Ms.F

「……ソウはタイムトラベルについてどう思うの?」

 俺? 俺はあり得ると思う。

「……そっか。でもさ、タイムトラベルを実現するにあたって、様々な障害が待ち構えてると思うんだ」

 確かにそうだ。理論上のタイムトラベルが可能な話ってのは現時点においてあまりにも不安定過ぎる理論だと思う。タイムパラドックスの問題とか、可能とされる理論をいかにして実現するか。そもそも、タイムホールなんて存在したとして、どうやってそれを見つける?

「なるほど、そこまで考えているとは思わなかった。だけどそれだと尚更気になる。そこまで考えておいて、どうしてタイムトラベルなんてものが実現しうると言えるのか、そこが俺にはわからない」

 今挙げた問題点、ってのは、全部解決しうる問題だ。

 少なくとも、理論上は。

「理論上での理屈を持ちだされてもな。理論上可能だなんてのは百も承知だし、聞くだけならそれ以上聞いた。理論上理論上。その理論を実現するためにどうしたらいいのかってのが、俺は知りたいんだよ」

 …………。

「あと、テレパシーで一方的に会話するのはやめないか?」

「やっぱり、やりにくいか?」

「というより、周りからしたら僕が一人で会話してるようにしか見えないと思う。いくら特殊能力持ってるからって、周りには普通に人がいるんだよ?」

「見えないからいいだろ。俺達は、周りの群衆がいる場所とは違う次元にいるんだぜ? そりゃあ、俺達には周りの人間が見えるけど、その逆は無い」

「そうだっけ。忘れてたよ。目の前にいる敵を見るのに夢中で、周りの人間が僕の体を突き抜けていくのすら気付かなかった」

 さすがに気付け。

「心の声が漏れてるよ、ソウ」

「どうにかして、能力の制御をしないといかんな」

「とりあえず、敵、倒そうか」

「そうだな」


 叢冷双一朗と新守了。

 二人は武器を構える。

 一人は刀の鞘を抜き。

 一人は機関銃を構え。

 切る。斬る。裂く。

 狙う。撃つ。放つ。

 それは一瞬。

 それは刹那。

 二人以外にこの光景が見える者がいたとしても、やっぱり何が起こったかはわからないだろう。

 速過ぎる。

 彼らの眼前にいたその敵は、恐らく二人の身長を足してもまだ届かないくらいには大きな相手だった。一つ眼の巨人。それだけを言えばサイクロプスを思わせるが、腕は六本。阿修羅である。阿修羅とサイクロプスが合わさったような巨人で、六本の腕それぞれが違う武器を持っていた。

 了の刀は六本の閃光を描いて、そして身体を切り裂いた。

 双一朗の機関銃は轟音が鳴り、全ての弾丸が眼を貫いた。

 落ちる六本の腕。穴が空く一つ眼。

 双一朗はもといた場所から一歩も動かず、了は全ての腕を切り落とした後に着地、すぐに巨人の方に振り返る。

 悶絶と共に、その得体の知れない巨人は倒れた。そして消滅する。跡形もなくなり、何も残らない。消滅後に見えたお互いの顔を確認し、ニヤリと笑った。

「さすが、パンドラの武器はすごいな」

「俺だって、パンドラの恩恵を受けて能力を持ったんだ。そういう力がないと、この刀だってまともに扱えないよ、きっと」

「それにしたって、お前の闘い方からはセンスを感じる」 

「ハハハ、真に受けておくよ」

 了は刀を鞘に収め、左腰に装備した【パンドラ】と呼ばれる、黒い小さな箱に鞘ごと突き刺す。刀はそのまま箱に吸い込まれるが、刀の鍔が小箱の面よりも大きいため、鍔の部分で引っかかるようになっている。双一朗も機関銃を、刀を収納したものよりも大きめの【パンドラ】に同じように収納する。こちらは全て収まった。

 交差点を行き交う人々の姿があっても、実際存在しているのは了と双一朗のみだ。それは彼らが次元をずらした世界の上に存在しているにほかならない。ずれ方が微妙なせいで、こうして群衆の姿が半透明になっている。

