リンドウのせい
~ 十月二十三日(火) 誕パ説 ~
リンドウの花言葉 正義
「……秋山ちゃん、ヤバい」
「何がです?」
「『だべ』になる」
「なりません」
とは言いましたが。
俺も、この春ここに来た時。
『ずら』になりましたけどね、語尾。
行き交う人たちをきょろきょろと。
落ち着きなく見ているのは椎名さん。
普段は元気な彼女でも。
渋谷に足を踏み入れると、ご覧の通り。
俺の制服の袖をギュッと掴んで。
すっかり怯えているのです。
頼りたい気持ちは分かるのですけど。
相手が間違っています。
俺だって、今にもなりそうなのですよ?
『だべ』に。
班行動一日目。
俺たちは渋谷でお昼ご飯を食べて。
その後、佐々木君と椎名さんの強い要望により。
秋葉原へ行くことになっているのですが。
「他の皆さんも似たような有様ですし。お昼は秋葉原で食べることにします?」
「そ、そうすっか……、だべ」
「たまにはいいこと言うわね……、だべ」
「わざとなの?」
六本木君と渡さんのお二人は。
渋谷にいても何ら恥じることの無い美男美女だというのにこの有様で。
そして神尾さんと佐々木君に至っては。
六本木君の背中に隠れて、周りを見ないようにしているのですけれど。
だれも、取って食ったりしないのでご安心くださいな。
ここ、ハチ公前には。
沢山の待ち合わせの人たちがおりまして。
そんな皆様からじろじろと見られているような気になるのも。
自意識過剰と言うより。
田舎者気質のなせる業なのでしょう。
さて、そんな俺たちも、待ち合わせの為にここにおりまして。
大胆な彼らが来れば。
何件かのお店を回ることくらいできると考えていたのですが。
ようやく聞こえた待ち人たちの声。
雑踏に紛れて、それが耳に届いたのですけれど。
残念ながらいずこの船も。
同じような有様だったのです。
「やっべ! 語尾が『だべ』になるっしょ!」
「……あたしは、『んだ』になりそう」
「そうなの。あたしも前来た時そうなったの」
男子三人と、女子三人。
固まって、歩き難そうによちよちと近付いて来る六人組の先頭にいるのは。
以前、見事な『だべ』を渋谷で披露して笑われた
軽い色に染めたゆるふわロング髪を、今日は自分でセットしたせいで、よたっとした下手くそな三つ編みになっているのですが。
左右で編みの大きさが随分違いますけど。
それで乙女を名乗っていいのでしょうか。
そんな穂咲も、さすがに渋谷で目立つのは嫌だったのでしょう。
出がけには、頭に挿していたリンドウの花を。
手に持って歩いているのです。
「……君らしくありませんね。お花、頭に挿さないのですか?」
「さすがは意地久君なの。酷いこと言うの」
いけね。
つい、いつもの調子で話しかけて。
穂咲の頬を膨らませてしまいました。
せっかくの修学旅行。
班行動の予定が、偶然被っているのはここだけですし。
せめてこの一時間ほどだけでも。
楽しい思い出を作りたいところだというのに。
「ごめん。それ、持っててあげようか?」
「そんなご心配は無用なの。それより意地久君は、椎名ちゃんの手をしっかり握っててあげなきゃ可哀そうなの」
そう言われた椎名さんが。
これは違うのと大声を上げて。
慌てて俺の袖から手を離して飛び退ると。
よりによって、随分と怖そうなお兄さんにぶつかってしまいました。
「ごめんなさい!」
「にしてくれてんだオラ!」
「ひっ! すすす、すいませんっ!」
「んだぁ? イナカもんの修学旅行か? 渋谷になんか来んじゃねえよ! とっとと帰れボケぇ!」
……酷い事を言う方です。
周りにいる皆さんも眉根を寄せて、不快を露にしています。
でも、ちょっと気になる言い方でしたね。
俺は怯え切ってしまった椎名さんを抱き起しながら。
つい、怒りに任せて思ったことを口にしてしまいました。
「イナカ者は渋谷に来るなとか、地元の人じゃ言いませんよね? お兄さんもイナカのご出身?」
……俺の売り言葉に。
いかついスタッズのジャケットを羽織ったお兄さんの顔が。
真っ赤に燃え上がります。
やば。
俺、今、何を言いました?
「のガキ! ぶっころす!」
「ひやあ! 暴力反対なのですっ!」
後悔先に立たず。
でも、お兄さんの怒りをなだめる術などもはやありません。
お兄さんの、有無を言わせぬパンチを紙一重でかわして。
慌てて猛ダッシュで逃げたものの。
目の前はハチ公像。
……このままでは正面衝突。
でも、人間、必死になると驚くようなことが出来るのです。
俺は走る勢いも殺さず、そのままジャンプ一閃。
像の台座に足をかけてさらに飛び上がり。
ハチ公の背中に両手をついて、そのまま前転。
空中で膝を抱えて二回転して。
地面にすちゃっと着地したのです。
…………………………?
したのです?
「……今、俺、なにしました?」
そんな独白に答える声も無く。
かわりに湧き上がる拍手と大歓声。
「うおおおおお! かっこいい!」
「ねえ見た!? 今の!」
「パルクール? こんなとこで?」
「テレビ撮影か! カメラ、どこにあるんだ?」
「かっこいい! なに今の!」
「アクション俳優さん、結構可愛くない?」
「いいぞ! もっとやれー!」
地を揺るがすほどの大歓声。
おそらく、生涯二度と浴びることのない熱い喝采。
でも、それどころじゃなくて。
とうとう火だるまになって怒りをあらわにしたお兄さんが。
機関車のように追いかけてくるのです。
「舐めてんのかコラ!」
「怖い! だ、誰か助けてっ!」
俺は必死に、スクランブル交差点へ飛び出したのですが。
どうやら、歩行者用の信号が赤になった直後だったようで。
お兄さんはもちろん追いかけて来なかったのですが。
一難去ってまた一難。
今度は、車からこれでもかとクラクションを鳴らされて逃げ惑い。
右へ行ったものか左へ行ったものかぐるぐると考えた挙句。
交差点のど真ん中で、お得意の姿勢になることしかできないのでした。
そして恐怖の時間が過ぎ。
歩行者用の信号が青になると。
真っ先に駆け寄ってきたのは、怒り心頭になったお巡りさん。
おかげで、お兄さんはどこかへ逃げて行きましたが。
俺は昨晩に引き続き。
必死に事情を説明することになりました。
「道久、見直した。今のは椎名が惚れてもおかしくねえレベル」
「能ある鷹が、まさかパルクールなんか隠し持ってるとは思わなかったわ」
「六本木君も渡さんも! そんなこといいからお巡りさんに事情を説明するの手伝って欲しいのです!」
と、いうわけで。
俺は、穂咲との思い出を作るどころか。
動画となって、ネットの世界に伝説を残すことになりました。
ですので、『渋谷』『スクランブル交差点』『立つ』というキーワードで検索しないでください。
もうすでに。
動画再生数が伝説級になっていますので……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます