【2-3】一押し二金三男!

  金曜日。今日の午後は池谷ファームへの訪問。俺としては今週最大の仕事。

 駐車場で待ち合わせなので、社用車の隣でスマホのメッセージチェックをしながら待っていると、社長が来た。


「運転頼むぞ」


  最近あまり聞かなくなった低めの声に顔を上げると、


「やっぱりそっちですか……」


  今日は松田先輩がいるせいか、クールバージョンの社長だった。


「何が不満だ。梅村」


  二人きりなのに苗字で呼ばれ、ドキッとした。


「いいえ……」


  自分を引っ叩きたくなった。

 なんでこんなのにドキッとしたんだ俺は! 俺は、この社長は好きじゃないんだ!


「すみません。遅くなりました」


  松田先輩が走って来た。


「お腹の調子大丈夫ですか?」


  初めての社長との外出で緊張しているらしい。さっき食後に整腸剤を渡した。


「言うな!大丈夫です!」


「そうか」


「緊張してるんですよ」


「行こう」


  無視かよ。

  ムカつくけど、怒ってもしょうがない。運転席に座りエンジンを掛けると、社長が助手席に乗ろうとドアを開けた。


「社長、後部座席にお願いします!」


「なんで? いいだろ。いっつもここなんだから」


「2人の時はそこですが、3人の時は、後部座席が上座ですから、助手席は松田先輩です」


「はぁ? 日本はこれだから面倒だ」


  うわ…… そう言う社長が面倒だわ。どうしてこうも別人格?

  社長は文句を言いながらも、大人しく後部座席に座わると、松田先輩に指示を出した。


「松田君、梅村のナビよろしく。迷うから」


「はい。わかりました」


「は?」


「迷ったろ前」


  冷たくニヤリとした社長に虫唾が走った。

『今度は行きも帰りも迷子にならないように。いいね?』 と優しく言われたあの瞬間に戻りたい。

 我慢しろ俺! この社長とあの社長は別人だ!俺はこの社長が嫌いなんだ!


「もう迷いませんから、ご安心ください」


  久々に営業スマイルで反撃したら、鼻で笑われた。


「そうか。まぁ。やってみろ」


  あー。すげームカつく。けど、我慢だ、我慢……


  ……え?


  バックミラーを調整しようとした時、そこに写っていたのは、本当の社長。申し訳なさそうに手を合わせ、越しに謝ってきた。口パクでなんか言ってる。『ごめん翔太』 って。もう、なんなんだよ……

  俺は仕返しに、ニコッと営業スマイルを浮かべながら振り向いて『イヤです』 と口パクで返した。


  は?


  なんですごく悲しそうな顔するんですか。悪いのは自分でしょう。


「よし地図出た。運転よろしく」


  松田先輩にナビを任せ、またミラーを見るとそこには俺の好きじゃない社長が写っていた。


「迷子になるなよ、梅村」


  キリッとしててカッコはいいけど、冷たさと少しイヤみな言動がどうにも好きになれない。

 ちょっとカッコよさが薄れるけど、優しくて温かくて笑ってる社長の方が絶対にいい。

  そう思ってるのは俺だけじゃないはず…… 絶対この社内にもいるはず……

 その人たちと社長の距離を縮めたい。社長に自分を殺さず偽らずそのままで過ごしてもらいたい。その為にも、今日俺は頑張らないといけない。


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  2回目の池谷ファーム訪問は、すごく有意義なものになった。

 社長OKが出た2商品は、池谷さんの反応も良かった。

  デザインは娘さんたちにも意見をもらったので、会社に帰ったらデザイン担当に投げる予定だ。

 今回の訪問の最大の目的は、追加2商品のアイディアを得ること。

  池谷さんと娘さんたちに話を聞いて、俺と先輩だけじゃ考えつかない、女性ならではの考えや感性に触れることができた。

  生産現場、生産者の生の声を聞くことができて、松田先輩はとても満足げな顔をしていた。

  一緒にまた考えよう。LOTUSならではの、売れる魅力のある商品のアイディア……


  でも、俺の密かな計画、社長と松田先輩を近づけて、仲良くなってもらう計画は失敗に終わった。

 松田先輩と社長は会話こそちゃんとしていた。でも、先輩は緊張しっぱなしだし、社長は作り物の社長。どんなに仲を取り持とうとしても、二人の距離は全く縮まらないままだった。


