【2-2】恋に師匠無し……

昼休憩後の少し眠くなる時間帯。

デスクで自分の仕事をしていると、社長からメールが来た。何か用事があるとメールが来るのはいつもの事だ。


『今すぐ社長室に来てください。よろしくお願いします』


これもいつも通りの文面。

あれ? 今日は下にまだ何かある……


「はぁ?」


スクロールして目に入った続きの文章のせいで、俺は声を上げてしまった。

お陰で目はスッキリ醒めたけど、松田先輩に心配された。


「どうした?」


「大丈夫です。すみません変な声出して」


落ち着け。超軽い文面のメールが、社長から来ただけだ。それに驚いただけだ。

見間違え、じゃないよな。やっぱりある……


『翔太、マジでごめん。さとにぃが突然来た。すぐ終わるから、できるだけ早くこっち来て (つД`)ノ』


なんなんだよこれ……

てか、社員宛のメールに顔文字なんか使う社長っているの?

それと、さとにぃって誰だよ。


社長が書いたとは思えない超軽いメール。こんなの他の人に見られたら社長が困る。完全削除。

身支度をすると、島の皆に声をかけて社長室へ向かった。






「失礼致します」


来客用のソファーに座っている男性が、俺の姿を認めるとスッと立った。

挨拶するようにと社長に促されたので、名刺を差し出した。


「はじめまして、社長秘書をしております、梅村と申します。よろしくお願い致します」


「はじめまして、顧問弁護士の沙田です。こちらこそ、よろしくお願い致します」


なぜかまたどきりとした。この人の声、どこかで聞いた声に似ている気がする……

同時に思い出した。前に酔っ払った社長から言われた、「さとにぃに会わせるよ 」という言葉。

名刺で名前を確認する。沙田智司すなださとし 先生。

俺と同じくらいの背格好。そういえば、社長と従兄弟って言ってたっけ。

思わず見比べてしまった。社長と正反対の違うタイプのイケメンだ。

社長は薄い日本人顔。沙田先生は濃い彫りが深い。……あれ? 本当に従兄弟?


「梅村君、イケメンじゃん。可愛いじゃん。今まで全部紹介してくれなかったのって、独り占めしときたかったから?」


一気に砕けた口調で話し出す沙田先生。笑った顔が、社長に似ていた。やっぱり従兄弟だ。

イケメンはありがたく頂戴するけど、可愛いはちょっと……


「違う! タイミングが合わなかっただけ!」


「ふーん。まぁいいや。そうそう、健ちゃんまたフラれたんだって?」


え? そうなの?社長と 恋バナなんか当然ながら1回もしたことはない。


「ちょっ! なんで今言うんだよそれ。もう、さとにぃ、何しに来たんだよ。俺ら暇じゃ無いんだけど」


言われたくないんだろう。早く追い払いたいっていう感情が見え見えだ。


「梅村くんに会いに来るのがメイン。ついでに、契約書の最終版持ってきた」


「えー。 ついでの方がメインでしょ、それ……」


本末転倒している沙田先生。いちいち嫌がってる社長。二人の関係性が面白くて笑ってしまった。


「とにかく、社長。こちらをご確認頂き不明点ございましたら、いつでもご連絡ください」


突然真面目な弁護士の先生になったせいか、社長もキリッと社長らしい態度で返した。


「ありがとうございます。確認します」


でもまた沙田先生は『従兄弟の兄ちゃん』になって話し始めた。


「そうだ。健ちゃん、次は合コンやめよ。変なのしか寄ってこないから」


「まだその話? さとにぃだって合コンでしょ? 礼香さんと知り合ったの。あ、さとにぃの奥さんね」


「ちっ。甘いな。俺のはちゃんとした合コンだ。弁護士の男達と弁護士の女達!」


すげぇ…… ハイレベルすぎる。ってことは、沙田先生の奥様も弁護士。


「悪いこと言わない。もう諦めて、おば様の持ってくる縁談に乗れ、それが一番だ」


やっぱり老舗の社長ってのは自由恋愛できないのかな?


