共存と依存

 僕は病気を抱えている。

 いつも突然「何かを失う」という幻想を見て、その夜は決まって「その事に絶望する」夢を見る。幻覚はいつも、が僕の横にいる時に起こる。

 その幻覚を見た時、決まって春果は「大丈夫?」と訊いてくる。「大丈夫」と、同じ言葉をイントネーションを変えて返答する。

「三年生だね」明るく脳天気な口調で、春果は言う。

「三年生だね」落ち着いた静かな口調で、僕は返す。

 四月半ばはやはりまだ寒さが残っている。冬ほどではないにしても、薄着を数枚は着て行かないと風邪を引きそうで怖い。風邪を引けば、恐らく春果も一緒になって休むのだろう。

 春果は家が隣の幼馴染であるのだが、彼女の家は少々複雑で、両親共に仕事でいろんな場所にいる。近くで仕事をしていることもあるし、時には世界中を飛び回るような大仕事をしていたりする。つまり家にいない。

 彼女が生まれてくる前から両親はそういう仕事をしていたので、彼女が生まれてからもその状況は変わらず、幼少時は僕の家で一緒に育った。もっと娘と接してやったらどうなんだと、幼いながらに春果の両親を悪く思ったりもしたが、当の春果は全くそのことについて触れず、また触れても全然気にしていないようだった。今になって考えて見れば、それは至極当然の事だったと思うし、彼女の両親と僕の両親はかなり仲が良かったこともちゃんと記憶にあったから、その状態に対して無意識に安心感を抱いていたんだと思う。

 そして春果は基本的に僕としか会話をしない。

 いや、厳密に言うなら、彼女の家族、僕の家族とは普通に会話する。

 しかしそれ以外の人間と全く話をしないのだ。学校で彼女と話すには、僕を仲介してからじゃないと会話は成立しないし、彼女は他から話しかけられても何も言わない。応答しない。反応しない。

 そういう性格が目立ったのと、一年生の時はクラスが別で、僕が隣にいないことが多かったのが重なったのだろう。入学当初から彼女は陰湿な嫌がらせを受けていた。彼女がその事を全く言わなくても、外見の変化と雰囲気と様子とですぐにわかった。僕自身にその嫌がらせをどうにか出来るほどの能力は無かったので、その日以来、できるだけ隣にいることにした。その方が彼女が遭う被害は最小限に抑えられるし(ゼロにできないのはもどかしいが)、彼女の細かい変化により早く気づくことができるだろう、と思ったのだ。

 僕が春果の隣に居続けるようになってから、彼女は高校入学当初より明るくなった。尤も、日頃毎日接してる僕ぐらいしかわからないような微細な変化ではあるが、それでも僕には嬉しかった。

 実際、彼女は最初こそ遠慮していたが、すぐに校内で一緒にいるという状況に慣れて、授業時以外は僕といるようになった。周りから春果との関係について、何度か噂されることはあったが、気にはならなかった。友人のような存在はそこまで必要としていなかったし、僕にとって周りのクラスメイトはただの他人としか思えなかったのだ。

 二年生から同じクラスになり、三年生でも同じクラスになることができたおかげで、より一層、二人でいることが多くなったのだが、丁度その時期に共依存という言葉を知った。お互いがお互いに依存するってものだ。僕らは恐らくこれなのだろう、と思った。春果の隣が落ち着くし、時折彼女も同じようなことを言ってくる。裏を返せば「隣にいないと落ち着かない」のだ。

 多分この関係はこの先ずっと変わらないと思うし、変えるつもりもない。仮に「この状況から抜け出さないと」「この関係を変えなきゃ」とか思いだすとすれば、それは僕らの内どちらかが死ぬ前兆である。



「私達、この先どうなるかな?」

 校門を通り、玄関へ入る時に、春果が訊いた。笑顔なので、冗談で訊いている。

「さて、どうなるかな?」

「大学は同じ所がいいね」

「バイトも一緒にしよう」

「わあ、何でもかんでも一緒だね」

「でないと落ち着かないんでしょ」

「自分だって」

 笑いながら未来の話をするのは好きだ。僕達の未来が保証されているわけではないにしても、「これからどう暮らしていくか」について話し合うことには何らかの意義を感じるし、夢もあっていいと思う。

