土葬禁止

南雲りくおう

第1話 不死の男

 

 雨が降っている。

 顔に水滴がかかり、鼻から吸い込んだ空気が湿っている。

 皮膚感覚があり、呼吸をしている。それは、生きている・・・・・ということだ。


「ねぇ、いい加減目を開いて頂戴」


 雨音の中に、異質な幼子の声。俺は未だ硬直の残る瞼を薄く開いた。俯いて死んでいたために、見えたのは己の血塗れの衣服と草地、そして小さな子供用の革のブーツだった。


「……まぁそれでいいわ。首が動くなら顔を上げなさい」


 如何にも不快そうな子供の声に、笑おうとしたが、唇がひくひくと痙攣しただけだった。


「軍も、とうろう、人材不しょく、か?」

「やめて。舌っ足らずが可愛いのは幼児だけよ。黙って聞きなさいラッド・ダリス」


 罅の入ったガラス玉のような眼球をを動かすと、そこには十歳くらいの少女の顔があった。青みがかった透けるような白い肌、人形じみた長く濃い睫、金の瞳。肩口で切りそろえられた黒髪は少女が喋るたびにゆらりと揺れて艶めく。その少女の毒々しく赤い唇からは、懐かしい俺の名前が発せされた。


「……ケネ、しあ」


 もう随分と遠い昔に音にしたきりの名前。それに少女は酷く不愉快そうに整った眉根を寄せた。


「リュシー。わたしはリュシーよ。あの女と間違えるなんて」


 俺は動かぬ瞼をこじ開けて、軋む首を動かした。少女の顔、首、裾にレースの施された黒くクラシックなデザインのワンピース。腹に重ねて置かれた、白い白い手指。


「おまえ、は」


 無理に動かした顎関節が軋み、ごぎりと不快な音があがる。

 

「……ケネ、シア」

「たった今名乗ったわよね? 不愉快な男。ケネシアは死んだままよ」


 少女から差し出された古びたハンカチは、俺のものだった。腕を動かして受け取る。指はもう、意志の通りに動いていた。それを握ったまま、ゆっくりと立ち上がる。雨で顔に張り付く前髪を、泥の付いた指も気にせず後ろに流し、袖口で顔を拭う。ハンカチは、唯一マトモな尻のポケットに仕舞い込んだ。

 見上げていた少女の顔を、真上から見下ろす。俺の顔をじっと見ていた少女は「まぁ、悪くない顔ね。髭でおじさんだけど」と嬉しくもない評価を突きつけた。


「それへ、ケネシアに似てるルーシー、俺に、なんお用ら」

「リュシーよ。死後硬直がとれたらきちんと発音なさい」


 は、と喉奥で笑う。ベルトの下を探ったが、隠しポケットには何もない。金品はおそらく死体漁りにあったらしい。煙草を探してはみたが、やはり濡れて残骸になっていた。

「わたしも行くわ」

「一緒に?」


 どこへ、とは問わない。おれは何処へも逃げられないし、逃げても終われない。目的地はただひとつだった。少女はさもあたり前だという風に首肯した。

 俺の前を歩き始めたルーシーにつられるように、もつれる足を引きずって歩き出す。


「ルーシー」

「リュシーだってば」

「リー、シィ」

「リュシー!」

「ルー……もういいだろ。お前はルーシーだ」


 ルーシーは俺の指を強く握ることで抗議をしたが、如何せん、少女の力は羽毛ほどのダメージも感じない。冷たく、力弱い指だった。

 それ以後、俺は最後の日までルーシーをルーシーと呼んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る