後編

「ふーん。アリトモくんは性転換した人の気持ちがわかるんだぁ?」


 そう言って、ケイちゃんはアリトモに冷ややかな視線を投げた。

 それを受けてヤツがやっと口を開く。


「いや、少なくとも女子のケイよりはわかるさ。そんなの当たり前だろう?」


 コイツは童貞のくせにケイちゃんを呼び捨てにする。いつからそうしてるのか忘れてしまったけど、それを聞くたびになんとなくモヤモヤしてしまう。

 それなら俺も彼女を『ケイ』と呼べばいいのだが、それを切り替えるタイミングを逸したまま今にいたる。


「そうなんだ」


 ケイちゃんが否定でも肯定でもない返事を返す。それを聞いてなぜかホッとする自分、謎だ。

 でも、それから彼女は黙り込んでしまった。


「そ、そうだ。ケイちゃんはTSモノってどう思う? 女の子の目から見たら、女の子になりたい男なんて気持ち悪かったりするのかな?」


 自分が書きたいものを自虐的に表現するのは抵抗があるけれど、女の子というのはこういうものに敏感に反応する。相手が嫌うものを不用意に好きだと言ってしまったら、もう取り返しがつかない。


「うーん、TSっていうか、女性向け同人誌とかには性転換モノってジャンルがあって、原作の男の子キャラを女体化して、酷い目に遭わせる二次著作物がけっこう前からありますよ」


「はっ?」


 またもや俺とアリトモの声がハモった。


「男の子キャラって、美少年を除けば外見は男らしかったりムサかったりするじゃないですかぁ。でも、そういうキャラの中身って意外と可愛くて、それがギャップ萌えって言うかぁ……そんな男の子を女の子にしちゃえば外見も中身も可愛いっていう究極の完全生命体が誕生しちゃうワケじゃないですかぁ! これはもうほとんど天使ですよ。そんな美少女を近くに置いて、ずっとずっと眺めていたいと思いませんかぁ?」


 パイプ椅子から立ち上がり、口角泡飛ばす勢いで特殊な性癖を開陳するケイちゃん。

 唖然として彼女に目が釘付けになってる男子二人。

 こういうのも『腐女子』って言うのだろうか?


「でも、女の子の場合だと自分がTSするよりも、TSしたキャラを愛でる……ていう視点になるんだねえ」


 俺がしみじみと男女の違いに思いを馳せていると、アリトモのヤツが勝ち誇ったようなドヤ顔で椅子から立ち上がった。


「ほら見ろ! やっぱり女にはTS娘の気持ちはわからないんだ。男から女の子に性転換する本人の気持ちは、男にしか理解できないんだよ」


 アリトモがさっき俺にしたように、今度はケイちゃんを指差しながら力説する。

 しかし、それを甘んじて受け入れるケイちゃんではなかった。


「あたしがっ……!」


 そこまで叫んでから、彼女は一旦深呼吸してからぽすんと椅子に座り直す。


「あたしがどうして『文芸部』に入らずに、ココにきたのか、まだ言ってませんでしたよね?」


 俺とアリトモが目を合わせる。

 それとTSがなんの関係があるのだろう?


「文芸部には、あたしの高校の時のクラスメイトがいたんです。あたし、高校を二年で中退して一年留年してから大検受けて受験したんですよ。だからホントはアリトモくんと同い年なんです」