 しかし同時に不安もある。春果とどう暮らしていくかというのは、笑いながら二人で語る分にはいい。だが、真剣に話し合うとなると、あまり明るい未来を想像できそうにはない。「明るい未来」ってのは、勿論、「彼女と二人でずっと一緒に暮らしていく」事を言うのだが、とてつもない不安がその想像をいつも邪魔する。靴を履き替え、教室目指して廊下を歩いている今この時も、横を向けば春果の横顔があって、春果もこちらを向いて、別段意味もなく笑顔を見せる。こういうなんでもないようなことを、いつまでも変わらずに続けていくことが出来るだろうか、と誰かから訊かれたならば、その問に対して、あまり上向きな答を出せそうにはないのだ。それぐらい、今のこの状況を、どういうわけか僕は不安に感じていて、まあそれは少しくらいは僕の考え過ぎなのかも知れないが、それでもやはり、この状況が変わってしまうのでは、と考えてしまう。

 そこで「何かを失う」幻覚を見る。「何か」ってのは、やはり春果のことかもしれない。幻覚を見る時、僕の横から春果はいなくなる。そしていつも通りの呼吸ができなくなって、頭痛がやってくる。

「」僕の名前だ。春果が呼んでいる。横を向く前に、眼を開けたら彼女が僕の顔を覗きこんでいた。いつの間にか俯いていたらしく、彼女の顔は目線の下の方にあった。「大丈夫? 今日おかしくない?」

 大丈夫、と返す。いつも通りだ。「大丈夫じゃない」なんて言おうものなら、彼女はすぐに家へ僕を連れ戻そうとするのだ。風邪を引いたわけでもないのに学校を休むのはなんだか気持ちが落ち着かない。そして彼女も一緒に休むのだから、それはそれで彼女に学校を休ませたみたいで罪悪感が募る。

 しかしこの幻覚は時折やってくるのだが、今日みたいな日は初めてだ。一日に二回も幻覚を見るってことは、何か嫌な予感がしているってことなのだろうか?

「君!」教室に入ろうとするところを誰かが呼んだ。声をした方を向くと、ゆっくりとこちら側に視線を向けて歩いててくる男子の姿が見える。

 現生徒会長のだ。

 クラスは別だし、話したことすらない。学校の集会などで前に立つから、僕は彼を何度も目にしているし、彼に関する噂も幾らか耳にしているから僕は彼を知っている。対して一個人である僕は目立ちもしないし、これまで一度もクラスを一緒にしたこともないので、本来だったら彼は僕の名前すら知らないはずだ。

 なのにそれを知っているということは、何かの名簿でも見たのか。

 だとしても、どうして僕なんだ?

「阿佐霧九龍くんは君のこと?」物腰の柔らかそうな雰囲気を醸し出し、実際笑顔で彼は訊いた。

「そうだよ」特に隠す必要もないし否定する理由もない。

「悪いんだけど、放課後、屋上まで来てくれるかな」ふと彼は一瞬だけ視線を隣の春果へと向け、すぐにこちらに向き直る。「ああ、その、本当に悪いんだけど、君一人で来てほしい。さん抜きでね」

 春果抜き? 一対一、ということだろうか。

「春果に聞かれちゃまずい話なのかな」

「そういうわけでもないけど、君にしか用事はないから、できれば一人で来てほしいんだ。大丈夫だよ、君をどうするとか、そういう話じゃない。ただ単に、頼み事があるんだ。それだけだよ」

 終始笑顔。少し気味が悪いくらいに感じた。

 断る理由こそ無いが、春果を一人にするのもなんとなく気が引けた。二年次から同じクラスになっているとはいえ、僕が隣にいない時に、未だに彼女は嫌がらせを受けているし(ごく最小限にはなっているけど)、僕はというと、さっきまで彼女が隣にいないという幻想を見ていたくらいだ。

 そして今、僕が春果の隣にいない間に、春果がどこかに消えてしまうんじゃないか、という突飛な妄想まで浮かんできてしまった。ますます不安になる。

 とはいえ、僕に対する用事がどういうものなのかについては、意外と気になっている自分がいる。とりあえず、話だけ聞いておきたいという気持ちが強くなっていた。

「いいよ。とりあえず、話だけでも聞くよ」

「ありがとう」先ほど話してきた時とあまり変わらない笑顔だ。

 だけど、と僕はすぐに言う。「春果をできるだけ近くに置いておきたい。屋上の出入口前までなら、問題はないと思うんだけど、どうかな」

 彼はしばらく考えた素振りをした後、「わかった。それくらいだったら、いいよ」と笑顔で応えると、そのままもと来た道を戻るように引き返していった。その姿が見えなくなる前に、教室へ入る。