「母さんの持ってくる縁談は絶対にヤダ!」


あ、嫌なんだ。


「梅村君、うちの母と健ちゃんのお母さんが姉と妹ね。おば様が持ってくる縁談、バックグラウンドも、ビジュアルも全部合格なんだよ」


「へぇ。なにがご不満ですか?」


「ことごとく健ちゃんと相性が悪いのよ、これが」


「俺の話聞いて、ニコニコ笑ってるだけの子はヤダ! 大抵そう言う子は、本当の俺を嫌がるし!」


「へぇ……」


フワフワした性格の旦那さんに、おっとりしたお嬢様な奥様。合ってそうで合わなそう。

おっとりお嬢様は引っ張っていかないと行けない気がするから、そのせいかな。

ところで、なんで俺は今恋バナ?してんだろ業務時間中の社長室で。


その時、俺の携帯が鳴った。どうしよう……


「いいよ、出て出て」


沙田先生に促され、電話に出た。


「すみません…… はい。梅村です。はい。わかりました」


久田さんだった。今すぐ事務室に戻って来いって。

口調と声音で怒ってるみたいだ。


「どうした?」


「松田先輩と一緒に久田さんから呼び出しです…… 多分お叱りです」


「わかった。行って」


「あの、お茶かコーヒーは……」


入室時にすでに確認済。なにもテーブルに出ていなかった。


「大丈夫! 今日はこの人仕事で来てないから出さなくてオッケー」


え、そんな扱いなの? 弁護士の先生なのに。


「ひでぇな。契約書持って来たじゃん!」


「それついでって自分で言ってたじゃん! 翔太、すぐ行って。早く行かないと久田さんに余計怒られる」


社長に甘えて、退出を決めた。


「では、申し訳ありません、失礼させて頂きます」


「えー。もう行くの? もっと話したかったのに。また来るね、梅村君」


俺ももっと話したかった。恋バナではなく、法務関係の話。

でも今は早く事務室に戻らないと!


「はい、ではまた。失礼致します」


部屋を出てドアを閉めた時、中から沙田先生の声が聞こえた。


「……めっちゃ梅村君の事可愛がってんじゃん。昔からずっと弟欲しがってたもんな。良かったじゃん」


あれは側から見たら、信頼じゃなくて、可愛がるなのか?

夢で聞いた嫌な言葉『依怙贔屓』 がふと頭に浮かんだが、振り切って事務室に走った。






久田さんに怒られた。

一部を任されていた、胃薬の錠剤形状変更の案件だった。報告と必要書類の提出が滞っていたのを怒られた。指導監督不行き届きということで、松田先輩もとばっちり。全部俺のせいなのに……

松田先輩に謝りまくったら、しつこいと逆に怒られた。また謝ったら最後は笑われた。

どうやら俺は謝りすぎる癖があるみたいだ。気をつけよう。


今はもう20時近い。絶賛残業中! もう事務室には俺ひとり。

今日怒られた件の処理と、明日は午後から外出なので溜め込まないためにも仕事の整理。


ふと、足音が聞こえた。守衛の多崎さんかな?