 最寄りのビルの中のエレベーターに入り、自らがいる世界の次元を元に戻す。エレベーターのドアが再び開くと、空っぽだった世界は一気に人で溢れかえる。その人混みの中を、二人は進み、そして紛れて消えていく。 


 二週間前、宇宙の彼方からやってきたとされる異星人が、この世界に宣戦布告を仕掛けてきた。「各国の主要な研究所の襲撃に始まったが、それ以降、大きな動きはない」と、表向きでは報道しているが、実際は違う。【訪問者】と名付けられたこの異星人たちは、わずかに次元をずらすことで、この世界に対して直接的な攻撃を仕掛けていない、というだけで、次元をずらせばこの二週間、常に世界の何処かでは戦いが起きている。

 日本も例外ではなく、殊に双一朗と了が先ほど倒したこの敵は、まだ日本でしか確認されていない。逆に言えば現時点で、日本国内においては、こういった異形に異形をかけ合わせたかのような敵しか確認されておらず、国外で確認されている人型の敵は一体も目撃されていない。よって海外と多少ではあるが、敵への対策方法が違う。海外の人型兵器は、スペースオペラの映画に登場するような、簡素な装備をした兵士の格好をしていて、それが大量に攻めてくる。日本の場合、攻めてくるのはこの世のものとは思えないような、異常な風貌をした生物兵器(現時点では生物兵器として認識している。しかしこれがれっきとした異星人の種族である可能性も捨てきれてはいない)。対応の仕方もガラパゴス的に違ってくる。

 次元をずらすというのは、仮にこの世界を純粋な三次元世界と設定するならば、彼らはこの次元よりも少しズレた次元の世界からやってきている。言うなればある四次元世界から来ているのだ。現時点で彼らは、直接的にこの三次元世界に攻撃を仕掛けていないわけではなく、仕掛けることができない状態にある。それは四次元から三次元への移行に時間がかかっているからで、現在、三.五次元の世界において、尚も移行を進行中である。彼らが三次元への完全移行を成し遂げた暁に、本格的な戦争が始まる(先の研究所襲撃の件はその警告のようなものだ)。それを食い止めるために、選ばれた人間が、彼らが彷徨う三.五次元の世界へ行き、討伐する。次元をずらすというのは、そういうことだ。次元のズレた世界には、同じような世界が広がっていても、人はいない。三次元にいる人間は、〇.一次元でもズレた世界には存在し得ないからだ。



「ところでさっきの話だけど」先ほどまで次元を違えて戦っていた交差点の赤信号を眺めつつ、了が口を開く。

 なんだよ、タイムトラベルの話か?

 双一朗が脳内から了に念じると、言葉を受け取った了が少し笑う。

「テレパシーかい?」

「ダメか?」

「ダメっていうか……テレパスを受け取る僕としてはね、少し疲れるんだ。人の話を「音」として認知することに慣れすぎているせいかもしれないね」

「普通の人間はみんなそうだろ。それにテレパスを受け取ることの出来る人間は今のところ了、お前しか知らない」

「そもそも人間の誰もがテレパシーの受信機足り得てるわけじゃないしね。僕も僕とて特殊な存在さ」信号が青になる。「で、タイムトラベルがどうしたの?」

 交差点を大量の人間が行き交う。それに混ざり、彼ら二人も対角線状に渡る。

「理論上なら確かにタイムトラベルは可能さ。だがその理論を現実にするには、やっぱりもう少し未来のコンピュータ人任せるしかなくなるんだろうなって、闘いながら考えてた」

「たった数十秒の間だったけど、よくもまあそこまで考えを辿り着かせることができたもんだ。大したもんだよ」

 半分は馬鹿にしてるだろ。双一朗は思ったが、テレパスとして了には伝達しなかった。了はテレパスの受信機ではあるが、それはあくまで双一朗が送信機の役割を意識的に担っているからで、意識して伝達しようと思わない思案や思惑は送信されない。戦う能力者の中には、伝達しようとも思わなかった内容すらも読み取る者も、いることはいる。

