第9話 唇へのキスは
トラックは市街地に入り、砲撃で崩れた建物と、残骸のようなバラックの家々を通り抜けていく。そこを更に十分ほど行くと、裸電球の眩しい元繁華街へとたどり着いた。
『着いたぜ! さぁ降りた降りた、しっかり働いて来い』
怒鳴り声にデンドール語と共用語が入り交じる。無秩序な店並びと呼び込みに負けじと皆大声で叫んでいた。
ルーシーを抱えて下ろし、娼婦たちが降りる手伝いをしてやると「じゃぁね」とあっさりとした別れの言葉と同時に幾人かにキスをされる。流石に唇は避けたが、ぺたりとした脂の多い口紅の感触が頬に残った。
「ラッド」
シャツの裾を引かれて、ルーシーの目線の高さにしゃがむと、ルーシーの指が口紅の着いていただろう場所を不思議そうに擦り、顔を近づけてきた。
「ルーシー、待て」
それを遮り、俺はルーシーの前髪をあげて額にキスをした。ルーシーはまだ納得いかぬ様子で割れガラスの青い瞳を俺に向けた。
「女のひとが、そうしていたわ」
「してもいいけど、大人と子供は唇同士でキスをしない」
ルーシーは頬ではなく、唇にキスをしようとしていた。俺は口紅が付かなかった方の頬を指して横を向くと、ルーシーはそこにちょこんと唇を押しつけてきた。
「あなたの髭、刺さって痛い。唇なら痛くないのに」
「駄目だ。そういうもんなのさ」
納得いかぬ様子のルーシーの手を握り、運転手の男に声をかける。
『コガシノまでどのくらいかかる?』
『だいたい四時間くれぇかな。途中まで乗せてやるよ、どうせ仕入れにいくからな』
行きは娼婦を乗せ、帰りは食料を乗せる。合理的な密輸だ。店という名の小屋に娼婦たちが消えたのを見送り、俺たちは再び荷台に乗りこんだ。
南に近づくにつれて、珍しく空気が湿っていた。世界的な干ばつの中、大陸の西側だけはまとまった雨が降る。ルーシーと出会ったあの場所で降っていた雨は、ルーシーと歩き出した途端に止んだ。おそらく、最後の雨だろう。
扉のない荷台に揺られながら、広大な穀倉地帯の変わらぬ景色を眺める。もうすぐここも、枯れる。そうすればまた、数千、数万の餓死者が出るだろう。
「……ラッド、くる」
ルーシーの言葉と同時に荷台に伏せた。立て続けの発砲音が遮るもののない穀倉地帯に響く。
ガラスの割れる音が複数聞こえ、運転席にも無差別に撃たれたとわかったのはトラックが大きく蛇行し、収穫前のトウモロコシ畑に突っ込み始めたからだった。
「ルーシー! 飛ぶぞ!」
荷台からルーシーを抱えて飛び、トウモロコシの茎に頭をぶつけながら止まった。自慢じゃないが体力以外はからきしなのだ。
そのまま無理矢理起きあがって走り、銃を取り出す。
「ルーシー、敵の方角を教えてくれ、できれば指示してくれ!」
「指で、おしえたらいい?」
「おれは射撃が死ぬほど下手なんだ!」
意を汲んでくれたルーシーが急停止と同時に射出方向を指示し「撃って」と。
風船が破裂するような音が二度、一発は何かに当たった。おそらく人ならば良いという希望的観測。豆鉄砲のような音だが、物体に接触すると炸裂する特性を持つ、殺傷能力が高い“
「当たったか!?」
「死んだ。あとふたり」
一般人に手を出し、スリーマンセルのやる気あふれる殺し手を差し向けるとは、デントラ王国が危機感を覚えているということだ。予算が許せば爆撃してくるかもしれない。一人殺すのに迫撃砲は出来れば勘弁して貰いたい。衣服は再生に含まれないのだ。
「クソッ、ルーシー頼む!」
死なない為にはルーシーに頼るしかない。トウモロコシの茎の間を縦横無尽に走りながら、ルーシーの指示する方向へ体を、腕を向ける。
「ラッド、肘を曲げないで」
「イエスマム!」
発砲は必ず二発、今度はどちらも当たった。
「がっ!!」
僅かに足を止めたその数秒で、俺の腿に銃弾が掠め、ルーシー共々倒れ込んだ。
的も見えず、二八セラバレットをがむしゃらに撃ち込む。肩に一発更に喰らい、銃声はおさまった。
「……ルーシー、終わったか」
頷くルーシーの無事を確認し、出血部分を確認した。案の定大動脈を掠めている。死ぬかもしれない。
両手で圧迫し、出血を抑える。再生が間に合えば、このまま目的地へ進める。死ねば再びコーコント街道に逆戻りだ。コーコント街道を外れて死ぬと、最後に踏んだコーコント街道上に戻されてしまう。この場合、おそらく市街地を過ぎ、コーコント街道から外れた地点に。
「ルーシー、死ぬのはまずい。せっかく
ルーシーの小さな手が、俺の手の上に重ねられた。意識が遠のきそうなのを、必死に持ちこたえる。
コーコント街道を進むのに車にも汽車にも乗れない、徒歩のみという
これで格段に早く進めるはずが、警戒されればそれだけ徒歩よりも足止めの確率が高くなる。出来れば身分証を手に入れ、次の国、ルーミット自治区から汽車を使いたい。
じわりじわりと肉が再生され、それ以上に血が流れ出す。
「このまま最後の地点に戻ればおそらく当分足止めを食う。なんとかならないか」
「……がんばって」
はは、と思わず笑ってしまう。
星を見上げ、止まりそうな息を細く細く吐く。
「……ルーシー、俺が死んだら、ルーシーは痛い思いをするのか?」
「さぁ。多分、心臓が止まるだけ。きっと苦しまないわ」
「ならいい。死んだ後に心配になるからな」
弱い鼓動はまだ、動いている。星も動いている。死んでは駄目だ。
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