無命痛覚

「巍条くん、巍条くん」

 クラスメイトの未堂さんは、俺の名字をしきりに呼んでくる。というのも、俺に見せたいものがあるからだ。

「これ見てこれ見て」未堂さんが携帯の画面を見せる。予想はついているので既に心の準備もできている。だが、それでも画面を見るのは少し物怖じする。というのも、彼女が俺に見せるのはいつも、何かの腐乱死体だからだ。毎日毎日、一回は見せてくる。最低一回なので、日によっては二回も三回も見る羽目になる。

 本日最初の腐乱死体は、推測するに犬だと思う。物怖じするとは言ったって、一旦見てしまえば興味が勝つ。俺はじっとその画面を凝視する。やっぱり犬だろうな。

「犬?」

「そうそう、よくわかったね」未堂さんは嬉しそうだ。

 こういうやりとりが毎日続く。最初は見るのも嫌だったが、今はもう、なんだか、麻痺した気分だ。それと同時に、興味が段々と湧いてくるのを日に日に実感している。さすがに、自分から今日の腐乱死体は何だろうとか、気にしだすというほどではないが。

 一日に複数回、腐乱死体を見せられたりするが、どういうわけか全部違う死体の写真なのである。しかも全て、彼女が自分で撮った写真である。一体放課後にどれほどの腐乱死体に出会っているのだろう。日頃からかなり明るい性格をしているが、いかんせんやっていることがやっていることなので、周りのクラスメイトもあまり関わろうとはしない。

 殆どが犬とか猫のもので、肉を引きちぎったんじゃないかというような裂け目があちこちにあるのが特徴。どの写真も、必ず一カ所にはそういう傷のような裂け目のようなものがあって、そして殆ど蛆が一緒に写っている。腐乱して分解されている真っ最中の死体なので、当然とも言える。だが、蛆たちをズームアップした写真は、今のところ見せられていない。まあ、大量の蛆たちが画面いっぱいに写された写真を見せられても、反応に困る。

 それにしてもなぜだろう。

 何となく疑問に思ったので訊いてみることにした。

 どうして蛆たちに着目した写真は一枚もないのか、という質問では、さすがに誤解を招きかねないだろう。まるで俺が蛆そのものに興味を抱いているかのようだ。それは嫌だ。なので、

「君はそういう腐乱した死体の何に惹かれるの?」という質問のあとに、「たとえば、蛆によって徐々に分解されていく哀れな様とか、さ」と、例えに蛆を出すことによって、蛆への関心を引いてみることにした。

 未堂さんは固まった。俺の方をただ見ている。

「蛆とか気になる?」固まった表情のまま、口だけが動く。

「気になるってほどじゃないよ」

「じゃあ、蛆は嫌い?」

「大量にいるのを間近で見ると、吐き気がするかも」

 なるほど、と未堂さん。「新しい視点だね。ありがとう」

 授業のベルが鳴った。未堂さんは自分の席へと戻っていく。かなり興奮しているのだろう。軽快に席へと戻っていく姿から、なんとなく伝わってきた。

 後悔している。思わぬ感じで蛆への興味を持ち始めてしまったため、未堂さんは今までの腐乱死体の写真も含めて、蛆の存在に重点を置き始めているかもしれない。そうなると予想しうるのは、蛆だらけの画面だ。彼女は喜々として見せてくるだろう。気が滅入る。

 その日の未堂さんは、もう俺に腐乱死体を見せてはこなかった。邪に考えるなら、彼女は何かを企んでいるに違いない。考えるあまり、俺に写真を見せることを忘れてしまったのだ。できれば、そのまま忘れていてほしいのだが、そうはいかないのだろうな。


 + + +

 

「巍条くん巍条くん」

 翌朝。

 さあ、やってきた。

 茶色い米粒みたいな大量の蟲の姿を、彼女はどんな気持ちでその端末に収めてきたのだろうな。見る前から考えてしまう。

「今日はちょっと趣向を変えてみました」と、柄にもなく敬語を使う。一流レストランのシェフみたいだ。常連に対して料理の説明をするときに使ってそうな、そんな感じの。

 彼女は勢いよく、目の前に画面を差し出す。思わず目を瞑ってしまい、それでも少しずつ瞼を開けて薄目にてその画面を見る。

 あれ。

 思っていたものと違う。薄目から普通の目に戻って画面を見る。いや、確かに思っていたものとは違う。写っているのは犬とか猫とかではないし、ましてや蛆なんてものはどこにもない。どこにも写っていない。