「まあ推論に推論を重ねた所で、我らが情報王こと【ナレッジ】の回答でも聞こうか」

 それぞれの腰に取り付けられた黒い箱が【パンドラ】で、手首に取り付けられた白い小箱が【ナレッジ】。【パンドラ】が武力であれば、【ナレッジ】は知力。大量のデータベースを駆使し、これから先に起こりうる出来事などの予測も可能だ。

「なあ、タイムトラベルってのはこの先どうなるんだ?」と双一朗。

[かなり無責任な質問だな]手首のホワイトボックスから機械的な声が、鼓膜を介さずに、二人の脳に直接入り込んでくる。[質問の仕方も、私への質問に至るまでの推論も、何から何まで穴が多すぎる]

「しょうがないだろ、これはただのクイズゲームというか、遊びなんだ」

[ならばもっと稚拙な推論でも差し支えないだろう。とはいえ、叢冷双一朗、君が推論を語った際の口調から察するに、あれはやはり遊びなどではなく、真剣に考えて導いた予測のようにも聞こえたが]感情が一切こもらないこの機械音声は、手首に取り付けたホワイトボックスそのものから脳に直接送信されている。だからこの会話が能力者以外の一般人に聞かれることもないわけだ。

「それは言うな」

[文字通り言ってはいない。ただ、近くに同じような能力者がいるのなら、話は違ってくるが]

「いいから続けてくれ。話してくれよ」耐え切れず双一朗が催促する。

[了解した。双一朗、君はやたらと「理論上」という文言を繰り返していたが、理論上可能な話が現実で実現しなければ、その「理論上」は通用しない。君の連呼するその「理論上」はもはや意味を成していない。そもそも君はそれが本当に実現しうるかどうかも知らない。当たり前ではあるがね。ただ、だからこそ、「理論上は可能」という文句には違和を禁じ得ない]

「説教は求めていない」

[何を言っている。大事なことだ。君が推論の建て方を今後改善することによって、これからの任務の難易度が格段に下がるというのに]

 やがて交差点を渡り終える。特に何処に用事があるというわけでもないので、目に止まったファミレスへ行くことにする。

「改善して、今後の任務遂行が簡単になるとは言え、俺の推論建てる能力ってあんまり任務遂行と関係ないように思えるけど」

[しかし君の推測で成功した任務は数多い。この二週間、世界中の全ての人間がゼロの状態から戦いに参加したにもかかわらず、君は一時期、世界で最も強い男になった。もちろんその華麗な剣術も関係するとはいえ、君が最強と称される人間の一人であることは揺るがない]

「最強とかいう呼び名なんて、ぶっちゃければどうだっていい。俺は退屈だから戦ってるだけだ」ファミレスに入り、席につく。双一朗はハンバーグセットを、了は日替わり定食を注文する。

 戦いに参加するのは選ばれた人間。選ぶとは言っても、戦う人員が全く足りていない状態から始まったために、彼らに対向する側としては、人員確保を再優先としている。よって好き好んで人材を選り好みできるわけではない。半ば徴発するくらいでないと対抗できないという結果が導き出されたほどだ。

 結果的にスマートフォン向けアプリケーションを用いて彼らに対抗しうる能力者を生み出したのが始まりだ。彼らも「超能力が使えるようになる」という粗末な煽り文句に釣られて、暇つぶし程度にアプリを起動させたところ、この戦いに半ば強制的に参加することになったのだ。

 次元を違える彼らは、特殊能力を持つ者にしか可視できない。アプリをインストールし、起動させて特殊能力を取得した結果、彼らにもその侵略者が見えるようになり、戦いに参加することになったのだ。

[まあ、推測の仕方自体を改めてくれればそれはそれで幸運であるという程度のものだ。何も無理に改善する必要などない。ゆっくりと考えてくれ。アプリをダウンロードしたものにのみ許される恩恵を大いに受け取ればいい]双一朗のもとにハンバーグセットに付属するサラダが届く。

「気が向いたらな」サラダをフォークで静かに突き刺し、口に頬張る。「それよりも、次のミッションはいつ受領されるんだ」

[三十分後だ。それまでここで待て]

「随分と具体的な待ち時間が出されたんだな。まあ、次に戦う敵の情報が早いってのも良いもんだ」

[敵は来ない]