  そして今夜も絶賛残業中。でも今日は松田先輩が一緒。昨日よりずっと快適な残業時間。だけど、環境は最悪だった。


「暑い!」


  そう。暑い。クーラを入れたら、壊れてしまったのか、何やっても冷房にならずに暖房になった。慌てて止めたけど、熱気が篭ってしまった。窓を全開にして、腕まくりして、ネクタイ外しても、まだ暑い。


「梅村、もう一回それ言ったら、ビール一杯な!」


  これは奢れってことだよな。でもまともに返しても面白くない。


「やったー! ごちそうさまでーす!」


「違げーよ。梅村のおごりだよ」


  ちゃんと突っ込んでくれる先輩に笑った。


「先輩、ビール1杯奢るんで、クーラー直してください」


「無理! 機械いじり無理!」


「えー。なんで?」


「無理なものは無理!暑いものは暑い! 早く仕事きりつけよう」


  あ。NGワード言った!


「やった! 暑いって言った! ビール2杯ご馳走さまです」


「違うぞー。梅村2杯、俺2杯。だから帳消しだ!」


「えー」


  二人でワイワイいいながら残業してるところへ、クールモードの社長が覗きにきた。


「何やってる。もう20時だ、帰れ」


「お疲れ様です。今日のまとめやったら帰るので、社長もお帰りください」


  目を合わせず言うと、社長は少しムッとした。


「……今から帰るとこだ。そういえば、なんでこの部屋こんなに暑い?」


  指を入れ、ネクタイをずらした社長になぜかドキッとした。

 なんでだよ、なんで俺今ドキッとした? 意味がわからん!


「クーラーが壊れました。松田先輩に直してもらおうと思ったんですが、出来ないそうです」


  目を合わせたくない。隣で松田先輩があたふたしているけど放置。

 また社長はムッとした感じで、俺に指示を出した。


「工具箱出してこい?」


「え。直せるんですか?」


  できるの!? びっくり。でも、松田先輩は驚きすぎ。


「やってみる。とっとと仕事片付けろ」


  蓮見さんは最強な気がしてきた。

 イケメンだし、本当は優しいし、仕事できるし、本当は気遣いすごいしてくれるし……

 これで女性にフラれまくってるとか、意味がわからない……

  作り物の社長にしか魅力を感じない相手の女が悪いんだ!それを選ぶ社長も悪い!

 ……って、なんでそこに怒りを覚えてるんだ俺は。これも部屋が暑いせいだ!


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  しばらくすると、社長は修理を終えたらしい。


「多分これで動くと思う。つけてみろ」


  リモコンのボタンを押すと、動いた。でも、変な音が聞こえる気がする。


「……あの、大丈夫ですか?」


「そうか? ほら、冷気が…… えっ」


  止まってしまった。何度か動かそうとチャレンジしたけど、もうビクともしなかった。


「あー。ダメかもですねこれ……」


  誰の目にも明らか。壊れた。


「ごめん……」


  しょげた社長にギョッとした様子の松田先輩だったけれど、頑張って励ましていた。


「クーラーの件、俺のせいにしといたんで、大丈夫です」


  スマホいじってたけど、誰かに連絡したのかな?


「絶対怒られるよな? それ……」


「大丈夫です。あー。おっしゃる通り怒られました。ウソやん、晩飯抜きかよ……」


  スマホ見て頭抱えてるけど、なんでだろ。

 まぁいいや、松田先輩が晩御飯抜きと言うことは、今日しかない! 今を逃すとチャンスはない!