「いいの?」と春果。

「いいんだ」と返す。「どうせ少し話すだけだろうし」

「嫌な予感がする」

「予感……ね……」それは僕も同じように感じている。あんな幻覚を既に二回も見ているくらいだ。どう考えたって春果のことを考えてしまう。違うだろうけど、やっぱり。



 僕達が通う東堂高校は、今まで不良学生が台頭しているせいで不良校と称されてきた。実際、入学した時は今よりも結構治安が悪い方で、隠れてタバコを吸う人はいたし、恐喝も何件か見かけた。スクールカーストは極端に明確で、頂点はやはり不良学生だった。ドラマやアニメなどの創作物で見る不良校のステレオタイプそのもので、新入生はそれらに順応するしかなかったのだが、実際のところ学校の治安がそれほど悪くはなかったように思う。不良たちはまず学校に来ないことがほとんどだし、陰湿な嫌がらせも大体は相手が決まっている。それこそ最初は春果に白羽の矢が立ったが、今はそうでもなくて、恐らくは春果の代わりに白羽の矢を立てられた人がいたのではないか。

 ところが、二学期になると状況が一変した。不良学生達が一斉に自主退学したという噂が流れてきたのだ。学校側は公にはしなかったが、一学期に常時見かけていた不良学生を一切見かけなくなったことで、その噂の信憑性を革新した。その代わり、原因や発端ばかりが気になった。

 校長の取り計らい?

 だとしても何故二学期に?

 丁度その頃に別の噂が流れてきた。

「不良達を退治した奴がいるらしい」「そいつは一年らしいよ」「一人で喧嘩挑んで勝ったって」「普段は温厚な性格みたいだ」

 様々な噂が次々と溢れては消えたのだが、その囁かれている本人が、二年の二学期あたりで自ら噂の正体を明かした。

 生徒会長に立候補することによって。

 新しく生徒会長が決まった際、その新任の会長自身から、何らかの挨拶をすることになっている。確かその第一声は「僕はこの学校を変える」だった。彼は中二病を高校二年にもなって未だ患っているのか、と最初はそう思ったが、淡々と彼は挨拶を進め、件の自主退学について触れたのは最後。「彼らを自主退学させたのは僕です」

 すぐにざわめき始めた生徒たちを前に「一年間よろしくお願いします」と締めの挨拶をして、ステージから去っていったのは印象的だった。

 どう考えても生徒会長にそこまでの権力は無い筈だし、彼らを自主退学させた方法についても疑問が残る。仮に暴力を用いたのなら、確実に何らかの処分を受けるだろう。そう思っていたのだ。

 そうならなかったのは、やはり暴力によるものではなかったのだろうと思うしかできなかったのだが、教師ですら手のつけようもなかった不良生徒を、当時一年生だった彼がどうやって自主退学させたのかというのはやっぱり疑問に残った。

 更に言えば彼には鳳条菜癒という彼女がいる。だから春果抜きでの話と聞いた際に、「『彼女に交際を申し込みたい』とか言われるのではないか」という心配はしていない。まあ彼自身がそれなりの節度を備えていればの話だけど。



 学校の屋上が開放されているのは創作物の中の話だと相場が決まっているので、僕等はこれまで校舎の屋上に出入りすることはできなかったし、これからもできないだろうと思っていた。

 この学校だって多分に漏れず屋上への入り口にはさっきまで鍵がかかっていた。

 一体彼は何者なのか。

 生徒会長という役職には、思っていた以上に権力が与えられているのかもしれない。僕らのような一般生徒が普段できないようなことを、権力を利用してこなしているからだ(実際にはそういうふうに「勘違い」しているだけかもしれないが)。

 僕が目の前で対峙している生徒会長は、屋上への入り口に掛けられた南京錠を右手の人差指にかけ、同じく右手の中指にはその南京錠を開けた鍵が含まれている鍵束をぶら下げている。後は何も持っていない。制服のポケットには何か入っているかもしれないけど。

 僕の背後には出入口のドアがある。閉まっていて、そのドアの向こうで春果には待ってもらっている。

 冬に比べるとだいぶ日も長くなってきた。柵の影が細長く、オレンジ色になった床に伸びている。その柵から無駄に広いグラウンドを見下ろせば、野球部もサッカー部も練習をしているだろう。実際には見てないけど、なんとなくそんな感じの音がする。ボールが当たる金属音と、ボールを蹴る鈍い音。