 何? サラダの盛られた皿を空にした双一朗が了よりも早く反応する。

「敵じゃないって、そりゃまた特殊だな」

[敵を倒すことだけがこの世界を守ること全てではない]

「この戦いの主導権を握るチャンスを秘めた何かを、敵よりも先に手に入れるか、それともそれを俺たちは既に持っていて、それを敵から守る、か。そういうことか」了のもとに日替わり定食が届く。ご飯、味噌汁が盆の端に、中央の大きな皿には豚肉の生姜焼きが乗っている。

[飲み込みが早くて助かる。おそらく今回の任務はとある人物を私の本体のもとまで持ってくることだ。君たちは過去二週間の成績から、重要な役を任されることになるだろう]

 了はそれを聞きながら、最初に生姜焼きに手を伸ばした。


 ・ ・ ・


 侵略者の根城は空にある。

 灰色のエアーズロックだ。

 岩石がそのまま宙に浮いていていると言えば一番わかりやすい。

 常時この根城は空に浮いていて、定期的に同じ場所を周回する。

 満月に照らされた世界は夜だが明るい。了にとっても双一朗にとっても、建物の上を移動するには最適の環境だった。

 目標の少女が住む二階建ての家のベランダにたどり着き、少女を一時的に【ナレッジ】本体まで連れて行く。それが任務。

【ナレッジ】の本体を、了も双一朗も既に一度、目にしている。二人にとってあれは、嫌でも印象に残るものだった。

 任務通り、少女は双一朗の胸元で眠ったままでいる。このまま本体のもとまで行けば、任務は完了だ。

 完了のはずだが、毎度の事ながら、そう簡単に行くはずがないのだ。

[悪い知らせだ]

 というこの【ナレッジ】の報告はもはやテンプレート的展開で、今までこなしてきた任務の中では一度たりとも、単純に、スムーズにうまくいったためしはない。

 双一朗は胸元に少女を抱えているが、了は追ってくる敵の攻撃を振り払っていた。敵は光をまとった弾を放ってきていて、それを跳ね返している。刀で。

 今まで何度となく相手にしてきたいわゆる量産型の兵士だった。二人の背丈とそれほど変わらない。外見も、人間が防護服を着て武器を装備すれば大差はなくなる。それくらいの「普通」の兵士。【ナレッジ】は[五体いる]と告げたが、了は三体しか確認できていない。たった今、跳ね返した光弾がその内の一体に命中したところだ。

 敵のリタイア一。

 残る敵は四。

 だが確認できる敵は二。

 そしてここは三次元世界。この侵略者達は他のものよりもいち早くこの世界への同期が完了していたのだ。一般人にはやはり見えない存在ではあるものの、その気になれば姿を見せることもできる。【ナレッジ】はそう言っていた。


 実際のところ、まだ任務の詳細を完全に理解しきれてはいなかった。


 話は任務到達直後まで遡る。


「少女を確保?」

[そうだ。重要な存在だ]

「能力者?」

[そうだ。若干六歳にしてだ]

「どんな能力?」 

[いいや、これといった能力の開花は確認されていない。ただ]

「ただ?」

[彼女には既に侵略者の浮遊基地が見えている]



 まるで「浮遊基地自体がその少女にしか見えない」かのようなもの言いだが、そんなことはない。現に二人とも、月光に照らされた基地を尻目に【ナレッジ】本体まで向かっている。

 話を聞いた時こそ、単純な任務だと思った。

 だが、このザマだ。

 敵の目的はやはり、双一朗が抱えている少女だと推察されるが、能力開花もしていない、ただあの根城が見えるだけの少女に、一体どれほどの価値があるというのか、というのが疑問。それだけの話だ。しかしそれこそが引っかかって、理解した気になれないのだ。

 双一朗がテレパス。あと何体だ。

「話しかけないでくれ、あと二体だ」

 声を出しても風を切る音にかき消されてとても聞こえない。だから双一朗は聞き返す。テレパスで。もう一度言ってくれ。

「むやみに話しかけるなって言ってるんだ。おい【ナレッジ】、あいつにそう伝えろ。俺は忙しいんだ」

[双一朗。了は敵を倒すほうに夢中だ。今はテレパスを送らないほうがいい。集中力が削がれては戦えないからな。了、私が確認しただけで、敵はあと三体いる]【ナレッジ】の伝言。[そして双一朗。隣のビルに飛び移れ。そちらのほうが屋上面積が広い。目一杯助走を付けろ。三十メートル先の大通りを飛び越えるんだ]

 残り三体ってことは。了はもう二体倒してるんだな。

[違う。三体倒している。ただ、一体だけ敵が増えた]

 待ち伏せか?