「じゃ、先輩。社長にご飯奢ってもらいましょっか」


  食事、お酒。やっぱりそれが一番の近道だ。


「は!?」


「えっ……」


「社長、いいですよね?」


  営業スマイルではない笑顔でねだってみた。


「あぁ、まぁ……」


  目を逸らされたけど、拒否はされなかった。


「やった」


「店は、勝手に決めていいか?」


「はい。あ、でも、ラーメン、餃子以外でお願いします!」


「店選んで、荷物取ってくるから、その間に早く仕事片付けろ」


「はい!」


  このチャンスを絶対にモノにする!


「おい! 社長になに言ってるか分かってるのか!?」


  社長の姿が消えた途端に怒られた。

  でも、これは大事の前の小事。敢えてズレてるフリをした。


「先輩、晩ごはん抜きなんですよね? お腹空いてますよね?」


「そう言うことじゃない! 社員が社長に奢れって言うか普通!」


「今後注意します。でも、今日は連れてってもらいましょうよ! 先輩!」


  人タラシの気のある原を思い出し、ヤツを真似てみた。

 可愛い後輩なら、首を縦に振るかもしれない。


「しょうがねぇな…… って! お前は慣れてるかもだけど、俺は今朝から緊張しっぱなしなんだよ!」


  お叱りの理由はこれがメインだったか…… 一緒に池谷ファーム行きましょう。と言った時から先輩はずっと緊張していた。


「先輩の方が俺より長く顔合わせてるじゃないですか。俺なんかまだここに来て3ヶ月くらいですよ」


  そう言ってから、他社から出向している新参者が、社長の一番近くにいる異様さにふと気づいた。


「あのな、梅村……」


「それに、1個上なだけじゃないですか。俺、5個も離れてますよ」


「だから、そういうことじゃない! あっちはトップ、こっちは一番下っ端。ほとんど喋った事ないし、一番遠い存在なんだって!」


  それ以上に、社員とコミュニケーションを満足に取っていない社長が不安になった。

  やっぱり今日絶対にやらないと。


  足音が聞こえる。社長が戻ってきた。


「先輩、部屋の電気お願いします! 行きますよ!」


「聞けよ!」


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  3人でやってきたのは、予約が取りづらい事で有名な焼肉店。

 蓮見さんの親戚の方が経営しているらしく、驚いたことに普通に入れるらしい。

  個室に入ると、蓮見さんはパパッと注文した。


「飲み放と…… 取り敢えず、これとこれとこれとこれ、3人前お願いします。とりあえずビールでいいか?」


  主催は蓮見さん、肉やサラダのチョイスに文句はない。


「蓮見さん。今日はどんだけ飲むつもりですか?」


「……梅村!」


  また松田先輩に怒られた。そこまで失礼な事は言ってないつもりだった。俺だって飲みたい。蓮見さんにも松田先輩にも、気持ちよく飲んで貰いたい。


「いいじゃん。金曜日だし。昨日我慢したし」


  ……あれ? 今のって、本当の蓮見さんだ。『蓮見さん』って呼ぶと、もしかして!

 まずはその作戦だな。


「社長は、お酒お強いんですか?」


  松田先輩は頑張ってコミュニケーションをとろうとしている。有り難い。蓮見さんは……


「あの、松田君」


  何言う気だろ……


「は、はい……」


「……会社じゃないから、社長って呼ぶのは無しで。堅っ苦しい敬語も無しで」


  自分から言った! まだクールバージョンだけど、これはいけるかも!

