第3話 手紙と煙草

 太陽は、頭の真上にある。夢を見るには未だ早過ぎるし、ゴーストにしては俺たちは存在感がありすぎると思うのだが。


「おいガキ、聞いてるか? 金返せ」


 コートント街道側道からから北へ二リグの距離にある街ヘダール。

 ヘダールの小さな商店街は、異様な雰囲気に包まれていた。朝の「仕事」から戻ったクリム・バスタルは、朝食をたらふく食べ、家路につこうとしていた、のだろう。

 申し訳ないが、悪夢はお前の前に立っている。


「大丈夫か? 言葉わかる? ルーシー、俺まだ硬直してるか?」

「舌より脳味噌が固まっているんじゃないかしら」


 俺の血塗れのシャツを目が乾くんじゃないかと心配になるほど見つめた少年は、ぱくぱくと口を開いて閉じて、ようやく言葉をひりだした。やせ細ってぼろを纏った、この世界にありふれた貧民のガキは、聞き飽きた陳腐な言葉で尋ねる。


「あ、あんた、今朝、死んでた」

「俺の金、おまえ、持ってる。俺に、返す。おーけー?」

 

 そう、たしかに俺は死んでいた。喉を裂かれ、そこから下、パンツまでぐっしょり血塗れという状態で。

 乾いた血に染まった俺とクリム少年にどんどん目線が集まり、クリムは硬直した舌を必死に動かして「持って、ない」と答えた。俺は再び聞くありふれた答えにちいさく鼻をならした。


「持ってないなら持って来い。そこの店で待ってるから。急げよクリム・バスタル」


 名前を呼ばれ、完全に逃げ場を失ったクリムが、血の気の引いたそばかすだらけの白い顔で走り出した。折れそうに細い足がもつれて転げそうになるのを見送り、見物人たちをぐるりと見渡してやればさっと目を逸らされた。

 こんな光景も見慣れすぎて、血塗れの服で飲食店に入るなどなんとも思わなくなっている。大変迷惑だろうと思うが、それは俺には全く関係のない事だった。

目に付いたレストランと名乗るには寂れすぎている食堂へ足を踏み入れると、従業員らしい若い娘がぎょっと目を剥いた。


「あんたちょっと待ちな、椅子が汚れるじゃないの!」


 黄ばんだ新聞を掴んで来た娘が、汚して何の問題があるのかと思う程度には古く汚れた椅子にそれを敷いたので、大人しくそこに腰掛けた。向かいの席に、ルーシーも俺に倣って座る。


「兵隊さん、出来たら着替えてからにして欲しいわ」

「悪いな。いま使いをやってる」

    

 剛胆な性格らしい娘に叱られ、へらりと笑ってみせる。「それより、なにができる」と腰に手を当てて仁王立ちした娘に問えば、今は小麦すら入荷量があやしく、せいぜい芋と政府支給の合成ハム程度しかないらしい。


「この子になるべく美味しいもの食わせてやりたいんだ、頼むよ」

「そうは言われても無いものからは作れないからね。ちょっと待ってな」


 ルーシーににこりと微笑みかけて、娘は赤いお下げを跳ねさせながら厨房へと引っ込んだ。ルーシーは今、俺と同じ青い瞳になっている。血塗れの兵隊と、幼子の組み合わせは、兵隊が家族としばしの逢瀬を楽しんでいると見えないこともない。


「ルーシー、きっと美味い物が出てくるぞ」

「根拠は?」

「おれがそう思うからだ」


 ルーシーが完璧なラインの眉を寄せたのに、その眉間を指先でそっと撫でた。


「なにするの」

「別嬪が台無しになる」


 ひやりとした肌に、一筋の皺の感触が深まった。数瞬ののち、ぱしりと音を立てて手をたたき落とされる。蚊程も痛みはなかった。


「あぁ、しまった。煙草も買ってこいって言えばよかったな」

「買わなくていいわ。服が臭くなるもの」

「なんだ、煙草嫌いか」

「嫌いよ」


 ルーシーは目を逸らしたまま答えた。眉間の皺はもうない。どこで煙草の匂いを知ったのか気になったが、嫌いと言うならばそうなのだろう。


「じゃぁ、もう吸わない」


 ルーシーの青い瞳と、ゆるりと目線が絡み合う。いかにも理解できないという表情だった。


「吸わないの?」

「ああ。ルーシーが嫌ならやめる」


 ルーシーは何も言わなかったが、俺はもう本当に煙草は吸わないだろう。納得がいかぬ様子のルーシーだったが、運ばれてきたスープとパンに興味を移し、娘に促されていまや貴重品のバターをたっぷりと塗りつけていた。すぐに興味の対象を移すのは、見た目のように子供っぽい。


「兵隊さん、もしかしてデントラ王国に行く?」

「ああ。手紙なら一通1000ゼル、伝言だけなら700だ。こっちには戻らないから信用して貰うしかないがな」


 おさげ娘がうんうん唸って悩む。何百年も続く小競り合いと内戦で、郵便や輸送産業はほとんど信用出来ない。隣国のデントラには現在郵便物は届かない状態にあり、連絡手段としては商人たちに心付けを渡すか、緩衝地域に派兵される兵士に頼むしかない。前者は一般市民には高額、後者は届く確率が限りなく低い。


「届け先は?」

「すごく田舎なの。二年前に向こうの内戦でおばあちゃんと離ればなれになっちゃって」


 難民らしい娘が言うには、デントラ王国コーコント街道第七六四区より南へ40リグも離れている。歩いて半日以上だが、運が良ければ食料運搬の車が出ているらしい。彼女の祖母は、牧場の下働きをしているそうだ。


「おばあちゃん、字が読めないの。兵隊さん、伝言をお願い出来ないかしら」

「公用語か?」

「デンドール語しかわからないの。だから困ってて」


 大陸公用語は主要都市とコーコント街道沿いで各国に通用するが、コーコント街道から遠くなればなるほど通じなくなる。

『デンドール語なら少し話せる。ここの代金をなしにしてくれるなら、必要なら代筆もしよう』

『……ほんと!?』


 デンドール語で娘が承諾し、黄ばんだ便箋に伝言をメモする。難民となり、苦労して立ち上げた店はどうにかやっている。内戦が落ち着き、入国出来るようになれば迎えに行く。そんな内容だ。

 腰に巻いた雑嚢に便箋を仕舞おうとして、鞄の底まで濡れて崩れた煙草と血塗れなことを思い出した。


「ここらに服と鞄と、それから娘の旅装が揃う店はあるかな」

「店を出て五分くらいで雑品店があるけど、高いし小さな子の服はないわ。ね、よかったら私の小さな頃に着てた服ならあるから娘さんにどう? 兵隊さんの服も洗ってあげる。もちろんそれは別料金」


 しっかりしているおさげ娘の提案を承諾し、再び食事中のルーシーに目線を戻した。ルーシーはすっかり食べ終えていて、俺の目の前で冷めてしまったスープを指した。


「食べて」

「……ああ」


 義務的に口に運び、硬いパンをスープでふやかしながら飲み下す。ルーシーはそれをじっと見つめ「おいしい?」と尋ねてきた。


「おいしい……たぶん」

「あなたも多分なのね」


 俺の答えとルーシーの感想は、おそらくすれ違っている。ルーシーの問いは、他においしいものの比較対照がなく、俺の答えは本当においしいかどうかがわからないからだ。

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