[いや、近くにいた敵が嗅ぎつけたか、応援を要請したかのどちらかだ]

 後者だったらますます危ないな。

[全くだ]

 双一朗が隣のビルに飛び移り、走る速度を上げて助走をつける。

 床を蹴る。下には大通りが広がる。この時間帯、やはり人は少ない。

 着地。重さが一気に体全体にのしかかる。だが問題ではない。

 おい【ナレッジ】、お前の本体まで、あとどれくらいだ。

[もうすぐだ。了、もう敵には執着するな。逃げ切ることだけ考えろ。本体の近くにいる味方に、敵の処置は任せてくれ]

 光弾の一発を跳ね返したあと、了はその指示に応答し、抜身の刀のままで加速する。了の先を双一朗が走っていた。丁度【ナレッジ】本体がいるという場所の入口あたりを抜けようとしている。了は更に加速を重ねた。

 何人かの「仲間」とすれ違った。みんな違う武器を持っている。了は刀で、双一朗は機関銃だが、他の仲間はハンマーや鉈、二丁拳銃とバラエティに富んでいる。そんな仲間たちが、追ってくる敵を集中攻撃している様をわずかに後ろ目で見る。

 光弾が一発、流れ弾としてこちらに飛んできたので、跳ね返す。仲間の集中攻撃を受けながらも、跳ね返したその一発で、呆気なく敵は消滅した。

 双一朗が建物の入口に入る瞬間とほぼ同時に、了もそこに到達した。

 急ブレーキをかけて体を止める。止まったあとで、部屋の辺りを見回すと、奥の方に本体が座っていた。双一朗が向かう。了も後を追う。

「連れてきたぞ」と双一朗。

 彼らは何度か本体に会ったことがあるので、もうそれほど驚きはない。

【彼】は静かに眼を閉じ、静かに座っている。まるで瞑想でもしているかのようだ。銀色の長髪が、暗闇の中を照らす月光によって輝きを増す。しかし頭の上半分は半球状のヘルメットのようなものをかぶっていて隠れている。ヘルメットからは数本のコードが伸びていて、彼の背後にある四角い柱に全て繋がっている。それこそが【ナレッジ】本体であり、この戦いの全ての知識を司る。

 双一朗の胸元に抱えていた少女は既に目を覚ましていた。やけにおとなしい。もう少し悲鳴とか上げながらジタバタと暴れるのかと思っていた。

「ご苦労様だった」銀髪の男が【ナレッジ】の意思を声にして伝える。ふと立ち上がり、双一朗と了の元へと歩み寄る。双一朗が少女を降ろすと、彼はその少女の目線の高さまでしゃがむ。

「はじめまして。平河弥雷。私は君が求める答えを何でも知っている。君が訊きたいこと、知りたいことを、私は何でも答えてみせよう」

 四角い柱となっている【ナレッジ】本体が、この銀髪の男を操っているわけだが、彼自身にも意識がある。時折独り言を呟くように見えて、実は【ナレッジ】との会話をしていたりする。実際今も意識はあって、眼を見開き、この少女の目をじっと捉えている。捉えていると言えば、いろいろと誤解を招きそうではあるが、少女の方も、彼の眼をずっと見ている。その様子はやっぱり不自然なほどに落ち着いている。本当に六歳の少女なのかと疑いたくなるくらい。