 ただ、代わりに写っていたのは人間だった。

 簡単に人間だとわかったのは、茶色い土の色と、その上に横たわる人間の肌の色が、上手い具合にコントラストを放っていたからである。人間は男。全裸でやや小太りな感じ。顔も見えるが、かなり髭が伸びている、いわゆる無精髭。多分ホームレスだ。体のあちこちが汚れている。土の汚れではなく、それ以外の何かの汚れだ。血は……、いや、よくわからない。

 なんだか警察みたいだ。笑いそうになった。

 いや、笑いそう、では困るのだ。写っているのは人間だ。紛れもなく。

「未堂さん……さすがにこれはマズくない?」と、率直に。

「ああ……うん、確かにそうね、」まだ腐乱していない死体の写真を出したまま、携帯をポケットに入れる。

「だったら、あとでゆっくり、二人で見ようか」

「二人?」

「うん、二人」

「……ちなみにどこで?」

「私の家」

 ……少し、考える。

 いや、本当なら、これは考えるどころの問題ではなくて、即決して答えを出すべきなのであろう。「行く」と、一言即答すればいいのだ。

 だが、なんだか躊躇する。何かの勘だろうか。虫の知らせ?

「行く」

 と、躊躇もおざなりに俺は返事をした。考えるよりも、早く。

 即答してから心の中で整理がつくまで、その日の授業時間を丸ごと要した。昼飯を食べている間も、昼休みを図書館で過ごしている間も、ずっと俺は未堂さんのことを考えていた。年頃の(というかそもそも同級生)女の子の家に遊びに行くのはこれが初めてだったこともあって、これは整理がつくというよりも緊張していた、といった感じに近かった。

 いや、女の子の家にお邪魔したのは、思い返せば今回が初めてというわけでもないことに今気がつく。幼少の頃に行った覚えがある。どちらかというと「遊びに行った」よりは、「学校を休んだ女の子の家にプリントを届けた」に近い。その時は、ただプリントを届けるだけだったのに、なぜか家に上げられてしまい、ジュースやお菓子をありがたく頂いた覚えもある。

 そして、また思い出す。

 手厚いもてなしは、その女の子の部屋で受けたのだが、その前に俺は一度断ったのだ。それは、女の子が風邪を引いて休んでいると思ったから。

 だが、その女の子は風邪で休んだわけではなかった。だから風邪を移される心配なんてなかったし、それを聞くなり俺はお菓子の誘惑に負けて、その女の子の部屋に案内された。

 そこにいた女の子は、学校で見かけるときよりも大人びて見えていた。この年齢になったからわかることだが、女の子は明らかに化粧をしていて、学校の時よりも過激な服装をしていた。過激。挑発的というか、誘惑しているような、性的な格好。当時の俺だったからこそそう思ったのだろう。その誘惑に駆られ、俺は彼女と交わった。

 人生初の経験を忘れるというのも、愚かしい。あの経験が、自分にとってそれほど衝撃的で、それほどショックで、それほど忘れたかったものだったのだろうか。

 思い出した今となってはただの「ネタ」である。およそ三ヶ月ほどは有効だろう。

 

 偶然は連続するべきではない。してはならない。未堂さんの家に案内されて、俺はすぐにそう思った。先ほど蘇った幼少の記憶の中にあった女の子の家と、今俺が立って見上げてる家が一致したからだ。なるほど。未堂さんはひょっとして、覚えていたのだろうか。俺のことを。俺がプリントを届けに来たことを。俺と交わったことについても。

「思い出した?」と、未堂さん。最悪の台詞だ。まあ

最悪なのはあくまでも記憶を意識的に消去していた俺の方であることに間違いはないけど、それにしても悪趣味な台詞だ。俺のことを見透かしているとでも言っているようだ。気味が悪い。

 家に入る。見覚えのある玄関だ。家の内部に進むに連れて、その部分に応じた記憶が次々と蘇ってくる。探索ゲームみたいなシステムだ。進む、という行為によって、地図が拡張される。あるゲームにおいては、その地図拡張は、いわば記憶を取り戻していることを表していたりするのだが、要するにそういうゲームなのだ。