 ケイちゃんが自分の過去を話し始める。高校を中退したのなら、クラスメイトと顔を合わせるのは嫌かもしれない。


「ケイちゃん。無理して言わなくて良いんだよ」


 彼女の顔が今にも泣き出しそうになったのを見て、俺はたまらずフォローを入れる。

 でも、ケイちゃんは気丈に首を振ると、ポツポツと話し始めた。


「クラスメイトとなにかあったわけじゃないんです。彼女は高校時代のあたしを知ってる……ただそれだけ。あたし、高校まで詰襟を着て学校に通ってたんですよ」


「それ、どういうこと?」


 俺はつい聞いてしまった。それほどまでに彼女の話は謎めいていた。


「ずっと言わないつもりだったんだけど……あーあ、仕方ないなぁ。つまりですね、あたしは男の子だったってことです」


 そう言ってトートバッグから学生証を取り出して俺たちに見せる。

 今とさほど変わらない可愛い写真の隣に彼女の名前とプロフィールが並んでいて、性別の項目には『男』と明記されていた。


「えぇーーーー!」


 またもハモる俺とアリトモ。

 それってつまり……。


「リアルTS娘!」


 すげー! 憧れのシチュエーションの『実物』が今、俺の目の前に座っている。

 美しいツヤツヤの髪を肩まで伸ばし、長いまつ毛が縁取られた大きな瞳は濡れたように妖しく光っている。

 細い鼻筋と尖った顎、小さな唇はとても元男には見えない。


「もともと顔が女の子っぽかったから、整形はしないで済みました。割と早い段階で性別違和を感じていて、ホルモン治療してたから喉仏もないし、胸だって小さいけど自前ですよ」


 そう言われてつい彼女の胸元に視線が行ってしまう。


「それから高校二年の時にこっちの手術をして、今年のうちに戸籍も女になる予定だったんです」


 ピッタリと閉じられたスキニーデニムの太ももの間に彼女の指先が添えられる。

 それがとてもエロチックに見えて、うろたえた俺の視線がさまよう。

 それってつまり、身体は完全に女になってるってことだ。


「リョウさん、見過ぎぃ!」


 そう言って、彼女が自分の身体を隠すように抱きしめる。

 その仕草のあまりの可憐さに、自分の中の価値観が物凄いスピードで再構築されていく。


「あはは、ゴメンゴメン。元男の子ならちょっとくらい良いかなって思って、ガン見しちゃったよ」


 笑いながら両手を合わせる。

 謝りながら、しかし俺はまったく違う別の事実に気がついてしまった。


 俺はケイちゃんが好きだったのだ。


 今までは、なんというか……高嶺の花ってほどではないけど、良い意味で恋愛の対象として見ることはなかった。

 でも、彼女の告白を聞いて、俺の中でケイちゃんの存在が恋愛対象として認識されてしまったのだ。

 我ながら現金なものだと思うけど、こればかりは仕方ない。


「あ、あのさぁ。ちょっと聞きたいんだけど……」


 彼女の衝撃の告白に当てられて、大人しく椅子に戻っていたアリトモが、おずおずと挙手して発言する。


「なぁに?」


「男から女になったケイは、女が好きなの? それとも男?」


 え?

 アリトモの意図が俺にはわからない。


「性転換して女の子になったんだから、恋愛対象は男だろう?」


 そんなの当たり前なんじゃないのか?


「うーん、そうねぇ。こういうのって色んなケースがあるらしいから、一概には言えない。女の子になったからって必ずしも男の子が好きになるワケじゃないみたい」


 それを聞いてアリトモがなぜかドヤ顔で俺を見る。

 いちいちうざいヤツだ。


「でもね、あたしの場合は好きになるのは男の人かなぁ」


 形勢逆転だ。アリトモを睨む俺の顔は、きっとさっきまでのコイツと同じになってることだろう。


 でも、ちょっと待て。

 ならば、俺だって彼女の恋愛対象になるんじゃないか?

 文芸部に入りたくなかったとしても、こんな可愛い女の子が一人でむさ苦しい野郎二人のサークルに入っても、楽しいことなんかなにもないハズ。

 もしかして彼女は、俺か……あるいはアリトモのどちらかに好意を持ってるんじゃないだろうか?


「じゃあ、俺たちも恋愛対象になるの?」


 悶々とする俺の向かいから、馬鹿なヤツが禁断のド直球を放り込む。

 以前から馬鹿だ馬鹿だと思っていたけど、ここまで大馬鹿だとは思わなかった。

 だけど、この馬鹿の直球を彼女はそのまま受け止めてしまった。


「なるよ。もちろん」


 なるの?