「話を始めよう」ほほ笑みを浮かべながら彼は切り出した。

 なんだろう。ここで突然に、この先の話がなんとなく見えるような気がした。彼が何か話を持ちかけ、何らかの要求を突きつけてくるような、そんな感じが。

「話ってのは何?」

「君の彼女をお借りしたい」

「彼女……春果のこと?」

「そう。正確には、彼女の……淡海さんの【力】を借りたいんだ」

 的中した。

「君にしか用事はない」は嘘だった。

 が、何も喜ばしいことではない。

「【力】ってのはどういうことだろう? 春果が何か特殊な能力でも秘めているとか、そういう話かな? だとしたら、見当違いだと思うけど」

「大まかな話、そういうことになる。だけど怒らないでほしい。僕は頼まれてるだけなんだ」

「誰の頼みだろうと一緒だよ。「彼女抜きで」話をするのは僕じゃなくて春果に用があるからだろう? だから、こうしてここに来る前から答えは決まってたんだ」

「断るならもう少し話を聞いてくれるとありがたい。君の推測には幾つか誤りがある」

「あろうとなかろうと、聞く話なんてないよ」踵を返し、ドアに向かう。

「申し訳ないけど、そうもいかない」彼が小走りでドアの前に立ちふさがる。先ほどの明るい表情は消えていた。

「貸せる力なんてものはない。そもそも僕に頼まずとも、彼女に直接頼めばいい話だろう」

「彼女が僕と話をしてくれるとはとても思えない。少しだけ君たちのことを観察させてもらったけど、彼女は君としか話をしないし、彼女と話す人間は皆、君の仲介を経てる。今、君はそれをわかって言ってるだろう?」

「当たり前だ。僕が彼女に頼んでも、彼女は承諾しないだろうし、無論、僕も賛同しない」

「そうか……」硬く冷たい表情のまま、彼は俯く。そして目線だけをこちらに合わせてきた。「だけど僕も菜癒ちゃんに頼まれた身だからね、簡単には引き下がれないんだ」

 それを言い終わる直前、彼は右手を勢い良く僕の目の前に。

 右手は拳を作っている。

 拳は風を切ってこちらへ向かってくる。

 このままでは顔に当たる。

 だからその前に右手で受け止めた。

 その場を動く必要はない。

 よく訓練されていると思った。拳を受け止めた時、かなりの反動が伝わってきた。単純に殴るのとは根本から違う。全ての力のベクトルを込めて、拳を受け止めた僕の右手に向けて打ち込んだのだ。

「流石」打ち込んだままの体勢で彼は言い放つ。

「何が言いたい」言葉を返した。

「やっぱり君も持ってたんじゃないか。その【力】」

 しまった、とは思ったが、それも一瞬だ。

 恐らく彼は最初から知ってただろう。でもなければ、無抵抗の人間にいきなり殴りかかる生徒会長がどこにいるのか。それも最大限の力のこもった拳だ。普通の人間なら顔の骨が砕けるのでは?

「君こそ、相当な訓練をしてるじゃないか。彼女の護衛でも引き受けたの?」

 彼はクスっと笑い、僕の掌から拳を離す。

 拳を解いた彼の手には南京錠だけが残っていて、体勢を直す彼の制服の右ポケットから、収まりきれていない鍵束が覗いていた。

「まあそんなところだよ。お互いに愛し合っている仲ではあるけどね、公私混同はできないってところかな」

「彼女は【力】を持ってるんだろう?」

 そうだよ、と彼。「でも君たちみたいに実戦向きじゃない。彼女は君たちみたいな人間が見えるみたいなんだ」

「まるで幽霊にでもなったかのような言われ方だね」

「言い方が悪かったよ。とにかく、菜癒ちゃんには、そういう能力がある。そういう【力】を持ってる」

 色々と言いたいことはある。だったら彼女はどうして直接僕達のもとに来ないのか、とか。他愛のない疑問ばかりではあるが。

「菜癒ちゃん自身が直々に君たちのもとに交渉に来なかったのにもちゃんと訳があるんだ。菜癒ちゃんは財閥の娘でしょ、色々と忙しいし、仲間集めにも躍起になってる。せめて学校でぐらい、休ませてあげたいと思ったんだ」

 恋人の多忙ぶりを思うあまりの行動ってことだろうか。「だとしたら、それは逆効果だったと、その恋人に伝えておいてもらえるかな。生徒会長である君が僕達のところに来ると、後々誤解を招きかねない気がするから」