 部屋。未堂さんの部屋。見覚えしかない。家具の配置も変わっていない。ドアの対角線上の隅にベッドがある。八年前、そこに彼女は座っていた。明らかに服をはだけさせて、俺を誘惑していた。まるでその頃から経験豊富だったかのように。ビデオなどの模倣によるものではなく、完全に術として習得していた。

「何年前かな」思い出したくない。もう八年にはなる。

「覚えてる?」ついさっき思い出した。刺激的だった。

「意外と良かったよね」さあ。だけど間違ってもない。

「ショックだった?」そうだね。どうしてそう鋭いの。

「気持ち悪いと思った?」まあね。それこそ最初はね。

「今も同じ気持ち?」多分。知らなかったら違ってた。

「嫌い?」何が。未堂さんはあの頃と変わらず性的だ。

「じゃあ、好き?」恐らく。そう答えるしかないよね。

「今はどう?」だから何がさ。何を訊こうとしてるの。

「したい?」たしかに。したい気持ちが湧き出てるよ。

「じゃあ、しよう」ああ。そうするしかなさそうだし。


「■■■■■■■■■■」


 何。今なんて言っ


 ………………。

 意識が戻った。

 やれやれ。八年前よりもかなり凄いことになってる。尤も、過去にやったのはその八年前のその一回きりなので、比較対象はいない。八年前と今現在の未堂さんとじゃ、そりゃあ違いなんて歴然だろう。比較なんてするほうが馬鹿げてるんだ。

 俺は確か、あの死体画像を詳しく二人で見ようと、この家を訪れたんじゃなかったか。完全に目的を履き違えている。しかし、もうどうでもいい。今は疲れていてかなり無気力だし、この分じゃ死体画像を見たところで、死体どころではないだろう。

「じゃあ、この後、ついてきてね」下着を着て、服を着て。未堂さんはその仕草すらも誘惑するように俺に見せつけてくるけど、あいにく俺はそういう状態ではなかった。疲れているとはいえ、やろうと思えばできる。だけど、早まることはない。少なくとも。

「ついてきて、って、どこに行くの?」

「今からもっと凄いことをするんだよ」未堂さんは上着を着る。外で彼女はしたりするのだろうか。露出狂?

 外は夕方が近くなっている。薄暗い。電灯もまばらに点き始めた。時計。時刻は五時半に差し掛かるところ。

 未堂さんの親は、幼少の俺をもてなしてくれたあの母親は、ちゃんと俺のことを覚えていた。「かろうじて覚えてたからかろうじて思い出した」と、笑いながら。その母親は、未堂さんの外出について、特に触れることもなく、むしろ快く送り出した。

 外出はいつものことらしい。

「巍条くん、いつも見せてる写真のことなんだけどね」

「うん」

「これから見せるのはもっと凄いものだよ」

「うん、いつものやつも十分凄いけどね」

「そうかな」

「そうだよ」

 そういう中身の無い会話を続けながら、俺は未堂さんの後ろをついていく。歩き続ける道のりはどんどん暗くなっていく。空が暗くなっていくのは確かだが、歩いている道もそれなりに鬱蒼としてきている気がする。家がまばらになり、電灯の数も減り、木が増えて、森が空を覆い隠す。遂に未堂さんは懐中電灯を取り出した。それだけでかなり明るくなった。

「結局、未堂さん家で死体の写真とか見なかったけど、最初から見せるつもりなんてなかったんじゃない?」

「たしかに、それはちょっと当たってるかな。ただ単に数年前の男の子と久しぶりにしてみたくなったから誘っただけだしね、それに、」

 前を歩く未堂さんが振り返る。

「さっきも言った通り、画像よりももっと凄いものを見せることになるわけだしね。それが一番楽しみなの」

 あくまでも死体が最優先、というわけか。別にどうも思わない。うん。どうも思わない。

何があってこんなところを歩くのだろうかと、それだけが気になったが、それでも俺は未堂さんと歩き続けた。未堂さんを残して一人帰ることに気が引けたのと、未堂さんのいないたった一人の状態で暗闇を戻る恐怖に耐えられなかったことと、要因はいろいろとある。

 だから正直な話、後悔はしてる。

 未堂さんと歩いた末に辿り着いたのは、小さな小屋だった。辺りはすっかり黒。闇。夜。だが、微かに広さを感じる。開けた空間なのだろう。どこを向いても見えない。未堂さんの懐中電灯も、心なしか心細く感じる。

俺はなんとなく耳を澄ます。

風の音。枯れ葉の音。鳥の鳴き声。

俺の足音と、未堂さんの足音。

 そして、足音がもう一つ。

 誰だろう?

