第5話 最果ての通信兵

魔女ケネシアの呪いは、そこに行けば解ける。それだけが俺の希望だった。


「ルーシー! 俺はちゃんと死ねるんだろうな!」

「そ、それは、保証、する」


 がくがく揺さぶられながらルーシーが答え、俺は鼓動が高鳴っているのか息切れなのかがわからなくなる。魔女の約束は、契約と同義だ。それはこの身に沁みて知っている。

 五ブロック以上を走り抜き、無許可の市場が街道両サイドにひしめきあう場所でようやく速度を落とした。

 俺はコーコント街道しか進めないし、一度通り過ぎた場所を戻ることも出来ない。そして死ぬ事を恐れもしない。

 たった今命を狙われたその足で、生活用品を買い、ルーシーの下着も買い込んだ。軍の配給品を横流しする店では古びたデントラ国の軍服もある。国際郵便配達員の印章が入った横流しの正規品も購入した。停戦時下に副業をする軍人は決して珍しくない。

 ルーシーは珍しそうに品物を見ていたが、足が痛むのか背中から降りようとはしなかった。手持ちの金が心許なくなって来たが、今日は何ヶ月かぶりに宿をとろうと思う。


「娘連れて国抜けかい? 西はまだ燻ってるから行くなら東にしときな。そんな可愛い子なんてあっという間にどうにかされちまう」

「ありがとう、そうするよ」


 瞳の色を揃えたせいで、皆ルーシーを娘だと勘違いしてくれる。軍支給の二八セラバレットを僅かばかりに値引きしてくれた男の片目には、砲弾の破片が未だに埋まっていた。刺さっている部分が深すぎて摘出出来ず、いつか鉛中毒か寝ている間に脳に刺さって死ぬだろうと笑いながら説明してくれるのを、ルーシーは怯えもせずに聞いていた。

 自動装填銃を扱うと、命はぐんと軽くなる。幾度も銃は盗まれたし取り上げられたが、その度に同じ銃を買う。


「ルーシー、俺は出来るだけ死なないようにする」

「そう」

「協力してくれるか」

「するわ」


 簡潔な返答。それで十分だ。

    

 市場を抜け、ルーシーを背負ったまま歩く。襲撃は収まり、郵便鞄を下げて少女を背負った俺は幾度も呼び止められて封書や伝言を託される。届くかどうかもわからない言葉を、人は人に託す。今や貴重な便せんの束と夫の名前が入ったペンを、やせ細った老婆から配送料代わりに受け取った。預かったのは、もう生きてはいないだろう息子とその妻への別れの言葉だ。

 八年前、俺は大陸最東の国サハルで通信兵をしていた。田舎育ちで体力だけはあったが、射撃の腕はからきしだった。貧しい村で食っていける道といえば軍人しか無く、百年に一度といわれる大干ばつの中、俺は十四歳で少年兵となった。入隊半年で前線に送られ、腹に風穴を開けられて基地に送り返された。そこで捕らえられていた捕虜とした会話が上官の耳にとまり、そのまま通信兵にされた。

 母親は大陸中央北生まれの移民で、拙いながらも三カ国語が喋れた。俺はそれを聞いて育ったので、捕虜と片言でも喋れたのだ。

 戦況は悪化、本部被弾による人員の不足。俺は半ば拷問のように言葉と文字を詰め込まれた。しかしそのおかげで前線から遠ざかって生き延びることが出来た。同期で入った奴らの七割は死んだので、幸運だったのだろう。

 戦争は終わらず、首都に限らず規模の大きな街は全て攻撃された。特に戦車の通れるコーコント街道近くの街は全滅だった。もう誰も、コーコントという魔女がどうしただのというお伽噺は口の端にも上らせず、日々の疲弊した暮らしを当たり前と思って暮らしていた。

 俺は二十歳になっていた。

 サハルは軍解体を突きつけられ、抵抗しながらも徐々に数を減らされ、上層部は処刑され、上層部に近かった者たちは飼われることになった。つまりは、俺たちだ。

 戦争が終わるならば、もう何だってよかった。ただ皆、疲れていた。誰かが始め、誰かが終わらせた戦争だ。名誉も栄光も、日々のパンとは比べられない。

 酒と煙草、あぶれる娼婦たち。そんなありふれたものに囲まれ、数年を過ごした。その中で西から来たという十七歳の、白というよりは赤みがかった肌の痩せた娼婦と結婚した。どちらかといえば不器量で、欠けた前歯を手で隠して笑う癖があった。

 名前、名前は。

 思い出せない。

 

「ラッド、使い方がわからないわ」


 ルーシーの声に、現実に立ち返る。どうやら転がり込んだ宿屋のカビ臭いベッドの上で、久しぶりに眠っていたらしい。昼間は歩き、夜には殺され、朝日とともに目を覚ます。そんなどうしようもない日々だっので、眠るのは随分と久し振りだった。


「このぼろ切れを濡らして汚れを落とすんだ。髪を洗うには足りないから、また次の宿で水があれば洗ってやるよ」


 水道の整備はコーコント街道周囲ならば整っているが、街道側故に戦火に晒されて水道設備が破壊されており、復旧は遅々として進んでいない。別料金を払ってバスタブを用意させても、たっぷりと使えるほど水はないのだ。

    

ルーシーは俺の教えた通りに衣服を脱ぎ、穴の開いたタオルを持ったまま丸い組木のバスタブにしゃがみ込んでいた。ルーシーはおそらく今朝、初めて肉体を持った。魔女とはそういうものらしいと聞いてはいたが、実際に二人目の魔女に出会っても不思議な気分になる。


「髪は濡らさないのね」

「綺麗な髪だからな、こんな何の手入れも出来ないところでしないほうがいい」


 絹糸のような黒髪を片手でまとめて掴み、布切れでルーシーの汗の浮かんだ首から背中を柔らかく拭う。安価な布地は、強く擦ればルーシーの肌は真っ赤になってしまうだろう。

 白く細い首筋から骨の浮かぶ背中を拭い終え、あとは自分でやれと布を渡せばルーシーは真似をして腕や足を拭い始めた。つま先はまだ赤いままだ。

 ルーシーがバスタブから上がり、新しい下着を身につける。俺はルーシーの後の濁った水で全身を流し、最後に泥と血に塗れた頭髪を流す。一枚しかないシャツを着直したルーシーが、それを見ながら自分の髪を指先で弄んでいた。


「ラッドは髪を濡らすのね」

「俺はいいんだ。女の髪が痛んでるのは、俺が嫌なんだよ」


 洗濯をする衣類を纏めて、自分も新しい下着をはく。宿はコーコント街道から外れ、あと一時間もせずに日は沈む。コーコント街道から外れた場所での襲撃は、伝達不足の無能者以外滅多に来ない。血塗れの軍服の上下は宿に洗濯を頼み、シャツは手洗いだ。共用の洗い場で水をけちりながら洗うのも、ルーシーは真似したがったので、自分の下着を洗わせた。

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