気にせず作業を続けていると、その足音は俺の側で止まった。

顔を上げると、社長だった。


「お疲れ様です」


定時で帰ることは滅多に無い社長。今日も今まで仕事をしてたみたいだ。


「おつかれ。根詰めて残業あんまりしたらダメだよ。身体に良くない」


ごもっとも。でも、そっくりそのまま社長に返したい。


「……社長もお帰りください。今週の退社時間、ほぼ21時を過ぎています」


「え。……見張ってる?」


いかん。スパイ疑惑が無くなったのに……

違う。俺はスパイじゃない。

冷静に本当の理由を包み隠さず正直に言った。


「違います。社長のスケジュール管理は、秘書の仕事です。社長は朝がお得意ではないので、朝一の商談を予定に入れないために、退社時間を見ています」


「そっか。ごめん……」


胸を撫で下ろした。だいぶ信頼され始めたのに、ここで振り出しに戻るのは嫌だ。


「もう終わる?」


「はい。あと少しでキリが付きます」


あんまり遅くなっても明日に差し支える。お腹も空いたし、そろそろ帰る。


「そっか。……あのさ、よかったら、飯、行かない?」


若干おどおどしながら聞くのは癖なのか、俺に遠慮がまだあるのか……


「なんで毎回遠慮がちなんです?」


スパッと誘ったのは、初回の時だけ。あれは作り物の社長だった。

本当の社長で俺に接して来るようになった今、なぜか毎回ちょっとおどおどしながら誘ってくる。


「だって、俺の方が年上じゃん。嫌だと断り辛いかなって……」


予想外の答えに笑ってしまった。こっちは大歓迎なのに。


「心配ご無用です。ご一緒させてください」


「良かった。ありがと」


嬉しそうにニッと笑った社長に、こっちも自然と笑みがこぼれる。


「何食べたい?」


「ラーメン、餃子以外でお願いします」


あんまりいい思い出が無いというのが建前。

最初のサシメシの時の思い出と反省を上書きしたくないのが本音。


「了解。じゃ、切りつけたら駐車場に来て」


「お車ですか? 今日」


たまに車通勤する社長。気分なのか、残業する為なのか、いまいちわからなかった。


「……寝坊したから」


「え?」


ようやく判明した。寝坊イコール車通勤。よく覚えておこう。

社長は恥ずかしかったのか、そそくさと行ってしまった。






荷物をまとめ、タイムカードを押すと、電気と冷房を消して事務室から出た。

最後の人は、玄関で守衛の多崎さんに声掛けして帰るのが決まり。


「お疲れ様です。事務室、俺で最後です」


「お疲れ様です。ありがとうございます。社長も遅かったようですね、先程帰られました。あとはラボに誰か居るみたいですね。声掛けしてきます」


「ありがとうございます。では、お先に失礼します」


駐車場に向かうと、隅にちょっと高そうな大きめの車が停めてある。

社長の車に乗せてもらうのは初めてだ。


「お疲れ様です、終わりました」


「おつかれ。行こっか」


「よろしくお願いします」


社長の運転は上手だった。急ブレーキ急ハンドルは皆無。

俺は…… やっぱり下手だわ…… 明日の運転は松田先輩も乗る。気をつけよう。


「イタリアンにするけど、いい?」


「はい」


今までの業務中の外でのランチや、連れて行ってもらった晩御飯は、みんなセンスが良くて美味しかった。不安も不服も何もない。楽しみでしかない。

ただ、大抵の店のオーナーが知り合いや友達や親戚だから、社長というのはこういうものなのかと、毎回驚いている。今日もその幅広い人脈からのチョイスだろうか。


「学生の時の部活の先輩がやってる店。小さい店だけど、美味しいよ」


「楽しみです!」


蓮見さんが車なので今日はアルコール厳禁。真面目な話を二人でした。久田さんに怒られたこと、それの原因、再発防止のためにどうするか、明日は池谷ファームで何を得て帰るか、そのためにはどうするか…… 真剣な話が続いた。

それから、オーナーである社長の先輩がやってきたので、お話を聞かせてもらった。

大学の時の部活、サッカー部の話を面白おかしく話してくれた。

料理は美味しく会話も楽しかった。有意義な時間を過ごした後、蓮見さんに家まで送ってもらった。


たわいもない話をしていたが、どういう流れか、いつしか恋バナになった。


「あの、さ、聞いてもいい?」


「なんです?」


「……彼女いる? あ、でも、こういう質問嫌だったら言って」


また、セクハラだとかパワハラだとか心配しているのかな。それとも単に気遣いしすぎ?