「確かにそうだね。以後気をつけるよ」僕を馬鹿にしているのか、あるいは自分自身への嘲笑か。どちらにも解釈できそうな笑いだ。

「それと、僕達にはもう関わらないでほしい」僕がドアの方に一歩足を進めると、彼はあっさりとドアの前から退いた。「僕達は平穏に過ごしたいんだ」ノブに手をかけ、ドアを開ける。

「最後にこれだけ聞いてくれないか」背後からの声に耳を傾ける気はもう無い。「菜癒ちゃんからの伝言だ。……伝言というか、断られた際、最後に伝えるようにって言われた内容なんだけどね」

 ……少しだけならいいだろう。「……何?」

「『一年半前、君たちを含め多くの人間が【侵略者】と戦った。その時戦った者達の多くは、とある先端技術を使用して、後天的に得た能力者たちだった』」

「そうだよ。【侵略者】と戦えるのは能力者のみ……つまり、君が言う【力】を持った者にしか戦うことはできない。そもそもその【侵略者】は、能力を有するものにしか見えない」

 そうだ。彼は肯定する。

「『彼ら【侵略者】が、近々またやってくる』そうだ」 

 早々にこの場から離れて、春果と帰りたかったにも拘らず、今こうして立ち止まって話を聞いているのはどういうわけだろう。背後からの伝言に、僕は耳を傾けてしまっている。

 話を最後まで聞いておいて損はないと、どの時点で判断したんだ、僕は?

「『立ち向かえるのは能力者だけ』……なんだけど、『先端技術で【力】を得た後天的能力者は、現時点で一人もいない』。……みんな得た【力】が消えちゃってるんだ。『後天的に得たとは言っても、ごく一時的なものだったようだ』って」

 この場を去りたい。

 そのはずなのに、話の内容に気を取られて動けないでいる。

「つまり、『一年半前の【侵略者】との戦いに勝利したのは、一時しのぎでしかなかった』んだ。『今また彼らが再び、ここに来ようとしてる。もう一度。一年半前のリベンジを果たそうとしてる』……ってのが、彼女からの伝言だよ。正直、僕には何の事かさっぱりわからないんだけどね、この世界が危ないってことだけは、菜癒ちゃんからも念を押された」

 結局最後まで聞いてしまった……が、それでも気持ちに変わりはなかった。これに対しては「やっぱり」という気持ちが強い。

 だが、何よりも怖いのだ。

 今度こそ春果を失うんじゃないかと。

 僕は何も言わず、建物の中へ入る。背後からまた「気が変わったり、何かあれば僕のところに来るようにしてね」と声が届いてきたが、もう反応すべきことでも何でもなかったので、そのまま無視して階段を降りる。

 目の前の踊り場に、春果が立って待っていた。「おかえり。どんな話だったの?」落ち着いた表情と口調で春果は僕に訊いた。

「春果抜きでの話だよ? とっくに察しがつくと思うんだけど」

「まあね」微笑みながら春果は言う。「帰りながら話聞かせてよ。どれくらい当たってたか気になるの」

 当たってたか……ということは。

「夢、見てたの?」立ち止まる僕を置いて、春果は階段を先に降りていく。追いかけるように僕は階段を降りる。先に階段を降り終わった春果がこちらを向いた。

「ごめんね。黙ってて」僕以外には誰にも見せることのない無邪気な笑顔だ。

 更に階段を降り、靴箱までの廊下を歩く。校舎内に、もう人はあまりいなかった。実際、普段ここまで帰りが遅くなることもないので、正直なところ新鮮な光景ではある。

 靴箱の出入口に、先ほどの屋上で見た時よりも濃いオレンジ色の光が差し込んでいる。そこに影を作りながら、僕たちは一緒に校舎を出た。

 帰る中で、屋上での彼との出来事を話した。

 春果は大いに喜んでいた。

 予想が全て当たっていたと。

 夢に見た通りだったと。

 自分たちへの要求。【侵略者】の再来。その話を聞いた上で、僕がその要求を断ること。あの生徒会長がどちらの手に屋上への入口の鍵を持っていたかまで、全て。春果は的中させた。

「ていうか最初に教えてよ……もしかして朝に見せたあの不安そうな表情も、ただの演技だった?」

「演技ってほどのものでもないけどな」少し困ったような柔らかい笑みを浮かべる。「でもその時の九龍は結構疲れてたみたいだったし、あの演技だけで相当不安になっちゃったのかもね」