「だあれ?」

「私はこの世界における物知り博士みたいな存在だ」

「どうしてなまえがわかるの?」

「私が物知りだからだ」

「そとにへんなものがみえる」

「君にも見えるんだね。ここにいるみんなが、君と同じものを見ている」

「わたしだけじゃない?」

「そうだ、君だけではない」

 それを聞いた少女、平河弥雷は、少し安堵の表情を見せた。彼女はまだ表情における語彙力が乏しい状態にあるはずだが、その表情は不思議と細かい。微細な感情表現がもうできている。

 これが【ナレッジ】自身にも影響を与えた。【彼】は表情一つ変えなかったが、その裏では【彼】自身の思考回路が高速で動きまわっていて、この少女の存在を分析している。彼女はイレギュラー。

「それでは始めようか」突然に【ナレッジ】が口を開く。

「何を始めるつもりなんだ?」

「複製する」

「その子をか?」

「そうだ。彼女を複製する。オリジナルの方は今夜の記憶、及び今までの空中要塞に関する一切の記憶を消去する。そして要塞の可視を不可視に書き換える。コピーの方に、それらの情報は全てコピーされるからね。夜が明ける前には、オリジナルの彼女をもとの家の部屋に返すことができるだろう。その時は頼むよ」

「割とあっけないもんだな」今度は了が言う。

「言葉ではそう聞こえるだろう。だが、そう単純なものでもない。複製の様子を見ておくといい」そうして【彼】は少女の小さな頭に手を乗せる。

 もう片方の手は、他所の方向を向いている。その手が少しだけ光り、徐々に少女と同じ姿形が構成されていく。足ができ、下半身が完成し、上半身から腕が伸びるように構築され、最後に頭が出来る。全く同じ姿だった。

「「単純じゃない」ってのは本気で言ったのか?」と双一朗。

「そう見えるだけだ。外見複製ならば確かにどうということはない。すぐに完成する。問題は中身だ。彼女の脳内の情報を全て複製するのは時間がかかる」外見のみ完全に複製されたコピーの平河弥雷の頭に、オリジナルの平河弥雷にそうしたように、頭に静かに手を乗せる。


 そこから一時間ほどかかった。その間、平河弥雷はオリジナルの方もコピーの方も、全く動かなかった。目を開けているのが見えるから意識があることは双一朗にも了にもわかったが、本当に意識があったのかどうかは定かじゃない。ただ、「「同期」が完了した」という【彼】の言葉とともに、オリジナルの平河弥雷はその場で倒れた。双一朗が駆け寄ると、すぐに寝息を立て始めたので、結局寝かせたまま先ほどの家まで戻り、彼女の部屋のベッドに寝かせた。

 再び【ナレッジ】本体のもとまで行き、コピーの方の平河弥雷を相手にする。オリジナルの方もそうだったが、六歳の少女にしてはやけにおとなしい。生まれてから今までの間に、何かがあったとしか思えないほどに。

「この少女はどうなる?」

「世界の命運を左右する」

「一応訊くが、俺達の方に傾かせているんだよな? 勝利の針は」

「当たり前だ。パラレルワールドの、それも宇宙からやってきたこの世界とは全くの無関係な輩達に、この世界を渡すわけにはいかない。法則が乱れる行為は禁止されている。彼らはその禁忌を破ったのだから」

 双一朗も了もこの言葉を十分には理解できなかった。だが、わからなくてもいいことだと彼らは割り切ることにした。そうしないと、今後の戦いにますます支障をきたすだろうと、本能が判断したのだ。

「俺達は次の任務を待つよ。次はいつ通達が入る?」

「次で最後だ」と【彼】。

 後ろにあった四角い柱には少し変化があった。四角い一本の直線のような柱だったものが、十字架のような形になっている。特殊な知識を得た後にあの柱は形を変える。それを彼らは知ってはいたものの、なぜ十字架なのかはわからなかった。そして、それを訊くわけにもいかなかった。なんとなく、恐怖だったのだ。

「任務は恐らく二日後だろう。それまでに、ミス・フューチャーを勝利へのファクター足りえる存在にまで持っていかなくてはいけない」

「ミス・フューチャーってのは?」

「ただの言葉遊びさ。我々人類陣営の「未来」を背負う鍵、それが彼女、平河弥雷なのだから」

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断片と欠片の掌片 氷喰数舞 @slsweep0775

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