ソウルクエスト

ニャンテコッタ

第1章 始まりの街

第1話 奴隷か、ゴキブリか

 ──創世の女神ルクスは言った。


「さあ、選びなさい。奴隷か、ゴキブリか」


 果たして想像出来た者はいただろうか? 神々しい光を放つ絶対的美貌を纏った女神の口からゴキブリなどという忌むべき名称が飛び出すなどと。

 そして、そのゴキブリか、はたまた奴隷のどちらかが、天に召された俺の次なる転生先の候補として決定済みであるなどと。


「念のため聞くが……他の選択肢は?」


「ありません。大罪を犯した者は償わねばならない。それがことわりというもの」


「大罪って言われてもなあ……別に俺だって好きで殺したわけじゃないんだぜ? 戦争だったんだ。仕方がないってもんだろ?」


 そうとも。仕方がなかったのだ。世の中は争いごとばかりで、俺の職業は傭兵だった。働かなきゃ食うにも困るってもんだ。


「黙りなさい! どの様な背景があろうとも罪を犯したことに変わりはありません」


 どうやら俺の主張を聞く気など端からないらしい。だが、俺だって必死だ。


「だったら神が殺しを唆すのはどうなんだ? それが許されるなら俺が罰されるのはおかしいだろ!」


「小賢しい問答は結構! それに、私が殺せと言ったのは人ではありません。世界に仇なさんとする魔の物共を倒せと言ったのです」


「同じことだろ? それとも命に貴賎をつけるのが神の教えってわけか?」


「論点をずらそうとしても無駄ですよ。敵が引かぬのであれば戦わざるを得ない。戦争屋の貴方の理屈で言えばそういうことです」


 ちっ、やはり駄目か。

 そもそも俺は弁舌家ではない。口で勝つのは難しそうだ。かと言って、生身の身体もない魂の状態じゃ剣で斬りかかることも無理だ。まあ、身体と武器があっても神様相手に何が出来るのかって話だが……。

 無い知恵を絞ったがどうにも勝ち目はなさそうだ。となれば、諦めるしかない。


「分かったよ。やるよ、やれば良いんだろ? あんたの奴隷として、その魔の物だか何だかと戦いますよ」


「勘違いしているようですね。嫌ならゴキブリでも良いのですよ。但し、先にも言った通り、貴方の殺した人数の《十倍》死んでもらいますけどね」


 そう言う女神の顔に浮かんだ悪魔のような微笑みに、俺は堪らずに降参した。


「分かった! 俺の負けだ! 頼むからゴキブリだけは勘弁してくれ!」


 それだけは回避しなきゃならない。人が目の敵にする嫌悪の象徴ってだけでも嫌なのに、その死に様は叩き潰されて中身をぶち撒けるという悲惨っぷり。色んな死に様を見てきた俺でも流石に避けたい。