 どうしていいか戸惑ってる松田先輩を見ながら、思い切ってぶっ込んでみた。


「先輩、蓮見さんはお酒弱いですよ。ですよね」


「うん。俺、弱……。 強くはない」


  あ、気づかれたかなこれ……

 作戦変更だ。さぁ、どうするかな……


  ビールジョッキが来た。

  飲みはじめてからだと、酔うと人格が変わるんだって最初の俺みたいに勘違いする。

  やっぱり、ドカンと一発が一番かな。


「蓮見さん。乾杯前にいいですか?」


「なんだ?」


「俺、もう我慢できないので、最初に謝っておきます。すみません」


「……え?」


「松田先輩、蓮見さんって、ほんとはこんな無表情で嫌味で冷たい人じゃないんです」


「おい! なに言ってる!社長の前だぞ!」


  松田先輩にまた怒られた。わかってる、とんでもないことを言ってるのは。


「本当は、すっごい優しくて、暖かくて、人間味ある人なんです!」


「……は?」


「翔太。ごめん、昼間は悪かった……」


  松田先輩は意味がわからないと言った感じでポカンとし、蓮見さんは俺に謝っている。

 もしかすると、仕返しって捉えてる?


「もうこれ以上やめて。翔太が思ってる以上に、俺のダメージすごい」


  冷たい社長で怒られるより、蓮見さんに困った感じで謝られる方が俺にはこたえた。


「すみません……」


  失敗だった…… どうしよう…… 蓮見さんの迷惑になっただけだ……


「でも、ありがとう翔太。機会作ってくれて」


  本当の蓮見さんが、優しく俺に微笑んだ。


「えっ」


「……俺も頑張る」


  どうやら俺の思惑は、最初から蓮見さんにバレていたようだ……


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  蓮見さんは、俺にした話よりは軽くて短いものを松田先輩にした。

 熱心に聞き終えた先輩は、緊張から解放され穏やかな顔だった。


「俺も本当の、今の蓮見さんの方が良いです」


「ありがとう……」


  松田先輩は、本当の蓮見さんを受け入れてくれた。これで、蓮見さんの味方が一人増えた。

 嬉しい。そのせいか食事と酒が美味い!

  二人も俺と同じなのか、飲んで食べて、楽しい時間が流れている。


「やっぱり、蓮見さん、先代の息子さんですね…… 笑った顔が一緒です。あー。なんか懐かしくなってきた……」


  涙ぐむ松田先輩に、ハッとした。俺だけだ、先代社長である蓮見さんのお父様を知らないのは……

 社長室の写真でしか見たことがない。

  実際に接していたLOTUSの社員の多くが、先代社長を懐かしんでいた。その人たちなら、本当の蓮見さんを受け入れてくれるはずだ。大丈夫だ、絶対。

  これからも、地道に味方を増やしていこう。そっと心に決めた。


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「ほんとはさ、俺、入社したとき松田君の後輩にしてもらおうと思ってたんだ……」


  ビールの次に、日本酒に手を出した蓮見さん。松田先輩と一緒にお酌し合いながら、ちょっと前の話を始めた。


「え、そうなんですか?」


「会社の事や業務の事、何にもわからないのに、いきなり専務っておかしいでしょ。思わなかった?」


「そういうもんかなって、俺は思ってました。でも、後輩もらいそびれてたのか……」


「今は俺がいるからいいじゃないですか、先輩!」


  俺も日本酒のお相伴に預って、二人の話に参加した。


「はぁ? 可愛い顔して無邪気にそういう事言われると、なんかわからんけどムカつくわ」


  笑ってるから、本当にムカついてるわけじゃない。でも……


「可愛いって言わないでください!」


  言われたくない。今週2回目だ可愛いって言われるの。可愛いは男である以上イヤだ!