「でもねぇ。ほら、あたしって普通の女の子じゃないでしょ? 例えば将来、結婚することがあっても……ああ、戸籍が女になれば、男の人と結婚できるからね……でも、愛する人の子供を産むことはあたしにはできないの……」


 そう言ってケイちゃんが俯く。彼女の長いまつ毛が頬にその影を落とした。


 そうなのだ。フィクションのTSと違ってリアルな性転換の場合、さまざまな障害を乗り越えなくてはならない。

 性転換手術だけでなく、本来分泌されるハズのホルモンを生涯に渡って投与し続けなければならない。精神的に不安定になりやすかったり、体に様々な障害を残すこともある。

 なかでも女性として気になるのはやっぱり子供が産めないことなのだろう。


 そこで俺は考える。

 もしもケイちゃんと結婚することになったら……俺はそれらを許容できるだろうか?

 例えば、子供が作れなかったら……俺は長男で下に妹が一人いる。男子は俺だけだから、俺に子供ができなかったら、妹が婿養子をもらって家を継ぐことになるかもしれない。

 俺の勝手な都合で結婚相手を制限されるとしたら、妹は文句を言うだろうか? 兄貴のくせに身勝手な行動をとった俺を恨むだろうか?


 視線を落とすと、俺の手元に広げたノートが目に入る。

 そこには小説のプロットとして走り書きされた文字が並ぶ。

 俺はTSモノの小説を書くための準備をしていたハズなのに、いつのまにかリアルなTS娘と実際に結婚する可能性まで考えていた。

 ちょっと待て。一旦落ち着け、俺!


「俺は子供にこだわらないよ」


 向かいに座った馬鹿が、再びトンデモナイ言葉を口にする。


「あははぁ。アリトモくんって意外と優しいね!」


 え?

 あれが優しいの?


「いや、ホントだって! 俺、五人兄弟の末っ子で、上に兄貴が二人いるから孫とか特に期待されてないし、俺自身子供がそれほど好きじゃないから夫婦二人きりで生きていくのもアリだと思ってるんだ」


 ちょっと待て!

 俺が現実的なことで頭を悩ませてる間に、ぜんぜん悩まない馬鹿が、ケイちゃんに限りなくプロポーズに近い言葉をかけていやがる。

 お前も彼女のことが好きだったのか?

 それは最高に気になる事柄なんだけど、今ここで俺がそれを聞いたら、コイツは間違いなく『好きだ』と言い放つに違いない。

 ケイちゃんの前でそれを言わせるワケにはいかないのだ。


「えぇー? アリトモくん、本気なのぉ? あたし元男の子なんだよぉ? キモいとか思わないのぉ?」


 ちょっとだけ微笑みながら問いかけるケイちゃん。


「全然キモくなんかないよ! ケイとだったらキスできるだろうし、裸だって見たいと思うよ!」


 アリトモの言葉を聞きながら、俺は自分がケイちゃんとキスしたり、それ以上のことまですることを想像してしまう。

 高校生の頃、たった二回だけエッチした女の子を思い出す。彼女はちょっとだけ派手なメイクで、俺の腕に胸を押し付けて耳元で囁く。

 『ねぇ、あたしのこと好き?』

 そして、彼女の顔がケイちゃんの顔で俺に笑いかけてきた。


「やだぁ! 裸なんて恥ずかし過ぎるぅ! 胸だってAカップなんだよぉ!」


「大丈夫だよ! 貧乳はステイタスなんだから、なんにも恥ずかしがることないって! エッチだってマジでしたいと思うもん!」


 アリトモ。お前、今リアルに女の子を口説いてるって自覚あるのか?

 これだから童貞は!


「ホントだって! リョウさんだってそう思うよな? ケイとエッチしたいって!」


 バっ!

 おまっ!