「よろしい。では、私の奴隷として働かせてあげましょう。貴方は幸運なのですよ? また人として生きることが出来るのですから。他の者ならば選択の余地なくゴキブリです」


「そりゃどうも。しかし、何だって俺にはそんなお慈悲をくださるんで?」


 ま、聞かずとも何となく分かるけどな。


「分かっているのなら説明は不要でしょう?」


「……まさか、考えたことも分かるとか?」


「当然でしょう。神ですから」


 俺はようやく己の愚かさを悟った。勝ち目などあろうはずもないのだ。


「えー、すいませんが、話の続きをお願い出来ますでしょうか?」


「次に不心得な考えを抱いたらゴキブリですよ」


「へぇ、致しません」


 俺は奴隷だ。借りてきた猫の、そのまた前の睨まれた鼠の如くだ。意味分からんな。


「うるさいですね」


「へぇ、すいません」


「まったく……。まあ、その図太さも評価した部分ではありますが。貴方は生涯で何人を殺めたか覚えていますか?」


「さあ? いちいち数えちゃいないんで」


「千二百二十四人です」


「はあ、そりゃ何て言うか……」


 結構な数だ。俺、そんなに殺したかな? 数だけ聞くと相当ヤバイ奴みたいじゃないか。


「はっきり言って異常です。それだけの者を殺めて精神を損なっていないのですから」


 言わんとすることは分かる。普通、殺しってやつは殺した側にも傷を残す。身体にではなく、心にだ。精神に負荷がかかるのだ。それ程に《重い》行為ということだ。それでも大抵は慣れる。殺さなきゃ殺されるし、生き残ったことを誇りとして、根拠のない優位性に身を任せれば暫くは保つ。酒を浴びる程飲むのも良い。そうすりゃ大抵のことは忘れられる。

 だが、ある日ふと気付く──。

 街中の雑踏の小道の影から、または鈍色の剣身に映り込む姿から、誰かに見られているような視線を感じるようになる。そうなったら、そいつはそろそろ限界だ。次第に精神の均衡を崩していき、やがては正気かどうかも怪しくなって──壊れる。もっとも、大半はその前に死んじまうから、そこまで行く奴も珍しいもんだ。


「まあ、そういうことですね」


「聞いた話ですがね。どうやら俺も壊れる前に死んじまったようですし」


「ええ。ですが、物心がついた頃から戦場に生き、齢三十を超えて尚、第一線に立ち続けるを可能とした精神力と運。そして、その腕前。我が剣に相応しい者と判断しました」


「そりゃ身に余る光栄ってやつですな」


 自己評価としても図太さには自信がある。絶体絶命の危機ってやつだって何度も乗り越えて来たわけだから運もあるはずだ。死んじまった今ではどうだか知らないが……。ついでに剣の腕前も一級品だろう。要するに、最低限には使えそうな人材だから選ばれたに過ぎないわけだ。


「私の評価はもう少し高いですけれどね」


「そりゃ嬉しいお言葉ですが、過信するとロクなことがないんでね」


 で、それを前提とすると……どうにも嫌な予感がする。ちなみに、俺の勘は結構当たる。


「それで、その魔の物とやらはどんな相手なんで?」


「その名の如く人ではありません。貴方にとっては空想の産物を思い浮かべた方が早いかも知れませんね」


「はあ……そりゃ、アレですかい? まさかドラゴンやら何やらっていう?」


「まさに、そのものも存在します」


 冗談で言ったつもりなのだが……それが本当ならぶっ飛んだ話だ。空想通りの相手なら、とてもじゃないが剣を振り回して勝てるとは思えない。俺は至って普通の人間なのだ。


「いやはや、とんでもないことになったもんだ。そんな相手を《百倍》も相手にしなきゃならんとは……」


 そう、俺が殺めた数の《百倍》だ。

 それが俺が人として生まれ変わるための条件──実に、十二万もの敵を斬ることが、俺に課された贖罪ってわけだ。普通ならどう考えても無理な話だ。少なくとも、俺の常識的には達成不可能だ。


「けど、無理じゃないって仰るんで?」


「如何にも。空想の産物が相手ならば、貴方も空想を用いれば良いだけのこと。そして、その力は神である私が授けましょう」


「そいつは何というか……無事にノルマはこなせそうで何よりだな……」


「ええ。きっちり働いてもらいますよ」


 こりゃ、さっさと死んでとんずらってのも無理そうだ。奴隷として戦い、勝利で己の自由を取り戻すまで死ねない気がする。もしかしたら永い一生になるのかもな……。


「さて、思ったよりも時間がかかってしまいましたね。私も多忙な身ですので今から早速行ってもらいましょうか」


「いや、いきなりですかい!?」


「心配いりません。詳しいことは現地で分かるようになっていますから。では──」


「ちょ、ちょっと待──」


 諦観の念からため息を吐いた瞬間での急展開だった。やっつけとしか思えないが女神は強行するらしく、俺が皆まで言わぬ内に足元から白光が立ち昇る。


「創世の女神ルクスの名において、勇敢なる魂に祝福を──」


 その祈りを最後に、俺は全身が光に包まれるのを感じた──。

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