「諦めろ。お前はイケメン部門でも、分類的には可愛いだ」


「嘘だ。絶対嘘だ! 蓮見さん!」


  助けを求めたけれど、撃沈した。


「翔太は…… 可愛いだね。まだ二十代だし」


「最悪だ……」


  追い討ちをかけるように、松田先輩から爆弾が落とされた。


「あー。だから、赤城さんに弟扱いされて、全然進まないんだ。そうだろ?」


  驚いたせいで酒にむせて咳き込んだ。くるしい……


「ちょっと先輩、なんで知ってんですか!」


「バレバレなんだよ。しょっちゅうメシ一緒に食ってるだろ。二人がくっつくかどうか、先輩たちと晩飯掛けてんだ。早くくっつけ」


  そう言うことか! でも、酷くないか? 俺と赤城さんとの事で賭け事するのは。


「へー。翔太がまだアタックできてない相手って、赤城さんだったのか。で、どうするの、いつするの?」


「そうだよ。いつすんだよ」


  二人に興味津々で迫られ、俺は困った、でも、確認しておきたいことを聴くチャンスだ。


「その前に聞きたいんですが。LOTUSって社内恋愛ってOKなんですか?」


  いつ聞こう、誰に聞こう。それをずっと考えていたことも、アタックするタイミングを測りかねていた一原因。

  思い切って先輩と会社のトップに聞いた。


「……は? なに言ってんの、まさか、俺の嫁さん誰かわかってない?」


  松田先輩には結婚指輪を見せつけられ、


「もしかして、ヘブンスさんって、社内恋愛禁止なの?」


  蓮見さんは眉間にシワを寄せられた。


「えっと、ヘブンスは禁止でした。同期の女子が社内恋愛こっそりして、バレて、結婚して、辞めていきました。いや、辞めさせられたのが正解ですかね」


「マジか…… 前近代的すぎる……」


  イラッとしたのか、蓮見さんは焼いてた肉に箸を刺した。

 行儀の良い蓮見さんには珍しい。


「松田先輩の奥様は…… えっと……」


「はい。ヒント。黒いクリアファイル」


  記憶の引き出しを引っ掻き回して……

 思い出した!


「あ! 小宮さん!?」


  経理部の小宮さんと松田先輩の黒いファイルのやり取りを何回か見たし、仲介もしたことがある。

 そういうことだったのか!


「正解! 焼きたての肉をあげよう。あれ、夫婦喧嘩用だから覚えとけ」


「はい! ありがとうございます!」


  ありがたく肉を受け取ってほおばる。


「梅村よ、お前マジで気づいてなかったのか?うそだろ?」


  だって、わからないものはわからない。


「たまーにずれてたり、変なとこで鈍感だよね、この子」


  蓮見さんに、『この子』呼ばわりされた!

 肉が口の中にあるから、反論できない。


「ですよね」


「そうだ! ついでに、この子に、誰と誰が夫婦か、誰と誰が元夫婦か教えといたほうが良いかも」


  えっ。まだいるの? 元もいるの? この子っていうのやめてください!


「あー。わかってない顔ですね、これは。付き合ってる同士も教えときます」


「よろしく。俺も知りたい。順調にいけば御祝儀出したいし」


「あ! 今更で申し訳ありません。私どもの時にはありがとうございました……」


「少なくてごめんね。あの時、会社も俺もカッツカツだったからさ……」


  俺と蓮見さんにはない、共通の知識や記憶がある二人になんとなく羨ましさを覚えた。


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「それはそうと梅村! お目が高いな。正真正銘のお嬢様だよ赤城さん」


  ハイボールを飲みながら、俺は松田先輩が言ったその言葉に驚いた。


「え!? そうなんですか?」


  俺は焼酎のロックを飲むのをやめ、聞き返した、


「……は? それも知らずに狙ってたのか? 出身大学、どこだと思う? ……清柳女子だよ」


「え! 清女ですか!?」


「あそこの、確か経済だったかな」


  清柳女子大学。多種多様な学部があるハイレベルなお嬢様学校。

 歴史が古い名門中の名門。バックグラウンドがしっかりした本物のお嬢様しか入れないと聞く。芸能界や政界、多方面の著名人も数多く輩出している。


「そっか。うちの母と姉と一緒の学校か」


  中休みでオレンジジュースを飲む蓮見さんがさらっと言ったけど、凄すぎる。


「さすが江戸時代からの老舗」


  松田先輩が褒めると、蓮見さんはひらひらと手を振る。

 

