第2話 怖いモノ

 目の前には血に染まった人が倒れている。

 僕の手からも、血がポタポタと。

 殺されそうになったから、殺した。

 強く握り締めた棒切れの木針きばりが掌に食い込む。

 母さんがその人の前にしゃがんで眺める。

 そして、僕の方を見た。

 笑顔なんてない冷たい顔で、僕を見る。

 立ち上がって、僕の目の前にくると、僕の手を指差した。

 手を広げると、棒切れが落ちて血がよく見えた。

「あ……あ……あ……」

 怖い。

 手が震えて、涙が溢れた。

 僕は母さんに抱き付く。

 母さんは僕を抱き締めて耳元で囁いた。

「よくやったね。大丈夫。だけど、これに慣れちゃいけない。あんたは、夜影こちとらの子だから。いいね、よく覚えておいて。苦しくても、辛くても、この恐怖は忘れちゃいけない。殺しちゃダメなんだよ。」

「どうしよう…どうすればよかったの…?」

「逃げな。逃げて逃げて、影の中にお入り。手遅れになる前に、逃げなさい。あんたは、染まっちゃいけない。しのびには、なんないで」

 ぎゅっと強く抱き締めてくれる。

 母さんに、僕の手から血がついた

 それすら怖かった。

 震える体を抱き締める母さんは、冷たくて、何の香りもしなかった。

「あの人は…」

「死んでるよ」

「ごめんなさい」

「謝っても生き返らないよ」

「…ごめんなさぁい…」

 泣きながら何度も謝った。

 母さんの冷たい声は、とても悲しかった。

 まるで、怒ってるふうでもなくて、何もないみたいで。

「泣いても、謝っても、命は戻らない。あの人はもう、動かない」

 母さんは、僕を抱き締めたままそういった。

「あんたは、人を殺したんだ」

 息が苦しいくらいに詰まって、ただただ泣いた。

 逃げれば良かったのに、僕は、僕は…。

 血の匂いが嫌だった。

「母さん、母さん…」

「悪いことだって、わかるね?」

「うん…」

「絶対にしちゃいけないことだって、わかるね?」

「うん…」

「絶対…忘れちゃいけないよ」

「うん…」

 それしか、言えなかった。

 母さんは僕を抱き上げると、父さんに僕を渡した。

「片付けてくる。」

 その時の母さんの目は、とても冷たくて、怖かった。

 父さんは頷いて、僕に手で目隠しをした。

 そして、低い声で言った。

「聞くな」

 そのあとすぐに、ぐしゃりという音が聞こえた。

 とても、嫌な音だった。

 僕は父さんにしがみついて、音を聞かないように頑張った。

 父さんの手が離れたら、母さんの背中が見えて、母さんには血がべっとりついていた。

 怖い……怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。

 母さんが振り返る。

 僕は産まれて初めて母さんが、大嫌いになった。

「母さん…痛くない?」

「大丈夫。母さん、怪我はしてないから。」

「本当?」

「うん。ちょっと汚れただけ。ほら、母さんに触っちゃダメだよ。汚れちゃうから」

 母さんの笑顔も、怖かった。

 父さんと僕に近付いてくる。

「度が過ぎたんじゃないか?」

「これくらいしないと…。だって、こちとらの子だよ?」

「…聞かせてもらおうか」

「聞かない方がいいと思うけどなぁ。こちとらの昔話なんて、さ」

 母さんの目は僕を見ない。

 それでも、僕は怖い。

 怖い。

「まぁ、こちとらのミスだね。人殺しなんて、させるつもりはなかったのに」

 母さんはそう呟いて、手をヒラヒラと振ると、何処かへ消えた。

「父さん…」

「風呂に入るぞ。汚れたまま、寝るわけにはいかん」

「ごめんなさい」

「…一人で寝れるか?」

「怖い……」

「なら、一緒に寝てやる。」

 父さんは僕を優しく撫でると、僕を抱っこしたまま、歩き出した。

 母さんが消えたほうじゃない、逆のほうへ。

 妹の手を繋いだまま。

「母さんは?」

「……さぁな……」

「母さんも、一緒に帰る!」

「ダメだ」

「なんで?母さんと一緒がいい!」

 妹が、そう叫んで父さんの手から離れた。

 父さんは歩くのをやめた。

「母さんがいい!まだ帰らない!」

「待っても来ないぞ」

「やだ!」

「嫌か」

「やだ!母さんと帰る!」

「仕方ないな」

 父さんは妹の頭を一回撫でた。

 そしたら、妹はいきなり寝て、父さんは妹を抱っこする。

「母さん…もう、帰ってこない?」

「いいや、多分、用が済んだら帰ってくる。今夜はいないが」

「お仕事?」

「…さぁな。」

「母さん怒ってる?」

「いや、それはない」

 父さんは優しい声でいう。

 僕はやっと、怖いのがなくなった。

 だんだん眠くなって、妹と一緒に寝た。

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