第一章 源蔵 後編

「う……」


 源蔵は目を覚ます。

 辺りは真っ暗。

 目を覚ましているのかも解らないぐらい暗い。


 ゆっくりと背中を起こそうとする。

 刹那、体中を痛みが襲う。

 起こすのを止め、体の内部に意識を集中し、冷静に体の状態を分析する。


 右肩・鈍痛のみ。

 右足首・鈍痛と激痛。

 足首の周りが焼けるように痛い。


 真っ暗だが温い液体で濡れているのは解る。

 おそらく血だろう。


 左太腿部・鈍痛と激痛。

 痛みから足首と同様の状態だ。

 源蔵はとりあえず体を元に戻し救助を待つ事にした。


「おいっ!

 返事をしろっ!」


 源蔵は助けた作業員の事を思い出し、大声を上げる。

 声は無常に闇に浸み込むのみ。


 声を上げるのは一度だけ。

 これは源蔵の性格から来ている。


 名家のプレッシャーからか高校生の頃から源蔵には選良思想を持ち、人を有能か無能かで推し量るようになる。

 社会人になると考えは選良思想から選民思想にシフトする。


 愚民を引っ張っていかないとという考えに至り、周りの人を助けるようになる。

 ただ助けるのは一度きり。


 それ以降は見捨てる。

 切り捨てる。

 シフトしたとはいえまだ源蔵の中には選良思想は健在のようだ。

 頭の中にはもう作業員の事等無かった。


 ###


 どれぐらい経っただろう。

 周りは変わらず闇の中。

 まるで宇宙空間を浮いている気分だ。


 源蔵は考える。

 俺は五段に昇格出来るのだろうか。

 納得行く作品を生み出せるのか。

 そんな事を考えていると周りに変化が起きる。


 ドドドゥ


 先ほど聞いた大きな音が聞こえる。

 もう一度落盤が起きたらしい。

 上の岩が真っ暗でも視認出来る程近づいてきた。


 と、同時に腹部に圧迫感を感じる。

 物凄く大きなものを上に載せられている感覚。

 先ほどまで姿勢を少し動かすぐらいは出来ていたが、もはや地面と岩に完全にロックされ動かす事も出来ない。


 苦しい。

 息をするのも難しくなっていた。

 ここで源蔵はリアルに死を予感する。


 焦り出す。

 どんどん呼吸がし辛くなる。

 じわりじわりと死神が喉を握り潰している感覚がする。


 これは不味いんじゃないか。

 ようやく源蔵はその考えに至る。

 声が出るうちに助けを呼ばないと。


「おぉーい!

 ここだぁぁ!

 助けてくれーっ!」


 やはり声は岩に浸み込むのみ。

 何の反応も返って来ない。

 源蔵は残された力で大声を出す。


「誰かーぁっ!

 俺はここだーっ!」


 反応無し。

 何度叫んだだろうか、ついにそれも出来なくなる。


「誰か……」


 駄目だ。

 岩の圧迫により声も出せなくなる。

 酸素欠乏により意識も遠のく。


 俺は死ぬんだ。

 そんな考えがとうとう頭をめぐる。

 頭の中は後悔ばかりだった。


 五段を取りたかった。

 誰も泣いてはくれないんだろうな。

 ネガティブな思考がグルグル回る。

 ついにその時が来た。


「もう……」


 源蔵は全てを諦め、目を閉じた。


 ゴゴゴゴゴ


 地鳴りが聞こえる。

 また落盤か。

 もう俺は死ぬんだ。

 関係ない。

 源蔵はそんな事を考えていた。


 ゴゴゴゴゴゴ


 地鳴りは更に大きくなる。

 と、同時に源蔵の身体付近にも異変が起きる。

 身体を圧迫していた岩が大きく震えている。


 死ぬつもりだった源蔵はもう一度目を開けてみる。

 岩と岩の間から光が差している。

 地鳴りも止まず大きくなる。


「な……

 何だ……?」


 呟いた瞬間。

 源蔵の上で身体を固定していた巨岩は全て宙に浮きだした。

 パラパラと小さな瓦礫が落ちてきて源蔵の顔に当たる。


 太陽の光が源蔵を照らす。

 左手で影を作り太陽光を遮る。

 ようやく目が慣れてきた。

 辺りの風景も認識できるようになる。

 源蔵は辺りの状況に絶句する。


 空中に数多の巨岩が浮いていている。


 現場だった山は源蔵を中心に半径五メートルそっくり抉れて空から見たらコの字のような形になっている。


【フン生きていたか小僧】


 カイザが近づいてくる。


「こ……

 これはお前がやったのか……?」


【フン……

 我以外に誰が居ると言うのだ】


 宙に浮いていた数多の巨岩はふわりと一方向に集められドスドスと地面に落ちる。


「カイザ……

 すまない……

 俺を詰所まで連れて行ってくれないか……

 動けないんだ」


【フン】


 カイザは無造作に襟首を掴み、黒翼をはためかせ空を飛ぶ。

 何だかんだ言って詰所まで運んでくれるようだ。

 詰所に辿り着いたカイザはドサリと源蔵を地面に置く。


(主任っ!

