第7話 代筆業

「ルーシー、国境を越えるのに少しばかり金が足りない。昼飯を食ったら少し稼ぐ」


 身分証など、とっくに失っている。警備兵には賄賂が必要だ。俺ひとりなら国境に駆け込んで殺される、という手がある。そうすれば翌朝にはその場所で立っているからだ。

 けれども今はルーシーがいる。


「一緒に射殺されれば稼がなくてもいいけどな」

「それでもいいわ」


 軽口に本気で返され、俺は伸び放題の髭を擦った。


「ん……やっぱり、死なずに行こう。復活までの時間を考えればその方が早い、と思う」


 ルーシーが撃たれ、小さな体が紙のように崩れるのを想像した。俺の心はきっとイカれているけれども、少女の姿のルーシーが死ぬのはよくない。ルーシーはそう、とだけ呟いて俺の手をきゅっと引いた。


「疲れた、とおもう」


 太ももを擦って、ルーシーが報告してきた。時折背負われながらも四時間は歩いている。ルーシーを抱き上げ、腕の上に尻を乗せて支えると、バランスをとるのに首にしがみつかれた。


「前は見えるようにしといてくれ」

「こう?」

「そう、上手い。それで、何が食べてみたいか教えてくれ」


 国境に近い市場は、横流しのおかげで商品の種類も食べ物も豊富だ。ただし武器や日用品は値切らねば相場の二倍の価格だ。


「あれ。あの長くて赤いの」

「あれは辛いぞ」

「辛いってどれ?」

「どれって……」

 味覚を言葉で説明するのは難しい。俺は「辛いと痛いは同じらしいけど」と伝えるとルーシーは「痛いを食べるなんて変なの」と細い首を傾げた。きっとその仕草も、俺を見て覚えたのだろう。

 唐辛子の赤いスープに浸った小麦麺のトッタという料理を俺が頼み、ルーシーは薄焼きのチャパにハムと酢漬けの野菜を挟んだものを頼んでやった。トッタを一口分けてやると、ルーシーは赤い舌を出して「痛い」と抗議しながらも納得し、それ以降食べたいとは言わなかった。

 食事を終えて、鞄から用意していたものを取り出す。板切れにナイフで傷をつけ、竈の灰を宿でもらって刻んだ文字に色を付けたものだ。


『代筆・公用語以外も可能

 配達・西方面のみ』


 元々低かった大陸の識字率はいまや地の底で、代筆を頼むような人間には看板など無意味だが、昨日の食堂の娘のように国外からの移民には需要がある。文字が読めなくても、国際郵便の紋章を見れば何を書いてあるかはわかる。

 死ねば死体を漁られるのが常で、手紙が紛失することはよくあるが、届かないのが殆どなので頼む方もわかって依頼している。これで俺は小銭を稼ぎ、移動してきた。一度飲まず食わずでどれだけいけるかも試してみたが、倒れているうちに身ぐるみをはがされるだけで、翌朝には確実に復活するだけ死ぬ方が効率がいい。

 板切れを持って移動し、テントの切れ目に腰を降ろしてルーシーを前に立たせる。

「ルーシー、これ持ってちょっと憐れっぽく掲げてくれ」

「あわれ」

「可哀想、助けてあげたいって感じに思われるように。泣きそうな感じで」

「……泣くのってどうやるの」


 無理難題に、ルーシーは意識しているのか学習したのか、不満そうに唇をとがらせた。眉根を寄せるよりずっと可愛い。


「ルーシーは俺の可愛い娘って思われる。その娘が父親を助けたいと頑張っている。それがあわれに見える」

「とにかく、これを持てばいいのね」


 板を掲げて、ルーシーが通りに目を配る。普段なら雑踏のなか、小さな板切れに目を向ける人などほんの僅かだ。けれどもルーシーが持つ板に、誰も彼も数瞬目を向ける。


「ルーシー、何かしてるのか」

「してる。ほんの少しだけ」


 俺の盗まれた金を見つけて、盗人の名前までを割り出したルーシーの力。それどころではない。この大陸を縦断する街道を作り上げた魔女の力をルーシーはきっと持っている。 


 ルーシーのおかげでデントラ行きの手紙が三通、代筆と伝言をいくつか受けた。コーコント共和国行きの手紙を持ってきたのは、ルーシーと同じ年頃の少女だった。


「これは届くかどうかわからない。金はいい」


 少女の手の中で握りしめられていた、湿った紙幣を押し返す。国境を最低でも三つは越えねばならないコーコント共和国へは、それまでに荷物を無くす確率が高い。届くか届かないかわからない手紙を請けてはいるが、最初から届かないだろう仕事は安易に請けたくなかった。


「わかった。そのかわり、あんたたちの無事を祈るわ」


 鋭い目をした、埃まみれの少女が「コーコント様の加護がありますように」と別れの挨拶をして去っていった。大陸の宗教は数あるが、コーコント共和国出身者は未だコーコントの信奉者が多い。

 ルーシーの表情を盗み見たが、そこには何の感情もなかった。


「ルーシー、これで一旦終わりにしよう。捜し物を頼みたい」

「何を捜すの」

「若い女が大勢乗った車。位置だけ確認してくれ」


 歩きながら、ルーシーが「居た」と短く告げた。


「ありがとう。場所を覚えておいてくれ。それから、ルーシーが何が出来て何が出来ないかを知りたい」

 コーコント街道を西へ。国境へ歩みながら、いくつもの質問をする。コーコント街道を歩かされる俺のルール・・・と作戦をすり合わせ、時折ルーシーを背負いながら歩き続ける。


「今日は宿はとれないな」

「そう」

「ルーシーが飛べればいいのに」

「今は飛べないわ」


 今は。それならば、いつかは飛べるのか。


「いいな。飛べるって」

「羨ましがられても、あなたは飛べないわよ」

「ああ」


 飛べないから、地面に這いつくばって生きている。いつか空を飛ぶ魔女が見られるならば、それも悪くない。

 日が沈む頃、ようやく国境が見えた。

 兵士の顔が視認出来ぬ程度に近づき、街道脇に腰を下ろす。水を飲みながら、ルーシーの捜してくれた車を待った。

 ルーシーは足を投げ出して座り、ふくらはぎを俺が教えたとおりにマッサージしている。長く歩いたあと、翌日に疲れを残しにくいようにするものだ。

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