作り物の社長は遠慮などしない。ズバズバ言ってくる。遠慮無しの姿勢は嬉しいけど、あの人間味がない冷たい社長は好きじゃない。困ったもんだ……


「大丈夫です。今はいません。出向決まった途端に振られたんで」


「え。ごめん……」


気まずそうな表情をされたけど、蓮見さんのせいじゃない。誰のせいでもない。

あのまま付き合っててもいつかは別れたと思う。早く決着がついただけ。


「いいえ。あれは、別れて正解でした」


「そう? じゃ、次探してる最中?」


「まぁ、はい。いるにはいるんですけど…… アタックするタイミングが掴めないのと、勇気がなかなか出なくて……」


次のチャンスは日曜日だ。言えるタイミングと勇気が出ればいいけど……


「そっか。でも、翔太ならイケるでしょ」


「ありがとうございます。……蓮見さんは、どんな人が良いんですか?」


お母様が持ってくる縁談は嫌だと言っていた。どんな人がいいんだろう……


「話が出来る人。自分の意見を持ってる人。あと…… このままの俺を受け入れてくれる人……」


親戚、友達、後輩、先輩の前では偽らず本来の自分でいられるのに、自社の社員、女性の前では自分を偽る。


「見つかりそうですか?」


「……昔っからこの性格が原因で振られまくって来たからなぁ。わかんない」


イケメンだし、社長だし、優しいし、気遣いもすごいし、コミュニケーション能力も高いのになぜ振られるのか。謎すぎる。相手が悪いんじゃないの?


「あ、でも一人最近見つけたわ」


「そうなんですか。よかったじゃないですか」


「男だよ。翔太だよ。女の子じゃないもん」


はぁ? 今それをいう? でも少し嬉しい。社長の求めている人物に一致した。


「ありがとうございます」


「あー。この調子で女の子見つからないかな!」


「大丈夫ですよ。でも、沙田先生の仰る通り、合コンはやめましょうか」


「先生って…… えー。やっぱダメかな? 合コンじゃ……」


「俺は、良くなかったです。社長は人脈すごいから、紹介じゃダメなんですか?」


「あ、社長って言った。今日5回目!」


「すみません。蓮見さん!」


会社を出て業務じゃないときは社長と呼ばないでと何度も言われていた。

『梅村』と『翔太』をきっちり使い分ける蓮見さんの真似は難しい。

ああだこうだとたわいもない話をするうち、家の近くに来た。


「あ、この辺で大丈夫です。今日はありがとうございました」


「こちらこそ付き合ってくれてありがと。おやすみ。また明日ね」


「はい。おやすみなさい」


遠ざかっていく車を見送ると、小さなため息が漏れた。全く仕事と関係ない話題で盛り上がって笑いあっていたけど、ふっと湧いた小さな違和感は今の今まで拭えなかった。

なんだろう、さっき『女の子じゃない』と言われた時に一瞬感じた、奥底でスッというか冷やっとしたのは……






『お呼びだすか?』


また夢だ。誰に呼ばれたんだろう……


『うん。一緒に飲も』


この声は……

心臓がドキドキし始めた。きょうこそ顔が見たい。


『若旦那さん。あんま、わてばっか……』


ダメか。また顔が見えない……


『依怙贔屓やって怒られるか? 言わせとき。わてが守ったるさかい……』


ドクンと一段と大きく心臓が鳴ると、嬉しい幸せな気持ちでいっぱいになった。

この気持ちはわかる。これは……

でも、夢の中の俺は、グッとその気持ちを押さえつけ殺そうとしていた。顔に絶対に出ないように……

そのおかげか、若旦那さんがこちらの気持ちに気づく様子はない。随分寂しげなのが気になる。


『おかあはんな、ちっともようならんわ…… 医者に見せても、ようわからん言われるし。明日、見舞ってくれへんか?おまはんに会いたい言うてたさかい』


いつか夢で見た御寮人さんだ。すっと頭の中に入ってきた。少し前から体調が悪く寝たり起きたりの生活。今までずっと健康だったにもかかわらず……


『へぇ。わかりました』


『おかあはん、おまはんを手代ん中で一番可愛いがっとる。わての真ん中の弟が生きとったら、同い歳やからな。わてにも弟みたいなもんや……』


スッというかヒヤリとした感覚。今日感じたのと同じ感覚。

なんだろう、これは……


『おおきに。恐れ多いことだす』


感情を押し殺した無感情な声と、作った笑顔で答えた。

そんな夢の中の俺の気持ちをしってか知らずか、若旦那さんは優しく言った。


『また飲もな。………』


呼ばれた名前が聞き取れない。

俺は誰なんだ? あの人の顔はなんで毎回見えないんだ。


でもひとつはっきりわかった気がする。

夢の中の俺は、多分、あの若旦那さんのことが……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る