 大丈夫ですかっ!)


 詰所に居た作業員がわらわら出てくる。


(待ってて下さいっ!

 すぐに救急車呼んできますっ!)


 作業員の一人が近くの電話ボックスに駆け出す。

 じき救急車が到着し、源蔵は病院へ搬送。

 全治三か月の長期入院を余儀無くされた。


 三か月後


 (すめらぎさん、退院おめでとうございます)


 三か月はあっという間に過ぎ退院する事になった。

 久しぶりに家に帰って来た。


「おっ?

 源蔵。

 退院今日だっけか?」


 源蔵をラゴウと辰夫が出迎える。


【何でぇっ!

 べらぼうめっ!

 もう治っちまったのかよっ】


 挨拶を済ませ自分の部屋に戻る。

 三か月ぶりの自室だ。

 会社に顔を出すのは明日で良いだろう。


 机には出しっぱなしで出かけた習字セットがそのまま置いてある。


「書くか……」


 源蔵は机の前に座る。

 そして硯で墨を作りながら目を閉じる。

 これは源蔵が書をしたためる前に行う精神統一だ。


 目を閉じて色々な事を考える。

 今回は事故の事だ。

 あの死の間際。


 源蔵は臨死とも言える体験をする。

 恐ろしく眠く、大きい孤独感だけが輪郭をはっきり際立たせる。

 あの感覚を思い出すと震えがくる。


 次にその時のネガティブな思惑を思い出す。

 源蔵は友達が居ない。

 それは源蔵の選良思想が原因だ。


 社会に出て培った選民思想によって多少は他人とコミュニケーションを取るようにはなったが生涯の友人ができる青春時代。

 他人はクズ。

 他の竜河岸は使える奴が居たら話してやる。


 そんな態度を取っている者に話しかける奴なんている訳も無く友人は只の一人もいない。

 一人もだ。

 会社では意思疎通はしている。

 誘われたら飲みにも行く。

 が、プライベートの話はせず一線を置いている。


「フッ」


 吹き出す源蔵。

 友達なんて必要無い。

 近づいてくる奴なんて俺じゃなく後ろの皇家すめらぎけを見ている。


 そんなクズ共の相手をしている暇があったら書を書いていた方が良い。

 何て馬鹿馬鹿しいことを考えたのだろうと思い吹き出したのだ。

 静かに目を開ける源蔵。


 筆を取る。

 半紙に筆を走らせる。

 筆の動きが軽い。

 書き上げた。


「邁」


 意味はどこまでも進んでいく。

 上に出るなどの意味を持つ。

 書きあがった字をまじまじと見る。

 これを応募しよう。


 今回はこの字で挑戦しよう。

 源蔵はパラフィン紙でその書を包み封筒に入れ毎日書道会に送る。

 結果が出るのは一週間かかる。

 それまで待つ事にした。


 一週間後


 ジリリリーンジリリリーン


 結果待ちの源蔵は暇を持て余し家でボーっとしていた。

 そこにけたたましく電話のベルが鳴る。

 源蔵は応じる。


「もしもし……」


(私、毎日書道会のものですが、皇源蔵すめらぎげんぞうさんはおられますか?)


「俺ですが……」


(おめでとうございます。

 我が会はあなたを五段認定いたしました)


「そうですか。

 ありがとうございます」


(今回の書は「邁」ですか。

 素晴らしい書でした。

 後、今回の書なんですが毎日書道展に応募させて頂きました)


「そうですか」


(展の結果についてはまた後日……それでは)


 ガチャ


 受話器を置いた源蔵の心には何も波は起きなかった。

 五段取れたんだ。

 浮かんだ言葉はそのくらい。


 一週間後


 ジリリリーンジリリリーン


 また源蔵が電話を取る。


(私、毎日書道会のものですが、皇源蔵すめらぎげんぞうさんはおられますか?)