「そう見えた上であの演技か」昔から春果には少し意地悪なところがあるのだが、でもまあやっぱり憎めない。むしろ、春果がこの話を深く考えていない(ように見えるだけなのかもしれないが)ことに心底安心している。

 そしてあの生徒会長は、やっぱりまだまだ何も知らない。

「だいたい、鳳条菜癒って、かなり有名人だよね」

「大企業の社長令嬢だし、そうでなくても鳳条って名字の時点でだいぶ有名になってるはずなんだけどね。あの時の戦いでも、金銭的、戦力的に、だいぶ活躍してた。心強い味方だったよ」

 ゲームで言うところのヒーラー、回復役を彼女は務めていた。先端技術によるものではなく、自身が生得的に持っている能力で、あの戦いの時は一人で大多数の人間の体力を回復させ、戦闘を有利に進めた。そして金銭面においても、自身の財力を活かし、戦う能力者たちに武器や専用端末などを支給したりしていた。それらの活躍が【侵略者】に打ち勝った要因の一つでもあるくらい、彼女一人の功績はとてつもなく大きい。

「おまけに頭脳明晰で、運動神経も抜群だしね」

「運動面に関して言うなら、僕達にも同じことが言えるんだけどね。ただ頭の良さはどうにも適わない」

 だが彼女には謎も多い。彼女は最初からこの高校に、僕達と一緒に入学してきた。入学式において彼女が代表を務めたのでそれは覚えている。

それがわからないのだ。何故わざわざこの高校を選んで入学してきたのか。

「物好きなのか、単なるカモフラージュなのか。どっちだろうとは思う。春果はどう思う?」

「案外どっちも当たってるんじゃないのかな? 登下校とか普通に徒歩だよ。それはカモフラージュの域に入るかもしれないけど、あの人を彼氏にしたセンスがどうもおかしいと思うな」

「もしかしたら彼氏自体もカモフラージュかも?」

「いくらなんでもそれはかわいそうだよ。渾身のパンチをいとも簡単に受け止められちゃったんだよ。それだけでも、あの生徒会長さんにとってはだいぶショックだったんじゃない?」

「ショック……か、そんな風には見えなかったよ」

「そうなの?」

「ほぼ笑顔だったから、巧く隠してるかもしれないってのはあるんだけど、少し気味が悪いくらいだった」

「ふうん、面白いね」

 面白いというか、おかしいのだ。

 気味が悪いくらいに。

「でも、どうして私なのかな。私の【力】をどういう目的で使おうとしてるのか、生徒会長さんは言ってないんだよね?」

 そういえばそうだ。ただ単に「彼女の【力】を借りたい」としか言わなかった。

「ただ、最後に生徒会長は、また【侵略者】が来るって話をしたから、あの分だとまだ春果の事を諦めてない可能性があるんだ」【侵略者】と戦う時に、また鳳条菜癒の助けが必要になるだろうし、その時に春果の【力】を要求されるかもしれない。

「九龍はどうするの?」

「何が」

「戦うの?」

「春果はどうするの?」

「私は九龍に合わせるよ。九龍が戦いたいなら、私もそうする」

「もういいんだ。戦わないよ」まあ最初から決めていたことだ。春果と過ごす平凡な時間が愛おしい。何も起こらない、何もやって来ないからこそ過ごせる日常だというのはわかっているが、だからといって無理に死地へ飛び込んで日常を自分から壊しに行く義理はない。

 それにあの幻覚のことも引っかかっている。春果を失うのは幻覚だけの話にしたい。尤も、彼女の予知能力でこの幻覚の存在も見破られるかもしれないし、もう見破られている後かもしれないのだが。

何にしても、幻覚を見るという病気がこれからも続きそうな予感はあるし、その幻覚通りに彼女を失うかもしれない恐怖もまだまだ続くだろう。もしかしたら、それすらも彼女の予知夢で見破られたりするかもしれないが、その時はその時だ。

「生徒会長さん、明日は来るかな?」

「ああ、できれば来ないで欲しいな」

「いきなり喧嘩になっちゃったらどうしようか。……そうだ、その時は九龍の電流パンチをお返ししてあげたらどうかな」ワクワクした表情で春果は言う。

「能力者でもない人間にあのパンチは辛過ぎる気がするな」

「案外避けられたりしてね」

「こっちが気を抜いて戦えばそうなるかも。会長のあのパンチ、結構威力あったんだから」おまけにスピードもなかなかのものだった。

「でも平気でしょ」

「さあ、どうかな」

 空は薄暗くなっている。

 家はもうすぐだ。

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