 慌てた俺はアリトモを睨みつける。

 それから恐る恐るケイちゃんを見ると、彼女は黙って俺の目を見つめていた。

 これは、返事をしないわけにはいかない。


「あ? ああ、もちろん。俺だってケイちゃんとエッチしたいと思ってるよ」


 ここら辺で俺も自己主張しておかないと、ケイちゃんをアリトモにとられてしまうかもしれない。

 しかし、俺がそう言ったとたん、彼女の口と目は見開かれ、顔が見る間に真っ赤に染まっていった。


「え? なになに? どうしたの?」


 事態の急激な変化に反応したアリトモが、慌てた声を出す。

 でも、残念だったな、アリトモ。ケイちゃんは間違いなく俺のことが好きだ。


「だってぇー! リョウさんって童貞じゃないんだもん。そんな人に裸をじっくり見られちゃったり、触られたりするの想像しちゃったら……」


 ケイちゃんは両手で顔を隠して俯く。

 彼女はああ言ってるけど、あの顔は間違いなくエッチするところまで想像してるだろう。

 可愛い。もうどうしようもないほどに可愛くて愛おしい。


「待ってよ! 俺はマジでケイのこと好きなんだ。リョウさんは君のことそれほど好きなワケじゃないよ」


「勝手に決めつけるなよ、アリトモ!」


 ことここまできて、俺はついに腹をくくる覚悟を決めた。

 元男の子だった彼女は、学生時代の友達と決別し、同窓会にも行けないかもしれない。

 結婚すれば子供ができないことで俺の親だけでなく親戚からも非難されるかもしれない。

 でも、それらの身勝手な偏見から彼女を護ってやれるのは俺だけなのだ。元男? だからなんだ! 子供が産めないからどうだって言うんだ!

 そんなもの、愛さえあればすべては誤差の範囲内だ。


「俺だって、ケイ……が好きだ。結婚を前提に付き合う覚悟だってある」


 そう言い切って彼女の顔にまっすぐに向き合う。

 ケイちゃんは……いや、ケイは、優しく微笑みなから、こう言った。


「あらぁ、今日のあたしったらモテモテですね! でもごめんなさい。フィアンセがいるからどっちともお付き合いできませぇーん。あ、フィアンセってもちろん男の人ね」


 それを聞いて、俺の頭の中は真っ白になった。


「なぁーんだ! まぁ、そんなことだろうと思ったよ。今時フリーの可愛い子なんてどこにもいないんだよなあ! で? TS娘を嫁にもらおうなんてスゲー度量のある人って、どんな人? どこで知り合ったの?」


 アリトモがまるでなにごともなかったかのように、彼女と会話を続けている。

 でも、俺は未だ思考停止したまま口だけをポカンと開けていた。


「えっとねぇ、中学生の時の塾の先生で、あたしが高校生になった時に告白されてお付き合いが始まったの。九つも年上なんだけど、あたしどうしても彼のお嫁さんになりたくて、それで女になる決意をしたのよ。大学生になってから彼の実家にもご挨拶に行ったんだけど、お父様もお母様もすごく優しくしてくれてぇ……」


 それからケイちゃんのノロケ話が延々と続いたのだけど、そのほとんどは俺の耳を素通りしていった。


「ホント。俺、ケイに誘われてるんだと勘違いするとこだった。ヤベぇ! ……てゆーか、女は恐ぇって思っちゃったよ」


 そう言ってアリトモが無邪気に笑う。


「あら! それってあたしから見れば褒め言葉だわ。だって、勢いでプライベートなこと言っちゃったけど、もしも拒絶されたらここにいられなくなるじゃない? 本気であたしを受け入れてくれるかどうか、すごく不安だったのよ」


 ケイちゃんもつられて笑う。

 つまり、結婚さえ見据えた俺の覚悟も彼女にとってはサークルメンバーからの承認としての意味しかなかったのだ。

 もちろん、俺が勝手に誤解して勝手に盛り上がっていただけで、彼女にはなんの非もない。

 だけど、俺はこう思う。

 アリトモよ。今回だけは俺もお前に全面的に同意する。


 本当に、女って恐い。

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TSモノ語り 孤児郎 @kojie

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