 冷静に、俺はその足跡が誰のものなのかを考える。冷静とはいえ、寒さで思考が凍結しているような感じがしているだけである。考えてもどうしようもないことは承知済み。意味のないことをしているのだ。やはり動揺はしているのだ。

「誰かいるのかな? 俺たち以外に」震えながら、俺は未堂さんに問う。

「いるよ」

 未堂さんは答えなかった。代わりに答えたのが、もう一つの足音の主であることはすぐにわかった。女の子の声。未堂さんのものよりも幾分か高い。かといって作り声という感じもしない。地声なのだろうか。

「レイ」

 今度は未堂さん。なんだ、知り合いなのか。

「今日は私が早かったね」

「レイ、そういう競争は無意味だよ」

「でも早いほうが得じゃない?」

「そうでもないんじゃないかな、だって今日は先負だよ」

「なにそれ」

「『遅いほうが得』って意味」

「漠然としすぎてるってのはわかった、薫もあんまり知らないんだね」

「言わないで」

 文字にして読めば、そんなに仲が良い、というわけでもないような会話だが、しかし彼女たちはとても明るく話をしていた。はしゃいでいる、という表現は正しいだろうか。実際それ以上の明るさだ。周囲の暗闇をもろともせぬような、そういう感じ。

「二人は友達なの?」と、恐る恐る訊く。

「腐れ縁、て感じかな」レイさんは答える。「あ、私の名前は八燕零以。八つの燕でやつばめ。零と、以上以下の以でれい。やつばめれい」

「俺は巍条善。山の下に魏呉蜀の魏で、条例の条でぎじょう。善は善悪の善。ぎじょうぜん」

「ついでに私も。未堂薫。未来の未に殿堂の堂でみどう。「かおる」は花冠の方。みどうかおる」

 なんだか、聞く限りだと連想しにくい名前ばかりだ。俺の名前然り、彼女たちの名前然り。

「八燕さんも、未堂さんもだけど、ここには何をしに? ……その、ここには何もなさそうに見えるけど」内心ではわかっている。あくまでも形式。一応の見当はついている。いつも見せてきたあの死体解体の画像。今日は恐らく、そのメイキング映像を生で見せてくれるのだ。

「何も知らないままついて来ちゃったってわけでもないんだよね?」

 お見通しである。

「まぁ、そうだけど」

「あそこの小屋、見える?」

「見えるよ」さっきからそれだけが見える。それだけとは言っても、未堂さんも八燕さんも見えることは見える。だけど薄暗いので顔は見えない。二人とも白い服を着ているから、懐中電灯の光がわずかに反射して、服と肌だけが見えているのだ。

 もちろんその薄明かりの中、小屋も微かに見える。茶色い木の色が見える。

「今日はあの中だよ」

 要するに、あの小屋の中で今日は解体ショーをやるということか。

「まあ、そういうことかな」

「じゃ入ろうよ巍条くん」

 先に小屋へ向かう八燕さん。未堂さんは、俺の手首を掴んだ。半ば引き摺られる感じで、その小屋へと入っていく。

 頭の中で思い描いていた小屋のイメージが、そのまま投影され形成されたような小屋だった。ドアは思った通りの軋んだ音を立てて開き、床を踏むと抜け落ちそうなくらいに弾力があって、そして埃っぽかった。こればかりは視覚に頼らなくてもわかる。強いて言えば嗅覚だろうか。鼻から喉へ小さな塵が流れていくのを感じる。そして予想通り、俺は咳込んだ。

 今日の朝に見せられた死体の画像は、確か外で撮影されたものだったはずだ。

 いや、そもそもの話、俺に何を見せるつもりなんだ?

