第5話 夢と父さん

 母さんが真っ暗闇の中で立っている。

 背中を僕に向けて。

 静かで何も無い世界で、母さんとたった二人だけ。

 父さんも妹も居ない。

 直ぐ横で一緒に居たはずなのに。

「母さん?」

 呼んでも何も言わない。

 けれど、ゆっくりを振り返った。

 その母さんの顔には、お面があって、とても怖かった。

 水を跳ねさせて走る。

 母さんに向かって。

 母さんは、ナイフを持っていた。

 ナイフを水の中に落として、冷たい声で言った。

「来ないで」

 僕はわからなかった。

 だから、止まらなかった。

「来るな!」

 母さんは叫んだ。

 その声で足が動かなくなった。

 母さんは動かないで、ただ手を僕に伸ばす。

 母さんの足元の水は真っ赤になっていた。

 血だ。

 僕は怖くなって、後ろに一歩ずつゆっくり下がった。

 血は嫌いだ。

「あんたはこっち側に来ちゃいけない。染まらないで」

 母さんはそう言うと、真っ赤な血の中に沈んで行った。

 それでも僕は走れなかった。

 血が、怖くて。


 目が覚めると、父さんが隣で寝ている。

 母さんは居ない。

 朝だった。

 父さんは、難しい顔をして寝ている。

「父さん」

 ゆすって呼んでも起きない。

「父さん!」

 耳元で大きな声で呼んだ。

 すると、ゆっくりと目を開けて、欠伸をした。

「朝……か…」

「父さん…母さん、死んじゃうの?」

「……どうした?」

 夢の話をすると、頭をくしゃくしゃと撫でてくれた。

「大丈夫だ。死なない。」

「でも、」

「夢だ。だが、忘れるな。朝飯にするぞ」

 父さんはベッドから降りて、キッチンに行った。

 父さんって…ご飯作れるんだっけ?

 父さんが作るところは見たことがない。

 キッチンに行くと、父さんは冷蔵庫の中を見ていた。

「何もねぇ。米とぐか」

「ないの?」

「米はある。握り飯でいいか?」

「おにぎりでいい!」

「待ってろ」

 父さんがおにぎりを作るのも初めて見るから、なんだか可笑しくて笑ってしまう。

 母さんのおにぎりは色んな形があって面白いけど、父さんはどんなだろう?

 お皿を出して、父さんのとこに置く。

「あぁ、ありがとな。…夜影よかげに似て気が利く」

「父さんは何の夢だった?」

「ワシか?覚えてないな」

「怖い夢?」

「多分な」

 父さんはお皿に、三角のおにぎりを並べた。

 キレイな三角で、全部同じ。

「父さんは、どんな料理が出来るの?」

「夜影ほど作れない」

 僕はおにぎりを頬張った。

 お腹が空いていたからだ。

 妹はやっと起きてきて、一緒におにぎりを食べる。

「母さんのおにぎりじゃない…」

「不味いか?」

「ううん」

「そうか。なら、いい」

 美味しくないおにぎりなんて、あるのかな?

 父さんは欠伸をして机に顔を置いた。

 少しして、寝ちゃった。

 食べないんだ…。

「父さん、まだ寝るの?」

 妹は、父さんをツンツンと指でつついた。

「父さん疲れてるんだよ。向こうで遊ぼ」

「うん」

 椅子から降りて、二人でカーテンを開ける。

 そしたらいきなり外から大きな風がぶつかってきた。

 ガラスが割れる音と、足が床から離れたのは同じだった。

 父さんが僕らを抱っこして逃げたから足が浮いたんだ。

 父さんは僕らを抱っこしたまま、窓を見た。

「乱暴で悪いな。影神と忍に用があってきた」

「父さん……?」

 父さんは舌打ちして、僕らを降ろす。

「怪我は?」

「痛くないよ」

「間に合って良かった」

 窓から入ってきた人を無視して、父さんは僕らにそういった。

 黒い人はこっちに向かってくる。

「ちょっと、無視は困るんだがなぁ。」

 父さんは包丁を手に取ると、黒い人に向けた。

 僕らの前に立って、睨み付けている。

 怒ってるんだ。

「戦う気はないんだ。」

「父さんは、おじさんに喋らないよ」

「おじ…!?いや、それより、坊や、わかるならどういうつもりか教えてくれ」

「父さんのことわかるの母さんだけだよ」

 本当なんだ。

 何も言わなくてもわかるのは、母さんだけなんだ。

 僕らはわからない。

 黒い人は困ったように頭を掻いた。

 寝ていたはずの父さんが、僕らを守ってくれたのはびっくりしたけど。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る