第2話 魔女と歩く

 コーコント街道で死んではいけない。

 それはこの大陸では赤子から老人まで知っている事実だ。コーコント街道で死ぬと、魔女がその魂を喰らって、天には昇れないらしい。

 昔々、この大陸に生まれた原初の魔法使いコーコントは、そのたぐいまれな魔力を用いて大陸の端から端へと長大な道を創った。何を目的としたのかは誰もしらない。けれどもその道は大陸を、国と国を繋ぐ道として整備され、コーコント街道と名付けられた。人々はそこを行き来し、資源を分け合い、そしてそれを奪い合って戦った。コーコント街道は何千年もそこに存在し、幾千万の血を吸ってこれからもただ在り続ける。

 

「見られているわ」

「そりゃぁ見るさ。お前、俺らの格好が客観的に見てマトモだと思うのか?」

「知らない。おかしいの?」


 朝日が昇りきり、コーコント街道の本筋を歩く俺たちを、旅人や行商人たちが不審な目でちらちらと見ている。旅装でもなく、真っ黒のワンピースを着た少女だけでも目立つのに、隣を歩くのは軍服の前面を血塗れにした中年、つまり俺だ。

    

 昨日の死因は喉を切り裂かれた事によるもので、つまり失血死する量の血が俺の下着までをずぶ濡れにしたのだ。傷は塞がったが、血を消すサービスは付加されていない手落ちっぷり。乾いた血でごわつくので、出来れば下着くらいは換えたい。


「おかしいというか、おかしくない場所がないとしか言えんな。目立ちすぎる。あと、金の瞳は隠したほうがいい」

「なぜ?」

「おれは知らないが、お前は知ってるだろう。コーコントの瞳が金だったって伝承はどの国にも残ってる。今時魔女狩りにあいたくなきゃ何かで隠すんだな」


 ふぅん、と気のない返事をしたルーシーがしばし瞼を閉じ、次に見上げてきたその色に俺は久しぶりに、ほんとうに久しぶりに驚いた。


「これでどう?」

「……いいんじゃねぇの」


 ルーシーの瞳は、俺と全く同じ色になっていた。大陸にありふれたブルーアイだが、虹彩の色に鈍色が混じり、ひび割れガラスとからかわれた事もある俺の瞳と。

 それから俺たちは、黙々と歩いた。

 コーコント街道に沿って、各国の国境までは三百年ほどかけて鉄道が走り、街道は拡張され、裕福な人間は車で移動する。コーコント街道を徒歩で縦断するなんて愚かな目的を持っている者など、俺たち以外にはいやしない。

 それでも貧民たちは己の足で歩く以外の移動手段はなく、砂埃にまみれた難民たちと幾人もすれ違う。血塗れの軍服姿の俺に怯えてあからさまに避けられたり、逆に睨みつけられたりもするが、どの人間も直接絡んでくる気力もないらしく、川を流れる小枝にように俺の視界から遠ざかる。


「……ねぇってば!」


 少女の呼び声に、ふと遠ざかっていた意識が現実味を帯びる。足をとめて振り返ると、そこには黒髪に少女がやはり居て、白皙の頬を赤く染めて俺を見上げていた。


「どうした」

「足……へん」


 ルーシーに先導されていたはずが、いつの間にか歩幅をあわせる事を忘れて追い越していたらしい。人形じみた細い足を指して、ルーシーは眉根をきゅっと寄せる。それは少女の姿のくせに妙に色気がある仕草で、俺は沈めていた記憶を振り払うようにルーシーの足下に片膝を立ててその上に彼女を座らせた。

 小さなブーツを脱がせると、真っ白い足の甲との対比が痛々しいほどに、指先から踵にかけて赤く熱を持っていた。


「こりゃ痛いな」

「……ええ、たぶん。痛いわ。きっとそれね」


 曖昧な言い方をするルーシーにもう一度靴を履かせ、くるりと背中を見せてやる。


「なに?」

「ほら、あれだ。大人が子供にするやつだ。おかしくないから、真似しろ」


 街道を行く難民の父親が、幼い子供をおぶっているのを指してやると、ルーシーは納得したらしく、軽くて薄い体は一瞬ののちに俺の背中に張り付き、俺は再び歩き始めた。


「痛くないわ」

「そりゃそうだ。なぁ、寒いとか暑いって、わかるか?」

「知ってるけど……わからない」


 耳元で、ルーシーの僅かに困惑した声。なるほど、と俺はようやく少しだけ理解した。知っているけどわからない。それはつまり、身体を持って経験したことがないということだ。

 突然表れたケネシアに似ているルーシー。俺の死を見ても動じない、俺も彼女の存在を疑問にも感じない。


 ――ルーシーは、次代の魔女だ。


 コーコント街道をただひたすら歩かされたこの八年。

 ――終わり・・・が来るのだ。

 そう気がつき、ルーシーの体温で温かな背中にぞわりと痺れが走った。それは歓喜にも似ていた。


「ルーシー、旅をするには相応しい格好ってのがある。それを揃えるには金が必要だ」

「そうね?」

「だが、俺が死んでいるあいだに俺の金を盗んだ奴がいる」


 ルーシーは返事もせず、じっと目を閉じていた。俺が死んでいる間に金や荷物を盗まれるのはいつものことだが、ルーシーが同行するとなると話は別だ。肩口を振り返ると、ルーシーは音がしそうなほど長い睫毛を持ち上げて、その割れたガラスの瞳を得意げに俺にむけて微笑んだ。


「このまま北へ二リグ程。盗人の名前はクリム・バスタル」

「流石」

 口笛は下手くそすぎていつも鳴らないので、肩を掴むルーシーの手の甲に触れない距離を口づける。何か言いたげなルーシーをしっかり負ぶさり直し、俺は軍の訓練並の行軍速度で歩きだした。文句を言うルーシーが舌を噛み、怒り、そして本当の子供のように笑い出す。

 魔女を背負い、俺はコーコント街道の側道を曲がり、数年ぶりに声を出して笑っていた。

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