「それじゃあ巍条くん」と、未堂さん。

 何、と俺。


「■■■■■■■」


 まただ。

 だから何を言ったんだよ未堂さ







 そして目覚める。

 今日は二回目だ。


「■■■、■■■■■■■」

「   」

「■■■■■■■■■■」

「           、      」

「■■■■■■■■■■■■。■■■■■」

「    、         、

           。       」

「■■■■■■■■、■■■■! ■■■■■■■■」

「    」

「■■■■■■■■■■」

「     」

 

 聞こえる。二人で何かを話し合っている。

 けど、聞き取れない。

 声の音量は適切だ。十分に聞こえる。

 だから、二人はなにか特別な言語で話しているんじゃないかと考えた。どちらの話し声か、というのは判別できる。二人とも違う声をしているのだ。高い方が八燕さんで、それよりもやや低いのが未堂さんの声。だけどどちらの声も、話し方が無邪気な感じだ。やたらと抑揚がついている。だからかろうじて聞き取れる話し声でもおかしくないはずだ。なのに聞き取れない。未堂さんの言葉。未堂さんは俺の目の前で何かを言った。そしてその直後に俺は気を失った。それが二度も。何の前触れもなく突然頭の中の思考が途切れてしまう感じ。本当に突然だった。

 気を失う前に、未堂さんは俺に何かを話しかけたけど、あれが何の言葉だったのかがわからない。文字に起こせない曖昧な発音で、それは母音ですら書き起こせないようなものだった。決して早口だったわけではない。だけどその言葉を真似できない。事実、今八燕さんと話している時もそうだ。何を喋っているのか、そもそも何かを話しているのかすらわからないでいる。

 対する八燕さんもまた同じく。

 彼女に関しては、最早喋っているのかも怪しい。声を発してすらいないのではないかと思うくらいだ。

 なのに声は聞こえる。

 いわゆるそれこそが「声を発している」状態を指すのだろうが、それはどうしても言葉につながらない。

 そして、俺の手足口は完全に掌握されている。声を出せるレベルに留まり、言葉を話すことはできない。ひょっとしたら、この状態で話しかければ、言葉も通じるのではないだろうか。

 ……猿轡をされた状態で言葉を発した時のことを考える。口の開閉すら自由にできず、これじゃ何を言っているかわからない。本来それが目的なのは承知だ。そしてこの状態での発声を実際にやってみる。。先ほどの二人の話し方のどちらにも似ていないことに気がついた。

 だから言葉を発することは完全に無理なわけだ。最初からわかっていたとはいえ。

布か革かわからない素材が、俺の手首足首に巻き付いていて、その腕輪はかなり丈夫そうな鎖と繋がっている。

こんなボロボロの小屋にそんな設備があったのか。

 ……いや。

 多分違う。

 この小屋の元の持ち主にそういう趣味があったわけではない。

 恐らく。

 改造したのは、彼女たちだ。

「  、     。    」

「■■■■■■■■■、■■■■■■■■■」

「     、  」

 その明るい話し方とは裏腹に、全く聞き取れない言葉がずっと続く。変な世界に迷い込んだ感覚だ。外国に迷いこむよりも、もっと厄介かもしれない。

「   」

 足音だ。こちらに向かってくる。今更気絶したふりをするのも、意味がなさそうなのでこのままでいよう。

「       」

「■■■■■■」

 未堂さんはランプを持っていた。少しだけ部屋が明るくなる。二人とも、とてもかわいい顔立ちをしている。相変わらずだ。

 俺が意識を取り戻していることをわかっていながら、二人とも話し方を変えようとしない。

 ある意味、処刑前の気分だ。これから俺を処刑するのに、わざわざ俺に合わせて話をする必要はないとばかりに。言い残したことはないか? せめてそう訊いてほしい。

 俺が処刑されると悟ったのは、やはりこうして拘束されているからだ。

 そして未堂さんは出刃包丁を片手にしているし、八燕さんは大きな槌を両手で持っている。特に八燕さんは、その槌を心許なさげに両手で持っているが、顔はとても明るいままだった。

