。
「ここは? ──って、何だ、この声?」
老人に問い掛けるでもなく発した声は違和感そのものだった。それも無理はない。聞き慣れた俺の声はもっと低く、ドスの利いた声だったはずだ。それがどうだ。今、俺の耳に届いたのは少年のものと思しき声だ。
そんな俺の様子が滑稽だったのか、老人は「ほほほっ」と軽やかな調子で笑う。
「何がおかしいんだよ、爺さん?」
「いえいえ、失礼致しました。皆様、同じような反応をなさいますので。ここは《召喚の間》と呼ばれる場所でございます」
ムッとした俺の物言いにも態度を変えず、老人は物腰も柔らかに答える。
「召喚、ね……」
女神は転生と言ったが、この世界の者からすればそういうことになるのだろうか?
「それにしたって、やっつけにも程があんだろ。マッパで戦えってか?」
そう、見知らぬ世界に全裸で送り込まれれば、俺でなくとも文句の一つは出るだろう。
「ほほほっ、ご安心下さい。私共が身の回りのお世話をさせて頂きますゆえ。ですが、まずは歓迎の意を述べさせて頂きましょう」
そこで一度言葉を切ると、老人は笑みを浮かべながらも恭しく続けた。
「ようこそ、リヴィオンへ」──と。
「リヴィオン?」
反芻すれども覚えのない地名だ。
「如何にも。それがこの世界の名でございます。おそらくは貴方様の生きた世界とは異なる世界かと」
生前の俺が聞けばイカれた爺さんだとでも思ったかもしれないが、女神との謁見を経た以上信じるしかない。
とはいえ……
「異世界ねえ……」
すぐに信じることも難しい。ここが本当に異世界とやらなのか、確証を得られるほどの情報を何一つ持っていないのだ。現段階で俺が知るのは、見知らぬ場所で目覚めたことと、横たわっていた台座の硬さくらいだ。
すると、そんな俺の心情を察したかのように老人が提案を口にした。
「如何でしょう。ささやかではありますがお食事の用意がございますので、召し上がって頂きながら、この世界についてご説明させて頂くということで」
「飯か。そういや、腹は減ってるな」
「そうでしょうとも。では、まずはあちらの部屋へ。お召し物も必要でしょうから」
「そいつはありがたい」
今現在の肉体年齢は不明だが、精神的には三十を超えたおっさんなわけで、一糸纏わぬ姿を誰に見られようとも構いやしないのだが、着るものがあるのなら拒む理由もない。
先導する老人に続いて、目覚めた部屋を後にする。案内されるがままに着替えを終えて食卓に着くと、老人が名乗りを上げた。
「私はこの神殿の管理を任されております、神殿長のヨゼフと申します」
神殿、というからには前世でいう聖職者みたいなもんだろうか。肩書きからすれば相応の要職にある者と見受けられる。
それはヨゼフが身に纏う白いローブからも伺える。厚手の生地で仕立てられたローブの端々には細かな刺繍が施され、華美ではないが贅沢な品と思われる。同じく、俺に与えられた簡素な平服も肌触りがよく、着心地のいいものだ。これが一般的に普及しているのなら、俺のいた世界より優れているかも知れない。
それはともかくとして、名乗られたのなら名乗り返すのが礼儀というもの。
「俺はグレン。つっても、今の名前はもしかしたら違うかも知れんがな」
「それは後ほど確認が取れるでしょう。と申しましても、殆どの方は元のお名前を引き継がれるようですが。今は一先ず、この世界とグレン様のお立場について簡単にお話しさせて頂きたく存じます」
そう前置くとヨゼフは語り出した。食事に勤しみながら聞いた話を要約するとこうだ。
リヴィオンは《創世の女神ルクス》が創り出し、守護する世界らしい。
創世の女神は天と地を創り、そこに様々な生命の種を蒔いた。それらはやがて芽吹き、木や虫や獣、そして人が生まれ──と、俺の世界のお伽話に出てきそうな話だが、リヴィオンでは史実として信じられているらしい。
人々は創世の女神を信仰し、その祈りがまた女神の祝福としてリヴィオンに注がれるというありがたい話もあったが、ぶっちゃけ信仰心とは無縁の生き方をしてきた俺からすれば都合のいい話といったところか。
だが、俺も今日からはリヴィオンの住人だ。ここは郷に従うべきだろう。少なくとも、その女神様に奴隷かゴキブリかという二択を迫られたなんてことは口が裂けても言うべきではなさそうだ。
話を戻そう──。
かつて、リヴィオンは平和そのものだった。しかし、ある時から平和な世界にも影が差すようになったという。
リヴィオンとはまた別の世界を管理する《悪しき神》なる存在が、平和なリヴィオンを羨み、欲し、侵略せんと企てたのだ。
悪しき神は自らが管理する世界とリヴィオンとに小さな穴を空けると、秘術を用いて二つの世界を繋げ、そこからリヴィオンへと己が眷属である《魔の軍勢》を送り込んだ。