「偶然だよ。行きたいとこが偶然清女だっただけ。でも、どこのお嬢様なんだろ。赤城さんって」


  大企業の御令嬢や、大手銀行頭取の娘とかであれば、大抵が苗字でわかる。

 企業経営している親戚の繋がりが強く、知り合いも多い蓮見さんがわからないとなると……


「蓮見さんでもご存知ない…… 同期の俺らでも未だにわからないんですよ」


「小宮さんは? 知らないの?」


「絶対知ってんですけど、教えてくれないんですよ。あんまり詮索すると多分俺殺されます……」


「……メシ抜きとかさ、殺されるとかさ、結構怖い? 小宮さん」


「はい! しかも、何かあるとすぐ先輩風吹かせて来るんですよ」


「へー」


 予想外の小宮さんの話に驚いたけど、俺はいろいろ参考になると思って聞いてみた。


「先輩のいくつ上なんです? 小宮さん」


「学年は1個上。でも年齢は3か月しか違わない。なのにだよ!」


  人は一体いつまで学年に拘るんだろう。そうやってよく思うけど、やっぱり気になる。

 先輩と奥様の小宮さんの年齢差は、俺の恋愛の参考にはならなかった。でも、仕事には大いに役に立つ。


「へー。学年的には蓮見さんと同じって事ですか」


 蓮見さんの仲間を作る作戦。一人目の松田先輩は攻略した。次のターゲットは蓮見さんと同学年の同性社員だ。


「そうだね。あと、研究部に二人、営業部に一人居るっけ、俺と同じ学年って」


 把握はしてるんだ。さすがは社長。でも、どうせほとんどしゃべったことがないに違いない。


「そうですね」


  そっと先輩に耳打ちした。


「……月曜日に、その三人のお名前教えてください」


「……おう、何かわからんけどわかった」


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 突然蓮見さんがクイズを出してきた。


「さて、翔太くん。赤城さんの出身地はどこでしょう!」


 出題の意図はなんだ?


「翔太くん。それくらいは聞いたよな?」


 松田先輩が小突いて来る。そうか……

 ちゃんと知ってる。赤城さんの事何にも知らないわけじゃない。全然方言が出ないから驚いたんだった。でも、出身地を聞いてしまった以上、方言を聞きたいと思うのは、男の性かもしれない……