 二人とも、その眼は好奇心に満ちている。

 解体されるのは、俺だ。

 当然怖い。嫌だ。だから叫んだ。無駄なことだと知っていても叫んだ。言葉にならないことを承知で叫んだ。

 しかし、彼女たちは俺の叫びを聞いて、一層笑みを浮かべる。

 真性のサディストだ。

 サディストとかいう言葉で済ませられるようなことではないだろうけど。

「巍条くん」未堂さんがようやく、俺にも通じる日本語で話しかけてくれた。「訊きたいんだけどさ」反応の素振りを見せる。

「外にある腐敗写真の実物を見せてくれると、巍条くんは思ったのかな」

 必死で頷く。そのとおりだ。

「確かに、外にまだあるよ。写真よりもだいぶ腐ってた。骨も見えてたよ。でもね、今はそんなこと問題じゃないの。だって、あれは一度殺した上で腐敗の経過を見てたわけで、写真もその一環だったのね。だからね、巍条くん。巍条くんとは条件が何もかも違うのよ」

 何の話だ。何の、何の、

「私たちに殺されたくて来たんだよね? でも残念でした。すぐには死ねないのよ。ごめんね」

 未堂さんは出刃包丁を振り下ろした。













































 

   肩。







「ああ  あ」


い、              血。

       」 



                                   たい

 やめ、               「   嫌

      痛

「あ       







    あ                           あ」

 ご             ん

  

    い                 め        目。         

   て    「


死            に        

指。            無 

        

た   」                        ぬ       

                舌。       


  」「   あ    あ                   

 腹。   ヤダ、               あ  あ            

         」  いや、       下。       

あああ           死      ああ  あ     「             

 「    殺         さ    

              耳。         

 鼻。    ああ             あ ああ 

         助

    未     け       れ                                                                       あ   燕   」         死

              め

  

 八    て               いて 

    

  」  「ああ  あ」


 ころ、                      「          

       され、

 あ   あ  あ       る

    爪。         死


いや    あ      あ  

 胸。              だ

死      」   脚。


      にた、     。     、

   髪。    くな、

ああ  あ       血         い

     。      いた、    い  

  死    ■■■■■■■■■■     ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                           ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■               ■■■■■

■■■■

嫌。イヤ。いや。

          無理。ムリ。むり。

   死ぬ。シヌ。                    しぬ。しぬ。しぬ。

し          ぬ        に                た     く

手。  」   指        

           殺   。 「      だ

       


                          死

  メ            。 、。、。

    黒     ダ                   

「                                  、

            。        」

 

             絶


       命



「              無      救

     な     助



    死                  」        脚。

                      

い      顔。  」「」       メ

 気 

  


 」     苦      、

   。    

   頸。   

          」    

                    狂









































 目が覚めた。

 酷い悪夢を見ていたようで、でもそれは現実で。

 目の前に死体が転がっている。

 恐らく人間だろう。ランプの小さな光によって、肌色が少しだけ垣間見える。

でも殆どは血だ。光の効果からか、赤くは見えない。

黒い。

黒い血だ。

 俺の想像を超えるレベルの無惨さだ。

 四肢が無かったのはもちろん、首も無い。

 胴体は何かに食われたみたいに空洞がちらほら。

 辺りを見回すとかなりの肉が散乱している。あった。頭。髪の毛もところどころ抜け落ちている。引っこ抜かれたのだろう。頭の上半分と、下半分それぞれが、無造作に転がっている。

 とても見てられない。俺は既に何回か吐いていて、吐瀉物も散乱している。猿轡はとうにほどけていた。

 解体されるのは、俺ではなかった。

 だけどどうして、あんなに痛みが響いたんだ。

 体中が変な感覚に襲われた。その変な感覚というのが、痛みなのはわかるのだが、とても処理できない痛みだった。四肢を切断されたら、そういう痛みを味わうのだろうか。叫んだのは俺だと思っていた。でも俺ではなかった。いや、俺も多少は叫んだのだろうか。わからない。記憶もどうかしている。汗も酷い。息も荒い。目は多分、限界まで開いている。

