第8話 ケネシアの呪い
ケネシアは、俺の目の前で死んだ。
世界を呪い、人間を呪い、俺を呪って死んだ。
この旅の、おそらく終盤になってのルーシーの出現は、ケネシアに予言されていた
思い出せないのは、体を寸刻みにされたせいだと思っていた。けれども違う。
ルーシーも俺も、結末を知っているのだ。そのどこかに鍵がかかっている。
「来たわ、ラッド」
ルーシーの声が、鼓膜を震わせる。
街道を、錆だらけのトラックが一台、国境にむけて近づいて来ていた。
「ルーシー、あれを止めてくれ。俺たちはあの車と
ルーシーが静かにトラックに目線を向け、ひとつ、瞬いた。トラックはスピードを落とし、俺たちの目の前で錆びたブレーキのたてる異音をものともせず停車した。
『よう、遅かったな』
『何いってんだ、時間通りだぜ』
鼻の曲がった運転手がデンドール語で挨拶を寄越す。この男は“俺の仕事仲間で十年来の付き合い”で、赤らんだ顔に粗悪な酒で濁った白目の“仲介業者”だ。
『悪いな、娘も乗せて貰って』
『いいってことよ。まぁちいと教育に悪いかもしんねぇけどよう』
『お前が言うのかよ』
『ちげぇねぇ!』
トラックの荷台にまわり、扉を取り払った中には中身の飛び出たダニだらけのクッションと、その上に座る毒々しい化粧の女たち。八人のうち半数は目の下の隈と痩せ衰えた手首が目立った。
「邪魔するよ」
「なんだい、男がここに乗るなんて聞いてないよ」
「悪いな、コガシノまで同行させてくれ。こいつを俺の姉に預けにいくんだ」
ルーシーを抱えて乗せると、女たちは文句を言いながらも尻を少しだけ動かしてスペースを空けてくれた。
「コガシノはあまり良いところじゃないよ。親戚はもういないのかい」
「もう皆おっ
話し好きらしい年増の女が、細い煙草に火をつける。コガシノは停戦の確定しないデントラ王国の首都から南側、穀倉地帯との狭間にある街だ。食料事情は程々に良くても、その利益を奪うために小競り合いは耐えない。
「……そうだね。おまんま食べられて、まともな仕事がありゃいいがね」
俺の膝の上に座らせたルーシーの前髪を、女は爪の欠けた指で軽く引いた。ルーシーは女のくすんだ目を、じっとみつめていた。
汚れたクッションの上に座り直した女はそれ以上喋らず、ガタガタと揺れる荷台に煙草をくわえたまま寝ころんだ。
『国境だ! お前等騒ぐな喋るな妙な真似すんな!』
既に静まっていた荷台に、運転手のデンドール語が響く。銃口の中を、男は気さくに手を振りながらトラックを進ませた。
『よう、調子はどうだい。荷物は好きに見てくれ。なんなら買ってくれてもいいぜ』
『買いたいのは山々だが、今ならもれなく蜂の巣にされるサービスがついてくるからな』
軽口を叩きながらも国境警備兵の目は笑っていない。身分証明証と通行証を確認し、荷台へ兵士が二人やってきた。
『申告より人数が多いぞ』
娼婦たちの乗る荷台の中、明らかに異質な俺とルーシーに、兵士は歩兵用AG49を突きつける。マガジンには四十発、横なぎに一瞬で殺害を完了できる安易で完璧な銃だ。
『すいません、申告日が遅くて伝わってなかったみたいで。これ、通達証と簡易通行証です』
手を挙げて胸のポケットを指すと、兵士がそこから乱暴に紙を抜き取った。そこには俺とルーシーの通行を許す、という文言がある。
『確かに。──異常なし』
兵士が前方に合図し、トラックはゆっくりと軋みながら動き出す。
「……ルーシー、どうだ」
「私たちが見えなくなれば、少しだけ違和感を感じる。でも“通行証を確かに確認した”という記憶は残る」
内緒話をするように、ルーシーが俺の耳元で囁いた。娼婦たちの側から見ると、通行できたことに安堵した俺が娘を抱きしめ、頬にキスをしたように見えただろう。
これまでで一番安全な国境越えだった。
死なず、荷物も失わず、手も足も吹き飛んでいない。
あとは“ラッド・ダリスが国境を越えた”事がどれほどの速度でサハルの上層部に伝わるかだ。俺がコーコント共和国へたどり着くことで実際になにが起こるのか、軍部は知らない。けれども俺が死んだあの日の出来事を、彼らは見ている。ケネシアの怨嗟の声を、彼らは俺が死に続けている間にも、幾度も検証したはずだ。
“終わりの地に、当代の魔女ケネシアが言祝ぎ申し上げる。水は涸れ、草木は砂となり、あたら命は死に絶える。これよりこの地に我沈む。これよりこの地にあらたな命生まれず”
奇妙な
枯れ果てる地を言祝ぎ、死を招き寄せる。
その日よりサハルの地は日照り、疫病が蔓延し、国民の大半が餓死寸前に陥った。軍部縮小の決断が遅ければ、ケネシアの言葉通りに国民は死に絶えただろう。
隣国の細々とした食料支援を受け、サハルは持ちこたえた。だが翌年、隣国テスランも飢饉に陥った。そこを通ってきたのだから、知っている。サハルよりは
東から西へ、俺は進んだ。俺が進んだ後、俺の背後に偶然か必然か、日照りと飢饉と病が追いかける。まるで中世の“悪い魔女”のように。
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