「はい。京都です!」


「正解! 焼きたての肉をあげよう」


 また松田先輩から肉が来た……


「京都のお嬢様で、老舗だったら、特定が難しいかな。数は桁違いだし、ネットやテレビで絶対に出てこないのは山ほどあるからね」


「そうなんですね……」


 裏でコソコソ好きな人のバックグラウンドを調べたくはない。はっきり言ってどうでもいい。俺が好きなのは、家や歴史じゃない。その人本人だ。


「ということで、梅村。お前の課題は、赤城さんとくっつくこと、どこのお嬢様か情報をゲットすること。報告待ってる。よろしく!」


「えー。なんですかそれ」


 まずはお付き合いを申込むとこからじゃないと、何も始まらない。

 まずはそこを頑張ろう。


 松田先輩はハイボールのジョッキを早々に空にして、おかわりを頼むと、話題を変えた。


「ところで、蓮見さん。彼女さんは?」


 見事に地雷を踏んだ。踏み抜いた。

 蓮見さんが無表情で固まってしまった。こりゃまずい。


「先輩! 聞かないであげてください。振られたばっかだそうです!」


 蓮見さんは、すごく情けない顔をした。


「そりゃね、LOTUS代表取締役社長、蓮見健一はモテるよ。いっぱい寄って来るよ。でもさ…… 本当のこの蓮見健一 31歳は、モテないの!」


 オレンジジュースを自棄飲みした蓮見さんを笑ったら、松田先輩に軽く怒られた。


「笑うな! 蓮見さん、なんでです? 原因は?」


  蓮見さんは焼酎のお湯割りを頼み、ちびちび飲みながら話し始めた。


「この性格! やっぱ、男だし、カッコつけたいじゃん。カッコつけてるうちはいいの。もういいかな?って思って。素のこの俺で接すると、はいさようなら」


「それは、選ぶ相手が悪い気がしますよ…… おい、梅村、何喜んでんだ?」


 先輩が俺と同意見だった。ガッツポーズしたらまた怒られた。


「すみません……」


「次はいつもと違うタイプ探しましょうか…… 今まではどこで出会ったんです?」


「合コン……」


「あー。それはもうやめたほうがいいですよ。肩書き狙いのがいっぱい来ます」


「そう?」


「合コンじゃなくて、そうだな……」


 既婚者である松田先輩が一番上手。その話を熱心に聞き入った。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 22時半に、飲み会は御開きとなった。


「蓮見さん、大丈夫ですか? ひとりで帰れますか?」


「帰れるよー。そんなに飲んでないもーん!」


 結局ビール1杯、日本酒1合、オレンジジュース、焼酎お湯割り、烏龍茶、緑茶…… ってなんできっちり種類と数を数えてるんだ俺は……

 自立は出来てるし、歩けている。でも、『もーん』とかいう時点であんまり信用ができない。


「……やっぱり、最寄駅まで送っていきます」


 松田先輩が、俺を止めた。


「梅村んち、ここから逆方向だろ? いいよ、俺同じ方向だから送っていくよ」


「え。いいんですか?」


「たまには先輩も使え」


 たまにはって、いつも頼って助けてもらってばっかだ。


「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて……」


  本当に有難い……


「さ、蓮見さん、帰りましょうか。梅村、また月曜日な!日曜日頑張れよ!」


 ……日曜日? 俺先輩に言ったっけ? まぁいいや……


「え? あ、はい。 今日はありがとうございました。お疲れ様です。失礼します」


「またね、翔太!」


 遠ざかっていく二人の後ろ姿を見て、満足感でいっぱいだった。

 企画開発も、秘書も、恋愛も、全部頑張ろう!


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 日曜日、赤城さんと水族館に行った。日常から離れた綺麗な空間で二人で過ごし、綺麗な魚や可愛いイルカを見て、仕事に関係無い話をする。かなりリラックスできた。身体も心も落ち着くと、アタックする勇気が湧いた。

 夜、予約していたおしゃれなフレンチでの食事の最後に、思い切って切り出した。


「……よかったら、俺と正式にお付き合いしてもらえますか?」


 その結果は、お断りでも快諾でもなく牽制だった。


「……ちょっと待った。本当にいいの? わたし梅村くんの4つも年上だよ? 覚えてるよね?」


  年齢のこと気にしてたのか……


「はい。俺、平成生まれですけど、赤城さんはギリ昭和生まれです」


「うん、覚えてたね。わかってるけどギリ昭和って言わないで、お姉さん傷つく」


  直接言うのを避けたのに、失敗だった。

 たまに、自分で自分のことをお姉さんと言う。


「すみません…… でも、俺、本気です」


 食後の紅茶を飲みながら、赤城さんは俺を目を合わせずティーカップの底を見たままぽつりと言った。


「……お姉さんいるって言ってたよね。おいくつ?」


「28です」


 小さくため息をつかれた。


「そっか、本当のお姉さんよりお姉さんなのか……」


 さっきから歳の話ばかり。俺はやっぱり弟扱い?


「……弟さんいましたよね? おいくつですか?」


「うちも28」


 俺より年上だったか、弟扱いされるわけだ。


「……年下は対象外ですか?」


 言った途端、赤城さんは慌てて俺の顔を見た。


「あ、ごめん!ううん! そんなことない。……本当に、本当に、わたしでいいの?」


 俺はしっかり目を見て言った。


「赤城さんが、いいんです!」


「……ありがと。改めて、よろしくお願いします」


 OKをもらえた! 手を差し伸べられたので、しっかり握り返した。


「ありがとうございます! よろしくお願いします!」


 好きな人に、思いを伝えられた。

 これからもっと好きになりたい。そして、俺のことも好きになってほしい……

 いままでで一番強くそう思った。

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