「起きた?」

 俺に訊きながら、未堂さんがやってきた。ちゃんと理解できる言葉だ。

「起きたよ」とりあえず、問われたことに答える。未堂さんは「よかった」と微笑む。狂ってる。

「色々と訊きたいんだけど」

「痛みが体中を走ったこととか?」

「そうだね。俺に見せたかったのは、本当に解体ショーだったんだねってことも」

「嘘はついてないよ」

「そもそも、何を見せてくれるかなって言ってなかったけどね」

「体中に痛みを感じたのは、零以の仕業なんだよ」

「八燕さん?」

「どういう痛みの感覚だったかは巍条くんにしかわからないだろうけど、喰われる痛みを感じなかった?」

「それどころじゃなかった」

「多分そうだろうと思った。彼女、人の痛みを他人に与えるのがとても上手なのよ」

「他人の痛みを他人に移すってこと?」

「そう。だから巍条くんは痛みを感じたわけだし、目の前で転がってる「これ」は、逆に全く痛みを感じずに切り刻まれて死んだのよ」未堂さんは足元を見る。「それ」はもう人間でもなければ、生物でもない。

「ただ見るだけじゃダメだった?」

「どういうこと?」

「解体ショーを俺は、ただ見るだけじゃダメだったのかなって」

「あのね~、もうちょっと頭を働かせてくれる?」

 と、いつの間にか八燕さんが未堂さんの横にいて口を挟んできた。

「何も感じないまま死んでいく恐怖だよ。それを実際に試してみたかったの。だから君を呼んだのに」

 喧嘩腰だが、ここで反抗してもいいことはなさそうなので、おとなしく謝る。「ごめん」

「わかればいいの」

 そして、床に横たわる肉塊について。

「部分的に空洞があるけど……?」よくよく見れば、その丸い空洞は、体の三ヶ所に存在していた。一つは腰に、一つはそれより上の部分(仰向けかうつ伏せかの判別がつかないので胸か背中かわからない)に、そして一つは首に。頭と胴体を繋ぐ部分が丸ごと失くなっている。まるで何かに喰われたかのような痕。

「解体するときにそうなるのよ」と八燕さん。「喰われたような表現、ってのは正しいよ。私の苗字は「やつばめ」の「八燕」だけど、それをもじって「八喰」と書いて「やつばみ」って読んでる。コードネームみたいなもの」

「へぇ……」反応がしづらい。「未堂さんには、そういうのあるの?」

「私は特にないよ。でも、いずれ名前を変えてみたいってのはあるかな」

「そう……で、これ、いつ解いてくれるの?」と、手足を揺らす。鎖の音が四つ分。

「ああ、すっかり忘れてた、ごめんね」未堂さんが手枷足枷を解く。

「うっかり俺を置いたまま帰るんじゃないかと思った」

「まさか。だとしたら、私がとっくに警察に通報してる」

 どういうことだ?

「だからこれからなのよね」

「そうそう。せっかく最後の背骨が手に入ったんだし」

 何を言ってる?

「薫のとりあえずの目標だもんね、パルなんとか神殿」

「そうそう。パルテノン神殿ね、私が作るのは」

「作る?」

「あ、言ってなかったっけ。薫の目標はね、「人骨でパルテノン神殿を作ること」なんだよ」

「…………狂ってるね」

「そこが好きなのよ」

「ありがとう」

「本当に仲良いね、二人共」死臭漂うこの部屋にずっといるからか、そろそろ本当に気分が悪い。

「じゃあ、帰ろうか」

「「まだだよ」」

 二人同時に言われた。何がまだなのか。

「仕上げが終わってないの」と、未堂さん。

「仕上げって?」

「そりゃあ、綺麗に掃除しないと」と、八燕さん。

 掃除。なるほどね。

「それじゃあ、始めて頂戴」八燕さんが嬉しそうに、未堂さんに言う。

 未堂さんは、俺の方を向く。「巍条くん」

 何? と俺は応える。

「■■■■■■■■■■■■」


 まただ、だからどういう意味なん























































 …………目が覚める。

 二人がいない。

 代わりに大勢の警官がいる。

 意識を取り戻した俺に気づいて、コートを羽織った男が近づいてきた。

 そいつが警察手帳を取り出してきたので、俺は悟る。

 彼女たちは最初からこうすることを計画していたのだ。俺を肉体的ではなく社会的に殺そうと決めていたのだろう。

 だから俺の手には、目の前に散乱していた肉塊を肉塊たるものにしたであろう出刃包丁が握られていた。

 少年法の檻の中で、俺は飼い殺されていくのだ。

 蛆が集る死体写真。

 今更ながら、それが気になってしょうがなかった。

 あの時間の中で、彼女たちは俺を狂わせることに成功したらしい。

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