だが、創世の女神もそれを見過ごしはしなかった。異変を察知すると、すかさずリヴィオンに空いた穴に結界を張り、敵の思惑を最小限に食い止めることに成功したのである。
しかし、リヴィオンを支配されることはなかったが、結界も万能ではなかった。例えるなら網の目ようなそれは、大きな力を持つ者にほど効力を発揮するが、力弱き者の全てを捉えることは不可能だった。
つまり、リヴィオンは事の発端たる数百年前から現在進行形で侵略を受けている状況にある。それがために、俺のような転生者が送り込まれるのだ。
悪しき神を討つ、女神の剣として──。
「いやいや、悪しきったって……神様を斬るのは流石に無理だろ……」
脳裏に浮かぶのは創世の女神の姿。あの時は必死だったこともあり、屁理屈を捏ねてみたりはしたものの、今にしてみれば逆らうことが憚られるような絶対的なオーラだか何だかが出ていたように思える。
「ほほほっ、無理でございますか?」
「生憎と俺の剣は人斬り用なんでな。まあ、狼か、熊あたりなら斬れんこともないが」
「ほお! 熊もでございますか?」
「俺んとこのやつな。この世界のは知らん」
一瞬、目を輝かせたヨゼフの反応からすると、この世界にも熊がいるようだが、物凄いやつが出てきそうな予感がする。出会さないことを祈るばかりだ。
「ほほほっ、冗談はさておき。何も心配することはございません。物事には順序というものがあります故に。グレン様はまだ生まれたて。育てることから始めねばなりません」
「生まれたて?」
「如何にも。リヴィオンにおいては、でございますが」
なるほど。精神的には生前のおっさんのままだが、与えられた肉体はどうやら俺のものとは別物らしく、この世界の常識すらないとくればヨゼフの言葉通りなのだろう。
「ですから、まずはこの世界で生きることから始めるのが宜しいでしょう」
「てめえのケツくらいは拭けるようにってな。おっと、
「お気になさらずに。寛容もまた女神様の教えでございます」
傭兵暮らしが長かったため俺の言動は粗野なものが目立つはずだが、ヨゼフは一切咎めない。単に懐が広いのか、それとも赤子に接するが如くか。
人を見る目はそれなりにあるつもりだが、ヨゼフの心の内は読めない。食えない人物と思った方がいいか、と内心で独り言ちる。
それを知ってか知らずか、ヨゼフの言葉は常に俺を導くように紡がれる。
「いずれは旅立つ日が来るでしょう。機が訪れるまでは存分に準備をなさいませ」
ヨゼフ曰く、リヴィオンの住人達は、転生者のことを冒険者と呼ぶらしい。
転生者はノルマの分だけ敵を討つことを課せられているが、話を聞くに、悪しき神の干渉自体を断ち切ることが女神の真の目的のようだ。
それが人の身で叶うかどうかはさて置いて、多くの転生者は北の最果てにあるという諸悪の根源──リヴィオンに空いた穴を目指すべく旅に出るものらしい。
それは転生者が召喚される最南の街からは最も遠い場所。北の最果てに果敢に赴く者だからこそ、冒険者と呼ばれるのである。
とまあ、聞く分には壮大な話ではあるが、いきなり敵の本拠地に飛べるわけでもなし、ついでに北に行くほど《魔の軍勢》たるモンスター共が強くなる傾向もあるってことで……今の俺に出来るのは、比較的安全なこの南の地で雑魚と分類される強さのモンスターを狩ることだけだ。
「尽きましては、まずは《冒険者ギルド》をお訪ねください」
「冒険者の元締めってやつか?」
「左様でございます。生きるには職に就かねばなりますぬから」
そりゃそうだ。冒険もいいが、まずは飯が食えなきゃ話にならない。
しかし、普通に考えればリヴィオンの常識すら知らない転生者が職に就くことは難しい──はずなのだが、ありがたいことに転生者であれば誰でも冒険者になれるのがリヴィオン社会の制度らしい。しかも、仕事内容はノルマを稼げるモンスター狩りが主でサポート体制も万全の好待遇。女神信仰の社会に与える影響の程が伺える。
何にしろ、戦うことで食える世界というのは俺にとっては願ってもないことだ。
「んじゃ、早速行ってみるか。色々と世話になったな。飯も旨かったよ」
小一時間続いた話が終わり、腹も膨れたことで、頃合い良しと席を立った俺に、ヨゼフは一通の封書を差し出した。
「これをお持ちくださいませ」
「こいつは?」
「紹介状です。ギルドの窓口で見せればつつがなく案内してくれるでしょう」
「そいつは助かる。
「いいえ。これは私の責務でもございますから。何か困るようなことがありましたら、いつでもお越しくださいませ」
そう言って俺を見送るヨゼフは最後まで穏やかな笑みを浮かべるのであった──。
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