 お決まりの挨拶だ。


「俺ですが……」


(おめでとうございます。

 この度源蔵さんの書が漢字部三類で毎日賞を受賞しました)


 毎日賞といえば部門別の最優秀賞だ。


「そうですか。

 ありがとうございます」


(つきましては来週行われる授賞式にお越し下さいませ)


「わかりました」


 更に一週間後。


 源蔵は自室でスーツに着替えていた。

 じき着替え終わり出かける。

 すると偶然カイザが空から帰って来ていた。


 見慣れない源蔵の格好を見て声をかける。


【フン小僧。

 何だその恰好は】


「今から授賞式に行くからな。

 それなりの格好だよ」


【フン小僧、何か認められたのか?】


「俺の書いた書が最優秀賞をもらったんだよ」


【フン小僧が毎日毎日閉じこもって書いていたものか。

 くだらん】


「そう言うな。

 ようやく認められたんだ」


【フンならば我もついていくとしよう。

 人間のくだらん式を見るのもまた一興】


「まあいいか。

 じゃあこい」


 源蔵とカイザは一路授賞式会場へ向かう。

 電車を乗り継ぎ会場に到着。

 受付に向かう二人。


「あの、皇源蔵すめらぎげんぞうですが……」


(はい……

 すめらぎ……

 すめらぎ……

 あ、はい。

 お待ちしておりました。

 この名札を付けて中へお入りください)


 源蔵は言われるまま中に入る。

 カイザも一緒に入る。

 入るなり色々な人に話しかけられる源蔵。


 会社でも取引先を応対する事もある。

 それなりのコミュニケーションでかわす。

 式が始まる。


 次々と受賞した人と作品が紹介される。


【フンやはり下らんな】


 カイザはやれやれといった表情を見せる。


(さあ続いては漢字部三類。

 毎日賞。

 皇源蔵すめらぎげんぞうさん作「邁」です)


 源蔵の作品が紹介されるとカイザの動きが止まり、源蔵の作品を凝視しだす。


【う……

 美しい……】


 源蔵の字の美しさにそう一言漏らした後じっと見つめている。

 式は滞りなく終わり、帰宅の途につく源蔵とカイザ。


【源蔵、帰ったら話がある】


 源蔵は驚いた。

 カイザが名前で呼ぶなんて初めてだったからだ。


「あ……

 ああ」


 とりあえず返事をしたがそれ以降帰るまでカイザは終始無言だった。


「ただいま」


 帰って来た源蔵は自室に戻る。

 カイザもついてきた。


【時に源蔵、お前の書いた字は何と読むのだ?】


「ん?

 あぁ、あれは“まい”って読むんだよ」


【意味は?】


「どんどん進んでいくとか、上に出るという意味だよ」


【あのような字を我も書く事が出来るだろうか?】


「カイザ、どうした?

 なんか変だぞ」


 源蔵はカイザから挙動不審な理由を問いただした。


 カイザは源蔵の書いた邁の字の美しさにすっかりやられてしまっていたのだ。

 そして生来の好奇心が頭をもたげ、自分も書いてみたいとなった。


「練習次第では書けるんじゃないか?

 良かったら俺が教えてやろうか?」


【ウム、ならばこれから源蔵の事をマスターと呼ぼう】


 カイザが跪いている。


「お、おう、これからよろしくな」


 あまりの豹変っぷりに少々戸惑う源蔵。


【さあまず何からすればいい?】


 カイザは物凄くやる気のようだ。

 源蔵は考える。

 まずはその姿から何とかしないと。

 竜のままでは姿勢も悪くなる。


「カイザ、竜から人にはなれるのか?」


【造作も無い事】


 カイザの身体が白色校に包まれる。

 やがて光が止み、現れたのは長身の男だった。


 髪の毛はカイザの色を表す深い黒。

 長髪のストレートヘアーで瞳は赤。

 小さな眼鏡をかけ、そしてなぜか服装は喪服のようなスーツを着ていた。


マスター、これでいいか?】


「まあ、いいだろう」


【さあ何から始めればいい?】


「まずは硯で墨を磨る所から教えよう」


 源蔵は簡単に墨を磨るやり方を教える。

 こういう細かい作業は竜には不向きだと思いきや真剣に一磨り一磨り丁寧に行っている。


「よしいいだろう。

 まずは半紙に“一”を書け。

 上から五本だ」


 平成十七年


 源蔵は縁側で目を覚ます。


「夢か……」


マスター、半紙の買い出し完了しました】


「おう、そうかご苦労」


マスター、何がそんなに可笑しいのですか?】


 源蔵は書斎に向かう途中薄く笑っていた。


「いやな。

 夢を見てな。

 懐かしい夢だった。

 お前が儂を初めてマスターと呼んだ時の事じゃ。

 その時のお前の豹変ぶりを思い出してな……」


 クックックと笑う源蔵。


【仕方が無かろう。

 あの時のマスターの“邁”は今でも瞳に焼き付いている。

 我がマスターと呼ぶに足る字だ。

 いつか我もあれを超える字を書いてやる】


「それにはまず初段を取らなの」


【御意】


 源蔵は今日も字を書く。

 カイザも同様字を書く。

 源蔵は更に書の高みを目指すために。

 カイザはその背中を追うために。


 それぞれがそれぞれの“邁”を持っている。

 それぞれの目的に向かって。


              完


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